まりさには将来の夢があった。
壮大にして遠大な、砂上の楼閣に等しい夢が。
朝、まりさは目を覚ます。
羽毛とシルクをふんだんに使った、あったかくて寝心地のいいふかふかのベッドから起き上がる。
起きてすぐに見るのは鏡だ。
鏡に映る自分の姿。
「きょうもまりさはかんぺきだよ…」
口から出るのはため息。
鏡には、実にゆっくりとしていて美しいゆっくりの姿が映っていた。
美の化身。完璧なプロポーション。世界が愛した究極の芸術。
饅頭のお肌には傷一つなく、念入りなエステによって常に最高のもちもち感が保たれている。
同じ重さの金に等しい金髪。否、まりさの髪と言うだけで金を上回る価値だ。
放つ輝きは太陽よりも眩しく、全てのゆっくりに羨望と嫉妬を与えてしまう。
きりりとした眉。恋の魔力を内に秘めた瞳。ハリウッド女優顔負けのセクシーな唇。
黒いお帽子は、どこまでも可憐なまりさに唯一、ミステリアスな魅力を与えるパーツだ。
許されざる恋に悩む若き詩人のように。世間に迎合せず迫害される革命家のように。
なによりも、全身から立ちのぼるゆっくりとしたオーラ。
全てのれいむは、まりさを見ただけで恋い焦がれるあまり妊娠するだろう。
全てのまりさは、外見がまりさと同じであることを恥じてお帽子を投げ捨てるだろう。
全てのドスは、どうか自分たちを導いて下さいと泣いて懇願するだろう。
全てのレイパーは、己の醜さを思い知りぺにぺにを噛み切って自殺するだろう。
全ての希少種は、愛でられる時代が終わったと知り山に逃げるだろう。
全ての人間は、自分たちがなぜゆっくりに生まれることができなかったのかと悔しがるだろう。
全てのゆっくりは、ここにゆっくりの神が降臨したことを知るだろう。
「うつくしいのはつみだよね………」
まりさの顔はなぜか憂鬱そうだった。
自分より美しく、強く、ゆっくりとしたゆっくりはいない。
誰か自分を脅かすようなゆっくりはいないのだろうか。
強者は常に孤独。天才は常に理解されず。
まりさは真の意味で孤高だった。
まりさのお帽子に輝くバッジ。
それは銅や銀ではない。
取得が難しいとされる金でもない。
まさかプラチナだろうか。
最高級のゆっくりにしか与えられないという、幻のバッジがお帽子についているのだろうか。
まりさのお帽子についているバッジは、「ダイヤモンド」である。
そのゆっくりのゆっくり度合いは既に「測定不能」。
あらゆる点において完璧であり、国宝に匹敵するゆっくりのみが付けることを許される伝説の証。
いまだかつてまりさを除いて、ダイヤモンドバッジをつけたゆっくりは存在しない。
「まりさ様、おはようございます」
天蓋付きのベッドの向こうのドアが開き、人間の執事が入ってくる。
ダイヤモンドバッジを付けたまりさの地位は、そんじょそこらの人間を遙かに上回る。
国宝が警備員によって厳重に保護されるのと同じように、今のまりさは数多くの人間によって世話されている。
執事はベッドに座るまりさの前に立つと、ひざを折って手を差し伸べる。
「きょうもよろしくたのむね」
差し伸べられた執事の腕を支えにして、まりさはベッドから床に降りる。
床には宝石をちりばめたカートンが置かれ、執事はうやうやしくまりさを抱え上に載せた。
ふかふかのクッションにおさまったまりさの姿は、まるで高貴な王冠のようだ。
まりさの一日が始まった。
ベルサイユ宮殿を上回るこのゆっくりプレイスは、全てまりさと番の為の場所である。
膨大な数の部屋はそれぞれ目的別に分かれている。
日光浴のための部屋。水遊びのための部屋。テレビを見るための部屋。
そして食事をするための部屋。
「ゆっくりしていってね!おはようまりさ」
「ゆっくりしていってね。おはよう、れいむ」
晩餐会が開ける程の縦長のテーブルには、先客がいた。
番のれいむだ。
ああ、れいむは今日もなんて可愛いんだろう。
れいむ種の中ではれいむが一番可憐で、麗しく、愛らしい。
きっと自分を凌ぐ美があるとするならば、それはれいむのことだろう。
たとえ金バッジでも、器量の良さはれいむの方が上だとまりさは思う。
れいむの隣の椅子が引かれ、再びまりさは人間に抱えられてそこに置かれた。
れいむがせがむままに、まりさはれいむと朝のちゅっちゅを交わす。
いつもはほっぺただが、今日はちょっと趣向を変えて唇にしてみたられいむは恥ずかしそうにして、
「もう、だめだよまりさったら…。にんげんさんがみてるよ」
「ゆふふっ、きにすることないよ。ここのにんげんさんはみんなまりさとれいむのなかをしってるんだから」
「で、でもぉ……やっぱりはずかしいよ」
いつのまにかちゅっちゅは濃厚になる。
「まりさ様。れいむ様。お二人に朝のあまあまをお持ちいたしました」
いちゃついている間に、朝の料理が運ばれてきた。
クリームを豊富に使ったケーキ。ジューシーなフルーツ。さくっと焼かれたアップルパイ。
さらにミルフィーユ。バウムクーヘン。プリンにタルト。
ありとあらゆる種類の洋菓子がテーブルの上に山盛りにされる。
グラスにはおいしそうなワインが注がれた。
「「ゆっくりいただきます!」」
二匹は口を開けるだけだ。
ウエイターが一つ一つまりさたちの口に合うサイズに切り分け、フォークで口まで運ぶ。
「むーしゃ……むーしゃ…………」
「今日のお味はいかがでしょうかまりさ様。しあわせー!でしょうか?」
そばでコックが笑顔で聞いてくる。
「………うん。しあわせー、かな」
「ありがとうございます。まだまだ沢山ありますので存分に召し上がって下さい」
一口食べる毎に、生クリームが、スポンジが、チョコレートがまりさの舌をくすぐる。
豊潤な甘みは、ゆっくりにとってこれ以上はない程のごちそうである。
まりさとれいむは行儀良く食べる方法を身につけてある。
決して食事中に「しあわせぇぇぇぇ!」などと叫んだりしなし、意地汚く食い散らかすこともない。
ウエイターたちにかしずかれながら、朝食を優雅に二匹は終えた。
しばらく二匹でゆっくりした後、まりさとれいむは執事を引き連れ子ども部屋へと向かう。
ドアを開けさせると、そこにいるのは可愛い可愛い子どもたちだ。
「ゆっ!おかあしゃんにおとうしゃんがきちゃよ!」
「まってちゃよ!おきゃあしゃ~ん!」
「おちょうしゃん!まりしゃゆっくちしてちゃよ!」
「おとうさん、おかあさん。ゆっくりしていってね!」
「まってたんだよ。いっしょにゆっくりあそぼうね!」
一斉におもちゃを放り出して、二匹の所に駆け寄ってくる子どもたち。
「ゆっくり!ゆっくり!みんなゆっくりしてるよおちびちゃん!おかあさんといっしょにゆっくりしようね!」
れいむはそれを満面の笑顔で迎える。
子どもたちにとって一番欲しいもの、それは両親の愛情なのだ。
有名デザイナーの手がけたおもちゃも、選び抜かれた保母も、親の前では霞んでしまう。
すーりすーりをする赤ちゃんれいむ。
れいむにぺーろぺーろしてもらう赤ちゃんまりさ。
お腹の上でトランポリンをしてもらう子れいむ。
目に入れても痛くない子どもたちと一緒にいられて、れいむの顔は幸福で輝いて見える。
一方まりさは、部屋にいる人間に話しかける。
「おちびちゃんたちはげんきにしているみたいだね」
「はい。みんなとてもゆっくりした素晴らしいお子さんです」
「これも、ちゃんとゆっくりさせているみんなのおかげだよ。これからもよろしくたのむね」
「ありがとうございます」
れいむの方を見ると、彼女はさっきから子どもたちにもみくちゃにされている。
誰よりも子煩悩で子どもたちを愛しているれいむの顔は、くしゃくしゃにされてもニコニコと笑っている。
幸福な家族の姿に、まりさの胸が熱くなる。
「おちびちゃん!きょうはおそとにいっしょにいこうね。みんなでピクニックだよ!」
まりさの提案に子どもたちは躍り上がって喜ぶ。
家族と一緒に過ごす幸せな時間を、まりさは存分に噛みしめていた。
「ゆっゆゆっゆ~♪ゆっくりのひ~♪まったりのひ~♪」
「ゆっゆっゆ~♪」
「ゆゆゆ~♪」
「ゆっゆ~♪」
公園では子どもたちによるリサイタルが開かれていた。
一番上のれいむを中心に、みんなが声を揃えて素敵なお歌を歌う。
お母さんのれいむはとても歌が上手だ。
彼女が「ゆっくりのひ~♪まったりのひ~♪」と歌えば、人間たちは感動して言葉を失ったものだ。
まりさはれいむの歌を聞き、そして一緒になって歌うのが好きだった。
歌うものも聞くものもゆっくりできるお歌。
二匹は少し離れた場所で敷物の上に座り、おちびちゃんたちの歌声をゆっくりした顔で聞き入っていた。
公園に集まった人間とゆっくりが、美声に聞き惚れてうっとりしているのが見える。
「ゆっくりしているね……まりさ」
「そうだね、ゆっくりしているよ、れいむ」
まりさにすーりすーりするれいむ。
もちもちのお肌の感触はたまらない。
二匹の夫婦生活は順風満帆そのものだ。
何一つ心配のない、究極のゆっくりプレイス。
雨風の心配のない広いお家。
恐いどころか、自分たちの世話をしてくれる人間さん。
子どもたちは、人間さんによって大事にされている。
空腹とは無縁の、あまあまに彩られた毎日。
気が向けば、外に出てみんなで遊ぶこともできる。
ゆっくりできるお歌はいつでも聞ける。
最高にゆっくりした美貌の自分。
そしてそれに相応しい番のれいむとの夫婦生活。
「れいむ………」
「なに、まりさ?」
「こんや……すっきりしない?」
まりさからの誘いに、れいむは頬を赤くして頷く。
「そうだね。またゆっくりしたあかちゃん、いっぱいつくろうね。そうしたらもっとゆっくりできるよ」
「うん。まりさとれいむのあかちゃん、いっぱいいっぱいつくろうね。いっぱいいっぱい、すっきりしようね!」
すっきりというゆっくりにとって最高の快楽。
同時に授かるゆっくりにとって最高の宝物。
まりさとれいむは、既に何度もすっきりを繰り返している。
その度に生まれた可愛い赤ちゃんは、みんな立派に成長し、すごくゆっくりしたれいむとまりさになった。
また今夜も赤ちゃんをつくろう。
そして、もっともっとゆっくりするんだ。
ゆっくり。ゆっくりして、ゆっくりする。
ずっと、ずっとゆっくり…………
ゆっくり…………
サイレンが響く。
耳障りなサイレンの音は、まるで絶海の孤島に住む奇怪な怪物の泣き声のようだった。
まりさは目を覚ました。
鳴り響くサイレンが、平穏な時間だった眠りを消し飛ばし瞼を開かせる。
「おきたよ…。ゆっくり、していって…ね……」
絶望に疲れ切った顔でまりさは隣を見る。
夢を見ていたような気がするが、全く思い出せない。
その目は生きたゆっくりの目でありながら、生気が一切欠落していた。
死んだゆっくりの目の方が、まだゆっくりらしいと言ってもいいだろう。
目の下には二筋、涙の流れた跡がある。
寝ても覚めても泣く理由に事欠かないまりさの今の生活では、これが乾いたことは一度もない。
「ゆゆゆぷぷぷぷ~♪ゆっぐりのひひひひひ~♪ままままっだりのひひひっ♪ゆぎひひひひ………」
ゆっくりであるまりさが聞いても、耳障りとしか思えない歌声を発しているのは、番のれいむだ。
両目はぐりんぐりんと常にあらぬ方向をでたらめに見続け、体を不規則に揺らしながら時折発作のような笑い声を漏らす。
どこから見てもゆっくりできない、気の狂ったゆっくりがまりさの隣にいた。
「れいむ…おはよう。ゆっくりしていってね…………」
「ゆっゆっぽ~♪ばっぴぶっぺゆっゆ~♪ゆ゙っぎゅっぎゅ~♪」
「うぅゔ……れいむ…れいむぅ……まりさのこと……わかる?わかるよね?」
変わり果てたれいむの姿を見て、まりさの目に涙が浮かぶ。
まりさの問いかけにれいむは答える様子もなく、調子外れの歌を歌い続けたままだ。
かつての(ゆっくりにとっての)美声はどこにもなく、まりさの耳にそれは狂った音としか聞こえない。
分かっている。
まりさが何を言ってもれいむが答えられないことなど思い知っている。
でも、それを認めるのは耐えられなかった。
しばらくれいむはケタケタ笑いながら歌っていたが、不意に口を閉じた。
病んだ笑いが、急速に絶望と悲嘆で限界までねじられた表情に代わっていく。
「あ゙……ああ……あ゙あ゙………ああ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙…………」
白目を剥いて、突然れいむは涙を流し始めた。
目の前で子どもの皮を剥いで火であぶり、針を突き刺しタバスコをすり込んでやったらこんな顔になるだろうか。
泣き声すら漏らすことなく、れいむは歯を食いしばり、目から涙をだらだら流している。
周りには何もないのに、れいむの目は悲しみと怒り、そして苦悶をありありと浮かべていた。
この繰り返しだ。
今のれいむは笑いながら歌を歌っているか、逆に涙を流して泣いているかのどちらかしかない。
目の前にまりさがいても、どんなにまりさが声をかけても反応することはない。
ここでの暮らしが、れいむの脆い精神から正気をことごとく奪い去ってしまったのだ。
れいむの顔を見守るまりさの目から、また一筋涙が流れる。
二匹がかろうじてくっつかないで済む、狭いロッカーのような半透明のケースが今のまりさとれいむのゆっくりプレイスだ。
高さもないため、まりさとれいむは終日動くこともできずただその場に座っているだけだ。
かろうじて前後に少し移動できるが、無理に動こうとすると後頭部に痛みが走る。
二匹の後頭部にはカテーテルが刺さり、決して抜けないようになっている。
スペースの問題と痛みの問題。
この二つが、まりさとれいむから走ったり跳ねたりを不可能にしていた。
食事は食べ放題だが、しあわせを感じるものは何一つない。
ケースの前にあるパイプを飼料が流れている。
チューブからそれを吸い上げて食べるのだが、やや甘いだけで歯ごたえも香りもない。
「むーしゃむーしゃ………ふしあわせ……ふしあわせだよぉぉ…」
まりさはもそもそと飼料を食べ、それから口いっぱいにふくむとれいむに近づいた。
口移しで飼料を食べさせる。
れいむの喉がごくんと動いて飲み下したのは分かったが、「むーしゃむーしゃ、しあわせー」の言葉は聞こえてこない。
「あ゙が……ああ゙あ゙…………あ゙…………」
口から聞こえてくるのは言葉にならない呻きだけ。
れいむの正気はゼロに近い。九割が狂気で汚染され、残りの一割に辛うじて正気の断片が引っかかっているだけだ。
うんうんとしーしーも、まりさが隅の穴に連れて行ってさせている。
数時間おきに笑いながら歌を歌うのと歯を食いしばって泣くのとを繰り返すだけが、今のれいむの全てだ。
それでも。それでもまりさはれいむのことが好きだった。
まりさのゆっくりしたゆん生全てを費やして一緒にゆっくりすると誓った相手だ。
自分のことが分からなくなったからと言って、狂ってしまったからと言って、捨てることはできなかった。
諦めきれない心が、いまだに救いをどこかに求めてしまう迷いが、まりさを今日も苦しめる。
今日もその時間が来た。
「ゆぎぃっ…………!いだ……っ!いだい…よぉ…………いだい…………い゙ぃ゙っ!!」
「があ゙……あ゙…………あ゙あ゙あ゙が…………」
まりさは後頭部付近に激しい痛みを覚えた。
目をぎゅっとつぶって震えていても、苦痛は後頭部から全身へと広がっていく。
ここに閉じ込められた時に突き刺されたカテーテルの存在を、はっきりと知覚できる。
普段は無理な動きをした時だけ痛むのだが、この時間が始まると何もしなくても激痛が走る。
「いだぃ…もうやだぁ……ごんなのいやだぁ……もゔ………も゙ゔや゙だあ゙あ゙!」
身をよじって叫ぶまりさに答えるものはいない。
カテーテルからたっぷりと薬が、砂糖水に混ぜられてまりさに注入されてくる。
「うげぇぇぇぇ!ゆぐぇっ!」
押し寄せる吐き気と寒気。なのに餡子が熱くなり頬が火照り始める。
まりさの体が無理矢理発情した状態にさせられていく。
強制的な発情は、ゆっくりに悪影響しか及ぼさない。
本来ゆっくりが発情するのは、多分に精神的なものによる。
人間と同じくほぼ万年発情期のゆっくりは、特定の交尾する期間はない。
愛しい相手を見つけた時。永遠にゆっくりする時までいっしょにゆっくりしたいと思う時。
自分の赤ちゃんを産んで欲しいと願った時。このゆっくりの赤ちゃんを産みたいと決意した時。
そのような、相手を心から愛した時初めてゆっくりは発情する(レイパーは除く)。
なのに薬は、ゆっくりの心など斟酌しない。
一番大事なものが、一番気高いものが、暴力的に踏みにじられ、蹂躙されていく。
愛する心が、愛したい心が、ばらばらに引き裂かれていく。
「れいむぅ!れいむううううう!すっきり!すっきりしようよおおおお!」
抗うことはできない。
発情させられたまりさはれいむに飛びかかると、頬をごしごしとすりつけた。
肌触りは最悪だ。
もちもち感など一切ない。かさかさしていて固く、所々ひび割れた肌を擦りつける。
まりさの顔には快楽などなかった。
もはや薬に抗うことなど止めた。
最初の内は、自分がレイパーになってしまったかのようで、恥ずかしさと苦しさから必死に耐えようとした。
せいぜい五分は耐えられただろうか。
結果は耐えても耐えなくても同じだ。
我慢するだけ苦痛は長引く。
最近のまりさは、逆にこの時間を心待ちにするようになっていた。
薬に身を任せてしまえば。
すっきりの快感に委ねてしまえば。
その時だけは、全てを忘れることができると思ったからだ。
れいむの反応を気にさえしなければ、だが。
「ぎ…ゆぎゃあああああああああああ!ぎぎぎぎぎぎががががががあああ!」
人間の耳であっても鼓膜がいかれそうになる叫び声がケースの中に響き渡った。
れいむの声である。
「びぎいいいびびびびいい!!ぎっぎぎ!ゆぎぎごおおおおおおおおお!おごおおおお!!!!」
百人に聞かせれば、九十人がこれをゆっくりの声と認識することはできないだろう。
残りの認識できた十人は最初驚き、次いで目を輝かせて聞き入ることだろう。
十人とは勿論虐待を趣味とするお兄さんたちだ。
彼らの驚きの理由は、よくここまで殺さずにゆっくりを虐待できたというもの。
彼らが聞き入る理由は、その声が苦悶と恐怖で歪みきっているからというもの。
殆どの人間を不快に、一部の人間をこの上なくゆっくりさせる絶叫が空気を振るわせる。
れいむは薬によって発情状態にはある。
事実、まりさと頬を擦り合わせることによって、次第に粘液で体がベトついてきている。
発狂していようが、薬はゆっくりを発情させる。
実験的に死体に注入してみたら、ぺにぺにが勃起したという記録があるくらいだ。
しかしこの反応はどうだ。
れいむはただでさえ不気味な狂った顔をさらに歪め、聞くものの正気を削るような叫びをあげて身をよじる。
発狂しても恐怖しているのだ。
子を作るという本来は神聖な行為であるすっきりを、死ぬほど嫌がっているのだ。
「れいむ!れいむぅ!おねがいだから!すっきり!すっきりしようよおお!すっきりして!すっきりしてぇぇぇ!わすれてよおおおお!」
「うばがああああああああ!ぎゃああああ!いぎゃああああ!いぎゃああ!ずっぎぎ!ずっぎぎがあああ!いがああああ!」
「れいむぅぅぅ!れいぶぅ゙ぅ゙ぅ゙!ごべんねえ!ほんどにごべんでええええ!ずっぎりじで!ずっぎりじでいまは!いまはずっぎりじでええええ!」
「あがああああ!あがぢゃ!あがぢゃ!あがぢゃいがあああああ!!いがだあああああ!あがあぢいいいいい!!!」
涙をぼろぼろとこぼしながら、まりさはすっきりしようとれいむにすりすりする。
愛するれいむとの赤ちゃんをつくるすっきり。
これを二匹で幸福感に包まれながら行ったのは、一体どれくらい前だろう。
もう殆ど記憶の中にはない。
ただその時は、ものすごくゆっくりできた瞬間だったということはうっすらと思い出せる。
愛するものと一緒にすっきりできるという至福と、母になれる喜びに染め上げられたれいむの顔。
あの時、れいむの誰にも見せない顔を見ることができたまりさは嬉しかった。一緒に母になれる誇りもあった。
今のまりさは、ひたすら拒絶するれいむをレイパーのように犯すだけ。
涙を流しながら。何度も何度も謝りながら。
狂ったれいむは相手がまりさだと分からない。
手加減せずにゆっくりとは思えない力で暴れ、抵抗する。
れいむを壁に押しつけ、死に物狂いでまりさは動きを封じてすっきりしようとする。
一歩間違えれば饅頭の皮を食い破られそうになる危険を冒しながら、それでもすっきりしようとする。
そうしなければならないからだ。
すっきりして赤ちゃんをつくらなければ、二匹の命はない。
すっきりしないゆっくりなど、赤ちゃんをつくらないゆっくりなど、ここでは不要なゴミなのだ。
まりさとれいむが閉じ込められた生き地獄、「加工所」では。
「ぐごおおおおおおお!ずっぎりぃぃぃぃィィィ!!ぎっがっがががががががっっ!!」
「すっきりぃぃぃぃぃぃ!うわああああああんん!ゆええええええん!!ゆあああああ!ゆああああああん!」
親からはぐれた赤ちゃんゆっくりのように、まりさは泣き続けた。
悲しくて。悔しくて。情けなくて。恐ろしくて。何よりも辛くて。
ここは加工所。まりさたちは、延々と子供を作り続けるゆん生しかない。
サイレンの音がして、照明が消えた。
ケースに閉じ込められたゆっくりには分からないが、ここは巨大な赤ちゃんゆっくり生産工場となっている。
12時間毎に照明が点滅し、擬似的な昼と夜を作り出す。
ずらりとならんだケースには、それぞれ一組ずつゆっくりのペアが入れられ、定期的に薬によって発情させられ赤ちゃんをつくる。
その為だけに、ゆっくりたちはここに存在する。
それ以外のこと。ゆっくりにとって大事なゆっくりできることはどうだろうか。
お日様でぽかぽかすること。お外の新鮮な空気をいっぱいに吸うこと。
自然が恵んでくれる、木の実や昆虫を満腹になるまで食べること。
野山を駆け回り、見知らぬものを求めて冒険すること。
仲好しの友だちや恋人と一緒に、心ゆくまでゆっくりすること。
そんなものはない。
何もない。
一切ない。
ゆっくりがゆっくりできているかどうかなど、加工所では一顧だにされないのだ。
照明が消えれば、辺りは真っ暗闇になる。
暗くなったからと言ってやることもない。
巣の中に家族と一緒にいれば、やることは沢山あるだろう。
昼の内に集めた食べ物を広げ、みんなで楽しい夕食が始まるに違いない。
子どもたちと、今日どれだけゆっくりできたかを和気藹々と話せるに決まっている。
寝るまでの時間はゆっくりし、まったりし、遊び、スキンシップを取る重要な時間だ。
でもここでは何もできないし、する気も起きない。
ただ目を閉じ、慈悲深い眠りが訪れるのをひたすら待つだけだ。
意識が途切れることだけが、ゆっくりに与えられたゆっくりできる機会である。
まりさとれいむの頭には茎が生え、赤ちゃんたちが実っている。
まりさには五つ。れいむには二つ。
母親と茎でつながった赤ちゃんたちは、親からの温かくて甘い餡子を吸収し、ゆらゆらと揺れながら嬉しそうに笑っている。
誕生する時を心待ちにした表情だ。
早くお母さんに会いたい。お母さんに会って「ゆっくちしちぇいっちぇにぇ」って言いたい。
自分たちを生んでくれた大好きなお母さんを、いっぱいいっぱいゆっくりさせてあげたい。
赤ちゃんたちの顔はまだ見ぬ母への期待と愛情でとてもゆっくりしている。
「あかちゃん…みんなゆっくりしているね……。かわいいね………まりさのあかちゃんたち」
壮絶なすっきりを終え、体も心も疲れ切ったまりさだが、赤ちゃんたちの寝顔に頬が緩む。
ここは加工所だ。ゆっくりたちの出産場所ではない。
そんなことは百も承知のはずのまりさであったが、まりさの顔は母になれた喜びで輝いている。
ゆっくりにとって赤ちゃんは、現状を全て忘れてしまうほどに大事なものなのだ。
まりさは自分の置かれている状況を一時忘れ、可愛い赤ちゃんたちに全神経を集中していた。
「ま………ま………り………さ…………まり……さ…………」
「れいむ?れいむ?れいむだよねいまはなしたの!?」
「そ………だ……よ……。れ……む……だよ。おきて……る?」
幻聴ではなかった。
暗闇の中、かすかに差し込む月明かりに照らされて隣のれいむの姿が見える。
まりさと同じように頭から茎を生やしたれいむが、まりさの方に顔を向けていた。
「おきてる!おきてるよれいむ!だいじょうぶ?いっしょにおはなししよう!おはなししようね!」
「うん………そうだね。まりさとおはなし………れいむもしたいな」
赤ちゃんを授かることによって、母性本能が狂気を押しのけたのか。
いつもすっきりを終えて赤ちゃんができると、れいむはかすかに正気を取り戻すのだ。
その間は歌ったり泣いたりせず、やや曖昧ながらも会話することくらいはできる。
まりさの目に涙が浮かんだ。
悲しみの涙でもある。変わり果ててしまったれいむを見る悲しみはある。
しかしそれよりも、れいむと意思が通わせられる方がずっと嬉しい。
加工所という生き地獄の中で、番のれいむがいることだけが、まりさの救いとなっていた。
「あのね…ずっと、ゆめをみてたよ」
「ゆめ?」
「おちびちゃんたちのゆめ……だよ。おちびちゃんたちが……かなしそうに…ないていたんだ」
れいむの語り口調はつたなく、子ゆっくりのようだ。
それでもまりさは真剣に耳を傾ける。
「みんな…すごく……かなしそうだったよ……。だから、れいむがおうたをうたって……あげたんだ。
なかなくていいよって……。おかあさんがおうたをうたって……ゆっくり……させてあげるよって。
ずっとずっと……おちびちゃんがなきやみますようにって……うたってたんだよ」
「そうだったんだ。……れいむはゆっくりしたいいおかあさんだね」
「ゆふふ……ありがとう、まりさ。れいむ…いい……おかあさんだ……よ」
「うんうん、そうだね。うんうん。れいむはゆっくりしてるよ。いいおかあさんだよ」
発狂したれいむが歌っていたあのゆっくりできないお歌。
それは、れいむが幻覚で見ていた子どもたちをゆっくりさせようとして歌っていたものだった。
まりさは、れいむの優しさで涙がこぼれそうになった。
れいむはとても優しいゆっくりだった。だからこんな地獄に耐えられなかったのだ。
「そしたらね……そしたらね……そしたら、そしたらにんげんさんがやってきたんだよ
こわい、こわい、こわいこわいこわいこわいこわいこわい……すごくこわいにんげんさんだったよ。
にんげんさんがね………………………おちびちゃんをみんなころしちゃった」
れいむは泣いていた。
血走った目から涙がこぼれている。
恐らく舐めてみたならば、想像を絶する甘さに仰天するだろう。
「おちびちゃんたち……みんなにんげんさんにつぶされちゃった。
にげてってさけんだよ。やめてっておねがいしたよ。ころさないでってたのんだよ。
……………………でもだめ。おちびちゃん、にんげんさんにつぶされてぐちゃぐちゃになっちゃった。
おめめがころがりおちて、はがぽろぽろこぼれて、あんこがおくちやおしりからとびだしたのぜんぶみちゃった。
みんなしんじゃったよ。れいむ、おかあさんなのになにもできなかったよ…………」
カチカチという音がする。
れいむの歯がぶつかって音を立てているのだ。
全部幻覚である。
だがれいむにとって、それは目の前で繰り広げられた惨劇だった。
狂気に陥ってなお、れいむは安らぐことを許されていない。
「まりさのこえ……いつもきこえてたよ。れいむにはなしかけてくれたね。ごはん、たべさせてくれたね。
ごめんね。うんうんひとりでできなくて。ごめんね。すっきりがこわくてまりさをつきとばして。
ごめんね…なにもいえなくて。まりさがおはなししてくれるの、きこえるけどおへんじできなくて……ほんとにごめんね」
「……うっ……ゆっ……ゆぐっ……いいよ。いいよれいむ!まりさ、ぜんぜんきにしてないから。れいむがいるだけで……ゆっくりできるから!」
まりさは大粒の涙をこぼしながられいむにすりすりする。
れいむの正気は長く続かない。こうやって会話できる時間は非常に短い。
どうせすぐにれいむは曖昧な状態に戻り、やがてまたお歌と苦悶の繰り返しに戻るだろう。
「ごめんね……ごめんね…。ありが……とう。……れいむも、ゆっくりしたいな」
「させてあげる!まりさがゆっくりさせてあげるから!ゆっくりしてるまりさがゆっくりをれいむにわけてあげるから!」
だからこそ、まりさは全身全霊を傾けてれいむにすりすりする。
この瞬間だけは、れいむにゆっくりしてもらいたくて。
れいむの心を滅茶苦茶にした苦痛から、れいむを解き放ちたくて。
ずっとゆっくりすると誓った番に、番らしいことしたくて。
「ありがとう……れいむ……ゆっくりしてるよ。すごく……ゆっくりしてる……ゆっくりだよ……」
まりさの思いは通じたらしい。
れいむは暗がりの中、ゆっくりらしいとてもゆっくりとした表情になっていた。
まりさはれいむのその顔を、まるで貴いものを見るかのような目で見つめる。
この一瞬だけが、まりさにとって真の安息だった。
数日が過ぎた。
サイレンが鳴り響き、天井の照明が一斉に灯る。
「あさだよ。ゆっくりしていってね」
まりさの声に覇気はないが、まだ絶望に塗り潰されてはいない。
「ゆ…ゆ…ゆっくり……して………いってね」
れいむの意識はかなり曖昧になっているが、まだ狂気に流されてはいない。
二匹のすっきりの結果は、既に茎から重たそうに垂れ下がり、もうじき生まれようとしている。
れいむには赤ちゃんれいむが二匹。まりさには赤ちゃんれいむが三匹に赤ちゃんまりさが二匹。
計七匹の新しい命が、誕生の時を今や遅しと心待ちにしている。
成長した赤ちゃんたちは、目覚めていないものの意識がある。
まりさがちょっと茎を揺らしてあげれば、目をつぶったまま赤ちゃんたちはニコニコと笑う。
お互いの体がぶつかれば、可愛らしい動作でピクンと反応する。
「ゆっ……きゅ……♪」
「ゆっ、ゆっ、ゆっ!」
「ゅっ……きゅ……り♪」
ちっちゃなお口が、楽しそうな声を漏らす。
まりさの目から、愛おしさのあまり嬉し涙がこぼれた。
何て可愛いんだろう。
ゆっくりの残念な出来のおつむは、これから始まる別離を忘れ、赤ちゃんを育てられると信じている。
何度となく絶望を味わっておきながら、まりさとれいむは思っている。
…かわいいあかちゃんたち、とってもゆっくりしてるね。おかあさんたちといっしょにゆっくりしようね…
この子こそは、育てたい。一緒に餡子の隅々までゆっくりしたい。
加工所という生き地獄の中で、ただ一つの希望を守りたい。
絶対に不可能な願いを、愚かしくも二匹は心の中で抱いていた。
何度絶望しても、ゆっくりたちはその度に忘れて新しい絶望を味わう。
赤ちゃんができれば「こんどこそいっしょにゆっくりできる」と考え、過去赤ちゃんがどうなったかを忘れてしまうのだ。
いつものようにまりさはケースの端から出ているチューブを口にくわえ、パイプを流れる飼料を飲み込んだ。
「むーしゃむーしゃ、しあわせー」
やや甘いだけの飼料が、今日はなぜかとてもおいしいものに感じられた。
れいむに口移しでまりさは飼料を食べさせる。
ちゅっちゅをしているかのような気がして、まりさは「ゆふふ」と笑ってさえいた。
ガタン!と音がしてケースの蓋が開いた。
「ゆ゙びっっ!」
それまで幸せそうにうとうとしていたれいむが、全身を硬直させた。
「あっあ゙っあ゙っ!ああああ゙あ゙…………!」
側に寄り添っていたまりさも、目を見開いて口を大きく開けた。
今までのゆっくりした顔はどこかに消え、恐怖が代わって顔をどす黒く染めていく。
そこにいるのは、加工所の制服を着た男が二人。
人間が見たら別にごく普通の男だ。
だが、れいむとまりさの恐がり方は尋常ではない。
二人にされたことを考えれば当然なのだが。
記憶の中に残っていなくても、餡子が恐怖を覚えているのだ。
男たちは無言で、躊躇することなくまりさとれいむに手を伸ばした。
逃げる暇もない。たとえ逃げようと思ったところで、狭いケースの中に逃げ場などない。
カテーテルが邪魔で、男たちから顔を背けることも不可能だ。
「やべでええええええええ!」
まりさの叫びも空しく、男たちの手は二匹の頭に生えた茎を掴んだ。
大事な大事な、赤ちゃんたちが実った茎を。
「やべでっ!ひっばらないで!あがぢゃんが!あがちゃんどらないで!あがぢゃんがあああああ!」
「がっ……がっ……ぎっ……あ゙あ゙が…………がっ」
まりさの目からどっと涙が溢れ出した。
隣のれいむは目を剥いて、口を裂けんばかりに大きく開いたまま固まっている。
あまりの恐怖と絶望に言葉さえ出ないようだ。
「やべでぐだざい!やべでぐだざぁい!あがぢゃんなんでず!だいじな!ゆっぐりじだ!がわいい!ばりざとれいぶのあがぢゃんなんでず!
あがぢゃんどられだらばりざだぢゆっぐりできまぜん!ゆっぐりざぜでぐだざい!あがぢゃんだぢとゆっぐり!ゆっぐり!ゆっぐり!ゆっぐりぃぃぃぃぃぃ!」
涙と涎を撒き散らして、まりさは人間たちに茎をむしらないようお願いした。
本当ならば体を折り曲げて土下座したかったが、カテーテルがあってできない。
まりさは叫ぶ。赤ちゃんたちを奪われないよう何もかもかなぐり捨てて叫ぶ。
「どらないでぐだざい!ごろざないでぐだざい!おねがいじまず!なんでもじまず!なんでもじまず!だがらやべでぐだざああああ!あああああああぁぁぁぁ!」
懇願は悲鳴に変わった。
男たちが手をまりさとれいむの額に押し当て、茎を一気に引っ張ったのだ。
ゆっくりの体に生えた茎が、人間の力に耐えられるわけがない。
ぶちぶち、と嫌な音を立てて二匹の茎は千切られた。
二匹が愛した赤ちゃんたちと一緒に。
「あがぢゃあああああああああああ!ゆがああああああああ!やべでえ゙え゙え゙え゙え゙え゙え゙!」
まりさの声も空しく、赤ちゃんたちとまりさたちは無情にも引き離された。
男たちはまりさの悲鳴など聞こえなかったかのように、茎を顔に近づけて赤ちゃんたちの様子を見る。
赤ちゃんゆっくりは、母親から切り離されたことで全員ぶるぶると震えている。
周囲の状況は分からない。
ただ、何かとても恐いことがあって、お母さんと離ればなれになってしまったことは分かる。
このままでは、親から送られる餡子が不足し、生まれても虚弱なゆっくりになってしまうだろう。
何よりも母親から離されたことで、赤ちゃんたちは強いストレスを感じていた。
このまま放置しておけば、赤ちゃんの命に関わるだろう。
「ぁぁぁああああ!あがぢゃんがぐるじがっでるよおおおお!やべでね!もどじで!ゆっぐりもどにもどじでぐだざいいい!」
男たちはすぐに、茎をカートンに乗せてあるオレンジジュースの入った水槽に挿した。
水槽には、同様に親からむしり取った茎が沢山ある。
オレンジジュースというゆっくりにとって万能薬となる液体に浸されたことで、それまで震えていた赤ちゃんたちが大人しくなった。
「あかちゃんんんん!よかったよおおお!ゆっくりしてるよおおおお!」
餡子の代わりに茎からオレンジジュースを吸い上げ、再び赤ちゃんたちはニコニコ笑い出す。
まりさは自分の頭に戻されることはなかったけれども、赤ちゃんの笑顔を見て少し心が癒された。
たとえ自分の側から離れても、ゆっくりしていてくれるなら。
多くは望まない。それだけで、まりさはもう満足するつもりだった。
なのに。
「糖度を測るぞ」
「はい、分かりました」
きつい顔付きの男が、まりさの茎から実っている赤ちゃんれいむに触れた。
「ゅっ……きゅ……?」
人間の太い指が、デリケートな赤ちゃんれいむの体を掴んだ。
「にんげんさん!あかちゃんはゆっくりしているよ!ゆっくりさせなきゃだめなんだよ!だいじにしてね!」
この先何が行われるのか、まりさがすっかり忘れていた。
思い出すことさえなかった。
もし思い出してさえいれば、目を背けてみないようにしていただろう。
大事な赤ちゃんに、鋭い針が突き刺されるのを見ないように。
「ぴぎィィィィッ!」
「ゆがあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!あがぢゃんになにずるのお゙お゙お゙お゙お゙!いたがっでるよお゙お゙お゙お゙!」
赤ちゃんれいむの体に、温厚そうな顔の男が持つ糖度計の針が深々と突き刺さっていた。
赤ちゃんは生まれてから開くはずの目を限界まで見開き、歯をカチカチ鳴らして苦痛を訴えている。
「どぼじでえ?どぼじでぞんなひどいごとずるのおお?あがぢゃんがあああ!ゆっぐりじで!ゆっぐりざぜで!ゆっぐりい゙い゙い゙い゙い゙い゙!」
何もできないで見ている辛さから、まりさは「ゆっぐり!ゆっぐり!」と意味のない言葉をわめく。
真下で赤ちゃんが痛がっている。
「おきゃあしゃん!たしゅけちぇ!れいみゅいちゃいよ!たしゅけちぇ!」と叫んでいるのが聞こえなくても分かる。
なのに自分は何もできない。
「ぃ゙……ぃ゙ぃ゙…………ィ」
「ゆっぐぢぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙!!ゆっぐぢ!ゆっぐぢ!ゆっぐち!ゆっぐぢゆっぐぢゆっぐぢゆっぐぢい゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙!」
赤ちゃんれいむが息絶えた時、まりさは一瞬だけ狂った。
命とお帽子と同じくらいに大事だった赤ちゃんが、目の前で殺されたことに精神が耐えられなかった。
ぎりぎりの所でまりさが正気を保ったのは、れいむの存在だった。
自分が狂えば、誰がれいむを守るのか。
まりさの愛情がまりさから狂気をはねとばしたのだ。
それが救いなのか拷問なのかは、分からないが。
「次行くか」
「さっさと終わらせましょうね」
バタン!とケースの蓋が閉められる。
男たちにとって、ゆっくりは生産するもの。
ゆっくりの悲鳴や哀願や絶叫など、彼らの耳を素通りしている。
工場の機械音、雑踏の喧噪、それくらいにしか感じていない。せいぜいうるさいから耳栓をする職員がいるくらいだ。
ゆっくりたちの声は、どんなに叫ぼうとも人間には届かない。
それでも、ゆっくりたちは希望を抱いては無惨にも打ち砕かれる。
カテーテルからの薬には少量の記憶喪失の効果もあり、ゆっくりたちは毎回同じ反応を繰り返す。
すっきりし、赤ちゃんを実らせ、人間に収穫される。
その度に初めてできた赤ちゃんのように喜び、慈しみ、そして絶望する。
この繰り返しによって、加工所は潤っているのだ。
「あかちゃん…。まりさのあかちゃん……。みんな……みんな……いなくなっちゃった…いなくなっちゃったよ」
残されたのは二匹だけ。
狂ったれいむと、狂いかけたがかろうじて正気を取り戻したまりさ。
「あ゙…ぎぎ……あ゙ぎ……あ゙あ゙……ああ゙あ゙………………」
れいむは再び狂気に落ちた。
目を見開き、恐ろしい歯ぎしりの音を立てながらだらだらと涙をこぼす。
その目には、惨殺される子どもたちがありありと浮かんでいるのだろう。
まりさは一人さめざめと泣き出した。
鏡を見なくても分かる。今の自分はゆっくりできていないゆっくりだ。
肌はひび割れ、運動していないから皮はだぶつき、誰もゆっくりさせることなどできない。
どうしようもないゆっくり。それがまりさとれいむだった。
まりさは目を閉じて待つ。
カテーテルから薬が流し込まれるのを。
ほんの少しだけ、この生き地獄から解放される投薬の時をひたすら泣きながら待つ。
外で人間の声が聞こえる。
「えーえー皆さん。このたびは我が×××加工所に足を運んでいただき誠にありがとうございます。
こちらが、当加工所の生産ラインでございます。見えますでしょうか。ああ、お触りは厳禁ですからご承知を。
およそ三百組のゆっくりたちの番が、あのケースの中に入っています。ゆっくりには後頭部にカテーテルを刺し………………」
加工所の見学に訪れた人を、所長が直々に案内している。
このデブで頭のはげ上がった所長は、大変気さくな人柄で所内でも人望が高い。
かつてゆっくり屋台を引きつつ身一つでここまでのし上がった所長は、常に初心を忘れない。
所長室でふんぞり返り傲慢になることなく、こうして何かあると自ら率先して客にサービスを提供するのだ。
「あのパイプの中にゆっくりたちの飼料が流れています。液状ですから、ゆっくりたちは空腹になった時にチューブから適量を吸うことができます。
他の加工所では、ゆっくりの餡子をより上質なものとするため、ゆっくりの嫌う苦みを含んだ餌を使っていますが、当方は違います。
実はあの飼料、多少甘みがあるのです。なぜ?と仰る方もおられるでしょう。特にそこのご婦人とか?」
所長は太鼓腹をゆすりながら、身振り手振りを交えて見学者たちにアピールする。
見学者の一団から笑いが聞こえる。皆所長の人当たりの良さにすっかり好感を抱いているようだ。
「私はですね、ゆっくりたちに感謝しているんです。彼ら……いや彼女たちですか。彼女たちのおかげで、私の今があります。
ゆっくりを徹底的に痛めつけるような方法は、あまり使いたくありません。彼女たちはそうですね…言わばビジネスパートナーのような存在です。
笑わないで下さいよ。ナマモノをパートナーと呼ぶのはおかしいと分かっていますが、私はそれくらいゆっくりに思い入れがあります。
もちろん、お客様に良質の食材、生き餌、肥料をお届けする気持ちは当然あります。それが我が加工所の誇りですから。
ですが、同時にちょっと考えてみてください。
私たちに素晴らしい餡子を届けてくれるゆっくりたちのことも考えてみても、バチは当たらないんじゃないでしょうか。
ただひたすらに目先の利益だけ追求しても、それは一時的な繁栄に過ぎません。ゆっくりとて生きています。
生きているからには、どうせなら長生きして欲しいですよね。何一つ楽しみのない人生では、ゆっくりはすぐに死んでしまいます。
だから私は、せめて食事くらいはゆっくりも楽しめるよう、飼料にゆっくりの好む甘みを混ぜているんです。
成果ですか?ありましたよ。これでゆっくりたちの寿命がおよそ二ヶ月延び、コスト削減につながっています。
いやはや、私も少々ゆっくりのことを考えすぎましてね。体型までゆっくりに似てきちゃいましたよ。
ほら『ゆっくりしていってね~♪』なんて」
所長の愛嬌のある物まねに、似ていなくても見学者たちは大笑いしている。
所長の言っていることは本当だった。
彼はゆっくりをただの赤ちゃんゆっくりを生産する機械ではなく、生きたナマモノとして見ていた。
生きているからには、酷使を続ければあっという間に死んでしまうのは当然である。
新しいゆっくりをどんどんと補充するよりも、今手持ちのゆっくりを長く使いたい。
所長は、ゆっくりを赤ちゃんゆっくり生産のビジネスパートナーとして扱っていたのだ。
餌に甘みを混ぜ、ゆっくりが栄養を取りやすいようにするのは彼の発案である。
しかし彼は、ゆっくりにとって一番大事なことには何ら関心がなかった。
それは、ゆっくりがゆっくりできているかどうかということ。
加工所の生き地獄の中で、ゆっくりしているゆっくりなど一匹もいない。
たすけて。すっきりしたくない。あかちゃんとらないで。くるしい。だして。かえして。おうちにかえる。ゆっくりしたい。ゆっくりさせて!
ゆっくりたちが口を揃えて発するゆっくりしたいという願いは、所長には感心がなかった。
所長の関心は唯一つ。
いかにコストを抑え、いかに効率よく、顧客の満足できる商品を提供できるか。
ゆっくりの都合など、どれほど人の良い所長であっても聞き届ける理由などないのだった。
どうしてこうなったんだろう。
まりさは幾度となく考える。
まりさはかつて飼いゆっくりだった。番のれいむは野良ではなく、まりさがいたペットショップで一緒に買われたゆっくりだ。
飼い主のお姉さんと一緒に、まりさとれいむは幸せに暮らしていた。
すっきりして赤ちゃんをお姉さんに見せたかったが、お姉さんが駄目だというのでちゃんと我慢していた。
お姉さんがまりさたちを嫌いになる理由は、まりさには思い当たらなかった。
実際、お姉さんがまりさとれいむを手放したのは嫌いになったからではない。
単に仕事の都合で引っ越すことになり、引っ越し先ではペットが飼えなかったからである。
お姉さんは二匹を捨てて近所に迷惑をかけたくなくて、二匹を加工所に引き取ってもらったのだ。
保健所で薬殺するのは嫌だった。
加工所で赤ちゃんをつくるゆっくりになるならば、少しは長く生きられるのではないだろうか。
お姉さんは深く加工所のプロセスを知ることなく、二匹を職員に渡した。
罪悪感はあったが、飼えなくなったゆっくりを遺棄するのは禁じられている。
お姉さんは大人だった。大人は、自分にとって不都合な規則でも守るのだ。
まりさには将来の夢があった。
壮大にして遠大な、砂上の楼閣に等しい夢が。
夢の中で自分は、撰ばれたダイヤモンドバッジのゆっくりだった。
ある日突然、世界が認めたのだ。
まりさこそが、失われていた伝説のゆっくりだということに。
全てのゆっくりの頂点に立つ、究極のゆっくりだと世間がもてはやす。
まりさはそこで、れいむと一緒にゆっくりした生活を何不自由なく送っていた。
ただの幻想だ。
醜いアヒルの子と同じ、本当の自分は素晴らしい存在だったと夢見る空想だ。
まりさの夢は、テレビで放映されていたゴールドバッジのゆっくりたちのセレブな生活を見て、勝手に想像しただけだ。
なんの根拠もない、「そうだったらいいな」という夢。
まりさを取り巻く今の現状は、夢とはかけ離れている。
醜悪なまでにかつて思い描いた夢の内容を否定した地獄だ。
何一つ心配のない、究極のゆっくりプレイスを夢見た。
ここはゆっくりプレイスなどではない。ゆっくりならば誰もが恐れる加工所だ。
雨風の心配のない広いお家を夢見た。
実際は狭いケースに閉じ込められ、満足に運動することさえもできない。
恐いどころか、自分たちの世話をしてくれる人間さんを夢見た。
現場の人間が何をした?人間にとってまりさとれいむはただの部品でしかない。
子どもたちは、人間さんによって大事にされているのを夢見た。
赤ちゃんはどれだけ生んでもみんな奪われる。赤ちゃんゆっくりを待つのは加工の後、食材、生き餌、肥料のどれかしかない。
空腹とは無縁の、あまあまに彩られた毎日を夢見た。
所長は甘みを混ぜて満足していたが、毎日同じものを食べてまりさの味覚はおかしくなっている。
気が向けば、外に出てみんなで遊ぶこともできるのを夢見た。
最後にお空を見たのはいつだろう。太陽も風も野原の草も、まりさの頭の中から忘れられつつある。
ゆっくりできるお歌はいつでも聞けるのを夢見た。
たしかにいつでも歌は聞ける。それは発狂したれいむの歌う、全然ゆっくりできない恐ろしい歌だ。
最高にゆっくりした美貌の自分を夢見た。
極限のストレスにさらされたゆっくりがゆっくりしているはずがない。ここに鏡がないのは慈悲だ。
そしてそれに相応しい番のれいむとの夫婦生活を夢見た。
そうだ。悲しむことはない。
一つだけ叶ったではないか。
こんなひどい状況の中だが、まりさはそれでも運がいいゆっくりだと言えよう。
まりさの隣のケースに住むありすは、山で捕獲されたゆっくりだ。
ありすには、一緒にゆっくりすると心に決めたまりさがいた。
まりさは捕獲される際にありすを助けようと抵抗し、短気な新入職員によってありすの目の前で串刺しにされた。
ショックでありすは自分の両目を潰し、以来暗闇の中で生きている。
隣にいるまりさは、ありすの好きだったまりさではない。
ありすは強制的にすっきりさせられる度に、何度も何度も今はいないまりさに謝っている。
ストレスで金髪はごっそりと抜け落ち、外見はぼろぼろの禿饅頭と化している。
三つ隣のれいむは、今日処分された。
ケースに入ってから、一度も食事をせずにやせ衰えていたためである。
れいむはかつて飼いゆっくりだったが、まりさと同じように飼い主によって加工所に持ち込まれた。
まりさと違い、れいむはそれまで贅沢三昧のゆん生を送ってきた。
そのため、どんなに食べようとしても飼料を口が受け付けなかったのだ。
たとえ飲み込んでもすぐに吐いてしまう。
こんなゆっくりがすっきりして、質の良い赤ちゃんをつくれるわけがない。
れいむは最後まで命乞いをしつつ、タバスコを注入されて息絶えた。
あまりの苦しみに、れいむは奥歯をかみ砕いていた。
まりさは今日も生きている。何とか生きながらえている。
どれほどひどい状況下でも、餌を食べ死は免れている。
死んでいったゆっくりたちからすれば、生きているだけで羨ましい状況だ。
子を奪われるとはいえ、一緒にゆっくりすると誓った番とすっきりできている。
番でもない相手と強制的にすっきりさせられるゆっくりからすれば、羨ましい状況だ。
まりさは夢を見ていた。
叶うはずのない、妄想で満ちた将来の夢を。
今のまりさは飼いゆっくりではない。
加工所で、死ぬまで赤ちゃんをつくることを強制させられる哀れなゆっくりの一匹だ。
それでもまりさは幸運だった。
なにしろ、あの途方もない夢の一つだけは、叶ったのだから。
番のれいむと夫婦生活を営む。
それだけは、まりさの夢の中で叶ったのだ。
生まれてから何一つゆっくりできることを知らず、ただ使い潰されていくゆっくりで溢れる加工所で、それは望外の幸運だった。
今日も夢を叶えた幸せなまりさは、愛しいれいむとすっきりする。
そうしなければ即座に処分されることを、まりさは周りのケースに入れられたゆっくりたちの末路を見て知っていた。
「うばああああああ!がああ!ぐがああああ!いがああ!ずっぎいがあああ!いぎおおおおおお!」
「いやだよおおおお!ずっぎりいやだあああ!れいぶにごんなひどいごどじだぐないよおおおおお!」
「あがああああ!ゆごおおおおおおおおお!うごおおおおおおおおおお!」
「ごべんれいぶぅ!ごべんね!ごべんね!ごべんねえええええ!ずっぎじだぐないげど、ずっぎりじないとじんじゃうんだよおおおお!
じにだぐない!じにだぐない!まりざまだじにだくないがら!だがらずっぎりじでえ゙え゙え゙え゙え゙え゙!」
まりさはまだ生き続ける。
いつか加工所の望むだけの数の赤ちゃんをつくることができず、処分される時まで。
その時まで、まりさは夢を叶えることのできた幸運なゆっくりだ。
最終更新:2010年10月09日 20:52