そのゆっくりプレイスは少々特殊な構造をしていた。
砂を敷きつめたドーム状の空間に、三十匹以上のゆっくりが住んでいる。
壁はむき出しの岩盤で、その高みの一角にはアーチ状の穴がうがたれている。
その穴からはかたむきの鋭い坂が砂の床にむかって降ろされていて、外界へと通じる架け橋となっていた。
半地下構造のゆっくりプレイスであった。
光源は高みに浮かんだ弓なりの穴しかない。
そのため、昼間であってもドームはいつも薄暗闇に支配されていた。
しかし、光がなくとも熱は外から流れこんできて、空に太陽が浮かんでいるときは――
内部にとどまっているかぎり太陽などはおがめないが――ドームは耐えがたい灼熱におおわれる。
床はひとしく熱砂となり、跳ねまわることすらままならない。
夜のとばりがおりるとともに、まったくの暗がりが降臨する。
それとともにドームからは急速に暖気が抜かれ、ゆっくりは身を切る寒さに抱かれた。
昼夜を問わず変わらないものもある。
においだ。
苔生す岩盤からは、つねに水がしみだしている。ゆっくりは岩肌をなめて水分を摂取する。
水気は蒸気となり、湿度があがる。この湿気が落ちつかない臭気をうむ。
ドームの一隅に掘られたくぼみには糞尿がたまっている。
これも汚臭をまきちらす。
むろん処理はおこなわれているが、三日に一度の頻度でしかない。その処理方法とは、
群れのおとなたちが口にくわえてドームから運びだすという直接的なものだ。三十匹以上のゆっくりが住んでいれば、
くぼみに汚物が一切ない時間帯など、まばたきする間もないくらいにみじかかった。
洞窟に息づく暴君は、汚臭や腐臭、湿気、薄暗がりだけではなかった。
むせび泣き、すすり泣き、身も世もない号泣、哀訴、空腹にたえかねた赤ゆの嗚咽、
絶望をわめきたてる絶叫、鬱々としたぼやき、
ひたすらに岩肌からしみでる臭い水をなめるぴちゃぴちゃとした音響、
体力の消耗をふせぐため砂のうえに横になってぴくりとも動かないゆっくりれいむの吐息、
食料の奪いあいをする子供たちの怒声や罵声などが、いつも洞窟に満ちている。
どのような棲家であろうとも、食べものがなくては生きてゆけない。
群れの大人は毎日外に狩りにゆく。かれらが生命線をにぎっている。狩りの戦果が群れの死活を左右する。
狩猟組のおとなたちが帰還すると、とりわけ赤ゆたちが大喜びでかれらを迎える。
食べものにありつけるということもさることながら、赤ゆの喜悦の原因はべつのところにあった。
おとなたちの語る「お外」の話だ。
物語の内容はさまざまだった。
動物の歯牙をくぐりぬけて食料を勝ちとるまでの血沸き肉踊る冒険譚。
刻一刻と変化を重ねてとどまるところを知らない大森林の美貌。満点の星
空や血に濡れたような紅い月、時間と季節により七色に変じる耽美な湖など森羅万象のおりなす神秘。
狩猟組がこれらの話をするとき、ゆっくりたちは固唾をのんで聞きいる。
腹をかかえて大笑いする。涙をこぼしたり、恐怖にふるえたり、奇跡の光景を想像しては恍惚としたりする。
お話のあいだだけ、ゆっくりプレイスには、ゆっくりとした空気が流れた。
「おそと」
と、ゆっくりは外界をこう呼んでいる。この単語が口にのぼるとき、かならず憧れに濡
れている。
「おそと」に出たい。「おそと」を見てみたい。
狩猟担当者ではないゆっくりからそんな希望が出されるのも、むりはない。
ところが、この希望は一度たりともかなえられたことがなかった。
お外は、あぶない。だからおとなになってから。
それが、群れの大人たちの言いぶんだった。
赤ゆや子供ゆっくりなどは、不承不承、この措置をのむしかなかった。
理由のひとつには坂があった。内と外とをつなぐ急勾配の坂は、赤ゆなどでは登り切れたものではなかった。
おとなになりきれていない子供たちは、坂の上にうがたれたアーチ状の門を、
うらやましい目つきで、あるいは恨みがましい目つきで、日々これを見あげるしかなかった。
れいむは大人に差しかかっていた。
このれいむもまた、ほかのゆっくりとおなじく、赤ゆのころから「おそと」の美しさを聞かされ、アーチの門をあおぎながら育ったゆっくりだ。
外界への憧憬の念はすこぶる強い。
とうぜんのように狩猟組への参加を心待ちにした。
ところが、そろそろ狩猟組に加わるかというころあいになって問題が発生した。
成体ゆっくりは狩猟組と留守組にわかれる。
狩猟中、洞窟に子供たちだけを残していくわけにもいかない。
よって残留すべき成体が必要となる。
それが、留守組だ。
留守組はぜったいに狩猟には参加できない。
交代制などという概念もない。
いちど決まったら狩猟組は死ぬまで狩猟組であり留守組もまたしかりである。
ところで、れいむと同じような年齢のゆっくりに、ぱちゅりーがいた。
ふたりともほぼ同時に大人になるということで、
狩猟組と留守組に一人ずつわりふることになったのだが、どちらをどちらにあてるかは決まらなかった。
ぱちゅりーもまた狩猟組への参加を望んでいたからである。
しかしれいむには勝算があった。
ぱちゅりーは脆弱だった。一方で知恵があり機転もきき、子供うけもよかった。どう見ても留守組の素質があった。
ひるがえってれいむは運動能力の評価がたかかった。
適材適所の観点から、れいむに狩りをさせてぱちゅりーに子守りを任せるのが妥当だ。
だが、狩猟組の大人たちは判断を迷っっていた。
議論の末に、長のまりさは狩猟組にぱちゅりーを指名した。
れいむはその判断を不服としてさかんに不満を述べたてたが決断はくつがえらなかった。
それでも妥協はえられた。
れいむとぱちゅりーが正式に群れの大人に参加するまでには、いささかの猶予があった。
そのあいだに狩猟組に欠員がでれば、れいむを狩り手を補充するというものだった。
しかし狩猟組のゆっくりはみな若々しく、自然死の望みはきわめてうすかった。
長のまりさの決定がなされた翌日、ぱちゅりーは死体になって発見された。
犯行は夜中。洞窟から光が一掃される時間帯である。よって音が手がかりとなった。
しかし言い争いの声はだれからも聞かれなかった。
いやおうなく計画性がただよってくる。
だが、長のまりさの一声により、捜査はうちきられることになった。
ぱちゅりーの穴を埋めるべく、約束どおり狩猟組にはれいむがあてがわれた。
長のまりさはれいむの狩猟組参加をあきらかに不満がっていた。
新参者はじぶんの狩人としての有能性を主張した。
族長は静かに首を横にふり、
「……そういうことじゃないんだぜ」
とだけ、いった。
その真意はわからなかった。
ついにその時がきた。
待ちに待った狩猟初日である。
れいむは狩猟組十二匹の先輩たちのあとにつづいてドームを出た。
急な坂をのぼり、アーチ状の門をくぐる。外へと繋がる長い回廊を歩くとき、はやる気持ちを必死でおさえた。
やがて白い光の満ちる穴が見えてきた。
そこで長のまりさが狩猟組を止めて、れいむに呼びかけた。
れいむはおあずけを食らって苛立ったが、慇懃に返事をした。
「れいむ。ふたつだけいっておくのぜ。まず、なにがあっても おどろかないこと」
たやすい命令だった。はじめての外界だ、どうせ驚くに決まっている。
「つぎに。まりさたちのすることを まねること」
これもたやすかった。
れいむの想像世界では、暴力の渦巻く大森林で縦横無尽に狩猟する自分の姿があった。
狩りでは遅れはとらない。長のまりさは目を細くしてれいむを見やってから、背中をむけ、光の入りぐちに歩いていった。
大人たちがあとにつづく。
れいむは最後尾をあるいていた。
ひとつまたひとつと、オトナたちが白色光のなかに吸いこまれていく。
嗚呼、あのさきに、待ち焦がれていた「おそと」が待っている。
冷たい川の水をふんだんに飲みほそう。あまあまをたっぷりと食べて、
小鳥たちのさえずりを聞きながら静かな昼寝をたのしもう。もちろん狩りは手をぬかない。
たくさんのごちそうをもちかえろう。そしておちびちゃんたちにお話してあげるのだ。
英雄となろう。
暗い洞穴の太陽となろう。
爆発しそうな喜悦を抱擁しながら、れいむは光にのまれた。
外には、沙漠があった。
砂礫の大地が地平線のかなたまで続いている。風化した岩石がまったいらな砂の地面に生えている。
緑といえば痩せた樹木がぽつりぽつりと植わっているだけだ。ときおり風が吹いて枯れ草がころがった。
空をあおげば無機質な青ばかりが広がっていた。
川のせせらぎ、さんざめく木々、静謐な水をたたえる湖、小鳥のさえずり、そんなものはどこにもなかった。
おそるおそる振りかえった。
巨岩があった。
風化のいちじるしい奇岩が、ゆっくりプレイスの屋根だった。
大岩のうえには一本の大樹がそびえている。
歪曲した樹幹をもつ大木は青空にその翼を広げていて、沙漠のただなかにありながら、葉の緑は嘘のようにはげしかった。
仲間をみた。
驚いている仲間はただの一人もいなかった。
みな冷たい瞳で灼熱の砂漠を見つめている。
十二匹の狩猟組は長のまりさを先頭にして、巨岩の後ろにまわった。
そこには人間の集落が築かれていた。集落の手前にはアスファルトの道路が沙漠を両断していた。
道路の果ては見えなかった。
狩人たちは集落の一軒にむかい、呼びかけた。
扉が悲鳴をあげた。人間が出てきた。
人間は十二匹のゆっくりを無表情でにらみさげた。
「また……てめえらか」
底冷えのする声だった。
はじめてみる人間の大きさに、新参者はうちのめされた。
その人間の足もとに長まりさがひざまずいた。
まわりのゆっくりも、それにならった。
いきなりの出来事にれいむは即応できず、その場で立ちつくしてしまった。
長のまりさは額を地面にこすりつけて哀願をはじめていた。
「……お、おねがいでずっ、たべものを、だべものをぐだざいっ!
みんな おながずいでるんでず、だべるものがないんでずっ!
おぢびぢゃんだちも、でいぶも、ばぢゅりーも、ありずも、みんな、おながずいで ないでるんでずっ!
だがら……なんでも いいでずっ、だべものを わげで ぐだざいっ!
おねがいじまずっ!
ぎだない ものでも がまいまぜんっ!
ぐざい ものでも がまいまぜんっ!
ぐざっだものでも まずいものでも なんでも いいんでずっ!
だべものを もらっだら ずぐに ででいぎまずっ!
にんげんざんには めーわぐ がげまぜんっ、おねがいじまずっ!
どうが、どうが、だべものを わげでぐだざい、なんでも、なんでも いいんでずぅっ!」
長のまりさだけではなかった。
屈強な十二匹が人間のあしもとにひれ伏して泣きながら物乞いをしている。
れいむの眼下には、狩人たちの砂にまみれた尻がならんでいた。
それらを砂にたたきつけ、あるいは左右にふりまわし、いくつかは糞尿をたれながしていた。
恥も外聞もなく食べものをもとめる後ろ姿は、情けないを通りこして哀れでさえあった。
「……一匹だけ、ぼけっとしている奴がいるぞ。お前らの一番後ろだ」
れいむのことだった。
人間の指摘を受け、狩猟組がしずまりかえる。やにわに起きあがりれいむを包囲した。
二十四個の瞳は血走っていた。
長のまりさがさっさと人間さんにひざまずけと叫んだのを皮切りにして、大人たちが血
相をかえて怒鳴り散らしはじめた。さっさとやれ、人間さんに食べものを乞え、奴隷にな
れとがなりたてる。
ひどく現実感のとぼしい光景だった。
れいむはゆっくりと額を砂につけて、食べものがほしいとわめきだした。
狩人たちも哀願を再開した。
「……ほらよ」
やがて人間のぶっきらぼうな声とともに、なにかが落ちる音がして、直後、乱暴に扉が閉められた。
砂礫の地面に、生ごみがぶちまけられていた。
汚臭のする魚の肉、変色した腐肉、卵の殻、野菜のへた、腐臭のこびりついた炭水化物の塊などが散乱している。
それはまぎれもなく、れいむがゆっくりプレイスで食べていたたぐいのものだった。
ゆっくりたちは大急ぎでこれらを帽子に積みこんだ。れいむも手伝わされた。凄まじい腐臭がした。
食べものを回収すると、逃げるよう人間の集落を後にして、巨岩のなかに消えた。
群れのところに戻る直前、長のまりさがれいむを引きとめた。
ほかの狩人には先に戻れと命令する。
「れいむ。はじめに ぱちゅりーを えらんだ りゆうを はなすのぜ」
「ゆ、ゆぅ?」
まだ、れいむの頭には衝撃が残っていた。
胡乱な頭で話を聞いた。
「ぱちゅりーは あたまが いいのぜ」
それはれいむも認めるところだ。
「だから うそが つけるのぜ」
「うそ?」
「そとには みずさんがあって もりさんがあって……。そんな うそを つけるのぜ」
まりさは冷ややかな口調でつづけた。
「おちびちゃんたちは きっと れいむのはなしを ききたがるのぜ」
いままでがそうだった。
子供たちは初陣を飾ったゆっくりたちの新鮮な驚きをききたがる。
れいむもまた、かつてはそうだった。
「ちゃんと『おそと』のことをはなすのぜ……。ぱちゅりーごろしで せいさい されたくなかったら、いうことを きくのぜ」
「……」
まりさの金髪が暗い洞窟に消えてゆく。
長のまりさの言うとおりだった。
赤ゆや仔ゆっくりたちはれいむの帰還を見るや、さきをあらそって群がってきた。
輝かしい目でれいむを見上げる。
れいむの感動を共有しようと、いまかいまかと物語を待ちわびている。
れいむは目もとに涙を、口もとに微笑をうかべながら、ゆっくりと、言葉をつむいだ。
「おちびちゃんたち。『おそと』にはね……」
(終わり)
最終更新:2010年10月13日 11:41