亡くなった茶道家の父は、礼儀作法に非常に厳しい人だった。
今でもよく覚えている。
ある日俺は寺子屋から帰ると、茶箪笥の中に見たこともない高級な和菓子があるのを見つけた。
きっと、両親は奮発して高いものを買ってきてくれたのだろう。
俺は勝手にそう判断し、それを一人で無断で平らげた。
仕事から帰ってきた父は烈火の如く怒った。
あの菓子は、俺のために買ったのではない。
里長を招いて茶会をする際に、皆に振る舞うために購入した大事な菓子だったのだ。
泣いて謝る俺の尻を父はばしばし叩き、真っ暗な蔵の中に閉じ込めた。
あの時ほど、父が恐いと思ったことはない。
結局、父は大事な茶の席で大恥をかく羽目になり、俺は怒られても仕方のないことをしたのだ。
そんな父もあっけなく亡くなり、俺は父の跡を継いで茶道を教える仕事に就いた。
今では何とか、妻と一緒に食べていけるだけの稼ぎもある。
夜。ガラス戸を叩く音がしたので俺は立ち上がった。
こんな夜更けに誰だろう。
戸を開けると、そこには丸っこい物体がある。
金髪にカチューシャ。ゆっくりありすと呼ばれる饅頭生物だ。
「こんばんは、とかいはなおじさん」
「ああ、こんばんは。どうしたんだい、こんな夜に」
このありすとは初対面ではない。
今日の午後、縁側で一緒に簡素なティータイムを楽しんだゆっくりだ。
俺が縁側で湯飲みを片手に羊羹を食べていると、このありすが森の方から庭にやって来た。
垣根から顔を覗かせ、ありすは遠慮がちに俺に挨拶した。
「ゆっくりしていってね、おじさん」
「ああ。ゆっくりしていくといい」
「ありがとう。おじさんはしんせつなひとね。ありすも、おじさんのおにわにいてもいいかしら」
「庭を荒らさなければ、別に構わないよ」
「あら。ありすはとかいはよ。にんげんさんのおにわをよごすようなことはしないわ」
ありすの言ったことは嘘ではなかった。
ありすは俺の近くまで出てくると、口にくわえていた野苺を静かに食べ始めた。
よくいるゆっくりのような「むーしゃむーしゃ! しあわせー!」といったような大声を上げることもない。
都会派、と自称するだけあって、ありすの食べ方はゆっくりにしては品がよかった。
俺は少し気をよくして、抹茶に砂糖を入れて冷ましてからありすに差し出した。
「ゆっ! とってもおいしいおちゃね! おじさんはすてきなひとだわ」
ありすとはしばらくの間、なかなか楽しい茶会の時間を過ごすことができた。
時には、作法にこだわらず自然体で茶を楽しむのも素晴らしい。
茶を飲み終わるとありすは野苺の茎を片づけ、森へと帰っていったはずだ。
なのに、いったいどういう風の吹き回しだろう。
「おじさん、ひるまのおれいよ。ありすのつくったいんてりあなの。うけとってほしいわ」
ありすが口にくわえて差し出したのは、きれいに形の整っている押し花だった。
木の葉っぱの上に一輪の花がくっついている。
恐らく、ゆっくりの涙か唾液によって固めたものだろう。
あの不器用なゆっくりが作るものとは信じがたいほど、それは手が込んでいる。
「ありがとう。遠慮なく受け取らせてもらうよ」
たとえそれがゆっくりが作ったものであっても、誠意がこもっていることに代わりはない。
俺はお礼を言ってありすから押し花を受け取った。
「ゆっくり! おじさん、ありすとおともだちになってほしいわ」
俺が受け取ったことで、自分が受け入れられたと思ったのか、ありすはそんなことを言ってきた。
「君と友達にかい?」
「おじさんはとってもいいひとだから、ありすはおともだちになりたいの。また、いっしょにてぃーぱーてぃーをたのしみましょう?」
ありすはニコニコと笑っている。
あまりにも、ありすの笑顔は無防備だった。
だからこそ、俺は首を横に振った。
「残念だけど、それは無理だよ。今日のことはもう忘れて、お家に帰りなさい」
「…………ど、どうして。もしかして、ありすはいなかものだったの? おじさんのめいわくだったの?」
ありすのうろたえ方はかわいそうなくらいだった。
まさか、否定されるとは思っていなかったのだろう。
それもそうだろう。俺とありすとは、本当に仲良くやっていたのだから。
「いいや、そうじゃない。ありすはゆっくりとは思えないくらい都会派だったよ。でも、駄目だ」
「……おじさん。…………どうして?」
「君がゆっくりで、俺が人間だからさ。俺と君とでは、種族として違いすぎるんだ。人間には、近寄らない方がいい」
まだすがるような目をしてくるありすを、俺は優しく突き放す。
「今は仲良くできても、きっといずれどちらも不幸になる。俺たちは、絶対に相容れないんだよ」
俺はかつて、下らない過ちを犯した。
ゆっくりのしたことに本気で怒り、ゆっくりが分からないことを無理に分からせようとした。
人間の常識でも、ゆっくりにとっては常識ではない。
なまじ彼らは喋ることができるから、意思の疎通ができると思ってしまう。
実際はそうではない。人間とゆっくりとは違いすぎる。
あの不毛な体験は、俺の記憶の中に嫌な過去として位置づけられている。
あれは、この家に引っ越してきてすぐのことだった。
俺は今日のように、庭を眺めようと縁側に出ていた。
やや古くはあるが、実に趣のある家と庭だ。
何気なく見ていても、あちこちに風情があって飽きることがない。
しばし休息を取ろうと、俺は茶を点て茶箪笥からおはぎを一つ取り出した。
行きつけの和菓子店が作る、徹底的に痛めつけて味をよくしたゆっくりを材料にした名菓だ。
俺は茶碗と皿をお盆に載せ、縁側に戻ると座り直した。
ほっとする一息だ。
誰のためでもなく、自分のために点てる茶も悪くない。
茶の香りは奥ゆかしく、午後の静かな時間と相まって幻想郷を桃源郷に変えようと誘う。
柔らかなその誘いに、しばし身を委ねていた時のことだった。
「ゆっゆっゆ~♪ ゆっゆっゆ~♪ おさんぽおさんぽ~♪ まりさのおさんぽたのしいな~っ♪」
せっかくの気分が、たちまち台無しになった。
垣根をがさがさとうるさく揺らし、小動物らしからぬ不用心さで飛び出してきたものがいる。
金髪に黒い帽子。小生意気そうな表情。ゆっくりまりさだ。
サイズは大きめのリンゴくらいだろうか。どうやらまだ幼いゆっくりのようだ。
まりさはへたくそな歌を歌いながら、ぴょんぴょんと跳ねて庭を横切ろうとしている。
人間の耳には、ちょっとゆっくりの歌のセンスは理解しがたい。はっきり言って不快だ。
……それにしても、散歩なのだろうか。
だとしたら、何という無警戒だろう。
俺の住む里では、あまりゆっくりにいい顔はしない。
畑を荒らす害虫として駆除されることもしょっちゅうだ。
付き合いで俺も幾度かかり出されたことがある。
里のあちこちに作られた巣を壊し、泣き叫ぶゆっくりを袋に詰めて加工場に引き取ってもらう。
「にんげんさんやめてよ! やめて! まりさたちはゆっくりくらしてただけだよ! なんでこんなことするの! ゆっくりしてよ!」
「おちびちゃんをもっていかないで! れいむのだいじなおちびちゃんなんだよ! やめて! ひどいことするなられいむにして!」
「ゆあああああん! きょわいよおおおお! おかあしゃああん!おとうしゃああああん! たすけちぇよおおお!」
俺はあまり彼らのお喋りが人間のようで好きになれないが、農家の人が言うにはあれはただの鳴き声だそうだ。
意味などない。ただの饅頭の発する音。人間のような思考はない。
そう思っているからこそ、簡単に駆除できるのだろう。
里は決して、ゆっくりにとって安全な場所ではないのだ。
それなのに、この警戒心皆無の動きは何だろうか。
「ゆっ! にんげんさんがいるよ。おにいさん、ゆっくりしていってね!」
俺の足元にまで近づいて、ようやくまりさは俺の存在に気づいたらしい。
まりさはぐいっと体と頭が一緒の部分をもたげ、俺の方を一心に見つめてそう言った。
きらきらと輝くような瞳だ。
実に無邪気な、人間の子どもでさえもここまであどけない目つきをしてはいない。
俺と仲良くできる、と無条件で信じ込んでいるのがよく分かる。
「……あ、ああ。ゆっくり、しているよ」
「ゆっ! ゆっ! ゆっくり! ゆっくり! おにいさん、ゆっくりしていってね! ゆっくりしていってね!」
俺はまりさの迫ってくる気迫にあっさり負け、返事をしてしまった。
途端にパアァ……とまりさの顔がさらに明るくなる。
ぽよんぽよんとまりさは反復横跳びをして、返事が来た喜びを全身で表現した。
きっと、これで俺とまりさとは仲良くなった、と思い込んでいるのだろう。
ゆっくり、という言葉を連発することから、余程その響きが気に入っているらしい。
「ここはまりさのみつけたゆっくりぷれいすだよ! おにいさんもゆっくりしていいからね!」
「え? いや、ここは俺の家で、君のいるところは俺の庭なんだが」
「ちがうよ! まりさのゆっくりぷれいすだよ! まりさがおさんぽしててみつけたんだよ! まりさのすてきなゆっくりぷれいすだよ!」
「……まあ、そうだよな。君たちに人間の家とか庭とか分かるわけないだろうし」
「ゆっ! ゆっ! おにいさん、へんなこといわないでよね。まりさちょっとこまっちゃったよ。ゆっくりしようね!」
「はいはい。ゆっくりゆっくり」
ああ、これがお家宣言という奴何だな、と俺は一人納得していた。
まりさにとっては、ここは自分が見つけた場所なんだろう。
俺という人間は、ついさっき気づいた。つまり、庭が先で俺が後だ。
だから、まりさにとってここは先に自分が見つけた場所ということになっているのだろう。
どうでもいいことだ。
どうせ、飽きたらすぐにどこかに行ってしまうだろう。
俺はまりさのかん高い声と、妙に人の神経を逆なでする口調に少しいらついたが、怒るほどではなかった。
そもそもここは借家だ。まりさが何と言おうが、あまり執着心はない。
まりさは楽しそうに俺の周りを転がってみたり、あちこちに顔を突っ込んで匂いを嗅いだりしていたが、不意にさっきよりもさらに目を輝かせた。
「ゆゆっ! おいしそうなおかしがあるよ! とってもおいしそうだね! まりさたべたい!」
ゆっくりは感情がすぐ表に出る。
まりさの目は、俺の隣にある皿に置かれたおはぎに釘付けだった。
おはぎに焦点を合わせたまま動かない目と、よだれの垂れている口元、そして舌なめずりをする舌。
露骨に「食べたいよお!」という欲望がむき出しになった顔だ。
「駄目だ。これは俺のお菓子だよ。まりさにあげる食べ物じゃないんだ」
「えぇぇ……。うらやましいなぁ…………おいしそうだなぁ……まりさもたべたいよぉ……」
餌付けして居座られても困る。
俺はちょっと大人げなかったが、皿を持ち上げてまりさから遠ざけた。
まりさはすぐさま縁側に這い上がって、おはぎに噛み付きかねない勢いだったからだ。
まりさの視線は、器用におはぎを追って動いた。
もう、関心はおはぎに固定されたらしい。
仕方のないことだ。
ゆっくりは極度の甘党だが、野生のゆっくりが甘いお菓子を食べることなどできない。
常に甘いものに飢えているゆっくりの目の前に、大好きなお菓子が置かれたのだ。
飛びつこうとするのも無理もない。
「いいなぁ………おにいさんだけいいなぁ………まりさもほしいなぁ……たべたいなぁ……むーしゃむーしゃしたいなぁ………」
さっさとあきらめて出て行けばいいものを。
そうすれば、それ以上おはぎを見続けて焦がれることもないのに。
俺はそう思ったが、まりさの取った行動は正反対だった。
俺のそばにべたべた付きまとって、懸命に自分をアピールし始めたのだ。
俺の機嫌を伺うように顔をのぞき込んでみたり、チラッと流し目を送ってみたり、実にうっとうしい。
口からは、俺が羨ましい、自分も食べたい、と馬鹿の一つ覚えのような言葉が連発される。
俺がそっぽを向くと、そちらに回り込んでぴょんぴょん跳ねたりぷりんぷりんと尻を振ってみせる。
少しでも俺の気を引こうと、まりさは手を尽くしているらしい。
だがそれは、俺にしてみれば不愉快な行為ばかりだ。
人のものを欲しがるという態度が気に入らない。
ましてや、あきらめが悪くしつこいならばなおさらだ。
茶の席でこんなことをしようものなら、即座に追い出されても仕方がない不作法だ。
「いいなあ! まりさもほしいよ! ほしい! おかしほしい! おかしたべたい! たべたい! たべたいよお!」
ついに、まりさは我慢できなくなったらしく、大声で俺に頼み始めた。
いや、もはや図々しく要求している。
それにしても、ゆっくりは体は小さいのに声がやたらとでかい。
小さな子どもが耳元でどなっているようで、耳がおかしくなりそうだ。
「ちょうだい! まりさにもちょうだい! おにいさん! ねえ! ねえねえねえ! きいてるの!? おにいさん! おにいさんってば!!」
「駄目ったら駄目だ。いいか、これは俺のものなんだ。君にあげるものじゃない。いい加減あきらめろ」
「おにいさんのいじわる! けち! まりさおこったよ! ぷんぷん! もういいよ! おにいさんなんかしらない!」
とうとうまりさの堪忍袋の緒が切れた。
俺のことを一方的に非難すると、ぷりぷり怒りながら垣根の中に潜り込んでいった。
まりさにしてみれば、仲良くなった人間が自分だけお菓子を楽しんでいるように思えたのだろう。
俺は少しまりさがかわいそうになったが、すぐに自分の考えを改めた。
「じぃぃぃぃっ…………………………じぃぃぃぃ…………………………」
わざわざ声に出して、自分がいることをアピールしているのはなぜだろうか。
まりさは森に帰ろうとはしなかった。
生け垣の下から、まりさの食欲でらんらんと輝く二つの目が俺を見ていた。
まりさ本人は隠れているつもりだろう。
だがこちらからは、じーっとおはぎを見つめるまりさの姿が丸わかりだ。
ああ言ったものの、菓子への未練はそう簡単に断ち切れないのだろう。
ふと、俺の心に子どものようないたずらが思いついた。
この状態で、俺が席を外したらどうするだろうか。
十中八九、まりさはおはぎを食べてしまうだろう。
その現場を俺が押さえたらどんな顔をするだろう。
さぞかしうろたえるだろう。どんな言い訳をすることだろう。
泣いて謝るだろうか。それともちょっとすねてから謝るだろうか。
「わあ! そうだった。用事を思い出したぞ。すぐ部屋に戻らなくちゃ! 急ぎの用だから、おはぎはここに置いていこう!」
俺がわざとらしく大声を出すと、まりさが生け垣の中で身じろぎしたのが分かった。
「どこにいるか分からないけど、もしまりさがいたら困るからちゃんと言っておかなくちゃな!」
まりさが俺のおはぎだと言うことを忘れては困るので、ここでもう一度繰り返す。
「まりさ! これは俺のおはぎだからな! 絶対に食べちゃ駄目だぞ! まりさのおはぎじゃない。俺のものだぞ! 食べたら怒るからな!」
俺の声はまりさに聞こえただろう。
しかし、まりさの目はもうおはぎの方しか見ていない。
本当に聞こえたのだろうかと怪しく思うが、さっきから食べるなと連呼してあるから、あれが自分のものではないことぐらい分かるだろう。
では、実験の開始だ。
俺は縁側から立ち上がり、家の中に入って柱の陰に隠れた。
俺が身を隠してすぐ、まりさは生け垣の中から飛び出してきた。
駄目だこれは。
ゆっくりには、人間のものとそうでないものとの区別が付かないようだ。
あっさりとまりさがおはぎを平らげて実験終了かと思ったが、そうではなかった。
まりさは縁側に飛び乗ると、おはぎの載っている皿に顔を近づけた。
しかし、ぱくりと噛み付くことはなかったのだ。
「ゆうぅ……おにいさん……たべちゃだめだって……どうして……こんなにおいしそうなのに……」
俺は耳を疑った。
なんだ。ちゃんとまりさは理解していたんだ。
俺がいなくなっても、おはぎが自分のものではなく人間のものだと覚えていたのだ。
ゆっくりの記憶力を俺は侮っていたが、どうやら考えを改めなくてはいけないようだ。
「いいなあ……たべたいなあ……おいしそうだなあ……おにいさんうらやましいなあ……まりさもたべたいなあ……」
まりさはよだれをたらたら、未練もたらたら流しながらおはぎに心を奪われている。
食べられないと分かっているなら見なければいいのに、と思うのだが、まりさはじっとおはぎを見つめてうっとりしている。
それが欲望を加速させるニトロであることに、まりさは気づいていない。
「たべたいよぉ…むーしゃむーしゃしたいよぉ……くんくん……くんくん……ゆぁぁぁ……いいにおいだよぉ……くんくん………」
どこにあるのか分からない鼻をひくつかせ、まりさは餡子の甘い匂いをいっぱいに吸い込んでいる。
もはや舐めるようにまりさはおはぎをあちこちから眺め、ほとんどくっつきそうなくらいに顔を近づけている。
これは駄目だ。
絶対にまりさは我慢できない。
俺の予想は的中した。
「ちょっとくらいならいいよね! おにいさんにわからないくらいなら、たべてもだいじょうぶだよね!」
分かる分からないの問題じゃなくて、そういうことを口にしちゃいけないだろ。
俺は柱の陰でまりさの行動に突っ込む。
「なめるだけだよ! ぺーろぺーろするだけだよ! それくらいならおにいさんもわからないよ!」
まりさはきっと、自分で自分を騙しているのだろう。
いけないことだと分かっている。
でも、どうしても食べたい。
ならば、これくらいなら分からないと自分に嘘をつき、信じ込もうとしているのだ。
「ぺーろぺーろ…………し、し、し、しあわちぇええええええ!!」
ついに、まりさは俺の警告を無視した。
ゆっくりの体の割に大きくて分厚い舌が口から伸びると、ぺろりとおはぎの餡子を舐めてしまった。
次の瞬間、まりさは幸福そのものの顔で叫んだ。
まりさは冗談抜きで輝くような表情で、甘いものを味わう幸せを表現していた。
「しゅごくおいちい! しゅごくおいちぃよおおおお! あみゃいよおおお! もういっかいぺーろぺーろ! ぺーりょぺーりょおおお!!」
まりさは歓喜のあまり涙を流している。
よく見ると、下半身からちょろちょろと何か流れ出している。
失禁しているのか?
不快になる俺を置いてきぼりにして、まりさはもう一度おはぎをべろりと舐める。
前回は罪悪感からか恐る恐るだったが、今回は舌で餡子を削り取るような舐め方だ。
あれでは、おはぎの表面に舐めた跡が残るだろう。
まりさの罪はこれで確定したわけだ。
「ち! ち! ちあわしぇぇええええええ!! おいちぃいいいいいい!!」
再びまりさは嬉しさのあまり大声を出す。
こっそりと盗み食いをするつもりだったが、あまりのおいしさに声が出てしまうのか。
もう、こうなってしまっては一直線だ。
止まるわけがない。止められるわけがない。
「むーしゃむーしゃ! むーしゃむーしゃ! あまいよおおおお! おいちいよおおおお! むーしゃむーしゃ! むーしゃむーしゃぁあああ!」
まりさは、おはぎにかぶりついた。
一口で三分の一をかじり、もぐもぐと噛む。
途端に、まりさは口から餡子をこぼしながら叫んだ。
「すごいおいしいっ! おいしいいいい! あまいよお! まりさむーしゃむーしゃするよ! むーしゃむーしゃ! おいしいよおおおお!」
もう夢中だった。
まりさはおはぎにぱくつき、もぐもぐと噛み、ごくりと飲み込む。
ずっと我慢していた甘さへの渇望を満たせる喜びで、まりさの顔は緩みきっていた。
「まあ、そうだよなあ……」
俺は、茶箪笥に向かいながら苦笑していた。
怒りの感情はわいてこなかった。
きっと、父が里長のために用意した茶菓子を勝手に食べた俺も、あんな感じだったのだろう。
俺は、まりさに子どもの頃の俺を重ねていた。
大事な茶の席で使うはずの茶菓子を、無断で食べてしまった俺。
食べるなと厳命されながら、甘味の誘惑に勝てなかったまりさ。
どちらも、似たようなものだ。
悪いと分かっていても、ついついやってしまう。
それを責めるのは、いささか大人げないと言えるだろう。
……この時の俺は、まだ正常だった。
俺は代わりの茶菓子のきんつばを取り出し、皿に載せた。
さて、まりさはどんな顔をするだろう。
俺が怒ると、何て弁解するだろう。
俺はいたずらが成功した子どもの顔で、縁側へと向かったのだった。
縁側に置かれた皿には、おはぎの代わりにまりさが載っていた。
半分幸せ、半分物足りない顔で、まりさは皿をぺろぺろと長い舌で舐め回している。
「おや、おはぎがないぞ。しかもそこにいるのはまりさじゃないか。さては盗み食いしたんだな。悪い奴め!」
芝居気たっぷりに、俺は恐い顔をして縁側に姿を現した。
皿の上に乗っかり、しかも皿を舐めていたまりさに逃げ場はなかった。
「ゆううううううっっっ!?」
まりさはびっくりして跳び上がった。
こちらを向くまりさの口の周りは、おはぎの餡子ですっかり汚れている。
「ゆあっ! あっ! ゆああっ! おにいさんっ! ゆっくりしようねっ! ゆっくりっ! ゆっくりっ!」
「まりさ、口の周りが餡子で汚れているぞ! 言い訳しても無駄だ。あれだけ食べるなと言っておきながら、よくも俺のおはぎを食べたな!」
まりさのうろたえた様子は、本当に面白かった。
何度も空になった上に自分の唾液でべとべとになった皿と、怒った顔をした俺とを見比べている。
まりさが混乱しているのがよく分かり、俺は内心笑いを噛み殺していた。
「まりさ! この悪いゆっくりめ! 人のものを勝手に食べちゃったら、何て言うのかな!?」
おろおろとしているまりさに、俺は親のような顔で言ってみた。
もちろん、この状況は俺が作ったものだから、まりさが拗ねたり泣いたりしても怒る気はなかった。
一回でもいいから「ごめんなさい」と言えば、それで俺はすっきりしただろう。
「まりさも食べたかったのか。じゃあ、これも半分あげるよ」
面白いものを見せてもらったお礼に、きんつばを半分食べさせてやるつもりだった。
……そもそも、ゆっくりに本気で怒るなんて大人げないだろう。
こんなことを考えるほど、かつての俺は甘かった。
ゆっくりという饅頭がどれだけ人間とは異なる存在なのか、理解していなかった。
そして、ゆっくりという饅頭がどれだけ人間を苛立たせる存在なのか、体験していなかった。
まりさはしばらくおたおたしていたが、いきなりにっこりと笑った。
それまでの困惑した様子が嘘のような、あっけらかんとした笑顔をこちらに向けた。
「おかしとってもおいしかったよ! もっとちょうだいね!」
俺は絶句した。
何だって?
今、こいつは何て言ったんだ?
おいしかった? もっとちょうだい?
「何を言ってるんだ? あれは俺のお菓子だぞ」
「うん! でもおいしそうだったから、まりさがまんできなくてたべちゃった! すごくおいしかったよ!」
まりさは初対面の時とまったく同じ、無邪気な顔でニコニコと笑っている。
自分が悪いことをしたという自覚がないのか?
野生動物だから、目の前にある餌をただ貪るだけだったのか?
そうじゃない。
まりさは一度ためらっている。
おはぎが俺のものであるということは、知っていたはずだ。
「食べちゃ駄目だって言っただろ。聞こえなかったのか。それとも、忘れちゃったのか?」
わすれちゃったよ、とまりさが言ってくれれば。
そうすれば、俺は納得していたはずだ。
単なるおはぎ一つのことだ。
俺が食べられなかったからといって、子どものように怒ることはないはずだった。
しかし、まりさの返答は違った。
「ずるいよおにいさん! おいしいおかしをひとりじめして! おかしはみんなでたべるからおいしいんだよ!」
「まりさ、君が全部おはぎを食べちゃったせいで、俺の食べる分はなくなったよ。全然みんなで食べてないじゃないか」
「おにいさんおかしをもうひとつもってるでしょ! まりさはおなかがすいてたんだよ! そっちもはんぶんちょうだいね!」
たかがゆっくり如きの馬鹿な言い草。
そう片づけてしまうには、俺は若すぎた。
いや、片づけてしまえないほど、俺はこのことについてトラウマがあったのだ。
呆れ果ててものも言えない俺を差し置いて、まりさは俺の手のきんつばに向かってジャンプする。
「まりさおかしだいすき! もっとちょうだい! ねえ! ねえ! ねえ! きいてるの!? まりさはおかしだいすきなんだよ!」
俺はまりさを見た。
まりさは俺を見ていない。
俺の手にあるきんつばしか眼中にない。
俺の存在など、まりさには邪魔なだけなのだろう。
「おにいさん! おにいさんってば! きいてるの! ねえきいてよ! まりさにそれちょうだい! まりさもっとたべたい! おかしたべたいよお!」
俺の心情の変化は、大人げないと批判されても仕方がない。
しかし、俺の心の奥から、自分でも信じられないほどの怒りがこみ上げてきた。
ただの理性のない獣ではなく、こいつはゆっくりだ。
どんな形でも、まりさが一度でもごめんと謝れば当然許すつもりだった。
これは俺の仕組んだいたずらだ。それくらいの余裕はあったはずだ。
それなのに、俺の手にあるきんつばに向かって、羞恥心の欠片もなく飛びつくまりさをみていると、怒りしか感じない。
かつて俺は、何度謝っても父に許されなかった。
心底反省しても、許してもらえなかった。
やがて雷親父の怒りはおさまったのだが、その間俺は家の中で針のむしろにいた。
かばってくれる祖母がいなければ、俺は父を憎みさえしただろう。
あの嫌な経験は、俺の中でしこりとなって残っている。
人のものを勝手にかすめ取ることが、どれだけ悪いことなのか身に染みていた。
それなのに、こいつは。
こいつは人のものを食っておきながら謝りもせず、もっとよこせと催促するのか?
自分が何をしたのか分かっていながら、恥知らずにもこちらに要求するのか?
たかが饅頭風情が、人間の食べ物をよこせとうるさく詰め寄るのか?
俺はゆっくりの生態に詳しくなかった。
もし詳しい人がこれを読めば、当然失笑することだろう。
何を馬鹿なことをしているんだ、ゆっくりにいったい何を期待しているんだ、と笑われて当然だ。
俺の間違い。
それは、ゆっくりを人間のように扱ったことだった。
俺はきんつばを地面に落とした。
こんなものが血相を変えるほど欲しいのか。
勝手にしろ、と俺はまりさにきんつばをあげた。
「ゆっゆ~♪ おいしそうなおかしさん、ゆっくりまりさにたべられてね! むーしゃむーしゃ! しあわせーっっっ!」
地面に落ちたきんつばに、まりさは飛びついた。
落とした俺に目もくれず、がつがつと貪っていく。
遠目から見ればまだ耐えられるが、近くで見ると本当にこいつは汚らしい食べ方をする。
足で蹴り飛ばしたくなる誘惑を抑え、俺はまりさが食べ終わるまで待った。
「ゆっくりおいしかったよ! まりさこんなにおいしいおかしはじめてたべたよ! もっとたべさせてね!」
舌で口の周りをべろべろ舐め回しながら、まりさはさらにお菓子を欲しがる。
こいつは、お菓子をくれた俺にお礼さえ言わなかった。
無神経な物言いに、俺の心はもう動かない。
腹立ちはピークに達しているため、火に油を注いでもこれ以上燃えないのだ。
「もうないよ。これで終わりだ」
「ゆぅぅ……そうなんだ。まりさ、もっとむーしゃむーしゃしたかったよ……おかしおいしかったのになあ……」
たちまちまりさの顔は悲しそうになる。
体の大きさからして結構な量を食べたのに、こいつは満足しないのだ。
ますます俺はゆっくりが嫌いになった。
「じゃあもうまりさはかえるね! おにいさん、またおいしいおかしをちょうだい! まりさまたくるからね!」
「ああ、ちょっと待つんだ、まりさ」
「ゆゆ? おにいさん、どうしたの? まりさはおうちにかえるんだよ」
食うだけ食ってさっさと帰ろうとするまりさを、俺は呼び止める。
振り返って首を傾げるまりさ。
俺は両手を伸ばして、その丸っこい顔と体をつかんだ。
「ゆっ! おそらをとんでるみたい! まりさとんでるよ! とりさんみたいにおそらをとんでるよ!」
いちいち実況中継するのがうるさい。
それに、この状態は飛んでるのではなく浮いてるだ。
食べたせいか、まりさの体はそれなりに重量がある。
手に持つとちゃんと重みが伝わってくる。
饅頭皮はもちもちとしていて、手触りがなかなかいい。
まだ若いからだろう。手首を回して横と後ろを見てみたが、傷らしいものもない。
「ゆゆっ? なんなの? そんなにみつめられると、まりさちょっとはずかしいよ~」
俺が見とれているとでも思ったのか、まりさは顔をちょっと赤らめてもじもじし始めた。
恥じらいとかそういった感覚はあるのか。
ならばなおさら、好都合だ。
「まりさの両目はきれいだね」
俺はいきなりまりさを誉めた。
まりさはきょとんとしていたが、すぐにとても嬉しそうな顔になる。
「とってもきれいだよ。きっと、ゆっくりの中では一番きれいな目をしているんだろうね」
「ゆゆ~ぅ。それほどでもないよ~。でも、まりさすごくうれしいよ! うれしい!」
両手で持ち上げられた状態で、まりさは嬉し恥ずかしといった感じで体をぐねぐね左右に振っている。
表面上は恥ずかしそうだが、明らかにまりさはこちらの言葉に期待している。
俺がじっと見つめていると、伏し目がちになりながらも時折チラッとこちらを見てくる。
もっと誉めて、と思っているのが丸わかりだ。
お望み通り、俺はまりさを誉めちぎった。
「まりさの髪の毛もきれいだよ。とてもきれいでまるで黄金の小川みたいだ」
「ゆゆん! まりさのかみのけさんはまりさのじまんだよ! みんないっぱいほめてくれるんだよ!」
「まりさの歯は白くて整ってるね。虫歯もなくていい歯をしているよ」
「はさんはだいじだよ! むーしゃむーしゃするときにはさんがなかったらたいへんだよ!」
「まりさの帽子は素敵だね。よく手入れがされていて、ほかのゆっくりたちも羨ましがるだろうね」
「だって、まりさのたからものだもん! ゆっへん! まりさはおぼうしさんがいちばんだいじなんだよ!
まいにちまりさはおぼうしをごーしごーしあらうんだ! きれいきれいにしてからおぼうしをかぶると、とってもゆっくりできるよ!」
すっかりまりさは誉められて有頂天になっている。
見る見るうちに、まりさの顔は幸福を絵に描いた笑顔になっていく。
まだだ。
もっともっと、まりさを舞い上がらせてやろう。
俺はさらにまりさの誉めるべき点を、大事にしているであろう点を探す。
「まりさのお家はどんなところだい? きっと、とても住みやすい場所だろうね」
「ひろくてゆっくりできるすてきなおうちだよ! まりさのたからものがいっぱいあるんだ!」
「まりさの家族はどうかな? まりさはどう思ってる?」
「みんなだいすき! おとうさんだいすき! おかあさんだいすき! いもうとのれいむもまりさも、みんなみんなだ~いすき!」
「まりさには友達がいるだろう? 友達のことはどう思ってる?」
「みんなゆっくりしてるよ! ありすもいるし、れいむもまりさもいるよ。いっしょにあそぶとすごくたのしいよ!」
「じゃあ、最後にまりさのゆん生はどうかな。まりさは今まで生きてきてどうだった?」
「とってもしあわせだよ! まりさゆっくりできてしあわせ! まりさはしあわせなゆっくりだよ!」
「そうだろうね。まりさは幸せなゆっくりだよ。俺にもよく分かる」
「ゆ~ん♪ おにいさん、まりさてれちゃうよ~♪ ゆんゆん♪ ゆっくり♪」
最後にまりさはとびきりの笑顔を見せて締めくくった。
本当に、まりさは幸せそうだった。
まりさの言葉を聞いて、俺もよく分かった。
こいつは生まれてからずっと、ゆっくりにしては恵まれた環境にいたのだ。
さぞかし、幸福なゆん生を送ってきたのだろう。
これからも、それが続くと信じて疑わないのだろう。
「じゃあそれ、全部俺がもらうよ」
手始めに、君の片目をもらうことにしよう。
いきなり両目を奪ったら、これから始まる喜劇が見られなくなるからね。
俺はまりさを片手で持つと、右手の人差し指をまりさの左の眼窩に突っ込んだ。
まりさは指を突っ込まれても、2秒ほどは笑顔のままだった。
きっと、俺の言葉の意味が分からなくて頭の中を素通りしたのだろう。
別に構わない。こちらも、まりさが理解してからこうするつもりなどなかったのだから。
柔らかい感触が指に伝わってきた。
つるんとして湿った眼球を避けて、その裏側の餡子に指先が届いた。
やや温かい。
「ゆっ……ゆぅ……ゆ゙! ゆ゙ぎぃ゙い゙い゙い゙あ゙あ゙あ゙!! あ゙あ゙あ゙ぎ゙い゙い゙い゙い゙い゙!」
まりさはどぎついまでの絶叫を張り上げた。
この声は聞いたことがある。
ゆっくりを里の皆で駆除していた時、えらく気合いの入った男が一人いた。
人の二倍も三倍もゆっくりを狩る彼の回収したゆっくりは、どれもずたずただった。
彼の持ち場からは、今のまりさと同じ悲鳴が止むことがなかった。
ゆっくりの鳴き声ということで誰も気にしなかったが、あの男はゆっくりを生きたまま解体していたのか。
俺は慎重に指先で眼球をつまみ、引っ張る。
視神経やら筋肉やらの抵抗はなく、思った以上にあっさりとまりさの目玉は顔から抉られた。
俺は激痛で歪んだ顔をしているまりさに、それを見せてやった。
「や゙あ゙あ゙っ! や゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙! まりざの! まびぢゃのおびぇびぇえええええええ!!」
自分の目と見つめ合うという状況は、なかなか希有なものじゃないだろうか。
俺の手の中と眼球と目があって、まりさはさらに大声で叫ぶ。
「い゙ぢゃい゙ぃい゙い゙い゙い゙い゙!! がえぢでっ! まりぢゃのおべべがえぢでよおおおおお!!」
隻眼から大量の涙を流しながら、まりさは俺に目玉を返すよう訴える。
ぽっかりと開いた眼窩からは、どろりと餡子混じりの涙が流れる。
果たして、これをまりさの眼窩に突っ込んだらまた機能するのだろうか。
俺は改めて、こいつの眼球をしげしげと眺めてみた。
材質は寒天か白玉だろう。
ゆっくりの顔についている時はあんなにも表情豊かなのに、こうして抉り出すととたんにただの無機物になる。
「おにいざんがえじでえ! おめめがえじでよおお! どうじで! どうじでごんなごどずるのお!? まりざいだいよおおお!」
「君だって、勝手に俺のお菓子を食べたじゃないか。だから俺も、君から勝手に目をもらうよ」
俺は痛みに苦しみもがくまりさにそう言った。
まりさは一瞬、信じられないものを見る目で俺を見た。
不愉快だ。
自分がそうしたというのに、自分が同じようにされるのは嫌なのか。
「がえじでっ! がえじでっ! それはやぐまりざのおかおにもどじでよおおおおおお!!」
「お菓子を返してくれたら戻してあげるよ。ほら、早く返して。そうしたら戻してあげる」
「でぎないよお! できないよおおお! もうおがじざんだべじゃっだがらがえぜないよおおおお!!」
「じゃあ、これも返してあげない」
泣き叫ぶまりさを尻目に、俺は指先に力を込めた。
ブヂュッ、とあまりにもあっけなく、まりさの二つとない左目は潰れて四散した。
目の前で自分の体の一部を潰されたショックで、まりさは泣きわめく。
「や゙ぎゃあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!! お゙め゙め゙ぇ! お゙め゙め゙ぇ! まりざのずでぎなおべべぇえええええええ!!」
ねっとりとした液体が、潰れた眼球から流れ出した。
恐らくシロップだろう。
これでもう、まりさの顔から左目は永遠に失われた。
どんなことがあっても、まりさはこれからずっと片目で生きていかなければならないのだ。
俺は眼球の残骸を庭に放り投げた。
「次はまりさの髪の毛だね。それももらうよ」
「だめぇ! だめだめだめえええええ! やだあ! まりさのおさげさんむしっちゃやだあああああ!」
必死に体を捻って、俺の手から逃れようとするまりさ。
だが、その力はあまりにも弱く、抵抗と呼ぶにも値しない。
俺はまりさの帽子から出ているお下げを掴み、ぐいっと力任せに引っ張った。
「い゙ぎゃ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙! あ゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙い゙! いだいっ! いだいいだいいいい!」
お下げは根本から千切れて手に残った。
なぜ根本からだと分かるかというと、皮と餡子がわずかながらくっついてきたからだ。
俺はまりさの帽子を取り上げた。
「おぼうしさんっ! それまりさのおぼうしさんっ! かえして! まりさのおぼうしさんかえしてね!」
邪魔になるから、俺は帽子を自分の頭に乗せた。
傍目から見ればかっこわるいが、この際気にはしない。
「これだけじゃ足りないな。もっとまりさの髪の毛をもらうよ」
「やだああ! やめてね! まりさのかみのけむしらないで! いたいのやだああ! むしるのだめえええええ!」
まりさの声は、昨日の俺が聞いたら痛々しくて手を止めたくなるものだったに違いない。
いくら何でも、菓子を勝手に食べられたくらいで目を抉って髪を抜くなんて、と不快感をあらわにしたことだろう。
だが、今の俺はまったく嫌悪感がなかった。
まりさのきらきら光る金髪を指で掴み、お下げと同じようにして引っこ抜く。
雑草を抜くようなブヂッという手応えを残して、一つまみの金髪が手に残った。
「いぢゃあああああいいい! あちゃま! あちゃま! まりぢゃのあぢゃまああああああああ!!」
まりさは涙を流して激痛を訴える。
髪の毛は地肌ごと引き抜かれ、まりさの頭には小さな穴が空いていた。
気にせず、俺は次々とまりさの頭から髪の毛をむしり取る。
「いびゃい! いびゃいよっ! おにいざんやめでっ! まりざのがみのけっ! だいじな! だいじながみのけなのっ!
いぢゃいいぃっ! どうじでぇ? どうじでごんないだいごどずるの!? まりざなにもわるいごどじでないのにいいいいいい!」
自称「悪いことをしていないまりさ」は、俺が手を止める時には「まばらに頭に髪の毛が残っている禿まりさ」になっていた。
完全な禿にするよりも、所々に残っている方が無様さに拍車がかかる。
俺と最初に出会った時の若くはつらつとしたまりさは、もうどこにもいない。
ここにいるのは、片目に穴が空き、髪の毛のほとんどをむしられた不細工なゆっくりだ。
「ゆっ……ゆぐっ……ゆぐぅ……いだいよぉ……まりさのかみのけさん……みんなにほめてもらったかみのけさん……
ゆっくりかえってきてね……いだいぃ……まりさのあたまにゆっくりかえってきてねえ! はやくかえってきてねええええ!!」
まりさは俺の足元に散らばる自分の髪の毛を見て、涙をぽたぽた落としている。
その悲しそうな顔は、ゆっくりを駆除していてもなかなかお目にかかったことがない。
どうやら、本当にこいつの髪の毛は仲間の間でちやほやされていたようだ。
それを苦痛と共に失った気分はどんなものだろう。
「もらったけど、やっぱりいらないね。こんな汚い髪の毛」
俺は下駄の足でその金髪を踏みにじり、土の中にねじ込んだ。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙! や゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
まりさの悲鳴がかん高くなる。
俺は自分の頭にかぶっていた帽子を、まりさに返してあげた。
「おぼうしさん! まりさのだいじなおぼうしさん! ゆっくりおかえり! おかえりいいい!」
大あわてでまりさは帽子をかぶる。
大事なものだということもあるが、同時に禿を隠したいのだろう。
まりさは俺をにらみつけた。
「ひどいよ! おにいさんひどい! やめてっていったのに! まりさがやめてっておねがいしたのに! どうしてこんなことするの!
おにいさんはゆっくりできないよ! きらい! だいっきらい!! まりさのおめめもどして! かみのけももどしてよお!」
「ああ、まりさはやめてって言ったね。聞こえたよ」
「だったらどうしてこんなことするの! まりさいたかったよ! すごくいたかったよ! どうしてえええ!」
「だから? まりさが止めてって言ったから何なの?」
まりさは口を閉じた。
涙がいっぱいにたまった右目で、こちらをじっとにらんでくる。
まるで、自分はかわいそうな被害者であるかのような顔だ。
「君だって、俺が食べちゃ駄目だと言ったお菓子を食べたじゃないか。同じことだよ。俺も、君が止めてって言っても髪の毛をもらうよ」
「そ……そんなこと……。そんなの……。そんなのやだよおおおお! やだあ! やだやだやだあああああ!!」
「次はまりさの白い歯だね。それももらうよ」
「やだあ! やだあああ! やじゃびゃびぎぃぃぃ!!」
俺は大声を張り上げるまりさの口に、親指と人差し指を突っ込んだ。
手にまりさの口内の濡れた感触が伝わった。
上顎の奥歯を一本掴み、力任せに引っ張る。
予想よりも遙かに力を必要とせず、まりさの歯は引っこ抜けた。
「あびっ! ばびびっ! あびっ! あびや゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ゙っ゙!!」
歯の抜けた歯茎から粘性の低い餡子をびゅっびゅっと拭きつつ、まりさは絶叫した。
俺は指先でつまんだこいつの歯をじっくりと眺めてみた。
色は真っ白だ。形は人間のものとよく似ている。
少し力を入れただけで、あっけなく歯は砕けた。恐らく砂糖でできているのだろう。
「びゃびぇでっ! いびゃいびょ! しゅびょびゅいびゃいっ! いびゃびいいいい!! 」
たった一本歯を抜かれただけで、まりさは顔をぐしゃぐしゃにして激痛を訴える。
ろれつの回らない様子から、これがまりさにとって初めての激痛なのがよく分かる。
だが、俺は一本では満足しなかった。
怯えきったまりさの視線を無視して、俺はさらに口に指を突っ込んだ。
「びゃべびぇえええええええ!!」
上顎の歯を四本ほどつまむと、一気に引っこ抜く。
一度目で力加減が分かったから、二度目の抜歯は簡単だった。
ブチブチッという歯茎の千切れる音と共に、俺の手はまりさの口から抜かれた。
まりさの大事にしていた、きれいな白い歯と一緒に。
「い゙ぎゃびい゙い゙い゙い゙い゙い゙!! ゆ゙びあ゙あ゙あ゙あ゙! あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙! あ゙あ゙あ゙あ゙っ! びぎゃい゙い゙い゙い゙い゙!」
目を抉ってやった時よりも、数段上の悲鳴が聞こえた。
さすがに、これを近距離で聞くとこちらも鼓膜がおかしくなる。
麻酔なしで歯を何本も一度に抜かれたのだ。
こいつがこれだけ叫んでもおかしくない。
「ぼうやだああああああ!! やだああああああ!! まりざいだいのやだああああああああ!!」
まりさは俺の手の中でめちゃくちゃに暴れる。
どうやら、歯を失っても喋れるようだ。
そうでなくては。
こちらも、これでこいつのすべてを奪い尽くしたとは思っていない。
俺はまりさを地面に降ろした。
まりさは、まさか助かると思っていなかったのだろう。
一瞬きょとんとして地面を見ていたが、次の瞬間ものすごい勢いで泣き出した。
「ゆわああああああん! ゆえええええええん! もうやだああ! おうちかえるうううう! まりさおうちかえるううううう!!」
泣きながら、まりさはぴょんぴょんと跳ねて庭を突っ切る。
生け垣に頭から体当たりし、中に無理矢理潜り込んだ。
火事場の馬鹿力という奴だ。
まりさはゆっくりらしからぬ速さで俺の家から逃げ出した。
「おうちかえる! まりさはおうちにかえるよおおおお! おとうさあああん! おかあさああん! まりさもうやだよおおおお!」
泣きじゃくるまりさの声が遠ざかっていくのが分かった。
さて、後を追うことにしよう。
まだまだ、こいつから頂戴しなければならないものはあるのだから。
逃げるまりさの後を追うのはあまりにも簡単だった。
「ゆええええん! ゆええええん! ゆっくり! ゆっくりいいい! ゆっくりしないでにげるよおおおお! いたいよおおお!」
何しろ、まりさは大声で泣きながら逃げているのだ。
あれだけ小さな生き物が、よく全力疾走しながら大声を出せるものだ。
幻想郷の人間である俺は、それなりに妖怪との付き合いもある。
だが、あんな奇怪な存在などゆっくり以外にいない。
「おうちかえる! まりさはおうちかえるよ! かえって! おうちかえって! ゆっくりする! ゆっくりしたいよおおお!
おとうさんとすーりすーりする! おかあさんとすーりすーりする! いもうととごはんさんむーしゃむーしゃする! ゆっくりするうう!」
一度も振り返らず、いっさんに巣に向かったまりさは実に愚かだった。
姿を隠しもせずに大声を出して、あれでは後を追ってきて下さいと言わんばかりだ。
森に入ってしばらくしてから、まりさは大きな木の根元で立ち止まると叫んだ。
「おかあさあああああん! おとうさああああん! まりさだよおおおお! かわいいまりさがかえってきたよおおおお!」
わざわざ出迎えを要求するとは、ずいぶんと甘ったれた子どもだ。
だが、こいつの尋常でない声の調子に驚いたのだろう。
「おちびちゃん? どうしたの? ゆっくりしてないね!」
「ゆっくりしていってね! おちびちゃんだよね! どうしたの?」
「おねえしゃんどうちたの? ゆっくちちてないにぇ!」
「ゆっ! おえねしゃんだ! おねえしゃんおかえりなちゃい!」
「どうちたんだじぇ? こわいいぬしゃんかとりしゃんにおいかけられたにょ?」
巣穴にかぶせてあった木の枝が取りのけられ、中からゆっくりの家族が姿を現した。
両親のまりさとれいむ。
それにこいつよりも体の小さな、れいむが二匹とまりさが一匹。
舌足らずな口調と体の大きさで、妹だとすぐ分かる。
「ゆええええええん! ゆえええええん! おかあさああああん! おとうさあああん! まりさっ! まりさあああああ!!」
まりさは家族の顔を見て安心したのか、一目散に両親の所に跳ねていった。
その側にくっつくや否や、まりさは大声でわんわんと泣き出す。
「おちびちゃんそのおかおどうしたのおおおお!? きずだらけだよおおおお!」
「おめめがかたっぽないよおおおお! それに……おちびちゃんのはがおれてるよおおおお!」
「ゆああああ! おねえしゃんいちゃいいちゃいだよおおお!」
「おねえしゃんいちゃいの? れいみゅがぺーろぺーろちてあげりゅにぇ!」
「まりしゃもぺーろぺーろしゅるんだじぇ! ぺーろぺーろ! ゆっくちなおっちぇにぇ!」
俺が隠れていることに、家族一同誰も気づいていない。
泣き沈むまりさを慰めようと、両親はまりさに優しくすりすりしている。
妹たちも同様だ。懸命に舌でぺろぺろとまりさを舐めて、何とかして落ち着けようとしている。
確かに、こいつが自慢するだけのことはある、仲のよい家族だ。
しばらくまりさは泣いてばかりだったが、ようやく安心したのかぐずるだけになってきた。
「ゆっ……ゆぐっ……こわかったよお……まりさすごくこわかったよおおお!」
「よしよし、もうだいじょうぶだよ。なにがあってもおとうさんがまもってあげるからね。こわいことなんてなにもないよ」
「そうだよ。れいむたちがついているから、おちびちゃんはあんしんしてね。ゆっくりあんしんしていいからね!」
「ゆぅ……ゆっくりありがとう、おとうさん、おかあさん……。まりさ、うれしいよお…………」
「さあ、おとうさんにおしえてね。どうしてそんなけがをしたの?」
「……ゆうぅぅ…………こわいにんげんさんが……にんげんさんが……おにいさんがまりさにひどいことしたんだよおおお!
やめてっていったのに! やめてっておねがいしたのに! おにいさんがまりさのおめめをとっちゃったんだよおおお!!」
再びトラウマを想起したらしく、まりさは泣き始めた。
意外なことに、親のれいむとまりさはこんな事を言った。
「おちびちゃん! どうしておかあさんのいいつけをまもらなかったの! にんげんさんにちかづいちゃだめだっていったでしょ!」
「そうだよ! おとうさんもおしえたでしょ! にんげんさんはこわいよ! ゆっくりできなくされちゃうよっていったでしょ!」
「だって……だってえええええ! おいしそうなおかしがあったから! すごくおいしそうだったから! まりさだってえええ!!」
「ま……まさか…おちびちゃん? もしかして、それを…………」
「ゆええん! ゆわああああん! たべちゃったよおおお! たべたかったんだもん! おいしそうだったもん!
まりさだってたべたかったんだもん! すごくおいしそうなおかしだったんだよ! まりさちょっとたべただけなのにいいい!!」
「どうしてそんなことするの! にんげんさんのたべものはたべちゃだめだってあれほどいったのにどうして! どうしてええ!」
「そんなことしたらにんげんさんおこってあたりまえだよおおおおお! おちびちゃん! なんでそんなことしたのおお!?」
俺は感心さえしていた。
この家族は本当にまともだ。
きちんと、人間にちかづいてはいけないと、人間の食べ物を食べてはいけないと両親は教えているのだ。
これなら、人間に駆除されることもなく、森でひっそりと生きていけるだろう。
それなのに、こいつはわざわざ人間の里まで下りてきて散歩なんてしていた。
長女だから甘やかされたのか。
あるいは、もともとこいつだけ特に馬鹿なのか。
どちらでもいい。
俺のプランは既に決まっていた。
「ゆわああああん! まりさゆっくりできなかった! ゆっくりしたかったのにゆっくりできなかったよおお!」
「よしよし、おちびちゃん。もうだいじょうぶだよ、だいじょうぶだからね。ここまでくれば、にんげんさんもおいかけてこないよ」
「いたかっただろうね。ゆっくりできなかっただろうね。さあ、きょうはもうゆっくりおやすみ。ぐっすりねむればゆっくりできるよ」
「れいみゅおねえしゃんにおくちゅりとってくるにぇ! ぱちゅりーおばしゃんのところまでいってくりゅよ!」
「まりしゃもついていくんだじぇ! まりしゃのおぼうちにおくちゅりをいれればだいじょうぶだじぇ!」
「れいみゅはおねえしゃんといっしょにおやしゅみーしてあげりゅよ! いっしょにおやしゅみしゅるとあっちゃかいよ!」
「ゆぅぅ……ありがとう、おとうさん、おかあさん、まりさ、れいむ。こわかったけどもうゆっくりできたよお…………」
一致団結して、傷ついた長女を慰めようとする家族。
実に、理想的な家族の形じゃないか。
両親に抱きしめられ、妹たちにすり寄られ、あれだけ泣いていたまりさに笑顔がようやく戻った。
「ゆっくり! まりさもうだいじょうぶだよ! いたいのもうへいきになってきたよ!」
片目と口内の痛みをこらえて、まりさが家族に笑いかけた時を見計らい、俺は一歩を踏み出した。
たった一歩で、俺はまりさと家族たちの前に立ちふさがる形になる。
「やあ、まりさ。確かに、素敵な両親と妹だね。君の言った通りだ」
俺の出現に、まりさはあんぐりと口を開けた。
その顔が、見る見るうちに恐怖で引きつる。
「ゆ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
この声も駆除の時によく聞いた。
隠れ家を壊して中のゆっくりと対面した時、よくゆっくりは目と歯茎をむき出してこういう声を出す。
よほど驚き、しかも怖がっている時の声らしい。
顔といい声といい、はっきり言ってグロテスクだ。
「やだあああ! おにいさんやだああああ! こわいよおお! ゆっくりできないよおおお! ゆんやああ! ゆんやああああああ!!」
まりさは家族のど真ん中で、パニックに陥って泣き出した。
下半身から勢いよくしーしーが噴き出して、地面に水たまりを作る。
恐怖のあまり失禁したらしい。
「おとうさああん! こわいよおおお! おかあさあああん! このひとだよお! このひとがまりさのおめめを! おめめをおおおお!」
まりさは泣き叫びながら両親に助けを求める。
おおかた、恐い人間を両親によって追い払ってもらおうという魂胆だろう。
まりさに水を向けられた親のれいむとまりさは、俺の方を怯えた目で見た。
「にっ! にんげんさん! おこるのやめてね! ゆっくりしようね! ゆっくりしていってね!」
「そっ! そうだよ! いっしょにゆっくりしようね! おねがいだからおこらないで! おこらないでね!」
びくびくしながらも、親れいむと親まりさはまりさをかばう形で俺の足元に近づく。
しかし、俺が聞いたのは二匹の身の程知らずな主張ではなく、卑屈なお願いだった。
俺が二匹をにらむと、たちまち両親は体を縮める。
人間とゆっくりとの実力差がはっきり分かっているようだ。
「ゆえええん! ゆええええん! どうしてええ! このひとはまりさにいたいことしたよ! ひどいこといっぱいしたよお!
いっぱいいたいことしたゆっくりできないわるいひとだよおお! わるいおにいさんだよおお! ゆえええええん!」
分かっていないのがここに一匹いる。
当てが外れてがっくりしたのだろう。まりさは泣きながら両親をけしかける。
きっと、この聡明でしっかりしたゆっくりたちは、子どもたちの脅威を何度も退けたに違いない。
さぞかし、まりさは両親の力に信頼を置いていたことだろう。
俺など、両親があっさりやっつけてくれるものと思っていたのか。
だが、現実は両親が俺に頭を下げ、機嫌をうかがう言葉を発するだけだ。
「まってね! ゆっくりまってね! おちびちゃんはびっくりしているだけなの! ほんとだよ! ゆっくりしんじてね!」
「おちびちゃんはほんとはとってもいいこなんだよ! ね!? ね!? にんげんさん! おこってないよね! ね!?」
親れいむと親まりさは、ひたすら俺にゴマをする。
何としてでも人間さんを怒らせてはいけない。
怒ったら、きっと自分たちは皆殺しになる。
その恐怖がありありと伝わってくる。
俺はしばらく、この後どうしようとかと考えていた。
足に何か柔らかいものがぶつかった。
顔を下に向けると、妹のチビまりさと目が合う。
「ゆっくちまつんだじぇ!」
「おぢびぢゃんどうじでえええ!?」
「おぢびぢゃんやべでええええ!?」
俺の足に体当たりしてふんぞり返るチビまりさの目は、まるで勇者様気取りだ。
どうやら、このチビまりさは両親の脇をすり抜けて俺に特攻したようだ。
一方、親れいむと親まりさは鎮静化しつつあるはずだった事態がぶち壊れたことで、顔をこわばらせて悲鳴を上げている。
さらに足に当たる二つの感触。
チビまりさに続いて、チビれいむが二匹俺の足に体当たりした。
「おにいしゃんだにぇ! おねえしゃんにいちゃいことをしたわりゅいにんげんしゃんは!」
「どうちてこんにゃことしゅりゅの!? おねえしゃんいちゃいいちゃいだよ! りかいできりゅ!?」
「にんげんしゃん! じぶんがわりゅいことちたってわかったのじぇ!? だったらはやくおねえしゃんにあやまるんだじぇ!」
横一列に並んだ、哀れなまでに勇ましい妹たちの戦列。
どのゆっくりの目も闘志に満ち、俺を敵として判断したのがよく分かる。
憎き姉の敵。
絶対に許すものか、という気構えさえ伝わってきた。
「どうちてもあやまらにゃいなら、れいみゅもおこりゅよ! ぷくーしゅるよ! ぷくーっっ!」
「れいみゅもぷくーしゅりゅよ! にんげんしゃん! れいみゅのぷくーではんせいしちぇにぇ! ぷくーっっ!」
「はやくあやまるんだじぇ! あやまらないともっときょわいめにあうんだじぇ! ……ゆゆぅ! もうまりしゃもおこったんだじぇ!
まりしゃもぷくーするんだじぇ! おねえしゃんのいちゃいいちゃいをにんげんしゃんにもわからせりゅんだじぇ! ぷくーっっ!」
いっせいに三匹は、頬と体を風船のように膨らませる。
これも何度か見たことがある。
「おちびちゃんはおかあさんがまもるからね! ぷくーっ!」
とか言って、駆除しようとする人間に体を大きく見せるのだ。
ゆっくりの威嚇で間違いないだろう。
そう言えば、あのれいむはどうしただろうか。
確か、面倒だから回り込んで、先に子ゆっくりの方を袋に入れた気がする。
親ゆっくりは「やべでぐだざあい! おぢびぢゃんなんでず! まりざがのごじでぐれださいごのおぢびぢゃんなんでず!」と泣いていた。
つまり、まったくの無意味なのだ。
「………あ…………ああ………やめ……て……やめて……おちび……ちゃん…………」
「に……にんげん…さん………おちびちゃんを……おねがいだから……ゆるして……ね…………」
それが分かっているのは両親だけだ。
親れいむと親まりさは、もはや絶望さえ漂いだした目で俺に許しを請う。
後ろでは、ようやく泣き止んだまりさが潤んだ目で妹たちを見つめていた。
「まりさぁ……れいむぅ…………。まりさ……すごくうれしいよお…………」
姉のために健気に立ち向かう妹たちに、まりさは感動しているらしい。
ついさっき、自分が俺に半殺しにされたことなどもう忘れたのか。
「なあ、まりさ」
俺は足元で膨れた三匹を無視して、まりさに話しかける。
「この妹たち、俺がもらうよ」
「はやくあやまっちぇ! れいみゅがぷくーしちぇるのになじぇあやまらにゃいの! がまんちてにゃいではやぶぎゅびゅぶぶぅぅ!!」
俺がしたのは簡単なことだ。
ただ、一歩を踏み出しただけだ。
それだけで、一番端で膨れていたチビれいむが下駄の裏で潰れた。
「れ…れいみゅがあああああああ!!」
「ど…どうぢでええええええええ!!」
「いもうと……まりさの……れいむ……れいむがああああああああ!!」
隣のチビまりさとチビれいむ、そしてまりさは一撃で妹が潰れたショックで大声を上げる。
特にチビたちは、発狂したのかと思うくらい口を開けて泣き叫んでいる。
「あ……あ……おちびちゃん……が……」
「そん……な……おち……び…ちゃん…………」
親れいむと親まりさのショックは、子どもたちに比べて少ないようだ。
こうなることを、ある程度予期していたからだろう。
俺は足を上げた。
そこには、かろうじて無事な顔で呻き、ぐしゃぐしゃに潰れた下半身を動かす不気味な塊があった。
即死は免れたらしい。
チビれいむは生まれて初めて味わう苦痛が、同時にゆん生最後の体験であることが分かり、餡子混じりの涙を流していた。
「いぢゃいよぉ……おにゃかがいぢゃいよぉ………あんよしゃん……どうちでうごがにゃいの…………
やじゃあ……れいみゅじにだくにゃいよぉ…………れいみゅ……れ……い…みゅ…………」
口から吐いた大量の餡子に埋もれるような形で、チビれいむは死んだ。
チビれいむは即死できなかったことを恨んだに違いない。
ごく短い間だったが、途方もない苦痛を味わってから死んだのだから。
まずは一匹だ。
俺はすぐに両手を伸ばし、動けないでいるチビまりさとチビれいむをつかんだ。
「やめちぇ! やめちぇにぇ! はなちちぇ! れいみゅをはなちてにぇ!」
「やめりゅんだじぇ! まりしゃをはやくはなしゅんだじぇ! はなちぇえええええ!」
手の中でじたばたともがくチビたち。
先程の勇ましさはどこへ行ったことやら。
俺が顔を近づけると、「「ゆっぴいっ!」」とそろって悲鳴を上げて失禁した。
手の中に生温かい液体の感触が伝う。
「やめちぇえ! おにいしゃん! れいみゅをはなちてくだしゃい! もうぷくーちまちぇん! ちまちぇんかりゃあああ!」
「まりしゃをたしゅけてくだしゃい! まりしゃはばきゃなゆっくちでしゅ! もうちましぇん! たしゅけちぇえええええ!」
俺は、徐々に握力を強めていった。
指に力を入れ、二匹を握り潰していく。
「ゆぶっ! ゆぶぶっ! ゆぶううううううう!」
「ゆぐっ! ゆぐうう! ゆぐううううううう!」
少しずつ、力を加えていく。
だんだんとチビまりさとチビれいむの体の形は、ボールから瓢箪に変わりつつあった。
懸命に力を入れて握力に抗おうとしているが、無駄な努力だ。
閉じた口からわずかながら餡子が垂れ始める頃になると、二匹は露骨に苦しみだした。
顔を左右にぶんぶんと振り回し、苦痛から逃れようと無駄な努力をする。
「ちゅっ! ちゅっ! ちゅぶれりゅうううううううううう!!」
「ちゅぶれりゅ! ちゅぶれりゅよおおおおおおおおおおお!!」
こんなところでも、ゆっくり特有の「自分の行動を声に出して表現する」習性は変わらない。
二匹は白目をむいて絶叫した。
ぱんぱんに膨れ上がった顔は真っ赤になり、ゆっくりとは思えない不気味な形に変形している。
「やべでぐだざい! やべでぐだざい! ぐるじんでまず! おぢびぢゃんぐるじがっでまず! もうやべでぐだざあい!」
「おねがいでず! おぢびぢゃんをごろざないでぐだざい! がわりにれいぶがじにまず! れいぶががわりにじにまずがら!」
「やめて! やめてよお! まりさのいもうとだよ! かわいいいもうとだよおお! はなして! はやくはなしてえええ!」
親れいむと親まりさは、顔を涙でべちゃべちゃに汚しながら、俺の足にすがりついている。
濁りきった声で、俺を止めようと必死だ。
それなのにまりさは、キンキンとかん高い声で離れた場所からわめくだけだ。
俺はさらに力を入れた。
「ぶぼぉっ!」
「ぶびゅっ!」
あっけなく、二匹の口とあにゃるから餡子がほとばしり出た。
グロテスクなお多福のような顔になったチビまりさとチビれいむの顔が、さらなる苦しみで歪む。
ここが限界だったようだ。
たちまち餡子が流れ出て小さくなっていく体を、俺は地面に落とした。
「おちびぢゃん! おちびぢゃあああん! へんじじでっ! へんじじでよおおおお!」
「おかあさんだよ! れいむおかあさんだよおおお! ゆっぐりじでえ! ゆっぐりじでえええ!」
「ゆ゙っ……びゅ……ぼっ………ぶっ……ぶぶっ…………」
「ごっ……びぇ………べっ……ゆ゙っ……ゆ゙ゆ゙っ…………」
すぐさま顔を近づける両親。
瓢箪の形になったまま戻らないチビたちは、もはや命が尽きる寸前だった。
何度も呼びかける親の声も聞こえないらしく、わずかに体を痙攣させて呻くだけだ。
それなのに、ぎょろりと飛び出しかけた目だけは血走って、今も終わらない苦痛を訴えている。
やがて呻き声は止まり、虚空をにらむ目がゆっくりと濁っていく。
チビまりさとチビれいむは、最後まで苦しみながら死んだのだ。
「まりさのかわいいいもうとおおおおお!! どうして! どうしてころしちゃうのお! まりさのいもうとなんだよ!
かわいいいもうとなんだよ! ゆっくりしてたよ! どうして! どうしてこんなひどいことするのおおおお!!」
すすり泣く両親に何の遠慮も示さず、まりさは跳びはねながら俺を非難する。
よく見ると、まりさも目から涙を流していた。
これで、まりさのかわいい妹たちは全滅したことになる。
二度と仲良く家族で団らんはできないだろう。
もう、頬をすりつけることも、顔を舐めることもできない。
惨めに潰れたチビれいむと、変形しきったチビまりさとチビれいむの死体が、現実を突きつける。
「何を言ってるんだ、まりさ。あのチビたちは俺のものだよ。だから、俺がどう使おうと勝手じゃないか」
「ちがうよ! まりさのいもうとだよ! おとうさんとおかあさんがうんだまりさのかわいいいもうとなの! おにいさんのじゃないよ!」
「さっきまではね。でも、俺のものだって主張すればそうなるんだよ。生かそうが殺そうが、俺のものに文句を付けないでくれないか」
「やめてよ! やめてええ! まりさにいじわるしないで! おにいさんきらい! だいきらいだよ! どっかにいって! かえって!」
「君がお菓子を返してくれたらね。さあ、早く返して。返してくれたら全部元に戻してあげるから。ほら、早く返すんだ」
最終更新:2010年10月09日 20:45