「戦いに優る美酒はない」――戦士
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物心ついたときには戦士として育てられた。
戦士として望まれたのは常勝がための武勇、そして目的を果たすだけの意志であり、それ以上もそれ以下も必要とされなかった。
女は、それを良しとした。何となれば、戦士として生きる事こそが至上の幸福であると本気で信奉していたからである。
ゆえに女は戦い続ける。戦意はただ戦意のまま抜刀され、戦場に骸を生みだす。そうして映じるのは血ではなく月であった。
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燃え盛る火焔の支配する戦場で、女は何故か昔のことを思い出していた。ただひたすらに己が力を研磨する闘技の日々。敵を倒した。敵の心臓を貫いた。敵の頭蓋を砕いた。それだけで父は褒めてくれた。それがとても嬉しかった。
なぜ今になって昔のことをと疑問を抱きかけたとき、同時に答えは見つかった。
走馬灯のようなものだろう。
私はここで死ぬ。誰に殺されるのかは分からない。けれど、それだけは、此処が自分の死に場所となることだけは、容易に想像ができた。
恐いとは思わなかった。むしろ、いま、この場所で死ねることに、喜びさえ感じている自分がいた。普段であれば怯えただろう。死の恐怖で膝を折って肩を震わせていたかもしれない。そうはならなかったのは、諦めがついていたからだ。
無意識に追憶した時点で、自分の死は決定のものとなった。どう足掻こうが逃れることは出来ない。ならば、受け入れるしかないのだ。運命を。死命を。
ふっと軽く息を吐いた。
ねえ。
「どうして笑ってるの」
怪物の投入によって仕切り直された戦場に、油断をしている余裕などどこにもあり得ない。どこから流れ弾が飛んでくるか分からないこの状況で、なぜこの少女は笑みを浮かべていられるのか、女は全く理解が出来なかった。
狂っている、と思った。そして、恐ろしいと思った。
なぜ死ではなく、小さな女の子に恐れを抱いたのか、彼女自身も分からなかった。だから訊ねた。彼女が笑っている理由が分かれば、この如何ともし難い恐怖の本質を理解できそうな気がしたから。
けれど。
「どうして笑わないの」
笑ったまま、首を傾げた。それだけだった。女の質問に答えるのではなく、逆に問いを投げた。どんな意図があって問いに問いで返すのかなど、誰にも分からないのだった。
だが、意図は分からずとも、女は答えを得た。
「ああ。そうか。きみは」
はじめから、死ぬのが恐くないのか。
戦に生き、戦で死ぬ、そういう星の元に生まれたに違いない。生まれたときから――否、否否、生まれる以前から、戦士としての人生を歩むことが決められていた。そういう意味では、女と少女は同類だった。
であるならば、私たちがここで出会ったのも運命だということになる。知らず知らずの内に、私たちは互いに引かれ合っていたのだろう。では、なんのために、私たちは巡り会ったのか。
そんなの、決まっている。
「戦うためだ」
初めから、決まっていたのだ。女には初めから、戦う以外の途など残されていなかったのだ。我ながら、鈍感すぎるだろう。よもや己の存在意義を忘れるとは、戦士の名が聞いて呆れる。父が今の私の有様を見たらどう思うか。失望のあまり私を殺してしまうかもしれない。
剣の役を全うしてはじめて戦士は完結すると請け負った。ならば、剣として生きる途以外にない。もとよりこの魂は戦に捧げたもの。今更何を躊躇う必要がある。
女は大剣を握り締め、狼の皮を被った。戦いを始めるために、生きるために――死ぬために。肉体が狼皮と同化を始める。ああ、獣と成っていく。
薄れゆく意識の中で女が視たものは、誰でもなく、なにものでもなく、己自身の過去だった。
出逢い、旅立ち、戦い。
さなかにはいついつまでかと思われた道程も、見返すところで特筆すべきは見当たらなかった。たった三言で事足りる。眠りは浅く、天月を渇仰しつつ死を覚えた夜は数知れない。血風に凍えし虜の慰めを、さらなる汚泥と血に求めた。
私は狂戦士。崇高な殺戮に明け暮れる傍ら、己が欲をもっとも熟知していた。欲望、本能に従う。流れに身を任せて世を往けば、その先にはきっと救いがある。鋼と血の戦場において常人の生き様を成せば待ち受けるのは死の谷であるに違いない。
果たすのは、一度ならず二度三度、十も百も千も億も屠るべく。
「あはは」
ようよう表れし月色の下、少女が高らかに右腕を掲げて、その形を槍へと変じさせ、再び女と向き合ったときには魔眼の痕跡もなかった。槍腕を振って引きつける、間際の反照が少女を戦士のごとく見せる。風の音こそ高々に笑ってみせるが、面容泰然として一分の隙もない。
成る程、やはり彼女は死の谷に魅入られていると言う他ない。険しき道に己が身体を投げ込む英断も、少女が戦士であるこそなのだ。でなければ、戦場に臨んでなお笑みを浮かべる凶行は不可能。
「さあ、戦おう」
天上に浮かぶ月は、剣と槍、二人の戦士を照らしていた。
最終更新:2013年07月01日 19:39