照準なら煙の向こう、躊躇いなく機を穿て


◆◆◆◆◆◆◆◆


 聖杯戦争の人為的な震災によって、照明灯の半数は機能不全となった薄暗い通路だった。
 災害の名を筆頭にした海賊たちによって蹂躙されたNPCが、そこかしこに屍を晒していた。

 追う者も追われる者も、もはや誰もそれらの無惨さを屍臭を顧みることなく駆けていた。
 戦場の血吸い蛭(ひとでなし)のやり方で、その火蓋は切られていたから。 
 そこに、本来のサーヴァント同士の戦闘に伴うような開放的かつ圧倒的な激突はなかった。
 常人の眼にはとまらない流星の軌道や、鮮やかに飛び散る火花と魔力光、といったものは無縁だった。
 むしろ、余震のたびに降ってきた埃がたちこめ、血液の水たまりが時たま靴に跳ねるような戦地だった。
 それこそ戦場を駆ける三者の足音は、常人でも追い駆け続けられるほどの速度で進行していた。

 その消耗戦のごとき慎重な遅さは、三者ともが望んだ状況だった。

 田中一は、戦場をともにするという決意をとっくに定めているから。
 ホーミーズ・アイは、ひとたび落盤を経験したフィールドで、田中を孤立させられなかったから。
 メロウリンクは、身体性能がものを言う機動性の勝負になればかえって不利だと承知しているから。
 そして、いま一つの理由は。

 ――ア・ナ・タのアイドル サインはB

 聞き慣れによって耐性がつくことを警戒してか、その時々で曲を替えながら。
 メロウリンクの背後から、詞(ウタ)が脳を揺らし、気力と足を引っ張り続けているから。

 本来、メロウリンクには大量の自白剤投与を受けても無言を貫いた生前の実績がある。
 まったく精神防護の備えがなかった初撃ならまだしも、『それは脳に響く』と覚悟していれば止まらずには済んだ。
 それでもなお、走行中に殴られたような動きのぶれがメロウを鈍らせ、そこで衝撃音(オト)が同時に撃ちこまれる。

「がっ…………ぁ……!!」

 メロウリンクの右脇腹を、槍が抉った――と感じられる痛みが駆けた。
 音圧が肉を抉り、内臓をしたたかに打った感触を覚えながらも、倒れるのを堪える。
 ふらついた動きのまま強引に身を捻じって、各種の小売店が並んだ十字路を左折。
 追っ手から見て、死角へと入るように曲がる。

「やった、当たった☆」

 追っ手の方は変わらず、無邪気な声をあげる。
 しかし『やった』と喜ぶという事実から、田中は『当たらない可能性もあった』のではと察する。

「当たりにくくはなってるんだろ? 俺の脳震盪があったせいだよな……」 
「屋内で戦う予定なかったから、それは仕方なくない? それより――」

 地上戦の時のような抉り取る槌ではなく、引き絞られ、直線的な槍として音圧が届いたこと。
 それは特定人物だけを向いたモニタースピーカーのように音の方向を絞り、射程、範囲を小振りにしたということでもあった。
 理由は単純で、音を絞らなければ、どこからも反響する狭い地下通路でのライブは田中さえも巻き込んでしまうから。
 であれば、地下において展開されるのは『圧殺』ではなく『撃ち合い』となった。

「ワイヤーあるけど、そのまま走ってね」
「ああ……ってか。これ、トラップじゃないのか?」

 メロウリンクが姿を消した曲がり角を追尾し、田中へと指示して曲がる。
 ぷつん、と。
 先行するアイが、そこに張り渡されていた極細の糸を『敢えて』踏んだ。
 まるでゴールテープでも引きちぎるように通過して、鋼線を断ち切る。

「フェイクだよ。さっきから合間にエコロケーション? して何本か切ったけど、糸を張った見せかけ」
「なんだ……地上に比べて、だいぶ雑だな」
「さすがに仕掛ける側だって、普通なら地上戦をやると思ってたんじゃないの?」

 これまで、仕掛けられていたワイヤーの大半はフェイクだった。
 鋼線こそ張られているが、その先をたどっても銃火器や爆発物らしき固形物の反射音は無い。
 おそらく地上のトラップを突破した上で襲ってきた相手に、『罠がある』と先入観を持たせ、慎重にさせる方が狙いなのだろう

 また、反響音を利用すれば曲がり際の待ち伏せがないことなども予測できる。
 なので角を曲がった途端に銃口がこっちを……というのも無し、という余裕をもって田中を後に続かせた。
 本来の地下戦であればワイヤーを見るたびにさては地雷でもと怯え、敵の姿が見え無くなれば待ち伏せに怯えるものなのだろう。
 だが、音を使った探知を完全にわが物としているアイは、どんな迷路でも死角はないのと同義だった。
 しかし。

(事前に反響音は出さなきゃいけない……ってのが、腹立つなぁ) 

 そこに関しては、苛立ちを覚えていた。
 口を開けて、しかし常人には不可聴の音を放つ。
 初めて往来する通路である以上、またワイヤーの全てがダミーとは断言できない以上。
 その確認作業は、行わなければならない。逆に言えば、【確認している間は他の音が出せない】。

 そのタイミングで。
 アイが『相手に撃たせない為でもある音波攻撃』を放てない頃合いを見て、メロウリンクは振り向きざま、撃ってくる。

(また、これ――何回も続くと、さすがに)

 ひらりと。銃口を見て。引き金を絞る音も聴きとって。
 ぎりぎりまで狙いを見て交わさなければ、直前で狙いを田中に変えられたら焦るからこそ。
 撃てば当たる、と思わせた上で引き金を引かせる。
 そうやって何度かかわしてきたから、幾本もの血の筋はアイの身体にもあった。
 ここまでの落盤やら戦闘で汚れてしまった衣装とも併せて、そういうコンセプトのカラーペイントのように。

 スローからクイックへ。
 ジルバのようにテンポを切り替えて回避し、二発目が撃たれそうなのを感知。
 後ろ手に田中を掴み、銃弾の射線上から動かす。
 アイ自身は、知っているステップを踏んだ。
 ペンシルターン。
 身体の中心軸をまったく動かさずに一回転する技術。
 その場からほとんど動かないことで敵の狙いは引き付けたまま。
 一回転したことで、左胸を狙って放たれた弾丸は肩口をかすめるにとどまった。

(いたっ――)

 血の筋が、これまでよりも深く刻まれた。
 勝てる戦闘を何度も引き延ばされ、負荷(ストレス)が蓄積した微細な乱れ。
 一回転が終わったその瞬間に衝撃弾(オト)を放つ算段だったのに、ぶれる。

 良くない。このままでは、相手に三発目を撃たれる方が早い――


 ――――タン!


 地上で聴こえたライフルの銃声とは、まったく異なる銃声。
 しかし、擬音としてはそう表せる銃声。
 田中がふらつきながら撃った、拳銃の音だった。

 撃ったのはサーヴァントではない。
 ただの拳銃で、サーヴァントに攻撃は届かない。
 承知の上で、必死の自己判断を働かせて撃ったのは天井。
 そこに据え付けられた蛍光色の案内標識。横に長いため、大雑把な狙いでも当たる。
 東口に行くにはあちら、どこそこ線に行くにはこちらという現状では意味のない矢印だったが、撃たれて破片は飛び散る。
 サーヴァントに細かく降りかかり、銃声と併せて意識と、狙いを散らす。

 わずかに、コンマ一ミリほど細い揺らぎでも、意識の間隙をついた。
 その一押しで、早撃ちに打ち勝った。


 ――ようやく会えたね、嬉しいね。待ち遠しくて足をバッタバタしながら――


 それまでの地下戦よりもやや威力と射程を効かせた、空気密度の詰まった杭のような一撃。
 それが敵サーヴァントの腹部に、深々と突き刺ささりった。その身を押し出し、吹き飛ばす。
 呼吸を詰まらせる痙攣の音とともに、蹴られた人形のように敵が転がっていく。
 威力を上げられたのは、吹き飛ばした方向に壁がなかったから。
 敵が次に曲がろうとした方向と逆――切符売り場、自動改札、そういうものがある広い一角へと狙ってとばしたから。


「やった……!」


 吹き飛ばされながら相手が散らしたもの――内臓出血を示す黒く粘性のある血液に対して。
 田中一は、歓喜の声をあげた。
 まじりけなしの喜色だった。
 己が動いたことがはっきり成果として現れたのを、心底喜ぶように。

「ありがとー田中。愛してるよ」
「アイドルならその言い方で間違いないんだと思うけど、さすがに語弊あるからやめろ」

 言いつつも、そこにある顔はまんざらでもなく。
 愛の言葉に一喜一憂するより、感謝されたことに照れているという様子だった。 

「それに、喜ぶのぐらいいいだろ……さすがに俺もここまで来て油断はしないけどさ。『あと一息』ではあるんだから」

 いったん落盤に呑まれて醜態を見せた上で、なお慢心する愚は犯さないまでも。
 そう言ったのは、二人ともの確信あってのことだった。
 地下プラットホームホームへと降りる階段を左右に伸ばした。自動改札ゲートを中央に配置する広場。
 改札口や職員窓口などの障害物はあるとはいえ、銃撃戦を行う人間が駆けまわるには十分な広さがある。
 広場状になっているが故に、トラップワイヤーを張り詰めさせるための適度な狭さもない。
 反響音を響かせてみても、それらしい鋼線の反射はない。
 つまり、エコロケーションのために発声を割く必要がないく、『歌』のみによる轢き潰しが可能となる。

「そうだね。ダンスが審査基準の流行一位だった周期はもう終わり。
 ここからはVo力(ぼうりょく)がものを言う時間だね」

 反響を恐れて声量が限られること自体は変わらず、歌声の射程や火力は制限されているとはいえ。
 アーチャーに火器や小細工の在庫はもう無く、素の身体性能でもアイに大きく劣っている現状で、今度こそ逆襲の余地は無い。
 追いかけっこの局面で田中が介入して仕留める機会を逸し、広場に追い込まれたことは今度こそ勝ち筋の消失を意味していた。

 このまま、二対一のままだったのであれば。


「そーですね。決勝戦で流行がVocalになってる時は鬼門だ、なんてジンクスもあるらしいですから」


 何とものらりくらりとした声と人影が、アイのほかにもう一つ。
 広場に繋がる通路を、アイたちとは逆方向から、メロウリンクの背後に立つように現れた。

 ――タン!
 ――カン!

 田中はすかさず新たな影に発砲したが、しかしその弾丸は甲高い反射音によって弾かれる。
 なぜなら、彼女が持っていたのはこれまでの手荷物を提げた鞄だけではなかったから。
 その片手には、公共施設で犯罪者やテロリストの制圧に使うような透明な盾がある。
 通販サイトでも、『防弾盾』なんていう名称で売っていそうな代物。
 首元には、職員の備品から拝借でもしてきたようなインカムマイクまで。
 さすがに彼女のサーヴァントも一言、物申した。

「それ、どっから持ってきた……」
「さすまたとかが置いてある所から」

 確かに公共の駅なら、いざという時の鎮圧用装備を職員が持っていてもおかしくない。
 だが、とっさに場所のあたりをつけて持ってこられるのは、日ごろから知識を吹き込まれるのもそうだが、施設構造をよく把握していなければ無理だ。

「ずいぶん用意がいいんだね。でも拳銃ならともかく、私の歌の前にそんな軽装で飛び出してくるなんて、危ないよ?」
「そちらの後ろにいるファンの人も、かなり大胆に動いてると思いますケド」
「それもそうか」
「あと、さっき言えなかった事。ファンがいない人呼ばわりしたことは謝ります。ごめんなさい」

 盾を持ったまま、紫髪を揺らしてぺこりと謝罪。

「あ、そこあっさり認めるんだ……本物のアイドルを殺して、そっくりな人形を愛でるとか引くわぁとか、そんなのファンじゃないって言われるかと思った」
「お前、俺のことそんな風に思ってたのかよ」
「違う違う、こういうときに出てきそうなツッコミとしてね」
「いや……倫理的には議論の余地ありかもしれませんけど、事情までは知りませんし」
「私が死柄木弔に作られた人工アイドルで、さっきも歌でたくさんのNPCを殺してきましたーって言っても?」
「いやそれはフツーに引きますし、止めますが。私たちが届かないファン層にあなたが届いてたのは、ほんとのことですから」

 アイのファンを名乗る人間が彼女のそばに付いているというなら、彼女と敵連合だけに救えた者がいたということ。
 真乃の歌声で殺戮をすることは肯定できなくとも、その救いまでは否定するわけにいかない。

「悪いことに惹かれるのはおかしい、まで言い出したら。髪を染めるのもパンクファッションも全否定ですから」
「それがお前にとっての『悪いこと』の上限かよ。ずいぶんと雅(みやび)な悪党だな」

 陣営としてのスタンスの話なら己が話すと思ったのか、アイのファン――田中一がMCを替わった。

「今さらおもねるようなことを言ったって、こっちは手心を加えたりしないぞ?
 もっとも、お前らだってもう手心どころじゃないって分かってんじゃねぇのか? 眼をそらしてるだけでさ」
「何のことです?」

 ずばり突き付けるように、田中一は間を置いた。

「【陣営】を名乗ってるのに、いつまでも加勢が来ないなんておかしいだろ。
 地下にだってマスター一人だけで降りてきた。普通は加勢の当てがあるなら待つよな?
 もう、お前ら以外は全員殺されちまったんじゃねぇの? 死柄木も近くまで来てるだろうしな」

 摩美々の顔に苦みがはしった。
 ややあって、気合を持ち直すようにシールドを構えなおす。

「……実は死柄木さんを倒してるって、言ったらどうします?
 自分のマスターが右手を撃ち落とされて、治療真っ最中なだけかもしれませんよ?」
「へぇ? 俺が撃ったアイドルは、死柄木と戦ってた奴のマスターだったのか。いい事を聴いたな」

しかし、死柄木の勝利を信じきっている男に、その言葉は朗報にしかならなかった。
滅びの星をも宿した破壊者の眷属は、主君から模倣した形の嗤いを浮かべる。

「だったら俺が令呪を撃ったのは、死柄木の勝利に貢献した大手柄だったわけだ。
 もし、さっきの戦いで令呪を使われたら死柄木が負けてた……なんて展開だったりしたら飛び上がるね。
 どのみち、そこまでマスターが重傷なら願ったりだろ。マスターが死んだらサーヴァントも消えるんだから」
「あなた……めちゃくちゃに痛いとこを突いてきますねぇ……」

 どこまでも事実から推定される現状でしかないことを説かれて、メロウリンクが不安そうに摩美々を見る。
 ちょっと数時間前を思い出しました、と呟いて摩美々はそれに答えた。

「お前らは主力らしいサーヴァントがやられて、こっちは死柄木っていう鬼札が残ってる。
 こういうのを何て言うのか教えてやろうか。お前ら、【詰み】だよ」

 本来ならば、死柄木弔が告げていた死刑宣告を代弁するかのように。

「……否定はしないし、悔しくないって言っても、負け惜しみですねー……。
 死柄木さんにも、詰まった質問に答えられないままでしたし。
 にちかのライダーさんに相手をさせることになったのも含めて、未練はありますよ」

 ただ、その言葉に対して田中を不愉快にさせたのは、摩美々が思いのほか淡々と受け入れたように見えたこと。
 せめて、子どもの名前を呼びながら死んでいった星野アイのような、そんな顔をしてくれなければ。
 でなければ、連合の仲間を切り捨ててまで進んできた甲斐がないじゃないかと。
 いや、そもそもそれ以前に。

「分かってんなら、なんでお前ここまで来たんだよ。もう戦う意味ないだろ。
 俺たちを倒したって目的が叶わないなら、俺らは倒され損じゃねぇか」
「止めたい理由は、ちゃんと別にあるんでご心配なく。
 ファンの為に戦いたいところまでは、けっこう共感できますけど。
 だからって、283(ウチ)の歌でまだ人を殺すのは気に入らないし。
 にちかのライダーさんには色々と借りもできたので、死ぬ前に少しは返そうかなって」

 最後には決して成すことが相容れないなら、せめてその願いに全力で向き合い、打ち返すこと。
 たとえ最後には敗れたのだとしても、にちかのライダーはそれを全力で為そうとしたんじゃないかと思っている。
 それは摩美々が言葉では成し遂げられなかったことだし、摩美々の家族(アサシン)の願いを継いでくれた結果だ。
 だったら、こちらもライダーの家族(にちか)には、できるだけ報いたい。
 せめて『よく頑張った』と自分を肯定できるように、絶望を押し付けられる形の死に方からは守りたい。

「……とまぁ、ご要望に沿うためにMCを用意してみました。さすがにもういいです?」
「さっき俺が言ったこと覚えてたのかよ。けど、これ以上長々話しても仕方ないのはそうだな」

 決着の開始を告げる為、アイにも見えるように田中は合図の手を動かした。


「負けて死ね」


 ――走り出すよ キミの未来が今


 その少女のやわらかくも輝かしい声が、表現として蘇る。
 同時に、唱和による音の斉射が、メロウリンクへと殺到した。
 引き絞られた歌声は直線的に連弾されるマシンガンのように、ダダダダと床にも跳ねながら標的へと集中砲火される。
 田中摩美々は地下街を構成する太さ1メートルはあろうかという支柱に隠れて身を隠し、サーヴァントは真横に跳んだ。
 ぎりぎりでメロウリンクが転がるように回避する。
 その応酬になるかと思われたのは、地上の戦いと同じで。


 ――「「翼を手に入れたから」」


 違ったのは、アイの歌声にぴたりと重なる声があったことだった。
 おや、とアイは驚くも、歌うことは使命とばかりに己のそれは中断しない。
 田中摩美々が、支柱から顔だけを盾で守るように覗かせて。
 アイの歌っているテンポを見取り、インカムマイクで声を重ねるように歌い始めた。

 何をやってるんだろうと、アイは首をかしげる。
 マイクを使ったとして、彼女の歌にアイのような異能が宿る余地はない。
 アイドルとしては光るもの、特別性があったところで、彼女は『個性』や『技巧』が生じる余地のない『普通の女の子』だ。


 ――「「きらめく虹になれ」」 


 ライフルの発砲音が鳴り響き、とっさに身を捻ったアイの脇腹が避けきれず血に濡れた。

 え……? 

 とっさに手で押さえ、そこに手ににじむほどの出血があることを確かめてアイは驚く。
 何も、摩美々の歌声に気を取られて注意をおろそかにしたわけではない。矜持ある者としてそんな真似はしない。
 だというのに、歌声による反撃が効かないタイミングで銃撃がきた。
 歌声による精神感応、動きを重くする作用だって、多少なりとも働いているはず。
 ならば、なぜアイの反応こそが遅れたのか。

 ――「「ガンバルキミのこと ずっと見てた 見守ってたよ」」

 サーヴァントの動きを注視する。
 地上戦の時と同じように、アーチャーのサーヴァントはアイの口元を注視していた。
 けれど、摩美々が狙われるようであれば即座に割り込んで接射にかかるような警戒は維持して。
 そこまでは、これまでと変わりない。
 歌声に対して断続的に殴られるような顔のしかめ方をしているのは崩壊歌の影響だとしても。

 ――「「私も負けないと ぎゅっと誓った」」

 にも関わらず、動きの効率がよくなり、反応が鋭くなっている。
 装填や、狙いをつけるタイミングが、アイの『意識の間隙をつくような』ものになっている。

(そっか……ブレスだ)

 ブレス。
 歌には必ずある、『ここで息を吐きださなければならない』というタイミング。
 朗読で言うところの句読点。どんなに隙を見せまいとテンポアップしても、『歌』である限り尊重しなければならないもの。 
 しかし、息を吐きだす最中である以上、絶対に反撃ができないタイミング。
 それをアーチャーは、先刻に『反響音』のタイミングで攻撃してきた時と同様に『反撃を整えるタイミング』に利用している。
 一体どうやって。英霊としてはひとかどの人物だろうと、音楽に関しては素人であるはず。
 そんな疑問については、悩むまでもなかった。


 ――「「息を切らしたから 見える景色がある」」


 まるで、音楽を聴きながらタイミングを合わせて目押しをするリズムゲームみたい……なんて、摩美々は思う。
 もっとも、全てのアピールにperfectを出せなければ相棒が致命傷を負うかもしれないものはゲームと呼んではならない。

 偶像のホーミーズの動きを、その口元を注視して観察することでテンポを見取り。
 アイドルとして有名曲や同じ事務所の曲は記憶していることを頼りに、ブレスのタイミングを把握し。
 アイに合わせて唱和することで、体感によって正確なタイミングを一致させた上で。念話で『来る!』と並行して指示。

 そんなからくりは、やはりアイドルである彼女にはすぐに見抜かれたらしい。
 すごいと面白がるように笑みが向けられ、歌が少しの間だけ止まる。

「田中……これって対バンってやつだよね。私、初めてだよ」
「いや違うと思うぞ。プロ野球で、バット振ってる選手にバットで打ちかかって『俺は今、プロと打ち合ってる!』とか言うぐらい違うと思うぞ」
「それはどーも。ステージが初めてなら、野外フェスだって初めてですよね。すぐそばで他のアイドルが歌ってるの、こっちもそれなりに燃えるんで」

 同時に、それはメロウリンクへの精神的な戦闘支援でもあった。
 衝撃波(オト)はともかく、詞(ウタ)のデバフについては、歌声に魅了されるかどうかの問題なのだから。

 誰だって、どんな有名歌手の歌声がそばにあったところで、『推し』のステージが近くで上演されていればそっちに意識は割かれる。
 本当に、観察眼と、歌唱力と、反射神経のフル動員だ。
 ダンスもビジュアルのアピールもないけど、集中が途切れたら終わるのだからメンタルはどんどん削れていく。
 タイミング指示に必要な心のパーフェクトゾーンは、どんどん狭くなっていくこと必至だ。プレッシャーはものすごい。
 でも、この歌をアテにして、戦いの支えにしてくれる人がいる。

(だったら、手を抜けないじゃん……)

 ――「「強い気持ち 厚い雲を切り開いて」」

 アピール、再開。
 やる気のまみみスイッチ、オン。

 二人の偶像が、敵(ヴィラン)をも魅了する天使の歌声と、英雄を導く小悪魔の歌声を再開した。
 摩美々がメロウリンクの致命傷を撃ちこむ機会を与えるか。
 アイがメロウリンクを仕留める歌声を放つのが先か。
 戦いのステージは、完全にそちらに移行した。

 一曲が終わればまた次の曲と、二人は同じ課題曲を競い合う。
 どこまでもどこまでも、『Show must go on』に則るように。

 ――「「難しいこと考えるよりも もっとスゥィートな愛を感じてたいの」」

 そもそも、摩美々の方は声が枯れるか、気力が尽きるかすれば終わりではあるし。
 アイの方も、脇腹の出血が、蓄積された血の筋が、消耗の閾値を超えれば『負け』を出してしまう。

 つまりは、泥沼の消耗戦であるはず。
 時間の限られ、互いの相棒の命だって背負った、決して楽しむことに重きを置いていいものではない。

 ――「「そうこれは STAR☆T☆RAIN、乗っていこうよ! きっと ずっと 止まらないから」」

 それでも互いに、歌によって活路を開けることに関しては心地よい。
 泥の中で輝きを散らす。それは崩壊の黒閃であれ、紫色の淡い蜃気楼であれ輝きたいという意思として等しい。 

 そしてまた、摩美々は思うのだった。
 メロウリンク(だれか)が戦うのをステージ袖で見守りながら。
 お祈りみたいにタイミングを見て『ここだ!』って唱えるのは、こんなにハラハラすることだったんだ、と。
 摩美々たちのプロデューサーは、いや、全国のプロデューサーやアイドルを送り出す仕事の人々は。
 いつもステージ袖から、こんな風に想っていてくれたのだとしたら。
 それはやっぱり、悪くない営みだと。

 そして。

 そんなアイドルを見守るファンは、この世界にもう一人いた。
 その対決を終わらせるべく、その戦場にただ一人参加していない者として知恵を絞り、奔走していた。

 たとえアイドルとアイドルの、歌の戦いに対する横やりになり得るのだとしても。
 推しのアイドルに傷ついてほしくないと願うのも、またファンとしては間違っていないことだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆


 急ごしらえのライブ会場には、なってしまったけれど。
 そもそも、ここは公共の駅だ。
 その思い付きが、田中一に一時の離席をさせて、駅構内を探し回らせていた。
 近辺にある遺体は、海賊の略奪やら地震やらで避難真っ最中のところを殺された奴らばかり。
 なら、『それ』を持ったまま死んでいる駅員はどっかにいるだろう。 
 ここにいた職員が、全員で職務放棄でもしない限り。

 駆けながら、迷いもあった。
 アイの勝利を信じて見守りに徹することも、一つの選択肢ではあったから。

 このままじゃ、どっちが二対一だかわかりゃしない。
 戦場をした田中を動かしたのは、その使命感がかなりを占めていたし。
 死柄木弔の眷属として、彼女の一ファンとしての『長期戦になること』への危惧でもあった。

 戦況は、今のところ再び綱渡りに引き戻されたように見えていた。
 敵は再び勝ち筋の細い線を握りなおしたが、敵連合の偶像を仰ぐ者としては、まだまだアイの勝ちを信じられる。 
 田中摩美々に人間である故のスタミナの限界があることも併せれば、時間をかけてアイの粘り勝ちを待つ場面かもしれない。

 だが、極めて変則的な対バンが白熱している間も、聖杯戦争は続いている。
 それは、方舟が陣営として滅びたところで、死柄木弔の敵はまだ地上にいることを意味する。

 その戦いに、ホーミーズでも指折りの力を持った彼女をずっと欠員させることは、絶対に死柄木の為になるとは言えない。
 まして、方舟との大勢に決着がついたというなら、死柄木はさっさと七草にちかにトドメを刺して、その上で。
神戸しおの戦場』の方に向かうという選択肢だってあるのだ。
 そちらには、消去法で考えるに目下最大の脅威であるカイドウがいるらしのだから。
 仮に向こうの戦場もこちらと同じく決着がついていたところで。
『その戦場の勝者』が、死柄木にとって最後のライバルになることは疑いないから。

 ならば、田中一が死柄木弔に対してできる最大の貢献とは。
 アイの消耗をなるべく抑えたままこの戦いを勝たせて。
 来るべき魔王の最後の戦いで、その力になってもらうことだ。

 最後の戦い。

 その言葉を当たり前のように思い浮かべた自分自身に、田中は驚く。
 だって、最後の戦いをするというのなら。
 その時、敵連合は終わるということだから。
 だってそうだろう。
 その最後の戦いの時、あの二人はどこにいると思っているんだ。

 神戸しおと、そのライダー。
 あの時、一緒にゲームをして遊んだもう二人。

 その二人は、その時点でもう退場しているか、死柄木の対戦相手になるかの、どちらかだ。
『最後の戦いに挑む死柄木のために』というのは、彼女たちを退場させることを前提にした発想だ。

(こんなに……目の前に迫ってる、ものだったのか……)

 いや、いくらなんでも切り替えが現金すぎるだろうと奇妙な苦笑がにじむ。
 今朝がた星野アイが神戸しおを殺そうとしたことを、あれだけ仲間の裏切りだと逆上したというのに。

 そこから数時間も経っていないうちに、神戸しお達の切り捨てを視野に入れ始めている。
 こんなにもあっさりと、自分が迫れられる選択として訪れるものだったのかと。
 そして、その時が来れば、間違いなく自分自身で選ばなければいけない事だったんだと。

 場合によっては、いつまでもカイドウが倒せずに同盟継続、は有り得るのかもしれないが。
 それでも、『死柄木の優勝』を見据えての行動である以上、『あの二人のためでもある』とは絶対に言えない。
 この決断は、そのまま『敵連合』への別れにつながる道だ。

 そう自覚した時に、去来したのは痛みだった。
『敵連合なんて、今だけの』と聴いた時の痛みとは、まったく違う。

 もっとも近い記憶は、寿命をまっとうしたオカメインコの『まる』を、埋めていた時の痛みと虚無感だった。
 インコのおかげで、そうかこの感情は未練なんだと分かった。
 敵連合は、未練になった。思い出になった。
 星野アイも、同じ未練を抱いて裏切ったのかは分からないけど。
 田中が未練を予期できなかったあのタイミングで裏切った彼女は、確かに賢かった。

 お前ら、楽しかったよ。これは絶対にウソじゃない。
 ありがとう。
 そしてこれからは、さよならだ。

 そして田中一は、探していたものを見つけた。
 駅員の遺体が握りしめていた指を引き剥がし、強奪する。
 ずっしりとした大きな重みが、そのまま『使うのか』と問いかけてくるようだった。

 これを戦場で使う事には、間違いなくリスクがある。
 死にたくはないし、使った結果を予想できる田中は、ある程度の受け身を取るつもりだけれど。
 それでも、失聴したり、余波で何かの破片が飛んでくる危険はあるだろう。

 もっと言えば、アイの戦いに水を差すことにならないとは言えない。
 彼女はあれで、戦いを愉しんでいたようにも見えたし。
 この戦場を、どこか成長の機会のようにとらえていた風だったから。

 ――それでこそ、『私』かあ
 ――そこで、私を推しててよ。田中

 ただ、田中もまた約束してしまったのだ。
 今度は推し方を、間違えずに向き合うと。

 そして彼女は、『この先』を見たがっている。
 一番星の生まれ変わりではない、彼女だけの偶像として。
 本物の偶像が体感する幸せを、その上で死柄木弔の偶像としての喝采を浴びられるかもしれないと、期待している。

 そんな彼女には『この先』を、万全で迎えてほしいと願うのがあるべき推し方なんじゃないか。
 彼女(アイドル)にも、自分の心と人生があるんだと、忘れない事。
 望む空に羽ばたけるように祝福すること。
 正しい推し方があるなら、きっとそれだと思うから。

 今のアイなら、以前よりも戦力としての力になれるし、きっと死柄木の元の世界の『敵連合』の偶像としても輝ける。
 もしも田中がリスクを負うとしても、どう考えたってこの先の魔王に必要なものは、凡夫ではなく彼女の方だ。
 その憧憬は、絶対に揺るぎがなかったから。
 死柄木は戦場へと駆け戻り、距離を確認し、己の耳に詰め物をして。

 拾ってきたそれを、アイの足元へとすべらせるように投擲した。
 アイの歌声を集音することも可能である、その位置に。

 もしもアイが本気の全開で声を解放したとすれば。
 地下の天井や壁に反響音が乱反射して、彼女以外の全員が被害を受けることは疑いない、そのステージに。


 ――メガホン式の、拡声器を。


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最終更新:2023年11月09日 23:51