そこは格子状の模様が入った床と壁、天井を持つ、無機質な場所だった。鍵穴も取っ手も無い、自動化された巨大なドアと、分厚い強化ガラス製の窓だけが平坦な世界において異物であり、それ以外の飾りのような物は何一つとして存在しなかった。人間が生活する場所でも無ければ、倉庫として用いられる訳でもない。外部から窓によって観察されるその場所は、無機質な言葉で表すならば、そう。『実験場』であった。
 『実験場』に備え付けられた窓の外に、ぞろぞろと人が集まりだす。それら人影は性別こそ男女様々であるが、全員が白衣を着込んでおり、研究者のグループである事が一目で分かる。その中でも、一際背の高いサングラスの男は、手早く周囲の研究者に指示を出しており、そのグループの責任者的な立場にいる事が分かる。
「では――これより『軍用高性能義体』の第二十三次稼動テストを開始する。各位準備は良いか」
 サングラスの男――木原乖離が周囲の人間に宣言し部下たる研究者の一人一人を見回す。
 研究者達は瞳に恐怖を、額に汗を浮かべながら、各々返事を返す。
 乖離という男が、自分達を取り替えられる歯車であるという認識しか持っていない事を、良く理解しているからだ。
 だが、それと同時に、研究者達の心には、ある種の誇りと好奇心があった。乖離の部下としてプロジェクトに参加し、自分達が作り上げた技術の結晶が、今から動き始めるのだから。
「本格的な戦闘テストはこれが初めてとなる。データの採取に漏れが無いよう、最新の注意を払え。こればかりは――代わりが効かん」
 乖離は『実験場』のコントロールを預っている部下に指示を出す。『実験場』は外部から完全にコントロールされており、万一『実験体』が暴走した場合は備え付けられた装置によって外部から安全に処理できるようになっているのだ。
 部下はドアの開閉レバーを下げ、『実験場』のドアを開放する。
『被験体002――入れ。これより第二十三次稼動テストを開始する』
 乖離がまた指示を飛ばす。だが、それはその場に居る部下達に対してでは無い。
 ドアの外で待機していた被験体002――たった今『実験場』に入ってきた存在に向けての物だ。
『調子はどうだ』
「良好です」
 ドアの閉まった『実験場』に乖離の問いが広がり、被験体002が応える。
 被験体002――その姿は異様であった。首から上こそ人間のそれであるが、首から下は、人型を保っているとはいえ完全に機械なのだ。皮膚の代わりに全身は黒い金属装甲で覆われ、関節部も柔軟性のある強化繊維で包まれている。よく見れば、その眼球も生身では無くカメラのようになっている事が分かる。
「思考から駆動までにタイムラグを感じません。思考先行による感覚のズレと、多重命令による矛盾エラーは起こらないかと」
『良し。ならばこのままテストに突入する。機体データはこちらでも取得するが、被験体そのもので無ければ感じ取れない部分も存在する。今回はこれまでと異なり本格的な戦闘テストだ。連続的な思考。瞬間的な判断が要求され、機体に重度の負荷が掛かる場合もある。思考。機体の駆動。違和感を覚えておけ』
「了解です」
『中央で待機。直ぐに戦闘相手を突入させる』
 被験体002は部屋に入ってから真っ直ぐ中央に向かい、立ち止まる。ドアの方へと振り返って、息を吸い、吐いた。
 本来ならば、一時間程度なら内蔵したタンクが唯一の生身の脳に酸素を供給し、呼吸をせずとも生きられるように彼は設計されている。
 それでも緊張した時に呼吸をして気持ちを落ち着けるのは、この体になる前のクセが抜けていないからだろう。
 彼はカメラアイを素早く動かし、『実験場』全体をスキャニングする。『実験場』に入ってきた時のデータと照らし合わせ、部屋の3Dモデルを脳内で作り上げる。
 『実験場』の形状は正方形。一辺が20m程。遮蔽物は存在せず。相手は不明だが、銃器や念動力系の能力者ならば、些か不利か――。
 そんな事を002が思っていると、再びドアが開く。稼動テストの戦闘相手が入ってくる――そう思った瞬間、彼は後方に跳躍していた。
 ドアの奥から飛びかかってきた『それ』の豪腕が、今まで002が立っていた場所を打ち据えた。
 002は部屋の中央に位置していた――『それ』は一足飛びに10mの距離を詰めたことになる。
「……これは」
 002のカメラアイが『それ』の全体像を捉える。『それ』は四足で床に立つ、3m近い機械だった。
 人型に近いフォルム――だが、両足と両腕が共に長い。両腕には五指を備えている。
 一見すれば駆動鎧にも思えるが、形状があまりにも歪だ。002は結論を下す。これは『無人機』。ロボットだと。
『T:GL――見て分かるが、まあ……ゴリラだ。製造目的は至って単純……「両手」を使える事。災害時の細かな瓦礫の撤去や物品の運搬に用いられるという事だ……表向きはな。実際には人間が扱うように作られた兵器を無人機でも扱えるようにしようという事だろう。搭載されているAIはまだ単純だが……戦闘に特化させてある。気をつける事だな』
 『それ』……T:GLは紅いモノアイをゆるりと動かし、002を見る。そして、両腕で床を殴りつけるようにして、駆け出した。
(AI制御のロボットが二足歩行で重心を安定させるのは難しい……俺のようなサイボーグならば生身の時の経験があるが……ッ!)
 T:GLが叩きつけてくる掌を、僅かに体をずらす事で002は回避する。T:GLの腕の外側に回りこみ、そのまま後ろを取ろうと足を動かそうとした所で、その動きが阻害される。
 T:GLが床を掴み、その巨体を保持。更に膝を前に出すことで、T:GLの体に沿って動いた002を押さえ込んだのだ。
(なッ……!)
 それは高度な戦闘の駆け引き。ただ敵を叩き潰すために拳を振るうだけでは無い。己の体躯を利用した、戦術であった。
 脇の下を潜らせるように、T:GLが体を支える物とは逆の拳を放つ。無理な姿勢からの一撃――しかし機械であるT:GLにとってそれは大きな問題にはならない。
 002は咄嗟に両腕をクロスさせ、全身の人工筋肉に硬化命令を下す。瞬間的に強固な金属のようになった義体を、T:GLの巨腕が打ち据える。
 砲弾のように吹き飛ばされる002は、しかし空中でその姿勢を変え、壁にぶつかる瞬間、猫のようにしなやかに全身の人工筋肉を動かし、その衝撃をリリース。
 続くT:GLの打撃を、衝撃の反動を利用しての跳躍によって空中に回避する。
(……何が単純なAIな物か……恐ろしい程に強い)
 そのボディ汗の機能は無い為、002の心の中のイメージが冷や汗を流す。油断をしていた訳では無いが、予想以上に出来る存在である。
 高速で戦術を組み立ててはバラしていく。己の打撃力で破壊されていない以上、装甲や関節部位は相当に強固な筈。真正面からの打撃は通用しないだろう。かと言って、人体急所の殆どが、機械相手では意味を成さない。
(どう打ち崩す?)
 全く歯がたたない相手を投入し、破壊されるまでのプロセスを乖離が見たいのではないか――その可能性が一瞬頭を掠めるが、排除。
 もしそうだとして、それを考える事に何の意味も無いだろう。敗北の手段を探っている訳ではないのだ。そう、勝つとするなら――。
 逡巡の内、再びT:GLが突撃してくる。大きく振りかぶった左腕が見えた。
 一撃なら002の防御でも耐え切れる。無理にでもカウンターを狙うか。相対的な破壊力での装甲突破。否、002はリスクのある選択肢を排除。
 受けを選ぶ。突っ込んでくる左拳に、右の肘をぶち当て、その軌道を逸す。T:GLは装甲が僅かに歪むのみ。対して002は全身が揺るぐ程の衝撃。
 即座に左腕を振り上げる002。打撃か。箇所は? 頭部か。相手の腕か。否――先程の攻防、そして乖離の言葉から、002はT:GLの戦術を見抜いていた。
 それは即ち、掴みである。
 破壊力を秘めた左腕に隠された、捕獲の右手。002の胴体を確保すべく迫りつつあったT:GLの右手に、002は左肘を叩きこむ。
 強靭な装甲も、指関節の一つ一つには及ばない。拳として固めなければ衝撃の拡散も無い。幼い頃、ツララを折って友人と遊んだ感覚をふっと思い出す。
 右手の指を失っても、T:GLはうめき声一つ上げない。それは機械だからであり、それ故にT:GLは完全に機能停止するまで攻撃を続けるだろう。
 だから、002は、再び振り上げられ、床に叩きつけられたT:GLの左拳に足刀を叩き込んだ。指の関節を狙いすました一撃は関節に深く食い込み、半ばまで切断する。
 ここで、T:GLは初めて後退する。そのモノアイが何度か点滅した。自らの破損状態をチェックし、敵の戦力を計算し、最も勝利できる可能性が高い戦術を探っているのだろう。
 それは先程の002と同様。そして、例えどれ程可能性が低かろうが、戦闘を続行しなければいけないのも002と同様だ。
 T:GLに搭載されたAIはその為に作られ、戦闘の果てに破壊される結末しか持たないのである。


 ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※


 拝 一刀は『実験場』に立っていた。これで何度目だろうか。目の前に立ちはだかる四体のT:GLを見ながら考える。
 最初にT:GLを倒してから、様々な敵と戦った。時には生身の人間――兵士や超能力者、駆動鎧等――を相手にする事もあった。
 その度に一刀の義体は改良を繰り返されてきて、現在の一刀の義体は殆ど完成形に近い。
 『軍用高性能義体製造計画』そのものは被験者の生存率の低さ故に失敗の烙印を押されて既に凍結されたが、生存者である自分のメンテナンスや駆動実験は未だに続行状態にある。それは彼自身の改良と言うよりは、新しいパーツの試験運用という意味合いも強いが……。
 一刀は跳躍した。T:GLの一体が、拳を繰り出してきたからだ。T:GL自体もあれから何度か改良を繰り返され、強化された。AIも更に発展し、現在では複数体の連携を取る事も可能になっている。
 その証拠に、空中の一刀を狙い撃つ形で、傍観していたT:GLが、別のT:GLを掴み、投擲する。
 両腕を広げて捕獲……否、そのまま空中で抱き潰そうと言うのだろう。一刀はそれをゆっくりと迎え撃った。腰に備え付けられたホルダーに収まった、電磁加熱式のヒートブレードを抜き放ち、空中で二度振るう。それは高熱と刃の鋭さ、そして的確な腕前で、狭まりつつあったT:GLの両腕をバターのように切断。空中で重心を狂わされたT:GLを踏み台にして、一刀は更に跳躍。半回転し、天井まで到達。足の裏に天井の感触を感じながら、それを蹴り、T:GLの一体に突貫。空中からの襲撃に対応しきれないT:GLはAIの中枢をブレードに貫かれて沈黙。その直後に、空中を待っていたT:GLの残骸が床に叩きつけられ、轟音を発する。
 一刀はヒートブレードを一端ホルダーに収め、次いで胴体に巻きつけていた太いロープのようなものを手に取り、振るう。
 中程を持たれたロープは素早くしなり、一刀の腰のにあるホルダーからブレードを二つ抜き放つ。ロープはブレードを巻きとっているのか……そうではない。
 ロープの先端には一刀の手と同じような、サイボーグの手があった。そして、よく見れば、ロープのように見えるそれは、二つのサイボーグ碗が肩関節同士で連結され、更に複数が互いを握り合う事で形成された武器であると分かるだろう。肩関節と肘関節が柔軟に動き、まるでロープのように撓っていたのだ。
 両端にブレードを握り、両刃の武器になったそれを一刀は大きく振り回す。赤熱化した刃が赤い軌跡を残す。
 一刀は更に回転速度を上げる。赤い軌跡は何時しか完全に円を描き、一刀の周りを包む。
 やがて、その赤い軌跡が歪み、楕円を描いた。それは、ブレードの回転速度に踏み込めずに居るT:GL二体を通過し、再び円軌道に戻る。
 一瞬、そして一撃。一刀は両刃の一端を握り、回転速度をそのままに射程だけを伸ばしたのだ。ブレードはT:GLを瞬く間も無く両断し、再び回転運動に戻る。
 T:GLが赤熱化した断面を見せながら床に崩れ落ちると同時に、両刃も回転速度を収め、流れるようにホルダーにブレードを収め、再び一刀の胴体に巻き付く。
 連結サイボーグアーム。そしてヒートブレード……それらは長いテストの間に、一刀が得た武器だ。その武器を、一刀は体の一部であるかのように扱う事が出来る。
 一刀は目線を『実験場』の窓に向ける。そこにはサングラスの男――木原乖離が居た。
(あの人はこの結果に満足しているだろうか)
 一刀が考えるのはそんな事だ。自分に力を与えてくれた木原乖離。彼に『尽くす』。道具として『戦い抜く』――敵が誰であろうと。
 T:GLの残骸に一瞥もくれること無く、一刀は『実験場』を後にする。己の技に、更なる磨きをかけるために。

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最終更新:2013年06月04日 23:22