「おじゃましま~す」
「プッ。何よ、その余所行きの挨拶は?さっき入ったばかりなんだから、気にしなくていいよ?」
「そ、そりゃあ個人面談ですからね。緊張の1つはしますよ」
焔火が少しオドオドしながら病室に入って来る。その姿に、加賀美は思わず吹いてしまう。
「まっ、いっか。そこの椅子に座って」
「わかりました。・・・網枷先輩とは何を話されたんですか?」
「うん?・・・あの子の体調とかそこら辺の話。最近双真は体調を崩していたみたいだし、それを私達に隠していたから改めてお説教を」
「な、成程」
喫茶店に網枷が来た際には聞けなかったので、焔火は加賀美に質問する。その返事を聞いて、自分にも似たような説教が来ることを想像してしまう。
「せ、説教ですか?」
「う~ん・・・。説教っていうか、色々話したいなと思っただけよ」
「話したい?何ですか?」
イマイチ具体的では無い個別面談の目的に、焔火が首を傾げる。
「そうだなぁ・・・緋花は、昨日の件についてどう思ってる?」
「!!!」
『昨日の件』。つまりは、殺人鬼との邂逅。そして、リーダーの病院送り。
「・・・・・・すみませんでした」
「・・・何が?」
「・・・あれは、私の完全な判断ミスです。状況や周囲のことを碌に考えずに突っ込んで・・・結果としてリーダーが負傷してしまいました。
最良の結果を導く行動でも自分の信念を貫くための最適な行動じゃありませんでした。唯の・・・暴走でした」
「・・・私としては、殺人鬼の存在を許せないっていう正義感は評価してるんだけどな。私だって同じ思いだったし」
「でも!それを、結果として出せなかったら意味が無いです!」
「意味ならあるよ?その気持ちを持ったこと自体は、かけがえの無い意味があるモノだよ?」
「・・・例えそれに意味があったとしても、表現できる力が無いと意味が喪失してしまいます!!」
「うん!そうだね」
焔火への問いは、彼女の思いを再確認するためのモノ。本当に反省しているか、本当に理解しているのか。
人のことは言えない。言えないが、それでも自分にできることをやり切ろう。そう、加賀美は心に誓っていた。
「リーダー・・・」
「前に言ったじゃない?私も色々悩んでいるんだよ?昨日の件についてもさ。自分の中に意味あるモノがあっても、それを表現できる力を鍛えないと意味が消えちゃう。
私も私なりに頑張ってたつもりだったんだけど、何だか自信が無くなって来ちゃった」
「・・・!!」
「でも、何とか踏ん張ろうとは思ってる。何があっても最後までやり抜くって・・・約束したから」
「約束?誰とですか?」
「・・・・・・“ヒーロー”と」
「!!!」
“ヒーロー”。その言葉を聞いて焔火が真っ先に思い浮かべるのは、あの碧髪の男。“ヒーロー”と呼ばれ、そして“ヒーロー”になりたくない人間。
「・・・“ヒーロー”が背負う物って重いんだろうなって今更ながら思ってる。私のような人間の思いを幾つも背負って歩く。
普通1人の人間の思いを背負うことだって大変な筈なのに、“ヒーロー”は背負う。背負わされる。その無垢な思いに雁字搦めになって、身動きが取れなくなる・・・と思ってる。
私は“ヒーロー”じゃ無いから、その辺のことは本当の意味で実感できない。あの人は、それを実感したんだろうね」
「・・・かもしれません」
「昨日、椎倉先輩からあの人の昔の話を聞いた時は、正直『“ヒーロー”と呼ばれることから逃げたんじゃ?』って少しだけ思った。でも、違うんだよな。
あの人は“選んだ”んだ。“ヒーロー”としてじゃなくて、1人の人間として歩くことを。自分の意志で。今は“詐欺師ヒーロー”っていう被り物をしてるけど」
加賀美は、現在焔火が抱えている問題点について直接指導することは無い。それは、彼女のためにもならない。
だから、間接的に指導を行う。焔火自身が、昨日の件で少しずつ良い方向に変わりつつあることを先の会話で感じ取ったからこそ。
「・・・リーダー?」
「うん?」
「『自分のことを最優先に考えられない“ヒーロー”に、一体何を救えるんだい?』。この言葉の意味が、何となくですけどわかってきました」
「・・・言ってみて」
「切欠は、椎倉先輩が言われたことでした。『今回お前達がやったことは正義でも何でも無い!!唯の暴走だ!!
自分の正義を貫くための最善の行動を取らなかったお前達が、殺人鬼に敗北するのは当たり前だ!!』・・・と。そして、他の言葉からも・・・」
『何言ってるんだ、神谷?その殺人鬼は「
ブラックウィザード」の周辺をうろついているんだろ?
いずれ、再び対峙する可能性もある。止むを得なく戦闘する可能性も否定できない。だったら、今回の戦闘で得た貴重な情報を元に対策を考えるのは当然のことだろう?
お前が何を勘違いしているかは知らんが、優先順位を付けるとは言っても無視をするなんてことは一言も言ってないぞ、俺は?』
『何時俺が「それ以外の案件」に殺人鬼を含めているなんて言ったんだ?あの殺人鬼は、『ブラックウィザード』の捜査に間接的に関わって来る不確定要素じゃないか。
同じく、一般人の命を守るというのも無視はしないぞ?風紀委員として、1人の人間として。時と場合によっては、優先順位が変動するだろうが』
「・・・最優先。つまり、一番大事なのをてっぺんに持ってきて、そこから優先順位を割り振って行く。切り捨てるんじゃ無い。時と場合に応じて優先する順位を付けるだけ。
私は、今まで最優先という言葉を勘違いして受け取っていました。確かに・・・私は大馬鹿ですよ。こんな初歩的なことにさえ気付かなかったなんて」
己の中で最優先に据え置くモノは、人それぞれだろう。だが、それ=他のモノを無視したり切り捨てることでは無い。優先事項は存在している。
これも、人それぞれの手によって“選ばれ”、順位付けされていく。これは、自分が取るべき行動を見出す時の指標となる、とても大事なモノ。
「自分を最優先にすると言ったって、それは他者を無視することにはならない。自分のことしか考えないことにはならない。・・・違いますか?」
「・・・そうだと思うよ」
「・・・緑川先生の言った通りですね。私が考える“ヒーロー”像と、界刺さんが考える“ヒーロー”像にさしたる違いは無い。
違ってるのは、自分が一番に優先するモノを何処に置くかということと、優先事項の順位付けくらい。形としては一緒みたいなモノ・・・ですよね?」
「・・・そうだね」
「・・・ハァ。勘違いしまくりですね、私」
焔火は、思わずベットに頭を突っ込む。そんな後輩の姿を、加賀美は愛おし気に見やる。
この娘は、確かに成長しつつある。自分の想像以上のペースで。やはり、逃げてはいけない。立ち塞がる“壁”から逃げるわけにはいかない。
立ち向かわなければいけない。自分自身が。その決意を加賀美は秘かに胸に宿す。
「・・・そんな緋花は、最優先に何を置くの?」
「・・・『他者』です」
「・・・『自分』じゃ無いんだ?」
「・・・それだけは譲れません。私は、あの人みたいに非情にはなれません。椎倉先輩の判断も非情っぽい所はありましたけど、それでも温情を感じました。
でも、界刺さんは非情過ぎます。“閃光の英雄”だった頃の話を聞いても、そう思いました。あれが『自分』を最優先にしている結果だとしたら、私は到底受け入れられません」
「・・・界刺さんの欠点・・・ということ?」
「少なくとも、私はそう思います。これは、固地先輩にも言えることですね。私・・・ちょっと長所ばかり見過ぎていたのかもしれないです。
人には、長所もあれば欠点もある。長所ばかり見ていちゃ駄目なんですね。欠点もちゃんと見た上で、その人を判断しないと。
まぁ、固地先輩の指導がキツ過ぎたからというか、あの人の在り方を全部認めたく無いというか・・・それが大元だったりするんですけど・・・」
「だったら、債鬼君に面と向かって言ってみれば?きっと、喜ぶと思うよ?」
「い、嫌です!!!夏休みの初日にそれを言ったら、次の日からもっと酷くなりましたから!!」
「私は喰らい付いて行ったけど?緋花も、それくらいは覚悟してたんじゃあ?」
「で、でも・・・!!む、むむぅ・・・そ、そうなん・・・ですけ、ど・・・むむぅ~」
加賀美の(イジワルな)質問に、頭を悩ませる焔火。確かに、固地に土下座して懇願した時は何でも受けて立ってやるくらいの気概はあったが、現実に直面するとパキパキと折れる音がする。
見立てが甘かったと言われればそれまでだが、それでも弱音や愚痴は幾らでも出て来るというモノだ
「ムフフッ。でもさ・・・債鬼君のことを全部は否定しないんだね?」
「・・・・・・はい。先輩の指導や言葉が無かったら、今の私は居ません。それは変えようが無い事実です。それに・・・」
「それに?」
「あの人の根幹・・・あれだけ周囲の批判を喰らっていても動じない精神力というか、信念めいたモノの原動力って一体何だろうって興味が・・・」
「(まぁ、いいか。絶対口外禁止じゃ無いし、これも緋花のため)・・・原動力はわからないけど、その力を成長させたのは債鬼君の師匠だろうなぁ」
「師匠!?固地先輩に師匠なんか居たんですか!!?」
「うおっ!?わ、私も詳しくは知らないけど、債鬼君をしごいてしごいてしごきまくって、毎度の如く泣かせ続けた人らしいね。泣かした本人曰く。
そういえば、『何でこんな天邪鬼になっちゃったんだろうね?師匠として恥ずかしいよ』とも言ってたなぁ・・・」
「固地先輩が泣く姿・・・(ブルッ!)・・・そ、想像しただけで鳥肌が・・・!!」
焔火は、あの“風紀委員の『悪鬼』”を泣かせ続けた師匠の存在に驚愕し、固地の無く姿を想像して異様な寒気を覚える。
そんな人間が居るとすれば、その性格や態度たるや“『悪鬼』”以上のモノを持っているとしか考えられない。
「ち、ちなみにその師匠って・・・」
「常盤台学生寮近くにある女子中学校に勤務している教師兼警備員の方だよ。名前は
九野獅郎先生。“天才”として知る人には知られている方だよ?」
「“天才”・・・!!そんな人が居るんだ・・・!!)」
「私も1回しか会ったことは無いけど、漂って来る威圧感が凄かった。あの先生は、ある意味債鬼君以上に厳しい人だよ。まぁ、師弟関係なんだから当然と言えば当然なんだけど。
債鬼君の話だと、初めて会った人間でも遠慮せずにズバっと指摘することが結構あるらしいし、九野先生に泣かされた人も多いって。フォローもちゃんとするみたいだけどね。
『その指摘が、当人にとって目を逸らしたい事実なのを見抜く力がずば抜けている。そして、それを躊躇せずに口に出せる豪胆さも兼ね備えている』って債鬼君が呟いてたなぁ」
「固地先輩より厳しい!!?・・・い、嫌な汗が・・・!!」
焔火は、噴出してきた嫌な汗を拭く。固地以上に厳しい?何の冗談だ?そんな教師の存在がこの世界に存在する現実に焔火は思わず身震いしてしまう。
「・・・話が逸れたね。ねぇ、緋花?あなたは・・・まだ“ヒーロー”になるつもりなの?」
「・・・はい」
「すごく苦しいことだと思うよ?それでも?」
「はい!!『他者を最優先に考える“ヒーロー”』。これは私の根幹。これは絶対に譲れません!!
私は、困っている人達を助ける“ヒーロー”になりたい!!そんな人達を最優先に考えたい!!そのためにも!!」
「独り善がりという指摘は理解したの?解決したの?」
「うううぅぅっ!!!そ、それについては・・・まだ。で、でも、だからと言ってそれを理由に他者を最優先に考えちゃいけないってことにはならないんじゃない・・・か、と」
「(・・・何だろう、この不安感は?何処か危ういっていうか・・・緑川先生が言ってたことと変わらない筈なのに・・・)」
焔火の決意表明(最後は尻すぼみ)に、何処か不安を覚える加賀美。その元凶が、焔火が抱く根幹が緑川から与え付けられた“偶像”にあることに、176支部リーダーは気付けない。
成長しつつある焔火自身も、未だに気付いていない。自分自身が見出したモノでは無い“ヒーロー”像に・・・欠陥は否めない。
「・・・まぁ、その辺りも徐々にって感じかな?うん!緋花は着実に成長してると思うよ!」
「ほ、本当ですか!?」
「もちろん!!まだ2ヶ月そこそこしか経ってないのに、腕章がこんなに傷だらけになるくらいだもん。緋花が体験した色んな経験は、絶対に無駄にはなっていないよ」
「・・・!!!成長してる・・・私が・・・成長してる!!!」
「(・・・顔がニヤけてるわねぇ。気持ちはわかるけど。嬉しくて嬉しくて堪らないんだろうな)」
ブツブツ言いながら顔がニヤけっぱなしの焔火の表情から、加賀美は彼女の思いを把握する。人間誰だって褒められたら嬉しいモノだ。
今まで苦難の道程を越えて来た人間にとっては、殊更嬉しいのだろう。だが、引き締めは必要だ。そう考えた加賀美が部下に声を掛けようとした瞬間・・・
コンコン
「ん?何だろう?」
「・・・あぁ。夕食の時間だね。きっと、看護師さんが食事を持って来たんだ」
「成程。なら、私が取って来ますね」
加賀美の予想通り、看護師が夕食を持って来た。焔火がそれを受け取り、加賀美の元まで運んで行く。
「それじゃあ、私は帰りますね」
「そ、そうね。・・・皆にもよろしく伝えといて」
「わかってますって!明後日、成瀬台で」
「うん!」
そう言って焔火は病室から去って行った。加賀美は、運命の悪戯によって引き締めの言葉を送るタイミングを逸した。逸してしまったのだ。
「あれぇ?網枷先輩・・・何処に行ったんだろ?一緒に帰るって話だったのに」
病院から出た直後、焔火は己が先輩の行方を探していた。喫茶店で会った際に、一緒に帰る旨を網枷から伝えられていたのだ。
「ちょっと面談が長かったかなぁ?追い着くといいけど」
焔火は、『電撃使い』による身体強化後疾走する。映倫中と小川原付属は比較的近い位置に建っており、必然的に学生寮も比較的近かった。
病院からの帰り道は、焔火の頭にインプットされている。その道程の中途で帰宅途中であろう網枷と会えると考えていた。
「や、やめろ・・・!!」
「うるせぇ!!風紀委員風情が、俺に指図すんじゃ無ぇ!!!」
「!!?」
そんな疾走中に聞こえて来た複数の叫び声。そこは、監視カメラも無く警備ロボットの巡回時間から外れている『闇』の世界。
「(い、今の声って・・・網枷先輩!!?)」
焔火は、すぐさま声がして来た方へと向かう。日も地平線の彼方に殆ど沈み、『闇』に覆われた路地裏に彼等は居た。
「網枷先輩!!?」
「ほ、焔火・・・!!」
「あぁん!!?何だ、テメェはよ!!?」
人数は全員で5人。1人は網枷、取り巻きと思われる3名には生気というモノが全く感じ取れなかった。
そして、もう1人・・・網枷の頬をその足で踏み付けている坊主頭の男が焔火に顔を振り向ける。
「あ、あなたは・・・!!」
「あぁん!?」
その顔には見覚えがあった。昨日、あの殺人鬼と遭遇する前に見掛けた黒いウィンドブレイカーを着た坊主男。
だが、昨日の時とは明確な相違点があった。それは・・・
「(『眼球印の黒い着衣品』!!!ということは・・・この男は『ブラックウィザード』の構成員!!!)
ウィンドブレイカーの右の袖口に刺繍されている『眼球印』。“詐欺師”からの情報にあったソレが、目の前の男を『ブラックウィザード』の一員と判断する材料となっていた。
「(他の3人は・・・“手駒達”か!!)」
生気の無い顔色から取り巻きは“手駒達”と判断した焔火は、ポケットに入れていた風紀委員の腕章を身に着けて宣言する。
「私は、176支部に所属する風紀委員です!!あなた達を暴行容疑として連行します!!」
「へぇ・・・風紀委員か。こりゃ面白ぇ。こんなクソの役にも立たねぇ人間のために体を張るなんて、大層な心意気じゃねぇの」
「(!!!・・・落ち着け・・・落ち着くのよ、私!!冷静に!!)」
坊主頭の挑発に焔火は乗らない。網枷には目立った外傷は無く、意識もあるようだがグッタリとしている。頼れるのは己の体のみ。
こういう戦場は麻鬼と戦って以来だ。人知れず、焔火はかなり緊張していた。あの時のように無様な姿になりたくない。その一心が、彼女を緊張と冷静の間で揺り動かす。
「その心意気を買ってやりてぇ所だが、こちとら薬の売買で忙しいんだ。テメェみたいな雑魚と遊んでる暇は無ぇしよ。ウサ晴らしも済んだことだし、トンズラさせて貰うぜ」
「なっ!?に、逃がすか!!」
坊主頭が放った退却宣言に、焔火は電流の鎧を纏って追い縋ろうとする。だが・・・
パシャッ!!!
「なっ!!?」
それは、坊主頭の後方にあった幾つものペットボトルから放たれた水。“手駒達”の中に水流操作系能力者が居るのだろう。
その水が狭い路地裏に降り掛かる。焔火や網枷を巻き込んで。
「(だ、駄目!!これじゃあ、電流の鎧を纏えない!!電撃なんか放ったら・・・網枷先輩に・・・!!)」
「じゃあな!!」
ボン!!
「くっ!!?」
それは簡易型の発炎筒。その煙が焔火の視界を塞ぐ。焔火は急いで発炎筒を周囲に出来た水溜りに突っ込み、坊主頭達を追ったが・・・
「・・・!!!くそっ!!!こ、こんなんじゃあ・・・!!ど、どんなに成長したって言われても、肝心な時に結果を出せなくて一体何時結果を出すって言うのよ!!!」
そこには、誰の姿も無かった。ずっと追って来た『ブラックウィザード』の構成員を捕まえるチャンスを逃がした。その事実は、焔火の心をとても重くするモノであった。
明確な間違いを犯したわけでは無い。唯、成長が結果に結び付かないのだ。絶対に諦めないという気持ちが現実に届かないのだ。
これは・・・ある意味では間違いを犯すことよりも辛い事実。自分自身を揺らす・・・漣の如く。
「網枷先輩!!大丈夫ですか!?」
「な、何とか・・・な。助かったよ、焔火」
「そ、そんな・・・。わ、私は何もできなかったですよ・・・!!やっと『ブラックウィザード』の尻尾を捕まえたと思ったのに、私は・・・私は・・・また!!」
「・・・・・・」
構成員を取り逃がした後に、焔火は倒れている網枷に駆け寄った。露出していない部分で目立った傷は見受けられない。
網枷の申告では腹部にダメージを受けたようだが、軽症ということで焔火の介抱の手は借りなかった。踏まれたことで頬に付着した砂を払いながら、先輩は後輩に語り掛ける。
「・・・そう、自分を卑下するな。お前が来なかったら、僕はどうなっていたのか。下手したら、殺されていたかもしれない。だから・・・ありがとう、焔火」
「網枷先輩・・・!!」
網枷が掛けてくれる優しい言葉に焔火は感動の心さえ抱く。結果を残せなかった自分に感謝の言葉を贈ってくれる先輩に後輩は感謝する。
「それに、お前が自分の無力さに苛立つように、僕だってこんな体たらくを演じた自分自身に腹が立ってるんだ。
僕も、体を鍛えるだけじゃ無くて格闘術とかを磨いていればあんなデカブツに負けなかったかもしれないのに」
「そ、そういえば、網枷先輩はどうして・・・」
「・・・お前とリーダーの面談が長くて暇を持て余していたんだ。だから、時間潰しに病院の外に出たら、気色悪い刺繍が入った黒いウィンドブレイカーを着たデカブツと・・・」
「『眼球印の黒い着衣品』ですね!」
「・・・・・・」
「・・・あれっ?でも、何で網枷先輩がそのことを・・・」
「・・・居るんだろ?僕達風紀委員の中に」
「ッッ!!!あ、網枷先輩・・・知ってたんですか!!?私達の中に『ブラックウィザード』の内通者が居ることを!!?」
それは、敵を取り逃がした事実+先輩の優しい言葉に揺れ動いていた焔火が、無意識の内に口を滑らしていることに“辣腕士”が気付いた―狙ってのことだが―が故のこと。
そして、先んじて内通者の存在を仄めかすことで自身に内通者の嫌疑を掛けられないようにする。
網枷自身、『○○が居る』の○○(=主語)は口に出していない。焔火が勝手に置き換えているだけである。
そして、焔火自身が置き換えたためにその内容に対して思い浮かべられる筈の疑問を彼女は一切抱かない。
「・・・確証は無かったんだが・・・」
「わ、私もです!というか、椎倉先輩達もだと思います!でも、網枷先輩でさえもそういう推測を立てているとなると・・・やっぱり界刺さんの予想は当たっていたのか・・・」
「・・・“変人”か?」
「そうです。あの人が風紀委員の中に内通者が居るんじゃないかって指摘を。界刺さん自身も確証は無かったみたいですけど」
「・・・成程」
網枷は、意図して言葉の文字数を抑える。そうすることで、自分の言葉を相手が勝手に置き換えてくれる。
焔火自身、内通者が居る可能性には否定的であった。“変人”の言う可能性の内容は頷けるモノだったが、それでも信じたくない心が彼女にはあった。
もし、内通者が存在したとしてもそれは176支部では無い。そう考えていた。今まで苦楽を共にして来た仲間を疑いたくない心が、彼女の心の大勢を占めていたのだ。
「・・・だったら、これは使えるかもな」
「えっ?」
網枷は、手に持っていた携帯電話に掛けていた『偏光塗装』を解除する。焔火の肉眼に映るようになった携帯の画面に映し出されていたのは、1つの紙。
「これは・・・?」
「あの坊主頭が持っていた紙を、僕が『偏光塗装』で隠した携帯のカメラで撮ったんだ。殴られながらだったから、うまくは撮れていないみたいだけどな」
画面に映し出された紙に書かれている文字は、所々不鮮明で読み取れない。だが、大方の内容は読み取れた。
「どう思う、焔火?」
「これは・・・薬の売買日時と場所を表したモノだと思います。明後日の・・・時間帯はPM:・・・くそっ、字が潰れていて読み取れない」
「それなら僕は見たぞ。確かPM:8:00と書かれていた筈だ」
「網枷先輩・・・!!」
「あぁ。ようやく、『ブラックウィザード』の尻尾を掴んだということだ。焔火。今日のミスを挽回するチャンスだぞ」
「はい!!」
文面からは、『ブラックウィザード』が薬の売買を行う内容が書き連ねられていた。手放してしまったと思われた尻尾を再び捕えるチャンスが生まれたことに、焔火は高揚していた。
「焔火。ここで一度整理して置きたいんだが、いいか?情報の疎通に乱れがあってはいけないと思うし」
「いいですよ?私も全部を知ってるわけじゃ無いですけど」
「それならそれでいい。後で、僕が椎倉先輩達に確認するよ。今の所、内通者の存在に気付いているのは?」
「え~と。成瀬台支部では椎倉先輩と寒村先輩、159支部では破輩先輩・鉄枷先輩・一厘先輩、178支部では固地先輩と真面君、花盛支部では閨秀先輩と抵部先輩、
そして176支部(ウチ)では私・リーダー・神谷先輩という感じですね。今言った人達は内通者じゃありません。ちなみに、ゆかりっちも内通者じゃ無いことは確認が取れています」
「そうか・・・。これは僕の勘だけど、176支部には内通者が居ないと“思っている”。焔火は?」
「私もです!もし居たとしても、それは176支部(ウチ)じゃ無いと思っています」
「そうか。僕の勘も捨てたモンじゃないな。・・・それ以外の風紀委員に知らされていないのは・・・」
「内通者の存在に私達が気付いていることを悟られないためにです。正確には、固地先輩以外に気付いている風紀委員が居ることを悟られないようにするためです」
「・・・順当だな。そういえば、焔火は固地先輩から指導を受けていたんだったな。最近は、何か連絡があったりするのか?」
「いえ。何一つ連絡はありません。あの人らしいと言えばらしいですけど」
「・・・フッ。それもそうだな」
話の主導権を網枷が握る。この手の化かし合いでは、焔火は不利にも不利だ。自分が抱く矛盾にすら気付かない人間に、相手の心理の奥底を読むことを期待するのは酷である。
「・・・椎倉先輩達は、まだ内通者が誰なのかには心当たりを付けていないんだろうな」
「そうですね。もし、心当たりを付けていても泳がせる意味も込めてしばらくは放置するでしょうけど」
「・・・1つ提案があるんだが、聞いてくれるか?」
「提案?何ですか?」
“辣腕士”が仕掛ける。
「この件・・・“基本的”に僕とお前とで当たらないか?」
「・・・どういう意味ですか?」
「僕が思うに、椎倉先輩達はまだ内通者が誰なのかを突き止めきれていないんだと思うんだ。
捜査情報をリークされて、僕達風紀委員が危険な目に合う危険性に目を瞑りながら、内通者が尻尾を出すのを辛抱強く待っている。それは非情な判断だとも言える」
「・・・はい」
「今回手に入れた情報は、そんな危険性を排除できる切欠になるモノだ。僕達は売買現場に踏み込み、奴等の情報を得る。無理はしない。ヤバイ時は速攻逃げるさ。
でも、この情報を正式に報告した場合内通者に動きを察知される危険性がある。焔火。この場合、どうしたらいいと思う?」
「・・・内通者の存在を知っている人間だけでこの売買現場に踏み込む・・・ですか?」
少女は、“辣腕士”の言葉が意味する所を想像する。自分が現場に踏み込み『ブラックウィザード』をやっつける姿を。・・・想像して・・・しまった。
「半分当たりで半分ハズレだな。確かに、内通者の存在を“知る”人間だけで動くべきだ。でも、大勢で動けばそれとなく匂いを嗅ぎ取られる危険性がある。
椎倉先輩達が、何故支部単位の単独行動を認めたのか・・・その本当の意味がわかるか?」
「・・・ハッ!そうか・・・こういう時のために、本部の許可を一々取らずに動けってことだったのか!」
「そうだ。だが、今の176支部はリーダーが負傷中だ。売買日時である明後日には復帰予定だけど、病み上がりのあの人にこれ以上負担を掛けるわけにはいかない。
昨日の二の舞だけは避けないと。今度は・・・数日の入院だけでは済まないかもしれないぞ?」
「・・・!!!」
昨日176支部を襲った偶然―殺人鬼との邂逅―すら利用して、出口の1つを塞ぐ。
「さっきも言ったように、176支部には内通者が“居ない”。だが、他の支部には居るかもしれない。もしかしたら、単独では無く複数居る可能性もある」
「そ、そうですね・・・」
何時の間にか、176支部には内通者が“居ない”とされていることに少女はまたもや気付かない。気付けないように“辣腕士”は話を運ぶ。
「今の所176支部内で内通者の存在を知っているのは、僕、焔火、葉原、神谷、リーダーの5人。
売買現場に踏み込むに当たって、リーダーは病み上がりだから除外するとして・・・神谷と葉原も除外する。どうしてか・・・わかるか?」
「・・・・・・わ、わかりません」
「第一に、リーダーから神谷が離れてどうするんだ?あいつは176支部のエースだぞ?いざという時に、リーダーを守れる一番手はあいつだ。
鳥羽からも聞いたが、昨日は散々椎倉先輩に絞られたんだろう?なのに、またリーダーの意思に反した行動をあいつに取らせていいのか?」
「!!そ、それは駄目です!!そんなことをしたら、それこそ昨日の二の舞です」
「だろ?リーダーに関しては、性格上このことを知ったらどんな形であれ首を突っ込むことは目に見えている。お人好しだからな、あの人は」
「た、確かに・・・」
「葉原を除外するのは、あいつが本部で後方支援を担当するからだ。もし、後方支援組に内通者が居た場合、葉原の動きでこちらの動きを読まれる可能性がある。それは駄目だ」
「ふむ・・・ふむ・・・・・・わかりました。網枷先輩の言う通りですね」
一気呵成に叩き込む会話の銃弾に、焔火は相槌を打つしかできなくなる。思考速度で、今の彼女が“辣腕士”に勝つことなどできはしない。
「わかってくれたか・・・」
「でも、それだと現場に行くのは私だけですよね?網枷先輩は後方支援担当ですし・・・」
「それについても考えている。鳥羽に協力して貰う。もちろん、理由を全て話してな」
「鳥羽君に・・・ですか!?」
焔火は、予想外の名前が出て来たことに目を丸くする。こういう時は思考硬直に陥りやすいのを“辣腕士”は十二分に心得ていた。
「あぁ。今朝のあいつの姿を見ていると、ここらでデカイ手柄をあいつに取らせてやりたい。同期の葉原に負けないくらいの活躍を。
それは、きっとあいつのこれからに繋がると思うんだ。焔火。お前にとっても」
「網枷先輩・・・!!」
「・・・僕には、これくらいのことしかできない。僕は、神谷のように最前線に立って戦うことはできない。
神谷とは同期なのにさ。あの坊主頭の言ってることは、本当は正しいんだ。肝心な時に役立たずなのには変わりないし。だから、せめてお前達には・・・」
「あ、網枷先輩は凄いですよ!!!私が取り逃がした『ブラックウィザード』に関する決定的な情報を手に入れたり、私達後輩のために必死に考えてくれている!!
先輩は役立たずなんかじゃ無い!!あなたは、私が尊敬できる人間ですよ!!」
「焔火・・・」
気落ちしている風に見える網枷に、焔火は必死に自分の素直な思いを訴える。先程の件で網枷も落ち込んでいる。そう、焔火は捉えた。
でも、何もできなかったも同然の自分よりも、確実に敵の手掛かりを手に入れた先輩が『これくらいのことしかできない』なんて言葉を吐いて欲しく無かった。自分を否定して欲しく無かった。
「だから・・・自分のことを役立たずなんて言わないで下さい・・・!!」
「・・・そうだな。・・・なら、ここらで僕も手柄の1つでも取りに行ってみるか!」
網枷は握り拳を作りながら立ち上がる。それに釣られて焔火も立ち上がる。少女の目から見て、今の網枷の表情にはやる気の色が浮き彫りになっているように感じられた。
「焔火。お前は、頃合いを見計らって支部活動から抜け出るんだ。鳥羽には、当日は僕や葉原と共に後方支援に就いて貰う。
そして、お前は鳥羽に連絡を入れるんだ。そうすれば、仲間の了解は取ったことになる。
僕は、頃合いを見計らって理由を付けて抜け出る。僕もお前も、抜け出た後は本部にもそれ以外の人間にも連絡は入れない。連絡を入れるのは、僕とお前の相互間でのやり取りだけ。
そうすれば、内通者に僕達の動きを察知される可能性はまず無い。いや・・・携帯のGPS機能とかを悪用されて追跡される可能性はあるか。
僕達の携帯は、いざという時にGPS機能を使って皆の位置が本部のコンピュータで特定できるようにしているし。
それを悪用されてこちらの位置が漏れたりすれば、逆に罠を仕掛けられる恐れもある。・・・よしっ、万が一のことを考えて当日に僕とお前が使う代替用の携帯も用意しておくよ。
それと、159支部が使用している発信機付きの手錠は使わないように。理由は、さっきのGPSで言った通りだ。わかったか?」
「は、はい・・・何とか」
「今回のことと一緒に、椎倉先輩には僕から詳細を伝えておこう。もちろん、全ては椎倉先輩の許可を貰ってのことだ。だけど、今回は許可をもぎ取る。交渉は全部僕に任せろ。
伊達に、何週間も椎倉先輩と共に後方支援に就いていない。許可が下りたらお前達に内密に伝える。くれぐれも、このことが“他に悟られる”真似は慎んでくれ」
「はい。・・・あっ。それって・・・ようは私と網枷先輩の2人で乗り込むってことですか?」
「そうだ。・・・やっぱり不安か?・・・そうだよな。やっぱ鳥羽の方がいいよな・・・。僕なんかじゃ足手まとい・・・」
「そ、そんなこと無いですってば!!何時も無表情な網枷先輩なら、何があっても動じないと思いますし!!」
「・・・おい、焔火。それって、僕のことを馬鹿にしていないか?」
「さ、さぁ~?か、勘違いじゃないですかね~?」
網枷の追及に、汗をダラダラ流しながらシラを切る焔火。葉原とのやり取りでもよくあることだが、突っ込まれた時や慌てた時に出る口の滑りようは彼女の大きな欠点である。
「・・・まぁ、いい。もし、“僕が成瀬台を抜け出るのが遅れた場合”は1人で行動して貰う可能性は“否定できない”。“その覚悟はしておいてくれ”」
「りょ、了解です!」
「焔火・・・。お前が力になってくれるなら、僕は何でもできそうな気がするよ。僕のことを『凄い』って言ってくれたお前なら・・・きっと結果を出せる筈だ」
「ッッ!!!」
最後の駄目押し。
「確か、お前は“ヒーロー”を目指しているんだってな」
「どうしてそれを・・・?」
「葉原が零していたのを偶々耳にしただけ。・・・お前なら、きっと“ヒーロー”になれる。僕が保証しても意味は無いのかもしれないけど・・・少なくとも僕はそう思う」
「ほ、ほほ、本当・・・で、す・・・か?」
「うん。だから・・・頑張ろうな、焔火。悪者の『ブラックウィザード』を叩き潰して、誰からも認めて貰える・・・そんな“ヒーロー”にお前は・・・なるんだ!!」
「は、はい!!!」
その後、鳥羽と打ち合わせをするために映倫中及び小川原付属から多少離れた柵川寮に足を運ぶ焔火と網枷。来たるXデーは、確実に刻一刻と近付いていた。
continue!!
最終更新:2013年02月25日 00:37