気が付けば、私は視界に入った愚妹をいきなり突き飛ばし、あっという間にそいつの上に跨っていた。右にライター、左にコテを握りしめ、両足で愚妹の腕と身体をしっかりと固定する。
自宅には私と次女であるこの愚妹しかおらず、咎める者など誰もいない。もっとも、もし家族がこの場に居たところで止めるなど誰いないだろう。両親は見て見ぬふりをするだろうし、末の妹なら嬉々として次女弄りに参加する位だ。
私の股の間で彼女は本当に嫌そうに悶え、芋虫の様に身をよじらせて、愚かにも私から逃れようともがいている。何故自分がこんな事をされるかもわからないといった風な貌で、それでいて必要以上の抵抗は無意味と感じられるほど弱弱しい抵抗を見せながら。
勿論、そんなことは私だって知らない。只視界に入って、存在がムカついた、思わず虐めたくなった、本当にそれだけの些末な事。なんだったら抵抗してくれたって一向に構わないのだ。もしかすればいくら愚妹でも私に一矢報いる事位出来るかもしれない、だがこれまで一度だって本気で抵抗した事は無い。
いつだって愚妹は従順に家事を熟し、学業を熟し、私と末妹の暴力の捌け口を熟していた。一言だって声を上げず、瞳を涙でしっとりうるませながらじっと。
そして私はいつだって、そんな愚妹の健気な様子を見ては更に嫌悪感を募らせるのであった。
ムカつく。
「
春咲躯園さんですね、大変お待たせしました~」
先程の私を呪ってやりたくなるくらい、その一言を聞くまでに時間を費やした。
何が取りに行って帰ってくるだけ、だよ。携帯売り場についてから一時間はたったぞこの野郎、と言ってやりたい。
店員はまだ何やら修理代がどうたらこうたら、契約期間がウンたらカンたらいっているようだ。しかし私はそれを右から左へと聞き流していく。どうせ普段普通に使っていれば支障のない内容だろう、というか携帯や家電製品だけじゃなく、実験協力の際に研究員から手渡される契約内容だの何だのを一言一句読み逃さない奴なんているのだろうか。少なくとも私の周りでは見た事は無い。
そりゃあぱらぱら―っと大体の内容は把握するにしても、そんな一から十まで説明する必要なんてないと思うのだが、はっきり言って面倒臭いのだ。
そんな私の気持ちに気付く事も無く、販売店の制服を着た私と同年代くらいの女の子は作り笑いで精一杯説明を続けている。ここでちょっと茶々を入れて困った反応を楽しむというのも面白いのだろうが、今日はそんな気分でもないので遠慮しておく。
―――それにしても、コイツどっかで見た事ある様な…。
「ねぇ、貴方もしかして長点上機の子なんじゃない?」
軽くジャブを掛けて見たつもりだったが、これが予想以上に食いついてくれた。
「えっ!?あ、ハイ…も、もしかして。先輩、ですか…?」
「ん、そーよぉ?三年生、春咲っていうの。貴方は何年生?」
「あ、えと…一年生です」
おずおずと蚊の無く様な声でそういったその子を、恐らく私は知っている。しかしどこで見た顔だったか、決して長点校内じゃなかったとは思うのだが…。
「あ、そうだ!あなた確か他の学区で色々とバイトしてる子じゃなぁい?」
そう、思いだした。この子は確か私がたまに行く某学区にある家電量販店のバイトの子で、私がこの間気まぐれで寄った店のバイトでもあった。そして携帯売り場のバイトでもあるのか…一体どれだけバイトしてるんだ、この子。
「は、はい。一応、週七でバイトしてるんです、はい」
「ふぅん、頑張っているのね。まぁ応援してやらなくも無いわよ」
「え、えぇと。アリガトウゴザイマス?」
半ば条件反射で女の子はお辞儀をする。嬉しくなくはない。
同校の好という事で、その後暫くはその店員の身の上話を聞いていた。何でもバカみたいに高い(私はそうは思わない)学費を支払う為に週七、つまり毎日バイトに勤しんでいるのだという。今時稀に見る典型的苦学生だった。
恐らくこの子はそうまでしてでも長点上機に留まる為の理由があるのだろう。普段能力の事と格下イビリにしか興味の無い私も思わず頭が下がる。
幾ら私が能力至上主義だからと言って自分より低レベルなら問答無用にクズ認定するわけではない。こういう目に見えた努力を実直に積み重ねる子に対してそれなりに評価はするし(まぁ私より上に評価する事は有り得ないが)、大体そんな問答無用に他人をクズ認定して一々イビリ倒していたらまともに生活も出来ないではないか。
だから私に対して能力至上主義の鬼畜だの何だの言う奴は大抵大した努力もしていない馬鹿が多い。無論あの愚妹もその一人だ。そもそも超能力なんて水物、必死に努力すれば誰だって少し位向上するモノなのに。何もしない癖に不平不満喚き散らし、或いは悲劇のヒロインを気取ってさめざめと泣くばかり。そのくせ無い物ねだりだけは一人前。そう言った輩を見ると、思わずぶち殺したくなる。
まぁいくら努力しても伸びないって奴はいるだろうが、そういった場合はスポーツでも勉強でも、何か他の面を磨けば良い話であって。才能が無いなら無いなりにやりようは幾らでもあるのだ。
「あ、あのぉ。そろそろ説明の続きを…」
そういえば今は携帯の説明を延々と聞かされている途中だったか。身の上話をしている内にどうやら私は考え事をしていたようだ。バイト店員は申し訳なさそうな顔でこちらの顔色を伺っている。
「そんな顔しなくても別に取って食ったりしないわよぉ。―――ねぇ」
はい? と間の抜けた返事が返ってきた。キョトンとした顔が可愛らしい。
「もう説明はいいから、帰ってもいいかしら?」
「えぇ!こ、困ります。お客様にご説明をするのは規則ですので」
目に見えてあたふたしている。こういう奴をからかうのはどうしてこんなに面白いのだろうか。しかし冗談ではなく本気で早く帰りたい。口ぶりからして後数十分はかかるようだし、ここは本気で主張を押し通すのもアリかもしれない。
やってみるだけ価値はあるか。そう考えてから行動はあっという間だった。
「いいじゃなぁい、同校のよ・し・み♪
ちょっと契約書貸して、サインはココとココとココ?ハイさらさらさらさらば――――――ん!!ハイオッケー!!しゅうりょー!!」
…若干強引過ぎただろうか、だが後悔はしていない。バイト店員は思わぬ展開に思考が追い付いていないのかあわあわしっぱなしだ。
少し人の目を集めているようだ。通りすがりのもの珍しそうな視線と野次馬のひそひそ声が私を苛む。だがんな事知ったこっちゃあない、こっちは帰りたいのだ。その為ならば多少目立とうと構いやしないのだ。まぁ人の目を集める事でバイト店員に真面な判断をさせないって思惑もある。
そしてその思惑通り、彼女の脳内はまさにカオスだ。
「こ、困りますぅ―――――ッ!!」
「ハイお金、大丈夫お釣りはいらないわ。それで学費なり生活費なりの足しにしちゃいなさぁい?」
そういって財布からごそっと十万ばかりのはした金をレジに突きつけると、効果はあったのかバイト店員は少し静止を躊躇った。流石お金、困った時は何時だって私の味方をしてくれる。
今しかない。
私はバイト店員の手元に置かれた真新しい携帯電話を奪い取り、颯爽と自動ドアに近付くと、まるで先程の騒ぎ様などどこ吹く風と言わんばかりに悠然と携帯売り場を離れるのであった。
後ろの方から「ま、待ってくださーい!」という声が聞こえた気がしたが、しゃらくさいので聞こえなかった事にしよう。