クリスマスイブの日に
―――――映倫中学二学年のとある教室
「ホント、今日も暑いのよ………」
私こと、
煙永流美《えんえいるび》は教室内のうだるような暑さに机に突っ伏していました。
教室内にエアコンは設置されているのですが、今は作動していません。
何故かと言うと今はもう放課後、授業中ならともかく大方の生徒が帰宅するこの時間にエアコンがついてるはずがありません。
「なんならもう帰りませんか、煙永さん? それとも“例の人”に今日も会いにいくんですかー?」
悪戯な笑みを浮かべ話し掛けてくる一人の少女に私は少し動揺しました。
「な、何を言ってるのよ! ただ外はまだ暑いからもうちょっと涼しくなってから帰ろうと思ってただけなのよ!」
必死になって弁解する私を見透かすかの様に彼女は言ってきます。
「へえー、そーなんだーー、つまんないのー」
「つまんないもへったくれもないのよ、それにあの低能力者とはそんな間柄じゃないし!」
「ほんとかなーー? でもその低能力者さんと出会ってから変わったよね、煙永さん」
ギクリと痛い所を突かれた私は何も言い返せなくなりました。
確かに彼との出会いで自分の中で大きな変化があったのは間違いではなかったのですから。
――――――――――――――――――――――――――――――
―――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
―――――――――――――――
――――――――――
―――――
――
今から丁度1年程前、私は映倫中学に入学しました。
映倫中学は希望者の全員が全員入れる訳ではなく、入学条件としてレベル3以上という項目が設けられて、私達学生にとってその条件はなかなかに厳しいものでした。
しかし私は努力のかいあってか小6の秋にレベル3判定を受け、何とか入学することが出来たのです。
共学の常盤台と呼ばれるだけあって、そこから見渡す景色は格別でした。
まるで自分はエリートになったかのようで自分より下のレベルの者は“努力を怠る怠け者”と考えるくらいに。
しかし入学して三ヵ月が過ぎようとしたころ私はレベル4からの景色は今以上に格別なものなんだろうな、と思うようになり今のレベルに若干物足りなさを覚え始めました。
しかし、なかなかレベルは上がらず、日に日にレベル4の者への憧れと嫉妬は強くなっていったある日のことです。
私はスキルアウトの男達に絡まれ、狭い建物の中へと連れ込まれました。
ホントはスキルアウト程度連れ込まれる前にのしてしまえばよかったのですが、反抗も出来ないいたいけな少女と思わせといてからの不意打ちをくらわせたかったのです。
しかしその判断が仇となり、あやうく私は死に掛けました。
勿論、比喩などではなくガチで。
何故なら私の能力は発火能力《パイロキネシス》、そんなものをスキルアウトをおっぱらう為に閉め切った室内で行使したのだからたまったものではありません。
そう、私はスキルアウト共々一酸化炭素中毒になりかけたのです。
一酸化炭素が充満する室内で私はからだをピクリとも動かせませんでした。
ああ、私はここで死ぬんだろうか、と考えると涙が溢れ出て止まりません。
そんな私の後ろでバゴン!! バゴン!!というドアを叩く音が聞こえてきました。
異常を察して誰かが助けてきたのでしょうか。
しかしドアには内側から鍵が掛かっているので、いくら叩こうが蹴ろうがビクともしないだろうとわたしは推測しました。
せめて私が内側から鍵を解除出来ればよかったのですが、やはりからだが言うことを聞きまません。
(もう………駄目なのかな………)
涙で周りの視界が狭まっていくのがわかりました。
そこでわたしの意識はプッツリと途切れ、真っ暗な闇へと沈んでいきます。
意識が途切れる少し前に誰かがドアを蹴り破る様な音が聞こえてきたような気がしましたが、その時はよくわかりませんでした。
目が覚めるとまず最初に見えたのは真っ白い天井。
その時の私の感情は戸惑いと驚きで半分以上が占められていて今の状況を信じることが出来ませんでした。。
何故私は生きてるんだろうか、ここはどこなのだろうかって具合にね。
そんな私の視界に一人の男の顔が映りました。
その男は目の周りに大きなくまがある全体的にぽっちゃりとした体型の医者でタヌキを連想させる様な容姿をしていました。
「………気分はどうだい?」
その医者は私の様子を一通り見ると優しく声を掛けてきます。
「最悪………なのよ」
私は何とか声を振り絞って答えると。
「そうかい、でも安静にしておけば一週間程度で退院出来るからおとなしくするんだよ」
それだけ言ってとタヌキ顔の医者は病室から出ていき、入れ代わりに髪をダークブラウンに染め上げた一人の少年が入ってきました。
「はぁい、仔猫ちゃん ご機嫌いかがかなぁ?」
その少年に心当たりはなく、何でこんな奴が私のお見舞に来たのかが疑問でなりません。
「…………」
「おやおや、つれないねぇ それが命の恩人に対する態度かよ」
「……今、なんと?」
「だぁから、誰があんたの命を救ってやったと思ってんだよ ほら、俺はただの低能力者《レベル1》の風力使いだけどさ、無理矢理ドアをこじ開けて一酸化炭素が充満した部屋の空気を喚起することくらいは出来るんだよねぇ」
その時の心境は最悪そのものでした。
何故ならこんなチャラチャラした男に、しかも強能力者の私が低能力者ごときに命を救われたのですから。
その男は私の心境なんかにはお構いなしにズカズカと歩み寄ってきました。
「で、」
男は私の顔をクイっと自分の方に向けるとニッと微笑みながら顔を近づけてきます。
「助けてあげたんだし? お礼はからだで……とか!?」
「ふ、ふ、ふ………ふざけ………るな」
私は男に迫られたことは初めてだったので、どうしたらいいのかわからず、しどろもどろでした。
男の顔と私の顔の距離はあと数センチといったところだったでしょうか
「やっほーー、お見舞に来たよーー流美ちゃん」
その独特で、からだにまとわりつくかの様な癖のある声を発して入ってきた者は私のクラスメイトの一人、
一色丞介でした。
知り合いの一色にこんな姿を見せる訳にはいかない為、私はその男の顔を思い切り殴りつけました。
「ぐはっ!?」
私のベッドのすぐ近くで男は殴られた顔を押さえながら無様に倒れこみます。
そんな様子を見ていた一色は
「あ、えーと、この状況はどういうことだい?」
そう言って呆然と立ち尽くしていました。
いつもの彼だったら『流美ちゃん大丈夫だった!? 俺が今から触診を~~』とか言ってベタベタと触ってこようとするでしょうが、入ってきたと同時に入院している患者が見ず知らずの男一人を殴り倒していた、などと訳のわからない光景を目の当たりにすれば誰しもこうなるでしょう。
「あ、これは……えーと、違うのよ」
この状況をどう説明すればいいか、言葉を詰まらせる私と顔を押さえながら立ち上がる男。
「あーー、いてて………おとなしい子かと思って油断してたら右ストレートを貰うとは………ん」
そこで初めて男は一色の姿を認識しました。
一色は顔“だけ”見るとイケメンで男と比べてどちらがカッコいいと聞かれたら大方の人が一色の方に票を入れるでしょう。
男は私と一色を交互に見つめると溜め息をついて
「はぁーー、なんだ男がいたのかよ 本気で迫って損したわ」
興が削がれたかの様に部屋から立ち去っていきます。
「ちょ、ちょっと待つのよ!」
私は引き止めようとしましたが男の方は聞く耳を持ちません。
仕方がないので私は
「貴方には別にこれっぽっちも感謝してはいませんが、低能力者ごときに助けられたままというのはしゃくにさわりますから、この借りは必ず返しますのよ」
と、一方的に口約束を結びつけました。
ドアノブに手をかけた所で
「……期待しねぇで待ってるよ」
男はそう言い捨てると部屋から出ていきました。
病室の中では私と一色がポツンと取り残されたような感じでした。
「あの下品な男は誰だい? もしかして流美ちゃんの……」
「違うのよ!! あんなのいけ好かないただのチャラ男よ!」
一色の質問に断固否定した私はそこであることに気づきました。
(そういえば私、借りを返すにもあいつの名前聞くの忘れていたのよ……)
「ふーん、それならいいんだけどねぇ ほら、さっきの男が着ていた制服って確か
国鳥ヶ原学園のでしょ? あそこは不良が多いって聞くから、あまり関わらないほうがいいよ」
「国鳥ヶ原……か」
数日後、私は無事に退院し、普段の学校生活が再び始まりました。
まず最初に、私が事件に捲き込まれた区画を担当している風紀委員一七六支部の人間に怒られました。
“やばくなったら風紀委員《おれたち》を頼れ、自分の力を過信するな”と。
そう説教したのが同じ映倫中学の大能力者《レベル4》だったので正直皮肉にしか聞こえませんでしたが。
友人や担任からは『大丈夫だった?』とか『怖くなかった?』と聞かれましたがあの病院での出来事が印象に残り過ぎていて事件の事なんて記憶の片隅に流されていましたので適当に相槌をうっておしまいにしました。
私の事件はさほど学園内で広まることはなく一部の人間にしか知られることはありませんでした。もっとも、私にとってはそちらのほうが好都合なのですが。
また幾日か過ぎて私はその男に会いに行くことを決意しました。
といっても私は彼の名前を知らなければ連絡先も知らなかったので、国鳥ヶ原という学校の近くからを探していく事を決めました。
実際に国鳥ヶ原学園に行ってみると学校の周囲は放課後だというのに案外殺伐としていて、学園の生徒もあまり見掛けません。
―――――その理由はすぐわかりました。
「へいへーい、そこの女の子俺らと一緒にお茶しなーい?」
「別に断わってもいいけどキャンセル料は高くつくぜーー?」
「ぐひひっ……結構俺好みの見た目だわ……」
三人の俺らが私を取り囲む様に話してきました。
(……なるほど、この通りで国鳥ヶ原の生徒を見掛けないと思ったらこういう理由があったわけね……まったくここの風紀委員は何やってるのよ)
その男達の制服は国鳥ヶ原のものではないことから、恐らく近隣の高校の者でここ辺りを縄張りにかつあげを行っている連中なのでしょう。
「貴方達のレベルは何なの?」
私の問いに男達は三人とも“無能力者《レベル0》”と答えました。
はぁ、と私は溜め息をつくと
「私と貴方達レベル0ごときが釣り合う訳がないのよ」
「んだと!!このアマぁ!!」
「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!!」
「グヒヒッお仕置きが必要だなー」
三人共々汚い台詞を吐きながら私に襲いかかってきました。
けれど私は焦らず、手に拳ぐらいの大きさの炎の塊を生成します。
発火能力《パイロキネシス》、それが私の能力。
私のレベルは3で、この能力さえあればこんなレベル0共蹴散らすことは容易に出来ると考えていました。
今まさに襲いかかってくるレベル0に炎をぶつけようとした時―――――
バキン!バキン!グシャ!と三回、人間が殴られる様な音が聞こえた後に先程のレベル0達は全員倒れこんでいて、それを眺める一人の男がいました。
そう、その男は―――――
「貴方! あの時の……!」
私を助けてくれた、あのいけ好かないチャラ男でした。
その男は私の姿を見るなり、露骨にがっかりして
「んーー? せっかく女の子が襲われてると思って駆けつけたってのにお前かよ……パンチ娘」
「誰がパンチ娘なのよ! 私は貴方に用事があってわざわざここまで来たっていうのに……消し炭になりたい!?」
「あーー、とりあえず、だ。 詳しい話しは近くの喫茶店ででも聞いてやるからここから離れようぜ」
その男がいうにはさっきのレベル0の仲間がやって来る可能性があるらしいです。
一気に三人のレベル0を倒した彼ですがそれ以上になるとキツイのかな、なんて考えている私に。
「ほら、ぼさっとしてないでさっさと行くぞ」
男は私の手を引っ張って進みだしました。
「ち、ち、ちょっと何してるのよ!」
「ん、手繋がれるのは嫌だったか? ――って、何顔赤くしてんだよ、お前」
男の何気ない一言で私は更に顔が赤くなるのを感じました。
普段の私であれば『低能力者ごときが私に気安く触らないで』と、ばっさり手を振り払うことが出来るはずなのですが、この男の前だとどうも調子が狂います。
それは多分この男が命の恩人だから無意識に気を使っているんだ、と思うことにしました。
そう、それ以上に特別な感情なんて―――――
「なあ」
手を繋ぎながら一緒に歩いている男が話し掛けてきました。
「……な、んなのよ」
「お前……名前なんていうんだ? 一応女の子だし、いつまでもお前呼ばわりはかわいそうだし」
「一応ってなんなのよ、一応って!!」
私は少し怒鳴って
「私の名前は……|煙永流美《えんえいるび》よ」
ボソッと答えました。
「そっか、んじゃこれから煙永って呼ぶな」
男はニカッと笑いながら再び前を向きました。
「あ、あのさっ……」
私はまだ聞きたいことがありました。
「ん、どうかしたか?」
私の名前を聞いたんだから貴方も名乗りなさいよ、と思いつつ。
「貴方の名前は……なんなのよ」
「そういやまだ言ってなかったな」
「俺の名前は|
波賀明兎《はがめいと》……よろしくな」
それから五ヵ月が過ぎ、学園都市にも冬が訪れました。
私はどうしていたかというと―――――
「はあ、あいつ……いつまで待たせる気なのよ」
雪がしんしんと降り積もる中、私は第六学区のアミューズメントパークの前で立ち尽くしていました。
チケット売り場には男女のカップルで賑わい、がやがやと騒がしいくらいです。
というのも今日は一二月二十四日、つまりはクリスマスイブでした。
大勢のカップルがあっちこっちと行き交う中、私は一人で待っているので、どこか寂しさを感じます。
地面の真っ白い雪を見つめていると、ジワッと急に視界がボヤけていきました。
「おーい、待たせなー。 って煙永……お前泣いてんのか?」
ようやく到着した男、波賀は私の顔を覗き込むようにして見てきました。
「な、なに言ってるのよ! ただ雪が目に入っただけよ」
「そっか、なら行こうぜ」
彼は私の背中に手を添えながら歩きだしました。
二人分の入場券を係員に渡し、ゲートを潜ると。
「綺麗……」
そう私が呟くと
「だろ? ここはクリスマスになると専用のイルミネーションで覆われるんだ」
波賀はまるで自分がやったかの様に自慢気に語ってきました。
アミューズメントパーク内のアトラクションは勿論のこと、トイレから自販機まで全てに光輝くイルミネーションが施されていました。
あちこちで点滅する七色のLEDの光はまるで星々の姿を彷彿させるかのごとく光輝いています。
「おい、煙永まずはあれ乗ろうぜ」
そう言って、波賀は私の手を引っ張ながらメリーゴーラウンドに向かって駆けていきました。
こういうのは普通女の子が男にネダっていくものでしょ、と彼の行動に半ば呆れながら私は着いていきます。
けれど、これはデートという訳ではないから仕方がないかなと私は思いました。
デートではない。
そう、波賀と出会ってからこの五ヵ月間、私はあの時の借りを返すことが出来ずに今日まで過ごしてきました。
どうすればさっさと借りを返せるか悩んでいた私に知人があるアドバイスをくれたのです。
それが今日、前々から彼が行きたがっていたこのアミューズメントパークに誘うことでした。
だからこれはデートではなく、友だちとしての付き合いの様なものなのです。
作り物の馬の背に股がる彼を私は後ろからぼんやりと見つめていました。
「ヒャッホーー楽しいなあこれ!!」
まるで子供の様にはしゃぐ彼を見ると私もつられて笑いました。
「まったく、一緒にいるこっちが恥ずかしいのよ」
(けど……これが終わればもう会うこともないのよね)
今日アミューズメントパークに彼を誘ったことで借りは返したことになり、この先会う必要はなくなってしまいます。
だからこれが彼に会う本当に最後の日でした。
思えばこの五ヵ月間、私は彼と毎日の様に会って、笑って、遊んで、泣いて―――――気がつけば今日も借りを返せずに終わったーー、と嘆いていました。
何故私はそこまで彼に執着してのでしょうか?
命の恩人だから?
低能力者だから?
いいえ
―――――私は彼のことが好きだったからです。
その後も私達は色んなアトラクションに乗りました。
そして、数時間後に
「うっし、最後にあれ乗るか、あれ」
彼は無邪気に指を指しながら言いました。
その指先には大きな大きな観覧車、このアミューズメントパークの最大の目玉といっても過言ではありません。
観覧車の中はこぢんまりとしていていつもより彼との距離がいっそう近くに感じます。
ガシュンという機械音がすると同時に私達を乗せた観覧車は徐々に上にあがり始めました。
こうまじまじと真正面から顔を合わせることはそうそうないので、どう話を切り出せばいいのかわかりませんでした。
「なあ」
沈黙を撃ち破るかの様に最初に話し掛けてきたのは彼でした。
「……なんなのよ」
彼は窓に指を指して
「景色」
そう呟きました。
私は促されるままに窓からの景色を眺めると
「わあ、凄く……高いのよ」
学園都市がここから一望できるのでまさに絶景としか言えません。
「ここから学園都市をほとんど見渡せるんだ お、ほらあそこ、国鳥ヶ原学園だぜ」
彼が楽しげに語ってく間に、私の目に映る景色は瞳の中で歪んでいきました。
僅かに温かみを帯びた液体が私の瞳からこぼれ、頬を伝って床へと落ちていきます。
「煙永……どうして泣いているんだ?」
彼はそんな私の様子を察して戸惑いながら聞いてきました。
「泣いてなんて……ないのよ」
「思いっきり泣いてんじゃねぇか」
貴方とはこれで会うのは最後になるから寂しくて泣いてるの、なんて素直に言える程私は大人ではありません。
しかし彼は黙って私を引き寄せると
「えっ……?」
ギュッと抱きしめてきました。
いきなりの出来事に思考が追いついていきません。そんな私に彼は優しく語りかけてきたのです。
「煙永、お前笑うと可愛いんだからさ、泣くなよ」
「だから……泣いてなんて……」
彼は私の顔をそっと自分の方へと近づけて、二人の唇の距離が十五センチ、十センチ、五センチと縮まっていきます。
彼に初めて出会ってキスを迫られた時は思わず殴り倒してしまいましたが、今ならもう大丈夫、と私は目を閉じ、からだを彼に委ねました。
そして―――――
ガゴン!と一瞬席が揺れたかと思うと
「お疲れさまでしたーー」
そう言いながら係員がドアを開けてきました。
私は思わず飛びのいて、気がつけば彼の顔面を殴っていました。
またやってしまった。
どうして自分の気持ちに素直になれないのでしょうか。
ホントに彼のことが好きならば第三者が現れようが構わずにキスをすればよかったのです。
「いってて……」
彼はヨロヨロと立ち上り、私の頭にそっと手を置きながら言いました。
「ハハッ、元気になったじゃねぇか」
観覧車から出ると、私達はアミューズメントパークを後にするまで一言も会話を交わしませんでした。
ある程度歩いたところで私はついに我慢出来ずに聞きました。
「何で……怒らないのよ……?」
「何で、俺が怒る必要があるんだ?」
「だって……私あんたを殴ったし……」
それを聞いた彼はキョトンとした後に急に笑いだしました。
「プッ、ハッハハハハ」
「な、何で笑ってるのよ! もしかして殴った衝撃で頭でも打ったの!?」
「ちげーよ」
じゃあどうしてなのよ、と私が聞くと彼は
「だってからかってキスしようとした俺に、殴って当然の煙永が悪気を感じていることがおかしくてな」
あっさりとそう答えました。
彼は言葉ではそう言いましたが本心はどうなのでしょうか。
もしかしたら彼は私が泣いてる理由を知っててキスをしようとしてくれたのかもしれません。
そんな私の仮定は彼の次の言葉で確信に変わりました。
「これでお前は俺に借りを返したことになるけど、これでさよならって訳じゃないだろ?」
「え……?」
「これまでみたいにまたいつでも会いにこいよ、俺は煙永と一緒にいるの結構好きだからさ」
彼はそれだけ言うと今自分が言ったことへの照れ隠しのように口笛を吹きはじめました。
私はその言葉が素直に嬉しくてとても心が温かくなりました。
これでまた彼と一緒にいることができるのですから。
しかし折角のクリスマスイヴだというのにこれだけではいささか物足りなさを感じた私は彼の袖口をギュッと握り、引き止めました。
「ん、どうした? 煙永」
彼は私の方を振り替えります。
「私、中途半端なのは嫌いなのよ」
私は顔を彼の方へと向けると目を閉じ唇を差し出しました。
彼はそれだけで私が何を求めているのかを悟ったようで言葉には何も出しません。
彼はゆっくりと私の方へ顔を近づけてきました。
目を閉じていても彼の温もりが段々と近づいてくるのがわかります。
この時間におよそ何秒掛かったことでしょうか。私にとってそれはあまりに長く、永遠に感じられるほどでした。
そしてついに―――――
ピチョン、と私の唇に触れるものがありました。
しかしそれは彼の唇ではなく彼の指だと気づくのには数秒の時間が必要でした。
キスを期待していたので戸惑う私に彼はこう語りかけてきます。
“キスってもんは冗談ならともかく、本気でするならこういう時に安っぽくするもんじゃない。お互いが本当に好きだって気持ちを理解し合った時にするもんだ”と。
確かにお互いの気持ちを正直に伝えられていない私達がキスだなんて一〇〇年早いでしょう。
そう考えると初めて出会った時やさっきだって彼は本気でキスをするつもりはなかったんでしょう。
一酸化炭素中毒になって怖い思いをした時、これが最後の付き合いだと泣いてる時、彼はいつだってただ私を励ますために冗談をかましてくれていただけなのでした。
「それもそうね……」
私は少しがっかりもしましたが。これでいいんだ、という思いもどこかにありました。
これから先、彼と付き合うにつれ段々と自分の気持ちを伝えられる様になるかもしれないのですから
彼はニッと笑いながら
「煙永、メリークリスマス」
そう言うと私も釣られて
「波賀……メリークリスマス」
今までで最も飛び切りの笑顔で応えました。
―――――――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
―――――――――――――――
――――――――――
―――――
――
「煙永さーん、煙永さーん、え・ん・え・い・さーん!!」
隣りの友人の呼びかけにようやく気づいた私は慌てて答えました。
「ハッ! な、なんなのよ!」
「もーう、煙永さん何ぼっーとしてるんですか? もう下校時刻ですよーー、校門が閉まっちゃう前にさっさと帰りましょうよ」
気がつけばもう日が暮れて放課後の教室には夕日が差しこんできていました。
「そ、そうね、さっさと帰りましょう」
私は友人と一緒に教室を出ると無人の廊下を歩いていきます。
「それで、さっきぼーっ、としてましたけど、どんなこと考えていたんです? まさか――――」
「そ、そ、そんな訳ないのよ! あの低能力者のことなんてこれっぽっちも思い返してなんていなかったんだから!」
「煙永さん、わたし低能力者さんのことだなんて一言も言ってないんですけどぉーー」
「う……」
友人とは校門のところで別れ、私は一人で帰り道を歩いていました。
思い返してみるとあれから彼との関係は良くも悪くも変化はありませんでした。
だけど、この先彼に本当の気持ちを素直に伝えられるなれば、この先大きく変わっていくかもしれません。
その日が来るまで、私は彼と付き合っていこうと思います。
それが私の人生にとっての大きな第一歩となるのですから。
「さあ、煙永流美 明日も頑張っていくわよ」
最終更新:2011年12月25日 10:48