―――――時が更に飛んで、三年後



「ふっ、はっ、せやぁぁぁぁっ!」

「そう、その感じですよ視歩ちゃん!貴女は世界を獲れる逸材っ!」

そして相変わらずこの二人は馬鹿なんじゃなかろうか。
様子を見に来て見れば何故かスキンヘッドのカツラを被って黒い眼帯を着けた番が何やら騒いでいるのが目に入った。

次にその向こうで拳を振るっている四方が目に入る。
別に戦闘訓練をしている事自体は何ら問題は無いのだけど、ノリが分からない。全く分からない。悉く分からない。

「今こそ私の最強奥義、菩薩の○を伝授するときです!」

○歩か!そのカツラと眼帯は独○のコスプレなのか!
どちらかと言えば訓練の応援をするのは丹下の方だろう、さくらじゃない方の。

「って、ボクも随分と番に毒されてきてないか…?」

「私の英才教育に掛かればどんな人だってオタクに進化させられるのですよ…くっくっくっ」

その邪悪な笑みを浮かべるのはよしておけと言いたいが、こんな暗黒微笑を浮かべる変質者と係わり合いになりたくないな…。
と言うかこっちに気づいてたのか…無駄に鋭いな、コイツ。

「で?例の如く何をしているんだ?…この質問何度目だっけ」

「さぁ?両手両足全ての指を総動員しても圧倒的に足りない事は確かですね」

悪びれる気ゼロかこの女。基本的にそんな質問をする羽目になっているのは1:9で四方と君のせいだぞ。
毎度毎度懲りずに質問するボクもボクだが…

「しかし、戦闘訓練はもう終わった時間だろう?」

話は変わるが、此処の所四方のルーチンの中に「戦闘訓練」と言う項目が追加された。
もちろんボクの意向ではなく、上からのお達しと言う奴だ。

正直な話、この事についてボクは頭を悩ませている最中であり、中々浮かばない対応策に少々疲れ気味でもある。
なぜそんな自体に陥っているかと言えば…話は数日前に遡る。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「なに?四方を戦闘員として徴用するだと?」

『はい。上からのお達しですからヘタに抵抗をしない方がよろしいかと』

ある日、突如として学園都市の上部組織から連絡を求められた。
それに従いこうして通信を繋げた訳なのだが、そこで告げられたのは思わず聞き返してしまう様な話だった。

何と上の連中は四方視歩を学園都市上部が自由に動かせる尖兵として育てようと言うのだ。
確かにそういう表沙汰に出来ない「事件」を処理するための「兵隊」を上が抱えていると言う話は知っていたが…。

(まさかわざわざソレに四方を指定してくるとはな…)

普通に考えれば他所の研究対象を横から掻っ攫って行くなどどちらにとっても利益が無い。
そういう対象を欲しがるのなら最初からそれ用に育て上げれば良いだけの話。

ならば…

「何の理由で四方をわざわざ指名した?理由も告げんとは言わせない」

『…申し上げられません、と言うつもりだったんですが…先に潰されては困りますね』

その反応の時点で何かしらの理由を隠している事は分かる。
しかし、それを言う訳には行かないと来ているらしい。…親切に話してくれる訳も無いって事も知っていたが。

『そうですね…私も全てを把握している訳ではありませんが…そうですね、一つだけ言えるとすれば―――■■■■■■と言ったトコロでしょうか』

「…なに?おい、今何と言った?それはどう言う意味だ!?アレイスターは何を考えている!?」

学園都市理事長、アレイスター=クロウリー。
大衆の前に決して姿を現す事は無く、この学園都市の創設者として「とある目的」の為に計画を実行していると言われる存在。
姿を見た事は一度しか無い。あの、窓の無いビルで見たその姿を生涯忘れる事は無いと断言できる。

アレが何を考えているのかは知らない。アレがどれ程の頭脳を持っているかも知らない。
きっと普通の人間など及びも付かないほどの頭脳を持っている事は想像に難くない。

だが、それがボクの考えを犯していい理由にはならないし、黙って言う事を聞く理由にもならない。

『理事長の考えがどういう物なのかは流石に私も把握していませんけどね…ただ、探りを入れるなら気をつけた方がよろしいかと』

「…余計な事を知れば消す、と捉えても良いのかな、それは」

もちろん、そんな事は確認するまでも無く分かっている事だけど、探りを入れる為にも聞かなくてはならない。
どうにもこの女自体は完全にアレイスターの味方と言う訳では無さそうだが…信頼出来るほどじゃあ無いな。

この女の言い草からして、事情を知りたければ独自に動けと言う事だ。
ボクが手繰と言う情報屋を抱え込んでいる事も掴んでいるのだろうか…?

…誘いに乗るようで癪だが、ここまでコケにされて黙っては居られない。

「ふん。そう簡単にボクを思い通りに出来るとは思わない事だ」

『そう言うとは思っていた、と言うのが正直な感想ですかね。まぁやるならうまくやる様に。誰も負けなければ誰も咎めませんから』

割と滅茶苦茶な事を言うな、コイツ。と言うかコイツはコイツで何者だ?
アレイスターの存在に近しいと言う事はある程度、理事会かそれに近しい人物なんだろうが…。

さて、とは言え気にしすぎては本質を見失う。
今気にするべきは電話先の相手でもアレイスターの思惑でもない。

「…もう用が無いなら切るよ。精々、企みに勤しむ事だな」

『企むのは私じゃないですけどね。…ま、理事長には伝えておいてあげましょう』

気にするべきはボクのオモチャをこの手に留める事…いや、違うな。
ボクの手の内である必要は無い。何処であっても構わないが、少なくとも実験に支障が出る様な境遇に置かれるのは拙い。

四方に、ボクの研究に必要なのは戦いの経験でも強さでも無い。
彼女に必要なのは…

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…閑話

『…はぁ。なるほど、確かに時間を貰えれば多少は調べられると思いますけど…』

「速さは求めていないから安心してくれ。身の安全を第一に、探ってくれれば構わない」

『それと、ヨツバさんの事なら僕も把握していないです。あの後、一度も会ってませんし』

「君をして把握していないと言わせるとはね…。そこまで謎なのかい?」

『謎と言えば謎なんですけど…有名ではあるんです、彼女。情報自体は直ぐに仕入れられます』

「へぇ…。有名って言うと、どんな話が出回っているんだい?」

『彼女が訪れた街は悉く滅びるだとか、逆に彼女が訪れた所はこれ以上なく豊かになるとか』

「情報が錯綜してるな…。まぁ、噂なんてそんな物か」

『ですね。まぁ、一つ共通しているのは彼女との出会いが『運命』を変質させる一端になっていると言う認識ですね』

「運命、ね…。否定できないところが辛い物だ」

『そういえば、人臣さんもあの後研究テーマを見つけたそうですね。なんて聞くとまるで―――』

―――まるで彼女は、四葉のクローバーみたいですね

「…随分とロマンチックな事を言うじゃないか。四葉のクローバーね…言い得て妙だな」

『人臣さんにロマンチックだなんて言われると、何とも言えない気分ですね』

「うるさい。とにかく、調査の方をよろしく頼むよ」

『抜かりはありません。ヨツバさんと学園都市、ひいてはその上層部の関係、しっかりと暴き尽くして見せましょう』

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回想から復帰したボクは、番が顔を覗き込んでいることに気づいた。というか顔が近い。
ぺしっと額を叩くと涙目になりながら退いていったが…何だコイツ。

えへん、と咳払いをしてから改めてボクの問いに答える様に

「これは単に遊んでいる様な物ですよ。…それに、視歩ちゃんが戦闘員にされるなんて聞いちゃったから…」

落ち着いていられませんでしたし、少しでも気を紛らわせたくて、と番。
その気持ちは分からなくも無い。四方に随分と構っている事だし、彼女も心中穏やかでは無いのだろう。

そう、ボクも番も四方が戦いの場に向かわされる事を良しとしていない。
正しく言えば四方が「道具の様に」使われる事を良しとしない…ボクの方は。

…別に四方が大事だとかそう言うのじゃなくて、実験の為だ。
番あたりは勘違いしているがあくまで四方は実験道具で、ボクのオモチャだ。

最近そんなポリシーが崩れ気味になっているのは認めざるを得ないのだが。
番が四方やその他の被験者を可愛がっているのを見ると、自分のやっている事が馬鹿らしく思えて来るんだよなぁ。

「でも、幾らなんでも妙ですよ…。わざわざ視歩ちゃんを指定してくる理由なんて…」

番の方は単純に四方を危ない目に遭わせたくないと見えるけど。
…此処に居るのと戦いの場に出されるのとどっちが危険かなんて分かりはしないんだけどね、実際。

「確かにな…。上は何としても彼女を尖兵として育て上げたいらしい」

「…人臣さんはどうするおつもりなんですか?視歩ちゃんをこのまま引き渡すわけには…」

もちろんそんな事はさせない。しかし…あらゆる面から手が回されている様で、ボクが干渉する隙が無いのだ。
なぜそこまでして彼女を欲しがるのか、もしくは目的は四方では無くボクの方にあるのか…?

「…ボクと四方を引き離す必要があったと言う事か?だが、誰がそんな事を…」

考えれば考えるだけ謎は深まっていく。
現状、上の連中にとってはボクも四方もそこまでの価値は無い筈なのに…。

もしくはボクが知らない、何かの秘密を四方が握っているのか?
だがボクが知らず、アレイスターが知っている秘密と言われても全く想像できない。
確かに奴は様々な事を把握しているだろうが、それ故に小娘一人の事情など把握しているのは妙だ。

となれば四方がこの学園都市に来た時。ボクの名前をわざわざ指定して「誰か」が彼女を置いていった時。
その時点から何かが始まっていて、それをアレイスターの奴は知っていて、尚且つ「ソレ」が奴にとって手を加えるべき程の案件だった…?

…きな臭いどころの話じゃない。一体背後に何が絡んでいる?
まさかとは思うが学園都市だけの話では終わらないのか…?だとすれば、ボクは…。

「…やる事は増えたな。場合によっては、大きな選択を迫られる事になるかもね」

何にせよ四方の徴兵だけは何とも避ける必要がある。
そしてその上で四方の背後に何が隠れているのか調べなくてはならない。
…もう一度、手繰の手を借りる必要があるな…。

と考えて行動を開始したのが今から数週間前の話。
依然として大した成果や進歩は出ていない現状だが、どうしたものか。

「うーん、それはそれとして。人臣さん、お礼は考えてあげてますか?」

「お礼?…あぁ、この前のか…」

急に話を逸らされた感が凄まじいが、そう言えばそんな問題もあったな。

ボクを助けてくれた…と、言っても良いのだろうかあれは?
確かにボクの落ち度をカバーしてくれていた辺り助けているつもりはあったようだけど。

…しかし、何時の間にあそこまで腕が立つ様になったのやら。
助けられた身分で余りグチグチと言う物ではないが、それにしてもまぁ素直に認めるのも癪な訳で。

何がって?自分の被験者に助けられるなんて恥ずかしいって話だ。

「でもでも、実は意外と驚いてたんですよね…。視歩ちゃんってああいう子でしたっけ?」

「まぁ、確かに…此方としては助かったとしか言い様が無いんだけど…」

何があったかと言えば、あの電話先の女の挑発に乗って独自に調査を始めたのは良いのだけど…。
その過程で真実を知られると困る連中からの妨害を受けた。…それに関しては最初から織り込み済みだったから良いとして。

問題はその方法である。てっきりボクを直接叩きに来るかと思い、対策を取っていたのに期待を裏切られたと言うか。
彼らが狙ったのはこの研究施設、更に言うならその施設内の被験者…つまりは四方を初めとする被験者だったのだ。

もちろん研究施設にも警備の目はあるが、それを強引に突破しての攻撃とは予想外だった。
表向きは暴徒が起こした施設襲撃と言う扱いになっているらしいが…下手人のスキルアウトはどう考えても上が動かした物だろう。

「でも、あの時は焦りましたよ~。スキルアウトの襲撃なんて滅多にある事じゃないのによりによってウチが狙われるなんて」

「それもボクが居ない時を狙って、だからね。確かに運が無かったか」

自分で言ってて反吐が出そうなくらいに白々しいな…。
ボクが居ない時に襲撃があったのは不運でも何でもなく、狙っての事だ。

その時、施設には番が待機していたが、彼女に戦闘能力は皆無だっただけに報せを受けた時は焦った物だ。
まさか施設の方を狙ってくるなんて思ってもいなかったし。

「スキルアウトの連中、私を真っ先に狙ってくるからどうしようかと思いました」

そうしてそこで狙われたのはこの能天気な女だった訳で。
暴徒に追われて追い詰められ、万事休すと言う所で彼女を助けに来たのが四方だった訳だ。

それも他の被験者の子達を攫いに来た暴徒全てを鎮圧(と言う名の半殺し)した後の話だというのだから手際が良い。
本人からすれば最近始まった戦闘訓練の成果を実践で試せる絶好の機会だった訳だろうけど。

しかしそれにしても…番を一番に狙ってきた、ねぇ…?

「最優先対象を番にしていたと言う事は…」

もちろん裏で動いていたのは上なのだろうが、直接関わって足が着くような真似はする筈も無い。
恐らくはまたいやらしい手を使って何者かを唆して実行させたに違いないのだが…。

その表向きの『実行犯役』の正体ならばある程度絞れた。
番を直接狙ってきたという事は、彼女に用がある者と言う事になるが、その場合下手人は酷く限られてくる。

コイツを害したいと思うまでに恨みを持つ人物が居たとするならそれは何かしらの研究に関わる物しかいない。
何せこの能天気娘を人格的な意味で恨む奴などボクが思いつく限り存在し得ないからである。
となると彼女の能力が目障りな者の仕業と考えるのが自然だ。

「まぁ、十中八九君のお人よし根性が目障りな奴の仕業だろうね」

「ですよね~。…そんなに恨まれるような事してるつもりは無いんだけどなぁ」

自覚は無くとも君の場違いなモットーを目障りに思う人は居るという事だ。
そんな事を言ったところで今更変わる物じゃないから、無駄な事はしないけど…。

「というか、助けられたって言うなら私も同じなんですよねぇ」

「まぁ、そうなるね。彼女が居なければ暴徒を撃退する人物は居なかったわけだし」

とは言えこの女、どんな危険な目に遭っても命だけは決して失わずに帰ってくる辺り悪運は強い。
今回の事だって、個人を標的に集団が襲撃しに来ていると言う危険極まりない状況を生き残っている訳だし。

ふと番の方を伺うと、少しばかり眉を下げた表情の彼女と目が合った。

「でも正直…そこまで視歩ちゃんに頑張って欲しくは無いんです。無理して怪我して欲しくないですし」

「…君も、随分と四方に入れ込んでいる様に見えるな。…おい、そのお前が言うな的な顔をやめろ」

いやいや、人臣さんに言われたくは無いですよ、と失礼な物言いを重ねつつ。
ふと何かを考えるかの様に押し黙ると、かと思えば直ぐに目を閉じて言葉を紡ぎだした。

「私、子どもが好きです。でもその中でも特に……気に入っている?…いえ、もっと…」

自分で自分の気持ちを確かめる様に、幾度も頭の中で言葉を反芻する様に。
人の心理を見続けてきたボクだけど、こういう表情をボクは余り目にした事は無い。

彼女は今、自分の思う本当の気持ちをボクに打ち明けようとしていた。
いつも能天気で何も悩みなど無さそうな彼女が必死に大事な何かを伝えようとしているのが、伝わってきた。

ボクだって心に関わる研究者の端くれだ。それがどれ程の覚悟で行われているか位は見て取れる。

「…好きに話せば良い。珍しく真面目そうな君の言葉を茶化すほど子どもじゃない」

「あはは…その見た目で言われてもって感じですけど。…まぁ、何というか。私、出来ることなら視歩ちゃんに痛い事をしたくないです」

研究者としては駄目な気持ちなんでしょうけどね、と付け加えてから彼女はこう続けた。

―――駄目って分かってても、何だか好きになっちゃったんです。かわいいって思っちゃうんです。…幸せになって欲しいって思ったんです。

だから、と改めて番はボクの方へと向き直って真剣な顔をボクに向けた。

「視歩ちゃんが徴兵されるなんて、私は嫌です。…人臣さんもそうだと言うのなら」

あの子を―――助けてあげてください。と彼女はボクに頭を下げた。
…初めて、謝罪以外の理由で頭を下げられた事に気づく。…それほどまでに、彼女が真剣だと言う事にも。

でも、それでもボクは。
ボクはそのお願いに、その時頷く事はしなかった。…分からなかったから、出来なかった。


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あ、そう言えば。と番が思い出したかのように手を叩いた。

「私も何かお礼を考えておかないと…また猫のぬいぐるみにしようかなぁ」

「そこは猫で限定して良い物なのか?別に他のだって構わんだろうに」

前に番が買ってあげた大量のぬいぐるみも種は違えど全て猫で統一されていた。
コイツの趣味か何かかは知らないが、貰う方からすれば全て猫で統一されているのはどうなのだろう。

「あ、猫って指定してきたのは視歩ちゃんの方ですよ?だから今回も猫のにしようかと」

「なんだ、四方は猫好きなのか?知らなかったな…」

あまりそういう嗜好の話はしてこなかった気がするし、仕方ないという物か。
…いや、別にそんな話は必要じゃないのだから悪い事みたいに言う事ないだろう、ボクよ。

「みたいですねー。人臣さんも猫グッズにすれば喜ばれるかもしれませんよ?」

「別に喜んでもらう必要は無いんだけどね…考えておくよ」

あーでもまたぬいぐるみをたくさんかったりしたらお財布がぁぁ、と番が唸っている。
研究職なんてものに就いて金は十分貰っているであろうに、一体この女は何に金を使っているのやら。

それはさておき、アレイスターの思惑やら事の真相やらを気にするのも良いが、一先ずは目の前の事を。
頭の中で思いつく限りの猫に関連する物品を思い浮かべる…がそううまく浮かぶ筈も無く。

ボク自身、趣味に使うお金を差し引いても十分過ぎるほどに貯蓄は有り余っているので、金銭面は気にしなくても良い。
しかし選択肢が広がると余計に選びにくくなるという事実もあって、ボク一人で決定するのは厳しいと見える。

「…まぁ、ボク一人で悩んでも仕方ない。こういうのは本人に聞くに限るな」

「あ、視歩ちゃんに訊きにいくんですか?まぁ、その方が外れは無いと思いますよ」

だよな、と同意の意を示しつつボクは四方の部屋へと向かう事にした。
…と、その前に。そういえば認めたくないが一つ番にも仮がある事を思い出してしまった。

何があったかと言えば、件の襲撃自体は四方の働きによって大事無くやり過ごす事が出来た。
しかし四方も全てに手が回った訳では無く、幾ばくかの被験者が負傷してしまったらしい。

中でも一人、重傷を負ったのが松井弓削であった。
彼女は襲撃者を追い払う為に能力を使用したのだが、初めての実践使用と言う事もあってか能力が暴走を起こしてしまった。
松井の能力は「光学系能力」であり、光を操る物だ。

それを振るって襲撃者の力を削ごうとした所、暴走。
結果として行動不能に陥った所を襲撃者の反撃を受け、目に傷を負ったとの話。
四方が駆けつけた時には既に松井は倒れ伏していたらしく、その襲撃者に連れ去られる寸前だったとか。

(もう一歩遅れていたら、と考えるとゾッとする。四方に助けられてしまったな…)

そして重要なのはここから。負傷した松井の元へと駆けつけ、適切な処置を以ってその命を救ったのがこの番である。
実際のところ目以外にも深い傷を負っていたらしく、死んでもおかしくない怪我を負っていたらしい松井だが…

「…あれ?どうかしましたか、人臣さん?」

この能天気極まりない女ときたら、全く以って淀みない手つきで処置を施したとかなんとか。
何度見ても、普通の医者なら匙を投げても何ら責められないような重傷患者を平気な顔で連れ戻した女とは思えんな…

最も、深く傷を負っていた目は完治することが不可能だったらしく松井は視力を失ってしまった。
大層ショックを受けていた松井と吉永だったのだけど…

更に言うならここで終わりでは無いのが番の恐ろしいところ。
視力を失った松井に対して番は何の迷いも無く、ある確認を取った。

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『弓削ちゃん!落ち着いて聞いてね…どんな方法でも、視力を取り戻したい?』

『………え…?』

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

その言葉に偽り無く、番は松井の視力を取り戻す事に成功した。
…どんな方法でもと前置きを置いたとおりに「義眼」と言う手段を用いて。

―――電子義眼と言う物がある。
学園都市の中でも特に進んだ威力技術の賜物で、視力を再現する事まで可能とした偽者の瞳である。

しかし技術自体は進んでもそれを人へと施すのは人間だ。
電子義眼の技術自体は既に完成に近いそれへと至っているが、人間の視神経とソレを繋げる技術が人にはまだ備わっていないのである。
故に電子義眼を移植する手術は医者の中でも最高峰に近い難易度と謳われ、一部の天才的な医者のみに許された神業。

そんな天蓋の域に達している超技術を、よりによって医者でも何でもないこの女がいとも簡単に成し遂げたのである。
もちろんその事実は隠した。これが知れればどう考えても無駄な騒ぎが起こるしな。

「いや、どうと言う事は無いんだが…松井の件で君にも借りを作ったなと思ってね」

「え、仮だなんてそんな…。私だって弓削ちゃんを助けたかったんですから」

そう言うと思ったが、それではボクが困るという物。
助けられたならば対価を。借りには同じだけの貸しを。それがボクの美学だ。

「何か欲しいものを考えておきたまえ。…君の趣味はボクには分からないし、君から聞いた方が早い」

「人臣さん…。分かりました!とっておきのを考えておきます!えへへ」

なぜそんなにも嬉しそうなのやら…理解に苦しむね、全く。
そんな事を言いつつ、浮かぶ表情が無ではなく呆れの表情である事に気づいて、ボクも毒された物だと思う。

…いや、何となく察しはついているんだけどね。
多分、此処での…この『世界』でのボクは真実ではない事を。
どうにもここは随分と気楽な場所で、気楽な雰囲気で、気楽が許されるルールなのだ。

言い換えれば、伏線だのフラグだのお約束だのが成り立たないとも言う。
ここではどんな振る舞いも許されるし、つまりはここでしか許されない振る舞いがある。

(気楽で、平和で、優しげで、白いボクなんてその最たる物だろう…物好きな神様(書き手)が居たものだな)

こういう世界は誰かが願ったからこそ存在しうる物で、そしてその願った誰かの願いをこれまた誰かが気まぐれにも叶えたから存在する。
…多分、いつぞやの番が話した都市伝説とやらもその片鱗なのだろう。

「まぁ、いい。こんな気楽なのも新鮮でいいさ。一つ目の邪神とやら、君の願いに沿ってあげるさ」

『…………………(そいつはどうも。そこの馬鹿の事、どうかよろしくね)』


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

―――という訳で、四方の個室の前。

「四方、居るかい?…いや、居ない訳が無いか」

『はいはーい。今、着替え中だから待っ………てなくてもいいか。どうぞー』

返事が返ってきたのでドアを開ける。
宣言通り着替え中だった様で、上はTシャツの下はパンツ一枚と言うラフな格好だ。
男には見せられないだろうが、同性のボク相手なら気にしなくて良いと言う魂胆だ。無論、気にしない。

「それで?何か用?…またあの痛い奴やんの?」

「いや、今日はそういうのじゃない。…四方、何か欲しい物はあるか?」

…いや、あまりにも不躾すぎたな。不躾と言うか、唐突?
それと言うのも、四方が『痛い奴』と言う言葉を使ったときに言い知れぬ感覚に襲われたからである。
いやめて、何故ボクがこの子に罪悪感なんぞ感じなければならんのだ。

この子を所謂、痛い奴と呼ばれる仕打ちに遭わせているのはボクだしな。
当事者と言うか犯人が罪悪感を感じるって、どう考えても色々と駄目な奴じゃないか。

「え?欲しい物?………あ、この前の「対価」って事だね」

「察しが良い様で何より。それで?ボクのセンスで選ぶと大惨事にしかならないからな」

言えてる…のかな?と疑問顔になる四方を眺めてみる。
言葉にはしないが、成長につれてどんどんと見覚えのある顔になっていくな…。

誰の事かって?そりゃあこの物語の冒頭に出会ったあの良く分からん女だよ。
確かヨツバとか言う名前の女。もう今更、何と言うか分かりきった話だが、四方は十中八九あの女の娘だろう。

見た目今現在の四方と余り変わらん様な見た目年齢をしていたが、恐らく彼女は成人女性。
あの時点でそうと言う事は、今現在30歳に近いくらい…年代的にも丁度良かろう。

「そうだなぁ…パーカーとか?ネコミミの奴!」

予想していたとは言え、また猫か…

「…キミは、どうしてそこまで猫に拘る?いや、好きなのは分かっているからその理由についてだ」

どうしてそこまで猫に拘るのか、気にならない訳じゃない。
そもそもボクの研究に関係する事でもあるのだ…いや、猫じゃなくて。
本人の趣味嗜好に関しても、心の壁を崩すには重要な事項なのだ。…言い訳に聞こえないか、これ?

「えとね…んん…説明し難いんだけど…。私、此処に来る前の記憶は無いんだよね」

「まぁ、君が此処に来たのは随分小さい頃だったから無理も無いが…」

続けて四方は思い出すように何かを頭の中でかき混ぜながら語る。
いや、正しくは思い出す様にでは無く、思い出すかのような仕草をしている、だな。
多分彼女には思い出すべき記憶が無いのだ。要するに、この子には施設以前の「思い出」が無い。

「でも、覚えてないけど…夢の中で見る時があって…覚えてるんじゃなくて、何というか…」

「なるほど、意識的に思い出す事は不可能だが夢で整理される程度の深さにはその「記憶もどき」がある訳だ」

そうそう、そんな感じ、と同意を示す四方。
夢の中でしか思い出せない、否、夢の中でしか認識できない記憶と言うのは珍しくない。

「その夢の中で、私にそっくりな人が前を歩いてて…その人が―――ネコミミだったの」

「…ん?すまない、もしかして途中を訊き飛ばしたか?」

話が繋がっていない。―――の部分にボクが聞き逃した何かが詰まっていたに違いない。
でなければその会話にいきなりネコミミが登場する筈が…いやでも、うん、何と言うか。

「いや、聞き飛ばしてないと思うよ?…訊き飛ばす?いや、そうじゃなくてネコミミみたいな髪型だったんだよ」

「それを先に言え。何で君の夢の中で謎の人物がネコミミを着用しているのか焦っただろう」

答えどころか求める道筋すら分からない問題に答えろというのは科学者相手には酷だ。
色んな意味で無理ゲーである。先日、暇つぶしに番から借りた(やらされた)ゲームくらい無理ゲーだ。

「あー、あとね。私が始めてここに来たときの車の中で猫を見たんだよ」

「ボクの車か?……ああ、そういえばあったな。猫のクッション」

確かアレは…何で買ったんだっけ?
思い出せない…番がらみだった様なそうじゃ無かったような…。

「まぁ、猫好きのきっかけはそれかな。と言うか、選択肢がそれ一つだったというか」

「猫しか知らなかった、という訳だな。まぁ現状の君を見る限り他に選択肢があっても猫好きになってだろうけどね」

見る限りに通常の趣味嗜好と言うには度が過ぎたレベルで猫に傾倒している。
…本物の猫に触れた事が無いのが救いか。本物に触れたら後戻りが効かなくなりそうだな、この子。

「ともかく、ネコミミつきのパーカーが良いんだね?」

「いえす!センスは任せます!色とかはお好みで!」

いや、最初にボクのセンスに任せたら大惨事になると言っただろう。
ぐぬぬ…こうなったら事故覚悟で自分のセンスを披露するしか無いのか…。

「あー、最初に言っておくけど別にセンスを求めたりしてないからね?人臣のくれたのなら何でも嬉しいよ?」

「そう言ってもらえると気が楽…って、ボクのセンスを知らない癖に気を遣うな」

子供に気を遣われると色んな意味で死にたくなる。
いや、気を遣ってる自覚は全く無いだろうけど。そこら辺少し妙だよな、この子。

「ま、楽しみにしてますよー、なんて。それじゃあよろしくねん、人臣」

「はいはい。…それと、今更だがシャツに穴が空いているぞ」

げっ、と言う女の子らしくない声を背中に受けながらボクは部屋を後にする。
ま、貴重な意見をありがとうって事で…多分、番の方のも似た様なチョイスで良いか。

「……あ、指摘した所で結局代わりのシャツを買うのはボクじゃないか」

…ああ、何と言うか周りに限らずボクの頭の中まで騒がしい…


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「という訳で、お約束の品だ。特殊素材で作られていて銃弾すら受け止める代物だ」

「防弾仕様って…。センスが大惨事ってそういう意味…いや、デザインは良いだけに何とも」

その日を境に、四方はネコミミつきのフードを愛用するようになった。
それと四方の提案で、襲撃時に暴徒への対処に尽力した子供たち(吉永や松井など)にもお返しをという話になり…

「四方、あとコレを他の皆に渡しておいてくれるかい?」

「ん…?プレゼントと、リスト?他の子にもあげるのなら自分であげれば良いのに」

それは何と言うかバツが悪いだろう。四方や松井の様に皆が皆、ボクと会話を試みてくれる訳では無いのだ。
そういう意味ではボクを警戒しつつも会話をしてくれる吉永はある意味で大物なのかもしれない。

とりあえずそんな訳で、ボクから今回の功労者への報酬は四方を通して渡す事になった。
これは番の意見であり、改めて考えてみると中々に優れたアイデアだろう。

そこら辺の相手への気遣いは苦手とするボクだ。ヘタに被験者の子供たちの精神を逆撫でしてしまう事は確実だ。
当たり前の話だがボクは被験者に対し苦痛を伴う実験を行う立場な訳で、当たり前の話だが大抵の被験者はボクを恨んでいる。

…否、四方や松井や吉永とてボクを恨んでいない訳では無いだろう。
単にこの三人はどこか感覚がずれていて、恨みと態度が直結していない節があるだけだ。

「ふぅん…。まぁ、理由は分かるけど…分かった。私から渡しておくね」

「頼む。少なくとも君か松井でないと頼めそうにないからね」

四方の場合は前者の「恨みがある」と言う前提が、態度からは凄まじく察し難いのだが…。
しかしその外見的、印象的事実から感じる印象に対して彼女の恨みはとても分かりやすい。

なにせ何の捻りも無く言葉にしてしまうからであり、本人も全く歯に衣着せる気が無い為である。

『ほんとに人臣は人の嫌がる事を楽しそうにやるよねぇ。状況が違えば確実に殺されてるよ、私に』

そんなセリフを真顔で放つ辺り何処か狂っている。
対して同じ様にボクにフランクに接する松井なのだが…

『いや…自分が恨まれてるって分かっててそんな感じなんですよね?…そっか。なら私は大丈夫です』

と言うセリフを切っ掛けに、ボクに対する態度が軟化したと言う事実がある。
それまでは恨みの篭った目線を向けてくる事もあったくらいには、素直に恨まれていたのだけど…

『貴女がそんな調子なのにこっちだけ邪険にするなんて疲れちゃいますし…』

と言う凄まじく人間らしい理由でボクへの態度を変化させたのである。
状況に適応する力、実に人間的で素晴らしい事だ。…マッドサイエンティストのボクらしからぬ発言だな…。

それはさておいて、ボクが渡したプレゼントとその渡し先リストを受け取った四方。
その四方から後に受けた、受け渡し時の様子の報告が此方だ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「はい、芙由子にあげるね。これ…似合うかな?」

「髪留…ですか。ええと、ありがとう?…今度から着けてみる…」

松井に対しての場合とは違い、四方に対する時は敬語なのか…。
そこらへんに距離と言うか壁を感じるな。…そういえば、吉永が四方を見る目に違和感を感じた事があったな…。

あれは警戒とか、居心地の悪さとか言うよりもどちらかと言えば……嫉妬?
果たして彼女が何に嫉妬しているのか、それを調べる必要がありそうだ。

さて次は…松井である。彼女はどんな反応をしたかと言うと…

「という訳で、弓削ちゃんにはコレね。アイマスクだよー。寝るときにでもどうぞ」

「おおー!良い趣味してるよー!是非是非使わせて貰うねー」

ふむ、中々どうして松井は人間らしい反応だ。
感謝を分かりやすく伝える事ができるのは素晴らしい事だろうさ。

…いや、まて。ナチュラルに流しそうになったが四方の奴、さりげなくあくどい事を…。
こんな時に自分の好感度稼ぎに走るとはとんでもない奴である。

「良い趣味だなんて、褒めたって何も出ないよー」

何がって、そのプレゼントはボクが四方に「代理」を頼んだだけである。そう、買ったのも選んだのもボクだ。

しかし彼女の会話を見てみよう。まるでこれでは四方が皆にプレゼントをしているようではないか。
もしこれを天然じゃく、わざとやってるんだとしたらとんだ悪女だぞ、アイツ…。

あいつの教育係に番を選んだのは間違いだったか。
…ん?四方の教育係はボクじゃないかって?なんだそれは、まるでボクが性悪のようではないか。

「いや、人臣は性悪でしょ。…性悪って言うか、最悪?ある意味で、災厄?」

「言葉遊びでボクをなじるな。そんな三段活用は求めてない」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

…閑話

「それは確かなのかい?」

『ええ、誤りはありません。学園都市とヨツバさんに直接の繋がりは存在しません』

「ふむ…予想はしていたけど…。直接以外の繋がりならあると?」

『はい。余り話しすぎる訳にはいかないんですが…ヨツバさんと学園都市の理事長にはある共通した「肩書」があるんです』

「珍しく言葉を濁すな?そこまで危ない情報なのかい?」

『情報を知る事よりも、情報そのものが危険って意味です。特に、人臣さんは「科学側」ですから…』

「…なるほど…。それ以上言わなくて良い。「毒」の話はボクも聞いた事があるしね」

『存在そのものを論じるのはセーフでしょうけど…ヨツバさんの情報となると「中身」にまで及ぶので』

「分かった。引き続き調査をお願いしても構わないかな?」

『問題はありません。人臣さんの身に危険が迫るような事はしないよう心がけますけど…』

「どうしたって限界はあるだろう。多少は自分で対処するさ」


―――毒、肩書、アレイスター。その断片が示す情報は明らかだ。
今まで「そちら」に縁は無く、これからも関わる事は無いだろうと踏んでいたのだが…。


「まぁ、いいさ。ボクの愉しみを奪うつもりなら容赦しない―――魔術師どもめ」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ともかく今回の件以後、施設に居る子供たちの一部の装いが変わったとか何とか。
その最たる物は番だろう。なにせ…

「あっ、視歩ちゃん!どうー、このコスプレ!似合ってる?」

「おー。ブリジット?そのヨーヨー良く出来てるねー」

…あれだからな。いや、確かに喜んでいるから良いんだけどさ…。
人への贈り物のチョイスとしてコスプレ衣装と言うのはどうなのだろう。
いや、番自身が欲しいという物をあげたのだから文句言われる筋合いも無いんだが。

そしてそのコスチュームの主は女の子に見えるが実は男だと言う事を分かって着ているのだろうか…。
いや、ボクが知っているオタク知識を奴が知らない訳も無いか。

「人臣さんもコスプレすればいいのにねー」

「じゃあじゃあ、アンジェリアとかは?アルカナハートの!」

って、また怪しい会話を!と言うかアルカナハートのアンジェと言ったか今。
それYシャツ一枚じゃないか!コスプレでも何でも無いし!
あいつらは一体ボクを何だと思っているんだ…いやまぁ確かに見た目的には適任かもしれんが。

…不意に自分の格好を見て、白衣姿の自分がまるで何かのコスプレにでも見えてくる錯覚を覚え、露骨に落胆。
番のオタク趣味に自分が順調に毒されている事実を再確認し、とりあえず番へのお仕置きを脳内スケジュールに加えておいた。

「おー!じゃあ今度までに用意を…って、別に用意するまでも無くYシャツ一枚で十分だね」

「Yシャツ一枚…そういえば人臣の肌って殆ど見た事無いかも」

って、おいおい。何だか話がまた妙な方向に向いてないか?
そもそもYシャツ一枚のコスプレとは到底言えない痴女衣装を本当にボクにさせる気かこいつら。

肌を見た事が無い…って、そりゃあ彼女らの前で着替えをした事なんて無いから当たり前だろう。
住居としての機能も備えたこの研究所にはシャワーや風呂も設備として設置されてはいるが…。

「そういえば他の女の職員さんとはシャワー室で会いますけど、人臣さんとは会いませんね」

「そりゃあ、ボクの部屋には個別にシャワーが設置されているからね」

えーずるい、等と喚いているがボクはここの責任者なんだから平の研究員と同列に語られても困る。
別に他の職業と違ってリーダーが威厳を発揮して指揮を執る類の仕事では無いとは言え、あまり馴れ合うのもなぁ。

…まぁそれに。シャワー室で出会うと言う事は、つまり裸という訳で。
それは同時にボクの裸を見られると言う事。ここで唐突にボクの身体的特徴について述べておくとだ。

ボクの実年齢は今年で23歳だ。それに対して身長は……まぁ、122cmと言う事で。
お察しの通りボクの体は成長を忘れたかのごとく15年前から殆ど変化していない。
驚くべき事に外見だけの話では無く、そもそも身体年齢自体が停滞しているらしいのだ。

無論、ボクの外見は人から見れば小学生の、それも低学年にしか見えない訳で。
身体的データを数値で表すなら…上から59cm…45cm…って、スリーサイズを公開してどうするボク。

そんな体で研究員の中に混じれば嫌でも目立つし、そもそも裸だと本気で幼児と相違点が無いのである。
普段は白衣なりなんなりで研究者っぽさを演出できるけども、それを剥がされると最早威厳も何も無い。
そういう姿を部下に見られるのは勘弁願いたいと言う理由である。

「えー、いいじゃないですかー。一緒にシャワー浴びましょうよー」

「キミはボクの何なんだ一体………断る。キミに裸を見られるなど断じて御免だ」

ええー、と不満顔の番を放っておいてボクは部屋を後にした。
これ以上此処に居ると面倒な話題に本格的に巻き込まれそうだからだ。

…しかしここで考えるべきだったのだ、ボクは。
この番と言う女がそう易々と引き下がる奴ではないと言う事を。
悪巧みに関しては普段以上の手腕を発揮する事もボクは十分知っていたにも関わらずだ。

…そう考えるとボクの方に落ち度があったかのような言い草だが、もちろん悪いのは番の方である。
これはボクが去った後、残った二人が交わした言葉である。ボクがそれを聞く事は無かったが…

「ふっふっふっー。いい事考え付きました。この方法で人臣さんの裸体をこの目に…!」

「…番、すごく悪い顔してるよ…。放送できない顔に…」

この会話をもしボクが聞いてたら速やかに研究所を離れただろうな、うん。
そしてこの番の考えた「いい事」と言うのが本当に碌な物では無かった事は、言うまでも無いだろう…。

はぁ、モノローグですら騒がしい…


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ん…?何だ、お湯が出ない…。全く、こんな時に故障だなんて…」

一週間ほどの間を挟んで、ボクは一つのピンチに陥る事になる。
その日もシャワーを浴びる為に脱衣所で服を脱ぎ、それを籠に入れてシャワールームに入る。
しかしそこで問題が起きた。

お湯を浴びる為に蛇口を捻るが、一向に湯が出てくる気配が無い。
というか湯どころか水が出てこない。…完全に故障だな…。

「仕方ない…。浴びてる最中に水に変わるよりマシか…」

そう言って脱衣所へ戻った所で異変に気づく。
…さっき脱いだはずの服が無い…。白衣に限らず、下着まで含めて全てだ。

「…おいおい、これはまさか…」

一瞬で悪巧みをする番の顔が思い浮かんだが、もしボクの予想通りなら洒落にならんぞコレは。
アイツの事だ。持っていかれたのはこの服だけではなく…

「やっぱり…!番の奴、服全部持っていったな…!」

ボクの部屋から、凡そ服と呼べる物すべてが持ち出されていた。
白衣から下着まで全て、そう全部である。…無駄に手が込んでやがる。

というかこの短時間でどうやって全部を持ち出したんだアイツは!?
こういう時に限ってよく分からない手際のよさを発揮しやがって!普段からもうちょい頑張れ!

「さて、それは兎も角。これからどうするかだな…」

いつまでも裸のままでいる訳にはいくまい。
最悪、研究室の中なら裸でも構わないが…このままでは外に出る事ができない。

…裸?ああ、そうかこの前のはコレの前フリか!
アイツ、ボクの裸が見たいが為にここまでしたのか……怒りを通り過ぎて呆れてきたぞ…。

「となると、ここで待ってれば元凶がノコノコやってくるはず………ん?」

そこで目に入ったのはこの部屋には無いはずの物だった。
それが何かと言えば…

―――――Yシャツ一枚と、ぬいぐるみだった。

(そっちも前フリだったのか!?と言うか、コレを着ろと!?)

しかしこの部屋に凡そ着衣できる物はソレしかなく…。
重ねて言うならば、コレに従わない限り自体は全く進む気がしないという確信めいた予感がひしひしと感じられる。
となれば取るべきは…


―――――30秒後…(袖を通すのに躊躇した時間)


「ぐっ…この屈辱…!というか、風邪でも引いたらどうする気だアイツ」

薄着オブ薄着と言ってもいい格好(誤解を恐れずに言うならば裸Yシャツ)は、少しばかり肌寒い。
無論、研究所内は暖房が効いているがそれでもだ。

「しかし…我ながら犯罪臭しかしないな…。完全に幼女じゃないか」

自分で言ってみて凄まじく鬱りそうな事実だが、否定する材料がまるで無い。
年端もいかない幼女にこんな格好をさせた奴は、他の事情すべてをすっ飛ばして即ギルティだろう。

…まぁ、年端もいかないとは言えないボクだが、番がギルティなのは変わりない。

「さて、不本意だがあの馬鹿の元に向かわないと。…この格好でか。想像以上にきついものがあるな」

という訳で決心が鈍らない内に部屋を出た。
まぁ、今日は他の研究員は殆ど出払っている上に残った一部の奴もこの棟には残っていない。
番がそこら辺を配慮したかは知らないが、そこは心配の必要は無い様だ。

「いや、それにしたってこの格好は…」

早々に服を取り戻さねばなるまい、と焦れば焦るほど番の手の内に嵌る。
ここは悠々とした態度で彼女の元まで辿り着かなくては。

…一体何のゲームの導入なんだか。出来が悪いにも程がある。

「と、こういう時に限って人の気配…。さて、鬼が出るか蛇が出るか」

正直、研究委員の誰かと言うのは勘弁願いたい。
こんな姿を目撃されたらこれからの身の振り方を考えざるを得ないじゃないか。

…もちろん、目撃した側の処遇をである。
基本的にボクの発想とアイデアは自分中心、自己中心、唯我独尊から生まれる。

「あ、人臣だ。何してるの?」

…ある意味では助かったと言うか、幸いだった。
角から顔を出したのは研究員ではなく、被験者の子供。

その中でもボクに関してかなりフランクに接してくる事に定評のある「松井弓削」である。
彼女がいると言う事は…まぁ、当然の如くその後ろには「吉永芙由子」もいる訳で。

「…どうしたの、その格好…?あ、もしかして寝起きのまま出てきちゃったの…?」

「いや、例え寝起きでもこの格好で歩いたりはしないだろう…」

しかしボクのこの発言に対して不思議そうに首を傾げる吉永。
そしてゆっくりと腕を上げて指を指す。…隣の松井に向けてだ。

「え?なにそれ、何でそこで松井を指差すんだい?」

「だって…弓削ってば寝る時はそんな格好だし…寝ぼけてそのまま出歩くし」

こんなどうでも良いお話でそんな設定を明かさないでくれよ…。
と言うかこの子、そんな事してたのか…ボクが言うのもなんだがもう少し人目を気にしてだな…。

「あ~、私って朝弱いからさー。芙由子の布団に潜り込んだりさー」

「冬は暖かいから良いけど…夏とか暑苦しいよ…」

なにこの子達…何でボクが羞恥露出プレイ(強制)させられている時に目の前で百合百合してるのやら…。
いや、確かにこの二人が親友と呼んで差し支えない間柄なのは知っているんだけどね。

確か二人は四方とも交流がある筈だ。
特に吉永の方は四方ともかなり仲が良かった筈だし…その割りに吉永は時折、四方を複雑な心境で見ているようだが。

彼女が感じる事は分からなくも無い。
実験の成果で言うならば吉永や松井、この両名は優秀な成績を上げている。

恐らくは最終工程まで残るであろう…が、それが霞んでしまうほどに優秀な過程を刻んでいる者がいる。
言うまでも無く「四方視歩」の事であり、その適正は他の追随を許さない。

(この二人も決して悪くないのだが…特に吉永は相当な才能を抱えているし。でも…)

如何せん吉永は精神面に問題があると言わざるを得ない。
素質は十分だが、心に問題を抱えている事実はボクの目指す物へ至るのに障害となる。

その点、松井は精神面に於いては問題は無い。
だが逆に彼女の場合は身体的な素養がイマイチと言うか、及第点の域を出ないのだ。

(ままならない物だな…。四方は両方を備えていると言えるが…あの子も何処かオカシイしな)

「芙由子ったら肌スベスベなんだもん。羨ましいったらないよ~」

確かに傍目から見ても吉永は色白で、美肌と言って差し支えの無い肌質をしている様だ。
特に手入れをしている訳では無いだろうに…いや、分からないな。また番が余計な事をしている可能性が…

「え?確かに置いてあるシャンプーとかボディーソープとかは番ちゃんが選んでるらしいけど…」

「アイツ、最早経費の無駄遣いを自重する気がまるで無いな…」

そういえばその言う消費品の補充はアイツに一任していたっけ。
…経費で落ちるか、これ?と言うか、ボクも気にせずソレを使ってたな。何故か負けた気分だ。

「そういえば…人臣さんも意外と…」

「な、何だ松井…怪しい笑顔でにじり寄ってくるな…!」

がばぁっと飛びつかれるように肉薄され、何をされるかと思えば抱きつかれる。
…本来なら被験者の子ども達がボクを害そうとした際に、それを阻むための対策を用いるべき状況なのかも知れない。

知れないっていうか、普通なら被験者に飛び掛られるなんて問答無用で反撃すべきだろう。
しかしここまで平和なノリで行われた行動とあってはそんな反応が正しいとは思えない。
つくづく場のノリとか、雰囲気とか、お約束って言うのは恐ろしいものだと実感。

「おお、これは中々…肌スベスベ~っていうか、本当に人臣さんちっちゃいですね~」

「身長…120cm位しかないよね…?そんな格好してるから、ますます子どもっぽいと言うか…」

いつの間にか吉永も近寄ってきて、勝手にボクの頭を撫でたりしている。
幾ら抵抗しなかったとは言え、好き勝手に触りすぎだコイツら!

「むぐぐっ、いい加減に離せっ…!と言うか頭を撫でるな子ども扱いするな変な所を触るなー!」

段々手つきが怪しくなってきたぞ、この松井!
百合の気があるのはコイツの方かっ。吉永の助けを期待するしか…!

「………なんか、こうやって頭をナデナデするの…良いかも…妹が出来たみたい…」

「こっちはこっちで新しい自分を開拓するなぁぁぁっ!!」

幾ら閉鎖的環境下とは言え、こうも妙な性癖に目覚める必要は無いだろうに。
四方も四方で異常なまでの猫好きだったりするし…百合に、シスコンに、ケモナーとか業が深過ぎる…っ。

「暴れないで下さいっ!服が脱がし難いじゃないですかっ!」

「そもそも脱がす程、服を着てないだろ!ってそう言う問題じゃないだろぉぉぉっ!!」


研究所内に、ボクの断末魔が響き渡った…。
いや、死んでは無いけどね?


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「酷い目に遭った…今日は厄日だな…」

松井から命からがら逃げ出し、その追跡を撒く事に成功したボクは一息ついていた。
あのままあそこに留まっていたら何か大事なものを失くしそうな気がした故の全力離脱である。

ここまで本気で運動したのは数年ぶりの事だ。
人間、必要に迫られれば大抵の事が出来ると言ういい例だな。

「さて、無我夢中で走ってきたが…ここは…」

辺りを見渡すと、一番最初に目に入ったのは脱衣所だった。
脱衣所があると言う事は十中八九お風呂場だろう。

この研究所の風呂場は、被験者用の物と研究者用の二つがあるが、そのどちらも共用スペースとなっている。
湯船もあるが基本は皆、シャワーで済ませることが多いのだとか。

一部の研究者(番とか)は湯船に拘っているとか何とか聞くが、正直ガスと水道の無駄な気しかしない。
そして現在地は被験者用の風呂スペースの様で、中は静まり返って……ん?

「人の気配がするな…こんな時間から誰かが入ってるのか?」

疑問に思って中へ入ると、脱衣所にあったのは見覚えのある姿だった。
と言うか四方だった。それも服を脱いだところだったらしく、素っ裸である。

「あ、人臣だ。…その格好、人臣もお風呂に入りに来たの?」

「いや、そういう訳じゃないが…。君こそこんな時間にどうしたんだ?」

現在の時刻は昼過ぎ辺りだ。風呂に入るには少々時間はずれと言うべきだろう。
ボクの問いに対して四方はあはは、と笑いながら一言

「汗かいちゃって。気持ち悪いから汗を流そうと思ったの」

「汗をかく様な事をしたのかい?運動を禁止している訳では無いから咎めるつもりじゃないが」

えーと、言って良いんだっけ?とか首を傾げている四方に何やら薄ら寒い予感を感じる。
このタイミングで一仕事終えたぜって顔をしている四方が、一体どんな行動で汗をかいたのか。

…いや、まさかとは思うが。

「番に頼まれてね、人臣の部屋にある洗濯物を全部持ってきてって。しかも出来るだけ迅速にってさ」

能力まで使ったら疲れちゃった、と四方。…実行犯はこいつだったのか…。
通りで番がするには物理的に不可能なレベルの早業だった訳だ。この子の風使いならば、一度ですべての服を持っていくのも難しくあるまい。

「それで?ボクの服は何処に持っていたんだ?」

「ランドリールームだよ。今、洗濯ちゅー」

やはり洗濯されていたか…!これでは服を取り戻しても着れないじゃないか。
ここまで考えて四方を扱うとは、番の戦略スキルも中々侮れんな…努力の方向音痴だが、

「仕方ない…直接、番を叩くとしよう…」

「あ、それより…人臣も汗かいてるよ?丁度湯船にお湯張ったし、入ろうよ」

よりによってボクを風呂に誘うのか、この子は。
…汗をかいているのは確かだけど、一緒に入る必要なんて………

(断っても、聞かなそうだなぁ…この子。はぁ、仕方ない)

必要なんて、無い。無いけれどしかし、それだけではきっと無い。
何がボクの心を揺らしているのかなんて知らないまま、諦めに近い心境でボクは四方へと歩み寄り、こう言った。

「…汗をかいているのは確かだし、そもそもシャワーを浴びようとして水を差された訳だからね…分かった、そうしようか」

「あははっ。人臣とお風呂とか始めてだね」

そりゃそうだろう。ボクとキミは親子でも家族でも友達でも無いんだから―――と言おうとして、止まる。
さて、だとしたら彼女らはボクにとって何なのだろう。彼女らにとってボクは、何なのだろう。

普通に考えて被験者と研究者、だろうけども。何だかそれだけで終わらない、終われない因縁があるのも確かで。
よくよく考えてみればここまで長い期間、同じ人間と接し続ける生活は生まれて初めてでもあった。

(感傷…としか言い様が無いな…。だがそれでも確かにボクも絆されているらしい)

気づけばこうして被験者の子どもとお風呂なんぞに一緒する始末である。
最早、狂気のマッドサイエンティストなど形無しとしか言い様が無い。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「ふぅ…良いお湯だねぇ…」

「…何時の間にやら、君にまで身長を追い越されていたんだな」

四方だって決して背は高くなく、小柄と言っても差し支えの無い体型だ。
しかしそれでもボクの身長を追い越して尚余りある体躯は、時間の流れを感じさせる。

ボクの体は時間の流れを忘れたかのように昔からこのままだし…。

「人臣ってさぁ…会った時から全然変わってないよね、見た目」

「まぁ、確かにね…。多分死ぬまでこんな感じだよ、ボクは」

今更、停滞した体の成長が始まっても却って迷惑とも言える。
この小さい体に愛着があるとまでは言わないけど、この形が一番慣れている。

今更体が大きくなった所で逆に行動に支障が出てしまうだろう。

「私は…そのままで良いと思うけどね。ちっちゃくて可愛いし」

「君まで松井みたいな事を…」

ああ、弓削ちゃん女の子好きだもんね、と笑っているあたり松井の趣味は周知の事実らしい。
すっ…とボクの肩に手が置かれる。そちらを確かめるまでも無く、その手は四方の物だと分かる。

すっ、すすっ…と探るような手つきがくすぐったいが、特に咎めない。
一通り感触を楽しんだかの様に手を離すと、なにやらおかしそうにクスクスと笑う姿を見て、思い出した事がある。

(ああ、この子の笑い方は…そうだ、あの時「ヨツバ」と名乗ったあの女に似ている)

この子はあの女の事を覚えてはいないだろうが、それでも通ずるものはあると言う事だろう。
今になって分かる事だが「見定める」だの「託す」だの言っていたのは、四方の事を言っていたのだろう。
自らの娘を託すべき相手を見定めていた…と取るのが普通だろう。

(しかし何故あの女はボクにこの子を預ける様な真似を…?わざわざ託す相手を探している辺り無関心という訳では無さそうだが…)

「ふふふっ、意外と肌スベスベだね。不健康そうなのに…」

「特に気を遣っている気は無いんだけどね…番の奴が色々と世話を焼くんだ」

アイツと会ってからそんな事ばっかりな気がするな…。
そう言えば、番と四方は良く一緒に居る事が多いけど…この子は奴の事をどう思っているんだろう?

「番の事?面白い人だよねー、何か此処に似つかわしく無いくらい明るい人」

「能天気とも言う…確かに似つかわしくは無いかもしれないけど、奴も確かにこちら側の人間なんだよ」

そう、番は能天気で明るく、平和で無邪気で…確かにそこだけ聞けば学園都市の闇になど全く関わらない様な奴だ。
でも彼女自身の問題と言うよりは世間が、その目が彼女を表舞台から突き落としたと言える。

以前も説明したように彼女は埒外と言っても良いほどの医療の技術を有している。
学園都市には「冥土返し」と呼ばれる医師が存在すると聞くが…才能を持つ人すべてが彼の様に名を馳せるとは限らない。

否、優れた才能を持つ人物は得てして周りから排除されるのが世の中だ。
同じ理由で番はこちら側へ落ちてきた訳だし、現にボクの助手として拾われてなければどうなっていた事やら。

「…やっぱり番の事を助けたのも、人臣なんだねぇ。なんていうか…やっぱり、人臣は矛盾してるというか」

何やらブツブツ言っている四方だが、その内容は聞き取れない。
どうにも何かを悩んでいる様子…悩んでいるというより何かを躊躇している感じか。

「うーん、人臣ってさ。恋愛とかした事ある?」

「何を急に言い出すかと思えば…。逆にボクが恋愛に現を抜かすような人間に見えるのかい?」

まぁ、とは言えボクの両親は恋愛結婚だったと聞くし、全く無縁ではないのかもしれない。
少なくともこの血には恋愛が出来る何かが含まれている様だし、将来的には………いや、やっぱり無いな。

「…何だ、好きな男でも出来たのかい?」

「あはは、だとしたら祝福してくれるの?」

…また妙な質問を。それをボクに聞いてどうすると言うのだ。

さて、しかしどうだろう。もちろんボクのしている研究を考えれば感情の昂ぶりを生む恋愛は歓迎すべき事でもある。
しかし、しかしだ。どうにもボクの口はそれで終わる事を良しとせず、余計な事を言おうとしている様で…

「……碌でも無い奴相手なら…祝福は出来ないな」

ん?いやいや、ボクは何を口走っているんだ!?
これじゃあまるで娘の彼氏を値踏みしている親のようでは無いか。
…状況的には語弊が無いもんだから、余計性質が悪いな。

「―――――くっ…ふふっ、あははははっ!何それ、まるでお母さんみたいな事言ってる!」

「……うるさいな。ボクは唯、碌でもない男が嫌いなだけだよ」

全く、調子が狂うったら無いな。
もはや此処までくればボクが四方を多少なりとも特別視している事を認めざるを得ない。
おもちゃとしてか、被験者としてか、はてさて…。

「ま、悪い気はしない…っていうか、意外と嬉しいかも。ちなみに好きな男なんて居ないよん、お母さん♪」

「何だそれは…と言うか居ないのか。無駄に焦っ…いや焦っては無いが。あとお母さん言うな」

いかんいかん、無駄に狼狽している。四方にペースを掴まれる等あってはならない事だ。
とはいえ流石のボクもお母さんなどと呼ばれては平常心で居るのは難しいという物だ。

何せそんな経験無かったしな…初めての事と言うのは幾つになっても慣れないもんだ。
まぁ、慣れないからこそ人生に楽しみがあるとも言えるが…何ともね。

「くくっ…慌て過ぎ…っ。あー、お腹痛いっ、人臣ってばそんなかわいい所見せられたら恨むに恨めないよー」

「大人をからかうんじゃない…ったく。そんな曖昧な理由で恨みを薄めてたら世話無いぞ、ほんとに」

この時点では知る由も無いが、将来的にも四方は今のセリフを言う事になる。
最もその相手はボクじゃなく彼女の親友となる、とある紅い少女に向けてなのだが。

要するにこの子は恨みや怒りを些細な事で忘れてしまう性質なのだ。
彼女のそんな性格が無ければ、ここでのこんな会話も生まれず…ボクや四方が辿る物語ももう少し違う形になって居た事だろう。

…と、そんな事を考えながら四方との風呂を過ごしていた…のだが。
そういえばボクには四方について考えなくてはならない事があったのだった。

「そういえばさ、人…お母さん。私のアレ…戦闘訓練って何時まで続けるの?」

「わざわざ言い直してまでお母さんと呼ぶな。…まぁ、それについては少し考えているんだ」

ふぅん…とあまり気にした様子も無い四方。そもそも彼女は戦闘訓練自体は乗り気だったしな。
ただし理由を告げていないから、何の為の訓練なのか疑問を持ったのだろう。

そして考えている事と言うのはもちろん、四方を徴兵から逃すための手段である。
学園都市の上層部に都合よく扱われる兵士になどして堪る物か、と思っているのは良いのだが…。

(具体的な方法といわれてもさっぱりだな…)

出来れば手元に置いたまま、徴兵を無かったことにしたいのだが…。
どうにもそれは無理そうだと言う事がここしばらくの調査で判明した次第だ。

となれば残された道は一つ。ボクが彼女を手元から放棄すること。
しかしそんな事をすればボクが彼女を研究することが出来なくなると、頭から排除していた案だったのだ。

でも、今の四方の様子を見ると…

(例え彼女がここを離れたとしても、この様子なら改めてコンタクトをとる事が出来るんじゃないか…?)

仮に四方がボクの監視下を一時外れたとしても、改めて関わりをもてるなら大した問題じゃない。
そもそもボクの進める研究を考えれば彼女がその一生を施設内だけで終えるより、外に出て様々な経験を積む方が余程良い。

一番重要な「他人との関わり」という要素も施設内より余程、達成しやすい。
賭ける可能性としては十分過ぎる…いや、むしろそれしか無いまである。

「四方、君に聞きたいんだが…もしここを出る事が出来たら何をしたい?」

「また突拍子も無い質問ね、それ。…そうだなぁ…色んな人と知り合いたいかな」

ふむ…やはりコミュニケーション能力自体は高いと見える。
この様子なら施設の外へ出てもそれなりにうまく交友関係を広げる事だろう。

「そうか…まぁ、聞いてみただけなんだけど」

「いやいや、怪しすぎるでしょその質問。なに、私に関しての話なの?」

察しが良いのは良いことばかりでは…いや、今のは質問があまりに露骨過ぎたか。
しかし四方に気取られたとはいえ此方から素直に話すという訳にいかないのも事実。

「いや、君は知らなくても良いことだ。…ボクが教えなくともいずれ分かる事だしね」

「ふぅん…。ま、いいけど。このままだと私、兵士にされちゃうんでしょ?それがどうにかなるって話なら嬉しいんだけど」

―――やっぱり察しが良過ぎるのは考え物だな…。
ボクは四方に何も告げていないし、幾ら番でもこんな重要な事を勝手に伝えるとは思いがたい。

彼女は自身でその事実に辿り着き、それを察したのだ。
その上でここまで気丈な態度を取れるのは計算外とも言える。

誰だって自分の未来が悲惨な物であると分かった時には絶望する物。
彼女とて例外では無い。しかしそれを受けてどう受け止めるのか、どう立ち直るかは人による。
そこで問われるのがその個人の心の強さだとするのなら、四方は十分にソレを満たしていた。

そしてそんな心の強さこそがボクが求めた物、ボクが目指す道の先へ至る為の鍵だ。
…科学者としてどうかと思うほどロマンチストな事を言っている自覚はある。

もし仮にボクが現在取り掛かっているこの「暴走能力の意図的な発動」というテーマに隠された本当の目的を
学会に発表でもしようものなら、それを聞く全ての人物から冷笑を貰う事は想像に難くない。

唯でさえ「多重能力」に関わる研究は冷たい目を向けられ易い上に、ボクの理論は理論とは言えない様な不確かな物。
しかし超能力が人の心に関わる物である以上、確かな計算式なんてある筈が無いとボクは考えている。

ある筈が無いのだから試してみるしか道は無い。
そういう結論でボクはこんな研究に取り掛かって居るわけだし。

どちらにせよ綱渡りであると言うなら、どんな道を選ぶのにも躊躇は無い。
そんな事を考えた時、ボクは一つの方策を思いついた。

ボクの管理を外すという案を思い浮かべた時、最初に考えたのは「他所の研究へと移す」という物だった。
しかしそれは結局その場しのぎの時間稼ぎにしか成らない。
だがその時間稼ぎを何時までも続けられるなら?他所の研究所へ移すだけでは足が着く。
ならば足が着かないような、限りなく自由な立場へと彼女を置く事が出来たなら?

(表の世界へ、なんて言うのは不可能だけれど…彼女を外へ逃がすならば…)

例えその先が学園都市の闇だとしても、彼女が人と関わる事は研究の助けになる。
そして彼女が消息を絶ったのならば、徴兵もしようが無くなる。
彼女が逃げ出した後、改めてボクの方から彼女とコンタクトを取れば実験にも支障は無い。

…この方法ならば、いけるのでは無いか?
もちろんその場合、現在行われているこの実験を凍結し四方を追う「理由」を表向きなくしておく必要があるが。
その他の被験者を切り捨ててでも、ボクは四方に拘るべきか?

そこまでして彼女を助ける理由が、ボクにはあるのか?

「まぁ、君をむざむざ他人に渡す様な真似はしないつもりだけどね」

「あら頼もしい。なら期待して転機を待っておくとしますわー、なんちって。頼りにしてるよ、お母さん♪」

おどけて笑う彼女は相変わらず明るい限りで、それを見たボクは一つ思う。
彼女のこの性格を形作ったのは、恐らくは番であろう。

彼女の母親であろう、ボクが出会ったヨツバと言う女はここまで活発な性格では無かったし。
それにボクはこんな性格では無いし。となれば消去法で番の性格が影響を与えたのだと断定して問題ないだろう。

きっと研究所襲撃の折に、彼女が番や他の被験者を護ったのも番のお人よしを受け継いだからだろう。
それに本人も番の事を気に入っているように話していたし……そして、何よりも。

―――あの子を、助けてあげて下さい。

番のあの言葉。あの表情。そこから感じた、彼女の心。
…それはボクにとって理由に、なる。四方へと拘る理由ならあったのだ。

四方をオモチャと言ったボクだったけど、当の四方はボクの知らない所で(あるいは知ろうとしなかった所で)
「番の大切な物」へと自分の意味を昇華して見せた。…ならば既に、彼女は意味の、役割のある物なのだ。

ボクは今まで「置き去り」達を使って非道な実験を続けてきた。
何故わざわざ置き去りを材料に使う様な方法を取るのか、それは簡単だ。

…彼ら、彼女らには「意味」や「役割」が無いからだ。
親に捨てられた彼女らは放って置けば死ぬ身だ。既にその命に意味は無く、果たすべき役割すらない。

だからこそボクは彼らを「オモチャ」として壊してきたのだ。
でも今度は違った。…四方に限った話じゃなく、それは恐らく吉永や松井にも言える事。

…理由や役割を持った彼女らはもう、オモチャでは無いのかもしれない。
だとすれば最早悩む理由や躊躇は必要なかった。

(方法は決まったな。どうせ乗りかかった船…番にも最期まで付き合ってもらうさ)

四方視歩を施設から逃がし、徴兵を回避する。
そしてボクと番とで彼女を見守り、手助けし、その経過を観察する。
これがボクの選んだ答えだ。…我ながらとんでもないお人よしな案にしか思えないけれど。

…ふむ、何だか考え過ぎた頭が妙な音を立ててショートしている気がする。
でなければ隣で風呂へと浸かる彼女が「おもちゃ」ではなく「手の掛かる娘」などに見える筈も無いだろう。

少し考え方を変えただけで、ここまで見え方が変わる辺りボクも単純な人間だったようだ。
まぁ、単純ならば単純なりに番を見習ってノリに身を任せてみるとしよう。

「だからお母さんなんて呼ぶなと………まぁ、二人の時なら…構わなくも、無いけれど」

「…え?ちょ、ちょっと人臣?悪いものでも食べたの!?目を覚ましてっ!」

…少しこっちから歩み寄りを見せたらこれである。
全くもって納得できん程に理不尽な話だ。必死にボクの肩を揺する四方の声を受けながら思う。

―――ああ、二人きりの風呂場の中ですら…ここは騒がしい。






………あ、因みにボクの服を掻っ攫った番には後ほど然るべき報いを受けさせておいた。
確かに彼女のお陰で思考を吹っ切ることが出来たのは確かだが、それはそれ、これはこれ。

まぁ、それに…

「最近はこうして君にお仕置きをするのも、楽しみの一つになっていると気がついてね」

「って、そんな新しい境地に目覚めないでくださぁぁぁぁぁぁいっ!?」

―――騒がしいのも、場合によっては悪くないのかも。

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最終更新:2015年05月23日 23:46