File14 委員長のお仕事
「なあ、アンタは“恋”ってしたことあるか?」
突然神道の放った言葉。それは厳原に動揺を与えるには十分なものだった。
「な、なめられたものね。私だってそれくらいしたことはあるわよ」
厳原くらいの少女ならば恋なんてするのは当然だし、付き合ってる者だって珍しくはない。
だが厳原にとって『恋』というのはそれ相応に重いものだった。
恋とは何なのだろう。
憧れなのか、独占欲なのか、それともただの生殖本能のかたまりなのか。
厳原はまだ『とある人物』に対する感情が恋なのかよく理解できていない。
それでもその人物のことを片時も忘れたことはなかった。
『とある人物』との出会いはお世辞にもあまりいいものとは言えなかった。
端的にまとめると女であるにも関わらず、おもいっきりぶん殴られたのがその人物との出会い。
随分とバイオレンスな出会いだと勘違いされがちだが、実際には違う。
その人物は厳原にとっての救世主《ヒーロー》だった。
人間不信になっていた厳原の目を覚ませてくれたただ一人の。
今から少し前のこと。
厳原は特に何もない日常生活を送っていた。ただ仲の良い友だちと一緒にお弁当を囲んだり、寮に集まって勉強会をする日々。
しかしある日聞いてしまったのだ。
「ねぇ、厳原さんって自分だけレベル4だからって調子のってるよね」
「わかるわかる、何が『これがレベル4の実力よ』よ。 ドヤ顔で自慢してんじゃねーっつの!」
その言葉は厳原の親友たちの言葉だった。自分が信じていたかけがいのない友人達の。
厳原の能力は『透視能力』。
いくら先のものを見透かせたって人の心までは見透かせない。それこそどこぞの16位の十八番《おはこ》だ。
それでも厳原はそこで何かを見てしまった気がする。人の心の最も黒くて、醜い場所を。
それから厳原は学校にも行かずただ一人『無能力者狩り』に明け暮れた。そうでもしなければもはや自分を保てなかったのだ。
親友達の目に映る自分はそんなにも酷かったのか。
自分の目に映る親友はこんなにも醜かったのか。
厳原はもはや人間というものが信じれなくなった。他人だけではなく自分さえも。
ひたすらに無能力者を潰していき、ひたすらに自分を堕としていく。
そんな負のスパイラルに囚われていた厳原を救ってくれたのが一人の少年。つまり『とある人物』だったのだ。
少年は厳原に対してこう言った。
「確かに、人間は心に負の部分を抱えて生きている……でもな、それだけがそいつの全てじゃねえだろ!? 表があるなら裏がある、その裏にはさらに裏がある。 結局お前は裏しか見切れてねぇじゃねか! お前に悪口を言ったことだけがそいつ全てか? 違うだろ! そこんとこまで全て受け止めてこそ親友なんだ、 なのに勝手に諦めてんじゃねえぞ!」
あまりにも長い説教。しかし厳原は気付かされた。自分は他人の綺麗な部分だけを見ていたかったことを。それがどんなに贅沢な望みかを。
「それでもアンタが変われねえっていうなら――――」
その少年は風を切り、ツンツン頭を揺らしながら厳原のもとへ駆けてくる。その右腕には力強く握られていた拳が。
「まずは――――その幻想をぶち殺す!」
厳原の顔面に振り払われた拳。それは被害に合っていた無能力者のためだけに振るわれたものではない。
そう。
それは厳原自身のためのものでもあったのだ。
その日を境に厳原は再びもとの日常を取り戻した。あの少年に教えられたことを胸にしまい逃げずに人間と向きあうようになったのだ。
最初は怖かった。自分は本当に変われるのか、友人達はいつもの様に接してくれるのか。
久々の登校での友人達の第一声。
それは謝罪の言葉だった。
結局、人間という生き物は良い部分と悪い部分を兼ね揃えている生き物だ。
陰で人を罵倒することも出来れば、それに対して謝罪することだってできる。
「……ううん、私こそごめん。みんなに嫌な態度とっちゃって」
大事なのはその2つの面どちらも受け入れて付き合っていけるかどうかということ。
厳原はここで初めて本来の友人を得ることができたのだ。
それから程なくして厳原は風紀委員に入ることを決めた。
理由は簡単なことであの時の少年に教えられたように今度は自分が教えてあげたい。助けてあげたいという感情の現れだった。
「ふふ、なんか懐かしいわね」
そんな過去を思い出しながら厳原は頬をさすった。あの時の少年に殴られた時の痛みが昨日の様に思い出される。
しばらくしてようやく今回の巡回場所である公園に着いた。
本来ならば神道とこの場所を見まわるはずだったのだが、ついさっき用事が入ったとか何とかで途中で帰ってしまったのだ。
つまりこの広い場所を一人で見回らないといけということ。
はぁ、と軽くため息をついて厳原は歩き出そうとすると。
「あのーー、ちょといいですか?」
後ろから声をかけられた。
その声はどこかで聞き覚えのある声。
「はい、どうかしま……」
振り返ってみるとそこには一人の少年が立っていた。片時も忘れもしなかったあの時の少年が。
「……したか」
残りの言葉を言い終え、厳原は唖然とする。なぜあの時の少年がここにいるのか。
もう二度と会うことはないと思っていたので、この邂逅はとても衝撃的なものだった。
「いやーーとても恥ずかしい話なんですが財布を落としてしまって……」
しかし少年は忘れているのか厳原の顔を見ても特に反応を示さずに言葉を続ける。
自分が忘れられていることに厳原は少し落ち込むが、いまは風紀委員として私情を持ち込む必要はない。飽くまで事務的な態度で厳原は尋ねる。
「つまり、それを探すのを手伝って欲しいというわけね」
「察しがよくて助かります……」
厳原は少年に事情を聞くと、要するにこの少年は第五学区にしかない参考書を買いにここまで来たはいいが、途中で財布を落としてしまったということらしい。
かつて自分を助けてくれたヒーローが財布を落として困っているなんてなんとも滑稽な話だが、厳原はそんなことも気にせずただ少年の横顔を見つめる。
夕日を受けた少年の瞳は吸い込まれそうなくらいに奥でキラキラと輝いていた。
「……俺の顔になんかついてますか?」
「え、いや。な、なんでもありませんよ? そんなことより落とした所は本当にここ辺りだったんですか?」
「はいあそこの自販機でドリンクを買ったから……なくした場所はここからそう離れてないと思うんですが」
「ドリンクを買った後、財布はどこに閉まったの?」
「確かカバンの中だと思います……」
厳原はカバンの中を透視して、中にあるものを見るが少年の言った通り財布らしきものは見当たらなかった。
仕方がなく公園の自販機周辺から少年と一緒に財布を探し始める。
(はぁ、巡回もしなきゃいけないってのに……でも、彼のためならいいかな)
厳原は茂みを漁りながら少年に尋ねる。
「ねぇ、あなたって……」
「ん、俺ですか? 俺は……」
そうして日が暮れるまで厳原と少年は公園付近を探しまわったが、財布らしき財布はひとつも見つけられなかった。
「もしかしたら掃除用のロボがごみと間違えて回収してしまったかもしれないから、業者に問い合わせてみるといいかもしれないわね」
「そうですか……不幸だ……」
少年は探すのを手伝ってくれた厳原に礼を言って立ち去って行く。
厳原は彼の後ろ姿を見つめているとあることに気づいた。
それは尻ポケットの膨らみ。
何かと思って透視してみると……
厳原は少し笑って、その少年の元へ駆けていく。
「なにが『カバンの中に閉まった』なんですか? あなたお尻のポケットの中にしまいっぱなしじゃない」
少年は一瞬キョトンとして尻ポケットに手を当てる。
「ほ、ほんとだ!上条さん感激です!」
そうして上条と名乗る少年は走ってこの場を去っていった。
どうやら今から参考書を買いに行ってもバスの時間にはギリギリ間に合うらしい。
「上条っていうんだあの子……どうせなら下の名前も聞きたかったな」
ポツリと呟いて厳原は支部に戻り始めようとした時。
不意に向こう側から厳原の名前……ではなく『委員長』と呼ぶ声が聞こえた。
「『委員長』ーー! 巡回時間過ぎても帰ってこないから心配して見に来ましたよー―!」
「早く支部に戻りましょうよ『委員長』! 今日は鉄枷のおごりで全員分のお弁当用意してますから!」
わざわざ迎えに来てくれたのは湖后腹真申と
一厘鈴音だった。
『委員長』とは別に厳原が何かの委員長という意味の言葉ではなく、ただ厳原のしっかりとした性格から呼ばれてる愛称である。
彼女がここまでの信頼を勝ち取れたのは紛れも無くあの少年のお陰だった。
(“上条くん”ありがとう……あなたのお陰で私は変われた。こんな素敵な仲間を得ることができたわ)
厳原は二人の待つところへゆっくりと向かう。
この、大切な時間を胸に閉まって。
最終更新:2012年04月02日 20:56