(30)906 『ヴァリアントハンター外伝(3)』

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ガラス越しに人間の声が聞こえ、ソレはわずかに目を開けた。
ソレは粘性を持った液体の中、複数のチューブに繋がれて眠っていた。
一体いつからここにいたのか、ソレ自身には判らない。
目が覚めた時にはすでにこの場所にいた。
それ以前の記憶はない。
ただ、今はまだその時ではないと誰かに言い聞かせられるように、ソレは眠っていた。
静かに。
無音という静寂の中を。
静謐な闇の中をたゆたうように。
ソレはさながら胎児のようなものだった。
ソレは胎児のような存在であるがゆえに、この世に再び生まれ落ちるその時を待っている。
胎動は静かに、しかし力強く、ソレが生きた存在であることを証明している。
人間の声が遠ざかり、ソレは再びまぶたを閉ざす。



  *  *  *


東京都千代田区霞ヶ関、警視庁。
廊下の窓から外を窺うと、あたりはすっかり夜の闇に沈んでいる。
田中れいなと紺野あさ美は、ヴァリアントの群を排除したその足で本庁へと戻ってきていた。
れいなはパワードスーツ装着用の黒いボディスーツ、あさ美はいつも通りに白衣を纏っている。
庁内のどの廊下を歩いても好奇の視線を集める異様な格好ではあるが、
そんなことを気に留めている場合でもない。
情報自体は届いているだろうが、現場に居合わせた人間として
先の異常事態の詳細を直接上司に報告する義務がある。
二人はある一室の前で足を止め、申し訳程度に居住いを正してから、扉をノックした。

「田中れいな巡査、紺野あさ美警部、両名戻りました」
「おう、入りぃ」

粗雑な関西弁に応じて足を踏み入れたのは、とあるキャリアの執務室である。
お偉いさんの執務室と聞いて、れいななどは最初に来たとき絢爛豪華な応接室を想像したものだが、
実態はその真逆と評して差し支えない。
広さは一応はそこそこあるものの、部屋の両脇に鎮座する巨大な本棚のおかげで窮屈さすら覚える。
本棚の中身も法学や政治学関連のハードカバーが数冊あるだけで、
残りはすべて味気ない事件のファイルの背表紙がのぞくばかりだ。
床は毛足の長い絨毯などではなく、リノリウム剥き出しの無愛想さ。
部屋の最奥には執務室らしく大きなデスクがあるが、
これも積み上げられた書類やファイル、PCのディスプレイがひしめき合い、座っている人間の顔も窺えない有様だった。

「お疲れさん。ま、ひとまず腰掛けぇや」

絶妙なバランスで林立するファイルの隙間から部屋の主の瞳がのぞき、
れいなとあさ美は言われるまま、申し訳程度に部屋の中央へ据えられた応接用のソファーに腰を下ろす。


しばらくカタカタとキーボードを操作する音が続き、それが止んだところでようやく部屋の主が腰を上げた。
階級上、本来なら二人も立ち上がって敬礼のひとつでもすべき相手だが、
本人がそういう堅苦しい官僚主義を嫌うので目礼で済ませる。

「で、いよいよ敵が尻尾出したってとこか?」

ド派手な金髪に真紅のスーツ。
スーツのスカートからは豹柄のタイツが脚線に沿って伸びている。
口の端にはタバコをくわえ、第一印象は良くて場末のスナックのママ、悪ければヤクザ屋さんの関係者。
中澤裕子警視。
その実は東大法学部出身、
若くしてヴァリアント関連事案対策本部の管理官に任じられた一流のキャリアである。

「かつてないヴァリアントの同時出現数。意思を持ったかのように統率された動き。
 地下共同溝をヴァリアントが通った痕跡も見つけられましたし、間違いないでしょうね」
「状況的には明らかに何者かがヴァリアントを操っていた、と。
 記録も取れたし、またひとつ連中の目論見を潰すのに成功したわけやな」

二人の向かいのソファーに腰掛けた中澤の問いにあさ美がすらすらと自身の見解を述べ、中澤もそれに応じる。
が、れいなには二人が何を言っているのかさっぱりわからない。

「ちょ、ちょっと待ってください。話が見えないんですけど……?」
「ん? ああ、すまんすまん。田中にはまだ話してないんやったな」

そこで中澤は新しくタバコをくわえ直すと、ジッポのライターを軽快に操作して火をつけ、ひときわ大きく紫煙をくゆらせた。

「ええか、こっから先は知らん方がええって場合もある。
 つまり、知れば多かれ少なかれ身に危険が及ぶ事態が想定されるってことや。
 ついでに心理的ショックも大きいやろうな。
 それでも聞く覚悟はあるか?」


それ以前に、れいなの覚悟を中澤は知っている。
その意思をこめた瞳で見つめ返すと、中澤は苦笑を漏らした。

「すまん、愚問やったな。紺野」

中澤の指示で、あさ美が常に携帯しているノートPCのキーボードを操作した。
隣に座るれいなからも液晶が見える。
なにやら複数の認証画面にパスを打ち込み、静脈認証まで行っている様子だ。

『静脈認証終了。アクセス者を紺野あさ美警部本人と確認。内部資料の閲覧を許可』

PCからアルエの声が聞こえてくる。
どうやら警視庁地下にあるスーパーコンピュータ、つまりアルエの本体と繋がっているらしい。
アルエに守らせているということは、それだけ重要な極秘資料がそこに眠っていることを同時に意味する。
そうしてPCの液晶に現れたのは、複数のグラフと、画素は粗いがどこかの研究室の映像だった。
映像からは忙しくなく室内を動く白衣姿の人間達と、淡い緑色の光を放つ円柱型の水槽のようなものが確認できる。
巨大な水槽は室内に複数存在し、中で何かの影が蠢いているようだが、それが何なのかまでは判然としない。

「これは?」
「グラフの方はとある統計。映像はこっちの依頼で道重が持ってきたもんや」

道重さゆみ。
れいなが知る限り最も隠密行動に長けた情報屋。
彼女への依頼報酬は莫大だ。
つまり、この映像には警察庁の予算からそれだけの金額を支払ってまで得るべき価値があるということ。
沈黙で続きを促すと、中澤はその詳細を話し始めた。

「ヴァリアントは超能力者が突然変異した存在である。
 風の噂程度でも、この話は聞いたことあるな?」
「え、ええ。何度かは」
「一応はどっか海外の学者が唱えた学説や。その根拠はなんやと思う」
「……ヴァリアントが、どの個体も超能力を保有しているから、ですか?」


れいながこれまでに直接ヴァリアントの殲滅を行った回数は今日を含めて十。
能力殺しの前にはどんな能力も無に帰すのであまり気には留めていなかったが、
確かに連中は"障壁"を含め、それぞれが多種多様な超能力を保有していた。

「そや。しかし一般的にこの学説は学会じゃ根拠薄弱として否定されとる。その理由は?」
「え、と。……いえ、思いあたりません」
「ヴァリアントは唐突に出現する。今は予知能力者を使って出現を事前に察知し、
 先んじて避難誘導するってシステムが稼動してるから無理もないけど、
 それにしたってこれまで街中で人間がヴァリアントに変貌したなんて目撃証言がただのひとつも存在しない。
 ええか、ヴァリアント出現当初から含めて、国内外問わずひとつもや。
 もちろん、目撃証言自体はいくらかあるが、ひとつひとつ吟味すればどれも狂言、デマの類やな」
「じゃあ、その説はやっぱり根拠薄弱ってことになるんじゃ」
「それがそうとも言い切れないんだよね」

割って入ったあさ美が、PC上に表示されたグラフをれいなに示す。
グラフはヴァリアント出現件数を示したもので、種類も年代、国家、地域別と様々だ。
れいなは、その中にまぎれた不穏な記述を見つけて息を呑んだ。

「超能力者の行方不明、死亡、事故件数……?」

これらもやはり年代や国、地域といった基準でそれぞれにグラフが表示されていた。

「あくまでも客観的な分析だってことを前置いておくね。
 この超能力者の死亡事例の中には真偽が怪しいものも多いんだ。
 なにしろ死亡者の中には世界中の大量のヴァリアントハンターも含まれるから。
 誰かがその気になれば、死体の偽装だって簡単だよ。
 国によっては公式の記録が非開示なところもあるから割り出しは難しかったけど、
 人口比率っていうマクロな視点、加えてそれぞれの行方不明、死亡事案っていうミクロな視点の両方を使って
 調べてみると、興味深いデータが浮かび上がってきた」


紺野あさ美の言う"興味深い"に穏当な物事が絡んだ記憶はない。
知らず、れいなは再び息を呑んだ。

「ヴァリアントの出現場所が世界をまたにかけてるからね、それだけでもかなり混乱させられたよ。
 けどじっくり検証を重ねていくと――」
「紺野、まわりくどいんは悪い癖や」
「あ、すいません。まあ単刀直入にいっちゃうとね、
 この"いなくなった超能力者"の数と"出現したヴァリアント"の数。
 もちろん多少の誤差はあるけどこれ――おおよそ一致しちゃうんだよね」

れいなは軽い目眩を覚えた。
その数値が一致するということはつまり、そのまま先の学説の裏づけになる。
れいなはこれまでヴァリアントを単なる"怪物"、あるいは人類の"敵"として殲滅してきた。
無論、この程度のことでれいなの信念が揺らぐことはない。
しかし確かに中澤の言う通り、いくらかの心理的ショックは隠せなかった。
先の学説が正しいのなられいなはこれまで、――"元人間"をその手にかけてきたことになるのだから。

「流石に動揺してるとこ悪いが、話はまだ終わっとらん。
 さっき言った通り、街中で超能力者がヴァリアントに変容する姿を見た者はおらん。
 にも関わらず、連中は現れる。唐突に。あまりにも突然にな」
「加えて、どう考えても何かの隠蔽工作としか思えない事案の数々。
 ここから導き出される結論はひとつ」


二人に見つめられ、れいなの背筋を冷たい汗が流れる。
ここまでの話と、先に見た映像。
想像は容易にその結論に繋がっていく。

「……ヴァリアントは、誰かが人為的に造り出している」

沈黙が室内を支配する。
その沈黙は、れいなの想像を肯定するものだった。
気づけば、中澤が指に挟んだタバコがじりじりと長い灰になっている。
灰はやがて自重に耐え切れず床に落ちた。
まだ微かな火種を残して燻る灰は、今すぐ燃え上がり焔となって襲いかかってくるような錯覚をれいなに与えた。

「今更身の危険がどうとか、れなが気にすると思いますか?」