今にして思えば。
俺は心のどこかで、遅れてきた青春を謳歌するサークル活動のような気分だったのかもしれない。
何もそれは、遊びのようにお気楽にやっていたというわけじゃない。
むしろ真剣さを疑われたなら、昨日から脅迫も含めてどれだけ死を予感したと思っているんだと言い返したさもある。
じゃあどういう方向で例えたんだと聞かれたら、人間関係ということになるのだろう。
別に本物のサークル活動で友情やら恋やらの味を覚えたことなんて無かったけれど。
気兼ねなく、あるがままに付き合える仲間。
共に戦い、共に同じ籠のパンを食べて、共に遊び、承認して承認される関係。
思えば俺の世界に、そんな『他者』はいなかったんじゃないかと思えてくる。
拗らせた自意識と怠惰でしかない自業自得によって、ペットのオカメインコぐらいを例外に繋がりを閉ざしてきた。
――前はもう連合(こっち)の人間だろ
敵連合は、『自分の世界に他者がいないはぐれ者』でさえも受け入れるのだと知った。
その時の感動や充足に関しては、そこから色々あった今になってさえもありありと思い出せる。
俺は一時の快楽のみに終わらない、本当の生きる喜びを見つけたのだと確信した。
ソーシャルゲームに熱中する合間に聴こえていた『で、それがどうした? 何になる?』という冷たい自問。
それは、もはや聴こえなくなっていた。
ただ、仲間と一緒に同じテレビ画面を見て、楽しく盛り上がりながらゲームをする、なんてありふれた幸せが手に入った。
我ながら呆れるぐらい青々とした気分で、そういう事を言える適正年齢はもう6年ぐらい前に終わっただろと自虐しながらも、思っていた。
この関係は、絆は、ずっと続くのものだ……なんて。
この戦いは聖杯を勝ち取って願いを叶えるためのものなんだという口上を、言葉の上でだけは分かったふりをしていた。
だって俺たちが最後に勝ち残ったら、万能の願望機とかいうものは手に入るんだろう。
まして俺たちのボスはサーヴァントを失っているんだから、自分の分とサーヴァントの分と二つ願いが叶うかもしれない。
だったらおこぼれの願いで、敵連合の身内同士は殺し合わずに終わるような結末だって作れるんじゃないか。
漠然とそんな風に、一人合点でどうとでもなるだろうと思い込んでいた。
いや、これは正確じゃない。
そういう理屈は、きっと自己正当化のために後から、何ならついさっき、思いついたものだ。
和気藹々とゲームの中のレースに興じていた俺は、そんなこをと考えてなかった。
だって、俺の人生で『虚しさを満たしてもらう』なんてことは初めてだったのだから。
これが本物の絆だというなら、ソシャゲでレア度が高いカードを拾った時のような一時の快楽で終わるはずがない。
この先の人生で『死柄木のために死ぬ』ことはあっても、『死柄木がくれた仲間を疑う』必要なんて無いのだ。
いや違う、何なら『そう思っていた』というのさえも嘘だ。
もっとシンプルに、俺は『ここにいる奴らと最後まで一緒に笑い、連合に骨を埋める自分』しか夢想していなかった。
死柄木弔の導きに従いさえすれば、俺はここにいられる。
どうせ俺たちのボスなら何とかしてくれる。
たぶん、せいぜいそのぐらいにしか思っていなかった。
たぶん、そんな風に思っていたことを決して口にしなかったのは正解だった。
アイどころか、一番先のことを考えて無さそうなライダーからでさえも、怪訝な顔をされたんじゃないだろうか。
もし俺以外の仲間が、『おこぼれ生還』では足りない、聖杯(ネガイ)を獲りたいと言い出したら?
冷静になった今では……と振り返れるほど、今でも冷静じゃないけれど。
それなりに時間を置いて、怒りが消えて後悔だらけになった脳みそで考えただけでも。
すぐに、そんな手痛い反論くらいは自分でも浮かんでくる。
――自分が勝ち残った暁には。
――聖杯の融通次第では、田中も“元の世界”に連れて行ってやっても構わない。
死柄木弔は。
『今ここにある連合が終わる』ことに関しては、否定しなかった。
雌雄を決するその時まで一蓮托生。
敵連合は、そもそも初めからそういう集まりだったことを前提にして、受け入れていた。
――アイさんは
――ちゃんと、おわらせよう
連合でいちばん何を考えているか分からない、一番幼いガキでさえも、『終わる』ことに否はなかった。
三人になった遊戯室の沈んだ空気で、全員が悲しんでいることは分かったけれど。
再開したレースが、淡々と進行していくうちに。
渋谷に出かける時の雑談が、あまりに『これまでどおり』だと感じるうちに。
神戸しおと
デンジもまた、受け入れているんだと悟った。
こいつらにとって、敵連合の終焉は寂しいもので、仲間との別れは悲しいもので。
そこまでは俺も同じ気持ちだと共感できるものだけれど。
けれど、そこまでだ。
哀しいけれど最後にはちゃんとさよならをして、その先の人生を目指そう。
そんな気構えなど、俺にはカケラもなかった。
アイが最期に口走った、『アクア』とか『ルビー』という、俺の知らない名前。
そんな風に呼びかけるような人と人との繋がりなんて、俺は敵連合以外に何も持ってない。
まして『敵連合が終わった後の人生』なんて、なおさら想像の外だ。
死柄木は俺のことを、元の世界に連れて行くと言ってくれたけれど。
お前らにとっての敵連合は、通過儀礼でしかないものだったのかよ。
死柄木にとっての敵連合は、終わったら次を見繕う程度のものだったのか。
敬意を抱いていたのは間違いない連中に、そんな黒い情念が宿ってしまって。
そこでやっと、これは友情じゃなくて、依存だとか執着だと気付いた。
元の世界でも、つまらない執着に囚われて破滅してきたというのに。
だから、ツケが回ってきたんだ。
大義としては、敵連合を裏切った者から、敵連合を守るためだったのだとしても。
感情としては、お前の一方的な期待と幻滅でしかない偏執で、あの女は殺されたんだぞと。
そんなだから、星のない偶像が、そして血の悪魔が、俺の元にやってきたんだ。
◆
渋谷区にやや近い新宿区の一区画。
大看板・ジャックを筆頭にした百獣海賊団の猛者たちが惨禍を振り撒いたことで建物は倒壊し。
旱害が枯らし、雷霆が粉塵に変え、電鋸が掃討し、その武威を振るい尽くしたことで。
後には、壊されて、均された、瓦礫の丘陵がそこかしこに。
蹂躙走破によって破壊された者達が降り積もる、旱魃と岩塊とだけが残された。
炎天下の蜻蛉が、コンクリートの跡地をぐらぐらと歪める。
ヒビ割れたアスファルトの路地には静けさが積もっていたが、無音ではなかった。
集音機でも使用すればかろうじて聴きとれるほどのうめき声と、弱っていく心拍。
あと数時間もしないうちに屍体へと変わることを約束された、半死半生の新宿区民。
魂喰いではなく戦場の掃討を目的として駆けられたことによって、死の時間がわずか延びた
NPC。
そんな生き霊の混在する丘陵のひとつを、美しい立ち姿の女が昇っていた。
艶めく黒髪を、乾いた風に翻して。
血糊のついた末期の衣服ではない、新品の衣装をはためかせて。
「なぁ…………お前『B小町』の持ち歌は覚えてるの?」
未だにこわごわとしか話しかけられない、そんな暫定主君からの質問に、その従者はけろりとして答えた。
「知らないよ。でも、ビルを出る前に一曲覚えてきた。
デトネラットの拠点を引っ越した時に、社員さんが『アイ』達の荷物なんかも移してたから」
「アイドルって、避難場所にまで自分のCD持ち込んでたのかよ……」
「ううん、B小町の曲じゃなかったよ。たぶん車で移動する時のBGMだったんじゃないかな。
車の運転ができるサーヴァントさんと一緒に動いてたみたいだから」
だいぶ古い曲みたいだし、きっとサーヴァントの方の好みなんだろうね、と。
素体となる人間の生前をあれこれ推量しながら、すらりと細長い脚を歩かせる。
昇る、昇る。
丘陵の頂上へと、ステージに上がるための階段を踏むように、一歩一歩と上がる。
借りものの『B小町』としての衣装に、髪飾りはセンターを示すウサギのマスコット。
その手には己が血を凝固させた短刀を、いざという時のために携えながら。
両手を背中に回して、短刀付きのそれを後ろ手に組んで、足取りは弾むように。
こいつの中身、いちおう死柄木(男)の魂なんだよな?
田中一が、そう首をかしげたくなるほど『女の子』然とした歩みの仕草で。
魂を与えた親元であるところの死柄木弔は、丘陵のふもと、田中の近くでそれを見上げている。
自ら始めた新しいことの成果を見守るように、いつものうすら笑いで。
田中に『お前のサーヴァントだ』と檀上の女を差し出した時と、変わりない距離感で。
やがて、往年の『絶対的センター』と同じ姿をした人口の偶像が、丘陵の頂上へと上り詰めた。
べつだんの緊張も、気負った様子も見られない。
それが本来のアイもそうだったのか、彼女がホーミーズであるが故のことなのか。
それは、アイドルのライブなどに興味を持ってこなかった田中にはどうしても分からなかった。
往年のアイドルと同じ立ち姿で、目に見える観客が二人しかいない、旱害に遭った街路通りをすっと見渡す。
その両眼に、星の輝きはない。
しかし、文字通りの意味でアイドルの血を引いて生まれている。
容姿や敵連合というコネクションを、生まれた時から持ち合わせている。
しかし、血のホーミーズを構成する『血の遺伝子』は、
星野アイの肉体だったものだ。
ホーミーズの性質は、憑依先が持つ性能を拡張する。
雲や絨毯のホーミーズであれば飛行が可能となり、刀剣のホーミーズは刃が伸長する。
血のホーミーズだからこそ生前の情報を擬態したというのであれば、身体性能もアイを模倣したものとなり。
注がれた魂の量が多ければこそ、そこに性能の頑丈さ――『人間離れした声量と音圧に耐える内臓の頑健さ』が生まれる。
そして、これは『芸術方面に際を持つ者が、その身体能力を異常活性させた場合』に起こりえる事例だが。
生前の星野アイは、決して『その発想』には至らなかったが。
発想に至ったとしても、アイドルの矜持と、普通の女の子としての心を持ったアイがそれを認めたかは別の話だが。
例えばそれが超一流の歌手であれば、薬物投与によって人を殺傷する『殺戮歌(ころしうた)』へと覚醒した事例もある。
「さて、どんなもんになるかステージを観ようじゃないか」
田中を誘うように。
田中は観るべきだと促すような死柄木の声を合図にしたように。
悲しい歌いだしが、鼓膜をがんと揺さぶった。
『孤独な者よ安らかに
世界が貴方を忘却(わす)れても
私は貴方を思い出す
私は貴方を忘却(わす)れない』
テレビCMやSNSを流し見しているだけで聴こえてきたB小町の華やかな歌とは、似てもにつかない。
けれど、間違いなく『テレビで聴いた歌声』と同じ声帯から、悲しさ虚しさの唄が紡がれた。
その声を響かせるために、マイクも音響設備も必要なかった。
もしここがアイドルの夢の聖地、ドームであればその天井をも揺るがしたのではないかというほどの音圧だった。
田中は殴られたがごとくのけぞって両耳を塞ぎ、しばし遠くへあとずさり。
死柄気もその圧にこそ動じなかったが、五月蠅いなと歩みを遠くに進ませた。
アイを模したホーミーズは、かねて指示された通りに、歌う。
瀕死者の埋められた、眼下の区画一帯へと向けて。
『貴方を忘却(わす)れたこの世界
貴方は孤独に闘った』
壊れ果てた新宿の町に、独唱が響く。
極道者が愛した歌舞伎町も、大病院が居を構える日向の土地も、もはや区別付かぬ街の残骸と成り果てた。
真夏の蜻蛉だけが瓦礫の血糊をかわかす慈雨のように、瀕死人の絶命を急がせる乾きのように、景色をわずかに彩る。
そんな街を悼むかのように落とされる歌詞は、誰の耳にも届くもので。
『己は此処だと爪痕を
貴方は孤独に闘った』
麻薬が流通する世界の歌姫のように、それ自体を音響兵器とするような凶悪さまではない。
よく響きわたり、瓦礫の下にいても届き、そして心を惑わせる恐怖はありありと伴う。
けれど、そこまでだ。特異なサーヴァントたちの覇気に当てられたがごとき、精神錯乱以上の実害はない。
だが同時に、ひどく酷薄な役割をも帯びていた。
歌声の届けられる方角へと足を向けた死柄木が、通りの中央に立つ。
手持ちの簡易マイクに小さなホーミーズを宿して、己の声を『拡声』させる手段を獲得する。
『孤独な者よ安らかに
世界が貴方を見棄てても
私は貴方を抱きしめる
私は貴方の傍らに』
コーラスがきりの良いところで一時途切れる。
ここまで聴かせれば、聴力さえ生きていれば誰しもに届いたろうという頃合いで。
崩落した密室の壁ごしに、瓦礫越しに、閉じ込められた、逃げられなくなった、埋められた者達が。
これは一体なんのパフォーマンスだろうと、迎えに来た死神の先触れを幻聴するような恐怖を抱いた時点で。
『さて――』
取って替わるよう、死柄木弔が自己紹介もなしに呼びかけた。
死に切れぬ者たちに向かって。
『――――――――』
布告は、手短で明瞭なものだった。
二択を迫るものだった。
今、その魂を手放してすぐに楽になるか。
間もなく、より大きな恐怖を伴う手段で消し去られるか。
そのいずれかを選ばせてやる、と。
言い切り、幾らかの静けさを挟んで。
死柄木弔は、その手を伸ばす。
アイの声を持つ女は、歌を再開する。
『貴方を見棄てたこの世界
貴方は孤独を生き抜いた』
通常時であればあまりにもあっけらかんと、簡素で信じがたい、その布告は。
しかし、『NPCの覚醒』という変異を果たした前提で。
『可能性の器』であるという、覇王の覇気さえ低減する精神防護も無い、NPCの身で。
恐ろしいまでの完成度を伴った『脳を揺らす歌』に恐怖しない者はいなかった。
崩れた瓦礫の下から。
ドアや壁がひしゃげ、閉ざされた密室の透き間から。
そして世界が終わるまではと逃げ場にされていた、半壊の地下鉄出口から。
田中にとっては初めて目の当たりにする、『寿命(ソウル)』なるものが細長く立ち昇り、死柄木の元へと向かった。
そして、ぶちりぶちりと植物の細長い根でも引っこ抜くように。
解脱した魂は、死柄木の腕ひと振りにまとめて収穫され、取り込まれた。
『敗北(まけ)るものかと前を向き
貴方は孤独を生き抜いた』
死柄木弔がわざわざ足を止め、神戸しおたちを先行させて。
魂を狩るための舞台を始めたことには、幾つかの意図があった。
一つは、新生、ホーミーズとして駆動するアイの性能試験。
いま一つは田中に戦力を与えたことで相応の寿命を消費してしまい、その上で己の予備資源となる魂を確保すること。
もともと、兵隊にするために寿命を出し入れできるなら他人のそれを使えばいいという発想は死柄木にもあった。
勝利のために寿命を削るリスクを死柄木は怖れないが、己よりも他人を削った方が効率が良ければ、やらない理由はない。
そして、やれるかどうかは既に試した。
峰津院財閥を消し去ろうと都内を巡った時、すでにその社員を使って魂の収奪を試みたのだ。
本人の魂よりも格段に質が劣るものではあった、というデメリットは別としても。
結果として、他人から魂を奪うには厄介な条件が色々あると分かった。
例えば、対象に『声を聴かせる』必要があったこと。
例えば、死柄木弔に恐怖を抱くことで発動するらしいこと。
この激戦地において、聖杯戦争のことを知らされた覚醒NPCはすでに状況に恐怖しているか、瀕死の身の上に恐怖している。
田中を滂沱させた魔王の風格があったとて、巨女の海賊ならぬ身で、恐慌の街から注目を集め、声を届かせた上で。
見る見るうちに恐慌の対象を塗り替えるのは、手間として容易ならぬ工程だった。
誰もが目を奪われていく偶像を素として、生まれた人形がいなければ。
『世界が貴方を嫌悪(きら)っても。私が貴方を愛してる』
急ごしらえの偶像が声を届かせ、逃げられない盲者たちの耳目を開く。
いったいこの歌は何だ、どうしてこれほど怖気が走るのかと。
まったく新種の畏れに憑かせた上で、魔王が二択を迫る。
あまりの唐突さに、脅迫めいた二択を飲み込めぬ者達が多数いたところで。
歌声が再開された時点で、既に『恐ろしき歌声は、その男の指示が齎している』という感情の導線はできている。
最後の仕上げとして、死柄木はさらに手をかざして瓦礫から突き出た鉄骨へと触れた。
歌声が浸透するのに併せたような速さで、景色の輪郭が崩れていく。
蜻蛉に歪んでいた残骸の丘陵が、無量大数の塵屑へと変わっていく。
そのような崩壊の伝播したところから、さらに幾筋かの魂が立ち昇り、死柄木に吸われた。
身体が崩れていくことで、意識の曖昧だった者さえも遅まきながら根源的恐怖を知覚した。
そんな最後のひと押しによって追加で魂を差し出した者たちを、おまけのように収獲する。
『世界など知るものか』
もともと死人だらけの場所ならこんなもんかと、死柄木がぼやいたことで。
あらかた魂が狩り尽くされたことは告げられ、あとは放射状の更地が残った。
歌が終わるまでは舞台が続くと、偽りのアイドルはラスサビを手向けていた。
そんな一人舞台を見て、田中は思う。
脳を揺らされぬよう、歌をじかに浴びない彼女の後方へと隠れるようにして。
今、死んでいった者のなかに、もし偶像・アイのファンがいたらどう思っただろうと。
推していたアイドルが、別人のように恐怖を煽るよう歌い始めたかと思えば。
その歌声は、自らに死をもたらす死神の鎌だったらしいと震えて逝くのだから。
推していたアイドルに裏切られた、と思うのだろうか。
あんなにファンを『愛してる』って言ってくれたのに、騙されたと。
心にもないことを言って騙していたなら、騙されたまま逝きたかった、とでも。
――アイが『敵連合なんて今だけだ』と言った時の、俺みたいに?
そんな連想をして、身体がぞわりと震えた。
『私は永遠(とわ)に
貴方の孤独に寄り添おう』
田中一は、孤独だったところをアイから寄り添われて。
彼女らを仲間だと信じていたように、思っていたけれど。
それは実のところ、『信奉』に近いものだったんじゃないか。
なぜなら、俺たちはたしかに理解し合っていたと主張しようにも、何も知らない。
アイの動機の根源であるらしい『アクア』と『ルビー』の意味するところも。
己に殺された彼女が、何を想っていたのかということも。
敵連合が終わるということについても、そうだった。
おそらく、神戸しおやそのライダーが離れがたいほど好きだから『敵連合に終わってほしくない』とは少し違う。
集団の一員扱いされて、輪の中で遊んでいられる時間を終わらせたくないから。
自分の命に存在意義が欲しいから、敵連合に命を捧げようとしていた。
背負った罪の裏側にある己の矮小さから、田中は目を逸らせない。
『世界など知るものか
壊れてしまえそんなもの』
舞台上の偶像は、嘘だ。
彼女はアイドルのアイ、その人ではなかったし。
おそらく、『世界など壊れてしまえ』と想いながら歌っているわけでもない。
音楽への造詣を持っていない田中にも、それが『心のこもった歌声』ではないと分かる。
これは、ものすごく神がかって上手なカラオケだ。
素体の優秀さによって、上手さだけで人を魅せて恐怖を煽るものではあるけれど。
どこまでも、『パフォーマンスが圧倒的に上手い』という、それのみに特化している。
本来のアイであれば歌をこう解釈してこのように表現した、という個性や固有の『輝き』が、欠けている。
星のきらめき、個性という彩色のない黒色彗星(カラーレス・アイドル)が、アイの模倣をしていた。
どことなく本物と遜色ないほど精巧なバーチャルアイドルか、音声合成ソフトの歌い手を思わせる。
そして、世界なんてぶっ壊れろと謳いながら、本音はそこに無いなんて。
本音では、ただ敵連合の皆が命じたからそうする、という追従で満足しているなんて。
むしろそれは本物のアイではなく、田中一のようじゃないかとさえ思う。
『孤独な者よ』
ずっと孤独だった。
何をしていても、ずっとむなしかった。
一瞬の快楽にとどまらない、永遠の充足を求めていた。
ようやく手に入れたと思った充実を、己の手で引き金を引いて終わらせた。
おそらく、田中は世界をどうにかしたいわけじゃなかった。
世界を壊すのも、皆でわいわいとマリオカートに興じるのも。
田中一という男が無意味な存在でなくなるなら、どっちでも良かった。
病みついた底辺の男は、世の中が壊れでもしなければ何も変わらないと漠然と思っていた。
そうすべきだと思った宿命や恨みがあってではない。たまたま、矛先が世の中を向いていただけだ。
もしも召喚したアサシンが親友になれる奴だったら、リンボに会っても地獄計画何だそれ、になっていたかもしれない。
今や崇敬する彼のように、神々しいまでの強い意志によって望んだ世界があるわけではなかった。
『安らかに…』
歌の余韻が後を引いた先にある大地は、あまねく塵にかえっていた。
建物の残骸も、人の亡骸も、すべて判別のつかぬ白い塵として積もるばかり。
死柄木を起点として、全てが無価値に塗り替わった景色。
それは田中一が初めて、魔王・死柄木弔を目の当たりにした時とも似通った光景だった。
そこに屹立する威容は、いささかの移ろいもない。
むしろ覚醒したばかりの危うさは抜け落ち、安定し、神々しさは増していた。
ただ、それを見届ける心持ちがあの時とは異なっていた。
田中一はもはや、己もそこに加われるのだと期待に胸踊らせていた『革命』の志願者ではなかった。
彼の始まりのサーヴァントが、願いとして追い求めたもの。
敵連合にいたことで、田中も初めてそれを求めていたと自覚したもの。
『心の平穏』を失った男の姿が、そこにあった。
◆
「そりゃ、会場(ハコ)の人数限界だけはどうしようもないわな……」
パフォーマンスは大仰にやってみたものの。
集まった魂は、質、量ともに成果として物足りないものだった。
こればかりは『逃げ遅れた奴といっても死体か瀕死がほとんどだろ』という正論で斬れてしまう以上、やむを得ない。
そうまでしてかき集めたとしても、やはり他人の魂と自分の魂では、強さも頑丈さも比べるべくもない格差がつく。
効率が悪いし、兵隊欲しさに大規模にやっていれば悠長にもなる。
今後は基本戦術としてはやらない、と結論づけた上で。
しかし、収穫物としての成果はともかく、『状況の改善、改良』としての成果はそれなりにあった。
というより、こちらの方こそが本命だった。
ひとつは、『兵隊』としては力不足ではあれど、『哨戒機』『伝令』ぐらいの役割は果たせるホーミーズならば複数生み出せたこと。
寿命の備蓄が数多くあった海賊女帝の手駒に比べれば、『哨戒網』と呼べるほどしっかりしたものではなかったけれど。
いつ電波塔が機能停止するかも分からないほど都内が荒れ果てた現状で、連絡のアテがあることは悪くなかったし。
何より、先刻から天与の暴君との通話がまたも繋がらなくなっているというタイミングに都合が良かった。
ここから先の戦いは、彼が語っていた『爆弾』の破裂する機をうかがえた方がより優位に立てる。
「でも、駆け付けるお客さんもいなかったのはちょっと悲しいかな。けっこう遠くまで聴こえたと思うんだけど」
ステージから降りてきた偶像のホーミーズが、静かなままの周囲を見てそう言った。
「これから遅れて駆けつけるファンがいるかもしれないだろ? それを確かめのも込みで、お前らの仕事だ」
「アイドルに厄介ファンの突撃を相手しろって? けっこうな無茶振りだよね」
強かそうな笑みで擬人化したアイは言い返したが、彼女はすでに己の役割を飲み込んでいる。
予備資源となる魂の収穫と、偶像のホーミーズの性能試験。
それに付随する、もう一つの目的がこれからアイと田中に任される仕事だった。
追悼歌(ライブ)と、連動しての周囲の崩壊。
決して目立たぬわけではないその催しに、誰も釣られず無視されるということは。
無視せざるを得ないほどの激動がどの主従をも巻き込み、既に各地で戦端は開いている。
仮に見とがめられ、もう一人の海賊のような脅威となるような輩が降ってきたとしても。
二体の分身たるホーミーズ、龍脈を取り込んだ身体、場合によっては南下して渋谷区の他の戦線とぶつけるなどやりようはあったが。
それはそれで、天与の暴君から聞かされた『爆弾』が育ち切るまでの陽動として。
品川区で動いているらしき連携相手が決戦直後に叩かれない為にも、都合がよさそうではあったが。
禪院から連絡が寄越された品川区で。
桜が咲き誇り、先刻は爆音も生じたという渋谷区で。
這い上がってきた海賊も、地獄を創る企みの一派も、そして此方には来なかった方舟の一派も。
どの主従も決戦の地を渋谷区より北に移すつもりはなく、『海賊』と『暴君』たちだけでない全員に近い顔ぶれが集っている。
この戦場を乗り越えれば聖杯戦争も最終盤に入るのだと、その目途が確かめられた。
それはライブ自体の収穫よりも、よほど価値のある報せだった。
「田中」
敢えてホーミーズではなく、それを従えさせた人間を呼んだ。
わざわざ擬人のアイを作ったのも、死柄木なりに彼に眼をかけているからこそだから。
「……あ、ああっ」
上ずった応答で、田中は居直った。
先刻からずっと、新たなアイと目を合わせまいとするようにその後ろに立っている。
「俺はこのまま、祭りに盛り上がりを提供しに行ってやるさ……お前らがやることは分かってるな?」
「渋谷区の周りで……戦場から逃げようとする連中がいたら区内に囲い込む……だろ?」
「何ならそのまま残党狩りを任せてもいい。……もし運悪く手に余る相手を釣り上げたなら、その時は連絡しろ」
戦場の様相を、多数の主従が落ちて、死柄木が最後の勝者へと大きく前進するための戦いへと仕上げる。
であれば、渋谷区近隣から逃げ延びよう、まずは日和見しようという者がいれば戦場へと囲った方が都合がいい。
舞台を作ったのは、『決戦の地に入ること自体は躊躇する者』がいれば、その耳目を惹くためでもあった。
何より、血のホーミーズは歌唱によって『目立つ』ことができる。
これから囮と誘導とを兼ねた遊撃役として配置するには適した人選だった。
そして、そういった戦局の推移に関することとは別に。
田中一を、『連れ帰ってもいい』と考えている死柄木弔としては。
「まぁ、お前はお前のやりたいようにやればいいさ」
命令遵守への期待ではなく、勝手気儘であることを望む。
罪と向き合う孤独とアイという力とを携えて彷徨わせる中で、何かが吹っ切れることこそを期待する。
結局のところ。
田中一は、敵連合の仲間である資格がないのかという話になれば。
死柄木弔も、他の者達も、『そんなことはない』『仲間だと思っている』と答えたことだろう。
そもそも死柄木弔は、仲間にたやすく『失格』の烙印を押すような長でもない。
かつて容易く外部の者を信用したせいで仲間を死なせるという失態をした者も、蟠りなく受け入れている。
けじめを付けさせるために過酷な任務を与えることはしたし、ある意味では田中にそうしている最中でもあったが。
だから田中一の苦悩とは、あくまで田中ひとりの心を舞台にした話である。
昔の田中と消しゴム集めを競っていた同級生が、べつだん田中を見下さずに『同じ趣味の仲間』と思っていたように。
星野アイが田中のことを恨んでいるかどうかについて、彼女は己を刺したストーカーさえも愛したがった女だという事実があるように。
これまでもここからも、田中の世界は主観に基づいた弱さの独白によって綴られる。
だが真に怖いのは、弱さを攻撃に変えた者だ。
生きづらいサガを抱えた者達が好きに生きるのが敵連合で、そこでは集団内で好き勝手にすることも含まれる。
だからこそ、老蜘蛛が田中一に見込みがあると言ったことも。
他者を導くことを覚えはじめた死柄木弔が、田中一に期待をしていることも。
それぞれの直観にもとづいた、真なる事実であった。
【新宿区・渋谷区付近→???/二日目・午前】
【死柄木弔@僕のヒーローアカデミア】
[状態]:継承、サーヴァント消滅、肉体の齟齬解消
[令呪]:全損
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円程度
[思考・状況]基本方針:界聖杯を手に入れ、全てをブッ壊す力を得る。
0:さあ、行こうか。
1:勝つのは連合(俺達)だ。
2:全て殺す
3:禪院への連絡。……取り込み中か?
4:峰津院財閥の解体。既に片付けた。
5:以上二つは最低限次の荒事の前に済ませておきたい。
[備考]※個性の出力が大きく上昇しました。
※ライダー(シャーロット・リンリン)の心臓を喰らい、龍脈の力を継承しました。
全能力値が格段に上昇し、更に本来所持していない異能を複数使用可能となっています。
イメージとしてはヒロアカ原作におけるマスターピース状態、AFOとの融合形態が近いです。
それ以外の能力について継承が行われているかどうかは後の話の扱いに準拠します。
※ソルソルの実の能力を継承しました。
炎のホーミーズを使役しています。見た目は荼毘@僕のヒーローアカデミアをモデルに形成されています。
血(偶像)のホーミーズを造りました。見た目と人格は星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。今は田中に預けています
※細胞の急激な変化に肉体が追いつかず不具合が出ています。ほぼ完治しました。
※峰津院財閥の主要な拠点を複数壊滅させました。
※偵察、伝令役の小型ホーミーズを数体作成しました。
→
最終更新:2023年08月23日 23:40