少女とまりさ 前編
※注意、人間が酷い目にあいます。
※書いた奴の脳みそが残念なので、致命的な設定のミスがある可能性があります。
少女は虚ろな目で天井を見上げていた。
その視線の先には、時折チカチカと苦しそうに点滅する切れかかった蛍光灯。
一匹の羽虫が盲目的に光を求めて、蛍光灯へと向かって意味の無い体当たりを繰り返している。
その様子を少女は瞬きもせずに、ただジッと見つめていた。
少女は息をしていない。自分の意志で呼吸を止めていた。
ゆっくりとした動作で少女は俯いた。その思考は酸欠によって次第にまとまらなくなっていく。
心臓の鼓動が体の中で徐々に激しさを増していくのが分かる。
少女は再び顔を上げると壁にかけられた時計に視線を移す。
少女が自分の意思で呼吸を止めてから、時間は30秒と経過していなかった。
それを見た少女は溜まらずに大きく息を吸い込んだ。
荒い息遣いが薄暗い部屋の中に響く。
どうしてそんな事をしたのか?
それは少女の目の前で、真っ赤になった両目を引き千切れんばかりに見開いて、
苦しそうに収縮を繰り返す生き物の気持ちを少しでも理解しようとしたからであった。
ここは3年前に病気で他界した私の兄の部屋。
私の両親は私が生まれるよりも幾分か前に離婚してしまい、
兄を引き取った母も、私を産んだ半年後に交通事故で他界してしまったので、私にとって兄は父親の様な存在だった。
よく人見知りをしてしまう私と違って、兄は人当たりが良かったので周囲の人々からも評判が良かった。
でも、ひとつだけおかしな所があった。
ゆっくりが死ぬ程嫌いだったのだ。
その理由はわからない。とにかくゆっくりに対して病的なまでの嫌悪感を隠す事無くあらわにしていた。
仮にその理由を聞いたとしても、きっと答えてくれなかっただろう。
もしかしたら、理由など始めから無いのかも知れない。
兄の前を通りかかっただけのゆっくりを殺す事は日常茶飯事だったし、
私が何度か止めるように言った事もあったが、聞く耳を持ってはくれなかった。
しかし、それ以外では文句の付け所の無い、私には勿体無い程の兄だった。少なくとも私はそう思っていた。
そんな事もあって、兄の死後もこの部屋に近づく事は殆ど無かった。
それは”こんなもの”を見つけてしまうかもしれないという”予感”があったからだ。
そして、それは実際に今開いてしまったクローゼットの中にあった。
クローゼットには、本来入っている筈の衣服類等は一切無く、「大きな水槽」がひとつ、ポツンと佇んでいた。
その中には並々と液体が詰まっていて、一匹のゆっくりまりさが苦悶の表情を浮かべて液体の中を漂っている。
どうしてクローゼットを開いてしまったのだろう?
理由は無かった。ただ・・・本当にただ、何となくだった。
強いて言えば、すっかり慣れたと思っていた孤独な1人暮らしに僅かばかりの憤りを感じていたのかもしれない。
少女は再びクローゼットの中に置かれた水槽に視線を戻す。
中では先程と変わらず苦しそうな表情で溺れ続けるまりさの形相。
兄が死んだのは3年前。
つまり、どんなに少なく見積もっても、このまりさは3年間はここで溺れ続けていた事になる。
先程、息を止めて30秒も持たなかった私には、3年もの間息ができずに溺れ続けるという苦しみを想像する事ができない。
このまりさは、一体何をしたのだろうか?何をしたらこんな目に会わなければならないのだろうか?
もしかしたら、何もしていないのかも知れない。
生前の兄を知る限り、残念ながらこんな残酷な行いを兄は無実のゆっくりに対してでも嬉々として行っただろう。
「今、出してあげるからね」
少女は仮にこのまりさが何か人に害をなす行為を行っていたとしても、
目の前で行われている数年間に渡る苦行によって、それはもはや清算されたのではないかと思った。
水槽の壁面を撫でながら、静かに呟いた少女は水槽に手をかけて持ち上げようと両肩に力を入れる。
しかし、少女にとって並々と液体が注がれた水槽は思っていた以上に重く、
静かに床に置く事もできずに、水槽は少女の手を滑り落ちて落下した。
「あっ・・・・!」
その拍子に液体が漏れ出すのを防いでいた蓋は外れて、大きな音と共に水槽は床に横倒しになった。
それと同時に、水槽を満たしていた液体がフローリングの床へと流れ出す。
その液体は単純な水ではなく、水飴の様な粘性を持った液体であった。
ドロドロと床を侵食する液体に混ざって、中のまりさが「ズルリ」と水槽から床へと滑り出た。
「ゆ゛っ!!ゆげっ!!・・・ゆ゛っ!ゆ゛っ!」
数年ぶりに外気に晒されたまりさは、千切れんばかりに大口を開けて貪欲に空気を体内に取り込む。
時折、ビクンビクン!と小刻みに痙攣しながら、忙しなく荒い呼吸を繰り返している。
少女はそんなまりさの咳き込む背中にそっと触れると優しく撫でた。
「大丈夫・・・?」
「ぜひっ!ひぎっ!・・・ゆ゛っ!?」
少女に触れられたまりさは、驚いたのか「ビクリ」と一度大きく体を奮わせると、真上に大きく飛び上がった。
そして、顔面から床に着地して「べしゃり」とうつ伏せに倒れたが、すぐに起き上がると、
「ゆっ?ゆっ?」と落ち着きの無い声を出しながら、足元の液体に体を滑らせつつも辺りを見回して、少女の方へと振り返った。
「ごべんなざいっ!もうゆるじでぐだざいっ!までぃざはばんぜいじばじだぁぁぁ!」
ボタボタと涙と汗を垂れ流しながら、床に頭を擦り付けて土下座の様な姿勢で少女に向かって何度も謝罪の言葉を連呼する。
そんなまりさの様子を見て少女は困惑した。
やはり、何か悪い事をしたゆっくりだった様だ。
しかし、顔をくしゃくしゃに歪ませながらこちらに向かって力無く頭を下げ続けるまりさに邪悪な物はあまり感じられなかった。
「もう大丈夫だよ、怖かったね」
少女はそういうと、まりさを落ち着かせようと、その頬にそっと触れて優しく撫でた。
そんな少女の様子にまりさは自分の身に降りかかっていた危機が去った事をようやく理解したのか、
ニコリと微笑むと、少女の手の動きにあわせて「ゆっ!ゆっ!」と嬉しそうな声を出しながら顔を動かした。
◆
「ゆっ?ゆゆっ!?やめてねっ!”しゃわーさん”はゆっくりできないよっ!ゆっくりやめてねっ!」
「動かないでね」
少女はまりさを洗面所へと連れて行くと、シャワーで体中についた粘液を落とす事にした。
仕切りにシャワーを怖がって震えていたまりさだったが、その頭上にお湯が降り注ぐと、
目を丸くさせて、何とも言えない微妙な声を断続的に発しながら微動だにしなくなった。
ゆっくりは水に長時間漬かっていると、皮が溶けて中の餡子が流れ出し、命を落としてしまうそうだ。
まりさが入れられていた水槽の粘液にはゆっくりの皮が溶けない特殊なものなのだろうか?
手についた粘液をそっと鼻に近づけてみると、ほのかに甘い香りがする。
ゆっくりは甘いものを好んで口にする。つまりこれは人間で言う所の点滴の様な役目も果たしているのだろう。
つまり、この液体はゆっくりの体を溶かす事無く、更に餓死させる事も無く、延々と溺れさせる事ができるのだろう。
飼い主の自分勝手な都合で保健所に連れて行かれてしまったり、
街で人の迷惑になる行為を繰り返した野良のゆっくりが処分されてしまうという事は残念ながら良くある事なのだが、
殺処分せずにこういった方法で無理やり延命させるというのは一体どういう事なのだろうか?
「あ、いけない」
「ゆゆっ!?」
物思いにふけっていた少女が、まりさにとっては危険な物である水を、
今まさに長時間浴びせ続けている事に気が付いて、慌ててまりさを両手で持ち上げてシャワーから遠ざける。
突如、洗面所内に響いた少女の声にまりさがビクリ!と体を振るわせた。
「ゆっくりっ!ゆっくりっ!?」
シャンプーが目に入らない様に目をギュッ!と閉じていたまりさが、
周囲で何が起こったのかわからずに、少女の腕の中でもるんもるんと体をうねらせて慌てふためく。
そんなまりさに少女は「ちょっと我慢してね」と優しく声をかけると手早くまりさの髪のシャンプーを洗い落した。
急に大雑把になった少女の動きに、まりさは「う゛わ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」と目を見開いて驚愕した。
「うゆゆぅ・・・うゆゆぅ・・・」
少女はタオルに包まれて気持ちの良さそうな表情を浮かべているまりさを見て、
どうやらまりさの身体には何の異常も無い様だと感じて、ほっと胸を撫で下ろした。
ボサボサになったまりさの髪をとかしながら、ドライヤーの生暖かい風をあてていると、まりさはウトウトと眠そうな表情浮かべる。
「うゅゅ・・・ゆっく・・・すー・・・すーや・・・すーやっ!」
すやすやと口に出しながら、実際にすやすやと眠りについたまりさを見て、少女はくすくすと笑った。
そんなまりさを起こさない様に、そっとリビングのソファーの上に乗せると、
少女は随分と散らかしてしまった兄の部屋を掃除をする為に、まりさを置いてリビングを後にした。
◆
少女が部屋の掃除を終えてリビングへ戻ると、まりさはまだソファーの上ですやすやと眠りについていた。
しかしまりさは、扉の閉めた物音で「パチリ」と両目を開くと、その場で小さく跳ねて少女に挨拶をする。
「ゆっ!?まりさはゆっくりおきたよっ!」
「ごめんね、起こしちゃったね」
そう言いながら少女はまりさの隣に腰をかけると、まりさを持ち上げて自分の膝の上へと乗せる。
まりさはそんな少女の行為に嫌がやるような素振りを見せずに、ゴロリと膝の上に仰向けに寝そべって少女を見上げながらニッコリと微笑んだ。
「まりさはまりさだよっ!ゆっくりしていってねっ!」
ゆっくり特有の友好的な挨拶であるその言葉を聞いて、少女はまりさがこちらを警戒していない事を感じて思わず笑みを返した。
両手で「もにゅもにゅ」と洗ったばかりのまりさのモチモチとした頬を撫でると「ゆっ!ゆっ!」と少し困った様な声をあげながらも、
まりさはプルプルと身を震わせて喜んでいる。
「おねぇさんっ!ゆっくりありがとうっ!」
「ん?」
「たすけてくれてゆっくりありがとうっ!」
「うん、どういたしまして」
屈託の無いまりさの笑顔を見て少女も顔を綻ばせる。
そして、大体の事は予想はついているが、一応直接まりさに問いかけてみる。
「まりさはどうしてあんな所に居たの?」
「ゆゆっ!」
つい先程まで延々と窒息し続けるという恐ろしい装置の中に居た事を思い出したのだろうか?
まりさは、カッ!と目を見開くと体を震わせながらカチカチと歯を鳴らし始めた。
少女はそんなまりさを両手で抱きかかえて落ちつかせようと頭を優しく撫でる。
暫く少女の腕の中でガクガクと震えていたまりさだったが、ようやく気分が落ち着いたのか、ポツポツと自分がああなった経緯を話し始めた。
「・・・怖い人間さんが、まりさのゆっくりプレイスを無茶苦茶にしたんだよ」
ゆっくりプレイスというのは、ゆっくりの住処の事である。・・・らしい。
まりさは元々住んでいたゆっくりの群れから新たなゆっくりプレイスを求めてこの土地へと流れてきた。
そして色々な苦労もあったが、ついに新たなゆっくりプレイスを手に入れる事ができた。
しかし、恐ろしい人間の手によってまりさのゆっくりプレイスは荒らされ、自分もあの息のできない部屋に入れられたのだそうだ。
という事は、兄がこのまりさの巣にちょっかいを出した挙句に、ここに連れて来てあんな装置に放り込んだという事だろう。
頭も良く、小さいころはよく私に勉強を教えてくれたりもした兄だったが、ゆっくりの事となると、理に適わない不可解な行動が目立っていた。
あまりにも理不尽な出来事であったが、あの兄ならば残念ながらやりかねない。と、私は思った。
「でもおねえさんが助けてくれたから大丈夫だよっ!まりさはここでゆっくりするねっ!」
「うーん・・・」
キラキラを目を輝かせながら言い放ったまりさの言葉に私は小さく唸り声を上げた。
兄が他界してからは、この無駄に広い家に住んでいるのは私だけである。
まりさがこのままここに住んでも何の問題も無いのだが、私は学校とバイトで一日の大半はこの家には居ないのだ。
とてもじゃないが、自分に生き物を飼う資格があるとは思えなかった。
「ごめんね、残念だけどまりさは飼ってあげられないよ」
「ゆゆっ!どぼじでっ!まりさはとってもゆっくりしてるんだよっ!知らないのっ?」
「うん、そうだけどね。でも、まりさは昔住んでた所に帰った方がいいと思うよ」
「うゆゆっ・・・・!」
きっと、まりさはまた何処からとも無く兄が現れて襲い掛かってくるのではないか?と考えているのだろう。
同じ人間である私の側に居れば、兄に命を狙われる心配も無い。だからここに留まりたいのだろう。
しかし、兄はもう居ないのだ。まりさの命を脅かすものはもう何も無い。
だから、こんな家で一人ぼっちで暮らすよりも、沢山の仲間の居るであろう元々住んでいた群れへと帰った方がきっと幸せになれる筈だ。
「まりさが昔住んでいたお家は何処にあるの?」
「ゆゆっ・・・?まりさの前のゆっくりプレイスはねっ!」
人間が理解するには、かなり困難な荒唐無稽な単語をペラペラと喋り出すまりさ。
まりさが元居た巣へ戻る為に覚えて来た目印の中には、「雲」だの「水溜り」だのすぐに無くなってしまう物も混ざっていたので、巣の割り出しは困難を極めた。
しかし、まりさの喋る単語の中には「虫」や「木」等の自然に関するものが多かった。
この街の近辺に自然が残っている場所と言えば、近所の公園とその周囲の雑木林しか無い。
その辺りを虱潰しに散策すれば、まりさが住んでいた巣を見つけることができるかもしれない。
取り留めなくまりさが喋る単語の中から、有力な情報だけを抜き出してメモを取りながら、少女は小さくため息をついた。
◆
少女は兄と一緒に歩いていた。
二人が歩く道の先は、ゆらゆらと陽炎の様に揺れて霞んで、どこまで続いているのかわからなかった。
しかも、フワフワと足が地につかない様な奇妙な感覚が足元に走り、思うように歩く事が出来ない。
早々に疲れを感じた少女は、喉の渇きを覚えて何度も喉をゴクリと鳴らす。
そんな少女の様子を見て兄は何時の間にかすぐ側にあった自販機を指差して微笑んだ。
「喉が渇いただろう?何か飲もうよ」
「うん!」
少女は元気に兄の声に答えると、自販機の側に駆け寄って自分の好きな炭酸飲料を指差して兄の方へ振り返った。
「ゆっ!まりさにもあまあまを頂戴ねっ!」
振り返ると、何時の間にか少女の後ろにまりさが居た。
屈託の無い笑みを浮かべて、その場でぽいんぽいんと嬉しそうに飛び跳ねている。
「まりさも一緒に飲もうね。まりさはどれが・・・・」
途中まで言いかけたところで少女の言葉はピタリと止まった。
少女は今、兄と一緒に居る事を思い出した。兄はゆっくりが死ぬ程嫌いなのだ。
このままではまりさが危ない。少女は何も知らずに元気に飛び跳ねるまりさに向かって叫んだ。
「まりさ!逃げて!」
「ゆゆっ!?おねえさん!?どうし・・・・ぷぎゅる!!」
少女がまりさの元へ駆け寄ろうとした次の瞬間、兄の振り下ろされた足によって、まりさの右半身は粉々に砕け散っていた。
体の半分が踏み潰され、残りの半分はスプーンを突き立てられたプリンの様に
まりさの意志とは関係なく、不規則にゆらゆらとその身を躍らせている。
目玉が糸を引いてズルリと地面に転がり、その舌はまりさが生きていた時よりも活発に四方八方へと動き回っている。
その光景を見た少女は叫び声をあげることも無く、へたりとその場に座り込んだ。
「喉が渇いてるんだろう?」
何時の間にか兄は、少女の後ろで佇んで、少女の後頭部を優しく撫でている。
少女はカタカタと肩を震わせながら、兄の居る方へ顔を向ける。
その瞬間、側にあった自販機も何処までも続いていた道も、突然目の前から消えて辺りは薄闇に包まれた。
「えっ・・・?」
再び少女がまりさの居た方向へ視線を戻すとそこには、見覚えのある水槽がおかれていた。
まりさを何年も溺れさせ続けた「甘い液体」それを見て少女は両目を大きく見開いた。
「ひっ・・・!」
次の瞬間、兄の手によって少女の頭は水槽の中へと押し込まれた。
その水飴の様な粘りを持った液体が少女の顔に絡み付いてくる。
どんなに水槽の中から顔を出そうと力を入れても、兄の腕の力は一向に弱まらない。
暫く何とか水中から顔を出そうと必死にもがいていた少女だったが、すぐに限界が来た。
白目を剥きながら半ば諦めた様に、水中で大きく息を吸い込んだ・・・・その瞬間。
◆
気が付くと少女は自分の部屋のベッドの中に居た。
夢だったのだ。
少女は小さな肩を震わせて荒い呼吸をくりかえしながら、辺りを見回す。
そこは何時もと変わらない自分の部屋だった。既に夜は明けて、白々とした光がカーテンの隙間から差し込んでいる。
変な夢だった。どうしてこんな夢を見たのだろう。
「すーや!・・・・すーや!」
「うん?」
少女が声に反応して無意識にその視線を落とすと、そこには少女のお腹の上で元気な寝息を立てているまりさの姿があった。
まりさの口からダラダラとこぼれ落ちた涎が、少女の腹部とその下のシーツまでもぐっしょりと濡らしている。
変な夢を見たのは、このお腹の重みとびしょびしょに濡れたシーツのせいだったのだろう。
少女は少し安堵したような表情を浮かべながらも、お返しにまりさを逆さまにしてソファーの上に置くと、
タンスから手早く着替えを取り出して、洗面所へと向かっていった。
すやすやと元気な寝息を立てて、幸せそうな表情で眠りについていたまりさだったが、
体勢を逆さまにされた事で寝苦しさを感じたのか、眉間にシワを寄せながら
「すーや?・・・すーや?」と先程の表情から一転して疑問符を募らせたような苦しい寝息を立て始めた。
◆
工業地帯を囲むように作られた不自然に細長い帯状の緑地。
市街地の環境保全、地震・火災などの災害防止、レクリエーション、修景などの目的で設けられたグリーンベルトであり、
工業地帯と住宅街を結ぶように作られた人工の公園である。
学校とバイトが終わった少女は、その公園のやや外れにある鬱蒼と生い茂る林の中を進んでいた。
(まりさの群れはねっ!広い緑さんにあるとっても大きな木の下のとっても大きな道を・・・・・・)
何かの記念なのだろうか?公園の片隅に一本だけ、ぽつりと植えられた小さな木。その脇にあった細い獣道を進む少女。
まりさの言った言葉を真正直に受け取ったばかりに、随分と時間を無駄にしてしまった。
ゆっくりにとっては、大きな木や道も人間から見ればこんなものなのだろう。
その為、日は少し落ちかけてしまい、昼間に降った小雨を浴びた草木は日光を反射して周囲をぼんやりとオレンジ色に輝かせている。
獣道は僅かに傾斜しており、このまま進むと住宅地を外れて、まだ開発されていない小高い丘へと入るだろう。
獣が住むには生態系がそれほど豊富ではなく、かと言って人が住むにはその地形が邪魔で中々開発の手が進まない。
なるほど、ゆっくりが住むには最適な環境なのかも知れない。少女はそう思った。
「あれ・・・?何だかこの辺り・・・」
膝の辺りまで伸びた草をかき分けながら、暫く歩みを進めると、生い茂った草木が周りよりも幾分か低い奇妙な場所に出くわした。
その光景に、少女は小さい頃にテレビでやっていた宇宙人が作ったというミステリーサークルを思い浮かべた。
所々、地面に穴が掘られている。ここがまりさの言っていた「ゆっくりぷれいす」なのだろうか?
少女はその穴の一つ一つを覗き込んでみたが、その中にゆっくりの気配は無かった。
「ここならだれもいないねっ!」
「そうだねっ!すっきりするならいまのうちだねっ!」
「んっ?」
その時、遠くからかすかに聞こえてきた声に少女は耳を傾ける。
その声が聞こえる方向へと歩みを進めると、そこには2匹のゆっくりれいむの姿があった。
もじもじとお互いの体をすり寄せながら会話をしているようだ。
「「せーのっ!すー・・・」」
「あ、あのっ・・・!」
「「ゆ゛ゆ゛っ!!」」
急に声をかけられた2匹のれいむは、シンクロした動きで同時にギクリ!と白目を剥いて驚きの表情を浮かべた。
少女の姿を見た2匹は暫く放心して固まっていたが「ニコリ」と凍りついたような笑みを浮かべると、ゆっくりと後ずさりを始めた。
「ま、まってっ!」
「れ、れいむ達は何も悪い事なんかしてないよっ!」
「そ、そうだよっ!れいむは「わるいれいむ」じゃないよっ!ぷるぷるっ!」
国民的ゲームのマスコットキャラ気取りのれいむ2匹が、
ムーンウォークを思わせる後方へ吸い込まれる様な不可解な動きで、後退しながらこの場から必死に離れようとしている。
それを少女が、まとわりつく草に足を取られながらも必死に地面を蹴って追いかけた。
「ここには昔、ゆっくりの巣があったんでしょ?どうして今は誰も住んでいないの?」
「ゆっ!ばかなまりさのせいで皆、人間さんに永遠にゆっくりさせられたんだよっ!」
「馬鹿なまりさ・・・?」
「馬鹿なまりさ」とは、もしかして私の家に居るまりさの事なのだろうか?
仮にそうだとしたら、自分自身も何時終わるとも知れない拷問にかけられた上に、仲間の住んでいた住処まで襲われた事になる。
いくら兄でも、自分から巣に乗り込んで荒らした後に、ゆっくりを連れ去り、その上にそのゆっくりが元々住んでいた巣まで荒らすとは考えにくい。
もしかしたら、まりさは人の家や農家の作物でも荒らしてしまったのかもしれない。それを兄が見かけてしまったのだろうか?
「まりさのせいって・・・そのまりさは一体、人間に何をしたの?」
「ゆっ?別にまりさは何も悪い事はしてないよっ?」
「うん・・・?」
少女の問いかけに、もう一匹のれいむがおかしな事を言った。
まりさのせいで集落のゆっくりが酷い目にあったのに、まりさは何もしていない?これは明らかにムジュンしています。
「れいむのお母さんの仲間が沢山殺されたんだよっ!それに比べたら大したことはしてないよっ!」
「ゆ゛っ!?人間さんの前でなに言ってるのおおおおお!?」
「ゆげぇっ!!やべっ!めっちゃやべぇ!・・・ほんとうにバカなまりさだよねっ!ゆっくりしねっ!ゆっくりしねっ!」
まりさの事を馬鹿と言っていた方のれいむが、まりさは何もしていないと言ったれいむに注意すると、
突然手のひらを返したように、まりさの罵倒を始めるもう一匹のれいむ。
2匹の様子はあからさまにおかしかった。
何かに怯えている様な仕草でゆっくりなりに言葉を選んで話している様だ。
それはやはり私という「人間」が目の前に居るからであろう。
バサバサバサ
その時、周りの木々がざわめいた。それと同時に上空が黒い塊で覆われる。
それは狩りを終えて、住処への帰路へ着く無数のカラス達だった。
それを見た2匹のれいむが、眉毛をキリッ!とさせながら「ゆゆっ!」と叫んで同時に飛び上がった。
「ゆゆっ!まっくろなとりさんが飛んでいくよっ!」
「”こうたい”の時間だよっ!ゆっくり巣へかえるよっ!」
「ゆっくりかえるよっ!かわいいれいむ達がゆっくりと巣にかえるよっ!」
踵を返して更に森の奥へと進んでいく2匹のれいむ。
それを追おうと少女も歩みを進める。
「あっ!ちょっと!・・・まっ、まってよ!」
「ゆゆっ!?こっちにはなにもないよっ!ゆっくりかえってねっ!」
「ゆっくりかえるよっ!ついてこないでねっ!ついてこないでねっ!」
ぽいんぽいんと地面を蹴りながら、しきりに振り返って少女の様子を伺う2匹のれいむ。
少女は2匹の後を追おうと進み出したが、ふと気がつけば、すっかり日は落ちて辺りは薄っすらと闇に包まれている。
このまま奥へ進んでも遭難する様な事は無いと思うが、静寂に包まれた人気の無い森の中の光景は、少女の恐怖心を煽るのには十分だった。
少女は辺りを何度か見回すと、小さく震えながら踵を返して小走りで公園へと来た道を戻っていった。
◆
少女が自宅に帰ると、リビングの床に小さな家が完成していた。
ソファーのクッションが一箇所に集められて小さなテントの様な形状になっている。
その中でまりさはすやすやと眠りについていた。
「まりさ、ただいま」
少女はそっとそのテントの天井になっているクッションを持ち上げて、眠っているまりさの頬をつついた。
「ゆゆっ!?ごはんっ!?」
見当違いな事を叫びながら、目を覚ましたまりさは薄目でキョロキョロと辺りを見回した。
そして、自分の巣の天井が無くなっている事に気がつくと、巣から飛び出してぷんぷん!と頬を膨らませて不満気な顔をする。
「ゆゆっ!だめだよっ!まりさの「ゆっくりプレイス」をこわさないでねっ!」
「あはは、ごめんね。でも、群れに帰るまではこの家全部がまりさのゆっくりプレイスだよ」
「ゆっ!」
「だからこんな家なんか作らなくてもいいんだよ」
「ゆゆんっ!ゆっくり理解したよっ!」
少女のそんな声を聞いてまりさが、嬉しそうな表情を浮かべてその身を揺らす。
助けて貰った上に、家に置いてもらった事に恩義を感じて、まりさなりに私に気を使ったのだろうか?
少女はそんな事を考えながら、ソファーに腰を掛けると昨日と同じようにまりさを自分の膝の上に置いた。
少女の膝の上でもぞもぞと体を動かしながら「ゆっ!ゆっ!」と元気な声をあげるまりさをぼんやりと眺めながら、
少女は考えを巡らせていた。まりさに今日あったことをどう説明したらいいものだろうか?
兄がまりさの元居た巣までをも襲撃したらしく、巣は跡形も残っていませんでした。等とは言える筈も無い。
しかし、収穫もあった。元々あの巣に住んでいたゆっくりの子供である2匹のれいむを発見したのだ。
明日はれいむが立ち去った方角を探してみよう。
「・・・まりさの巣はお引越ししたみたいだよ」
「ゆゆっ!?お引越し!?・・・ま、まりさはそんな事知らなかったよっ!」
まりさはパカリと口を開いて驚きの表情を浮かべる。
生き残ったゆっくりの子供が他の場所に住んでいるのだから、引越しと言えなくも無い。
ウソはついていない、そう自分に言い聞かせながら少女は話を続ける。
「だから明日はお引越しした巣の方へ行って見るね」
「ゆゆゆ・・・・っ!ゆっくり理解したよっ!」
「うん、じゃあご飯にしようね」
少女はまりさに何か食べたいものはある?と聞いてみた。
まりさはその場で小さく跳ねると同時に「おうどん!」と元気に叫んだ。
ゆっくりは甘いものを好むと思っていたが、必ずしもそうとは限らない様だ。
「はい、熱いから気をつけてね」
「ゆゆっ!わかったよっ!ゆっくりたべるよっ!」
猫の尻尾の様におさげをリズミカルに揺らしているまりさの前にうどんの入った器を置くと、
まりさは目をキラキラと輝かせて嬉しそうに身震いしながら器に飛びついた。
しかし、熱くて中々上手に食べられないらしく、器に顔を近づけた瞬間に床を転がりながら悶絶したので、
小皿に麺を少しずつとって冷ましながら食べさせてあげる事にした。
「こうやって、ふーっ!ふーっ!ってすると、すぐに冷めるよ」
「ゆゆっ!ゆっくりふーってするよっ!ゆっくりふーってするよっ!」
「そうそう」
「ふーっ!ふーっ!むーしゃ!むーしゃ!しあわせーっ!」
一口食べる度に顔を綻ばせておさげを振り回すまりさ。
見ていて飽きない。5分で作ったうどんでここまで喜んで貰えると、何だかこちらの方が申し訳なくなってくる。
まりさはうどんを汁まで飲み干して完食すると、すぐにその場で横になって眠ってしまった。
「なんか、まりさは眠ってばかリの様な気がするよ」
パンパンにお腹を膨らませながら「ゆぴぴ」と寝息を立てるまりさの腹部を優しく撫でる少女。
そんなまりさ起こさないようにそっと持ち上げて、ソファーの上に置いてタオルをかけてあげると、
そんな幸せそうな寝顔につられたのか、学校とバイトの後に公園の周辺を長時間歩き回った事もあって、少女にも急激な睡魔が襲ってきた。
今日はすぐに就寝してしまおうと思った少女は、食器を持ってフラフラと立ち上がると欠伸を噛み潰した様な表情でキッチンへと歩いていった。
◆
「すーや・・・・っ!すーや・・・・っ!」
「えっ・・・!またなのっ・・・・!」
少女が目を覚ますと、今日もいつの間にかベッドへと潜り込んでいたまりさが、少女のお腹の上で元気な寝息を立てていた。
それにしても、またすぐに忘れてしまったが、今日も何か奇妙な夢を見たような気がする。
額に手をあてて、小さく首を振る少女。しかし夢はすぐに忘れてしまう事が多い。少女は今しがた見た筈の夢の内容を思い出せなかった。
しかしそんな事よりも、明日もまりさに同じことをやられると、いよいよパジャマとシーツの替えが無くなってしまう。
少女の懐で、すやすやと寝息を立てるまりさの頭を撫でながら、涎でぐっしょりと濡れたパジャマを見下ろして、少女は少し困った様にため息をついた。
暫くそのままの状態でぼんやりと窓から差し込む朝日を眺めていた少女だったが、小さく頷くとまりさを持ち上げて、
今度は部屋に干してある洗濯物と一緒にまりさのおさげを洗濯バサミで挟んで宙に吊るすと、とたとたと、洗面所へと向かって歩いていった。
残されたまりさは、宙に吊るされた事で寝苦しさを感じたのか、顔面をおさげの方向に引きつらせつつ、眉間にシワを寄せて怪訝な表情浮かべて
「すーや?・・・すーや?」と幸せそうな表情から一転した疑問符を募らせた様な寝息を立て始めた。
◆
今日はバイトが休みだったので、学校の授業が終わった後、すぐに昨日発見した巣があった場所へと少女は来ていた。
昨日は殆ど日が暮れていた為に、暗くて周りの様子がよく見えなかったが、白日の下に晒された巣の跡を見て少女は愕然とした。
昨日一つ一つ覗き込んだ巣穴の全てが、よく見ると焼き払われた様に黒くくすんでいる。
この辺りのどの木々にも痛々しい焦げたような焼き跡が残っており、指で触れるとガリガリに炭化している事がわかる。
周囲に生い茂る草が、周りよりも幾分か背が低いのも、一度この周辺が何者かの手によって、焼き払われた為なのだろう。
やはり、これは兄の仕業なのだろうか?
木の根元の小さな巣穴の中に幾つもの丸い物体が真っ黒になって固まっている。
この塊はもしかしたら・・・いや、いうまでも無くこれは元々はゆっくりだったものであろう。
少女はその場にしゃがみ込んで小さく手を合わせた。
しかし、何時までもここに居るわけにも行かない。
昨日、2匹のゆっくりが去っていた方角へと草を掻き分けながら少女は歩みを進めていく。
すると、程なくしてゆっくり達の集落が見えてきた。地面の草が綺麗に抜き取られて、木の根元には所々巣穴が掘られている。
そこへ偶然鉢合わせた野生のゆっくりまりさが少女を見て「ゆげぇ!?」と驚きの表情を浮かべている。
野生のまりさは、家に居るまりさと違って大きなとんがり帽子を被っている。そういえば街で見かけた野良のまりさも同じような帽子を被っていた様な気がする。
少女はそんなまりさに声をかけようとしたが、まりさはおさげを振り回しながら、踵を返すと一目散に少女の元から逃れようと駆け出した。
「にげるよっ!ゆっくりにげるよっ!人間さんはゆっくりできないよっ!」
「まって、わたしは何も怖いことはしないよ」
「ゆっ!ゆっ!人間さんっ!ついてこないでねっ!」
「聞きたい事があるんだけど!こういう時は誰に聞けばいいのかな!」
「まりさがしるわけないでしょぉぉぉ!!」
まりさにとっては一大事なのだろうが、地面を跳ねる度に「ぽいんぽいん」とコミカルな音が鳴り渡り、緊張感は皆無である。
涙を垂れ流しながら、地面を跳ねるまりさの後についていくと、この場に不釣り合いな小さなテントが少女の視界に入った。
子供が2人も入れば満員になるおままごと用の小さなテントだ。
この場に置かれて相当な年月がたっている事が、テントにびっしりと蔦が絡まっている事からも見て取れる。
そんなテントの前で、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたれいむが、こちらに向かって進んでくるまりさと、その後ろの少女を見て驚きの声をあげた。
「ゆゆっ!なにじでるのっ!ついてこないでっていったでしょぉぉっ!」
クワッ!と歯茎を剥いたれいむは、どうやら昨日元々巣があった所に居たれいむの片割れの様だ。
まりさはれいむには一瞥もくれずに、一目散にテントの中へ駆け込んで行ってしまった。
落ち着かない様子で、あたふたと取り乱しているれいむの側に、少女は膝を丸めてしゃがみ込む。
「ご、ごめんね。ウチに居るまりさが元々この群れに住んでたらし・・・」
「ゆ゛げえ゛っ!人間さんの所にいる「ばりざぁぁぁぁ」!?」
「ウチに居るまりさ」という単語を耳にした途端、れいむはこの世の終わりの様な表情を浮かべると、
まりさの後を追うようにしてテントの中へと飛び込んで行ってしまった。
そんな二匹の様子に少女は首を傾げながらも、後を追ってテントの中を覗き込む。
「・・・・・な、なにこれ」
テントの中に広がっていた予想外の光景を見て少女は言葉を詰まらせる。
テントの中には、凄まじい悪臭が漂っていた。まるで、何かが腐ってそれがずっと放置されている様な何とも形容し難い異臭。
その臭いにつられて、夥しい数の羽虫が所狭しとテントの中を飛び回っている。
そこで、一匹の「ゆっくりありす」がテントの骨組みから紐を通して宙に吊るされて苦悶の表情を浮かべていた。
周りには無数のゆっくり達。そのゆっくり達は順番にその無防備なありすに何度も体当たりを繰り返す。
ありすは体当たりを繰り返すゆっくり達の前に成すすべも無く、舌をだらりと垂らしながら時折思い出した様に痙攣をしていた。
「むきゅっ!そろそろ壷さんに入れるのよっ!」
テントの中央でその様子を眺めていたぱちゅりーがそう叫ぶと、
ゆっくり達は器用に口で紐を緩ませてありすを地面へと降ろし、ずるずるとありすを引きずっていく。
そして、地面に半分ほど埋まっている壷の中へとありすを放り込んだ。
トプン!と黒ずんだ液体の水面が大きく揺れて地面にあふれ出す。それと同時にテントに漂っていた悪臭がその強さを増した。
そんな光景に少女が口を押さえて表情を歪めながらも、ゆっくり達に声をかける。
「な、なにをやっているの!」
「「「ゆ゛っ!!」」」
突然現れた人間の姿に、ゆっくり達は一斉に驚きの表情を浮かべながら少女の方へと視線を移す。
先程テントへ駆け込んで行ったまりさとれいむがこの中のリーダーらしき、ぱちゅりーに何やら耳打ちをしている。
「む、むきゅんっ!やっぱりぱちぇの言った通り人間さんが見回りに来たわっ!」
2匹の報告を聞くと、ぱちゅりーは「ゆっへん!」と胸を張る様な仕草でふんぞり返った。
周りのゆっくり達は、困った様な表情を浮かべながらジリジリと後ずさりをして、そんなぱちゅりーよりも静かに後ろへと移動していく。
「貴方たち、一体ここで何をしているの・・・!」
「人間さんっ!ぱちぇは言いつけ通りにありすをいじめ続けたわっ!」
「言いつけ通り・・・?」
「むきゅん!そうよっ!だから群れのゆっくり達をいじめるのはやめてねっ!これからもぱちぇ達はありすを・・・」
「すぐにこんなことやめてあげてよ!」
「む゛ぎゅうっ!?」
少女の言葉にぱちゅりーが信じられないと言った風な表情で口をパクパクさせると、周囲を見渡しながら取り乱している。
そして、ダラダラと汗をかきながら、落ち着き無く体を揺り動かして周りのゆっくり達と何やら耳打ちをしていたが、
少女の方へクルリと振り返ると、突然荒々しい口調でその怒りをあらわにした。
「なにいってるのぉぉぉ!?人間さんがぱちぇ達にこんな事をさせたんでしょぉぉぉ!」
「・・・一体誰がそんな事を言ったの!?」
「だ、誰って・・・!?人間さんよっ!怖い人間さんが急にやってきてぱちぇ達の巣を焼き払ったんでしょぉぉ!」
ぱちゅりーの話を要約するとこんな話だった。
ある日、新たなゆっくりプレイスを求めて、集落をゆっくりと旅立ったまりさとありすの番の内、ありすだけが傷だらけで帰ってきた。
ありすの話によれば、突然人間に新たに辿りついたゆっくりプレイスを襲撃されて、命からがらこの巣へと逃げてきたらしい。
ありすを介抱しつつ、まりさの無事を祈っていたぱちゅりー達だったが、
それから数日後にゆっくりプレイスに現れたのは、まりさでは無く、ありすを追って来た恐ろしい人間の方だった。
その恐ろしい人間は、ゆっくりプレイスに住んでいたゆっくりと大切なお家をあっという間に焼き払ってしまった。
そして、少し離れたこの土地に、大きな家(テント)を建てると、その中でありすを虐待し続ける事を生き残ったゆっくりに強要してきたのだ。
それに逆らったゆっくりはことごとく、永遠にゆっくりさせられた。
群れのリーダーであるぱちゅりーは、苦渋の選択であったが、その条件を飲んでありすへの虐待を行った。
恐ろしい人間が持ってきた液体に弱ったありすを入れると、ありすの傷ついた体はあっという間に治った。
ぱちゅりーはその謎の液体の効果に驚きの声をあげたが、それは逆にありすへの虐待が終わることが無いという事を物語っていた。
恐ろしい人間はその後も、度々ここへ訪れてちゃんとありすへ虐待を行っているかチェックに来た。
その周期はぱちゅりーのクリーム色の「ずのう」を持ってしても解明できなかったので、ありすへの虐待を怠るわけにはいかなかった。
そして何より恐ろしかったのは、人間が持ってきた透明な箱の中に入っていたまりさの変わり果てた姿であった。
まりさは透明な箱の中で延々と溺れ続けて苦悶の表情を浮かべていた。
それを見たぱちゅりー達は、恐怖のあまり、人間に逆らおう等と言う気持ちは微塵も沸いてこなかった。
しかし、全てはゆっくりプレイスを守る為だった。同属であるありすに心底ゆっくりできない行いを繰り返しつつも、背に腹は変えられなかったのだ。
しかし、かなり前に恐ろしい人間が現れる事が無くなり、群れは次第に落ち着きを取り戻していった。
群れのゆん口(人口)も以前のゆっくりプレイスと変わらぬ程に戻ったが、しかし何時またあの恐ろしい人間がここへ来るとも限らない。
新しくこのプレイスで産まれたゆっくりは、何故ありすにこんな事をしているのか知らない者も多かったが、
昔の群れからの数少ない生き残りであるゆっくり達は、何時人間が再び現れても大丈夫な様に、このゆっくりできない行いを脈々と続けていたのだった。
「いばざらっ!いばざらなにいっでるのぉぉぉ!」
ぱちゅりーは身が千切れんばかりに体を捩って喚き散らす。
もはや疑いようは無かった。
ぱちゅりーが口にした透明な箱の中で延々と溺れ続けるまりさ。
間違いなくそれは、少女が兄の部屋で見つけたそれと同じ物であろう。
つまり、ゆっくりの集落を焼き払い、ここでこのありすに暴行を加えるように命令したのは、やはり兄だったのだ。
という事は、まりさと同じくありすはこの地で少なくとも3年間は暴行を受け続けているという事になる。
その絶望的な境遇に奈落に突き落とされた様な気分になった少女は思わずボロボロと涙を零しながら、ゆっくり達に語りかけた。
「もう大丈夫だよ、その怖い人間はもう死んじゃったから、だからもう大丈夫」
「「「「「ゆ゛っ!!!」」」」
少女の手によって、壷の中の黒ずんだ液体からありすがズルリと引きずり出された。
ヘドロの様な液体が体中にまとわり付いていたが、不思議とその怪我は壷に入る前より軽くなっている様に見える。
この腐った液体。ゆっくりの傷が治ったという事は元はオレンジジュースだったのだろうか?
ゆっくりの傷は人間と同じく自然回復する他に甘味を帯びた物、特にオレンジジュースを与える事によって劇的に回復する。
その理屈と原理は未だに不明である。そういうものだと思うしかない。
少女は肩から下げたバックの中に入っていたペットボトルのジュースをハンカチに染み込ませると
それでありすの体を丁寧に拭き始めた。
完全に腐りきった液体よりも、新鮮な甘味を持った液体の方がゆっくりを治癒する効果は高い様だ。
少し楽になったのか、ピクリとも動かなかったありすが、一度小さく痙攣すると、小さな呻き声をあげた。
「・・・・ゆ゛っ?」
「大丈夫・・・・?」
「あでぃずは・・・あでぃずはばんぜいじばじだ・・・ゆるじでね・・・ゆるじでね・・・」
一心不乱に人間である少女に向かって謝罪の言葉を繰り返すありす。
まりさの時と同じく、少女の事を「恐ろしい人間」である兄と勘違いしている様だった。
きっと何について謝っているのかもわからないのだろう。
しかし、ありすは謝罪の言葉をうわ言の様に繰り返す。
この延々と続く苦痛を終わらせる為には、そうするしか方法が無いと思っているのだろう。
「もう謝ったりしないでいいんだよ、怖かったね」
「・・・・ゆ゛?・・・・ゆ゛ゆ゛っ!?」
恐ろしい筈の人間から放たれた意外な言葉と、体中の痛みが波が引くようにして薄らいでいく事で、
ありすは自分に延々と行われてきたゆっくりできない暴行が、終わりを告げた事を理解した。
「あでぃがどう・・・っ!だずげでぐでであでぃがどうっ・・・!ゆっぐり!ゆっぐりでぎるよぉぉ・・・!」
暫くしてありすは、何とか自分の力で起き上がってすり足で移動できる程には回復した。
少女はそんなありすを抱きかかえてテントから連れ出すと、木の根元に穴を掘って新しい巣を作ってあげた。
「まりさも無事だよ、私はまりさに頼まれてここに来たの」
「ゆゆっ・・・・!まりさ?・・・まりさも無事なのっ!?」
もうとっくに命を落としていたとばかり思っていた番の吉報に、ありすは信じられないと言った様な表情を浮かべている。
暫く取り乱したようにオロオロと周囲を見渡していたありすだったが、
何とか落ち着きを取り戻して呼吸を整えると、ポツリポツリと少女にまりさとの思い出を語り始めた。
まりさはありすの隣の巣に住んでいて、小さいころは一緒に日が暮れるまで遊び、
大きくなってからは、一緒に狩りに出かけ、一緒に歌を歌い、そして共にゆっくりした。
ある日、まりさからいつまでも一緒にゆっくりしようと、言われてありすは言うまでも無く首を縦に降った。
ありすはまりさとの子供を沢山欲しいと願った。
しかし、このゆっくりプレイスには、そんな大勢の子供を養うほどの餌場は無かったのだ。
だから2匹は、この安全な森を出て危険を冒してまで新たなゆっくりプレイスへの引越しに踏み切った。
そして苦難の旅の末に、ついに2匹は沢山の子供を養える食料が豊富なゆっくりプレイスを手にしたのだった。
しかし、幸せは長く続かなかった。人間がまりさとありすのゆっくりプレイスを奪おうと襲いかかって来たのだ。
「まりさは恐ろしい人間さんに「ゆうかん」に立ち向かって一度はやっつけたのよ」
まりさは人間をゆっくりプレイスから追い払おうと、果敢に体当たりをして人間を転ばせてしまった。
相手がゆっくりならばこれで終わりである。人間も負けを認めて素直にこの場を立ち去るものだと思っていた。
2匹は人間の強さを知らなかったのだ。
この行為が人間の逆鱗に触れた。
人間はまりさを何度も何度も殴りつけた。まりさが動かなくなっても殴りつける事を止めなかった。
ありすは、まりさが人間の注意を引きつけてくれた内に、何とか元居たゆっくりプレイスへと逃げる事ができた。
しかし、人間はすぐにありすのプレイスに現れた。後をつけられてしまったのだ。
後は、ぱちゅりーが言った事と殆ど同じだった。涙を浮かべて悲しそうな表情のゆっくり達に延々と暴行を加えられ続けて現在に至る。
少女は呆然としていた。
ゆっくりの巣にちょっかいをだした兄が反撃を受けて転んだだけでここまでの事をやったのだ。
兄は一体何を考えていたのだろう?その計り知れない心の闇に少女はガタガタを身を震わせるしかなかった。
そんな重い気持ちを払いのける様に、精一杯の笑顔を浮かべて少女はありすに語りかけた。
「明日まりさをここに連れてきてあげるよ、これからは二人でずっとゆっくりできるよ」
「ゆゆっ!ありがとう・・・!おねぇさん・・・!ゆっくりありがとう・・・っ!」
逃げるように巣を立ち去る少女を、自由の利かない体を無理矢理引きずって巣穴からはい出たありすが、
少女の姿が見えなくなった後も、その場を動かずに何時までも笑顔で見送り続けていた。
「ここはれいむのゆっくりプレイスだよっ!人間さんはゆっくりでていってねっ!」
「・・・・・はい?」
少女が自宅に帰ると、室内の様相は一変していた。
倒れたテーブルにソファー、戸棚に入っていた菓子類が無残に床に散乱している。
菓子だけでは無い、床にはそれに混じって点々と泥の跡が室内を蹂躙していた。
その跡を辿った先には、リビングの中央で頬を寄せ合いながら屈託の無い笑みを浮かべるまりさと野良のれいむの姿があった。
「ゆゆっ!れいむ、ここはれいむのゆっくりプレイスじゃないよっ!ゆっくり理解してねっ!」
「ゆっ?なに言ってるの?誰も居なかったんだからここはれいむのものだよっ!」
無言で僅かに開いている窓を開けたり締めたりを繰り返す少女。
鍵をかけたつもりだったが、窓が僅かに開いていて、きちんとロックがされて居なかった様だ。
この窓から野良れいむがまりさの気配につられて、室内に入り込んでしまったのだろう。
「まりさっ!すりすりしようねっ!」
「ゆゆっ!わかったよっ!すーり!すーり!」
楽しそうに体を擦りあう2匹を見ていると、少女はとても怒る気にはなれなかった。
それに、兄がまりさとその番のありすへ行った事も少女には後ろめたさとしてあった。
そんな複雑な面持ちの少女の方へ、まりさが時折チラチラと視線を送ってくる。
どうやられいむは勝手に家に入ってきてしまった様で、困っているのはまりさも同じの様だ。
「ふたりともご飯の前にお風呂に入ろうね」
「「ゆっくり理解したよっ!!」」
今日でまりさはこの家を去るのだ。
ここで少しばかり説教してもお互い何の得にもならないだろう。
まりさは人目の付かない森の「ゆっくりぷれいす」でこれからを過ごすのだし、
人間の自分勝手なルールを無理矢理押し付けて、まりさを注意するのもどうかと思った。
これ以上人間に対する恐怖を駆り立てるのも良くないと言う事もあるだろう。なので少女はまりさを叱る事はしなかった。
◆
「ゆゆっ!ぱしたさんっ!」
「ゆっくり食べるよっ!うめっ!これめっちゃうめぇ!マジぱねぇっ!」
少女は泥で汚れた2匹を洗面所で洗った後に、スパゲッティを振舞った。
ちるちるとパスタをすするまりさと、犬食いで貪欲に食べると言うよりも、むしろ体内に取り込むと言った方がしっくりくるれいむ。
美味しそうに食事をするまりさを見るのも今日で最後である。
色々と大変な事も多かったが、居なくなるのはそれはそれで寂しいものである。
また、孤独なひとりでの生活が始まることを思い出した少女は小さくため息をついた。
「まりさ、お引越しした群れが見つかったよ」
ひとり物思いにふけっていた少女だったが、ポン!と手を叩くとまりさにこう話を切り出した。
その音に驚いたまりさはちるちるとすすっていたパスタをポタリと皿に落とした。
「ゆゆっ!?・・・ま、まりさの群れはまだ無事だったの!?」
「ちょっと大変な事になっていたけど、もう大丈夫」
「そ、そうだったの・・・?ゆ、ゆっくりホッとしたよ」
「ありすも無事だったんだよ、まりさにお嫁さんが居たなんて知らなかったよ」
まりさは「ありす」という単語を聞いて、再びすすりだしていたパスタをブーッ!と吐き出した。
そのパスタの直撃を食らったれいむが、テーブルから「ビターン」と転げ落ちた。
突如舞い降りた災難に、れいむが歯茎をむき出しにしながら「ゆ゛っ!」とその見た目からは想像できない野太い悲鳴を上げた。
そんなれいむを気にもかけずに、まりさはオロオロと落ち着きのない様子で少女に語りかける。
「あ、ありすはもうとっくに永遠にゆっくりしたと思ってたよ・・・っ!無事なんて思わなかったよっ!」
「まりさがお兄・・・「恐ろしい人間」を引き付けてくれたお陰で無事に巣まで逃げられたんでしょ?」
「ゆっ!・・・そ、そうだよっ!まりさはゆっくりとありすを逃がしたよっ!ありすの事も最初におねえさんに伝えれば良かったねっ!」
何やら落ち着きの無い様子のまりさを見て、少女が小首をかしげた。
兄は何度かぱちゅりーが率いるゆっくりプレイスにまりさの入った水槽を、見せしめとして持ち込んでいた筈である。
まりさはありすが酷い目にあいながらもまだ生きていると言う事を知っていなければおかしいのだが・・・?
ふと、そんな事を考えた少女だったが、そんな疑問はすぐに忘却の彼方へと吹き飛んだ。
俯いてもそもそとパスタを口に運んでいたまりさが、クルリと少女の方へ視線を移すと、ポツリとこう漏らしたからだ。
「や、やっぱり・・・まりさは群れには帰れないよ・・・・」
「えっ?どうして・・・?やっと見つけたのに」
思いがけないまりさの言葉に、少女が目を丸くして驚いた表情を浮かべてまりさを見つめる。
そんな少女の視線を避けるように、モジモジと体を揺さぶりながらボソボソとまりさが話を続けた。
「まりさにはとってもゆっくりできる素敵なお帽子があったんだけど、悪い人間に取り上げられてなくなっちゃったんだよ」
「オボウシ?帽子がどうかしたの?」
「お帽子が無いと、まりさは群れには帰れないよ・・・」
そういえば聞いた事がある。
ゆっくりが体に見につけている飾りは命と同じくらい大事なもので、
それを失った場合、他のゆっくりに迫害されたり、場合によっては外敵と見なされて命を奪われてしまうこともあるのだそうだ。
兄も道端で見かけたゆっくりの飾りを奪って踏み潰したり、汚したりしてゆっくりにちょっかいを出していた事があった。
そんな少女とまりさの会話にいつの間にかテーブルへと舞い戻っていた野良のれいむが口を挟む。
「ゆっ!そういえばまりさはお飾りが無いねっ!野良のゆっくりにはきっといじめられるよっ!」
「えっ?れいむは野良じゃないの?」
「ゆふんっ!れいむは飼いゆっくりだよっ!バカにしないでねっ!」
野良だと思っていたれいむは、実はれっきとした飼いゆっくりだった。
しかし、ある日れいむは、鬱蒼と草が生い茂る空き地で目を覚ました。
そこに飼い主の姿は無く、どういう訳かれいむは飼い主とはぐれてしまったのだった。
その為、ここ数週間は野良の様な生活をしているが、れいむは野良では無い。れっきとした飼いゆっくりなのだ。きんばっちさんなのだ。
「それは捨てられたのではないのですか?」と、言いかけた少女だったが、ニコリと乾いた笑みを浮かべると口をつぐんだ。
◆
「はぁ・・・」
兄の部屋に足を踏み入れた少女は、小さくため息をつくと、整然と並ぶ家具を見回した。
余り気は進まないが、まりさの帽子がまだ残っているのならば、探し場所はここ以外に無いだろう。
少女は押入れの中をかき回してみたり、棚に積み重ねてある小箱の中を一つ一つ覗いてみたりと、入念に部屋を散策する。
しかし、几帳面に整理された兄の部屋にはあまり探し場所が無く、帽子の捜索はすぐに行き詰ってしまった。
途方に暮れた少女はふと、机に飾ってあったフォトフレームを手に取る。
そこには、お腹の大きな母とその側に立って朗らかな笑みを浮かべる兄。
その幸せそうな笑顔からは、ゆっくりにここまで酷い事をするような人間にはとても見えない。
いや、実際に兄は優しかった。ゆっくり以外の全ての物に兄は優しかったのである。
しかし、そんな事を思い返した所で、今現在、兄の尻拭いをさせられているという現状は覆らない。
少女は写真をひっくり返して少々乱暴に机へと置いた。
その時だった。
フォトフレームの裏側にテープで止められている「それ」を見つけて少女は小さく声を上げた。
それは小さな鉄製の鍵だった。
少女はこの鍵が何処の鍵なのかを知っていた。
兄の机の一番下の引き出し。そこには兄がまだ生きていた頃から鍵がかかっていた。
こういう事はできればやりたく無い。
逆の立場だったら、絶対にされたくなかった。
墓荒らしにも近いその行為を実行する事に、少女は暫く躊躇っていたが、フルフルと首を振って決心する。
この引き出しを開けて、そこにまりさの帽子が無かったら、その時はまりさをこの家で飼おう。
れいむはちょっとわからないが・・・。
全ては兄が悪いのだ。まりさにあんな酷い真似をしなければ、
鍵をかけてまで見られまいとしたこの引き出しの中を確認される事も無かったのだ。そう、全ては兄の自業自得なのだ。
少女は自分にそう言い聞かせながら、フォトフレームから引き剥がした鍵を、引き出しの鍵穴にそっと差し込む。
鍵は何の抵抗も無く、スルリと鍵穴の奥まで突き刺さる。
静かにそれを回すと「カチリ」と辺りに小気味良い音が鳴り響いて、引き出しは呆気なく開いた。
「・・・あった」
引き出しの中にまりさの帽子と思わしき、とんがり帽子はあった。
中に入っていたものは、まりさの帽子の他に2冊の本。
まりさの帽子を脇に抱えながら、2冊のうちのひとつを手にとってパラパラと捲った少女が小さく呻いた。
それは、ゆっくりの生態を記したものだった。
どんな言葉を投げかければ、ゆっくりが精神的な苦痛を感じるのか?
どの部分を痛みつければ、効果的にゆっくりに肉体的な苦痛を与えられるのか?
人間用の薬品をゆっくりに使用した場合に、どういった効果が見られるか?
仲の良いゆっくり同士が互いが殺しあう程にまで相手を憎ませるのにもっとも効果的な手段とはなにか?
そういったゆっくりの虐待に関する事柄が事細かに、
兄が自分で書いたと思われるメモやイラスト、更にネットからプリントアウトされたものまで几帳面にファイルされていた。
「なんなの・・・これは・・・?」
恐ろしい。この人は一体何を考えているのだろう?
少女にはもはや兄という人間が分からなくなりつつあった。優しかった兄の人間像が音を立てて崩れていくのを感じる。
帽子の発見という当初の目的を果たしたので、すぐにでもこの恐ろしい引き出しを閉じようと思った少女だったが、
そんな気持ちとは裏腹にもう一つの冊子にも手を伸ばしていた。
もう一つの冊子。それは兄の日記帳だった。
これを読むのはかなり気が引ける。拒む事ができない故人に対してこの様な行いはするべきでは無い。
そんな事はわかっているのだが、これを読むことによって地にまで落ちてしまった兄への信頼を少しでも元に戻したいという気持ちが勝った。
暫し迷って、この場に立ち尽くしていた少女だったが、静かに一度頷くと兄の日記帳をめくった。
その日記は両親が離婚して、兄と母が二人で暮らし始めた辺りからはじまっていた。
そこには、優しい兄の姿があった。
兄は少女に父の話をする事が全く無かった。つまり父はそういう人間なのだろうと、物心がついた頃には少女は理解していた。
そんな事もあってか、両親が離婚したというのにも関わらず、日記の兄の文章からは全く負の要素を感じさせない。
妊娠している母を気遣い、貧しいながらも明るく楽しく過ぎていく日常が日記には書かれていた。
しかし、少女は違和感を覚える。
日記には一切ゆっくりに対する記述が無いのだ。
この日記は何処かに提出するわけでない。あくまでプライベートなものである。
あそこまで露骨にゆっくりに対する嫌悪感をあらわにしていた兄の日記に、ゆっくりの事が全く書かれていないのはおかしい。
そして、少女の違和感は完全なものになる。
それは少女が産まれる数週間前の出来事を書いた文章である。
○月×日、母さんと一緒に買い物へ行って戻ってくると、ゆっくりが窓を割って家に入り込んでいた。
さも自分の家の様に寝息を立てている2匹をすぐに叩き起こすと、外へつまみ出そうとした。
しかし、母さんは「夜も更けてきたので、外に出すのは明日にしてあげよう」と言った。
他の家じゃ、勝手に家に入り込んだゆっくりは殺す所だってあるのに暢気な事だ。
仕方が無いので座布団の上に置いて毛布をかけてやった。よくみたらかわいい顔してるな。
「おかしいよ・・・・これ」
兄は窓を割って、家に勝手に入り込んできたゆっくりを母の提案とはいえ許していたのだ。
私にとってそれは信じがたいものだった。
兄の前を通り過ぎただけのゆっくりですら、後を追いかけて殺すような人間だったというのに。
しかも、そのゆっくり達の事がその後も度々日記に記されている。
餌をあげたり、お風呂にいれてあげたり、半分飼っている様なものだった。
私はこんな事があったなんて兄から聞かされていない。昔この家でゆっくりを飼っていた時期があったなんて・・・
怪訝な表情を浮かべながら、少女がページをめくると、次のページに挟んであった紙片がハラリと床へ落ちた。
「これは・・・写真・・・?」
写真には、にこにこと幸せそうな微笑みを浮かべている母と兄。
そしてその傍らには、頬を膨らませて飛び跳ねる2匹のゆっくりの姿があった。
この2匹が度々日記に記されていた窓を割って家に侵入したゆっくりなのだろう。
その頃、兄はまだゆっくりに対して殺意にも近い嫌悪感を感じていなかったという事だ。
つまり、私の知る兄の不可解な行動は生まれつきのものでは無いという事だったのだろうか?
これより後に、兄の考えを変えるほどの大きな出来事があったのかも知れない。
しかし、そんな事よりも、生前の母の事を良く知らない少女にとって、兄の日記は新鮮なものだった。
母がお腹に居る少女を気遣っている記述を見つけて少女の頬が思わず綻ぶ。
だがしかし、この幸せは長く続かない事を少女は知っている。
母は少女を産んだ半年後に事故で他界するのだ。
その事を思い出した少女の表情はどんどん曇っていった。
日記の中の幸せそうな家族の記述を読めば読むほど、今の自分とのギャップに少女の気持ちは徐々に沈んでくる。
少女は自分が生まれた日の日記を最後にして、これ以上は兄の日記を読み進める事をやめようと思った。
しかし、少女の誕生日。日記には一行だけこう綴られていた。
母さんが亡くなった
「どうして!?」
少女は思わず大きな声で叫んだ。
母は少女が生まれて半年後に事故死した筈である。
それが、少女が産まれたその日に死んだと書いてあるのだ。こんな事はありえない。
少女は額に汗を滲ませながら、日記のページを捲る。
しかし、次の日もその次の日も日記には何も書かれていなかった。
先程の誓いを破って荒々しく白紙のページを捲り続ける少女。
そして、少女の誕生日から4日後、まるで別人が書いたような荒んだ字で日記には一行だけこう書き殴られていた。
やっとまりさが起きた。すぐにありすの居る場所を喋った
「なにしてるの?」
「!!」
そこには、兄の部屋の入り口から体を半分だけ除かせて少女を見つめるまりさの姿があった。
突如背中に響いた声に、少女は驚いて手に持っていた日記を床に落としてしまっていた。
日記と一緒に床に落ちて転がるまりさの帽子。
それを見たまりさが、血相を変えてこちらに向かって飛び跳ねて来る。
「ゆゆっ!まりさのお帽子!ゆっくりできるまりさの素敵なお帽子っ!」
帽子に向かって目を血走らせて床を蹴るまりさの形相に違和感を覚えながらも、
少女はまりさに向かって取り繕った笑顔を浮かべながら語りかける。
「まりさの帽子を探してたんだよ、それまりさのでしょ?」
「そうだったんだねっ!ゆっくりありがとうっ!おねえさんっ!」
「うん、これで巣に帰れるね」
「・・・・・・・・」
少女のその言葉を耳にした途端にまりさの顔色が曇った。
大切な帽子がまりさの元へと帰ってきたというのにまりさの顔色は優れない。
これで何の心配も無く、元居た巣へと帰れるというのにも関わらず、嬉しそうな素振りも見せずにその場に立ち尽くしている。
そして、少女の問いかけに答えること無く、まりさはポツリとこう言った。
「ここはゆっくりできないよ、すぐに「そふぁー」さんの所へいこうね」
まりさはぽいんぽいんと床を跳ねながら、れいむの居るリビングへと戻っていった。
◆
その日の夜。
少女はベッドの上で横になりながら、机に置いた兄の残した2冊の本をぼんやりと眺めていた。
何故、兄の日記は私の生まれた日から突然ピタリと止まったのだろう。
(やっとまりさが起きた。すぐにありすの居る場所を喋った)
何故、母が亡くなってしまったというのに、兄は家で飼っていた2匹のゆっくりの事なんか書いたのだろうか?
そもそも、母は私が生まれてから半年後に事故で亡くなった筈なのに・・・
まりさとありす・・・この2匹はもしかして・・・
少女の考えはまとまらない。
いや、まとまる。まとまってしまう。
しかしそれは・・・
ギッ
突如響いた音に、少女はびくりと体を奮わせた。
体を動かさずに、視線だけを音の聞こえた方へと向けると、少女の部屋の入り口の戸が少しずつ開いていく。
「ゆっ・・・ゆっ・・・ゆっくりあけるよ、とびらさんゆっくりひらいてね・・・・」
ぼそぼそと呟くまりさの姿がそこにあった。
まりさが少女の部屋に入り込もうとしているのだ。
先程、リビングでれいむと身を寄せ合って寝息を立てていたので、今日はここへは来ないと思ったのだが・・・
「そろーり・・・そろーり・・・」
口でそういいながら、ゆっくりと部屋の中をそろりそろりと進むまりさは、少女のベッドにもぞもぞと入りこんだ。
明日でお別れなのだから、まりさも寂しいのだろうか?そう考えると少女は少し嬉しくなった。
「すーり・・・すーり・・・」
しかし、まりさの様子がおかしい。
何時までも眠りにつく事無く、少女の服の中に潜り込んでお腹の上でもぞもぞと体を動かしている。
何時まで経っても体を落ち着かせることなく、少女の腹部に延々と体をこすり付けているのだ。
「すっ・・・!すっ・・・!すっ・・・!」
布団の中からまりさの荒い息遣いが聞こえてくる。
まりさの体からは粘り気をもった液体が分泌されて、少女の腹部と擦れ会ってネチャネチャと淫猥な音を立てている。
次第にまりさの体の動きが早くなる。その荒々しい動きにベッドがぎしぎしと軋んだ音を立て始めた。
「すっ!すすすすすっきりぃぃぃ!!」
ビクビクッ!と布団の中のまりさが大声をあげて痙攣する。
それと同時にまりさの動きがピタリと止まった。
火がついたように熱かったまりさの体が、急激に体温を失って冷たくなっていく。
ひんやりとした物体の「ゆふぅゆふぅ」という息遣いが腹部を通して少女に伝わった。
「ゆっ・・・・ゆっ・・・・」
暫くしてまりさがモゾモゾと布団から這い出てきた。
少女は起きている事に気がつかれない様にそっと目を閉じた。
目を閉じていても、まりさからの突き刺すような視線を感じる。
ジッと少女を見つめていたまりさは眉間にシワを寄せてギリッ!と歯を鳴らす。
「ゆぅ・・・!どぼじで茎さんが生えないの・・・!」
茎・・・?何の事だろう?
少女にはまりさの言っている言葉の意味が理解できなかった。
更にまりさは苛立たしそうに声を漏らす。
「このままじゃ巣に連れて行かれるよ・・・!いまさらあんな所になんか戻りたくないよ・・・!」
そう呟くと、まりさは再びモゾモゾと布団の中へと潜っていった。
まりさはにゅるにゅると体を変形させながら少女の服の中を這い回り続けている。
まりさは一体さっきから何をしているのだろうか?
まりさの奇行を目の当たりにして少女の思考はまとまらなかった。
しかし、布団の中で呟いたまりさの一言で、まりさが一体何をしようとしているのかをようやく理解する事ができた。
「ゆっくり「まむまむ」を探すよ・・・!「まむまむ」ですっきりすれば、きっとおちびちゃんができるよっ・・・!」
パァン!!
まりさの言葉を聞いた次の瞬間、少女は咄嗟に布団を跳ね上げて起き上がると、両手でまりさを掴み上げて床へと思い切り叩きつけた。
少女の手によってフローリングの床に全身を強打したまりさは、突然自分の体に駆け巡った激痛に舌を出しながらのたうち回った。
「ひぎっ!い゛っ!い゛だい゛っ!いだい゛よ゛ぉぉぉぉぉ!!」
顔面を醜く歪ませて、涙を撒き散らしながら床を転がるまりさ。
「どぼじでごんなごどず・・・・!!」
「ガバリ」と起き上がったまりさは少女に向かって悲痛な叫び声をあげたが、その声はすぐにピタリと止まる。
少女の顔を直視したまりさは、暫くカッ!と目を見開いて形相を浮かべていたが、
次の瞬間、無言で踵を返して部屋の外へと逃げる様に跳ねていった。
少女は洗面所へ駆け込んで手早く体を洗うと、兄が残した二冊の本を鞄へと放り込んで外へと駆け出した。
まりさは群れに帰りたくなかったのだ。
だから毎日何かと理由をつけて帰ろうとしなかった。
だから番のありすの事も教えてくれなかったのだ。
それ所か、毎晩ベッドに潜り込んであんな事をしていたのだ。
そうなれば、家から追い出されないと思ったのだろうか?
理由はどうあれ、暫くまりさの顔は見たく無かった。
それよりも、私は自分の生まれた産婦人科病院へと急いだ。
私の推測が正しければ、母の命日が半年もずれている事、そして何故兄はゆっくりが死ぬ程嫌いなのかもわかるだろう。
つい先程までまとまらなかった断片的な情報の数々は、少女の中のまりさ像が180度変わった事によって、
最後のピースが揃ったパズルの様に、一気に真実と言う完成に近づきつつあった。
もし、私の推測が当たってしまっていた場合は・・・・そう、その場合は・・・・
白々と薄明るくなってきた空を見上げて少女は思った。
歩いていけば、到着する頃には丁度いい時間になっているだろう。
◆
少女は自分が産まれた産婦人科病院の待合室に居た。
そこへ1人の年老いた医師が現れると、少女を今は使われていない古びた病室へと案内した。
個室の中にはカーテンが設置して無かったので、朝日が目を開けていられない程にむき出しのガラス窓へと差し込んで来る。
「ご家族が貴方のお母さんの命日を偽っていたという事は、その事で貴方が傷つかない為だったに違いありません」
すぐに本題を切り出してきた医師の言葉に、少女は息を呑んで無意識に全身が強張った。
朝日を背にした医師は、ぼんやりと薄暗いシルエットが見えるだけで、その表情を垣間見る事はできない。
「でも、貴方も大きくなられた。聞けばお兄さんも最近亡くなられたとか」
「・・・はい」
「わたしの一存で、この様な重大な事を知らせていいものかと迷いましたが・・・・」
「・・・大丈夫です。教えてください」
暫く押し黙って、しきりに自分の顎をさすっていた医師だったが、一度大きく咳をすると会話を続けた。
医師の口から告げられた母の本当の死因は、やはり兄から聞かされていた事故死では無かった。
母の本当の死因。それは、自宅の「階段から転落」した事による早産の手術中の「出血死」だった。
「貴方のお母さんの強い希望で、母体の安全よりも貴方を産む事を優先した為に救う事ができなかったのです」
「そうですか・・・・」
深々と頭を下げた医師に対して自らも深く頭をさげる少女。
そして、産婦人科から出て来た少女の目は、まるで川底の汚泥の様に濁っていた。
(ゆっ?ゆゆっ!?やめてねっ!”しゃわーさん”はゆっくりできないよっ!ゆっくりやめてねっ!)
(ごべんなざいっ!もうゆるじでぐだざいっ!までぃざはばんぜいじばじだぁぁぁ!)
(怖い人間さんがまりさのゆっくりプレイスを無茶苦茶にしたんだよ)
(すーや!・・・・すーや!)
(お母さんの仲間が沢山殺されたんだよっ!それに比べたら大したことないよっ!)
(すーや!・・・・すーや!)
(あでぃずは・・・あでぃずはばんぜいじばじだ・・・ごべんなざい・・・ごべんなざい・・・)
(ゆゆっ!?・・・ま、まりさの群れは”まだ”無事だったの!?)
(まりさは恐ろしい人間さんに「ゆうかん」に立ち向かって一度はやっつけたのよ)
(ゆっ?なに言ってるの?誰も居なかったんだからここはれいむのものだよっ!)
(すっ!すすすすすっきりぃぃぃ!!)
ゆっくり達の言葉が少女の脳内を駆け巡る。
まりさとありすの2匹がゆっくりの群れを離れて手に入れた新しい巣。
それは私の家だったのだ。
兄の日記に挟まっていた写真に写っていたゆっくりも「まりさとありす」であった。この2匹達は同一人物だったのだ。
奴等は留守の時に私たちの家に侵入し「誰も居ないから」と、勝手にこの家を自分たちの「ゆっくりプレイス」としたのだ。
まりさは「シャワーはゆっくりできない」と言っていた。森に住んでいたまりさがシャワーの事を知っている筈が無い。
これは飼いゆっくりでなければ知り得ない情報である。何故、気がつかなかったのだろう?
そして帰ってきた母と兄を「侵入者」として疎ましく思っていた。
日記の記述にある様に、食べ物をくれたり、体を洗ってくれる母と兄を召使いか何かと思っていたのだろうか?
そんな母を「ゆっくりプレイス」から追い出す為に奴等は・・・
(まりさは人間を追い払おうと、果敢に体当たりをして人間を転ばせてしまった)
ぶつかって転ばせて、母は階段から転落した。
だから、それを見たであろう兄は、まりさが動かなくなっても殴りつけるのをやめなかったのだ。
当然の反応だ。誰だってそうする。わたしだってそうするだろう。
親を奴等ごときに殺されたのだ。優しかった兄が病的なまでにゆっくりが嫌いになるのも無理は無い。
(やっとまりさが起きた。すぐにありすの居る場所を喋った)
兄の日記の最後に書いてあった文章。
兄は動かなくなったまりさを治療して意識を覚醒させると、逃げたありすの居場所を聞き出したのだ。
ありすは「まりさが人間の注意を引きつけてくれた内に、何とか元居たゆっくりプレイスへと逃げる事ができた」等と言っていたが、
そうまでして守りたかったのならば、”すぐに喋る”だろうか?
真相は、まりさが殴られている隙に自分だけは助かろうと、ありすはまりさを見捨てて一人で逃げ出した。そんな所だろう。
それならば、すぐに喋る事も合点が行く。とうの昔に奴等の関係は終わっていたのだ。
だからまりさはありすの事を私に何一つ喋らなかったし、ありすもまりさの名前を聞いて素っ頓狂な表情を浮かべていたのだ。
兄はまりさに吐かせて突き止めた奴等の巣を焼き払った後に、生き残ったゆっくり達を使ってありすを延々と拷問させた。
そして、「実行犯」であるまりさだけは、自分の家に連行して、あの水槽で永遠に溺れ続けさせたのだ。
奴等が母に行った事への報復として、同じようにその生命を絶つというだけでは我慢ならなかったのだろう。
現に奴等は私が助けてやった直後には、口では反省した様な事をしきりにアピールしていたが、
その実、これっぽっちも反省などしていない。それどころか自分たちは被害者だと言わんばかりの態度を取っていた。
何が「怖い人間がまりさのゆっくりプレイスを無茶苦茶にした」だ。どうしてそんな考えに至れるのだろうか?まるで理解できない。
私はそんなまりさを助けて、食事をさせて、我侭を許し、巣に返してやろうと奔走したのだ。
何も知らなかったクセに兄に対して、精神異常者という烙印を押して見下していたのだ。
兄の病的なまでのゆっくり嫌いの原因はあのまりさだったというのに・・・
「ゆーっ!おちびちゃんっ!ゆっくり育ってねっ!」
「ゆっくりはやく産まれて一緒にゆっくりしようねっ!」
少女が歩く歩道のすぐ脇の空き地から聞こえてくる声に無意識に視線を移す少女。
そこには2匹のゆっくりの姿があった。空き地に勝手に住んでいる野良のれいむとまりさだった。
その内のまりさの方は青々とした茎を頭から生やしている。
その茎には目を閉じた小さな赤ゆっくりが何匹も生っていて、時折「ゆっ?ゆっ?」と元気な声を上げている。
(ゆぅ・・・!どぼじで茎さんが生えないのぉ・・・!)
それを見た途端に、少女は倒れこむように電柱にもたれ掛かると、
顔を歪めて苦しそうな表情を浮かべていたが、一度大きく痙攣すると、力尽きたように吐瀉物を吐き出した。
電柱にしがみ付きながら、ズルズルと地面に崩れ落ちる少女。
全力疾走したかの様に、辛そうに荒い呼吸を繰り返す。
「ゆっ?人間さんが居るよ?」
「ゆゆっ!ほんとだっ!ゆっくりしていない人間さんがいるよっ!」
少女の存在に気がついたれいむが軽快に地面を跳ねて少女の元へと駆け寄り、
その後ろを茎を生やしたまりさが、赤ゆっくりに気を使いながら、ずりずりとすり足でれいむの後を追う。
だらしなく口を開いて、涎を垂らしながらポロポロと涙をこぼす少女をジッと見つめる2匹のゆっくり。
少女は、2匹が自分を心配して側に寄ってきたのだと思い、力なく笑みを浮かべた。
「だ、大丈夫だよ・・・なんでもないよ・・・」
「ゆっ!まりさのおちびちゃん可愛いでしょっ?」
「とってもゆっくりできるでしょ?ゆっくりみていってねっ!」
まりさは少女に自分の額から生えている茎に生っている赤ゆっくりを自慢げに見せつける。
そんなまりさの様子を見て、れいむも誇らしげに「ゆっへん!」と胸を張る。
そんな光景を見た少女の眉間がみるみると歪む。
「そ、そうだね・・・ありがとう楽になったよ・・・」
「ゆっ!じゃあお礼にまりさに「あまあま」を頂戴ねっ!」
「たくさんでいいよっ!」
「えっ!?」
「「ゆ゛っ!!」」
少女の戸惑った表情を見て2匹の顔色が見る見る変化する。
歯茎をむき出しにして、まるで「信じられない」と言った表情で少女を睨みつけた。
「なにじでるの!?まりさの可愛いおちびちゃんを見ておいて何もお礼をしないなんてバカなの?死ぬの?」
「ゆっくりできない人間だねっ!あつかましいにも程があるよっ!あまりれいむを怒らせないでねっ!」
少女の考えは大きく外れていた。
2匹は弱々しい少女の姿を見て、勝てる相手だと思い、半ば強引に食料の強奪に来たのだった。
ニヤニヤと少女を見下したような笑みを浮かべる2匹は、少女が何も言い返さない事に、更に自信を深めていた。
「ゆっ!はやくしてねっ!まりさは気がみじかいんだよっ!」
「ばかな人間さんには「せいさい」が必要だねっ!ゆっくりしねっ!」
「ま、まって・・・!」
れいむは地面を蹴ると大きく弾んで少女に体当たりをした。
「いたっ!」
それにまともにぶつかってしまった少女は、体勢を崩して背中を打ち付けながら、地面に仰向けに倒れこんだ。
そんな少女の上にれいむは乗りかかって腕に噛み付きながら、自分の体を四方八方に振り回している。
「いたたっ!痛いよっ!やめてっ!」
「はやくしてねっ!はやくしてねっ!はやくしてねっ!」
ガジガジと少女の腕に歯を突き立てながら、れいむが食料の催促を連呼する。
そんな様子を少し離れた場所からまりさが勝ち誇った様な表情で眺めている。
そのニヤニヤとした薄ら笑いが、母を殺したまりさの表情と重なる。・・・その瞬間だった。
グチッ!!
気がつくと少女は無意識に”それ”を行っていた。
腕に噛み付くれいむを振りほどいて壁に向かって思い切り叩きつけると、
後ろでニヤニヤと薄ら笑いを浮かべていたまりさに少女は自分が持っていた鞄を懇親の力を込めて振り下ろした。
「い゛・・・っ!・・・い゛ぃぃぃ・・・・っ!」
少女は無言で、粘ついた様な湿った音と共に鞄を持ち上げる。
そこには、まりさの変わり果てた姿があった。
まりさの頭から生えていた茎は根元からグシャグシャに拉げて、そこに生っていた赤ゆっくり達は、
少女の鞄とまりさの顔面との圧迫によって破裂し、断末魔の形相を浮かべてながらまりさの顔面に斑点の様にへばり付いている。
まだ息があるのか、つい先程までの可愛らしい姿の面影も無く、醜く歪んだ表情で、
「ゆ゛っ!」と時折思い出したように体の底から搾り出す様な奇声をあげている。
母体であるまりさも、鞄の一撃によって脳天が深々と陥没しており、声にならない声をあげながら、
ギュッと目を瞑ってその形容し難い激痛に何とか耐えている。
そんな中、少女に振りほどかれて地面に全身を強打したれいむは、
重症のまりさの事を気にかける素振りも見せる事無く、地面に打ち付けた尻の辺りを必死に嘗め回している。
「い゛だい゛・・・っ!どぼじで・・・!どぼじで・・・!」
「ゆ゛っぐり゛な゛お゛っでね゛!べーろ゛!べーろ゛!べーろ゛!」
ダラダラと汗や涙、そして正体不明の体液を滴らせながら、まりさが少女に向かって「どぼじで?どぼじで?」と連呼する。
何が「どうして?」なのだろうか?そちらから襲い掛かってきたくせに、何故不慮の事故にでも巻き込まれたような顔をしているのだろうか?
そんな2匹に少女は強い苛立ちを覚えつつも、冷め切った表情で粘液を垂れ流す醜い饅頭を見下ろしていた。
そんな少女の冷たい瞳を目の当たりにしたまりさは、見る見る表情を青ざめて、力なく少女に向かって謝罪の言葉を吐き出した。
「ごっ・・・ごべなざい・・・ゆるじでぐだざい・・・」
「まりさは反省しました」
「ばでぃざばばんぜいじばじ・・・ゆ゛っ!?」
喋ろうと思った言葉を先に少女に言われた為に、ビクリと体を震わせながら歯茎をむき出して驚いた様な表情を浮かべるまりさ。
そんなまりさを見下ろしながら、少女は思った。
こいつらは皆揃って同じ事を言う。
これは本当に悪いと思って謝罪したのではなく、もしかして「こういう鳴き声」では無いのだろうか?
数年間も虐待されていたあの2匹ですら、自分のした事を理解できずにすぐに被害者面をしだしたのだから、
今の出来事くらいでは、この反応も当然なのかも知れない。
少女がまりさに視線を戻すと、地面にこぼれ落ちた瀕死の赤子を気に留める事も無く、ズルズルと体を引きずってこの場を離れようとしている。
その遥か前方には、とうの昔にまりさを見捨てて、1匹で逃走を開始したれいむが必死に地面を飛び跳ねている。
少女はそんな2匹を興味無さ気に見つめていた。
れいむは道路の向こう側へ行くには、とても間に合いそうに無いタイミングで横断歩道に入り込んでしまい、
れいむの存在を気にかけることも無く接近してきた車の集団にあっという間にそのシルエットを飲み込まれて行った。
まりさも必死にれいむの後を追いながら、道行く人々に向かって助けを求めているのか、何やら周囲に奇声を発していたが、
側を通りかかった中年男性にその体を蹴られて道の隅に追いやられると、すぐに静かになった。
恐ろしい光景であったが、不思議と心は痛まなかったし、気分も悪くならなかった。
それ所か澄み切った青空の様に、自分の心の中に爽やかな風が吹いているような奇妙な高揚感を感じた。
あんなゴミクズのせいで自分の人生がこの年にして大きく頓挫している現実。
あいつらさえ居なければ、母は命を落すことなく、今もあの家で少女の帰りを待っていてくれていたのだろう。
あいつらさえ居なければ、兄も、家計を支える為に肉体を酷使して若くして命を落すことも無かっただろう。
あいつらさえ居なければ、母を捨てた父に、生活の為とは言え下げたくも無い頭を下げる必要も無かっただろう。
兄がどうして奴等をすぐに殺してしまわなかったのか、今ならばわかる。
「罪を憎んで人を憎まず」等と言うが、奴等は「罪」を理解できていないのだ。
現に今死んだ2匹も、自分達に大きな非があったのにも関わらず、次の瞬間には被害者面をぶら下げながら喚いていた。
そして、あの2匹は今は痛くも、苦しくも、悲しくも無い、それは奴等の言う所の「ゆっくり」しているという事にならないだろうか?
兄は奴等の住処を焼き払い、奴等を数年にも渡って拷問し続けた。
もし相手が人間であったのならば、その償いはとっくに清算したと私は考えただろう。
3年所では無かった。まりさは私が産まれた直後から「溺れ」続けていたのだ。
さぞかし苦しかっただろう。辛かっただろう。
しかし、それで全てを許そう等と言う気は全く起きなかった。
私が今もそしてこれからも辛い生活を強いられるというのに、高々十数年酷い目にあっただけで開放されて、
その後はヘラヘラと幸せな面を浮かべて平穏な生活を送るなど許されない。我慢ならない。
相手はゆっくりである。残念ながら、ゆっくりと人間では対等では無い。それを最もわかりやすい形で今、理解した。
足りない。まだまだ足りなかった。その程度の痛みで奴等がした事が清算されたとは微塵も思えなかった。
罪が理解できないのであれば、理解する必要など無い。わけもわからずに永遠に苦しんで貰うだけだ。
兄も恐らく今の私と同じ考えに至ったのであろう。その答えがあの水槽と仲間のゆっくり達からの虐待であったのだ。
少女はゆっくりと歩き始めた。
そして、道の傍らで中身を飛び散らせた生ゴミの様になった先程の野良まりさを一瞥すると、
高々と振り上げた足を、躊躇なくその生ゴミの顔面へと振り下ろした。
僅かな抵抗を足の裏に感じた次の瞬間「プリョッ!」という奇妙な音と共に生ゴミの顔面は深々と陥没すると、ビックリ箱の様に目玉が飛び出して地面を転がる。
野良まりさは思い出したかの様にビクン、ビクンと丘へ打ち上げられた魚の様に何度か痙攣すると、むき出しにした歯をギリッ!と軋ませて、
「・・・ゆ゛っ」と小さなうめき声を吐き出した。
少女は野良まりさのそんな様子を見て涼し気な笑顔を浮かべると、
飽きること無く、振り上げた足を何度も何度も野良まりさの崩れた顔面へと向かって振り下ろし続けた。
つづく
今まで書いたもの
ふたば系ゆっくりいじめ 131 れいむ視点と人間視点
最終更新:2010年10月09日 20:49