anko1691 でいぶがくるよ01

―1―
 木の根本に開いた穴は、元々は野ウサギの巣であった。
 それを多少の拡張と補強を施して利用しているのは、最近つがいになったばかりの二匹のゆっくり
だった。
 野ウサギの巣には、ゆっくり自身が掘ったものとは比較にならないほどの奥行きがある。そのため、
奥の方で大声で騒いだところで出入り口から聞こえるのは、ほんの僅かな不明瞭な声。
 そんな微かな声でも会話の雰囲気を掴むことが出来る。
 大きな怒声と小さな悲鳴。
 それはどう聞いても険悪な雰囲気であった。

「むきゅ……。上手くいってないのかしらね、あのふたり……」

 おうちの奥から聞こえてきた声に何の気無しに耳を澄ませていた通りすがりのぱちゅりーは、溜息
を一つ吐いてその場を後にした。
 一方その頃、おうちの奥ではぱちゅりーが懸念した通りの夫婦喧嘩が展開されていた。
 もっとも、それはかなり一方的な展開であった。

「これはいったい何なの、まりさっ!」
「ゆひぃっ!? そ、そんなこわいおかおでどならないでね……」
「まりさがれいむをおこらせるようなことするからでしょっ!! これは! いったい! 何なのっ
て! 聞いてるんだよぉっ!!」
「ゆ、ゆわぁっ!?」

 野生動物が作り上げた頑丈な巣穴が、れいむがあんよを踏み鳴らす度にパラパラと砂埃を落とす。
 れいむの体躯は、一般サイズのゆっくりであるまりさより一回りか二回りほど大きい。さらにまり
さは気迫負けして縮こまっているので殊更大きく見える。当のまりさの視点ともなると、れいむの姿
はドスをも超える巨体に映っていた。
 そんなれいむが物凄い形相で見下ろしている。
 荒い呼気が頬を撫でた時点でまりさの恐怖は臨界を超えて、チョロチョロと水音と共に下から溢れ
出した。れいむの地団駄が続いていなければ、その音と振動が絶えずまりさを揺さぶっていなければ
とっくに気を失っていた事だろう。
 気絶できれば少しはゆっくり出来たかも知れない。
 しかし現実に逃避が出来ない以上、まりさは大人しく応えるしかなかった。

「それ……それは、ごはんさん……だよ?」

 まりさとれいむの丁度中間にこんもりと草が積んである。まりさが集めて持って帰ったお帽子一杯
に詰め込んできたそれが、れいむの火種となっていた。
 狩りと称する野草の採取から帰り、笑顔で収穫をひけらかしたところで何故だかれいむの怒りが爆
発してしまったのである。折角ごはんをあつめてきたというのに何故れいむが怒っているのか、まり
さには解らない。
 解らないから鍔広の帽子の陰からこそこそとれいむの顔色を伺いながら、なるべく刺激しないよう
に小さな声で返答する。
 そんなまりさの顔に、れいむの蹴り飛ばした草が浴びせられた。
 更に罵声まで飛んできた。

「ごはんさんは柔らかくって、にがにがの少ない草さんを集めてきてねって言ったでしょうがぁっ!
 どぉしてこんなに堅い草さんばっかり集めてくるのっ!」
「ゆひっ!? しらないよっ!? まりさそんなことしらないよっ!?」
「まりさがれいむのお話を聞いてないだけでしょぉっ!!」
「ゆぎゃんっ!」

 聞き覚えのないことは知らないとしか言いようがない。涙を流しての訴えは、しかし軽い体当たり
によって却下された。
 れいむとまりさの体格差からすれば相当加減された体当たりだったが、痛みに弱く挫け易いゆっく
りからすれば耐え難い激痛に感じられた。まりさは瞬く間に目に涙を溜めて大泣きの準備に入った。

「ゆびぇ……え?」
「――まりさ、ゆっくり泣いてるひまがあるなら」

 そんなまりさの目前――それこそ目と目が触れ合いそうなくらい近くに、無表情に目を見開いたれ
いむの貌があった。
 ゆっくりにあるまじき迫力に涙も声も引っ込んでしまったまりさにできたのは、かみ合わない歯を
ガチガチと鳴らしながら静かにれいむの言葉を聞くことだけだった。
 そんなまりさの様子に満足したのか、れいむの黒目がついっと動いて出入り口を見やった。

「ゆっくりしないでごはんさんを集めてきてね? 柔らかくって、にがにがさんじゃない草さんで良
いんだよ? たくさんでいいよ? 今度こそ、わかった?」
「ゆ、ゆっ、ゆひぃっ!? わかりましたぁっ! まりさはかりにいくよぉおおおおお……っ!!」

 無言で語られた『さっさと行け!』のアイコンタクトに従い、まりさはゆっくりらしからぬ勢いで
巣穴を飛び出していった。
 外の風に当たったまりさは不意に思う。
 どうしてこうなったのだろうか、と。
 だが何はさておき、れいむの機嫌を治すために美味しい食べ物をかき集めなければならない。
 あまあまな空気に満ちたから恋人時代から、まったく以てゆっくりできないものへと激変した新婚
生活に涙しながら、まりさは跳ねた。

―2―
 一週間前までは、まりさは幸せの絶頂期にあった。
 両親によって何不自由なく育てられたまりさは、狩りの練習に出かけた先でれいむと出会った。お
うちの奥で大事に大事に育てられてきた一人っ仔のまりさにとって、それは同世代のゆっくりとの初
めての出会い。
 れいむはとてもゆっくりした、美しいゆっくりだった。髪の艶、肌の張り、飾りの鮮やかさ、どれ
をとってもその後出会ったどのゆっくりより抜きんでいた。
 一目で惚れ込んだまりさは即座にれいむにプロポーズをするのだが、その時は一言で断られた。『れ
いむはまりさのことを知らないから』というのがその理由。
 それでもまりさは諦めず、懸命に自分をアピールし続けた。
 甘やかされてきただけに狩りの要領こそ悪いまりさだったが、頻繁に出会い、話し、そして運良く
見つけたこのおうちと、がんばって集めた食料の備蓄を見せたことで、漸くれいむはまりさを受け入
れてくれた。この時、まりさの両親の尽力があったことは、れいむには秘密である。
 おうちを構えて伴侶を得、順風満帆に滑り出したまりさの新生活。これからおちびちゃんを沢山作
り、れいむと一緒に賑やかで幸せな家庭を築く。そんなまりさの薔薇色の将来設計は、一晩明けたと
きには崩れ去っていた。
 とても優しかったれいむの豹変。
 まりさが一生懸命集めてきたごはんに、「堅い」「苦い」とケチを付ける。何とかして柔らかくて
口当たりの良いご馳走をかき集めてもまりさの口には入らない。
 肌をすり合わせて一緒に眠ろうとしても、おうちの一番奥にある一番広い部屋からつまみ出される。
寄り添って眠った記憶は、正式につがいとなる前のひなたぼっこにまで戻らないと見あたらなかった。
 抗議の声を上げたこともある。しかし、かつての優しかったれいむからは想像もつかないほどの迫
力で以て打ちのめされた。それ以降、まりさはただ従順にれいむに従っている。
 日が昇ってから青空に朱色が混じる頃まで、ただひたすらにごはんを集めることで過ぎていく。そ
して独りっきりで眠る夜。
 まりさの一日にはゆっくりできる時がなかった。
 こんなにゆっくりできない生活がしたいわけではなかった。
 群一番のゆっくりしたお嫁さんをもらい、たくさんの子供をつくり、幸せな家庭を自らの手で築き
上げることで親の庇護の下で暮らしていた日々よりも、たくさんたくさんゆっくりする。
 そんな夢を見てれいむにプロポーズしたはずなのに、現実には夢の欠片さえ視ることができないで
いた。
 
「……ゆっくりしたいよ……」

 美味しそうに見える草をむしり採りながらまりさは溜息をもらす。
 そこはおうちから少し離れた所にある、背の高い草が生い茂る小さな広場。群の居住地からは少し
離れたところに住み着いているだけに、ここはまりさの狩り場として独り占めできていた。
 だから狩り自体に大した労力は必要ない。
 ぶちぶち草をむしりながら悩むだけの余裕が持てる。ぶちぶちと草を抜きながらぶつぶつと愚痴を
漏らす。

「なんでれいむはまりさをゆっくりさせてくれないんだろ……? いっしょにゆっくりしようねっ!
 て、いっしょにいったのになぁ……」

 引き抜いた草がある程度の山と成ったところで帽子を下ろし、収穫を詰め込んでゆく。
 詰めてみると容量に少し余裕があったので、もう少し草むしりに勤しむことにした。自然と愚痴も
続く。
 まりさの中で「何故」と「どうして」が空回りしていた。
 しかしながら、ぼんやりとしたまりさの疑問を、ぼんやりとしたまりさの頭で解決することなどで
きはしない。
 
「ゆっ、まりさじゃない! おひさしぶり、ゆっくりしていってね!」
「ゆ……? ありす……?」

 底なし沼に踏み込んだ者を助けるには、他者の助けが必要なのだから。 

―3―
 ごはんを求めてこの草むらまで遠出してきたありすは、幸いまりさの幼なじみだった。
既知の仲と言うこともあって、暗い顔をしていたまりさから遠慮なく悩みを聞き出したありすは、
その話の内容に怒りの余り憤然とここには居ないれいむをなじる。

「なんてひどいのれいむ……っ! いいえ、そんなれいむなんて、もうでいぶよ、でいぶっ! せっ
かくありすがまりさからみをひいたっていうのに……っ。ゆっ、いえそれはともかく、ふたりでいっ
しょにゆっくりすることもできないだなんて、とんだいなかものだったようねっ!!」
「あ、ありす、おちついてね……?」

 その剣幕には暗い顔で相談したまりさも若干引き気味である。怯えて引きつった表情のまりさを見
たことで冷静さを取り戻したありすは、しばらく深呼吸をして冷静さを取り戻した。

「まりさ、おさにそうだんしましょう!」
「……ゆ?」
「ざんねんだけど、ありすがいくらかんがえてもまりさをゆっくしさせてあげられるほうほうはおも
いつかないわ。だけど、おさならきっととってもゆっくりできるほうほうをかんがえてくれるはずよ
っ!」

 他人任せとは言え、ありすは目と目を合わせて力強く断言する。それほどまでに憔悴したまりさの
姿は見ていられなかったのだ。
 ありすの記憶の中にあるまりさの姿は、何時だって見ている方も釣られて元気になってしまいそう
な程に、明るく活発だった。
 こんなお帽子の陰に隠れるようにして相手を窺うような、おどおどとした暗いゆっくりなどありす
の知っているまりさではない。

「れいむからとりもどしましょう、まりさのゆっくりを!」
「まりさの……ゆっくり……っ!」

 ありすの力強い言葉に、地面ばかりを見ていたまりさの顔が上向く。
 ゆっくりしたい、という願望はゆっくりの根幹を為す命題とも言える。だが今のまりさはまるでゆ
っくりできていない。
 それは何故か。
 考えるまでもない。まりさのゆっくりが理不尽にもれいむに踏みにじられているからだ。
 そこまで思い至ったことで、れいむへの恐れから思考停止に陥っていたまりさの餡が、熱を持って
巡り始めた。

「……ゆっくりしたい。まりさだってゆっくりしたいんだよぉおおおおおっっ!!」

 これまでれいむによって押さえつけられてきたまりさの思いが、叫びとなって一気に爆発する。大
声を張り上げたのは一体何時振りだろうか。
 そしてありすとまりさは群の長の下へと赴き、まりさの窮状を訴えた。
 まりさの涙混じりの嘆願を静かに聞き終えた群の長ぱちゅりーは、しばし瞑目した。

「……むきゅぅ。最近あなた達のおうちの近くを通ると喧嘩しているようなおこえが聞こえるから気
にしてはいたのだけど……そんなことになっていたなんて気付かなかったわ」
 
 友達から恋人として仲良くやっていた二匹が、つがいになった途端に激しい喧嘩をするようになる
ということは、ぱちゅりーが群の長を引き受けてからも数回あった。
 夫婦喧嘩をすること自体は珍しいことではない。
 ただ、新婚一週間で――否、話を聞くに新婚初日から不協和音を響かせたつがいは初めてのことだ
った。
 しかしながら、驚きはしたもののやることに変わりはない。
 ぱちゅりーはありすを少し離れさせると、まりさと向き合って訊ねた。

「ね、まりさ。まりさはどうすればゆっくりできるのかしら?」
「ゆ? どうすればって……どういうこと?」
「れいむと仲直りすればゆっくりできる? それともれいむと別れたらゆっくりできる?」
「ゆ……? ゆぅぅ……」
「ちょ、ちょっとおさっ!」
「ありすはちょっと黙っていてちょうだい。ぱちぇはまりさに聞いているのよ」
 
 目を白黒させて悩みだしたまりさをありすが庇おうとするが、ぱちゅりーは一言の下にありすを黙
らせた。
 仲直りしたいと言うのであれば、れいむとまりさ、双方の話を聞きながらじっくりと解決策を練る
必要がある。時間と手間は掛かるだろうが、れいむが豹変した理由さえはっきりすれば元の鞘に納め
ることも不可能ではないとぱちゅりーは考えていた。
 別れたいというのであれば、話はより簡単になる。

「まりさは……まりさは、あんなれいむとはもう、おわかれしたいよ」
「むきゅ……わかったわ」

 一つ一つの言葉を噛み締めるようにして告げるまりさの姿に、その覚悟は堅いと見て取れた。
 一つ頷き、ぱちゅりーはおうちの外へとあんよを向ける。
 突然移動を始めたぱちゅりーを慌てて追いかけてきたまりさとありすに、顔は正面を向いたままで
ぱちゅりーは告げた。

「まりさ、ありす。群のみんなをまりさのおうちの前まで集めてきてちょうだい。最後にぱちぇがれ
いむと話をしてみて、それから決定を下すわ」

―4―
 そして日の傾いた夕暮れ時。
 まりさとれいむのおうちの前には群のゆっくりたちの姿があった。幼い赤子とそれを見守る母親以
外が勢揃いしたその数は、五十に近い。
 それはまりさとれいむの絶縁の立ち会いゆっくりであり、ぱちゅりーの用意した、いざというとき
の用心だった。
 その先頭に立つ長、ぱちゅりーがしんと静まり返った群を代表して大声で呼びかけた。

「れいむ! ご用があるから出ていらっしゃい!」
「……ぱちゅりー? こんな時間に何のご用なの?」

 暫くしておうちの奥からのっそりとれいむが現れた。
 おうちの出入り口に頭を軽くこする程の巨体に群れのゆっくりたちは目を剥いて驚く。一週間ほど
前までは群でも小柄な部類に入っていたれいむが、自分たちを大きく上回る巨体になっていては驚く
のも無理はない。
 れいむもまた、おうちを出た途端に群のみんなが大挙して取り囲んでいる状況に目を丸くした。
 双方が膠着した中、ただ一匹平然としていたぱちゅりーが口を開いた。

「むきゅ、ゆっくりしていってね。お久しぶり、れいむ」
「ゆっ!? ゆっくりしていってね! ゆん、久しぶりだね、ぱちゅりー」

 声をかけられたことで我に返ったれいむも、にこやかに挨拶を返す。
 しかし周りの異様な状況に、にこやかな表情は瞬く間に訝しげなものに取って代わる。次いでぱち
ゅりーの陰に隠れるようにしてまりさが小さくなっているのに気付くと、表情は苛立たし気なものへ
変化した。その隣で怯えるまりさを支えているありすの姿があったが、それもれいむの気分を害した。

「みんなして何のご用なの? そこでまりさは何をしてるの? 今日はお帰りが遅いから何処まで狩
りに行ったのかって思っていたけど、ごはんさんはどうしたの? ありすとなにをしていたの?」
「ゆ……ゆひッ!?」
「むっきゅん! まりさに質問する前に、ぱちゅがれいむに聞きたいことがあるの。いいかしら?」

 まりさに向かいかけたれいむだったが、ぱちゅりーの咳払いで機先を制された。先刻の気勢もれい
むの前に来ただけで吹き飛んでいたまりさは、それ幸いとぱちゅりーの後ろで縮こまる。
 ぱちゅりーの話を聞く前に、まりさを詰問して今日の分の食料を取り立てたかったが、相手は長ら
くお世話になっている群の長であるし、周囲には馴染みの顔も多い。苛立ちは収まらないが、れいむ
はとりあえずまりさから視線を引き剥がした。
 そうして改めてぱちゅりーと向かい合う。

「……ゆふぅ。ゆっくりわかったよ。ぱちゅりーは何が聞きたいの?」
「ありがとう、れいむ。まりさに聞いたのだけれど、まりさをゆっくりさせないで一日中狩りに行か
せてるって本当?」
「本当だよ。けど、柔らかくて美味しいごはんさんを採ってこれないまりさが悪いんだよ!」
「けっこんしてからは、すーりすーりもしないし、一緒にすーやすーやする事もないって本当?」
「本当だよ。まりさとはもう二度とすーりすーりも、すーやすーやも、してあげるつもりはないよ!」
「それじゃあ最後に、そんなれいむの態度に文句を言ったまりさに暴力を振るったって、本当?」
「それがどうかしたの? れいむの言うことを聞いてくれないまりさが悪いんだよ! 何もかも、ぜ
ーんぶまりさが悪いんだよっ!」
「むきゅ、解ったわ……」

 ぱちゅりーは嘆息と共に目を閉じる。
 そして再び目を開いたとき、その瞳には確固たる決意が宿っていた。

「れいむのゆっくりの為に、あんなにゆっくりしていたまりさをまったくゆっくりさせなかった。大
切にしなきゃいけないつがいを、こんなにボロボロになるまで扱き使うようなゆっくりは『でいぶ』
よ。でいぶはいずれ群のゆっくりにも害となるわ」
「……ゆ? なにいってるの……?」
「ぱちぇの群にでいぶはいらない。今ここに、ぱちぇはれいむを群から追放することを宣言するわ!」

 突然何を言い出したのか即座に理解できずにキョトンとしているれいむを余所に、ぱちゅりーの台
詞は続く。

「まりさもれいむとお別れしたいってぱちぇに伝えているわ。だかられいむは独りで、ゆっくりしな
いでぱちぇの群からでていきなさい!」
「なにを……なに言ってるのぉっ!!」
「大人しく出ていかないのなら……」

 理解が追いついたれいむが激昂するのと、ぱちゅりーとれいむの間に群でも屈強なゆっくりたちが
割り込んでくるのはほぼ同時だった。れいむが暴れ出したときに巻き込まれないくらいの距離を取り
ながらも、ぱちゅりーはれいむを真っ直ぐに見据えていた。

「手荒な手段を執ってでも出て行ってもらうことになるわ。例え、れいむがゆっくりできない怪我を
負うことになっても、ね。幼い頃から貴女を知っているぱちぇは、できればそんな乱暴な手段は執り
たくないの。大人しく群から出て行ってちょうだい」
「……けるな、ふざけるな! ふざけるなぁあああああっ!!」

 取り囲む尖った木の枝や棒をくわえたゆっくりたちの姿は、怒り狂ったれいむの目にはもはや映っ
ていなかった。
 視線だけでゆっくりが殺せそうな形相で、ぱちゅりーを――否、その後ろでしーしーを漏らして震
えているまりさだけを睨みつける。

「れいむの言うことをぜんっぜんッ聞きやしないまりさも、そんなまりさの言うことなんかを真に受
けるぱちゅりーも! そんなぱちゅりーに考え無しに従ってるだけのみんなもっ! みんなみんな永
遠にゆっくりしてしまえぇえええええっ!!」
「むぎゃっ!?」

 間に入ったゆっくりたちを事もなく蹴散らして、れいむはまりさに向かって猛進する。
 屈強なゆっくりとは言っても、それは戦い慣れしているのではなく、単に体力やあんよの早さが他
のゆっくりに比べれば優れていると言うだけの話。憤怒の形相で迫るれいむの正面に居たゆっくりた
ちは、その余りの怖ろしさにぱちゅりーの命令を無視して逃げ出していた。動かないゆっくりも居た
が、それらは完全に気を呑まれて竦んでおり、鎧袖一触で吹き飛ばされた。
 ぱちゅりーの顔色がここに来て初めて変わる。
 ぱちゅりーとれいむの間を阻むゆっくりが総て居なくなった瞬間、ぱちゅりーの餡は突進を喰らっ
て容易く弾け飛ぶ自分の姿を幻視した。
 だが、そうはならなかった。
 れいむ正面のゆっくりたちこそ逃げ出していたが、左右と背後に陣取っていたゆっくりたちが懸命
に追いすがっていた。
 体当たりをしかけて髪に噛み付き、棒を振りかざしてれいむの動きを封じようと殺到するゆっくり
の群。目の前に尖った枝を突きつけたり、頬を軽く切り裂いたりしてれいむの気勢を挫こうと試みる
が、激怒のれいむは歯牙にもかけない。
 突き出された枝に躊躇無く飛び込み、突き刺さった枝をへし折りながらもただ前へ。瞬きを忘れた
れいむの双眸は、ただひたすらにまりさだけを捉えていた。
 それでも進む速度は遅くなっていた。お陰でれいむから距離を置くことができたぱちゅりーは呼吸
を整えながら、ゆっくりを蹴散らして徐々に近付いてくるれいむの姿を見据えた。

「むきゅぅ……むきゅぅ………むきゅ。できればお話で済ませたかったわ、れいむ……」

 距離を置いたと言っても、愚直に突き進むれいむが肉薄するのに大して時間は掛からないだろう。
 だから、ぱちゅりーは穏便な手段を諦めた。

「このままじゃ、みんなれいむに永遠にゆっくりさせられてしまうわ! その前に、れいむを倒すの
よ! 手加減はもう考えなくていいわっ!!」

 れいむの怒声を上回る咆哮がゆっくりたちから上がる。
 途端に牽制で頬を引っかけていた程度の枝が、れいむに深々と突き立てられた。れいむの前にかざ
された枝も、どれだけれいむが近付こうとも引く気配がない。
 れいむには何の変化もない。痛みなど何処かに忘れ去ったかのように、髪など引き抜かれるに任せ、
頬に穴を開けた枝を噛み砕き、瞳に突き刺さった枝をくわえていたゆっくりを跳ね飛ばして突き進む。
 双方、死に物狂いとなったこの戦いは、それから少しして終結した。

―5―
「ありがとう、ありがとう! みんな、まりさのためにありがとうねっ!!」

 激戦の跡から立ち去る群のゆっくりたちに、まりさが涙を流して感謝を捧げてから暫くして、まり
さのおうちの周りはいつもの静寂を取り戻しつつあった。
 いつもと違うのは、時折呻き声や泣き声が遠くから聞こえてくること。
 たった一匹のれいむが相手だったとはいえ、激戦を終えた時、群のゆっくりたちの殆どが大小様々
な傷を負っていた。永遠のゆっくりへと旅立ったゆっくりも少なくはない。
 怪我に呻くゆっくり。死者を嘆くゆっくり。その声は各自が自らのおうちへ帰った今もなお聞こえ
てくるほどだった。群で被害にあっていないゆっくりは居ないから群のある森全体が悲しみに包まれ
ていると言っても過言ではない。この声は数日は聞こえてくるのだろう。
 そんな沈痛な空気が流れる中、数少ない無傷のゆっくりであるまりさは満面の笑顔でおうちの周囲
を飛び跳ねていた。
 そして入り口でピタリと止まると、ピョンと飛び跳ね、大声で叫んだ。

「ここはっ、まりさのおうちだよっ! まりさだけのおうちだよーっ!!」
  
 ここは元々まりさのおうちではあったが、実質はれいむに占有されていただけに自分のおうちとい
う実感がまりさには乏しかった。だからこその再おうち宣言であった。
 空中で全力のおうち宣言を行ったまりさは、着地して暫く静かに耳を澄ませた。
 聞こえてくるのは群のゆっくりの暗い声ばかりで、おうち宣言への異議は聞こえてこない。
 その結果に満足したまりさは帽子の鍔を跳ね上げて笑う。

「ゆん! それじゃ、まりさはしんっきょのおそうじをするよ!」

 足取りも軽く、まりさはおうちの中へと消えてゆく。
 まりさは自覚しているだろうか。
 おうちの周りを跳ね回っている時も、おうち宣言をした後に周囲を見回しながら耳を澄ませていた
ときも、ある一角だけは努めて見ようとしなかったことに。
 そこに、れいむの姿がある。
 両のもみあげは千切れ、片目は潰れ、総身どこから見ても深々と突き刺さった木の枝や大きく開い
た傷が見て取れる。大口を開けた口内にすら木の枝は突き刺さっていた。
 だがそんな傷を負いながらも、れいむは静かにそこに在った。
 泣くことも喚くこともしない。残された片目は瞬きもせずに中空をぼうっと眺め、開いた口からボ
ロボロになった舌が零れだしている。
 どう見たって死んでいる。
 そんなれいむの姿を、まりさは努めて意識から排除していた。

―6―
 果実や木の実を大きめの葉に包む。
 中身別に分けた数個の包みを長めのツタで縛って纏め上げると、まとめて頭の上にひょいと乗せた。
ちょっと重いけれど、ありすは気にすることなく外へと飛び出した。

「さて、いままでゆっくりできなかったぶんまで、まりさをうんとゆっくりさせてあげなくっちゃ!」

 あんよも軽く、頭上の荷物の重さも感じないほどに軽やかに飛び跳ねてありすは進む。ツタの端を
しっかりくわえているので、うっかり落として無くす心配もない。
 ありすにとって、まりさもれいむも友達であることに違いはなかった。
 だから、れいむの豹変には驚いたし結局殺されてしまったことが悲しくもある。しかしそれでも、
まりさをあれほどボロボロになるまで扱き使っていたれいむの非道を思えば、罪悪感はさほど感じな
かった。
 今はとにかく、ゆっくりできない状況から解放されたまりさと一緒にご馳走でも食べて、あんなれ
いむの事などゆっくりらしい忘却力で餡子の片隅に追いやってしまおうと考えていた。
 そのための大荷物である。重いと感じるはずもない。
 それなりに離れたところにあるまりさのおうちも、不思議と長い道程とは感じなかった。
同じ頃、同じようにまりさのおうちを目指しているゆっくりが居た。
 長のぱちゅりーと、成体のゆっくりが数匹。
 ありすが元気一杯に飛び跳ねているのに比べて、此方は雰囲気からして暗く、いかにもゆっくりし
ていない様子が見て取れた。

「むきゅぅ……困ったわね。まりさはぱちぇのお願いを聞いてくれるかしら?」
「きいてくれないとこまるんだねー、わかるよー」
「そもそもまりさをたすけるために、みんなゆっくりできなくなっちゃったんだみょん。まりさがむ
れをたすけるのはとうぜんみょん」

 悩みの種は、群の働き手である体力に優れたゆっくりたちが軒並み傷付くか、最悪、永遠にゆっく
りしてしまったことにあった。
 今回の激戦で最前線に投入された精強なゆっくりたちは、みんな食料調達に優れていた。それだけ
に、自分以外のゆっくりを養っているゆっくりが多かった。
 つがいを永遠に失ったものや、怪我を負った大黒柱を抱え込むことになった一家など、これから先
の生活を悲観する家庭は少なくない。
 ぱちゅりーは長として、彼らのこれからを考えないわけにはいかなかった。
 そこで考えついたのが次の春が来るまで、群全体が集まって暮らすという案だった。
 そうすれば、狩りに行けるゆっくりは憂い無く出かけられるし、重傷の怪我ゆっくりや孤児ゆっく
りの面倒だって、子守で残っているゆっくりたちなどで見ることもできる。
 その案を実現させるためにも、狩りのできる元気のあるゆっくりは一匹でも多く参加してもらいた
かった。
 特に、今回の発端でもあるまりさには是が非でも先頭に立って欲しい。
 みんなが傷付いている時にぱちゅりーの陰に隠れていただけのまりさに対して、群のゆっくりたち
の視線が厳しくなっている。それを鋭敏に感じ取ったぱちゅりーは、まりさがこれからも群の一員と
してゆっくりしていくためにも、まりさの協力を期待していた。
しかし、一抹の不安がある。
 ぱちゅりーはまりさの言動の何処かに、朧気ながらゆっくりできないものを感じていた。
 それがぱちゅりーの表情に影を落とし、一行の雰囲気を暗くしていた。

「……それも確認してみないと解らないわね。むきゅ……」

 自らに言い聞かせるように呟き、ぱちゅりーはあんよを進めた。
 だが、何も持っていない身軽な身体は、不思議なほどに重く感じられた。

―7―
 その頃、まりさのおうちの前には雑多な物が積み上げられていた。
 それはれいむが寝ていた干し草であり、ありすかられいむに送られた蔦草のばっぐであり、れいむ
が集めていた綺麗な小石などの宝物であった。
 まりさはあれから、巣穴の奥深くかられいむが愛用していた品々を引っぱり出しては捨てていた。
まだ十分に使えそうな物ばかりなのに捨てているのは、それだけれいむが憎かったからだろうか。
 そんなまりさの心情をおもんばかり、ありすはますます自分がまりさを元気付けねばと気合いを入
れ直した。

「……けど、ちょっともったいないわね。つかえるものはつかうのがとかいはなんだけど……」

 などと、少なからず後ろ髪を引かれながらありすはおうちの出入り口に近付いた。
 そして大きく息を吸い込むと、おうちの奥へ大声を放った。まりさのおうちは元は野生動物が作っ
た巣穴だけに奥が深く少し入り組んでいるので、考え無しに踏み込むよりは出入り口で声をかけた方
が効率が良かった。

「ゆっくりしていってねーっ! まりさっ! いるかしらー!?」
「……ゅ……ゅ…………」
「ゆっくりしていってねーっ! ゆ、あんなところにかくれてたんだねっ!! ありす、ゆっくりま
っててねー!」
「……ゆ?」

 目を点にしたありすの頭が傾く。
 聞き間違いでなければ、今ありすの挨拶に応えた声は二つあった。一つは間違いなく聞き慣れたま
りさの声。しかし、もう一つの声に聞き覚えはない。
 社交的な生活を送っているありすは群の殆どのゆっくりと話した覚えがある。それ故に一度会話し
た相手であれば、それが誰かは解らなくても、少なくとも聞き覚えくらいはあるはずだった。 
 どこかから流れてきたゆっくりがまりさのおうちに迷い込んだのか?
 しかし、聞こえてきたのは幼い感じの声。

「まいご……かしらね?」

 頭を傾げるありすだったが、答えはおうちから出てきたまりさが口にくわえていた。
 黒いとんがり帽子。三つ編みは二つあるけど髪型と、ハシバミ色の瞳はまりさと良く似ている。
 帽子に巻いているのと、三つ編みを束ねているリボン。そして艶やかな黒髪にはれいむの面影があ
った。
 れいむとまりさの面影を併せ持つその幼いゆっくりを、まりさは無造作におうちの外に投げ捨てた。
 顔面から地面に叩きつけられた幼いゆっくりは痛みを堪えるかのようにしばらく平ぺったくなって
震えていたが、ぐずつきながらも身体を起こし、ぎこちなくても笑顔を作るとまりさに向けた。

「ゆぅっ!? ゆっ……ゆっく……ゆ、ゆーゆぅー?」
「うるさいよっ! おまえなんかがいるとまりさはゆっくりできないんだよ! ゆっくりりかいして
ね。りかいしたらゆっくりつぶされてねっ!」
「ゆ……? ゆっ!? ま、まちなさいまりさっ!!」

 躊躇無く幼いゆっくりの真上に跳躍したまりさに、我に返ったありすが大慌てで横から飛びつく。
 辛うじて幼いゆっくりの横にまりさを押しのくことができたありすに、柳眉を逆立てたまりさの顔
が迫った。

「ちょっとありす! なんでまりさのじゃまをするのっ!?」
「ゆっ!? ごめんなさ……じゃないわよっ!! なんなの、このこはっ!」
「ゆ……っ!?」

 一端引いたものの、まりさ以上の剣幕で詰め寄るありすにまりさの意気は一瞬で消し飛んだ。そこ
にいるのはありすが良く見知った、明るく元気で、でもとっても臆病なゆっくりまりさの姿だった。
 瞬く間に涙目になったまりさに少し躊躇しながらも、ありすは強い口調で問いつめた。

「このこがなにをしたかはしらないけれど、いきなりえいえんにゆっくりさせようとするだなんて、
ぜんっぜんとかいはじゃないわっ! それにこのこ、まりさやれいむににているけど、ひょっとして
……」
「ゆっ!? ちがうよ、ちがうよっ! そんなのまりさのちびちゃんなんかじゃないよ! そんなゆ
っくりしてないのなんか、まりさはしらないよっ!」
「……あいかわらず、うそがへたね。まりさ……」
「しらないしらない、しらないったらしらないよぉーっ!!」

 何時しか静かな口調となったありすの言葉を、まりさは顔を激しく振って否定する。
 あまりにゆっくりできない勢いで顔を振るのでありすは一歩引いた。振り回されたお下げが当たり
かけて、更に一歩。
 下がった刹那にまりさは飛び出していた。

「あ……っ!」
「おまえなんかしらない、しらないゆっくりはつぶれちゃえぇえええええっ!!」

 愕然とするありすの横をすり抜けたまりさは、再び幼いゆっくりの頭上へと舞い上がる。
 着地した直後のありすは動けない。
 成体のゆっくりに踏みつぶされる幼い仔の姿を想像して、ありすはギュッと堅く目を閉じた。
 だから見逃した。

「そこまでよっ!!」
「ゆぎゅっ!?」

 突如響き渡るぱちゅりーの声。同時に飛び出した二匹のゆっくりが正面から飛びかかり、まりさを
迎撃した。
 恐る恐る目を開いたありすの視界に飛び込んできたのは、ゆーゆー泣き始めた幼いゆっくりと、頭
から墜落してじたばたと足掻くまりさの姿だった。
 そこへゆっくりと、ぱちゅりーがまりさの元へと歩み寄る。

「本当はまりさにお願いがあって来たのだけど……。まりさ、ぱちぇはあの仔の事は何も聞いてない
わ。改めてまりさのお話が聞きたいの。ゆっくりと詳しく、今度は正直に全部、話してくれるわね?」
「ゆ……ゆぅ……ゆっくりりかいしたよ……」

 滅多に見られない群の長としての威厳を前にして、まりさはがっくりと項垂れたのだった。

―続く―
最終更新:2010年10月09日 16:51
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