File15 拳を握る理由
最初に言っておくと、
風輪学園の第15位、
神道猛はどこにでもいる普通の少年だ。
風紀委員ほどに正義感に満ちているだとか、過去に酷い目にあったとか、そんなものとは無関係な、良くも悪くも普通な人間。
そんな人間が風紀委員から風紀強化週間での取り締まりを手伝うように言われたらどう反応するだろうか。
「はぁ? やだよ。めんどくさいことには関わりたくねぇし」
そう、このように現状の“普通”に必死にしがみつくのである。
断ることに大した理由はない。ただやりたくないからやらない。それだけだった。
神道に要請しにきた風紀委員の少女は、それでも手伝わさせたく軽い脅しを掛ける。
「ほんとに良いのかしら? このまま奴等をほっておけば、いずれ貴方にも危害を加える可能性があるのよ?」
「そうしないための風紀委員だろ? 他をあたってくれ、俺はそんなに戦力にもなんねーし」
神道にそんな脅しは通用しない様でアッサリと断わられてしまった。
そう、と少々残念な表情を浮かべ風紀委員の少女は立ち去る。
最後に一言だけ残して。
「被害の対象は主にレベル1レベル2の生徒よ。確か……貴方の彼女さんもレベル1じゃなかったかしら」
その言葉は嘘ではない。が、ある言葉を省略していた。
実際に被害に遭ったのは“男子の”レベル1レベル2の生徒なのだ。 今までに女子が被害に遭った報告はない。
要するに神道の彼女が狙われることはまずないのだ。
もちろん風紀委員の少女はそのことを理解した上で言った。神道の彼女のことを引き合いに出せば神道が手伝うと踏んでの発言だった。
結果としてはその判断は正しかった。
「マジかよ……」
嫌々とはいえ、神道の手伝いを得ることができたのだから。
そんな訳で神道が風紀委員を手伝い初めて今日で三日目が経過しようとしていた。
最初は風紀委員の仕事は難しいと思っていた神道だが、実際にやってみるとそれはめんどくさくはあったが、必ずしも難しいものではなかった。
活動内容は主に指定された校内及び学園付近の地区の見回り。
その中で取り締まったといえば精々廊下を走った者や、買い食いをしてる者への注意。
少なくとも不良達と血で血を洗うような抗争はまだしてはいない。
本来ならば何もないのにこしたことはないのだが、それはそれでこの活動に参加した意義がなくなる。
「あーーああ、何でこんな下らないことしなきゃならねぇんだよ。もう飽きたっつーの」
神道はかったるそうな独り言を呟きながら、校門の前でしゃがみこんでいた。
というのも人と待ち合わせしているのだ。一緒に見回りをする、風紀委員の少女を。
「一昨日はなんか怖いおばさんだったし、昨日はキーキーうるさい常盤台のお嬢様だったし、今日は誰が付き添いなんだ? ……つーかこの学園の風紀委員って見た目はなかなかなのに性格で損してるよなーー」
「あら、性格で損してて悪かったわね」
神道はギョッとしながら声のした方向をとっさに振り返ると、その声の主は校門のすぐそばで寄り掛かっていた。
整った顔立ちにかかる縁なしのメガネ。そこから覗かせるキリッとした瞳は目の前の神道をしっかりと捕らえる。
「あんたは……!」
神道は思わず立ち上がって少女を指さす。
「久し振りね、神道猛。キチンと仕事してた?」
厳原記立。
神道の一つ上の順位に立つ者であると同時に、風紀委員の“委員長”として知られている頭脳明晰な少女。
そしてなにより、あの日神道に風紀委員の手伝いを要請してきた少女でもあった。
「けっ、あんたのせいでこっちは散々だぜ。可愛げのない女にやりたくもねー仕事手伝わされるわ、挙げ句の果てには俺の態度にキレたその女がまず俺を粛正しようとするわで。これじゃどっちが学園の治安を乱す者かわかったもんじゃねーー」
「レディの気持ちを理解しない貴方が悪いのよ。そんなんじゃ貴方の彼女さんも大変よね」
「あいつは……俺の事を理解してるし、俺もあいつの事を理解してる。相互理解してるんだから大変なことなんてねぇよ」
そっ、と軽く言葉を返し、厳原記立は歩き出す。
人の恋事情に深く干渉しないのが彼女の美学なのか、神道にとってそれは少しもの足りない反応だった。
本当ならもっと追及してきた所をノロケ話……否、自慢話で返り討ちにしてやるところなのに。
神道も厳原を追って歩き出す。
今日の見回りは学校近隣の公園の辺りであった。そこまで歩いていくのは数十分はかかる。
それまで黙り続けて向かうのは神道の人格上、不可能に近かった。
「なあ、アンタは“恋”ってしたことあるか?」
突然の質問に、厳原の足がピタリと止まる。
「な、なめられたものね。私だってそれくらいしたことはあるわよ」
神道にとって厳原の言葉ではなく反応が意外だった。
どんなに完璧を繕った人間にもどこかしらに穴は存在する。これがその良い例とも言える。
「へぇ、アンタでもそんな顔するんだ。もしかして恋愛に関しては全くの素人? なら俺が教えてやるよ恋愛のイ・ロ・ハってやつを」
夕焼けに照らされる厳原の顔は更に赤くなる。
神道にとって、自分の方があらゆる点で劣ってる人物に一つだけでも勝ってる所を見つけられるのは凄い優越感に浸れる物だった。
「年下のくせに先輩をチャカすんじゃありません!」
厳原は前を向き直すと、先程よりも速歩で歩いていってしまう。
「ちぇ、風紀委員の女って本当可愛げねぇなーー」
神道は呟きながら厳原を追う、といっても面倒くさいので自分のペースで歩くだけなのだが。
しばらく歩いたところで不意に携帯が鳴った。その音は電話の着信音ではなく、メールの受信音である。
「誰だ、こんな時に?」
ポケットから携帯を取り出すと、その画面には見知った名前が映し出されていた。
というよりもむしろ今一番見たかった名前だ。
「あいつ……こんな時にメールしてくるなんて。なんて可愛いんだっ!」
神道は感動のあまり肩をプルプルと震わせる。そう、その名前は神道の彼女の物だった。
神道は早速メールの中身を確認すると、
『この頃会えなくて寂しぃよぉ。。。。 風紀委員の手伝いで忙しいのはわかってるけど、私のことも大切にしてよね?』
たったそれだけの文章。しかし神道はそれだけでもすごく嬉しかった。
「あーーもう最高! 超癒される! 今すぐ抱きしめてあげたいわっ!」
だが、よくみると文章はまだ続いていた。
ようやくそのことに気づき、画面を少しずつスクロールしていく。
「ん、たった一文だけか……これが追記ってもん?」
そこに書かれていたのは、
『じゃないと、この女ヤッちまうぞ?』
神道の思考が停止する。
何かの悪い冗談だと思いたい。そうだこんなことを本気で書くはずがない。
だが、その文のすぐ下に添付されていた画像ファイルを見て、神道は真実を受け入れざるを得なかった。
その画像にはナイフを押しつけている男が映し出されていた。
紛れもない――――神道の彼女に。
ゾゾゾオッ!! と、神道の内から何かが騒ぎ立てた。
どうしていいかわからない、しかしこのままじっとしていく訳にはいかない感情。
画面の下に視線を向けると、ご丁寧なまでにその場所と思われる地図と『一人で来い』という言葉が残されている。
神道は先行していた厳原に追いつくと、
「悪い、用事が入った」
それだけ告げ、厳原の制止の声も振り払い、地図に示された場所へと向かう。
分かりきった罠だった。
それでも神道の足は走るのを止めない。
例え自分一人がその場に向かった所で『因われの姫を助け出す王子様』の様に華麗に助け出せる確証なんてなかった。
それでも神道の手は風を切り左右に振りはらう。
時間にしておよそ十三分二十五秒。神道猛は指定されていた場所に着いた。
「いやーー、マジで来たよこいつ!! 確か風輪学園のレベル4の中ではかなりのビビリって聞いてたんだけどなぁ?」
写真通り、建物の柱に鉄のチェーンで縛られ固定されている神道の彼女。
それを取り囲む様に計四名の男がしゃがみこんでいる。
少女は薬かなにかで眠らせられてるらしく、神道の呼び掛けにも顔をあげない。
「――――なせよ」
「あぁん!? 何か言ったか!?」
「俺はこの通り来たんだ!! だからそいつは放せって言ってんだよ!!」
バキィ!! と鈍い轟音が廃工場の中で響きわたった。神道の視界がいきなりノイズが走ったかの様に乱れ、暴れる。
気がつくと神道は地面に倒れていた。
「おいおい、テメェは上下関係ってもんが理解出来てねぇようだな?」
イカツい刺青をした筋骨隆々なスキンヘッドが両手の骨をバキバキと鳴らす。
どうやら、自分の頬を殴ったのもこいつらしい。
「ぐ……、お前らが『アヴェンジャー』なのか?」
鼻から溢れてくる血を抑え、神道はゆっくりと起き上がる。
「いんや、俺達はこの辺りで細々と活動を続けてるスキルアウトだ。何かレベル4を潰せるし、金も儲けられる上手い話しがあるから乗ってみたってだけ」
「最初は半信半疑だったが、ここまでの手順まで詳しく教えてくれてよぉ!! まさかここまで上手く事が進むとは思わなくて、もうウッハウッハだぜ!」
神道はふらつく頭を押さえながらレベル4の頭脳を使って今の状況を理解する。
要するにこうだ。
この男達は、話しに聞いていた『アヴェンジャー』ではなく、金で自分を潰す様に雇われたただのスキルアウト。
このスキルアウトを雇ったのは恐らく『アヴェンジャー』なのだろう。
「――――つ、話しが違うぜ風紀委員さんよ……」
ならば何故、今まで学園内のレベル0、1、2“だけ”を対象に暴力を振るってきた『アヴェンジャー』がこいつらを雇ってレベル4の自分を狙うのか。
「まぁ、最初から……そんな気はしてたんだがねぇ……」
それは風紀強化週間に協力したレベル4を煙たがったからだろうと神道は予測する。
もし『学園内のレベル4が風紀委員に協力してる』という事実がアヴェンジャーの足枷になるのだとしたら、『そのレベル4が、何者かによって重症を負わされた』という事実は現在協力中のレベル4達にどのような感情を与えるだろうか。
それは『このままでは自分も同じ目に遭う』という恐怖感。
それによってレベル4達は次々と風紀委員に協力するのを止め、離れていく。そうすればまたアヴェンジャー達は行動がしやすくなるといった算段だ。
くそったれが、と口に溜まった血を吐きだして神道は言う。
「おい、お前こそ上下関係をわきまえた方がいいんじゃねぇか? この俺はレベル4。それに対してお前らはレベル0の集団だ。勝敗は分かりきってるだろ?」
バゴン!! と、スキルアウトの男は容赦なく神道の腹に蹴りをいれた。
「があぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
痛みにもがきながら血の交じった嘔吐物を床に吐きだす。腰がガクガクと震え、脳が暴れる。
「脅したって無駄だぜ? テメェの能力は教えてもらってんだからよ」
「なんつったって、テメェの能力は自分の身体を犠牲にしなきゃ発動できねぇんだろ? しかも過去にその能力を使って腕に怪我を負ったせいで、今はブルって脅しの材料にしかならねぇときたもんだ。そんなんで誰がヒビるんだよ!!」
(ちくしょう……痛ぇよ……こえぇよ……何だって俺がこんな目に)
神道は痛みに震えながら、そっと自分の拳を見つめる。
手袋で隠された右手。それは男達の言った通り、過去に能力の暴発によって傷を負ったがためにそのような処置をしてるものだった。
あの時の痛みは今の比ではない。思い出すだけで冷や汗が噴き出し、吐き気を催す。
あの日もう二度とこの拳は握らないと誓った。
それなのに――――――
神道は。
その拳を。
握った。
「お前らは何か勘違いしてるようだなぁ……」
フラフラになりながら神道はゆっくりと立ち上がる。その瞳は先程の様に泳いでははおらず、しっかりとある一点だけを見つめていた。
「俺は能力を“使えない”んじゃなくて“使わない”だけだ」
一歩また一歩と一人の男に近付いていく。すぐそばには柱にくくりつけられた彼女が。
「俺は……そいつを助けるためなら、この拳の一つや二つくれてやる」
当事はなかった『拳を握る理由』。
しかし今は目の前の彼女がいる。自分のかけがえのない心の支えが。
「その汚ねぇメンタマかっぽじってよく見やがれ」
神道は強く握り締めた拳を突き出す。
「これが俺の実力だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ドゴオオオオオオオン!! と神道が何かを殴りつけた瞬間、激しい爆音が響き渡る。
建物の中は煙がたちこめ、辺りが見えなくなった。
「お、おい大丈夫か、お前ら!!」
スキルアウトの一人が仲間の安否を確認する。少なくとも一人は神道の能力の犠牲になったはずだったが、呼び掛けに応じて集まったのは三人。
一人も欠けてはいなかった。
では神道が能力を行使した対象はなんだったのだろうか。
煙が引いていくのと同時に男達は見た。
捕らわれていた少女を片手で引き寄せ立っている神道を。
すぐ近くで、途中から上が消滅しているコンクリの柱を。
(ばっ、ばかな!? 半径20センチのコンクリの柱をぶち壊しただとっ!? 奴の能力はどんだけの破壊力を秘めてやがるんだ!?)
自分の血で真っ赤に染まった右手をものともしない様子で神道は言う。
「おっと、頭がフラフラし過ぎて狙いをはずしちまったなぁ。ま、そのお陰でこいつを固定していた柱をぶっ壊せたからいいんだけどよ」
狙いをはずした。ということは本来ならばこちらを狙っていたということ。もしあんな拳を受けたら文字通り人体は木端微塵だ。
「さて……今度はどいつが俺の能力の餌食になりたい? 死にたい奴から、前に出な」
血に染まった右手を掲げながら神道は笑う。その表情からは殺意さえ感じ取れた。
「う、うわあぁぁぁぁ!! 撤退だ、早く撤退するぞ!」
ドタバタと男達は逃げ出していく。大方、情報と違う神道の行動に恐れをなしたといった所だろう。
「はは、ビビりはどっちだってんだ……」
男達が完全に立ち去っていくのを確認すると、神道は膝を折る。
右手からは夥《おびただ》しい量の血液が流れだしていた。
「神道君!! しっかりして!! 寝ちゃダメッ!」
先程の爆音で目が覚めた少女は神道のバンダナを右手に巻きつけて必死に止血をしようとする。
「この程度……じゃ、死なねぇよ。人間の身体は案外丈夫にできてんだ……」
神道はゆっくりと目を閉じた。
右手を怪我したという状況は昔と同じだというのに、今回はどこか安心感がある。
それはすぐ近くに彼女がいるからこそのものであった。
「今救急車呼んだから……もうすぐの辛抱だからっ!」
「わかってる……」
神道は一息置いてそっと呟いた。
無事で良かった、と。
結局、神道は敵の罠にまんまとかかりご覧のありさまだ。右手は再び大怪我を負い、痛みの感覚すら麻痺している。
それでも彼女を守り切れたことが嬉しくて、それだけで充分だった。
夕暮れの街に救急車のサイレンが聞こえてくる。
その音は近付いてくるはずなのに神道の耳元ではだんだんと小さくなっていった。
サイレンの音だけではない。必死に呼び掛ける少女の声も、周りの物音も、まるで遠ざかっていくかの様に静かに、弱々しく聞こえなくなっていった。
最終更新:2012年03月28日 14:35