anko1726 人間の世界でゆっくりが見た夢(中)

『人間の世界でゆっくりが見た夢(中)』




三、

 夕日が街を赤く染めていく。人間もゆっくりも等しく帰路へと着いていた。一日の仕事に疲れ切った人間たちの視界にゆっく
りは入らない。歩道をずりずりと移動していても、それを気に留める者は少なかった。「あぁ、ゆっくりがいるな」くらいにし
か思っていないのだろう。ゆっくりに関わることのない一般人の反応などは大体こんなものだった。苦情を出す者。受ける者。
街のゆっくりに対する扱いに関してあれこれと考えているのはごく一部の人間でしかなかったのだ。その他大勢の人々にとって、
ゆっくりは心底どうでもいい生き物だったと言える。
 それでも、廃材置き場で暮らす野良ゆたちは時折遠くから聞こえる同族の悲鳴に怯え身を寄せ合っていた。徐々にではあるが
聞こえてくるゆっくりの悲鳴は日を追うごとに増えてきているように感じる。そして、その感覚は間違ってはいなかった。街は
ゆっくりに対する策を講じ始めていた。とは言ってもまだまだ保健所職員などが駆り出される頻度が増したくらいのもので、街
全体に影響を与えるようなものではなかったが。

「むきゅ。 あれをみてちょうだい」

 ぱちゅりーの視線の先にあるのはビルの前に設置されている大型のテレビ画面だ。たまに行き交う人々が足を止め、テレビに
映し出された映像をぼんやりと眺めている。目の前のバス停に座っている女子高生たちもそれに視線を向けていた。
 まりさとちぇんはぱちゅりーの言う“メディアさん”がどういったものかを理解した様子で目を丸くしたまま動かない。あの
テレビ画面に映し出された自分たちが“人間さんの街からゆっくり出て行くよ!”と嬉しそうに話す姿を妄想すると、自然と顔
がニヤケてしまう。自分たちで出て行くと言うのだから人間にしても大助かりのはずだ。そう確信していた。事実、殺される恐
怖も殺す手間も省けるのだ。

「でも、どうやってあの“めでぃあさん”のなかにはいればいいの……?」

「そうだねー……。 あんなににんげんさんがたくさんいるところにはいっていったら、ゆっくりできなくさせられちゃうよー」

「むきゅぅ……」

 さすがにそこまではぱちゅりーにも分からない。時計が午後七時を指す。夕方のニュースが始まったようだ。路地裏の入り口
付近から人間たちと同じようにテレビ画面を眺める三匹。そこに映し出されたのはゆっくりの姿だった。三匹が互いの顔を見合
わせる。
 ニュースのテロップには“増えるゆっくり被害・駆除活動追い付かず”との文字が見えたがぱちゅりーたちには何と書いてあ
るかが分からない。ニュースの内容は主に“飼いゆっくりブームの終了から野良ゆの蔓延”までがドキュメンタリー調で報道さ
れており、保健所職員たちによる現場での生々しい声が伝えられていた。しかし、テレビの音声はぱちゅりーたちの元までは届
かない。テレビ画面の中には人間の家の中で幸せそうに暮らすゆっくりの姿があった。その姿を自分たちが幸せに飼われていた
頃と重ねてしょぼくれる。どれからともなく三匹は廃材置き場へと無言で引き返した。
 メインのニュースはぱちゅりーたちがその場を去って行ったあとに始まったのだ。テレビは保健所などに寄せられた苦情や事
件をまとめて一斉に報じている。周囲でテレビを眺めていた人間たちは、“その話題”に移ってから注目を始めた。人間は直視
すべき問題の取捨選択をする。ブームを巻き起こした飼いゆっくりの話題などに興味はなかった。それはもはや過去の出来事で
しかない。しかし、今ブラウン管を通じてニュースが伝えているのは現在の出来事である。テレビ画面には薄汚れた野良ゆの家
族や、意地汚くゴミ箱を漁る数多のゆっくりたちの姿が映し出されていた。人々が眉をしかめる。極めつけは野良ゆの起こす事
件を処理する職員たちの悲痛な声。
 それらのニュースが終わった後に数人の女子高生たちが野良ゆについての会話を始めた。

「ていうかさ、……ゆっくりってキモくない?」

「だよねー。 なに生意気に街で暮らそうとしてんのって感じ……?」

 到着したバスの中に乗り込みながらそんなやり取りを交わす。辺りには夜の帳が下りようとしていた。淡く瞬く星々。夜空を
見上げれば人間にもゆっくりにも等しくその光は映ることだろう。しかし、人間の見る世界とゆっくりの見る世界は同じのよう
に見えて、全く異なるものであったのかも知れない。
 街灯の光も届かない廃材置き場に戻ってきたぱちゅりーたちの暗い表情に気がついたのか数匹のゆっくりたちが寄ってくる。

「どうしたのぜ……? なんだかげんきがないんだぜ……?」

「むきゅっ……なんでもないのよ……」

 まりさの無事を喜ぶありすが微笑んで頬をすり寄せる。ちぇんが二匹の微笑ましい様子を見ながらぱちゅりーを壊れた傘の向
こう側へと呼び寄せた。

「どうしたのかしら?」

「あのね……ぱちゅも、いちどだけかわまでのみちをおぼえたほうがいいとおもうんだねー」

「むきゅ。 そうね。 それじゃあ、あしたはぱちゅもいっしょにおでかけすることにするわ」

 ぱちゅりーでしか気付けない事もあるだろう。計画の首謀者たる自分が移動ルートを把握していないわけにはいかない。ちぇ
んとの話し合いで明朝、やはり、まりさとちぇんと一緒にぱちゅりーも堤防までは行ってみることになった。孤ゆと共に暮らす
というれいむにも会って話がしてみかったのだろう。

「ゆ……ゆっくりしていってね……っ!」

 廃材置き場に見慣れないゆっくりが現れた。ありす種とみょん種のゆっくりである。一目で野良と分かる風貌で怯えながら声
をかけてくる様子を見て、ぱちゅりーは無言で微笑みと一緒に挨拶を返した。最近、こうして廃材置き場の群れと一緒に暮らす
事を願うゆっくりが増えてきているようである。幸い、廃材置き場は広く新たにおうちを作るスペースには事欠かない。事情を
聞くとやはり、人間に飼われていたところを捨てられてしまったというごくありふれた話であった。この群れで暮らす第二世代
のゆっくりとは別に、新たに捨てられてしまうゆっくりも後を絶たない。

「ありがとう……っ! ほんとうにありがとう……っ!!」

 ありすとみょんが泣きながら群れのゆっくりたちに礼を言う。その涙は他のゆっくりたちと同様、やり場のない怒りと悲しみ、
そして暖かな優しさに心打たれた事により溢れたものであると言える。二匹はずりずりと積み上げられたコンパネの後ろに這っ
て行った。
 眠りにつくゆっくりたち。そんな中、ぱちゅりーが一匹で星空を見上げている。ぱちゅりーの母親ゆっくりである親ぱちゅり
ーは、森の中から見上げる星空の美しさを何度も語って聞かせてくれた。人間に飼われていた頃は天井に遮られ星空がどんなも
のかを知ることはできなかったが今は違う。あのゆっくりできた日々はどうやっても帰ってこないが、その代わりに得た物も決
して少なくはなかった。ぱちゅりーは仲間と共に生きていくことの大切さを野良になって初めて学んだ。そして、一緒に頑張れ
ばどんなことだってできるのだと信じる力を手に入れた。この気持ちを森で暮らすゆっくりたちに伝えたかった。野良として過
ごした時間は決して無駄にはならないだろう。

「ぱちゅ……」

「ちぇん。 どうしたのかしら……? こんなよるおそくに……。 れみりゃにたべられちゃうわよ……?」

「それはぱちゅもおなじなんだねー……」

「……むきゅきゅ。 ……そうね」

「ぱちゅ。 あのおはなしのこと……かんがえてくれたのかな……?」

「ちぇんとずっといっしょにゆっくりしてほしい、というはなしのことかしら……?」

 ぱちゅりーは少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。ちぇんは頬を真っ赤に染めながらぱちゅりーの横顔を覗きこんでいる。ち
ぇんはぱちゅりーに恋心を抱いていた。どれだけ危険な役目を担おうとも、それを遂行する強い意志の原動力はぱちゅりーへの
想いからくるものである。

「もりにかえるまでは……まってくれないかしら……?」

「りかいしたよー……。 こんなだいじなときに、こんなはなしをしてごめんねー……」

「き、きにしないでちょうだい……。 そ、その……ぱちゅもみんながもりにかえるまでは、いそがしいから……」

 ちぇんが呆けたような表情を浮かべる。それが月明かりにほんのりと照らされぱちゅりーの視界に映し出された。今度はぱち
ゅりーが頬を染める番だ。ぱちゅりーもちぇんの事が好きだった。無事に、森に帰ることができたのならば、ちぇんのプロポー
ズを受け入れて共に静かに暮らしたいと願うほどに。

「じゃあ……もりにかえれたら……?」

「む、むきゅぅ……///」

 二の句を継げないでいるぱちゅりーの仕草をちぇんはプロポーズの肯定と受け取っていた。真夜中だというのに太陽のような
笑顔を浮かべてぱちゅりーに頬をすり寄せる。邪気は無かった。親愛の意味を込めて、ちぇんは優しく、儚く、切なく、ぱちゅ
りーの頬に触れている。ぱちゅりーもまた、それに応えた。

「ぜったい、いっしょにもりにかえろうねー……っ!」

「むきゅ。 とうぜんよ。 それで、みんないっしょにしあわせー!になりましょう」

「やくそくだよっ?」

「やくそくよ」

 夜の冷たい空気が二匹の頬を撫でた。見つめ合う二匹は動かない。それから一呼吸置いて、どちらからともなく笑みを浮かべ
た。
 野良ゆたちの悲願。未だ見ぬ故郷。思い描く夢。その夢が、二度と醒めない魔法をかけるために日々を過ごしてきた。自分た
ちは人間と一緒に暮らすことはできない。それを知ってから長い月日が流れた。人間たちにしてみれば僅かな時間であったかも
知れない。それでも、野良ゆたちにとっては永遠にも等しい時間だったと言える。
 梅雨が近づいているというのに穏やかな天気が続いていた。野生で暮らすゆっくりたちは自然の恩恵を受けながらはしゃいで
いる事だろう。その夜ぱちゅりーは夢を見た。ゆっくりでも夢を見る事があるのだ。見覚えのない景色の中に灰色の床や壁はな
い。緑色の柔らかい草の絨毯の上でのんびりと日向ぼっこをしている。ただ、それだけの夢。
 翌朝。ぱちゅりーは涙を流していた。ぱちゅりーを起こしにきたちぇんとまりさが不安そうに覗きこむ。ぱちゅりーは一瞬だ
け戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐにいつもの沈着冷静な顔に戻った。まりさが散策の準備をするために一度おうちへと
帰っていく。残ったちぇんは無言でぱちゅりーの頬にぺーろぺーろをした。ぱちゅりーが“ありがとう”と呟く。支度を終えた
まりさが廃材置き場の真ん中で待機していた。二匹揃って仮の巣穴から這い出す。少しだけ纏わりつくような湿気があり、気温
よりも体感温度は高く感じた。

「それじゃあ、ゆっくりしゅっぱつするよ」

「むきゅ。 ゆっくりりかいしたわ」

 まりさとちぇんに守られるような形であんよを這わすぱちゅりー。野良として今日まで生きてきたぱちゅりーは守られなけれ
ばならないほどに弱い存在ではない。しかしぱちゅりーは群れのリーダーに当たる。万が一の事が起きてはならない。三匹は物
陰に隠れながらずりずりと移動を続けた。

「そのれいむはゆっくりできているのかしら……?」

「れいむはゆっくりしたゆっくりだとおもうよー……。 でも、ちびちゃんたちをそだてるのがいそがしくて、ゆっくりするじ
かんはあんまりなさそうだねー……」

「むきゅー。 やさしいのね」

 人通りが少ないうちに大きな道路を横切る。体力を温存するためにあんよをずりずりと這わせていたが、ここだけはぴょんぴ
ょんと飛び跳ねなければならない。少しだけ息が乱れたぱちゅりーを休ませた後、再びあんよを堤防へと向ける。まりさもちぇ
んも道筋を正確に記憶しているようだった。ぱちゅりーが何度も二匹にあんよを運ばせたのにはこういう意図があったのだろう。
お世辞にも自分たちは記憶力が良くない。だがさすがに一日置きくらいに同じ場所へと通えばゆっくりと言えども記憶すること
ができるようになる。ゆっくりたちが多少なりとも知恵を身に付けたのは、毎日街で辛い生活を送ってきたからだ。

「や゛べでよ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ッ!!!」

 朝の澄んだ空気を切り裂くかのような悲鳴が上がった。まりさとちぇんが顔を見合わせる。聞き覚えのある声だ。ぱちゅりー
を後方に配置してゆっくりとあんよを進める。三匹とも額に冷や汗が伝っていた。

「い゛ち゛ゃい゛ぃ゛ぃ゛!! お゛ぎゃーじゃあ゛ん゛っ!! だじゅげちぇぇぇ!!!」

 三匹の視界に飛び込んできたのは数人の小学生男子。そして少年の手の中にいる赤ゆたち。れいむが泣きながらアスファルト
に額をこすりつける姿。

「おねがいだよっ! ちびちゃんたちをおろしてあげてねっ!! すごくこわがってるよ!!!」

 哀願するれいむの顔が滑稽に映るのか少年たちは声を上げて笑っている。指で下腹部を圧迫された赤まりさが小さな口からポ
トポトと餡子を吐き始めた。眉を潜める小学生の一人。

「うわっ! 汚ぇ!! なんだコイツ!!!」

 赤まりさがアスファルトに叩きつけられた。その衝撃で小さな体の皮が一瞬で弾け飛び餡子を四方に散らす。もはや形を成さ
ない体で痙攣を起こしている。消え入るような声で「おかあさん……」とつぶやいていたが、しばらくしてピクリとも動かなく
なってしまった。

「もっちょ……ゆ、っく……――――」

「う……うわああぁぁぁぁ!!!!」

 れいむがボロボロと涙をこぼしながら跳ね寄る。崩れた赤まりさの残骸に必死で舌を這わせていた。

「ちびちゃん!! ちびちゃん!! ゆっくりしないでなおってね!! ぺーろぺーろ!!!」

「治るわけねーじゃん!!」

 言い放ちれいむを蹴り上げる少年。宙に舞ったれいむは堤防にぶつかった後、斜面をごろごろと転がり落ちてきた。その様子
がまたツボに入ったのか大笑いをする。

「ゆっくり、ってさ。 案外簡単に潰れるんだなー」

「見ろよあの顔。 ゆっくりのくせに何泣いてるんだよって感じじゃん」

 ぱちゅりーたちがガタガタと震えていた。目の前の人間たちは“白衣の悪魔”ではない。それなのにどうして執拗にれいむ親
子を潰しているのだろうか。違和感はそれだけではなかった。あの笑顔。なぜ、人間たちは笑っているのだろう。それも、あん
なに楽しそうに。顔をぐしゃぐしゃにして大泣きしているれいむとの対比があまりにも異常に感じた。

「おきゃーしゃああああん!!!!」

 掴まれていた赤れいむが手の中から逃れようとあんよを滅茶苦茶に動かしていた。

「くすぐってぇ……けどなんか気持ちわりぃ!!」

 それだけ言って赤れいむの顔を真っ二つに引き千切った。勢いよく口が裂けた瞬間、呻くような短い声と一緒に大量の餡子が
吐き出される。舗装された道路の上にボトボトと餡子が落ちた。赤れいむは口を中心に上下に引き裂かれている。即死だったの
だろう。目玉は裏返り白目を剥いている。その姿を見たれいむが更に大声を上げた。それを面白がってれいむの顔面に蹴りを入
れる。息苦しさに折られた歯と一緒に餡子を吐き出しながらも、子供たちの身を案ずるれいむは本物の母性を持つ母親ゆっくり
の姿だ。しかし、無邪気ゆえに残虐な少年たちの前でその優しさや想いはまるで意味のないものだった。赤ちぇんの尻尾が引き
千切られる。びくびくと痙攣を起こしながら助けを求める赤ちぇんを踏み潰す少年。れいむはもう声を上げる気力さえ残ってい
ないようである。それでも少年たちの“遊び”は終わらない。“遊び”の目的はれいむのリアクションを楽しむ事から、無抵抗
の赤ゆを潰すことにすり変わっていた。

「ありしゅのあにゃるしゃんがぁぁぁ!!!」

 赤ありすのあにゃるに自身の幅の三分の一ほどもあるサインペンが突き刺された。あにゃるを引き裂かれる激痛に身を捩る。
少年はサインペンを摘み、動くことのできない赤ありすの顔面を何度も何度も固いアスファルトに打ち付ける。最初のうちは叫
び声を上げて抵抗を試みていたが、すぐに動かなくなってしまった。既に赤ありすは死んでしまっているのだろう。それによう
やく気付いた少年が壊れた玩具に飽きたかのような表情であにゃるからサインペンを引き抜き、絶命した赤ありすを堤防の向こ
う側に投げ捨てた。赤ぱちゅりーは束ねた髪の毛を全てむしり取られてしまったいる。その禿頭を消しゴムのようにしてアスフ
ァルトにこすりつけられた赤ぱちゅりーは摩擦熱と擦り傷のせいで、中身を大量に吐き出しすぐに死んでしまった。赤みょんは
れいむの足下に勢いよく叩きつけられて爆散した。最後の最後まで「助けて」、「ごめんなさい」と繰り返す叫び声がれいむの
脳裏に纏わりついて離れない。
 ほんの一瞬の出来事だった。ぱちゅりーたちは絶句してその場を動くことができない。さっきまで七匹も目の前にゆっくりが
いたのに、今はれいむ一匹だけだ。恐ろしくて声も出すことができなかった。少年たちがれいむに歩み寄る。れいむは涙を流し
ながら少年たちを睨みつけていた。その顔が癇に障ったのか少年の一人がれいむの揉み上げを片方踏みつけて、その自由を奪っ
た。打ち合わせたかのようにもう一人の少年がれいむを蹴り飛ばす。固定されていた揉み上げは根元から千切れ飛び、れいむは
堤防に作られたコンクリート製の階段に叩きつけられてしまった。うつぶせのような姿でぶるぶる震えている。

「こらぁっ! あんたたち!! さっさと学校に行きなさい!!!!」

「やっべ! 遅刻しちまう!!! おい、もう行こうぜ!!! こいつはまた“帰って来てから蹴って遊ぼう”!!!」

 本当に無邪気な笑い声を上げながら走り去っていく少年たち。ぱちゅりーたちはその後ろ姿を呆然と見ている事しかできなか
ったのだ。
 惨劇が終わりを告げた。辺りが静寂に包まれる。後に残されたのはぐしゃぐしゃになってひしゃげた顔のようなもの。まき散
らされた餡子。被害に遭ったのが赤ゆたちばかりだったせいか飛び散った量は少ないように感じた。しかし、実に七匹分の命が
アスファルトにこびりついている事を思えば一種のおぞましさを感じさせるに十分な量である。同じように散在する髪の毛や飾
り。見ようによっては凄惨な事故現場を連想させるその地獄の中で、母親であったれいむが呆然と立ちつくしていた。そのあん
よの下にぽたぽたと涙が落ちる。

「ちびちゃん……どうして……どうしてぇ……? とてもゆっくりしたいいこたちばっかりだったのに……。 ゆぅ……ゆぐっ、
ひっく……ゆああああん!!!!」

 まりさの目から涙が溢れた。自分たちと同じ目に遭わされたれいむの姿に過去を重ねているのだろう。擦り傷だらけのれいむ
の元にぱちゅりーがそっと近寄る。れいむは自分に近づく気配に恐れ慄き逃げようとしたのか、バランスを崩して後ろ向きに倒
れてしまった。

「ゆあぁ……やめて……やめてよぉ……!!」

 顔面蒼白で「やめて」と繰り返すれいむの瞳は暗く淀んでいた。不自然なまでに流れ出る汗の量も常軌を逸している。ぱちゅ
りーを視界に入れてもれいむの恐慌状態は一向に収まる気配がなかった。

「こ……こないでねっ!! こないでねっ!!! れいむ、なんにもわるいことしてない……してないよぉ!! だからいたい
ことしないでねっ!!! ゆんやあぁぁ!!!」

 駄々をこねる子供のように顔を横に激しく振りながら大粒の涙を流す。そこに先日出会ったときの優しい母親ゆっくりの面影
は微塵も残されていなかった。

「れいむ……」

「こないで、っていってるでしょぉぉぉ??!!!」

 れいむの体当たりがぱちゅりーを捉えた。突き飛ばされてごろごろと転がるぱちゅりー。慌ててまりさとちぇんがぱちゅりー
に駆け寄る。気がつくとれいむはいつの間にか三匹の視界から消えてしまっていた。気温と湿気のせいか三匹もまた大量に嫌な
汗をかいている。ぱちゅりーは少しだけ苦しそうな表情を浮かべていたが、やがてポツリと呟いた。

「……いまはそっとしておいてあげましょう……」

「ゆ……そうだね」

「でも、かならずあのれいむもいっしょにもりへつれてかえりましょう。 ぱちゅはあのれいむのことをほうってはおけないわ」

「わかるよー。 ちぇんもおなじきもちなんだねー」

 三匹は堤防を後にした。いつまでもここに留まってはいけないような気がしていたのだ。ずりずりとあんよを這わせて路地裏
を引き返す。三匹の胸中は様々だった。トラウマを揺さぶられたまりさ。ちぇんはみょんの事を思い出しているのだろう。ぱち
ゅりーは、初めて見た人間の行動パターンの違和感について考えを巡らせていた。
 人間たちの嬉々とした笑顔。ぱちゅりーも白衣の悪魔に仲間が潰されてしまうところを見てしまったことがある。しかし、彼
らはあんな表情を浮かべていなかった。あんなに笑い声を上げながら自分たちを襲いはしていなかった。

(いったい……どうしてなのかしら……?)

 戸惑いを隠せないぱちゅりー。じっとりした空気が紫色の髪に絡まる。急に不安感に煽られたぱちゅりーがあんよを止めた。
遅れて二匹も立ち止まって振り返る。

「どうしたのー?」

 ちぇんがぱちゅりーに声をかけると、我に返ったようにぱちゅりーが笑顔を作って見せた。それが取り繕いの笑顔でしかない
事はまりさもちぇんも、本人も理解している。嫌な予感だけが頭の中をちらついていた。何かが起ころうとしているのだ。しか
し、その何かが何なのかを知る術はない。不安は他者に伝わる。先ほどの惨劇もあってか三匹は言葉を失ってしまった。思考回
路がフリーズしかけているのだ。こうなってしまったゆっくりはしばらくその場を動くことができない。

「……おうちにかえりましょう」

 振り絞るように呟いたぱちゅりーの言葉が二匹の金縛りを解く。それからとぼとぼと廃材置き場まで戻ってきた三匹は誰にも
何も言わずにそれぞれのおうちに戻ってしまった。ありすが心配そうにまりさに何があったのかを尋ねるが、まりさは答えよう
とはしなかった。ありすもそれ以上深く追求しようとはしない。何かあったに違いないのだ。言いたくなければそれでも良かっ
た。
 ぱちゅりーはおうちの中でずっと考えているようだった。心の底から恐れる人間は“白衣の悪魔”だけと言っても良かったの
だ。それ以外の人間であれば、出会ってすぐに逃げ出せばわざわざ追いかけてくるような者はいなかった。しかし、今日の惨劇
を引き起こしたのは“白衣の悪魔”以外の人間である。それが何を意味するか。そう遠くない将来、全ての人間が自分たちを執
拗に排除する日が訪れるのではないのだろうか。それを思うとぱちゅりーは震えが止まらなかった。これまで自分たちが何とか
生き延びてこれたのは、執拗にゆっくりを追い回す人間の絶対数が少なかったからだ。人間の数は凄まじい。あんなにたくさん
の人間が一度に襲ってきたら、どんなに賢いゆっくりでも即座に叩き潰されてしまうだろう。

「むきゅぅ……。 ぱちゅたちのことがきらいなら、そういってくれればいいのに……。 なにもいってくれないから、ぱちゅ
たちもにんげんさんとなかよくするほうほうがすこしもわからないわ……」

 考え続けているうちに眠ってしまったようだ。ちぇんがおうちの中に飛び込んできて自分を叩き起こすまでぱちゅりーは泥の
ように眠り続けていた。慌てるちぇんをジト目で睨みつけながらぱちゅりーが身を起こす。

「れいむが……あのれいむが、“めでぃあさん”のなかにはいってるんだねー!!!」

「……?」

 ちぇんの後を追って飛び跳ねるぱちゅりー。そこにはまりさとありすがいた。二匹とも路地裏の隙間から大きなテレビ画面を
食い入るように見つめている。ぱちゅりーもそこへ視線を向けると、確かにそこにはれいむがいた。朝、会ったときと同じよう
にボロボロの状態である。大画面にアップで移されたれいむが泣きながら、恐ろしい形相で何か叫んでいる。

「ゆ゛があ゛あ゛あ゛ッ!!! ゆ゛っぐり゛でぎな゛い゛にんげんざんはじね゛ぇッ!!! れいむは……に゛んげん゛ざん
なんで、だいっぎら゛い゛だよッ!!! あ゛っぢにいっでね゛!!! すぐでいい゛よ゛ッ!!!!!」

 威嚇をしながら画面いっぱいに広がるれいむの顔。テレビカメラに向けて体当たりをしているのだろう。四匹がガタガタと震
え出す。

「れいむ……そんなことを、にんげんさんにいったら……」

「じね゛ッ!!! じんでじま゛ぇ゛ぇ゛!!! れいむはぜったい゛にゆ゛る゛ざないよっ!!!」

 路地裏の入り口を歩いていた主婦二人がテレビを見ながら会話をしている声が四匹に届いた。

「ゆっくりって怖いのね……」

「あんなのが街の中にいるなんて危なくてしょうがないじゃない。 ゆっくりなんかに子供がケガさせられたら、保健所に頼ん
で一匹残らず殺してもらわなきゃ」

 ありす以外の三匹がうつむいて唇を震わせた。れいむも、子供を殺されたからあんなに怒っているだけなのだ。あんな酷い事
をされても自分たちは怒ることもできないのか。悔しくてたまらなくなって、自然に涙が溢れてくる。ゆっくりにしてみれば、
逆ギレ以外の何物でもない。しかし、それを主張することはできないのだ。人間とゆっくりは決して対等などではない。野良で
生きるぱちゅりーたちはそれを痛いほどに理解していた。

「……にんげんさんは、ゆっくりできないね……」

 翌朝。まりさとちぇんが堤防まで行ってみたがそこにれいむの姿はなかった。どこか遠くに逃げてしまったのだろうか。そう
だと信じたい。二匹は辺りに漂う赤ゆたちの死臭に耐えられなくなり、足早にその場を後にした。ゴミ捨て場に捨てられていた
ボロボロの赤いリボンは目に留まらなかったようだ。




四、

 それからしばらくして、初めて地区単位によるゆっくりの一斉駆除が行われた。早朝、まだ眠っているゆっくりを巣ごと破壊
するのだ。逃げ惑うゆっくりも一匹残らず追いかけて潰した。成体、子ゆ、赤ゆ、種族問わず片っぱしからあらゆる方法で殺さ
れていく。この段階になって他のゆっくりたちもようやく気がついたようだ。自分たちがあまりにも弱い存在であるということ。
徒党を組んで人間の領域に入り込み、それが上手くいっていたゆっくりたちほど意外にも事態の深刻さを深く理解していた。な
ぜなら、人間が徒党を組んだのだ。自分たちよりも遥かに強い人間たちが自分たちを殺すためだけに。

「ごべんな゛ざい゛ぃ゛ぃ゛!!!」

 どれだけ命乞いをしてもそれを聞いて躊躇う人間は少なくなってしまった。ゆっくりを生き物ではなく喋る害獣として淡々と
駆除を行っているように思える。少しずつ人間の意識は変化し始めていたのだ。その引き金を引いたのは他ならぬ自分自身。

「だずげでぐだざい゛い゛ぃ゛ぃ゛!!!」

 黙々と叩き潰す人間たちの横顔はまるで機械のようだった。ゆっくりたちは調子に乗りすぎていたのだ。自分たちを潰せない
のをいいことに好き放題やっていた。それを見た人間たちはついに自らゆっくりに手を下すことを決意したのだ。先日のニュー
スで出た「人間は死ね」と言っていたれいむの影響も強い。迷惑な害獣から、殺すべき敵へとその意識を変えたのだ。殺戮の矛
先は街で暮らす全てのゆっくりに向けられた。

「どおしてこんなことするのぉぉぉぉ??!!!」

「ひどいよぉぉ!! れいむたち、ゆっくりしてただけなのにぃぃぃぃぃ!!!!」

 いつの世も、人々は事象の側面しか見ることができない。街には二種類のゆっくりがいる。人間の領域に集団で侵入し、社会
を荒らし回るゆっくり。人間から隠れ、静かにひっそりと暮らすゆっくり。本当に悪事を働いていたゆっくりも、本当に何も悪
い事をしていないゆっくりも、等しく人間たちに潰される。一部のゆっくりのせいで、全てのゆっくりが命を脅かされる事とな
ったのだ。
 その余波は廃材置き場で暮らすゆっくりたちにまでも及んでいた。とは言っても、このゆっくりたちが暮らす地区はまだ一斉
駆除は行われていない。その代わりに多くの難民と化したゆっくりたちが集まってきたのだ。廃材置き場の周辺にもゆっくりの
姿を多く見かけるようになった。

「むきゅー……。 こまったわ……。 こんなにたくさんゆっくりがあつまっていたら、すぐににんげんにみつかってしまうわ」

 今のところ、人間たちが廃材置き場まで入ってきた事は無い。ここはできるならば視界に入れたくない都会の負の遺産だ。そ
れに加えて決して明るいとは言えないこの路地裏の奥で、ゆっくりたちの反撃に遭うのを恐れているという面もあったのかも知
れない。ここにも、堤防のれいむがニュースで叫んだ言葉が影響を及ぼしていたのだ。ぱちゅりーたちはそれには気づいていな
かったがメディアの及ぼす影響力というものがどれほどのものか、身をもって示していたのである。
 そんなある日のこと。

「皆さん! 今日は都会のゆっくりたちのコミュニティ……。 路地裏の奥にあるという廃材置き場で暮らすゆっくりたちの姿
を見てみようと思います!」

 白昼の路地裏に数人の人間たちがついに廃材置き場へと侵入してきたのだ。入り口付近で暮らしていたゆっくりたちが飛び起
きて奥へと逃げて行く。ニュース番組の取材だった。ぱちゅりーたちは気づかないだろうが、堤防で暮らすれいむをカメラに収
めたのもこのテレビ局である。彼らは都会で暮らすゆっくりたちの特集を組んでいた。なぜか。それは暗にゆっくりがどういう
場所を好んで住みつくかを一般人に周知する意図が組まれている。人間たちはあらゆる手段を使って、ゆっくりたちに対して先
手を打ち始めていたのだ。

「ぱちゅ~~~!! たいへんなんだね~!!!」

 ちぇんとまりさが勢いよくぱちゅりーのおうちに駆けこんできた。ぱちゅりーも外が騒がしいのは気づいていたので、難しい
表情をしている。

「……にんげんさんが、きたのね?」

「そ、そうだよ……っ。 ど、どどど……どうしよう。 みんな、えいえんにゆっくりさせられちゃうよっ!!!」

「……ぱちゅが、にんげんさんとおはなしをしにいってくるわ」

「だ、だめだよーー!! ぜったいゆるさないんだねーーー!!!」

「……どうして? ぱちゅがなにもしなくても……きっと、もう、みんなぶじではすまないはずよ……?」

「みんでいっしょにもりにかえる、っていったよねーーー!!!」

「むきゅ。 いっしょにかえるために、にんげんさんとあってくるのよ」

「わ、わからないよー……」

 ぱちゅりーがのそのそとおうちを出て行った。ぐるりと辺りを見回すと、ゴミの隙間のあちらこちらからゆっくりの不安そう
な顔が覗いている。ぱちゅりーは、ずりずりと廃材置き場の中央へとあんよを進めた。テレビカメラを持った男が廃材置き場の
中をゆっくりと歩いている。リポーターの若い女性もゆっくりたちの住処に興味津々のようだ。

「下手に手を突っ込まないほうがいいですよ。 噛まれるかも知れない」

「そうなんですか?」

「――――あなたたちは、ゆっくりの事を知らなさすぎる」

 黒服に身を包んだ長身の男が静かに言い放つ。リポーターの女性が少しだけ怯えている。

「ぱちゅたちは、そんなことはしないわ」

 テレビ局の人間たちの前に一匹のゆっくりが現れた。カメラをそちらに向ける。不気味なほど静まり返った廃材置き場の真ん
中でぱちゅりーと人間たちが対峙した。
 リポーターの女性がテレビカメラに向き直り喋り出す。

「みなさん! ゆっくりがいました……! 確かぱちゅりー種です」

「むきゅ? ……にんげんさんは、ぱちゅのことをしっているのかしら……?」

「――――カメラを止めろ」

「え?」

 黒服の男がぱちゅりーへ歩み寄った。ぱちゅりーは黒服を見上げたまま動かない。

「お前がこの群れのリーダーなんだな」

「むきゅ。 そのとおりよ。 おにいさんはゆっくりできるひとかしら?」

「――――知らんな」

「おにいさん。 ぱちゅ、ゆっくりおねがいがあるのだけれど、きいてもらえないかしら……?」

「言ってみろ」

「……ぱちゅに、“めでぃあさん”とおはなしをさせてちょうだい。 にんげんさんたちにつたえたいことがあるのよ」

 静かに言葉をつなぐぱちゅりーに、リポーターを含めた局の人間が戸惑いの表情を浮かべていた。いつのまにか、ぱちゅりー
の言葉に耳を貸してしまっている。そして、このゆっくりが人間に何を伝えようとしているのか純粋に興味があった。

「――――局に連れて行け。 取材は終わりだ」

 黒服の無感情な物言いに眉を吊り上げるカメラマン。慌てて他のスタッフがなだめに入る。

「駄目ですよ! “公餡”の言うことは絶対だって言われてるじゃないですか!」

「抱きかかえて連れて行くんですか?」

「好きなように持って行くといい」

「むきゅきゅ。 ぱちゅはわがままはいわないわ。 にんげんさんたちのあとをついていくだけでもかまわないのよ?」

 結局ぱちゅりーは若い男に抱きかかえられてテレビ局の車へと乗り込んで行った。人間の気配が完全に無くなったのを見計ら
い、たくさんのゆっくりたちが広場に集まってくる。どのゆっくりも不安で表情を曇らせている。自分たちの中で最も頭の良い
ぱちゅりーが人間たちに捕まってしまった。少なくとも、ゆっくりたちにはそう見えた。

「ぱちゅりー……」

 ゆっくりたちが呟く。薄曇りの空の下、ゆっくりたちはぱちゅりーが無事に戻ってくることだけを願っていた。眠気も、空腹
も忘れてしまうほどに。
 ちぇんは巣穴の中でずっと泣いていた。大好きなぱちゅりーが人間と共にどこかへ行ってしまったことが不安で仕方がないの
だろう。ちぇんは、一度みょんが人間に連れ去られたところを見ている。その時の光景とダブってしまっているのだろう。涙が
絶え間なく溢れてくる。ぱちゅりーを失うのが怖くて怖くてたまらなかった。
 まりさもありすも、おうちの中で震えていた。人間たちはこの場所を覚えた事だろう。自分たちよりも遥かに記憶力のある人
間たちがこの場所を忘れるはずがない。それは、いつ人間たちがここに現れて自分たちを殺しに来てもおかしくないという事だ
った。また目の前で仲間を失うのが、怖くて、怖くて、たまらなかった。
 日が陰っていく。ゆっくりたちは動かない。皆、ぱちゅりーの帰りをひたすら待っていた。信じてはいたが、数匹のゆっくり
たちはぱちゅりーが既に永遠にゆっくりしてしまったのだと諦めているものもいた。人間たちは恐ろしい。自分たちを平気で殺
す。そんな人間たちに捕まってしまったぱちゅりーが無事で済むわけがないのだ……と。

「むきゅ」

 廃材置き場に聞き慣れた声が響いた。群れのゆっくりたちが一斉に広場へと飛び出す。そこにはぱちゅりーがいた。ゆっくり
たちが歓声を上げる。ちぇんも恐る恐るぱちゅりーの元へと近寄って行った。

「どうしたのかしら?」

「ぱちゅ……? ぱちゅなんだよね?」

「むきゅきゅ。 そうよ」

「よかったよーーー!!! ゆわーん、ゆわーん!!!」

 ぱちゅりーに頬をすり寄せながら泣き叫ぶちぇん。それを見て周りのゆっくりたちも一安心と言った様子だ。余談ではあるが、
ちぇんがぱちゅりーの事を好きだということを知らないゆっくりは一匹もいなかった。だから、ぱちゅりーの無事と嬉しそうに
涙を流すちぇんの顔を見て、ホッとしたのだろう。ずりずりとあんよを這わせておうちの中へと戻っていく。いつのまにか、ま
りさとありすも二匹の元へとやってきていた。

「むきゅ。 みんなで“めでぃあさん”のところへいきましょう」

「どうして?」

「ぱちゅは、“めでぃあさん”とあって、おはなしをさせてもらったのよ。 “めでぃあさん”はぱちゅたちのきもちをにんげ
んさんにつたえてくれるとやくそくをしてくれたわ」

「そ、それじゃあ……っ!!」

「むきゅ。 みんなでいっしょにもりへかえりましょう!!」

「ゆ、ゆっくり~~~~~~!!!!」

 “ゆっくり”。この言葉を使ったのは久しぶりだった。いよいよ森へと帰る時が来たのだ。ぱちゅりーの話によれば、人間た
ちは思った以上に自分の言葉を真剣に聞いてくれたらしい。人間たちが自分たちの事が嫌いなら仕方がない。だから、自分たち
で森へ帰る。その言葉に対して異論を唱える者はいなかったと言う。その想いを他のたくさんの人間たちに必ず伝えると約束し
てくれた。そして、ぱちゅりーは少しも酷い目に遭わされずにここへ帰してもらった。

「やさしいにんげんさんもいるんだねー……」

「むきゅ。 そうよ。 ぱちゅたちも、にんげんさんも、おなじなのよ」

「どういうことなの?」

「やさしいゆっくりもいれば、わるいことをしてしまうゆっくりもいる。 ……ぱちゅたちも、にんげんさんはみんな、こわく
てゆっくりできない、っておもいこんでいたのかもしれないわね……」

「いつか……にんげんさんとなかよくなれるひがくるかな……??」

「すぐにはむりかもしれないけれど……。 いつかきっと、にんげんさんたちもゆっくりのことをすきになってくれるひがくる
とおもうわ。 ……ぱちゅは、そう、しんじていたい」

 自分たちが生きている間は無理かも知れない。でも、自分たちの子供の子供の……そのまた子供たちなら、仲良く人間と一緒
にゆっくりと過ごす日が来るかも知れない。そんな夢のような光景を瞼の裏に思い浮かべながら、四匹は路地裏の入り口へとあ
んよを跳ねさせた。軽やかなジャンプは心の奥で閉ざされていた扉が解放されたことによるものだろう。まだ見ぬ森に想いを馳
せると自然に涙が溢れてくる。泣くのは早いと分かっていても、溢れてくるのだ。ぱちゅりーはそれだけでなく、新しい希望を
自分たちに見せてくれた。遠い未来、人間とゆっくりが仲良く暮らす優しい世界。飼いゆっくりとして飼い主と一緒に過ごした
時間の記憶は消えてしまったわけではない。ゆっくりたちの多くは、なぜ自分たちが捨てられたか理解していないものが多かっ
た。だから、本心では仲直りを望んでいるゆっくりたちも少なくはない。

 だが。現実はそんな夢を簡単に打ち砕いた。

「どういうこと……なの?」

「わからない……わからないよー……」

「ぱちゅ、りー……?」

「そ、そんな…………。 そんな……っ!!!」

 大画面の中で人間と話をするぱちゅりー。“メディアさん”の中のぱちゅりーは、静かな声でテレビの前に集まっていた人間
たちに語りかけていた。

「にんげんさんはゆっくりできないげすばかりだわ。 ひっしにいきているぱちゅりーたちをゆっくりさせてくれないなんてあ
んまりよ。 ぱちゅりーは、けんじゃだから……ばかなにんげんさんとはちがうのよ? やさしいぱちゅりーたちをおこらせた
らどうなるか……ゆっくりとおしえてあげるわ」

「具体的にはどうするんですか?」

「きまっているでしょう……? にんげんさんたちがぱちゅりーたちをころしにくるんだから、ぱちゅりーたちもにんげんさん
たちをころしにいくわ」

「殺す……? ゆっくりが、人間を……?」

「そうよ。 ぱちゅりーたちはもうがまんのげんっかいっ!だわ。 にんげんさんたちはぱちゅりーたちのことがきらいでしょ
う……? ぱちゅりーたちも、にんげんさんたちのことが……だいきらいだわ」

 そのニュースに釘付けになっているのは、ぱちゅりーたちだけではない。そこに集まる人間たちも食い入るようにテレビを見
つめていた。

「むきゃきゃ!! かくごしてちょうだいっ!!! ぱちゅりーたちをゆっくりさせないげすなにんげんさんは……っ!! み
んなでせいっさいっ!してやるわ!!!!!」

 ガタガタと震えるぱちゅりーを三匹が見つめる。ぱちゅりーは口をパクパクと動かしていた。三匹はぱちゅりーを廃材置き場
へと移動させる。それでも震えが収まらないぱちゅりーに三匹が静かに頬をすり寄せた。ようやく落ち着きを取り戻したのか、
ぱちゅりーが消え入るような声で呟く。

「……いってない……。 あんなこと、ぱちゅはひとことも……いってないわ……っ」

「で、でも……」

 “メディアさん”の中にいたのは間違いなくぱちゅりーだった。疑いの念を持つのは当然のことである。ちぇんがまりさの前
に立ちはだかった。

「まりさ! ゆっくりしてよー! ぱちゅが、あんなことをいうわけがないんだねー!!!」

「おねがいよ……しんじてちょうだい……。 しんじて……っ!!」

 泣きながら訴えるぱちゅりーの姿を見る限り、嘘をついているようには見えない。まりさがぱちゅりーに謝った。ありすもそ
れに続く。しかし、何故こんなことになってしまったのだろうか。人間を制裁するなどと言ったら、どれほど人間たちが怒るか
分からない。
 まだニュースは続いていた。それは告知である。明日、保健所による大規模なゆっくりの一斉駆除を行うとの通達。一般市民
によるボランティア活動も積極的に促されていた。明日は休日である。テレビで流れた“ぱちゅりー”の言葉が数多の引き金を
引いた。保健所には駆除活動のボランティア参加表明の電話が殺到していたのである。街の人間たちが一つになった。全ては、
街で暮らす野良ゆっくりを一匹残らず殲滅するために。
 一方で、少しだけ落ち着いたぱちゅりーは群れのゆっくりたちを広場に集めて宣言した。

「むきゅ!! みんな、ゆっくりきいてちょうだいっ!!!」

 静まり返る一同。

「いまから、みんなでもりにむかってかえりましょう!!!」

 突然の計画実行に戸惑いを隠せないゆっくりたち。ぱちゅりーは仲間のゆっくりたちが納得するまで懇々と説得を続けた。人
間たちが本気で自分たちを殺しにやってくるかも知れない事。ここに固まっていれば皆一緒に捕まって永遠にゆっくりさせられ
てしまうかも知れない事。群れのゆっくりたちはようやく重い腰を上げた。

「ゆゆっ! ゆっくりすすむよ! そろーり! そろーり!!」

「もりにかえるまえにごはんさんをむーしゃむーしゃしようね!!!」

「ゆっくち! ゆっくち!!」

「かわいくってごめんねっ!!!」

 若いゆっくりはぴょんぴょんと廃材置き場を飛び出して行った。家族連れのゆっくりは赤ゆに合わせて移動をしている。動き
はバラバラだった。こればかりはぱちゅりーたちではどうすることもできない。ぱちゅりーが苦々しい顔で空を見上げた。今日
は星空が見えず、月に傘がかかっていた。

「……むきゅっ! ぱちゅたちもいきましょう!!」

「ゆっくりりかいしたよ!!」

「わかったんだねー!!」

「みんなでもりにかえりましょう!!!」

 最後尾をぱちゅりーたちが進む。

 午後十時三十七分。夜の街の中、ゆっくりたちが大移動を始めた。決死の脱出劇の始まりである。





 会議室に三人の男たちが集まっていた。保健所の所長。テレビ局のプロデューサー。黒服の男。

「――――どうですか。 これなら、街中の野良ゆを一斉に駆除することができるでしょう」

「……そうだな。 ……感謝はしている」

「むきゅ。 だからはじめからぱちゅりーたちにたのんでいればよかったのよ」

 床に一匹のぱちゅりー種がいた。ナイトキャップに金色のバッジがつけられている。プロデューサーが黒服に質問をした。

「このぱちゅりーに付いているバッジは一体なんなんですか?」

「公餡に所属するゆっくりの証ですよ」

「これだけで分かるもんですかねぇ……」

「そのバッジには発信器と識別番号が振ってあります。 まぁ、私たち公餡の人間が自分たちの組織に所属するゆっくりと他の
ゆっくりを見間違えるなどあり得ない話なので必要はないのですが」

「むきゅ。 さっきからしつれいよ。 ぱちゅりーたちのおかげで、“くじょ”のじゅんびがととのったくせに!」

 喚く金バッジのぱちゅりーが気に入らないのか所長が悪態をついた。

「多額の依頼金を出してお前みたいな若造しか寄越さないとはな……っ!!」

「――――すみませんね。 今はちょっと九州支部の尻ぬぐいで有能な連中が出払ってまして」

 野良ゆ対策に追われて疲弊し切った保健所は公餡・関東支部に助力を申し出た。それで派遣されたのがこの黒服の男である。
男はあっと言う間に一般市民を使った野良ゆ包囲網を作り上げた。全ては明日の一斉駆除のためだけに焦点を合わせて。野良ゆ
の特集は全て公餡によって仕組まれたものだった。人々はゆっくりを自分たちに近しい何かと勘違いしている。ならば、ゆっく
りの負の面だけにスポットを当て、報道を繰り返すことで「ゆっくりはどうしようもない害獣」という世論を作り上げたのだ。

「あの野良ぱちゅりーにも、発信器を仕掛けてあります。 あの群れだけは街から出してはいけません」

「何故だ?」

「人間と関わった熊が、人間を襲う人食い熊になるという話はご存じでしょう?」

「ははは。 ゆっくりが人間を襲うようになるか! 傑作だな」

「……まぁ、街で得た人間の知識を野生の群れに持ち帰られるのはよろしくない。 あの野良ぱちゅりーの目的は街を出る事だ
と言ってましたね?」

「そうだが……?」

「……ゆっくりが道具を使うようになったのも、徒党を組んで悪さをするようになったのも、全て人間から得た知識です。 そ
れを野生に伝えたらどうなるか……」

 一呼吸置いて、続ける。

「森で暮らすゆっくりの大群が徒党を組んで、街を襲撃しにくる……なんてことも考えられますよ」

 腹を抱えて笑う所長とプロデューサーを金バッジぱちゅりーが睨みつける。黒服の男はクスリと笑った。

「……既に農村部でゆっくりによる畑荒らしの被害に遭っている農家もいるというのに、呑気な連中だ……」

 聞こえないように、そう、呟いた。






つづく
最終更新:2010年10月13日 11:13
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