序章 闇の中で蠢く闇 Bartender.


 学園都市、第七学区。
 学生が多い学園都市の中でも特に学生が多く、教育機関、医療施設、警察施設……およそ人がイメージする中で『正』を連想しやすい施設が集中している学区でもある。
 だが、一方で学生の多いこの学区は、夜になると急速に寂れる区画も存在していた。
 そんな区画にある一つの雑居ビルの一室。
 今にも倒壊しそうなビルの外観とは裏腹に、その一室は妙に小奇麗に装飾されていた。ともするとお洒落な街のどこかにあるバーか何かのように、どこか妖艶な雰囲気が漂っている。

『……緊張してるのかい?』
 研究者を連想させる白衣に、ボイスチェンジャーと思しき機械じみたマスクを装備した、何か場違いな存在。
 その人物の名は調合屋(バーテンダー)
 薬物合成(ケミカルブレンド)と言う能力を持つ、平たく言えば薬物を自在に合成できるクスリ売りだ。マスクを付け、常にボイスチェンジャー越しに話す調合屋(バーテンダー)は、本名を知るものはおろか、性別、年齢、その他諸々が全て不明という謎の人物である。分かっているのは彼(尤も性別は不明だが)が能力者であるところから、おそらく元は学生だったのだろう、ということだけ。
「……別に」
 機械的な色で装飾された声に対し、カウンターを挟んで調合屋(バーテンダー)と向かい合っていた少女は気だるそうに答えた。
 痩せぎすで、長髪の少女だった。少し突けば(ほつ)れてしまいそうなほど細い、小枝のような腕を繋ぎ止めるように、全身に包帯を巻いている。二日間おいしいものを休まず食べさせ続ければ中々の美少女になりそうな容姿をしていたが、その顔も何割かは包帯で覆い隠されてしまっていて、表情は伺いづらい。
『なに、そう不安がるなよ。確かに君と同い年くらいの年齢のお得意様にも今や能力を吐き出すだけの機械に成り下がってる連中はいるが、アレは「馬鹿」な例だ。ウチが取り扱ってる薬物(モノ)は、使い方さえ間違わなければ下手な能力開発の薬物を超える成果を出せるよ』
 調合屋(バーテンダー)は、まるで初めてタバコを吸う前に何か躊躇っているような後輩を落ち着けるような口調で、静かに少女を宥める。
「…………、」
『……ふむ、ここまで来て怖気づいてしまったかな? まあ、それでもいいけど。でも、君のその制服……風輪学園のモノだろう? あそこは、強度(レベル)による扱いの変化が顕著だからね……。君も、一六人しかいない「大能力者(レベル4)」の仲間入りをしたいんじゃないかな?』
 この期に及んで渋っているような態度の少女に、調合屋(バーテンダー)は僅かに苛立ちを感じつつ、諭すような、それでいて確実に相手を奈落の底に突き落とすような口調で少女に語りかける。
 実際、調合屋(バーテンダー)にとってこんなことは日常茶飯事だった。学園都市の学生にとって薬物の摂取は日常茶飯事だが、当然それだけに『授業以外での薬物摂取』については厳重な教育が成されている。専用の条例も出来ているし、おそらく『外』の学生のそれよりも学園都市の学生の『授業外での薬物摂取』に対する忌避感は強いであろう。
「……、」
 少女はその質問には答えず、ちらりと部屋の脇の一角を見た。
 そこには、中学生くらいの少年が虚ろな目をして転がっていた。
『……? その少年かい? それは、君にとっての「反面教師」だよ。いくらこちらが良心的に「商売」していても、やっぱりハマってしまう人はハマってしまってね。こちらとしてもそれは流石に良心が痛むから、ああして「堕ちて」しまった人を店頭に出して、「こうはなりたくない」と思わせているんだよ』
 『維持費がかかるのが玉に瑕だけど、あれも結構具合がいいから、そっちでも儲けはあるんだ』と言って笑う調合屋(バーテンダー)
「……? あれは、男の子なの」
『……、ああ。君にはまだ早い世界だったかな。まあ、世の中には「そういう」需要もあるってことだよ。彼、可愛いだろう?』
 にやり、と。マスクで包まれているにもかかわらず、少女には調合屋(バーテンダー)が頬を吊り上げたのが理解できた。同時に、彼女も彼の言いたいことを理解し、不愉快げに表情をゆがめる。
『おっと、勘違いしないでくれよ。アレの出番が来るのは本当にたまにさ。何なら、君に貸してもいいけどね。「本来の用途」は後ろの穴だが、流石に前についてるモノでも妊娠は無理だろうけどまだ使えるだろう。……こっちだって、風俗をやるくらいなら最初からこんな危ない仕事はしない。最近は、こちらの締め付けもキツくなってきているんだ。「グループ」……って言っても、お嬢さんには分からないか。上の犬たちが最近色々とうるさくてね。ウチも、色んな隠れ家を転々としないといかないハメになってるんだ』
 知り合いに愚痴を零すような調子の調合屋(バーテンダー)に、少女は小さく笑みを漏らした。その笑みを自身に対する警戒の緩みと判断した調合屋(バーテンダー)は、これ幸いとさらに話術による畳み掛けをはじめようとしたところで――、
 腹を撃ち抜かれた。
『な、が、え? ッッ、がァァァあああああああああッ!! !!』
「ちょっと、勘違いさせて、しまった、みたいなの」
 少女の手には、黒光りする拳銃が用意されていた。調合屋(バーテンダー)は激痛に蹲りながらも、テーブルの下から小型の拳銃を抜き取り応戦しようとする。が、
「遅いの。もしかして、平和ボケ、してる?」
 調合屋(バーテンダー)が具体的に動く前に、少女は黒い握りこぶしほどの大きさの塊を放り投げた。――手榴弾だ。
『な、馬鹿が! こんな密室でそんなもの投げたら、どうなるか分かっているのかッ!!』
 先ほどまでの余裕など全てかなぐり捨てて、調合屋(バーテンダー)は叫びながら無駄と知りつつその場から飛ぶ。
「馬鹿は、あなたなの。この手榴弾は、特別製なの。爆風の、指向性を、コントロールするの。吹っ飛ぶのは、あなただけ、なの」
 瞬間、轟!! という音と共に、爆風がカウンターの先を蹂躙した。壁に立てかけてあった薬物のビンは爆風に煽られ吹き飛び、空中で無残にブレンドされる。
『ごっがァァァああああああッッ!! !?』
 空中にあった調合屋(バーテンダー)は、爆風の後押しを受けてさらに数メートル飛距離を伸ばす。しかし、あれほどの爆風を受けても、調合屋(バーテンダー)の肉体は奇跡的に五体満足を保っていた。
「が、あ……」
 爆風で変声機能が壊れたのだろう、重厚なマスクの下から、くぐもった声が聞こえる。
「奇跡、……だと、思って、いるの?」
 痛みに身をよじっている調合屋(バーテンダー)の耳元で、少女のものと思わしき声が囁かれる。少し遠い位置から、がちゃり、という金属音が響き渡ったのを感じた調合屋(バーテンダー)は、即座に身の振り方を正す。
「わ、分かった、分かった分かった!! 抵抗はしない! そっちの目的はなんだ!?」
「そう。……殊勝な、心がけなの」
 従順な態度になった調合屋(バーテンダー)に気を良くしたのか、少女は少しだけ声を和らげて応じる。その声を受けてすぐに起き上がろうとした調合屋(バーテンダー)は、背中に何かが乗ったのを感じた。
「…………おいおい、ウチはそういうサービスは扱ってないんだぞ」
 変声機能は失っているものの、重厚なマスクのせいで相変わらず声からは性別が伺えない調合屋(バーテンダー)は、呆れたように呟いた。少女は、うつぶせで倒れている調合屋(バーテンダー)の背中に跨る様に座り込んでいたのだ。
「『情報』」
 対する少女は、相変わらず冷たい声色で、囁くように言った。その声に、調合屋(バーテンダー)は背筋に薄ら寒いものを感じる。
「……チッ、あんたも『上』の犬か。分かったよ。どこの組織かは分からないが、話そう。お望みはなんだ? 組織構造か? 薬物の流通ルートか?」
「まだ、勘違い、している、みたいなの」
 瞬間。調合屋(バーテンダー)の背筋に何か冷たいものが走る。
 その直後。
 ビギン!! という音さえ錯覚するような激痛が、調合屋(バーテンダー)の全身を満遍なく襲った。あまりの痛みに意識が飛びかけてから、調合屋(バーテンダー)は自分の背筋に走った何かが『戦慄』と呼ばれるものであることを思い出した。
「が、ぐァァァああああああああああああああッッ!! !! !!」
 調合屋(バーテンダー)の絶叫が、夜の第七学区の片隅に響き渡る。
「は、なすって……言ってる、の……に……、な、ぜ、」
「勘違い、しないで、ほしいの」
 縋り付く様な声で問いかける調合屋(バーテンダー)を、少女は感情を感じさせない冷たい声色で突き放す。
「私の、目的は、貴方の、尋問じゃ、ないの。貴方、薬物(クスリ)で、子供を、能力を、吐き出すだけの、機械、にした、って、言ってたの」
「……ッッ!! だから、断罪するっていうのか? ハッ! 暗部の犬が笑わせてくれる! あんたの方だって同じじゃないのか!?」
 己の死期を悟ったからか、饒舌になった調合屋(バーテンダー)に対して少女は薄氷のように薄っぺらで冷たい笑みを向けた。それだけで、少女の笑みを見ることが出来ないはずの調合屋(バーテンダー)の喉が一瞬にして干上がった。極度に乾いた喉の内壁同士が張り付くような息苦しさが、調合屋(バーテンダー)を襲う。
「……かはっ、はっ!」
「だから、勘違い、しないで、ほしいって、言ってるの。これはもう、早とちりの、レベル? いい加減に、しないと、塵にするの。……早と『ちり』と、『塵』。…………ぷふっ」
 極寒の殺気を当てたかと思えば、少女は下らない親父ギャグとも言えないレベルの言葉遊びで勝手に噴出した。しかし、それで場の空気が和むということはない。むしろ、この状況下で平然としていられる少女の異常さだけが、殺伐とした戦場で不気味に目立っていた。
「……閑話、休題なの。うふ。そう、貴方には……『能力』だけ、じゃなく、ぷくく……、『情報』も、吐き出せる、特別製の、機械に、なって、ほしいの」
 堪えきれない笑みを無理やり手で押さえながら、少女はまるで何でもないお願いをするかのように、あっさりと調合屋(バーテンダー)に死刑宣告をした。
「……ッッ!!」
 冗談じゃない、と調合屋(バーテンダー)は息を呑み、依然自分の背中の上に座っている少女を突き飛ばした。少女のほうは、まさか調合屋(バーテンダー)が抵抗するとは夢にも思っていなかったのか、調合屋(バーテンダー)の一か八かの抵抗にも対応しきれず、そのまま枯れ葉のようにあっけなく調合屋(バーテンダー)と距離を開けてしまう。
「あぅっ」
「動くなッッ!!」
 受身すらとれず尻餅をつく少女。床に飛び散っていた薬剤が、その拍子に彼女の衣服に付着する。そんな少女に、調合屋(バーテンダー)は声を張り上げて余裕なく威嚇した。
「此処まで大胆に襲撃するってことは、こっちの能力も分かってるんだろう? ……『薬物合成(ケミカルブレンド)』。薬物を生み出し合成する能力だが、何も薬物っていうのはクスリのことだけを差す訳じゃない。――ニトログリセリン。あんたの方がなじみの深いモノだろう? コイツは爆薬だが、狭心症の治療薬としても使われていてな。当然、ウチにも変形させた形のクスリが並んでいる。さっきの接触で、薬物内に含まれているニトログリセリンを抽出して即席の爆薬を作っておいた。動けばすぐにお陀仏だ」
 ニトログリセリンは、非常に爆発性の高い物質である。
 火気は勿論のこと、ちょっとした摩擦でも爆発する可能性があり、純粋なニトログリセリンを取り扱うのは暗部のプロとはいえ専門の取り扱いをマスターしていない少女には厳しいものがあるだろう。
「……そうなの」
 しかし、少女はそんな事実には全く興味を感じさせない声色でそれだけ呟いた。
 勝利を確信し、目の前の少女がうろたえることを期待していた調合屋(バーテンダー)は、ついにその様子にキレた。
「……ッ!! !! ふざけるなッ!! お前は!! 今!! こちらが何か一つでもアクションを起こせば死ぬ状況にあるんだぞッ!? その事実を正しく認識できているのかッ!?」
「……あなたの、方こそ」
 くぐもった声でそう叫ぶ調合屋(バーテンダー)に、少女は相変わらず億劫そうな表情で、ゆっくりと立ち上がる。
「もう、忘れたの? ……さっき、私に、触られたこと」
 今度は、声すら上げる間もなかった。
 憐憫すら感じさせる少女の視線が調合屋(バーテンダー)の喉元に当てられたと思った瞬間、彼の喉に耐え難い激痛が走ったからだ。
 あまりの痛みに喉の筋肉が引きつり、絶叫はおろか呼吸さえできなくなる。調合屋(バーテンダー)は思わずそのままうずくまり、のた打ち回った。
 そんな調合屋(バーテンダー)を、何の感慨も抱かずに見下ろしていた少女は、歌うように呟く。
「……痛覚遮断(ペインキラー)。発動には、接触、によって、相手の、『電気信号パターン』を、覚える、必要が、あるけど、一度、接触してしまえば、相手が、どこにいようと、発動できるの」
 それだけ言った少女は、無造作に自らの纏っていたスカートとセーラー服を脱ぎ捨てた。ニトログリセリンが染み込んだ服は、ちょっとした摩擦や熱で爆発する危険性があるからだ。
 少女の身体はやはり、悲しくなるほどに貧相だった。
 肋骨が浮かび上がっているのは当然、脂肪が溜まるところがないのか胸は彼女の背丈にしても小さいし、腰骨や鎖骨の部分さえも骨が痛々しく浮かび上がってしまっている。
 しかし、彼女はそんな自分の身体には全く意識を向けずに右手を耳に当てて話し始めた。どうやら、右耳の中に小型マイクが内臓されているらしい。
「…………ああ、持蒲さん? 終わったの。回収班と、私の、着替えを、用意してほしいの。……うん、回収人員の、性別? 気に、しないけど……。うん、分かった。じゃあ、女の人を、お願いするの」
 そこまで言った少女は、チラリと視線を横に向ける。
「…………後、調合屋(バーテンダー)の、玩具を、見つけたの」
 彼女の視線の先には、まともな衣服さえ身に着けていない中学生くらいの少年がいる。目の焦点は合わず、口の端からは涎を垂れ流していた。
 そんな哀れな少年を見ても少女は眉一つ動かさずに、
「どうするの? こっちのほうで(ヽヽヽヽヽヽヽ)処分する?(ヽヽヽヽヽ)

 …………それが、彼女、いや『彼女たち』という人間の本質だった。
 持蒲鋭盛、星嶋雅紀、陵原宮雹、そして少女こと超城万里
 彼女たちを総称して、『テキスト』と呼ぶ。
 この街の闇の底に巣食い、そして闇の中で闇を食らう闇だ。

// 目次 第一章①

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最終更新:2012年01月21日 00:00