第4話「追跡乙女《ガールズチェイサー》」
11月2日 朝
映倫中学の女子寮。一見、ほのぼのしてそうな柔らかなクリーム色の建物だが、ここは厳重な警備システムに囲まれていた。ミジンコ1匹見逃さない厳重な警備システムは時折、「やり過ぎ」だと言われることがある。共学の常盤台とまで言われる映倫中学には強能力者以上の人間しかいない。強い能力者というのはただ存在するだけで価値があり、DNA目的で髪の毛が高値で売買されるほどだ。そんな高価値な存在を数百人単位で保有するのだから、厳重な警備システムも仕方ないと言える。
まだ朝日が昇ったばかりの早朝、女子寮の一室の玄関が開き、一人の少女が外に出てきた。
茶髪のボブカットで背は低い。子猫のような目をしており、小動物のようなイメージを持たせる可愛らしい容姿をしている。
「うぅ~。寒いなぁ~。」
冷たい風が肌に突き刺さり、同時に眩しい朝日が目に突き刺さる。
上下にジャージを着ており、首にはタオル、背中に小さなリュックを背負っている。いかにも早朝ランニングの格好だ。
そして、少女は鍵を閉めると、階段で寮の1階まで下り、寮の前からゆっくりと走りだした。
(みなさん。おはようございます。
私の名前は
仰羽智暁《オオバ チアキ》。
映倫中学の1年生で、日課は早朝ランニングです。
――――――――ごめんなさい。嘘です。早朝ランニングは今日から始めました。
と言うより、私もランニングしたくないです。寮にUターンして温かいベッドで寝たいです。
でも色々とあって、行かなきゃならない場所があるんです。
使命感と言うよりは、欲望です。)
智暁はランニングコースの途中にあるコンビニで温かい飲み物とパンをいくつか購入した。その後も走りながら人目を気にし、周囲に誰もいないことを確認すると路地裏へと入り込んだ。
かつては
ブラックウィザードを始めとしたスキルアウトや無能力者狩り、他にも色々と危ない奴らが跋扈していた場所であり、第十学区を除けば学園都市屈指の危険地帯である。
だが、智暁はそんなことを一切恐れず、まるで日課のようにその危険地帯へと踏み込んだ。恐れていたのは強能力者だからではない。危ない奴には“その程度”の能力者も多かったし、それ以上に危険な無能力者だっていた。彼女は“慣れていた”のだ。
危険地帯となり、誰も訪れなくなった区画、寂びれた建物が立ち並ぶ中で智暁はある廃ビルの中に入り、3階まで階段で駆け上がった。
智暁はとあるドアの前まで来ると、少し身体が震えていた。寒いからではない。このドアの向こう側にいる人間に対する畏怖の念が彼女をそうさせる。
このドアの先に居る畏怖、そしてそれとは異なる感情の対象。“彼女”との出会いは昨晩だった。
“ブラックウィザード”
不良とか裏に繋がりのある人間なら大体の人は知っているだろうスキルアウトチームだ。
突如現れたと思いきや、周辺のスキルアウトチームを潰しては統合し、一気に勢力を伸ばしてきた。その規模は数十人規模であり、ピーク時には100人を超えていたと言われている。組織的な犯罪を繰り返す過激派であり、犯罪行為の対象は能力者、無能力者《レベル0》見境なしだった。
ブラックウィザードの活動の最大の特徴は薬物の売買である。能力開発に利用される薬物をコネクションから違法に入手し、「レベルが上がる」という謳い文句で売りさばいていたのだ。その中には快楽性、中毒性の高い物も含まれており、大量のリピーターが彼らの収入源となっている。複数の能力者を薬の力により支配下に置いているため、単純な組織戦闘力でもずば抜けている。薬物の入手ルートは組織壊滅後の現在でも判明しておらず、再犯防止のために警備員が血眼になって探している。
“孤皇”
東雲真慈《シノノメ マジ》というカリスマ、幹部、構成員、薬物によって操られている能力者“手駒達《ドールズ》”という階層的組織体系と「粛清」の恐怖によって、組織は不良の集まりであるにも関わらず、それなりに統率が取れていた。
仰羽智暁はかつて、この組織の構成員であった。頻繁に不良に絡まれる毎日を過ごしていた彼女はある日、出会った女性に誘われてブラックウィザードに入った。
「大きなスキルアウトチームに入れば、少なくとも小さなスキルアウトチームやそこらの不良には絡まれなくなるわよ♪もし手を出されたら言ってちょうだい。仲間たちを連れて粛清するから。」
その出会った女性に魅かれたのもあるが、不良から逃げ回る毎日を過ごさなくて済むのなら・・・という安易な考えで入った。
智暁のことを嫌う幹部、逆に優しくしてくれる幹部、意外にも多い女性メンバーに可愛がられたり、何故か薬物中毒者に神の如く崇拝されたり、色々と奇妙な毎日ではあったが、嫌いではなかった。薬物についてはあまり触れず、目を背けていた。あと、戦闘に使える能力を持っているという理由でチーム同士の抗争に駆り出されるのが少し恐かった。
だが、ブラックウィザードも長くは続かなかった。風紀委員、警備員との抗争の果て、リーダーの東雲真慈が逮捕されたのだ。あの一件にはブラックウィザードと敵対していた武装派スキルアウト“軍隊蟻”、非公式の治安維持集団“救済委員《ジャスティス》”、他にも
シンボルとか
十二人委員会とか、ワケの分からない組織も絡んでいたが、とにかくその一件を機にブラックウィザードは衰退した。
あの一件の後、手駒達を連れて、組織を離れた幹部の
伊利乃希杏《イリノ キアン》を中心としたグループが騒動を起こしたらしいが、学園都市統括理事会直轄の特殊部隊によって潰されたと智暁は聞いたことがある。
それから数ヵ月後、東雲を狂信的に崇拝する一部のグループが“二代目 東雲真慈”を自称する男と共にブラックウィザードの再興を掲げたが、それも再び風紀委員に潰された。
そして昨夜、11月1日の夜。再びブラックウィザードの再興を掲げる残党が集まっていた。その中に智暁の姿もあったが、彼女はブラックウィザードの再興なんてどうでもいいと考えていた。能力のレベルも上がり、襲ってくる不良に対抗する力は十分に身に付けた。ブラックウィザードにいる理由など無く、自分のことは完全に“元”メンバーだと認識していた。
かつて自分に優しくしてくれた幹部や可愛がってくれた女性メンバー、あと手駒達のことが気になり、とりあえず集会に足を運んだ。
「ブラックウィザードは俺たちの青春だったんだ!俺たちの唯一の居場所だ!それを奪われて、黙っていられるか!」
「ハハハ!またお前らと遊べると思うと、楽しくなって来たぜ!」
「東雲さんへの手向けだ!あの人が出所した時の居場所を作るんだ!」
少し離れた位置から智暁は集団を眺めていた。どうやら、この場に彼女が会いたいと思っていた人物はいなかったようだ。それぞれの思いや欲望を胸に抱いて集まった男たち。女性の姿はほとんど見かけない。やはり、風紀委員や警備員のお世話になるのはもう御免だと考えて、早々に切ったようだ。こういうのは女性の方が割り切りが良いらしい。
(統率もへったくれもない。あれはもう・・・烏合の衆だよ。)
智暁も“この”ブラックウィザードを完全に見限ろうと考えた。
「おう!智暁じゃねえか!お前も来てたのか!」
集まっていたメンバーの一人が智暁の存在に気付く。隠れていたつもりだが、どうやら向こうにとってはそう見えなかったらしい。智暁は隠れるのを止め、完全に姿を現した。
「お前もこっちに来いよ!またヤク売りさばいて、ひと儲けしようぜ!」
「おいおい。無理だって。こいつはヤク売りから逃げたヘタレだぜ?」
「でも手駒達の管理をあいつに任せるのは得策じゃね?」
またワイワイと纏まりのない話し合いをメンバー達が始める。もう完全に見限ると決めた智暁にはどうでも良い会話だった。
「ご、ごめんなさい。もうこっちに戻るつもりはもうありません。」
20人近い男たちの集団の目の前で、智暁は震えながら拒否した。それを聞いた男たちの反応は千差万別だった。
「はぁ!?てめえ!ふざけんじゃねえぞ!」
「そう来ると思ったぜ。ヘタレチビ。さっさと失せろ。」
「おいおい。こんな男だらけのむさ苦しいところに来てくれたんだぜ。ちょっとぐらい“歓迎”してやろうや。」
「ははは。そいつは良いなぁ。こいつ、チビだけど出るとこ出てんだぜ。」
「ロリは守備範囲外だが、巨乳となれば話は別だ。」
卑しい笑みを浮かべて近付く者、それを見て笑う者、傍観する者。
智暁は近くに堕ちていた金属の棒を拾い、それを握り締める。棒の先は1000℃の炎に熱されたかのように朱色になっていた。彼女の能力“熱素流動《カロリック》”によるものだ。熱ベクトルを一点に集中させることで一部分を超高温化させる。棒の先端に熱ベクトルを集中させることでただの鉄パイプを凶器に変えたのだ。
しかし、彼女が握っていたパイプが突如、見えない刃に切断されて地面に転げ落ちる。
「こっちにも能力者がいることを忘れんなよ。」
男の一人がゆっくりと歩き、恐がる智暁に手を伸ばしかけた。
「悪ぃ。ちょっと人探してんだけど、こいつ知らないか?」
智暁の背後から一人の女性が現れた。
日焼けしたかのような浅黒い肌のラテン系の美女だ。長くウェーブのかかった黒髪をゴムで結んでサイドテールにし、薄いシャツにギリギリのホットパンツ、足はストッキングで暖を取っており、白いファーコートを肩にかけていた。スタイルはかなり良く、出るところはちゃんと出ており、胸もそこそこある。今は冬ではあるが、浅黒い肌とスタイルの良い肢体が健康的な夏を連想させる。
2m近い布に包まれた棒を持ち、ナップサックを背負っていた。
ユマの言葉にブラックウィザードの男たちは激昂した。
「てめぇ!俺たちをブラックウィザードと知っての狼藉かぁ!?」
「下衆のくせに“狼藉”なんて言葉は知ってるのね。そんなことより、この男を知ってるかしら?」
そう言うと、ユマは1枚の写真を取り出した。
「そんな奴、知るかよ!ヴァ―――――――――ドブヘッ!!
男はユマが持っていた棒に側頭部を打たれて、倒れる。そして、追い討ちに胸のあたりを棒で突かれた。
「もう一度、聞く。この男を知らないか?」
「ぐっ・・・・・てめぇら!この女を潰せ!俺に構うな!」
男の一声で他のメンバー達が武器を出したり、能力を使う準備をしたりして、戦闘態勢に入った。
「この手のバカは世界中にいるみたいだな。」
ユマは棒を包む布を縛る紐に手をかけると、一気に紐を引いて棒から布を剥ぎ取った。
全長2mの黒曜石で作られた槍。黒色でありながら、光に照らされて紫色の光沢を放つ。ドライアイスのように槍全体から冷気を放ち、槍の先端、刃となる部分は鋭利な氷で包まれていた。
「悪ぃけど、人探しに協力する気が無いなら殲滅する。」
ユマが槍を構えた途端、槍から大量の冷気が放出される。冷気は彼女と智暁だけを避け、男たちがいる空間を一気に包み込んだ。
そして、音が聞こえてきた。金属が軋む音、肉が千切れて骨が折れる音、そして苦痛に悶絶する男たちの悲鳴。背後からブラックウィザードのメンバーとは別の男性の悲鳴が聞こえたような気がするが、そんなことを気にするどころでは無かった。
ものの1分もたたず、再興ブラックウィザードは壊滅した。全てのメンバーの腕や脚が普通ではありえない方向に折れ曲がっていた。男たちだけではない。その空間にあった建造物やパイプもカクカクに折れ曲がっていたのだ。
一方的で、圧倒的だった。
「おい。」
「はっ・・・はい!」
ユマに声をかけられ、智暁は恐怖に潰されそうになりながらも返事をする。この女性のお陰で助かったのは事実だ。しかし、どこの誰なのか分からず、その矛先が自分に向けられないとも限らない。
「人を探しているんだが、この男を知らないか?」
ユマは写真を智暁に見せる。整った顔立ちをした東洋人の男が写っている。
「ご、ごめんなさい。知らないです。あ、あと、助けてくれて、ありがとうございました。」
智暁がそう言った途端、ユマは少し黙りこんだ。
「・・・・そうか。そいういうことか。」
「?」
突然、ユマは智暁の肩を掴んだ。
「私はお前を助けたんだよな?だったら、謝礼が必要だよな?」
「え?・・・あ、はい。」
(これって、もしかして、あれ?『謝礼は身体で払ってもらう』って奴!?)
恐怖から解放され、気分がハイになっていたのか、智暁は長年の悪癖である百合妄想を頭の中で展開させていた。
「明日、飯と飲み物、あと学園都市の地図を買って、あそこの廃ビルの2階に来い。以上」
そして、現在に至る。
智暁は恐る恐る手を伸ばし、ドアをノックした。
「ち、智暁です。約束通り、来ました。」
しかし、返事が無い。智暁はそっとドアノブを廻し、ゆっくりと慎重に、音を立てずドアを開けて中を覗く。
部屋の真ん中には巨大なイモムシが1匹・・・というのは比喩で、一人の人間が寝袋に包まって寝ていた。静かな寝息であり、智暁が来たことに気付いていないようだ。寝袋の近くには2m近い断熱素材の布で包まれた棒とナップサックが置かれていた。これが寝袋の中にいる人間の持ち物らしい。
智暁はそっと荷物を床に置くと、そろ~りと寝袋へと近付いて行く。両手の指が卑猥な動きを見せ始め、その目は、目の前に肉を置かれた飢えた肉食獣のごとく輝いていた。
(智暁です。もう11月になりましたね。
この寒い時期、みんなは私に抱きついて暖を取ったりします。
映倫中学って何かと粒揃いでたくさんの美少女に抱きつかれて、
百合大好きっ娘の私としては非常に嬉しく、ウハウハハーレム花の園。
今にも理性が崩壊して、ナイアガラの滝の如く鼻血が噴き出そうです。
そろそろこの滾る欲望を発散しないといけないわけでして・・・)
智暁は寝袋のチャックに手をかけ、ゆっくりとチャックを開けた。
(智暁ちゃんの美少女チェック~☆
まずは顔!見て下さい!この大人と子供の中間地点とも言えるこの顔!
表情一つで子供らしい可愛さから大人の色気まで何だって出来そうですよ!
ここで一度離れて全体のバランスを見ましょう!
―――――――見て下さい!このバランスの整った肢体を!
出るところは出て、締まるところは絞まる!まさに理想ですよ!
ラテン系の中では出るところがやや控えめな気がしますが、日本人と比べれば十分に凶器!
そして、11月だというのにこの薄着のおかげでラインが丸わかり!
私の頭がロックンロォォォォォォォォォォォォォォル!!!
そして最後に見るのはやっぱり胸!少し控えめだけど抑えきれない自己主張!
ってか、ここまで妄想してるのに寝てます!まだ寝てます!これはもうあれですね!
私が襲ってくるのを完全に待ってるんですね!分かりました!)
智暁は水泳の飛び込みスタイルで構え、狙いを定めた。
「ターゲット・・・ロックオン!いざ行かん!褐色の桃源きょ――――――――へブチッ!!
飛び込んだ智暁の顔面に当てられたのは、ラテン系美女が履いていた靴の裏だった。
「私の身体を弄んで良いのは昂焚だけ!分かったか!小動物!」
気象一発目の発言から惚気るラテン系美女。まだ半分寝ぼけている。
「ユ・・・ユマさん。お、女の子はノーカンですよね・・・・?」
先ほどの意気揚々とした態度とは一変、再び小動物のように智暁は震え始めた。
「いや、駄目だ。それより飯!あと飲み物!」
「は、はい!」
智暁がコンビニのビニール袋の中からパンと飲み物を取り出し、それを渡す。ユマはそれを受け取ると、ガツガツとパンに噛り付き、そしてすぐに飲み物も飲み干した。
「ん。」
ユマがパンを包装したビニール袋と空になったペットボトルを智暁に突き出す。
「あ、はい。ゴミですね。」
智暁はそれを受け取り、ビニール袋の中へと入れる。
「昨日頼んだやつ。」
「は、はい。今、出しますね。」
智暁がリュックの中から学園都市の地図を取り出した。ユマはそれを受け取り、地図を眺め始めた。
「う~ん・・・・昂焚ってどこ行きそう?」
「あなたが分からないなら、私にも分かりません。」
「そうかぁ・・・・。う~ん・・・・」
ユマは再び地図と睨めっこし始めたが、数分経つと鼻歌を歌い始めた。
「その歌・・・」
智暁がボソッと口に出した。ユマは鼻歌をやめて智暁の方に目をやる。
「どうかしたか?」
「いや、その鼻歌の歌をどこかで聞いたことがあるんですよ。」
「これ、昂焚が置いて行った荷物の中に入ってた音楽プレーヤーに入ってた曲。好きな歌じゃないんだが、なぜか頭に残るんだよな。」
それは以前、ロンドンでユマが昂焚と再会した際。色々とあって昂焚はユマに拘束され、ユマ無しでは生きられない身体にされそうだったところを間一髪脱走した。その際、荷物は全てユマの手元に残っていたのだ。あまりにも量が多いため、ほとんどは知り合いの所に預けている。
「ああ。ありますね。そんなことが。もう一度、歌ってみてくれませんか?昂焚さんがどういう歌を好んでいたか分かれば、もしかしたら・・・。」
「なるほど、お前天才か。ちょっと待て。昂焚の音楽プレーヤーなら持ってるから。」
そう言うと、ユマはナップサックの中から音楽プレーヤーを取り出し、鼻歌で歌った歌を智暁に聞かせる。
軽快でPOPな曲調。女の子が謳っているようで、地声と言うよりアニメのような声に近い。智暁はこの歌に聞きおぼえがあった。だが、どこで聞いたのか思い出せない。
「う~ん。アーティストの名前とか分かりますか?」
「分からないな。曲だけ無造作に入れてあるから。」
智暁は曲を聴きながら、必死に曲に関する情報を思い出そうとする。数分間記憶を遡った結果、彼女はついに答えを得た。
氷塵の乙女は舞台に立った。
だが、眼差しの先に観客はいない。
ただ見つめるのは愛する主催者のみ。
最終更新:2012年10月10日 21:01