己が魔術師としてはもはや国家守護を謳えるような力に至らないことは、己自身がもっとも理解している。
魔術師として上澄みではあれど、一戦力としては『兵器』たりえず『優秀』の域を出ないのが個体としての限度。
そこには、あの峰津院が零落したと蔑まれ引きずり落とされる側になるという確定した未来があり。
惑星の管理者気取りからの侵攻を跳ね除けるに際して、難度が遥かに増したという重責があった。
生まれ落ちた時から、その生まれに背かぬように、生まれに適うようにと。
できる限りの全てを賭して積み上げてきたものが、もののわずかで『崩壊』した。
そこに痛痒を覚えないとすれば、それは偽りだった。
だが、痛みを感情として表すような生き方など読み書きを覚えるより昔に廃棄している。
全ては己の敗北が招いたこと、実力で劣った者が窮地に陥れられた結果だと、己の主義に殉じる心算はできている。
その上で見苦しくも逆襲者として足掻くことを、『屈辱をもって命を助けられた』という事実に課している。
その上で、屈辱に耐えながら勝機をうかがうとして。
最終的な勝ちを手にするための、合理性のみで動いたとして。
方舟陣営に身柄を置くこと自体は、延命のためには理にはかなっていた。
今の己は、サーヴァントでさえ相手によっては正面戦闘で迎え撃つことが敵わない。
改めて痛感することとなったのは、まさにその方舟を立ち去ろうとする間際でのことだったが。
このまま『個』として勝ち残るのは限界がある上で、いかな価値基準にあるのか集団の総意として大和と組むことに否はないと言う。
その集団に所属する上で強いられる譲歩は、最低でも『仮にお前が優勝するとしても、願いとして他者の生還を叶えてくれ』という小さくないものだが。
こうなった現状では聖杯戦争終了後のことを憂慮するよりも、聖杯戦争終了時までの生存率を上げることを重視すべきでは、という理はあった。
だが、現状であればこそ、『願いを妥協する』ことを約束した上で慣れ合う余地は無いとも言える。
王に返り咲こうとする者の判断としても。
峰津院大和が、今もなお羽ばたく為にも。
魔術回路そのものが破損しては、個としてポラリスに示すだけの力に不備がある。
つまり、交渉で議題にされたところの『帰った先にある本命』によって滅びを打破する勝算が、乏しくなっている。
むろん魔術回路の総量に左右されない技術資源、悪魔を従わせる調略、峰津院として動かせる力、そして帰還先の龍脈までは途絶えていないが。
たとえ界聖杯の権能に疑いがあろうとも。
世界の生まれ変わりを成しとげるために、聖杯は確保すべきものとしての重みを増している。
これに関しては、求められるのはライダーが補償として打ち出した『語り合い』ではなく、実際の戦力なのだから。
――まだ生きているマスター。彼らと語り合い、答えに折り合いをつけて、それぞれの世界に行って最善手を探し出す。
――そこで可能なだけ、彼らの叶うはずだった願いの手助けをする
それともあの男ならば、『元いた世界の人々や召喚された人外たちと語り合い、頼れ』と言うのだろうか。
残された力を元手として、己の傘下を集めるのではなく、他者の助けを恃みにしろと。
今の社会に浸かる人類にも見どころありと信じて、全盛期の大和と肩を並べる者が台頭することを期待するかのように。
それこそ、峰津院大和に反意を唱えてきた者たちが語る、もっとも理解しがたかった概念に触れる。
ある男は俺が守りたい者の中にはお前の言うところの価値のない者がいると吠え。
ある女はこれまで目を向けることはないと見なしていたものに価値があるかのように、おでんを勧めてきた。
理解をさせられないものには、従えない。
それが『お前の理想はひとたび置いておけ』という、『死ね』よりも逆鱗に触れる言葉であればこそ。
身体強化の術式で都内の拠点を巡視した上で、新宿区を経由して渋谷区へと駆ける。
以前は電話の数本で済ませられた確認を、己が足で行うことに対する余分な感情のしこりはない。
己を動かす燃料となる屈辱の域をはみ出た感傷など、不要だからだ。
魔力反応を殺して
NPCに潜めるほどの隠形能力を有するサーヴァントの一人に容易く命を獲られそうになった上で。
鬼が出るか蛇が出るか、むしろ鬼の類もふたたび現われると確定したような戦場に足を向けることは、理解した上で。
あたかも『まるで懲りていない』という嘲りを受けるかのごとき愚行と取られることは承知しながら。
それでもなお、今すべき最善の行動は『覚悟とできる限りの備えを尽くした上で、踏み込む』という一択に絞られた。
なぜなら、峰津院大和はいわゆる『はぐれマスター』に該当するからだ。
これはサーヴァントを連れて行こうとしてもできない、という単純な意味ではなく。
はぐれマスターは生き残っていく上でそうするしかない、という戦略上の問題があった。
これより先の戦局ではただのはぐれマスターは、『戦地から遠ざかる』ことがそのまま勝機の見落としに直結するリスクがある。
そもそも『最後のひと組まで残った主従が勝者となる』という大前提は、およそ全ての参加者に漠然と信じられている。
全員に告知された『最後まで戦いに参加する資格を有していた者を勝者とする』という言葉の意味をそのままに受け止めるとしても。
あるいは、予選の終幕が告げられるにあたって追加された規定を深読みするとしても。
『聖杯戦争終了の条件が満たされた際、内界で生存している可能性喪失者についての送還処理は行われない』
勝者となった者以外の、すべての生存していたマスターは削除される。
それは裏を返せば『マスターが二人以上生き残っていたところで、その中から勝者ひとりと、その他敗者を峻別する基準はある』ことを意味する。
であれば聖杯は、当然【最後までサーヴァントを従えていたマスターが掴めるように】降臨するのではないか、と。
そうであれば、『はぐれマスターのままで居続ける』こと自体が、生き残るための難度上昇以前に、そのまま敗因になり得る。
生き残り続けたところで、最終的な生死を決める【優勝賞品の取り合い】において大きなディスアドバンテージを敷かれるのだと。
だが、これだけでは聖杯の獲得と生還とが絶望的になったことを意味しない。
打開する為の手段は、安易なものだけでも三つは並ぶ。
一つは、再契約を果たすこと。
ただしそれを成すためには、この局面において主君を殺されても殺害者との再契約に同意するほどには不仲なサーヴァントがいることを楽観的に恃みにしなければならない。
少なくとも、大和自身が手をくださずともマスターが死亡しており、はぐれサーヴァントができた現場に出くわす期待値はそれ以下には違いないのだから。
二つ目には、妥協をして談合を図ること。
聖杯に懸ける願いが競合しない『サーヴァント付きのマスター』と手を組み、同盟者に聖杯を獲らせて『優勝者以外の生還を願えないか』といった競合しない願いを叶えさせること。
峰津院大和にその妥協をする意思があるかは別として。
そして第三の手段は、マスター自身の手で皆殺しを実行すること。
マスターの身であっても大抵のサーヴァントを下せるほどの圧倒的な実力。
それを持って主従そろって生存する全ての競合相手を排除し、己のほかに聖杯を手にすべき器はいないような盤上にする。
これまでの峰津院大和であれば、当然として第三の方法を選んでいた。
万全であった時の峰津院大和は、戦力資源と仕込みありきとはいえ最強生物を冠する明王への挑戦にさえも助力を求めないほどの自我と実力とを兼ね備えていた。
だがそれを成し得た資源は手元に残った龍の一片を除いて枯渇し、龍の一頭は白き崩壊によって強奪されている。
そして、今となっては全てを殺し尽くすかどうかの壁がきわめて難関となったのだとしても。
最終的に、最優先して、『最後の一組になろうとする主従の戦い』が起こった際に、その一組を主従ともども滅ぼす算段は立てなければならない。
正規の手段によって王の座につく経路が絶たれているのだとすれば、残された手段は『簒奪』ということになるのだから。
そしてその『優勝候補』となる者は、またひとたび大規模な交戦が生じれば確実に絞り込まれる。
故に、渋谷区のほど近くから響いてきた、哀悼のかけらもなさそうな鎮魂歌と。
それに伴って響く、瓦礫が崩れて地形の蠕動する音に対して。
峰津院大和が抱いたのは、『このような露骨な釣りをかけられずとも』という苛立ちと。
先刻の愉快ではない記憶を、脳髄を逆撫でするように『あれはこうではなかった』という形で揺り戻される腹の底からの不快感だった。
よりにもよって『歌声』を、薄っぺらい挑発行為のためだけに己に聴かせた者は死に値する。
そう瞋恚を抱く一方で、『意図はどこにあるのか』と言う戦略としての腹づもりであれば読めるものがある。
故に、大和の取る選択肢は不本意ながらも『しばし足を止める』の一択であった。
偶像を用いた演出に、反応して現われる者がいるのか否か。
それによって、『既に決戦の戦端は開いている』ことを確認できるのは、大和の側とてまた同じであるからだ。
結果として、大和もまた舞台(ライブ)を開催した者と同じ見地に到達した。
咆哮により顕在を告げ知らせた
カイドウは既に別の臨戦態勢に入っている――既に他の者は集結していると。
そしてその悪趣味な催しの会場から、大和のいる方角へと接近する異物があることも、また察知していた。
自己強化魔術(カジャ)によって明敏にした五感から伝わってくる情報だけでなく、カイドウやおでんらとの交戦経験。
それは魔術の力量こそ減退した今になっても、『覇気に当てられる』という実演を繰り返したことにより大和の感性をさらに研いでいた。
その上で、敢えて接近する者を回避しようとせず、そのまま進んだ。
何故なら、知っていたからだ。
その接近者の雇い主が、何者であるかを。
己がスカイツリーで体感し、杉並区では『方舟』との同盟解消に至ったとを聞いたことで。
術師としての峰津院大和に致命の傷を負わせ、
光月おでんから庇われたという顛末を起こした『崩壊』。
ひとたび電話ごしに会話したこともある。
――――よぉ、お坊ちゃん
全てを壊して、ただ混沌を望むと答えた相容れぬ者。
それが今でもなお同じ『崩壊』を奮っている。
加えて、『偶像』に由来する新たな力を得ている。
地平への戦線の勝者として、界聖杯に迫りつつある勝ち馬として。
弱い身体へと矯正された今の大和が、それでもなおどこかで打倒しなければならない相手だ。
それが新たな手駒を得たらしいというのに、何らの情報も得ないまま撤退して、『崩壊』と『未知』の双方を相手するような激突は迎えられない。
踏み潰すという支配者の裁定ではなく、どのような手合いで最悪の目が出たとしても生き延びるという逆襲者の覚悟を宿す。
研ぎ澄ました完成から相手の持つ覇気、実力者としての総量を推し量り、退路も視野に入れた戦略を複数並べる。
拠点の被害跡地を巡る過程で入手してきた物品の使いどころも、確かめた上で。
相手の出方次第で、搦め手をどう使うかをも検討する、など。
以前は、まず論外とは言わずとも次善の策以下だった考え方を、見苦しく生き延びるために己のものとしていく。
果たして現れたのは、人の姿をした人ではない女と、守られるように女のはるか後方についていた只人の男だった。
「ストーカーさん、見っけ」
女の口からは、強かそうな軽い言の葉。
声の質から、歌っていた偶像だと分かる。
右手には、真紅のナイフを握りしめていた。
人目を忍ぶストーカーであってもパーカーに隠して持ち運べそうな大きさの短刀だった。
それは鉄錆の匂いがひどく濃かった。血液を凝固させて作り上げた武装なのだろうかと推測する。
その女が人では無い、能力で生み出された傀儡だということはすぐに分かった。
陰陽術に扱われる道具に、形代というものがある。
毛髪や爪など他人の一部を埋め込んだ人形を、その人物そのものだと認識させる術式だ。
簡易なものであれば呪法を受ける身代わりとして機能するし、逆に『呪いの藁人形』として当人を傷つけるために使うケースもある。
高位の術師であれば、生活続命の法とは異なれども『形代を当人そっくりの式神として使役した』という逸話もある。
眼前の女からは、そういった『人間、それも屍者の肉体の一部を利用した呪具』と同じ匂いがあった。
そして、形代となった女の顔には覚えがあった。
これは面識だの芸能界事情だの以前の問題にあたる。
この都内で一定以上の知名度を持った人物の顔を、大和が記憶しているのは当然だったからだ。
なるほどと視線で見据えるだけで足腰を抜かしそうなほど震わせる、どこにでも見かける屑を体現したような男との関係をおよそ察する。
マスターだった芸名『アイ』を名乗る女は殺され、その生前の才覚はよりによってあの穀潰しを護衛するために悪用されている、と。
峰津院大和がもっとも嫌悪し侮蔑するところの、世界の縮図のような光景がそこにあった。
ひとえに冷静でいられたのは、己自身もまた『戦力外にも関わらずに庇われて生かされた』という立場に堕ちていたからだろう。
間違っても同じ扱いをされたくはないが。
――ザンダイン
詠唱なしの無言で、衝撃波の刃を一閃させる。
巨大な巌をも砕く破砕エネルギーが女の胴体へと局所的にぶつけられ、断ち割った。
否、まばたきの刹那だけ、『断ち割った』と言える状態にはなった。
激突箇所がバシャンと、水面に斧を打ち付けたような波紋に変じた。
出血がほとばしったのではなく、液体でできた人形(ヒトガタ)に刀を振り下ろしたかのような手応えのなさ。
そして衝撃波に打ち付けられた後も、平然と形を保っている女。
「あー、びっくりした」
術式の不備による仕留めそこないではなかった。
大和の叩き出せる火力そのものは弱っているとはいえ、それでも衝撃の魔術としては高位に相当する。
それこそ対魔力にでも阻まれない限り、サーヴァントにも通じる神秘は十分に備わっていた。
であれば通じない理由は単純なこと。
女の本質が液体であることに加え、極めて頑丈な身体をしていたから。
能力者自身の魂を多く分け与えられたホーミーズは、覇気を以って斬りつけられたとしても破壊に至らない。
「たしか『残党狩り』でもアリってことは……ここで倒しても、いいんだよね?」
自問自答するように女は一つ呟き。
うん、と口端を釣り上げて。
言い終わる頃には、短刀による刺突が大和のいた場所を貫いていた。
「――――ッ!!」
舞台下の奈落からステージ上へと躍り出る、その為に使われていた身のこなしと跳躍。
それが異常強化を果たした身体性能によって、空を飛ぶ宝具でも得たような疾風と化する。
ダダダ、と足音が姿を置き去られたかのごとく遅れて届き。
それは踏み鳴らしたアスファルトを穿って破壊するステップと化していた。
……身体の一部どころではない。どこぞの魂でも転写されたか?
カジャを付与された跳躍で空中に逃れ、数階建て家屋ほどの高度からその間一髪を確かめる。
頭をよぎるのは、生活続命の法という術式。
よもや、優良サーヴァントに相当する魂をそのまま付与されたのではないかと思えるほどに。
その絡繰人形に積まれたエンジンは規格外だと敏捷さ一つで知れた。
回避できたのは、その身体が踊り手としては優秀でも、『喧嘩』には不慣れであり――前動作が派手だったから。
たまたま、その不慣れを解消する手はずであるべき緒戦で当たれたという幸運の産物だった。
女は「残念」と悔しさもなく嘯いて。
ナイフの投擲を第二撃に変えて放った。
とっさに大和は、雷鳴の魔術を用いて迎撃する。
顔面からそう離れていない空中で赤き刃と稲妻が絡み合い、反動の火花を浴びながらもかろうじて着地。
直前で迎撃が間に合ったのは、血液凝固によって生まれたナイフだと見ていたから。
鉄分でできたナイフと稲妻。鉄と電気という引き合う性質同士だからこそ、刃が雷撃の方へと逸れた。
でなければテトラカーンなど障子を重ねたほどの防護にもならない豪速の投擲が、大和の顔を貫いていたに違いなかった。
昨日にその防護呪文を、
リップという男の走刃脚が放つ刃にも使用したことがある。
その上で女が放つ一撃の重さは、はるか比較にならないと勢いだけで知らしめられた。
女はしたたかに、余裕の有無など読みとれない不敵さで、護衛している男との距離が十分かどうかをちらと気にした風に振り返る。
すぐさま右手の指を爪で切り裂いて、その傷口から血の刃をふたたび生み出した。
そこから先の戦いは、大和の防戦一方となった。
なるべくしてそうなるという推移であり、当然の帰結だった。
彼女は多量の魂を外皮の堅固さと柔軟さに直結させた血の悪魔。
大和はその『血液』という性質に着目して炎熱での蒸発、雷撃での誘導を試みるも、どれも焼け石に水。
液体である己に自覚があるのか熱そのものには警戒した素振りを見せるも、生命としての地力が根本的に開いていた。
血の悪魔が戦い方に不慣れであること、攻撃手段が単純な刺突であるために格闘の術理としての先読みが働くこと。
それらを駆使して数度の交錯をかろうじてやり過ごした時点で、ゼイゼイと鈍い音が聴こえた。
それが己の呼吸による情けない音だと、遅れて気付いた。
落ちぶれたものだと実感する。
これまで、魔力資源の枯渇により身体が襤褸のようになったことはあっても。
シンプルに身体強化の効能が追いつかず、肉体の無理によって戦闘で汗だく、息切れ、痙攣をおこすことはなかった。
杉並区での襲撃とて、たとえ暗殺者の側が奇襲を用いなかったとしても正面戦闘で容易く突破されていたことは予想に難くない。
己が昨晩までは他者に水をあける側にいたからこそよく分かる。
今の大和が昨晩までの大和と決闘すれば、龍脈や霊地支援を抜きにしたところで数十秒と持たないことだろう。
己が傍目からはどう見えているのかは、護られている男の顔つきから理解できる。
巻き込まれまいとする怖気と、原因の知れぬ陰鬱さがあったところで、なお打ち消しきれぬ期待と高揚からの食い入る眼差し。
いくらか戦いのさなかに過酷な思いをしたところで、己の戦果として強者が倒されるとなれば、高鳴らずにはいられない顔。
これまでの人生で、峰津院大和を侮ってきたものから飽きるほど向けられてきた、厭わしい顔つきだ。
それが侮りではなく、真実として実力が通用しないことから齎されたのは初めてだったが。
弱体化した峰津院大和であれば、今の己の力でも通用するのではないか、と。
そんな筈が、無いだろう。
少なくとも、『お前の力』のように錯覚していいものではない。
男にそう告げる代わりに、動きの鈍った獲物をいよいよ仕留めると地を蹴った悪魔に言い放った。
この戦端が斬られてから、初めて敵に向かって言葉を発した。
なぜなら回避に徹する傍らで密かに紡いでいた真言を、唱え終わったからだ。
「――良いのか? 仮にも従者(サーヴァント)がマスターを無防備にして」
今の大和に、高位魔術を二つ同時に無詠唱で放つような真似は――相手方にとっての二回攻撃は、できない。
しかし、埋伏の呪いを片手間に発動させるために、時間をかけてでも詠唱を積んでいれば。
ぞわり、と付近一帯に空気が粘性を纏ったような瘴気が満ちた。
「田中――!」
異常事態のきざはしを感じた血の悪魔が、振り向き、ありふれた苗字を叫ぶ。
男の顔色が、さっと蒼褪めた。
空気の豹変に、トラウマでも揺さぶられたかのごとき劇的さだった。
なるほど、『それ』を持っているからには、呪詛を生業とする術師との間に良からぬ接点でもあったらしい。
はじめに男を一瞥した時点で、大和はその懐にある『呪符』を見とがめ、考慮に入れていた。
その呪符――田中にとっては護符であるそれから、五芒星の紋様が浮かび上がった。
平安の最高位陰陽師が一人、芦屋道満の作成した護符が、峰津院大和の『呪』を受けて暴走を始めた証であった。
「それっ――」
血を纏う女が瘴気の正体にあたりをつけ、即座に護衛対象の元へと引き返すべく地を蹴った。
呪符や護符という器に格納されていた式神を開封し、暴発させる。
式神や霊魂、そして呪具の類を縛ること、呪う事にかけては大和にも一日の長どころでないのものがあった。
むしろ実物としての炎、雷撃などを招来してぶつける攻勢呪文よりも霊的・魔術的な攻撃への対処こそが峰津院としては本領とさえ言える。
平安の陰陽師として最高峰の一角が作成した符であることが障害となり得たが、その符が万全ではないことも大和は見切っていた。
その護符には、古傷(セキュリティホール)があった。
大和自身はその傷の由来までは把握していないが――もとは四枚あったそれが、三枚に減った時の出来事だった。
あるサーヴァントの父親がその男に捨て身の特攻を仕掛け、田中に呪詛を吐きながら消えた。
その特攻は息子の余命をわずか伸ばしたのみの結果に終わったが――息子の方は喪失の間際に『そのままでは致命に至る』呪詛を殺害者に刻んだ。
であれば、性質としてそのサーヴァントの分身であり血を分けた父親、何より幽霊でもあるハートファーザーが、同じ呪詛を
田中一にぶつけなかった道理はなく。
その呪いは田中自身に向かわず、田中に降りかかる災禍を肩代わりする、自爆の後に残された護符三枚へと刻まれた。
陰陽師の用いる護符とは、持ち主が被ることになる呪詛を身代わりとして受けるための式紙を宿した『形代』でもある。
時に巨大な角を生やした牛鬼の形をとり、時に雷鳴を降らせる白鷲の姿をも取る疑似生命が、髪の毛を埋められたわら人形のごとく蝕みを肩代わりしている。
その蝕みを突破口として、護符を呪符へと変じさせたのだ。
瘴気が飽和し、五芒星が弾けた。
傍目にはかの術師がチェスのホーミーズを暴走させた時と同様の臨界突破、そして膨張ゆえの破裂。
護符が3連単の花火のごとく連鎖的に起爆し、呪詛によって田中の命を刈り取る――その、寸前に。
「それ、捨ててっ――――!」
偽りのサーヴァントのような体を成す偶像が瞬歩のごとく駆け付け、引き剥がす。
戦慄によって両目をかっと見開いたまま棒立ちする男の懐に手を入れ、符を取り除く。
その時点で、女の右手にあった呪符が三枚、爆音と閃光とを放った。
「あ……………???」
血の悪魔が庇うこと自体は、大和の想定内。
そして起爆がもたらした被害は、血の悪魔の想定外だった。
ザンダインやメギドの数々に揺るがなかった魂の写し身が、崩れた。
起爆の起点である右手からもとの血だまりへと形が崩れ、ばしゃりと肩口、右半身が人から液体へと無力化される。
「やはり、護符に籠められた呪力は相当のものだったらしい」
護符を作成した術師の力量を、大和は素直に認めた。
讃えた、と言っていい。
なるほど、血の悪魔は通常攻撃に対して極めて強固だ。
生半可なサーヴァントでさえ、攻撃を通すこと自体にひどく難儀するものと察せる。
しかし、霊的攻撃に対してはどうか。呪いには呪い返しが通る。
英霊やホーミーズのチェス兵士には、たぐいまれなる術式と最高位の術師ありきとはいえ、宿業を埋め込んでの暴走がまかり通る。
血でできた人形を構成するものが『憑依させた魂』であるというのなら、その接合ごと叩ける霊的攻撃は有効打に成り得る。
そして、その予想はずばり当たらずとも遠からずという、大和自身は知らぬ逸話だが。
ホーミーズには――かつて、『霊魂の力を付与された斬撃』は特別に効いたように――霊的攻撃には弱いという特性がある。
ぞじて、それだけが切り札ではない。
「駆け引きならもう一枚二枚は、追加の札(カード)を伏せておくものだったな」
かつて東京タワー到着時に
紙越空魚に対して下した採点。
それを、己の行動においても大和は遵守した。
追加札、一枚目。
先刻の都内巡業、方舟の者には自社の被害状況を看ると言いながらも併せて立ち寄っていた製薬会社。
それは昨晩の内に皮下から送り付けられた多量の情報から割り出した、デトネラットの傘下団体の一つであり。
対海賊の陣営戦を行っていたならば『あるだろう』と予想し、実際に『分析・複製用』として配布されていたそれを口内に含んだのだ。
すぐさま行使しなかったのは、真言を唱える上で集中阻害になるから――活性化した不慣れな感覚で無詠唱の攻勢魔術と真言を並列処理するのは望ましくないと判断。
追加札、二枚目。
その薬物――地獄への回数券を摂取すれば、両目の周りには特徴的な罅割れが生じると試しの服用で確かめている。
それを『肌がひび割れる以上、体細胞の損壊である』と推定し、回復呪文(ディア)を同時発動。
特徴的な紋様を即時修復し、外見では『それまでと変わりなく見える状態』を作り出して、対応される余地を削る。
こうして、それまでとは段違いの速度を得た奇襲が成立する。
身体の反応速度をもってすれば追いつけたアイは、半身を崩している。
田中を守るため手足を動かすことが間に合わず、武器生成による投擲では薬物を得た速さに間に合わない。
まずは確実に刈り取れる可能性の器をと、鋼の硬度を得た貫手が田中の頸を切断すべく奮われる。
茫然としか表せない顔のまま、恐怖することさえ間に合わないまま。
田中はその絶命を受け入れるしかなく。
「――――――!!」
土壇場で、悪魔もまた追加札を引き出していた。
咆哮と言う手段によって。
歌声、の体はなしていない。
言うなれば発声練習のかけ声。
しかし拡声器も無しに街中に響き渡るほどの声量を至近で浴びせるのは、音響兵器に等しく。
「くっ――――」
防ぎようのない音という攻撃を、しかし回避だけは成立させた。
頸を守られた田中が、音響には耐えきれず倒れ込むのを横目に。
頸をぐるりと強引に向けられた時点で『声』を警戒し、横跳びに音波の射程から離れる。
それこそ遭遇した時点で、相手が『歌っていた』者だと割れた時点で。
『歌』を用いた何かを仕出かすことを、警戒に入れていたからこそ。
同時に舌を噛み、舌下の痛覚で耳の痛みにマスキングを図る。
それでもなお薬物による修復を待たねばならぬ音圧の衝撃と、聴覚神経へのダメージ。
それが癒える合間を縫って、血の悪魔もまた人の形へと修復を成していた。
かろうじて五体を取り戻すのももどかしく、昏倒した田中を抱えて渋谷区方面へと駆け去っていく。
逃走の早さそのものは、追いつけそうにないというわけではなかった。
その上で深追いをしなかったのは、相手方の狙いが『戦場への誘き出し』にあることが見え透いていたからだ。
明らかに能力ある他のマスター、ないしサーヴァントから『力の供与』を受けた者が単騎でうろついていたのみならず。
逃げるならば激戦区から離れようとか、渋谷区へ侵入する足止めを図ろうという意図もなく、むしろ南下するよう逃げている。
そこに『逃げ』と並行してあわよくば『釣り』を狙おうという意図を見出さないわけにはいかなかった。
その上で、小型化させ隠匿していた龍脈の槍を使わずに戦えたこと自体は幸いだったと評価できた。
やはり中堅以上のサーヴァントやそれに相当する存在を相手取ることは相当に難しくなったと忸怩たる内省も抱く。
隙をついてのマスター狙いを試みるなどという搦め手を取りいれるようになった『らしくなさ』に対する恥の意識はあり。
しかし、恥じて歩みを止めるぐらいならばとうに己は再びの自害を試みている。
では、この先はどうなのか。
独力で相手獲ることは至難と目される上位者たちが潰し合っているからと、戦地から離脱するのか。
それに対する選択は、はっきりと決まっていた。
釣りにはかからない。
しかし、血の悪魔たちが誘った方角とは別の経路から、戦地へと侵入する。
いまだに己がこの都市の頂点だと誤認している、零落したはぐれマスターの無謀な参戦。
権力も暴力も契約者も何もかも失いながら、未だ力を保ったまま顕在である海賊や魔王に挑もうとする愚かな蛮勇。
我が身はそう嘲弄されても仕方のない有り様であることを、自覚して受け入れる。
己の力が及ばずに敗北した結果を、知った風なことを言うといった他責の怒りにすげ替えるつもりは毛頭無い。
その上で、もはや自ら死ぬような真似も、戦いの放棄もしないという逆襲の意志は、屈辱の意識などはるかに及ばなかった。
まさに今、陣営同士の戦いに区切りがつき、戦争も終盤に向かおうとするこの局面において。
次の事変から遠く離れて、強者同士が潰し合うことを期待するような日和見に徹していれば。
戦況がどう動いたかという感知もできず、誰が『最後の一組』として残りそうかという予測もできぬまま。
己の関わることが叶わない戦場で、最後のサーヴァントが脱落するという未来を定めてしまう懸念がある。
聖杯戦争の終わりに立ち会えず、何もせずして界聖杯から消されるという最悪の末路に陥るつもりはなかった。
故に、拙速な振る舞いだろうとも歩みを止める事だけはしない。
もとより、昨晩から何も食べていないという事実は大和の行動に支障を生じさせない。
生来の修練、その一環として妙漣寺より得度を受け、一か月食事を摂取せずとも生きていける身体となった。
その上で道中、拠点とは言えないまでも財閥の管理課にあった倉庫に立ち寄り。
備蓄品として唯一備えてあるかどうかを確認した食糧はあったが、それは見当たらなかった。
『おでん』という品目の料理がいったいどのようなものか。
峰津院大和がそれを確かめることは、未だに叶わなかった。
【新宿区・渋谷区付近→???/二日目・午前】
【峰津院大和@デビルサバイバー2】
[状態]:ダメージ(小・地獄への回数券にて回復中)、魔術回路に大規模な破損
[令呪]:残り一画
[装備]:『龍脈の槍』
[道具]:悪魔召喚の媒体となる道具、地獄への回数券
[所持金]:超莫大
[思考・状況]基本方針:界聖杯の入手。全てを殺し尽くすつもり
0:この私が、これで終わると思うなよ。
1:まずは正確な被害状況を確認。方舟の一員になったつもりはない
2:ロールは峰津院財閥の現当主です。財閥に所属する構成員NPCや、各種コネクションを用いて、様々な特権を行使出来ます
3:崩壊の能力者を敵連合の長、
死柄木弔だと認識しました。ホーミーズ(アイ)の能力の一端にアタリを付けています
【備考】※皮下医院地下の鬼ヶ島の存在を認識しました。
※押さえていた霊地は全て
ベルゼバブにより消費され枯渇しました。
※死柄木弔の"崩壊"が体内に流れた事により魔術回路が破損しています。
これにより、以前のように大規模な魔術行使は不可能となっています(魔術自体は使用可能)。
どの程度弱体化しているかは後の書き手諸氏にお任せ致します
◆
もしかしたら、と想っていたのは確かだ。
峰津院大和は弱くなったらしい、というのはどっかとの連絡を終えた死柄木からふわっと聞いていたから。
一時期はどんなに恐ろしい存在だったのか知れないけれど。
今のそいつが強大な力を持っていないというなら。
今の俺を守る力があるというなら、なんて。
けれど。
だがしかし。
知っていたはずなのに。
それは、拳銃という力を持っているだとか、サーヴァントという力を持っているだとか。
そういった次元によって『勝てる』と見なし得る存在ではなかった。
いや、弱くなったという話はおそらく正しいのだろう。
たびたび話には出てくる海賊とやらと比べたら、たぶんアイツの武力が大したことないというのは本当で。
けれどそれは、決して『俺がアイツより強くなった』という結果に繋がることはないのだ。
だってどう考えても生命としてはあっちの方が上等で、価値あるものを積み上げて、戦争に適合した存在だ。
そして俺は、俺の殻を破ることさえおぼつかないままだった。
今では畏れの対象になったリンボがやって来る時の気配が、今更のように感じられて。
そしてアイに似せた女の姿が俺の目の前で崩れた時。
恐怖と同時に、わずかな高鳴りもいよいよ停まった。
――お前、自分が殺した女の遺産みたいなもんを酷使して、そいつに似た女の後ろでイキって、虚しくなんないの?
自分自身の声が、冷淡にそう問いかけてきた。
直後に、鼓膜が破れそうなショックと音圧で、ぐわんと頭が揺れて。
アイ。
死柄木。
峰津院。
リンボ。
写真の親父。
アサシン。
揺れた頭に、走馬灯が回って回って。
……ああ、あの時親父が必死に止めてくるわけだよな、と。
それだけは確かに納得した。
アサシンよりも敵連合を選んだことは、まったく後悔してないけど。
俺とアサシンと親父の仲がまずくなった、最初のいさかいの是非に関しては。
あの時は自分でも内省した風にやり過ごしたけど、本当にまったく親父とアサシンが正しかったと。
そう認めてしまった時だった。
心にべったりとくっついていた何が、剥がれた。
たぶんのめり込む時の依存心だとか、執着心の源めいていた、何かが。
「…………なぁ、偽アイドル」
朦朧から醒めて、運ばれながら呼びかける。
俺が、聖杯戦争において実質的に初めて手に入れた『自由に使える戦力』。
アイの見た目さえなければ一時は欲しくてたまらなかったそれに護られて、しかし心は熱くならない。
実質的な敗戦の後だというのに、こんなはずではなかったという焦りさえなかった。
しかし、悲しくないわけでもなかった。
「んー?」
その顔と、至近距離でがっつり目を合わせたのはしばらくぶりだった。
まだ、峰津院から受けた何かしらの爆発は治りきっていないらしく。
抱えられてはいるけど、運ぶためにかろうじて腕を作ったと言う様子で、指なんてまだ再生してない。
それでも俺の安全を優先しているこいつの忠誠心が、どっから来ているのか。
作られたものとしての死柄木への忠誠心の延長なのかは知らないけど、尽くしてくれたのは感謝している。
だから礼の言葉を吐いた後に、こぼしたのは本音だった。たぶん、かなりの。
「……世の中に、『こいつさえ持ってれば勝てる』ものなんて、どこにも無かったんだな」
世界に一つだけの消しゴム。
絶滅してしまったSSR鳥類を引き当てたガシャ結果。
そして、敵連合も、ようやくの『居場所』に関しては、もの呼ばわりはできないが。
俺は『これがあれば大丈夫だ』という安堵感を求め続けていた。
「だって、ものの価値がどうこうじゃなくて、最後は俺がやったことで決まるんだよ」
何者でもなかった。
何もしてこなかった。
つまりは、そういうことなのだった。
およそ一か月にもわたる『夢』から、ようやく醒めたような悲しさがあった。
◆
『人間、シャーロック・ホームズになれるかもしれないという夢からはすぐ醒める。
でも、ワトソン役にはなれるかもしれないという夢を見ることからは簡単に醒めない。
少なくとも、心のどこかに『出会いさえあればワンチャンあるかも』を置き続ける』
そんな風に聞いたのは、勤めていたゲーム会社の企画会議で視点人物がどうこうの話をしていた時だったか。
記憶としてそこそこはっきりしているから、まださほど課金にのめり込んでいなかった新採間もない時期のことだろう。
何故こんな時にそんな事を思い出すのかと言ったら、心当たりはあるからだ。
もっとも俺にとってのそれは、ワトソンなんてはっきりした役どころではなかった。
それこそ『偉大な存在に導かれる一員になって、爪痕を遺したい』ぐらいの、漠然としたモブからの脱却願望だ。
結果で言えば俺が行き着いたのは、ホームズではなくモリアーティのところだったけれど。
俺は『できる人間』になれるかもしれないという夢からはすぐに醒めた。
少なくとも小学三年生になる頃には。
でなきゃ、勉強でも運動でもコミュ力でもなく、消しゴム集めで目立ちたいと執心することは無かっただろう。
そうだ、昔から『プルス ウルトラ/ケイオス(もっと先へ)』なんて考え方は、俺には苦手だった。
自分を磨いて注目を集めるのは早々に諦めて、消しゴムのレア度で認められようとした。
就職でも上を目指そうとは思わなかったから、俺なんかでも追い出されないユルい社風のゲーム会社に入った。
課金に歯止めが効かなくなっていく自分に弁解するために、『過去の過ちを取り返すため』だと嘯いた。
けれど、一人目は街角の殺人鬼だった。
どんな巨額の課金を積んでも手に入らない、希少で奇跡的な聖杯戦争へのチケット。
そして、猟奇殺人という分野において間違いなく超一流で、超一流だからこそ英霊になれた、サーヴァント。
そんな英霊が、ともに願いを叶えるために二人三脚で勝ち残ろうと言うのだ。
英雄(ヒーロー)が、満たされず独りで落ちぶれていく人生から連れ出してくれた。
この界聖杯(セカイ)では、俺みたいなつまらない奴でも一番星に導いてもらえるのだ。
今にして思えば、聖杯戦争に招かれた時点で、俺はそういう『夢』に没入していたのだと思う。
偉人のそばにいる、名前ありの役にはなれるかもしれないという夢。
その夢は、一人目の信仰対象との繋がりが切れた後でさえも、醒めることはなかった。
二人目は、地獄計画、なるものを引っ提げて現われた混沌のサーヴァントだった。
一人目は少しも俺の要望に沿ってくれなかったけど、リンボは違うとのめり込んで。
地獄計画というなら、まさに閉塞した日常を打ち破るのにぴったりじゃないかと魅入られて。
最後には、リンボにはリンボで相方と定めたマスターが別にいるのだと突き放された。
炎上する豊島区へと、向かわざるをえない道中で。
ふたたび、眼を向けられず、放逐されたように感じていた。
過去にクラスの流行に取り残された時。
その敗北感を千倍にしたような闇の中にあって。
こうなっては、もう敵連合とやらを頼るしかないと歩いて、歩いて。
走って。走って。
みっともなく泣いて。
三人目の、最後の、そしてようやく実物として出会えた、救世主がいた。
この男なら、今度こそ俺を導いてくれる。
この場所なら、俺の居場所になってくれる。
今思えば、やはりプルス何とかは苦手なままだった。
引っ張ってもらうばかりでは、もっと先に行くどころじゃないのだから。
おそらく。
死柄木弔のために敵連合の采配をしていたMは、俺の本質を見通していた。
だから『お使い』なんてものを命じて、いっとき引き離したのだ。
頼れる者が自分しかいない現場を経験しろ。自分で自分のすることが分かるようになれ。
それが大局を見ながら、死柄木(ボス)のために貢献することに繋がる。
きっとそうあれる奴が、敵(ヴィラン)として完成していくのだ。
なんてことない、入社したばかりの新入社員がよく言われるのと同じだ。
俺も数年前に言われたはずだが、よく覚えちゃいなかった。
部署の仕事の流れを分かるようになれ。指示待ち人間になるな、と。
他の奴らはできて、俺にはどうにも苦手だったらしいものだ。
連合に縋っていた自覚は、あった。
だからこそ、こいつは俺のことを見下しているんじゃないかという疑って、罪を犯したんだ。
その結果が、こうやって自分が殺した女の似姿に護られている現状の姿だ。
きっと仲間は絶対に殺さないような奴が、『俺はここにいて幸せだった』と言いながら満足できるんだ。
ボスに縋るんじゃなくてボスの負担を減らそうとできる奴が、ボスにとってのヒーローになりたいと目指せるんだ。
価値のありそうなものに流されるんじゃなく、自分の価値を高められる奴が、好きに生きたと胸を張れるんだ。
そういう克己も芯も、自分自身も無いんだと、もう眼を逸らせなくなった。
だから俺は、俺のヴィランアカデミアから落第したのだ。
気付けば卒業したくないと密かに駄々をこねていたのは、俺しかいなかった。
アイドルオタクを無為な連中だとバカにしながら、結局のところオレはずっと偶像の追っかけをやっていたんだ。
「俺は、もう敵連合(あいつら)の所にいれば満たされるなんて思えない」
それは別に、死柄木のことが嫌いになったわけじゃない。
アイの件によって恐ろしいと感じることが増えたのは確かだが、そのせいじゃない。
むしろ恩義と感謝で言えば、よりでかくなったとさえ言えるだろう。
ここまでダメなやつだと分かった俺を、それでも受け入れていたのだから。
ただ俺の方が、魔王の側近になんてなれない程度のヤツだったと分かったんだ。
「でも、この道を選んだのは俺だから」
それ以外の道(ルート)を閉ざしたのは、他でもない俺だ。
敵連合が終わってしまえば他に居場所が無いのも。
アサシンと写真のおやじを切り捨てたのも。
アイを撃ち殺したのも。
その上で、今日は昨日と決定的に違う日になった。
夢から醒めたのだ。
そして俺は中途半端な夢の中だったけれど。
アイツらはそうじゃなくてずっと本気だったというのはよく分かる。
「俺はこれからも死柄木の家来で、それはお前も同じだ。
だから俺は、お前を俺のサーヴァントとは呼べない。
俺たちは、たぶん同類だよ」
それに、忘れたくはなかった。
『あいつ』は本当に、俺のサーヴァントだったと。
だって、俺も同じように自分以外に何の興味も持っていなかったのだから。
「俺は、どこまでいっても俺にしかなれない。
どうしようもない田中一として、終わる時まで敵連合(アイツラ)のために生きて。
それが必要なら、連合(アイツラ)のために死んでやる」
ずっと抱いていた執着を捨てる方法が、分かった。
そうなれるんだという高望みから吹っ切れることだった。
これから何度となく、アイを撃ち殺した時のような罪を背負っても。
それによって、心の平穏が得られなくなっても。
むなしいままでも、笑えなくても。
それこそが、せめてもの。
嘘でも本当でも『仲間じゃん』と言ってくれた。
たぶん俺よりはるか上等な女を失わせた殺人犯としての、ケジメなのだと思った。
【渋谷区・新宿区寄り/二日目・午前】
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:サーヴァント喪失、音響兵器によるショック(回復中)、精神的動揺(鎮静)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(4発、予備弾薬なし)
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:人殺し・田中一(ヴィラン名・無し)
0:敵連合に全てを捧げる。死柄木弔は、俺の王だ。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(
蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
※血(偶像)のホーミーズを死柄木から譲渡されました。見た目と人格は
星野アイ@推しの子をモデルに形成されています。
死柄木曰く「それなりに魂を入れた」とのことなので、性能はだいぶ強めです。(現在は体の部分欠損を再生中です)
実際に契約関係にあるわけではありません。
時系列順
投下順
最終更新:2023年10月18日 23:36