To the real(前編)

――――小さい頃のあたしは、本当に、弱くて、泣き虫で……悲しいこととか辛いことにいつも蹲って、ただ泣くことしかできなくて……。

 新暦0071年、ミッドチルダ臨海空港の大規模火災事故。
 少女は1人、逃げ遅れていた。
「お父さん……お姉ちゃん……」
 どれほど泣き叫んでも、誰の救いの手も伸びない。
 炎にまかれ消耗する少女は、やがて倒れ伏し。
「痛いよっ……痛いよっ……こんなのやだよ。 帰りたいよ……誰か、助けて!」
 その頭上から巨大な石像が倒れてきた。

「良かった、間に合った……助けに来たよ」

 気付けば石像は桜色の魔力光の帯に巻きつかれ、空中に固定していた。
「良く頑張ったね、偉いよ」
 白いバリアジャケットを身に纏った女性が、少女に救いの手を差し伸べた。

――――炎の中から助け出して貰って、連れ出して貰った広い夜空。冷たい風が優しくて、抱きしめてくれる腕が……暖かくて。
――――助けてくれたあの人は……強くて、優しくて、かっこ良くて。
――――泣いてばかりで、何もできない自分が……情けなくて……。
――――あたしはあの時、生まれて初めて、心から思ったんだ。泣いてるだけなのも、何もできないのも、もう嫌だって。
――――強くなるんだって。

     ◇     ◇     ◇

 少女が1人立ちつくしていた。
 短く切り揃えられた蒼い髪は少年のような印象を与え、瞳は緑の輝きを放っている。
 そして身にまとう茶色の制服は、少女の所属する組織を示す。
 時空管理局。数多の次元世界を管理及び維持するための機関。それが少女の所属する組織。
 少女の名はスバル・ナカジマ。時空管理局古代遺物管理部機動六課の隊員である。

 今のスバルの状態を一言で表すなら、『困惑』だった。
 何しろ視界を埋め尽くす光が晴れたと思ったら、見たことも無い場所に立っていた。
 自生していると思しき広葉樹が、視界一面に生い茂り。
 天を仰げば、澄んだ夜空に浮かぶのはミッドチルダの物より遥かに小さい月。
 どうやらここは自分が住む、ミッドチルダとは異なる次元世界のようだ。
 まとまらない思考の輪郭が、徐々にはっきりしてくる。
 一体どうやってこんな所に来たのか?
 そもそもここに来る前に自分が居た場所、忘れもしないジュンと呼ばれた少年が死んだ空間。
 あそこにどうやって移動したのかも、見当が付かない。
 まるで映画の場面転換の如く、それまでの経緯から隔絶した状況。
 転移魔法を使ったのだろうか? しかし魔法陣の形成など、魔法を使った形跡が全く見られなかった。
 ならば自分の知らない体系の魔法やレアスキル、あるいは科学技術を使ったのか?
 何れにしろ、この殺し合いを主催する者は完全に未知数の存在だと言う事になる。
 それでも、ここに呼ばれた理由は知っている。死神博士とやらに、直接説明されたのだから。
 殺し合い。
 あの会場に集められた者で、最後の1人になるまでそれをしろと言われた。
 つまり今自分が居る場所は、その為の会場といった所か。
 他の参加者も、どこか近隣に送られたのだろう。
 殺し合いをする為に。
 そして生きて帰れるのは、勝ち残った1人だけ……。

(…………許せない!)
 『困惑』はやがて『怒り』に変わる。
 人の命を何だと思っている?
 そんなことの説明の為に、あのジュンと呼ばれた少年は殺されたのか?
 一体どんな理由があれば、殺し合いなどと言うことが正当化される!?
 たとえどんな理由があれど、こんな馬鹿げたことの為に誰かが犠牲になるなんて
 そんなことは、絶対に認めない。

 そして『怒り』は『決意』を促した。
 殺し合いを阻止し、1人でも多くの人を救い出す。
 そう、自分があの日なのはさんに救われたように
 今度は自分が、この殺し合いに巻き込まれた人達を救う番だ。
 あの日の憧れに従って、管理局員として今日まで訓練を重ねてきた。
 災害救助隊や機動六課での経験も積んだ。
 今度は自分が、あの日のなのはさんのように誰かの光となる番だ。
 そうと決まれば、何時までもじっとしてはいられない。
 スバルは他の参加者を捜しに動くべく、相棒に呼びかける。

「いくよ、マッハキャリバー!」

 マッハキャリバー。
 スバルの持つ固有の知性と思考を持つ、インテリジェントデバイス。
 スバルの武器にして相棒たる存在。
 しかし、そのマッハキャリバーから返事は返ってこない。
 自分の身体をまさぐって探してみるがマッハキャリバーも、もう1つの愛用デバイス『リボルバーナックル』もない。
 どうやらデバイスは、死神博士に没収されたようだ。
 大事な相棒と母の形見のその両方を奪われ、スバルは更に怒りを募らせる。
 そしてスバルは、足下にデイパックを見付けた。
 スバルは一瞬、深い森の中に何故そんな物が落ちているのかといぶかしんだが。
 すぐにデイパックを支給すると言う死神博士の説明を思い出す。
 早速中を改めようとした時、それは聞こえた。

(……悲鳴!)

 声の主からはかなりの距離があるらしく、木々のざわめきに紛れるほどそれは小さい。
 それでも災害救助隊で場数を踏んできたスバルが、聞き間違えるはずが無い。
 苦痛を訴える声。要救助者の悲鳴。
 デイパックを掴み、声の方角を見定める。
 スバルの足下に水色の光の紋様、魔法陣が浮かび上がった。
 体内のリンカーコアに蓄積された魔力を右拳に込め、大地に打ちこむ。
 そこから魔力光で形成された道が、声の方角へ真っ直ぐに伸びていく。
 スバルの先天魔法『ウイングロード』。
 常より魔力の消耗が大きく発揮効率も悪い気がしたが、すぐにそれは意識の外に置く。
 これがあれば深い森の中でも、障害物に邪魔される事なく迷わず目的地を目指せる。

 決意は既に済ませた。
 後はそれを両の脚に乗せ進むのみ。
 スバルは殺戮劇の最前線へ走り出した。

     ◇     ◇     ◇

「……何だこれは? 一体何がどうなっている!?」

 深夜の闇と静寂が包む木々が鬱蒼と生い茂った森に、男の声は響きわたった。
 がっしりとした体格の中年黒人男性、デイビッド・パーマーは自らの困惑を隠そうともせず1人憤りを露にする。
 殺し合い。死神博士と名乗る者に、それをしろと命じられこの場におくられた。
 あまりに理不尽な事態。パーマーは憤りと困惑を抑えきれない。
 そして更に不可解なのは、この場に瞬間移動されたことだ。
 パーマーは今までも様々な事件を経験してきたが、こんな物理法則を無視した異常な事態は初めての経験である。
 大体それ以前にアメリカ合衆国大統領であるパーマーは、ホワイトハウスの大統領の椅子に居たはずだ。
 ホワイトハウスから大統領を連れ去るなど、尋常ではない。それだけで前代未聞の大事件だ。
 それを死神博士はやってのけた。しかも瞬間移動などと言う、超常の手段でもってである。
 パーマーは直感する。この事態は自分が今まで直面してきたテロリズムや国際問題とは、まるで次元が違うものだと。
 では何もせず、事態の収拾を待つか?
 答えは否。ただ待っていたとしても、救助が来る前に自分が死んでいる可能性が高い。そもそも助けが来るかどうかも、定かではない。
 何よりパーマーの持つ強い正義感、あるいは倫理観が殺し合いと言うものの存在自体をよしとしない。
 ましてそれを他者に強いるなど、絶対に許せない非道な犯罪行為だ。
 ならばパーマーの取るべき道は一つ、殺し合いを積極的に止めに動くこと。

 パーマーは自分の足下に死神博士の説明にあったデイパックの存在を確めると、中身の確認にうつる。
 恐らく大統領の権力など、殺し合いの中ではほとんど役に立たないだろう。
 殺し合いの最中に自分の役職を持ち出したところで、牽制にもなるまい。たとえ世界最高の権威とすら言える、合衆国大統領でも。
 ならば支給された武器と言えど、それを当てにする必要がある。
 殺し合いに積極的に乗る者がいれば武器でもって制圧して、可能な限り多くの人の安全を確保し
 殺し合い自体からの脱出策を探す。それがパーマーの考える行動方針の大まかな所である。
 正義を標榜しつつ、結局は武器にたより、力で人を抑えつける。
 パーマーは、どこかアメリカと言う国を思い起こさせる考えだと自嘲した。
 しかし殺し合いを止めるためには、誰かが先導して参加者を纏めなければなるまい。
 そしてそれを行うのは、おそらく大統領であるパーマーこそが最も相応しいであろう。
 肩書きゆえではなく幾度も個人の、あるいは国家の危機を乗り越えてきたその経験ゆえに。
 考え事に耽りながらも、パーマーはデイパックから名簿と思しき紙片をとりだした。

「……ジャック、彼も居るのか。…………シェリー!!? ああ、何てことだ……!」

 そこには、以前はCTU(テロ対策ユニット)に勤め現在は休職中の、かつてパーマーの暗殺計画を阻止したこともある友人ジャック・バウアーと
 そしてかつての妻である、シェリー・パーマーの名前があった。
 ジャックは極めて優秀な連邦捜査官であり、パーマーの信頼できる友人でもある。
 何よりジャックは、パーマーと同じく正義感の強い人間だ。こんな殺し合いに乗ることはないだろう。
 友人が殺し合いに巻き込まれたことには当然憤りを感じるが、味方として考えれば彼ほど心強い人間はいない。
 問題はシェリーだ。
 彼女とは長く夫婦として共に生活し、2人の子供ももうけた。公私のあらゆる面で支えてももらった。
 政治的手腕は、ある意味自分より優れているかもしれない。
 しかし彼女の目的のために手段を選ばないやりかたは、あまりに自分とはそぐわないものだった。そのため、結局は彼女と縁を切り離婚した。
 それでもこんな殺し合いで死んでいいはずは無い。今の状況では、保護すべき民間人に違いない。
 他に知っている名前は、ニーナ・マイヤーズ。
 表向きはCTUの職員だったが、実際は外部からのスパイであった人物。そしてジャックの奥さんを殺害した犯人でもある。
 注意すべき危険な人物と言えよう。
 名簿に他に知った名前が無いことを調べおえると、他の荷物の確認にうつる。
 食料や水や地図などの用品とともに、黒光りする金属製品がみつかった。
 武器にくわしい訳ではないパーマーも、それがベレッタM92FSであると分かる。それほどポピュラーな拳銃だ。
 試射をしようかと思案するが、へたに音を立てて、こちらの居場所を一方的に周囲に知らせるのはまずい。
 よほど火急の場面にならない限り、威嚇以上には使うつもりも無い。
 それゆえ、ベレッタを当座の武器として動き始めることにした。

 森の中を当ても無く歩き始める。
 とにかく何らかの建物でも見つければ、地図と照合して現在地を割り出せるだろう。
 そこから先のことは、現在地を確認してから決めるしかない。
 そんな事を考えながら歩いていたパーマーの耳に
 ガサリ、と草をかき分ける音が聞こえた。
 人が立てたとおぼしきその音にパーマーに緊張が走るが、気を取り直し自分の行動方針を思い返す。
 パーマーは自分は極力物音を立てないよう注意しつつ、音の方へ近付いた。

 男が草木を縫うように歩いているのを見つけた。
 黒い髪にパーマをあてた、30代くらいの東洋人男性。
 悠然と歩くさまから、殺し合いという状況への恐れは見取れない。むしろ事態の危険性を認識していないのでは無いかとさえ思える。
 反りの入った細長い刃物を、右肩に担ぐように持っている。たしか日本刀だったか。
 見た所他に武器を持っていない。ならば接触の際、銃を持っているこちらが優位に立てる。
 それでも慎重を期して、男の背後から近付こうとする。

「おい……誰かそこにいんだろ? 出て来いヨ」

 不意に男が振りかえる。
 まっすぐに自分の居る場所へ視線を向けていることから、本当に見付かっているようだ。
 どうやら、印象とは裏腹に相当鋭い人物らしい。
 パーマーはベレッタの銃身を上着の内ポケットにしまい、両手を上げて姿をあらわす。

「……テメー、ナンで俺を尾けてきた?」

 男は目を細め静かに話しかけてきた。
 にもかかわらず、並ならぬ威圧感を発している。政界の海千山千を潜ってきたパーマーですら、気圧されそうなほどの。

「失礼した。このような状況なので、多少警戒して君と接触を図ろうとしただけだ。危害を加えるつもりは無いので、誤解しないで貰いたい。
私はアメリカ合衆国大統領、デイビッド・パーマーだ。君の名前を教えてくれないか?」

 パーマーは意を決して、一気に捲くし立てる。
 対する男は訝しげに、パーマーを見つめるだけだ。
 警戒すると言うより値踏みしているといった視線を向ける男の態度に、僅かに苛立つが
 平静を装いつつ、話しかけつづける。

「私は殺し合いを打破するための協力者を募っている。君もこのような状況から、一刻も早く解放されることを望んでいるのではないのか?
その為にも、参加者同士が連携して事態の打破にあたるべきだと私は考えている。だからこそ、君の協力を仰ぎたい……」
「オメー……阿久津丈二っていう、下品なチンピラ見なかったか?」

 今度は質問を質問で遮られた。
 更に憤りをおぼえるが、今はそんな事で諍いを起こしてる場合ではない。

「いや、ここで人に会うのは君が始めてだ」
「そーかヨ……」

 男はパーマーに背を向け、歩きはじめる。

「待て! こっちは君の質問に答えたが、君はこちらの質問には答えていないぞ!」

 男はパーマーの声に反応する様子もない。
 もはやこの男の無礼に対して、怒りを抑える必要も無いだろう。
 先程までの紳士的な態度を捨て、パーマーは声を荒げた。

「いい加減にしろ! 今がどれほど深刻な事態か分からないのか!? 個々が勝手に動いては殺される……!!」

 男を追うパーマーの鼻先30cmほどの所に、日本刀の切っ先が突きつけられた。

「…………いいか、俺は今どうしょうもなくイラついてんだヨ……」

 男はパーマーを射殺しそうなほどの眼光で睨む。
 目つきからは、先程までの漠然とした威圧感とは異なる明確な殺気すら伝わってきた。
 それだけで、男が尋常な生き方をしてきてはいないと読み取れる。

「覚醒剤(シャブ)イジッてる所を、丈二に見られチまってヨ。その丈二が、俺がオヤジ弾くとか世迷ゴトぬかしやがってよォ。
ドラム缶から出して直接叩き殺してやろうかと思ったら、いきねり訳のわかんねートコに連れ出されて『殺し合いをしろ』だ。
挙句にソコでも、大統領だかナンだかいってる奴に説教喰らっチまってる。これでイラつくなってのが無理な話だろーが。えェ?
いいか? これ以上俺に張り付いてくだらねー能書き垂れやがったら、テメーから殺すぞ?」

 殺すと言う言葉に嘘は無い。
 そうと分かるほど、男の放つ雰囲気は剣呑だ。
 しかしパーマーには、それ以上に気になることがあった。

「…………今君は私から殺すと、そう言ったな?」

 男の話を聞き、パーマーはある推測をする。
 男の他者を拒絶するような態度。
 そんな人物が殺し合いの中で、阿久津丈二という特定の人物を捜している。
 その目的は恐らく……。

「君が『阿久津丈二』を捜すのは、その人物を殺すためか?」
「……テメーにゃ、関係ねーだろ」
「そうなんだな……?」

 図星か。
 そうなると、いよいよこの男を放っておく訳にはいかなくなった。
 たとえ殺し合いの中という異常な状況下とはいえ、みすみす殺人を犯そうとしている者を放置してはおけない。
 いや殺し合いの中だからこそ、なお更まずい。
 仮に誰1人として殺し合いに乗る意思を持つ者が居なかったとして、たった1件の殺人から怨恨や疑心暗鬼が生まれ
 殺人の連鎖に発展する事態も、考え得る。
 多少強引な手を使っても、男を止めなくては。

「君とその阿久津丈二さんの間にどういった事情があるか、私は知らない。だが殺人は、容認できん! 断じてだ。
それを見逃すということは、殺し合いを容認することと同じだ」

 男は先程までの険のある表情から一転し、パーマーを嘲笑うかのように笑みを浮かべた。

「ナンで俺がするコトを、一々オメーに容認して頂かなくちゃいけないんでしょうかネ?」
「どうしてもと言うのなら、こちらにも考えがある」
「考えだ?」
「こうするのさ」

 パーマーは上着の内ポケットから、ベレッタを抜いて男に突きつけた。
 照準をぴったりと、男の脚に合わせる。

「…………テメー、ヤクザに拳銃(チャカ)向けるってコトがどういうコトか、分かってんだろーナ?」

 しかし、男に動じる様子はない。目を細め、視線を鋭くするだけだ。
 それでも、ここまで来たらパーマーも後には引けない。
 男の目を見返し、はっきりとした口調で告げる。

「君を私の監視下におき、その行動を制限させてもらう。いますぐ武器を捨てろ。そうすれば危害は加えない。
君は剣で私は銃だ。どちらが有利かは分かるだろう?」

 両者の間に流れる沈黙の時間。
 パーマーは内心の緊張を表に出さないよう努める。そうしてどれ位経っただろう?
 1秒にも1分にも思えるような長い間。
 やがて男は再び、嘲笑うかのような笑みを浮かべるとパーマーの握るベレッタを顎で指した。

「……安全装置の掛かった銃が、どうしたって?」

 男の言葉にほとんど反射的に反応し、パーマーはベレッタに視線をおとした。
 次の瞬間、視界の隅に光が奔る。
 光は男の持っていた日本刀。その切っ先が、ベレッタを持つ手の手首に刺さった。
 痛みに呻き、ベレッタがこぼれ落ちる。
 慌てて拾おうと身をかがめた途端、今度はねらいすましたように顔面を蹴り飛ばされた。
 その後はもう、男が一方的にパーマーを攻め立てるだけだった。
 痛みにうめき視界の効かないパーマーに、更に拳や蹴りが叩きこまれる。
 乱雑に見えてその実的確に打ち込まれる打撃は、男が相当暴力に慣れていることを示していた。
 地面に仰向けに叩きつけられる。
 男は何時の間にか拾っていたベレッタを、パーマーに突きつけた。

「……テメー、随分ハネてくれたじゃネーか。覚悟はできてんだろーな? オウ?」

 パーマーはこれまで幾多の国家的な問題に対処してきた。
 しかし、それらは全て政治的な場面での話だ。今のように、自分で銃を持って敵と対峙する等といった状況は始めてである。
 しかし男は違う。
 男はヤクザ。それも法律や経済観念との折り合いを覚えた、現代ヤクザではない。もっと原初的な暴力に生きるそれ。
 喧嘩はおろか、命を賭けた戦いの経験だとて1度や2度ではない。
 新宿に蠢く極道の世界の血風を潜り抜けてきた修羅。文字通りの筋者。
 戦闘能力の高さで名高い暴力団「海江田組」の中でも更に、「殺し」の専門として組の内外に恐れられている男、石田一成。
 パーマーと石田とでは、白兵戦における能力も経験もまるで違っていた。



 石田は傲然とパーマーを見下ろす。
 元々石田の目的は、名簿に名前のあった自分が覚醒剤に手を出していることを知る丈二を殺すこと。
 パーマーなどに用はない。当然、危害を加えるつもりもなかった。
 しかし仕掛けてきたのが向こうなら、容赦してやるほど石田はお人好しではない。
 起き上がろうとするパーマーの脚に支給された武器、『八房の剣』と言われる霊刀をつき刺す。
 説明書にあった霊刀と言うのは眉唾だが、切れ味は本物。

「グゥ……」

 脚を刺されたパーマーは、悲鳴を押し殺して蹲ってる。

「……き、君は日本人だな? 私はアメリカの大統領だ。分かっているのか? 経緯はどうあれ、これ以上私に危害を加えたら
それは個人の問題ではない。重大な国際問題になるんだぞ!」
「日本とアメリカで戦争になるって? 上等じゃネーか。そう言えば、俺が引くとでも思ったか? えェ、オイ」

 パーマーの恫喝も、石田は意に介さない。
 内なる凶暴性、血に飢えた本性を今や隠そうともせず、パーマーの脚を抉る。
 もはや悲鳴を抑えることもできないのか、パーマーの叫びがこだまする。

「ハァハァ……………………では君は私をどうする? 殺すのか?」
「……あァ?」
「…………分からないのか? ここで私を殺せば、殺し合いが進行する形になる。それこそ死神博士の思う壺だ。
そして参加者の中で完全に殺し合いが成立してしまえば、君だって生きて帰れる保証は無いんだぞ!?」
「…………」

 そこで初めて石田の動きが止まる。
 怒りに任せてパーマーに暴行したはいいが、果たして自分はこの後どうするつもりなのか?
 殺すか? 何しろこんな状況で、ここは深い森の中だ。自分の殺人が露見する可能性は低い。
 しかし理由はどうあれカタギの人間を大義名分もなく殺すのは、極道の節を外れるのではないか?
 そこまで考えて、石田は自分の思考が場違いである事に気付く。
 こんな問題に至って、自分がヤクザであることに拘泥するなど馬鹿げている。
 今、問題にすべきはパーマー殺すか否か。それだけだ。
 ここまでの暴行を加えたのだ。殺して口を封じるのが、やはり妥当だろう。
 そしてこれは、殺し合いに乗るか否かとはまた別の問題だ。

「遺言はそれで終いか? なら最後に念仏でも唱えてやるよ……………………ナンだありゃ?」

 パーマーを殺す。
 意を決したはずの石田の動きが止まり、あらぬ方向へ視線を向けた。
 そこからは水色の純粋光でできた道、としか表現しようのない物が地を這うように伸びてきていた。
 その道の上を頭に鉢巻きを巻いた若い男、いや胸の膨らみから推測するに女、が凄まじい速さの足で駆け寄ってくる。
 女は石田から5mほどの距離のところで止まり、石田に向け言い放った。

「こちら時空管理局機動六課スターズ分隊フロントアタッカーのスバル・ナカジマ二等陸士です! 今すぐ戦闘を停止してください!」

     ◇     ◇     ◇

 スバルは時空管理局局員を名乗り、停戦を呼びかける。
 そしてすぐに、呼びかけたことを後悔した。
 時空管理局や魔法の存在は、管理外世界の人間には秘匿事項。
 いきおいで管理局の名前を出したものの、やはり不味かったのかもしれない。
 それに2人に戦闘を停止しろと言ったが、1人は地に倒れ1人はそちらに剣を刺している。
 どう見ても状況は一方的な暴行だ。
 そもそも、管理局局員の立場が今の状況で何の意味がある?
 ここがどんな次元世界か分からない以上、下手をすれば管理外世界住人に対する不当な干渉として
 スバルの方が、刑罰を受けるかもしれない状況だ。
 しかしもう、言ってしまったからには引っ込みはつかなくなった。
 何より目の前で傷ついている人が、苦しんでいる人が居るのに放っておくことなど、絶対にできない。
 仲間は居ない。管理局と言う後ろ盾もない。
 ならばスバル1人の力と意思で、戦い抜くのみ。

 パーマーは事情を良く飲み込めないと言う表情で、スバルの方を見つめていた。
 そのパーマーの顔に、石田の蹴りが入る。

「テメー、何処見てやがんだ? 俺から目ぇ切るとは、良い度胸してんな。オウ?」

 石田は更にパーマーの腹を踏み付ける。
 まるでスバルの存在を意に介していないような石田の態度。
 僅かに出鼻を挫かれた気分になったが、スバルは気を取り直し再び制止を呼びかける。

「け、警告に従わないのなら攻撃します!!」

 精一杯の虚勢をはる。
 それでも声が若干上ずっているのが、我ながら情けない。
 管理局の権威が背景にないのは、これほど心許ないものなのか。

「……攻撃するってのは、もしかして俺に言ってんのか?」

 大型の肉食獣を思わせるような緩慢な動きで、石田はスバルの方に向き直った。
 石田の全身から立ち上る獰猛な気配は、それだけでスバルにここが命を賭けた戦いの場だと思い起こさせる。
 気圧されそうになるも、それを堪え、構えをとる。
 もう、こうなったら戦闘は避けられないだろう。
 しかしその戦闘で、相手を必要以上に傷つける訳にはいかない。
 殺し合いの犠牲者を出さないための戦いで、自分が犠牲者を出していたら本末転倒だ。
 理想は怪我をさせないように敵を制圧する。
 戦場では、非現実的とさえ言えるほど至難の業。
 だが、自分なら可能なはずだ。
 戦闘機人にして管理局員たる自分なら。



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最終更新:2010年02月14日 14:59