9月初旬 ドイツのとあるホテル

ミュンヘンにあるビジネスホテルの一室に男はいた。
クリーム色の穏やかな雰囲気を与える壁紙と同様の色を発する電球たち。カーテンや絨毯は対照的に燃え上がるようなワイン色で統一され、壁紙との色合いのお陰で高級感を感じられる。窓は小さく、美しいミュンヘンの光景を眺めることは望めないが、彼は眺めることを目的としていないので、あまり気にしてはいなかった。
値段相応でそこそこ悪くなく、くつろぐだけが目的ならば十分な部屋だ。
ビジネスホテルと銘打っているのだから、そこを利用するのはほとんどがビジネスマンだ。
廊下ではスーツを着こなし、仕事用のケータイで電話し、忙しそうに書類を詰めたトランクでせかせかと歩きまわる。
時には、取引先に必死に懇願する姿も見られる。
その中に一際、目立つ男がいた。
年齢は20代後半~30代前半といったところだろうか。黄色い肌に黒い髪、黒い目という典型的な東洋人だ。
顔立ちは整っており、二枚目の麗しさと大人の男としての渋さを併せ持つ。
髪形はワックスか何かで左側に靡くように寄せられており、整っているとも言えるが、何かとアクティブなイメージも持たせる。
別段、彼自身に目立つような容姿はしていない。人々の視線を引きつけるのは、彼の荷物である。
彼の傍らにある巨大な棺桶のようなトランク。漆を塗った木で作られており、煌びやかな和風の模様が描かれている。
ファラオの遺体でも普通に入りそうな大きさだ。
そんな彼はトランクを自室の端に置くと、スタンドライトを点け、デスクに向かって手紙を書いていた。


拝啓 オリアナ=トムソン様

初雁の姿に秋を感じる頃、いかがお過ごしでしょうか?
私は目的の物を手に入れ、無事にドイツのミュンヘンへと辿りつきました。
さて、先日は運び屋の間で使われている輸送ルートを教えて頂き、ありがとうございました。
こちらとしても予定より早くドイツ入りすることが出来たので、たいへん喜ばしく思っております。
しかし、道中、イギリス清教所属を名乗る数名の魔術師が「刺突杭剣《スタブソード》を渡せ。」などと言って襲いかかって来ました。
私には覚えが無く、また向こうの態度が酷かったので望みもしない戦いとなりました。そこそこ強い魔術師でしたが、無事に撃退できました。
かの名高いイギリス清教の魔術師が略奪を行うなど、恐ろしい世の中になったものです。
もしかすると、イギリス清教の名を騙った野良の魔術師かもしれませんが・・・
恐ろしい世の中と言えば、日本にいる情報筋から聞いた話なのですが、ローマ正教の魔術師が使徒十字《クローチェディピエトロ》を使って、学園都市に侵攻しようとしたと聞きました。
学園都市側の人間で阻止したので事なきを得たようですが、かの十字教最大宗派のローマ正教がそのような道理を弁えない布教を行うなど、前述の魔術師といい、十字教の間で何が起こっているのでしょうか?
私としては何か世界を巻き込む様な大きな事件が起こりそうで心配です。
世界を股に掛ける者同士、お互いに気をつけましょう。
また出逢う時がありましたら、初めて出逢ったバーで幸せの定義について議論したあの熱い夜をまた過ごしてみたいものです。
「幸福の多様性」を唱える私と「幸福の絶対の基準値」を唱えるあなた、真っ向から対立する意見でありましたが、私としては有意義な時間が過ごせました。
新秋快適の候、どうか健やかにお過ごしください。貴女様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

敬具
――――年9月●日
尼乃昂焚より

追伸
あなたの服装は布地が少なく、魅力的なお姿と共に男性を惹きつけるには宜しい服装ですが、残暑を懐かしむ時期となるとお身体を冷やすのではないかと心配です。少しおせっかいかもしれませんが、コートも同封しておきます。


しかし、頑張って手紙を書き終えた時、彼は気付いた。

(そういえば、あの人ってどこに住んでるんだっけ?)

メールアドレスを知らないので、手紙という手段を用いることにしたのだが、彼女の住所はおろか、今何処で何をしているのかも知らない。
知っているのは名前、運び屋であること、男性の性的欲求を湧き上がらせる容姿とセリフ回し、それだけである。

(まぁ、いい。世界中を歩き回ってたら、その内、また会えるだろう。)

尼乃昂焚はそう結論し、コートをトランクケースの中に入れ。手紙をスーツの内ポケットに入れた。
騙した者と騙された者の関係であり、追跡封じ《ルートディスターブ》の異名を持つ彼女に再び出会う確立など、天文学的数字だろう。
オリアナが刺突杭剣《スタブソード》を追うイギリス清教を攪乱するための囮として昂焚を利用したことも、幸せの定義について議論したのは自分を追う使い魔に昂焚と親しそうに話すところをわざと目撃させることで交友関係があると見せかけ、彼に刺突杭剣《スタブソード》を引き渡したと清教側の魔術師を騙すための演技(半分は本気だったかも?)であることも、輸送ルートも嘘っぱちだったことも、学園都市に侵攻したローマ正教の人間が彼女であることも知らない。
無論、自分が騙されているとは知る由もない。
そして、このコートと手紙の存在が後の彼に「個人的には悲劇だけど周囲から見れば喜劇」を起こすことも、まだ知らない。
「結局、結論出なかったな・・・。幸せの定義。」
そんなことを思いながら、昂焚はベッドに寝転がった。

明日、お土産を渡す予定の人物が喜ぶ笑顔を目に浮かべながら・・・

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最終更新:2012年05月14日 16:53