彼女がいつも目覚めるのは、部屋の中に日光が差し込んでからだった。
暗い眠りの中に落ちていた意識が、物理的に引っ張り上げられる感覚。
未だ惰眠を貪りたいという欲求を黙殺し、ゆっくりと布団から身を起こす。
少し冷える。
暖かな寝床が恋しいが、きっぱりと未練を断ち切らねばならない。
―――お兄さんの言う所によると、どうやら自分は"てーけつあつ"らしい。
そんな事をぼんやりと考えながら、服を着替える。
薄いピンク、人参のプリントがされたパジャマを脱ぎ、一張羅に袖を通す。
今日は、思ったより寒い。
ブレザーも着込んだ方が良いだろう。
脱いだパジャマを畳んでから、両手に抱え持つ。
ちょいちょいと布団の乱れを直してから、彼女は自分の部屋を出た。
たん、とん、たん……と、規則的なリズムで階段を下りる。
この家は2階――正確に言えば屋根裏を含めて三階建てなのだが、彼女の部屋は二階にあった。
リビングに行く前に洗面所へと向かう。
洗濯籠の中にパジャマを入れてから、補助用の台に乗り、化粧鏡の前に立った。
―――よし。大丈夫。
ちょいちょいと髪に手を伸ばしながら確認した。
変な所は見受けられない。
薄桃色にも見える、銀糸を束ねたような髪は彼女にとっての自慢だった。
毎日の手入れは欠かさず、一本の枝毛も無い。
台を軽く蹴って、着地する。
彼女には歯磨きも、洗顔も必要なかった。
「おっ、おはよう。今日は良い天気だぞ」
リビングのドアを開けた彼女を出迎えたのは、忙しなく動き回る男の姿だった。
彼はこの家の持ち主であり、彼女にとっての"お兄さん"である。
この光景は特に珍しいことではない。
彼女が起きる頃にお兄さんは会社へと向かうからだ。
「朝ご飯はいつも通り置いておいたから、ちゃんと食えよ?
あと昼ご飯は人参スティックでよかったな?冷蔵庫に2本分切ったの入れてあるから」
ネクタイを締めながらてきぱきと指示を下していくお兄さん。
一言一句聞き逃すまいと、両手をぐっと構えてこくこくと頷く彼女。
「よし、それじゃあ俺もう行くわ」
玄関へと向かうお兄さんについて行く。
見送りは彼女の、毎朝の日課だった。
……それに、やって欲しい事もある。
ぐっと、彼女は背伸びをする。
頭をお兄さんへと突き出す。
彼もまた、この行為の意味を知っている。
やれやれとばかりに苦笑すると、ぽんと彼女の頭に手を置いた。
「ちゃんと良い子で留守番するんだぞ?」
そのままゆっくりと、頭を撫でるお兄さん。
暖かな温もりが伝わってくる。
彼女の耳はふにゃりと垂れ下がり、四肢の力が僅かに抜ける。
自分から彼の手にすり付くように動き、目を細めて全身で「気持ち良い」と表現していた。
「……ま、こんなもんだろ。ほら、もう終わり」
ぱっと、手が頭から離れた。
途端にしゅんとうな垂れる彼女。
そんなに名残惜しいのだろうか、とお兄さんは思う。
しかし彼自身も悪い気はしない。
扉を開ける。そろそろ時間だった。
「それじゃ、うどんげ。行ってきます」
最後にそう言って、お兄さんは家を出る。
名を呼ばれた彼女―――ゆっくりうどんげは、大きく手を振って応えた。
―――いってらっしゃい、お兄さん。
うどんげの一日が、始まる。
うどんげを怖い目に遭わせてみた
ゆっくりうどんげ。
主に竹林を住居として好む、所謂『希少種』に分類される銀の髪に兎の耳を持った珍しいゆっくり。
れみりゃ、ふらん等と同様に、大多数の個体が胴付きであるという特徴を持つ。
性格は基本的に臆病。これは兎の因子が混じっている為という説が有力である。
彼女もまた、そんなゆっくりうどんげ種の中の一体だった。
紆余曲折――話の大筋には全く関係ないので省略――を経て、現在の飼い主、つまり「お兄さん」と同居する身である。
この話はそんな彼女のとある一日を描写したものに過ぎない。
はっきり言えば、山も落ちも意味も無いものだ。
嫌ならブラウザの「戻る」ボタンを押すことを強く薦める。
以上を了承された方のみ、以下の本編をご覧頂こう。
それでは始まり。
***
お兄さんを見送った後。
うどんげは、一人で食卓の前に座っていた。
右手には箸。左手には茶碗。
人間よろしく器用に手先を使えることが、うどんげの微かな自慢でもある。
白米をゆっくりと咀嚼してから、汁物椀を手に取り、口をつける。
薫る味噌の匂いは、それだけで食欲をそそった。
朝食が簡素に済ますことはお兄さんの趣味である。おかずは主采、副菜合わせて二品。
鰆の塩焼き。この時期は脂が乗って旨い。
人参の漬物。お兄さんが手ずから漬けて、味が出ているだろう。
迷い箸は行儀が悪いが、なに、誰も見ていない。
己の優柔不断さを遺憾なく発揮できることも、うどんげには幸せだった。
ゆっくりは基本、大食漢である。
例に漏れず、うどんげも健啖家だった。
炊飯器にご飯の残りがあったため、お代わりをする。
―――ご馳走様でした。
全て綺麗に平らげ、合掌した。
食器を片づけ、台所に持っていく。
蛇口から水を出し、軽く洗う。
ここから先はお兄さんの仕事だった。
うどんげもゆっくりである。
通常のゆっくりに比べ多少の耐性は持っているが、それでも水には弱い。
水仕事はゆっくりにとって大変危険なのだ。
……それでもうどんげは、自分の分くらい洗いたいと思っているのだが。
それを許してくれないのは、ささやかな不満だった。
時計は9時の少し前を指している。
ゆっくりと食事を楽しんでいると、このくらいの時間になってしまうのだ。
―――よし。
ふっと気合を入れるうどんげ。
お兄さんは言ったのだ。「良い子で留守番しろ」と。
それは寝床に戻り、惰眠を貪って良いという意味では決してない。
お兄さんの言いつけを守る為。
そして何より褒められたいが為。
先ず第一に取るべき行動は―――
―――何、しよう?
行動は……行動は、特に無かった。
うどんげに出来る家事はそれ程多くない。
今すぐに思いつく仕事――つまり洗い物は、禁止されていた。
有体に言うなら、暇そのものだった。
暇ならば外に遊びに出かければいいではないか、と思うかもしれない。
だがうどんげは、それを思いつく事すらしなかった。
彼女は臆病な性格である。何処に行くにもお兄さんの後をついて回っていた。
加えて、この街にはまだ野良ゆっくりが多く生息している。
うどんげ自身、野良ゆっくりに襲われる飼いゆっくりを見たことがあった。
たった一人で外を歩き回るなんて事は、最初から視野にも入れていない。
とりあえずテレビの電源を点けるうどんげ。
チャンネルを回すが、ニュース、ニュース、よく分からない番組、ニュース……
興味を惹くものは無い。
本格的に困った。
何もやることが無いのだ。
何かしらお兄さんの役に立ちたいうどんげにとって、これは非常に良からぬ事態といえる。
きょろきょろと周囲を窺い、何か無いかと思案する。
台所に行った。
冷蔵庫を開け、昼食の人参スティックがラップに包まれ皿に置かれているのを確認する。
これはうどんげの大好物だった。
まだ食べるつもりは無いが、卓上に出しておく。
洗面所に行った。
洗濯機が目に入る。が、これも駄目だ。
洗い物と同様にお兄さんに禁止されている。
隣接した風呂場に目を向ける。風呂掃除……も駄目だろう。
うどんげは大抵の場合、ドライシャンプーを使っていた。
シャワーを使ったことも数える程度しかない。
二階へと上がり、自分の部屋の隣、お兄さんの部屋を覗く。
質素な部屋だ。
布団の他には最低限の家具しか置いていない。
他に目につくものと言えば、クローゼット程度か。
勝手に入るのも悪いので、早々に立ち去った。
家の中を探し回る。
何か、自分に出来る事は無いだろうか。
ゆっくりの身でも出来る、そう難しくないお仕事。
実際にはそんなもの、なかなか存在しない。
ある意味これも暇つぶしにはなっているのかもしれない。
一階に戻り、リビングの隣にある和室でうどんげは休憩する。
少々疲れてしまった。
溜息と共にふと視線を投げかけると、
―――あ、あった。
どうやらうどんげは、漸く自分の仕事を見つけたようだった。
***
―――襟元、中央、最下段のボタンをとめて、袖を広げて置く。
箸を使えるうどんげである。
少々てこずったが、出来ないという事は無かった。
ゆっくり丁寧にボタンをとめていく。
―――両腕をたたんで、二つ折りに。
うどんげの身長と比較するに、人間のそれは非常に大きいと言える。
自然、身に纏うものもそれなりの大きさだ。
彼女が扱うには少々難しい。
それでも手を抜くような事はしない。
教えられた通りにしっかりと畳んでいく。
うどんげは今、「服を畳む」という作業に従事していた。
和室から繋がる縁側には庭があり、そこには物干し竿が吊られている。
この家では、取り込まれた洗濯物は和室に置かれ畳まれていた。
そして畳むことを忘れていたか、時間が無かったのだろう。積まれていた大量の洗濯物。
過去にうどんげはお兄さんの手伝いをして、一通りのやり方を教えてもらっている。
と来れば、今この光景は当然のものと言えるだろう。
人間の児童程度の四肢を持つうどんげだ、ある程度集中すればそう難しい事ではなかった。
家の中に一人という現状も相まって、うどんげは作業に没頭する。
4~5枚程度を畳んでから、箪笥の中にしまう。
その繰り返しだ。
服を畳んで、隣に置く。
服を畳んで、その上に置く。
服を畳んで、その上に置く。
「……ゆっ!………なか……………だね!……こを………の……にす………」
服を畳んで、その上に置く。
立ち上がる。畳んだ服を抱える。
箪笥を開き、服をしまい、閉める。
元の場所に戻り、座って作業を再開する。
「ゆっ……………さす…………さのれいむな………こん……いおうち………けるなん…………」
先程の作業を繰り返す。
畳んで、置く。
ある程度溜まったら、箪笥の中にしまう。
「おきゃ………こんにゃ………いりゅよ………しゃいっしゃい……………にぇ!」
「れいみゅ………きょわ……………ぷきゅー………っきゅり………しゃしぇろ~!」
ひたすら同じ作業の連続である。
没頭しきったうどんげには、何も聞こえていない。
こういう所はゆっくりだった。
間が抜けている、と言える。
服を全て畳むのに費やした時間は10分ほど。
最後のひとつをしまい込んでから、うどんげはぐっと背伸びをした。
時間にすればほんの僅かだが、身体に疲れが溜まるには充分だったようだ。
こった体がほぐれていく。
―――さてと。これからどうしよう。
洗濯物は終わった。
きっとお兄さんに褒めてもらえる。
だが、うどんげはまだ満足していなかった。
もっと仕事をすれば、もっと褒めてくれるに違いない。
再び仕事を探すことにしたうどんげ。
そのまま振り返って―――
「いい゛がげんに゛れ゛い゛む゛をお゛うぢのな゛がにい゛れ゛ろおお゛おおお゛おぉ゛ぉ゛ぉ!!!!!」
窓ガラスに張り付いている凄まじい形相のれいむを見つけ、腰を抜かした。
***
「ごのっ!!はやぐっ!!れいむをっ!!おうちのっ!!なかにっ!!いれろ゛っ!!」
それはとても大きなれいむだった。体長は約60センチほど。
恐らく野良だろう。
髪は油じみたものでベトベトのテカテカ、全体的に黒く汚れた肌とリボンは謎の分泌液にまみれている。
ガラス越しの向こうでなにやら吼え、歯を剥き出しにして猛り狂っていた。
「ゆへっ、ゆひぇっひぇ、ゆっひぇっひぇっひぇ………」
れいむの後ろには、恐らく番であろうまりさがいる。
体長はれいむと同じくらい。
汚れ方も似たようなものだった。
トレードマークの山高帽はボロボロで、つばが千切れかけている。
ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて、うどんげを見つめていた。
「おきゃーしゃん、ゆっきゅりやっちゅけちゃっちぇにぇ!」
「しぇーしゃい!しぇーしゃい!」
「れいみゅちゃちはちゅよいんぢゃよ!?しゃっしゃとこうしゃんしちぇにぇ!!」
「どりぇーにしちぇあげりゅ!」
まりさとれいむの間を跳ね回っているのは、子ゆっくりと赤ゆっくりだ。
子れいむと子まりさが2匹ずつ。
赤ゆっくりはれいむとまりさが1匹ずつ。
全員が全員、口汚く騒いでいる。
ガラスを挟んだ家の中、うどんげはへたり込んでいた。
驚き竦み、腰を抜かしたのだ。
元来が臆病な上、彼女は飼いゆっくりである。
どうしても目の前の醜悪なものに恐怖心を覚えてしまっていた。
れいむが窓ガラスにぶつかる度に、バンッ、という音が響き渡っる。
未だ窓は割れる気配を見せない。
だが、この先はどうだろうか。
そんな不安を抱かせるほどに、れいむは激しく身体をぶつけている。
―――怖い。
体に震えが走った。
涙がこみ上げてきた。
うどんげは座り込んだまま、必死に後ずさる。
「ゆっぐりっ!!でぎないっ!!まどさんはっ!!さっさとっ!!じねっ!!!」
「れいむ。おちつくのぜ」
いきり立つれいむにまりさが声を掛ける。
粘着質な視線をうどんげに向けたまま、まりさは話し始めた。
「そんなんじゃいつまでやってもまどさんをやぶることなんてできないのぜ」
「だったらどうずればいいのおおおぉぉぉ!!!?」
「これをつかえばいいのぜ」
ぼろぼろの帽子から何かを取り出すまりさ。
れいむの目の前に置かれたそれは、拳大ほどの大きい石ころだった。
「これをくちにくわえてぶつかれば、まどさんなんてなんでもないのぜ」
「ゆううぅぅ!!さすがれいむのだーりんだよおおおぉぉ!!」
「それほどでもないのぜ」
れいむの賞賛にも、まりさの態度は素っ気無い。
依然としてその目はうどんげを見つめたまま。
「おかーしゃん、やっちゃえー!!」
「ゆっきゅりできにゃいまどしゃんは、しぇーしゃいだよ!」
「ゆひひっ。がんばるのぜぇ、れいむ?」
「ゆん!!ゆっくりできないまどさんは、れいむがせいっさいっしてやるよ!!」
子ゆっくり達の騒がしい、まりさの蛇じみた応援を受けてれいむは石を銜えた。
ぐっと力を込め、ガラスの向こうのうどんげに対して嘲る。
「このゆっくりできないまどさんをせいっさいっしたら、つぎはおまえのばんだからねぇ!!
どれいにしてしぬまでこきつかってあげるよ!!」
―――怖い、怖いよ。助けて。
背中が壁に着いた。
涙が溢れる。震えが止まらない。
うどんげは縮こまって、恐怖することしか出来ない。
「ゆ゛~っぐりぃ!!ゆ゛ぅ゛~っぐりいぃ!!じねえええぇぇぇ!!!」
れいむは跳んだ。
顔面に張り付いた笑みは、もうすぐ手に入るゆっくりプレイスを思い描いての事だろう。
れいむと窓ガラス、両者の距離は縮まる。
20センチ、10センチ、5センチ、1センチ……
そして、ゼロ。
―――助けて、お兄さん!
助けは来ない。
誰もうどんげを助けはしなかった。
窓ガラスが割れてれいむが入り込んできても、うどんげはただ震えて見ていることしか出来なかった。
***
散乱するガラス片。
割れた窓から吹き込む寒風。
それが意味する所は、野良ゆっくりの侵入を許したと言う事に他ならない。
「よっと。おちびたち、もうでてもいいのぜ」
「ゆっきゅちー!!」
「きょきょをれいみゅたちのゆっきゅりぷれいしゅにしゅるよ!!」
上手く割れたガラス窓を潜り抜け、帽子の中から子ゆっくり達を降ろすまりさ。
どれだけ動き回ろうと、常にうどんげだけを見続けている。
「ゆぎゃあああああああ!!!れいぶのおぉ!!れいぶのまっしろなはがあああぁぁぁ!!!」
部屋の隅で転がっているれいむは、前歯が折れ散っていた。
飴細工の歯で石を銜え、ガラスと勝負したのだから当然と言えば当然である。
「おちつくのぜ、れいむ。そんなことよりも、ゆっくりプレイスがてにはいったんだぜぇ?」
「れいみゅちゃちのゆっきゅちぷれいちゅだにぇ!!」
「ゆぎ……でぼ……でいぶのはがぁ……」
「もとのばしょにさしときゃすぐになおるのぜ。それよりも……」
まりさのおさげが指し示した先には。
―――逃げなきゃ。
うどんげは這い蹲りながら逃げていた。
腰はまだ抜けている。
だからといってあのまま震えているのは嫌だった。
どこか隠れる所を探さなければならない。
まずは逃げなければ。
あの野良ゆっくりは、怖い。
うどんげの胸ほどに迫る体長で、それが2匹なんて勝てる気がしなかった。
下手をすれば殺されてしまうかもしれない。
まずは逃げて、それから―――
「どこにいくつもりなんだぜぇ?」
考えられたのはそこまでだった。
衝撃が走る。
体が地面に叩き付けられた。体の自由が利かない。
全身が痛い。何かに押さえつけられている。
この状況で、それが意味する所はつまり。
うどんげはまりさに圧し掛かられていた。
「にげるなんてゆっくりしてないやつなのぜ。まりささまがどれいにしてやろうっていってるのぜ?」
まりさはぐにぐにと底部に力を込める。
うどんげはまりさに押さえつけられ、苦しげに声を出す事しか出来ない。
圧倒的優位に立った今、まりさは隅々までうどんげを舐めるように見回す。
「……やっぱり、おもってたとおりのびゆっくりなのぜ」
うどんげの耳元でぼそりと呟くまりさ。
そしてそのまま、
「ゆべっ……ぇろぉんっ」
うどんげの頬を、思いっきり舐め上げた。
―――気持ち悪い!!
うどんげは総毛立った。
おぞましさなどという生温いものではない。
頬にはべっとりと唾液がつき、まりさの舌と糸を引いている。
「おまえはこれからまりささまのすっきりーどれいにしてやるのぜ。ありがたくおもうのぜ?」
れいむには聞かれないよう、そっとまりさは囁く。
今もその視線は厭らしいものを含んでいる。
完全にうどんげを『そういう風に』見ている目だった。
「ゆっ!!まりさ、そのゆっくりできないのをせいっさいっしてるんだね!!
れいむもせいっさいっするよ!!」
「れいむ、ちゃんといかしておくのぜ?このどれいにもまだつかいみちはあるのぜ」
「わかったよ、まりさ!!」
れいむも復活した。
どすんどすんと鈍い音を立ててうどんげのほうへと跳ね寄っていく。
まりさがうどんげの上から退いた。
代わりに来たのは、れいむの体当たりだった。
弾力のある体がぶつかる。
うどんげは吹っ飛んだ。
「ゆっへん!!れいむはつよいんだよ!!くそどれいはれいむのつよさをおもいしってね!!」
「おかーしゃん、ちゅよーい!!」
「くしょどれいはれいみゅのちゅよしゃをおもいちってにぇ!!」
ごろごろと床を転がるうどんげ。
その場でふんぞり返るれいむ。
倒れたうどんげの上に乗り、ぽむぽむと踏みつける子ゆっくり達。
―――痛い。
れいむの体当たり自体は、それ程痛くなかった。
今上に乗っている子ゆっくり達の攻撃も、それは同様だ。
だが床に叩きつけられた時の痛みは酷いものだったし、それに、心が痛い。
―――痛いよ、お兄さん。
胸がズキズキと痛む。
目の奥が熱い。
そして誰も助けてくれないと言う事実が、うどんげの心を打ちのめす。
泣き喚きたい衝動に駆られていた。
大声で泣いて、誰かに助けを求めたかった。
そうだ。泣いてしまえば少しは楽になるかも―――
「どれいのぶんざいでなにないてるの!?うっとおしいからだまっててね!!」
れいむの揉み上げがうどんげの頬を張った。
ただ泣くという事すら、彼女には許されていない。
今のは痛かった。もう二度と味わいたくない。
うどんげはなんとか、泣くのを堪えた。
「ほら、いくよ!くそどれい!!」
れいむがうどんげの髪を噛み、そのまま引っ張った。
うどんげの頭に痛みが走る。
痛みが嫌ならば、大人しくれいむの後をついていくしかない。
自慢の髪が、今や縄の役目を果たしていた。
***
一つだけ幸運だとするならば、この野良ゆっくり達はそれほど頭が良くなかった事だろう。
「ゆゆ!?おいしそうなにんじんさんがあるよ!!」
「ゆわーい!」
「にんじんしゃんたべりゅー!」
「おいくそどれい!にんじんさんをとってこい!!」
うどんげは昼食の人参スティックをれいむ達に差し出さなければならなかった。
ラップを外し、れいむ達の前に皿を置く。
「むじゃっ!!むーじゃ!!し☆あ☆わ☆せぇ~!!」
「くしょどりぇいにしちぇはじょーできだにぇ!!」
「にんじんしゃんたべちゃらうんうんしちゃくなっちぇきちゃよ!!うんうんしゅるよ!!」
うどんげが食べる筈だったものは全てれいむ達に食べられ、皿の上には代わりに山盛りのうんうんが残された。
「くそどれいはくそどれいらしく、れいむたちのうんうんでもたべててね!!げらげらげら!!」
「おお、あわりぇあわりぇ」
「まりしゃたちのうんうんたべらりぇるんだよ?うれちーでしょ!!ぷすー☆」
れいむ達は冷蔵庫、戸棚の存在を知らないようだった。
その中にある食材・菓子には一切手を触れず、ティッシュなどを貪り喰らう。
お陰で部屋の中はそれほど荒らされたというわけではなかった。
「ゆ?おいくそどれい!!れいむはこっちにいくよ!ついてこい!!」
「ちゅいてきょーい♪」
「どりぇいはほんちょうにのりょまだにぇ!!」
髪を引っ張られて、家の中を引き回された。
「ゆ!こっちになんかあるね!!」
「ほんちょだにぇ!!」
「ここもれいみゅたちのゆっきゅちぷれいちゅにちようね!!」
れいむ達はドアを認識できなかった。
視界的に繋がっている部屋しか見つけられないのだ。
お陰で全く被害に遭わない部屋の方が多かった。
「ゆへへ……どれいはまりささまにつかえられて、ほんとうにしあわせなのぜ?
まりささまのちょうあいをうけるなんて……れろっ、そうそうないのぜ。
はむっ……ゆひぇっ、びゆっくりってやつは、ほんとうにやみつきになるんだぜぇ」
目を血走らせたど変態のまりさに、体中を舐めまわされた。
「いいのんかぜ?……ここがいいのんかぜ?
ゆひぇっ、いやがるふりしててもまりささまにはわかるのぜ。かんじてるのぜ?
やっぱりかいゆっくりのはだは、ほんとうにうまいのぜぇ」
足、手、首筋、頬と、まりさは変態的な情熱を持ってうどんげを舐め上げた。むしろそれ以外は全くやらなかった。
本気で嫌がられているのに、それを曲解してさらに熱を上げるという偏執ぶりも兼ね備えている。
最も賢いであろうまりさがうどんげのみに執着し、他の事に全く関心を持たなかったのは幸いだった。
「ゆんっ!つよいつよいれいむにくらべて、ほんとうにくそどれいはよわっちいね!!」
「くしょどりぇい!くしょどりぇい!」
「こんにゃによわくちぇはじゅかしきゅにゃいの?くしょどりぇいはほんちょうにくじゅだにぇ!!」
れいむ達の気分でうどんげは突き飛ばされ、踏みつけられた。
ただ悦に浸るためだけに、赤ゆっくりにまで馬鹿にされた。
仮にも胴付きである。この程度の攻撃では、大した怪我を負うはずも無い。
心の方はともかくとして。
総合するなら。
野良ゆっくり一家の襲撃、その被害は軽微と言っていいだろう。
うどんげ個人を考慮に入れなければの話であるが。
***
「ゆっゆっゆ~♪ゆゆ~ゆ~♪」
「おきゃーしゃん、じょーじゅだにぇ!」
「ゆふん、それほどでもあるよ、おちびちゃん!」
得意絶頂な鼻歌を披露するれいむに引っ張られて、うどんげは二階へと上っていた。
一階はあらかた荒らし尽くされている。
れいむの餡子脳でも、二階へと続く階段の意味は何とか理解できたようだった。
―――辛い。苦しい。
そう思っていても、うどんげは何も出来なかった。
沸き上がる感情より、恐怖の方が勝っている。
今はじっと耐え続けるしかなかった。
そうやって来るかどうかも分からない助けに期待しているだけだ。
既に自分の部屋は荒らされ放題だった。
ところどころに糞尿を撒き散らされ、尚足りないとばかりにれいむ達は家具を破壊しようと試みている。
どうやら奴隷が立派な部屋を持っていたのが気に食わないらしかった。
「……ふんっ!」
またもれいむに突き飛ばされる。
床に倒れこんだ。
―――耐えなきゃ。
耐えれば何とかなる。
お兄さんが帰ってきてくれる。
それまでは耐えるんだ。
「おお、あわれあわれ!くそどれいはそうやってみじめなのがおにあいだよ!!」
「げりゃげりゃげりゃ!ほんちょうにみじみぇにゃくじゅだにぇ!」
侮蔑も顕に笑うれいむ達。
うどんげの事を唾棄すべき屑だと、完全に見下している。
この家の主は自分達だと疑っていないような顔だった。
「………いったいなにをそんなにがまんしているのぜ?」
ただ一匹、まりさだけは違った。
訝しげな視線をうどんげに投げかける。
目の前の玩具が、健気に何を耐えているのか知りたいのだ。
だが、まりさにも全く分からないわけではない。
ある程度の検討はついているのだろう。
唇の端が吊り上げる。まりさもまた笑っていた。
「もしかして、このおうちにすんでるにんげんでもまってるのぜ?」
―――!
図星だった。
顔を上げるうどんげ。
見上げた先には、まりさの舌が轟いていた。
「……ゆひぇっ、ひぇっ」
まりさは引き攣るような笑い声を発する。
ぬめる舌先がうどんげの頬に触れた。
ゆっくりと舐め回しながら、徐々に襟元へと落ちていく。
「きたいしてもむだなのぜぇ?にんげんがきても、まりささまにはかてないのぜ」
ぬるり、と音を立ててブラウスの中に舌が潜り込んだ。
蛇のような舌が体中を這い回っていく。
もう何度目になるか分からない悪寒に、うどんげは震え立った。
「いくらにんげんがつよくても、まりさにはひさくがあるのぜ」
心底うどんげの味を愉しんでいるのだろう。
緩み切った表情のままで、まりさはお下げを帽子の中に突っ込んだ。
そのままゆっくりと、何かを取り出す。
―――それは。
それが何かを、うどんげは知っていた。
過去一度だけお兄さんに教えてもらった事がある。
ヒトを傷つけて、殺してしまうこともできる代物だと。
鈍色の刀身は所々錆び付き、刃毀れを起こしている。
捨てられた物を拾ったのだろう。
まりさのお下げが揺れる度に、鈍く光を返した、
それは、一本のナイフだった。
刃渡りは10センチ程度しかない。
だがそれでも、殺傷力は充分に備えているだろう。
ゆっくりの身で人を害する、その可能性を持たせる凶器。
確かにまりさの言っている事は虚言ではなかった。
まりさの「秘策」は、脅威となり得る。
「このないふさんがあれば、にんげんくらいかんたんにころせるのぜぇ!!」
「にんげんもどれいにしてれいむたちのうんうんたべさせてあげるよ!!」
「よわっちぃにんげんにゃんてしゅぐにこりょせるにぇ!」
「くしょどれいをふやしょうにぇ!」
高らかに笑うまりさ。
お兄さんをも奴隷にしようと言うれいむ。
それを聞いて盛り上がる子ゆっくり達。
止めようとする者はいない。
殺意の有無は、疑うまでも無いだろう。
必要ならば、このゆっくり達は本当に人間を傷つけかねない。
―――お兄さんを、殺す?
無論、ゆっくりが人を害しせしめる可能性はそれでも低い。
身長の問題である。
60cmほどのゆっくりでは、どう頑張っても人間の腰より下にしか届かない。
足にナイフを突き立てられても人間はそう簡単に死なない。
返り討ちに遭うのが関の山だ。
だが。
うどんげは想像してしまった。
もしも万が一、お兄さんがこのゆっくり達の体当たりを受け、転んでしまったら。
もしも万が一、倒れこんだお兄さんにまりさが圧し掛かり、ナイフを突き立てたら。
もしも万が一、そのナイフが心臓に刺さってしまったら。
いずれも馬鹿らしくなるほど低い可能性ではある。
しかし、決してゼロではない。
だからうどんげの脳裏に描かれた光景は、実現されるかもしれなかった。
血の海に倒れ伏す、お兄さんの姿を。
瞬間、意識が赤熱した。
視界が赤く染まり、何も聞こえなくなっていく。
収斂された心は一つの感情を作り出した。
それは、怒り。
何処かで何かが音を立てて千切れ飛ぶのを、うどんげは遠くに感じていた。
(後編に続くかも知んない)
最終更新:2010年10月09日 20:55