アパートのベランダに出て空を見上げる。
 見渡す限りの青空だったが、けれどそれは所詮"空の青"程度の色味でしかない。
 あの深い深い、どこまでも深い、吸い込まれるような青空には程遠かった。
 それは今私の居るこの世界が裏世界ではないことの証拠だったけれど、いっそあっち側に放り込まれていた方がまだマシだったかもなと思う。
 だって此処が裏世界でないということは――今私の置かれている状況はすべて夢幻などではない現実の産物だということになるからだ。

 今。私こと紙越空魚は――厄介なことに巻き込まれている。
 誰かさんと出会ってから……いや、あいつと出会う前からも大概に厄介事ばかりの人生だったけど。
 それでも此処までのことは初めてだと胸を張ってそう言える。死にかけたこと、殺されかけたこと、発狂しかけたこと――本当にいろいろあったけど。
 さしもの私も、殺し合いをさせられるなんて事態に覚えはなかった。

 殺し合い。そう、殺し合いだ。
 儀式といえば聞こえはいいけれど、オブラートを取っ払ったら後に残る実像はただの蠱毒もどきでしかない。
 どんな願いでも叶えてくれる摩訶不思議なアイテムを巡って、最後の生き残りが決まるまで殺し合う。
 何度反芻してみても、漫画かアニメの中の話としか思えないような現実味に欠けた話だった。

 けれど、陳腐な設定や舞台を笑えるのはいつだって読者ならではの特権だ。
 何度目かの深い溜め息をつく。此処に来てからというもの暇さえあればこうしているから、すっかり癖になってしまったみたいだ。

「鳥子、心配してるだろうな」

 空を仰いで、ぽつりとそう溢す。
 仁科鳥子。お世辞にもコミュニケーション能力が高いとは言えない私にできた、大事な大事な友達。そして、未来永劫ただ一人だけの共犯者。
 此処一年くらい暇さえあればずっとつるんできた鳥子の姿は、当たり前だけど此処にはない。
 あくまで巻き込まれた、選ばれたのは私一人――ということなんだろう。
 それは本来安心するべきこと。でも私はそれ以上に"寂しいな"と感じてしまってもいて、自分の心のさもしさに苦笑する。

「死ねないな、やっぱり」

 これも天命としたり顔で諦められるほど私のメンタルは強くない。
 でも、私が諦められないと思う理由は死ぬのが怖いからというだけじゃなかった。
 それ以上に大きな、自分でもびっくりしてしまうほど大きな感情が、私に生きろと訴えかけている。

 ――だって私が帰らなかったら、鳥子多分泣いちゃうし。
 あいつ最近、私のこと好きすぎだから。
 見てるこっちが恥ずかしくなってくるくらい、わんこかお前ってくらい懐いてくるし。
 ほんとに仕方ない奴なんだ、鳥子は。
 ほんとに―― 

「(我ながらむちゃくちゃだ、言ってること)」

 ああ、ごまかし方が下手すぎる。
 髪の毛をくしゃっと握って、私は呟いた。
 そうだ、むちゃくちゃだ。私は、鳥子のために帰りたいわけじゃない。
 私はあくまで自分のために、鳥子のところに帰りたいと思っているんだ。 

 この世界に喚ばれて、最初は混乱した。
 聖杯戦争、サーヴァント、どれも愛読している実話怪談たちが遠く霞むほどぶっ飛んだ内容だったから。
 でも少し時間が経って落ち着いたら、今度は怖くなった。死ぬことが、じゃない。それよりももっとずっと、怖いことがあった。
 それは――鳥子に。むかつくほど綺麗で、呆れるほど大事なあの女に、もう二度と会えないかもしれないということ。

 もう一度だけでいいから会いたいなんて殊勝なことは言わない。
 一度だけだなんて認めない。これからもずっと、私は鳥子と過ごしていたいんだ。
 まだやれてないことがいっぱいある、知れてないことがたくさんある。
 裏世界だって探索できたのはまだほんの一部でしかないし、せっかく改造したAP-1の元だって全然取れてない。
 ああ、本当に未練だらけ。私が幽霊だったなら、まず間違いなく成仏できずにやばげな怪異に成り果てているとこだ。

「腹は決まったか?」

 その時、部屋の扉がふっと開いて。私以外の気配が生まれる。
 振り向けば、そこに居るのは黒髪で、えらく筋肉の引き締まった身体をした男だった。
 この人が、この界聖杯内界なる異界における私の唯一の味方であり、武器。
 アサシンのサーヴァントだ。私はこの世界で目を覚ましてすぐに敵に襲われ、危ないところを彼に助けられている。
 だから、当然知っている。この目でしっかりと見たサーヴァントのデタラメさは、今も私の脳裏に焼き付いたままだった。

「腹が決まった、っていうか。
 結局スタンスとしては現状と何も変わらないことになりそうなんですけど」

 裏世界の怪異を彷彿とさせるような、禍々しくておぞましい異形の怪物。
 彼はそれを、片手に持った武器一つで徹底的に打ちのめし、叩きのめして引き裂いた。
 私や鳥子がいつも死ぬ思いでやっていることを、表情一つ変えずに淡々とやってのけたのだ。
 その強さは、私が知る限りでは一番やばい人間であるGS研の汀をすら遥かに凌ぐもので。
 聖杯戦争という儀式の苛烈さ、恐ろしさを肌で感じ取るには十分すぎるファーストコンタクトであったと言える。

「私は、生きて元の世界に帰れれば何でもいいです。
 聖杯とか特に興味ないんで、とにかく生きて帰りたいなって」
「そりゃ奇特だな。だが良いのか? 俺が巧えのは、生かすことじゃなくて殺すことだぞ。この意味はわかるよな」

 アサシンは、聖杯に託す願いを特に持っていないという。
 興味はあるが、使うアテがねえ――とか、そんな感じのことを言っていた気がする。
 奇特なのはお互い様だろうと思ったけど、軽口を叩き合う間柄でもないので胸に秘めることにした。

「自分が生き残るために、どっかの見知らぬ誰かを踏み潰す。それでいいんだな」
「そうしなきゃいけないなら、その時はそうしてください」

 ……断っておくと、私だってできることなら人なんて殺したくはない。
 この聖杯戦争という儀式のルールは理解しているけど、それでもできる限りは手を汚さないで済むといいな、と思ってる。
 誰かの命の重みなんてしんどいものは背負いたくないし、そんなものを背負って鳥子に会いたくはない。
 でもそれは、あくまで"できる限りは"――だ。
 聖杯戦争は殺し合い。都合のいい抜け道があるならそれでいいけど、もしかしたら本当に、生還の席は一人分しか用意されていないかもしれない。
 そうでなくたって道中で殺されかけることもきっとあるだろう。
 そうなった場合は、話が別だ。だって四の五の言ってられる状況じゃない。

「この状況で、顔も知らない誰かの命を気にできるほど余裕ないんですよ。
 私はとにかく生きて帰りたい。元の世界に、日常に戻りたいんです」
「あぁ、そういう感じね。なら俺としても手間が省けてやりやすいわ。
 それに、殺すなって言われてもどの道手遅れだ」
「……え?」

 そう言ってアサシンは、私に何かをひょいと投げ渡してきた。
 キャッチして、検めて――思わず、「ひっ」と短い悲鳴をあげて取り落とす。
 それは、指輪だった。綺麗な宝石が埋め込まれた指輪。
 乾きかけの血がべっとりとこびり付いた、指輪。

「この辺りを嗅ぎ回ってる奴が居たんでな。
 何日か掛けて塒を突き止めて、マスターを殺して脱落させた。
 そいつは戦利品だが、要らねえなら俺に寄越せ。何かの役には立つだろ」

 私は、その言葉にただこくりと頷くしかできなかった。
 生きて帰る。
 そのためなら、必要に迫られれば他の参加者を排除することも辞さない。その考えは今も変わっていない。
 ただ――何か。自分は何か、決して越えてはいけない一線を一歩、確実に踏み外した。
 その実感だけは、生きるためだからという大義名分を盾にしても、いつまでも私の中に生々しく残り続けた。


◆◆


「半々ってとこか」

 その男に、かつて人間としての肉体と命があった頃。
 男は、術師殺しの二つ名で以って恐れられていた。
 術師ならば誰もが知る名家に生まれながら、一切の才能を……術師として必要不可欠な力を、真実一切持たずに生まれた欠陥品。
 そんな男に英霊としての霊基が与えられている理由は、この上なく単純にして明快だ。
 彼は紛うことなき落伍者であり、持たざる者であったが――しかしそれ故に、あまりに強すぎたのである。

 天与呪縛――フィジカルギフテッド。
 呪力を持たないという縛りの対価として、超人の身体能力と五感を手に入れた"怪物"。
 禪院、もとい伏黒甚爾。それが、この暗殺者の真名だった。

「イカれちゃいるが、イカれ切れてねえ。
 クジ運の悪い女だな、こんな人でなしを引いちまうなんて」 

 甚爾は、言わずもがな非常に優秀な暗殺者だ。
 天与呪縛による超身体能力に加え、宝具として持ち込んだ呪具の数々。
 綿密な計画を立てて敵を殺す脳もあれば、女子供を殺しても心を痛めない冷血の精神も持つ。
 彼を正しく使うことが出来れば。"生きて帰る"という紙越空魚の願いは、決して絵空事ではなくなるだろう。
 だが、しかしだ。忘れるなかれ――これが長けているのは、あくまでも殺し。
 生かすための戦いであるならば、そのためにまず彼は敵を殺す。
 紙越空魚の帰り道は、他人の流血で舗装された道になる。彼らが勝とうが負けようが、これだけは決して揺るがぬ確定事項だった。

「ま……ちゃんと仕事はしてやるよ。俺みたいな猿の取り柄なんざ、精々そのくらいだからな」

 伏黒甚爾に、聖杯へ託す願いはない。
 未練はなく、悔いもなく、生き返りたいとも思わぬ身だ。

 故に此処での彼も依然変わらず、仕事を請け負い人を殺す"術師殺し"。
 クライアントをマスターと改めて、天与の暴君は獰猛にその瞳を燦かせた。


【クラス】アサシン
【真名】伏黒甚爾
【出典】呪術廻戦
【性別】男性
【属性】中立・悪

【パラメーター】
筋力:A+ 耐久:B 敏捷:A 魔力:- 幸運:D 宝具:C

【クラススキル】
気配遮断:A
 サーヴァントとしての気配を絶つ。
 完全に気配を絶てば、探知能力に優れたサーヴァントでも発見することは非常に難しい。
 ただし自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。

【保有スキル】
天与呪縛:EX
 強大な力を得る代わりに何かを犠牲にしてしまう、先天性の特異体質。
 甚爾の場合は呪力を"完全に"持たないという世界でただ一人の非常に稀有な例。
 そのため得られる恩恵も非常に大きく、彼の場合は超人的な肉体と、異常に鋭敏な五感という恩恵を獲得している。
 本来は"魔力"ではなくあくまで"呪力"がゼロになる体質だが、英霊となったことで湾曲され、"サーヴァントでありながら一切の魔力を持たない霊体"という形に定義し直されている。肉体も限りなく受肉体に近く、霊体化することもできない。
 ただしその代わり、彼に対する魔力感知の類は一切機能しない。

プランニング:C+
 対象を暗殺するまでの戦術思考。
 軍略と異なり、少数での暗殺任務にのみ絞られる。

呪霊使役:D
 後記する宝具の一環として、武器庫の機能を持つ呪霊を使役している。
 呪霊と甚爾の間には主従関係が成立しており、契約を奪取することは不可能。
 呪霊の体内には甚爾の宝具である呪具の数々が格納されている。

【宝具】
『天与の暴君』
ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:- 最大補足:1人
最強の六眼を覚醒させ、最悪の呪詛師が生まれる要因となった悪名高き術師殺し、伏黒甚爾という人物そのもの。
他に類を見ない規格外の天与呪縛も厳密に言えばこの宝具の一部と化しているが、此処では甚爾が戦闘で用いる呪具についてを記載する。
武器庫呪霊の体内に格納した呪具もその全てが甚爾の宝具と化しており、彼は生前同様これを用いて戦う。
呪具の中には"特級"と呼称される物も存在し、発動中のあらゆる術式を強制解除する『天逆鉾(あまのさかほこ)』に、伸縮自在の『万里ノ鎖』、単純に圧倒的な破壊力を誇る『游雲』、超硬度の龍をも切り裂く刀――などが挙げられる。

【weapon】
呪具

【人物背景】
術師殺し。
生まれは呪術界御三家の一角・禪院家であったが、呪力を持たない体質から冷遇され、出奔。婿入りして姓を禪院から伏黒へと改めた。
とある依頼を受けた際、後に最強となる六眼の少年と呪霊操術の少年を相手取り、完封。
ターゲットであった少女の暗殺にも成功するが、反転術式で自己蘇生し、覚醒を果たした六眼の前に敗れ、自分の息子を彼へと託して死亡した。

【サーヴァントとしての願い】
願いはない。サーヴァントとして仕事をするのみ。


【マスター】
紙越空魚@裏世界ピクニック

【マスターとしての願い】
元の世界に帰る。

【能力・技能】
ネットロアや実話怪談に対して造詣が深く、かなり豊富な知識を持つ。
また、過去に自分を入信させようと迫るカルト宗教を相手に家出や廃墟探索を繰り返していた時期があり、人間相手に追い詰められた際には常軌を逸した行動力を発揮する。

右目
 裏世界の住人「くねくね」と接触した影響で変質した右目。
 鉱物のような青色を湛えており、裏世界の存在を見通す力がある。
 また更にこの目で相手を凝視することにより、人間を一時的に発狂させるような使い方も可能。普段は黒のカラーコンタクトレンズを右目に入れて青い目を隠している。

【人物背景】
 女子大生。
 廃墟探索を趣味としており、その際に見つけた扉で"裏世界"の存在を知った。
 その後、裏世界の中で知り合った女・仁科鳥子に誘われ、実利を伴った趣味として裏世界に足を運ぶようになる。
 母親を事故で早くに亡くし、その後、祖母や父はカルト教団に傾倒、教団への加入を進める崩壊した家庭の家族から逃れるために家出や廃墟探索を繰り返していた過去がある。

【方針】
鳥子のところに帰るのを最優先する。
なるべくやりたくはないが、必要な状況になれば他のマスターを排除することも已む無し。

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最終更新:2021年08月09日 22:11