6


支部に一人で待つ春咲は若干の胸騒ぎを感じていた。

先程、湖后腹に手錠の場所を伝えたというのに未だに手錠とその所有者を確保した、という報告がないことからすると手錠の回収に手間取っている。もしくは―――――

「返り討ちにされた……」

春咲は自分が言ったことを全力で否定するようにブンブンと頭を横に振る。

(湖后腹君は伊達に第五位やってる訳じゃないんだから大丈夫……)

春咲は湖后腹達のこともそうだが、もう一人心配している者がいた。

そう、鉄枷だ。

鉄枷がすぐに戻ってくると言って、もう四〇分以上が経過していた。

高等部女子寮から風輪学園までの距離は遅くても二〇分程度でいける距離だというのに、戻ってくるのに倍以上の時間がかかっているというのは明らかにおかしかった。

そう思いを巡らす春咲の後ろでガチャン、とドアが開く音が聞こえた

「鉄枷く―――――」

入口の方とへ駆けつけるとその光景に春咲は思わず息を飲んだ。

「ハハッ……すいません、ぶっちゃけ遅れてしまって」

鉄枷は純白のワイシャツを右の脇腹だけ真っ赤に血で染めて、入口の前で倒れこんでいたのだ。

そんな姿は見てるこっちが痛みを感じそうなぐらいに痛々しかった。

「鉄枷君……その傷、どうしたの?」

春咲の問いに鉄枷はかすれた声を絞り出す様に返した。

「これっすか? いやーー、帰り道ですっころんでしまって、ハハハ……」

どうすれば転んで脇腹を怪我する事ができるのだろうか、そう春咲はツッコもうかと思ったが止めておいた。

鉄枷が下手な嘘をつく時は必ず何か理由がある。春咲は鉄枷との長い付き合いでそのことはよく理解していた。

「この傷のことはぶっちゃけ誰にも言わないで下さい。お願いします」

鉄枷はそう言いながら起き上がると救急箱が置いてある棚へと向かっていった。

春咲はそれに黙って頷いた。

応急処置ということで傷に包帯を巻いていく鉄枷。

そんな鉄枷の頭の中で中円の言葉が響きわたる。

『はっ!! 自分の言葉に酔ってんじゃねぇよ偽善者! お前も所詮はクズ共と一緒で、俺を取り抑えられればそれだけで満足なんだろ?』

『ふざけるなっ!! 俺が今までどんな思いであの居場所での地位を維持してきたと思っているんだ! やっぱり風紀委員っていうのは何もわかっちゃいない……ただ偉そうに理想論を並べるだけの偽善者だ』

中円の言葉に全力で反対した鉄枷だが、実際はどうなのだろか。

もしかしたら中円の言う通り自分は治安を乱す奴をただ一方的に捕まえることに充実感を得ていたかもしれない。

そもそも自分が風紀委員に入った理由は何だったのだろうか。

(俺は………)

鉄枷の風紀委員に入った理由は治安維持だとか内申点の上昇だとかそんなこみ入ったものではない。もっと単純な―――――

(そうか、すっかり忘れていた………)

ただ、みんなの笑顔が見たかった。それだけのことだったのだ。

包帯を巻き終えると鉄枷はゆっくりと立ち上がった。

少しからだを動かすだけで鈍い痛みが小刻みに全身に伝わってくるがその程度の事を気にしてはいられない。

誰かを笑顔にする、それが鉄枷の目的だというなら偽善者と罵られようがやることは一つしかない。

(不良だろうがなんだろうが関係ねえ、あいつが苦しんでるなら………笑顔に変えるまでだよな)


  7


「復讐者《アヴェンジャー》………だと?」

湖后腹は聞き返す様に復唱した。

「ま、名前なんてどうでもいいんだけどねーー。それよりこれ、取り返さなくていいの?」

白高城は湖后腹の目の前でこれ見よがしにプラプラと手錠を揺らす。

「そうだったな、返してもらうぞ」

「ええ、いいわよ」

じゃあ……、と手錠に向けて手を伸ばす湖后腹を尻目に

「ちゃーんと、返してあげるッ!!」

言うが早いか白高城は鉄橋から思いっきり手錠を投げ捨てた。

四つの手錠は宙をクルクルと舞いながら川の方へと落ちていく。

「なっ!?」

とっさの判断で湖后腹は磁力を使い手錠を引き寄せようとしたがその時には手錠は既に水の中に落ちてしまっていた。

「あららー、今日は川の流れも激しいからほっといたらあの手錠はどんどん流されていっちゃうんじゃない? あの手錠がなければ証拠不充分ということでわたしを捕まえることもできないわよねー?」

確かにその通りだ。

もしこの場で目の前の白高城を取り抑えた所で、『こいつが手錠を持っていた』という物的証拠がなく、目撃証言だって湖后腹以外に白高城が手錠を持っていた所を見た者がいないのだからあてにはならないだろう。

つまりは、白高城の指紋が着いた手錠を証拠として突きつけるか、手錠を媒介して読心能力で白高城が手錠を持っていたことを裏付けない限りは捕まえることは出来ないのだ。

「くっそ、また服を汚す破目になるのかよ」

湖后腹は毒づきながら靴を脱ぎ捨てると鉄橋の端のフェンスによじのぼる。

そんな湖后腹を見た白高城は信じられないといった様子で言った

「貴方………死ぬ気? 貴方がいくらレベル4の電撃使い《エレクトロマスター》だからといって水の中では能力を使えないのよ?」

電撃使いにとって自分が水に濡れている状態での能力の行使は下手をしたら水を伝って自身が電撃を浴びる危険性がある諸刃の刃。

つまりいくらレベル4だろうが湖后腹は水の中ではただの人間なのだ。そんな者が流れが早い川に飛び込んだらどうなるかなど目に見えている。

「わかっているよ………けど俺はこれ以上仲間の足を引っ張たくないんだ。それに手錠を取り戻したらお前も捕まえに行く、覚悟しとけ」

それだけ言い残すと湖后腹は鉄橋から飛び降りていった。

白高城はあまりに突拍子もない湖后腹の行動にしばらく呆然として

「プッ、アハハハハ。これは傑作、たかが手錠の為に川にダイブするなんて。フフフ、お腹…痛い」

子供の様に腹を抱えて笑いだした。

鉄橋には白高城の笑い声だけが静かに響く。

白高城はしばらくそんな光景を眺めると

「さて、いいものも見れたし、帰るとしますか」

落ちていた鞄を拾い上げ闇へと消えていった。

(せいぜい死なないよう頑張ってね。 第五位のこ・ご・は・ら・君)


  8


冷たい、それがまず最初に水に浸かった時の正直な感想だった。

身体中のありとあらゆる場所に水が入り込んでくる。

湖后腹はそんな冷たさに耐えながら手錠を探し始める。

白高城が投げ捨てた手錠は計四つだがその全てを集める必要はない。証拠としてなら一つで充分だからだ。

(一つだけ、せめて一つだけでいいから見つかってくれよ……!)

しかし湖后腹の思ってた以上に川の流れはキツく、手錠を探すどころか流されまいと必死に抵抗するのが精一杯だった。

(畜生!! こんなんじゃ探そうにも探せねえよ)

轟々と流れる水の音だけが湖后腹の聴覚を支配し、冷たい川の水が身体の体温を徐々に奪っていく。

そんな時、湖后腹の僅か二メートル先にキラリと光る物があった。

濁った水のせいではっきりとはわからないがそれは確かに手錠の形をしていた。

(!!  あった……!)

湖后腹は水をかき分けながらそこへ向かおうとするが川の流れに遮られ思うように進めない。

それどころか、その手錠はどんどんと流されていき、湖后腹との距離は広がっていく。

(ちっ、くしょぉおおおおお!!!)

湖后腹は自分の身体の電気信号を操り、思いっきりバタ足をした。

一時的に増幅された脚の筋力は足元の水を蹴散らし、みるみるうちに手錠との距離を狭めていく。

そして―――――

(……取った!!)

確かに手で掴んだものは風紀委員に支給されている近未来的なフォルムの手錠だった。

無事手錠も取り戻すことが出来て、後はこの川から出れば済むはずだった―――――が。

ズキン! と足に電流が走ったかの様な痛みが湖后腹の両足に訪れる。

どうやら無茶をして脚の電気信号を操った反動が出たようだ。

(ガッ……こんな時に両足ツっちまうなんて……)

湖后腹には両手だけで陸まで泳ぐ程の体力は残されておらず、万事休すかに思われた。

そんな時

「何してんだ、湖后腹」

湖后腹の耳に聞きなれた少年の声が聞こえてきた。

薄れていく意識の中で湖后腹はその声の正体が誰かを思い出す。

(この声、どこかで聞いたな、誰だっけ、そうだ、確か、いつも学校で会ってる奴だ、クラスメイトの―――――)

「ひ…ゃく……じょ……う……か?」

湖后腹は口に入り込んでくる水を吐き出し、ついに幻聴まで聞こえてきたか、と微笑しながらクラスメイトの名前を口にする。

答えなど返ってくるはずがない。そう諦めていた湖后腹。

しかしその予想は数秒後に

「いいザマだな、必要か? 助けが」

良い方へと裏切られることになった。

湖后腹がゆっくりと目を開くと、すぐ上で宙にふわふわと浮いている少年、風輪学園の第八位、百城が手を差しのべていたのだ。

「な……んで、お前が……」

「いいから早く俺の手を取れ、このままじゃホントに溺死するぞ、お前」

湖后腹は差しのべられた手を掴む。

百城の手は温かみを帯びていて、それは幻覚ではなかった。


  9


「んで、どうして川なんかで泳いでたんだ?」

百城の能力、重力干渉《グラヴィティルーラー》によって川から引き上げられた湖后腹は百城から貸してもらっだハンドタオルで身体を拭いていた。

「泳いでたんじゃねぇよ! というかお前こそ何で第七学区にいんだよ、お前は中等部の寮……っていうか俺のすぐ隣りの部屋だろ!」

「相変わらず騒がしい奴だな、お前は。 ただ野暮用があっただけさ、ここには」

さらっと質問を流される湖后腹は百城に若干の苛立ちを覚える。

風輪学園には同学年のレベル4は一つのクラスにまとめられる風潮があり、その為必然的に入学当初から湖后腹と百城とは同じクラスであった。

中学三年となった今でもお互い仲睦まじい関係というほどのものではなく顔を見ればたまに話しをするくらい。

「そうかよ……」

「それよりまだ答えて貰ってないぞ、俺の問いに。どうして川で溺れてたんだ?」

「溺れてねぇ……いや、まぁ、そうか………」

湖后腹は風紀委員とは無関係の百城に風輪学園の現状を伝えてよいか迷ったが、助けてもらったこともあるので仕方なく話すことにした。

湖后腹の説明に百城はピクリとも表情を変えずただ真剣にそれを聞く。

「―――――という訳で、俺は手錠を取り戻す為に川に飛び込んだんだ」

「………、相変わらず無茶をするな、お前は。」

百城は少し笑いながら言った。

「……自分の通っている学校がこんな状況だというのに、あんまり驚かないんだな。」

「普通だと思うぞ、こんぐらいのいざこざがあるくらい。むしろ今までが平和過ぎたんだよ」

「そう、なのか?」

そんな中、不意に携帯のメール受信音が鳴る。それは湖后腹のものではなく百城の携帯からだった。

ゆっくりとした動作で携帯の画面を開く百城。

「……なるほど、その件でどうやら“お前等”のリーダーは“俺達”を頼ることにしたらしいぞ」

携帯の画面を湖后腹は覗き込むようにに見る。そこにはこう書かれていた。


【本文】やあ、風輪学園のレベル4の諸君。風紀委員の破輩妃里嶺《はばらゆりね》だ。

急な話しだが明日、風輪学園の会議室に集まって欲しい。詳しくは明日追って説明する。

これからの風輪学園を大きく左右する大事な会議だ。必ず参加してくれ。

追記:こないとシバくぞ☆


「お前も含めて……なかなかにハッチャケてるな、風紀委員の人間つーのは」

「ハッチャケてねーよ! これが破輩先輩の平常運行なんだよ!」

あぁそう、と百城。

「そんな事より百城、お前明日の会議に出るのか?」

湖后腹の問いに百城は一言。

「出ねぇよ、もちろん」

湖后腹はその答えに怒りを通り越して憐れみを感じていた。あの破輩先輩に逆らった奴の末路は土下座しながら泣いて謝るのが基本でそこに例外は存在しない。

「まぁ、いいけど。死ぬなよ百城」

「死にかけた奴が何言ってんだよ」

そう言うと百城は立ち上がり

「んじゃ、俺は帰る。しっかりと身体を乾かしておけよ」

くるり、と湖后腹に背を向け歩きだしていった。

どんどんと遠ざかっていく百城の背に湖后腹は最後に大きな声で叫ぶ。

「助けてくれて、サンキューな」

「溺れてた奴を助けるのはこれで二回目だし、気にすんな。」

百城の姿が見えなくなると、湖后腹もその場を去ることにした。

手には水分を吸って重くなった制服とただ一つの手錠だけを持って。

「とりあえず、佐野先輩に合流しないといけないな」


  10


風輪学園の高等部男子寮の屋上。

そこで一人の少年がフェンスに寄り掛かりながら学園都市の夜景を眺めていた。

時折吹く風によって少年の髪はたなびき、所々染めている金髪と黒髪がバサバサと交じり合う。

少年の表情はまるで汚い物を見るかの様に嫌悪感だけが突出していた。

「いつ見ても……この街は腐ってやがるな」

そんな風に毒づく少年の後ろから一人の男が歩み寄ってくる。

「よう、ご無沙汰してるぜ」

少年は後ろを振り替えらずに答える

「木原か………何の用だ」

茶髪にコーン・ロウの男、木原一善はニヤニヤと笑いながら少年に話し掛ける。

「久々の再開だっつーのに、相変わらずツメテーな」

「………、」

「話がある、これは俺達、復讐者《アヴェンジャー》にとって深刻な問題だぜ?」

一善の思わせぶりな発言にも少年は大した興味を見せず、微動だにしない。

しばらくの沈黙の後、口を開いたのは少年の方だった。

「大方……風紀委員に見つかったといったところだろ」

「はっ、大アタリって所だな。よくわかったなリーダーさんョ」

少年は自分の携帯を開くと、一善の方へと投げ渡した。

「おっ、……と、なんのつもりだョ」

「そのメールの内容を見てみろ」

「あぁ? “やあ、風輪学園のレベル4の諸君………」

一善はそのメールに書いてある内容を読み始めた。

それを読み終えた所で

「ブ、ハハハハハ、ついにあのババアが本気を出すってことか、しかもレベル4の力を借りようとしてるとはなぁ。こいつ傑作だ。ギャハハハハ」

少年は未だにそんな一善に背を向け、ただ夜景を眺め続けている。

「でェ、お前はその“力を貸す立場のレベル4”に入ってる訳だがどうすんだリーダー?  いや―――――」

一善は言い直して

「風輪学園の第六位、黒丹羽千責《くろにわちせき》さんョ」

黒丹羽と呼ばれる少年はそこで一善の方を向くと

「あっちの動きを把握しておけば、俺達がこの先どう動けばいいかも必然的に見えてくる」

そう言い放ち、一善から携帯を取り返してポッケに閉まった。

「つまり“風紀委員に協力する形であっちの情報を抜き取る”って訳か。オモシれぇじゃねぇか」

「どうだかな………」

黒丹羽はそうポツリと呟いて空を見上げる。

屋上では先程よりも風が強くなり、吹き荒れ始めていた。

まるで―――――この先の嵐を告げるかの様に。

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最終更新:2011年12月31日 22:17