ヴァージニア=リチャードソンの家に潜入は呆れる程簡単だった。
まずはマティルダと冠華を半ば放置する形で、ヤールがヴァージニアに何やら話し。
とてつもなく渋い顔をする両親だったが、最終的には上目遣いでねだるヴァージニアに二つ返事でOKの言葉。
期限付きながらもヴァージニア=リチャードソンの家に住める事になったのであった。
(あいつも覗き見だけが得意ってだけじゃねぇのな、ガキを誑かす技も持ってやがるとは)
中々に失礼な事を考えながら、廊下を一人で歩く冠華。
当のヴァージニアは何処かに行ってしまい、マティルダとヤールも引き摺られるように連れて行かれた。
現在、冠華霧壱は絶賛一人ぼっちだった。

「……全く、嫌になるぐらいに広い家だぜ」
博物館の美術品や、他国の工芸品や民芸品を買い取って欲しいとねだる。
そんなヴァージニアの我侭を聞いてやれるぐらいの金持ちの家は広かった。
そりゃもう冠華の言う通り、嫌になるぐらいに広い。
日本の手狭な住宅事情に慣れている彼は、今歩いている場所が分からなくなるぐらいだった……いや、それはさすがに言い過ぎだが。
自分に与えられた部屋に行こうと、階段を上って廊下を歩いてる最中の冠華。
しかし、自分が正しい方向を歩いている確証が持てずに頭を掻く。
行ったり来たりしてるだけで、目的地に近づいている感じが一切しない。
方向音痴ではないはずだが……この家は何かがおかしい。
六感も含めた五感を僅かに狂わせるような結界が、家全体に張り巡らされている気もしてくる。
平気な顔をして歩いている使用人に道を聞こうともしたのだが、冠華の姿を見ると競歩で金メダルが取れるスピードで逃げ去ってしまう。
「何だあいつら?礼儀も知らねえのか……っお?あのガキの言ってた所はここだな」
自分の姿に原因があるとは考えず、愚痴を吐きながら歩いていた。
そして、やっと、目的地と思わしき扉を見付けて首を鳴らす。
遠慮無くノブを回して扉を開くと―――。

そこには、何かに着替える途中なのか半裸の少女二人――マティルダとヴァージニアが居た。
扉が開く音に反応したのか、ヴァージニアが慌てた調子で向き直る。
誰かと勘違いしているのか妙に陽気だ。
「ヤールさんったら!まだ着替えの途……え?」
ヴァージニアが向き直ると、そこには見知らぬとは言わないが、親しくも無い男性が。
ショーツ一枚のみの姿を見られて羞恥の感情が涌いたのか。
着替え中の服(妙にヒラヒラな部分が多い)を体の前に掻き抱いて、ヴァージニアは顔を真っ赤にして、口をわなわな震わせる。
ここは土下座の構えを取らなければ、性犯罪者の汚名を着せられるのは必然と言っても良い状況だが。
「この部屋で何してんだお前ら?」
何やってんだこのガキと、冠華は何処吹く風といった様子だ。
妙に露出した部分が多いが、ボタンや紐を結ぶ所が多くて着難いと言う矛盾した服に四苦八苦しつつも着替え終わったのか。
桃色を基調とした衣装……何かのコスプレだろうか?をしてご満悦のマティルダに疑問をぶつける。
「おい、マチぃ。何でお前も居るんだ?ここは俺の部屋だろうが」
「え?間違ってるのは冠華おじさんだよ?あたしとジニーの部屋はここだもん」
「そうか?……ってじゃあ、何処が俺の部屋だよ。そこのガキに教えられた通りに来たんだぞ?」
「もー、しっかりしてよね。冠華おじさんの部屋は反対側だよ」
そして冠華の背後を指差し、それに釣られて彼が肩口に振り返ると。確かにそこにも扉がある事に気付いた。
「悪い。勘違いしてたのは俺だったな、教えてくれてありがとよ」
そのまま扉を閉めて姿を消した冠華。
清々しいレベルでデリカシーが欠如した行動であった。



「……あの人って何時も、ああいう風なの?」
女の裸に焦る事も照れる事も無く、自分の言いたい事だけを言ってのけた冠華の行動に怒るポイントや泣くポイントを外されたのか。
妙に冷静な気分になりつつ着替えを済ませたヴァージニアが、鏡の前でポーズを取るマティルダに言った。
膝下と言うよりは股下の、超が付くミニスカートを翻して何かを構えるようなポーズを取る。
彼女はヴァージニアの二つ、三つは年上のはずだが、何だか妙に子供っぽい。
だから故か、今日が初めて会ったと言うのに意気投合して、日本から取り寄せた秘蔵のコスプレ衣装で仲良くお着替えをしていたのだった。
「うん、そうだよ……むむむ。この角度から見せたらクライヴさんも悩殺されるかな」
何気なく返答したマティルダに唖然としたヴァージニア。
そして逆に何かに敗北したような気持ちにさせられる冠華の行動を思い出して臍を噛む。
「うう……ヤールさんの時は、もっとこう違ったのに……」
家に招いた時に、自分の着替えを誤って覗いてしまった時のヤールの行動を思い出す。
「ふぅーん、そうなんだ。ヤールさんもジニーの着替えを覗いちゃったのかぁ」
「………」
そこで失言に気付き口を噤むヴァージニアだが、聞き流してはくれなかったマティルダが興味津々と言った体で近寄る。
ニコニコ笑顔を寄せ、更には腋を擽るように手を伸ばしてきた。
「ねぇ、その時はどうなったのかな?……気になるなぁ、気になるなぁジニーちゃん。お姉さんにそこん所を赤裸々に話してみなさい」
「ふひゃぁ!」
そのままベッドに押し倒すように押し倒されるように転がり、きゃあきゃあ言い出した二人の少女。
何とも微笑ましいと言えるかもしれない、お互いの服装以外は。



扉を開けた冠華だが、そこには先客が居た。
ベッドに座るヤール・エスベランだ。何か恥ずかしい体験でもあったのか少し顔が赤い。
「……お前と相部屋かよ」
嫌そうに呟く冠華だが、ヤールの方は冠華以上に勘弁して欲しい気分になっているのは間違いないだろう。
自然に棘のある言葉がヤールの口から出る。
「随分遅かったですね。道にでも迷いましたか?」
「ふん、部屋間違えちまってな。ついさっきマチに教えてもらったんだわ」
「はぁ!?」
さり気なくとんでもない事を言った冠華に驚愕する。
……今は確か、マティルダとヴァージニアは対面の部屋で着替えの真っ最中だったはずだが。
「か、冠華!?あ、ああ貴方はジニーの裸ををを!?」
「ああ、見たが?……だからどうしたってんだ。あのガキの裸を見たら死ぬってのか?」
猛烈にテンパるヤールに、何慌ててんだこいつ的な冷たい目を向ける冠華。
「確かに仰るとおり、ジニーは妖精のように可憐で、彼女の裸を見た人間は目が潰れるような神秘さを出して……って!いや、そうではなくて!」
自分でも何を言っているか分からなくなる慌てぶりを晒すヤール。
そして突如脳裏に浮かぶのは、間違って裸を覗いてしまった在りし日の出来事。
生まれたままの姿のヴァージニアは、正に光に輝く妖精のように神秘的だったが、
その後は地獄の猛犬めいていたなぁ……あの時は傷だらけにされたのに、この首狩族は裸を覗いてどうして無傷なのか不思議だ……いやもう既に傷だらけだけど……などと現実逃避を始めた所で。
「何をジタバタしてんだ?……ああ、そうだ、お前に言っときたい事がある」
「な、何ですか?」
妙にシリアスな顔でこちらを見やる冠華に佇まいを直す。
「俺はこっちで寝るから、お前はそっちのベッドで寝ろよ」
「……ええ、まあどちらでも好きな方を選んでくださいどうぞどうぞ」
「かぁー!?何だこのベッド、すげぇフカフカだなおい!?あのガキは本当に金持ちなんだな!」
言葉を待たずに、早速ベッドに横たわると、あまりの柔軟さに驚き目を丸くする。
その貧乏人丸出しといった格好に、ヤールは苦笑いを浮かべた。
「そういや前、何時まであのガキを見張らなきゃならねえんだ?1年2年とかなったら冗談じゃねえぞ」
「ええ?ジニーを守る任務ですよ?それこそ10年20年も見守るのが当然じゃないですか」
「何っつうか……あのガキが絡んだ途端に暴走する、お前のその神経には驚くわ……」
「失礼な。貴方だけには言われたくありませんね」
「お前も言いやが……ッ!?
冠華は異常を感じて――「ある物」が感じさせて、言葉を切って顔を強張らせる。

<きけんきけんきけん!><マドノソト!><敵魔術奇襲!>

ベッドから跳ね起きて窓に目を向ける冠華に、ヤールが不審げな顔を向ける。
「ボーっとすんな!伏せろ!」
詰問は置いておいて、取り合えず言われるがままに転がるように地面に伏せるヤール。
その冠華の叫び声と同時に。轟音と共に部屋の窓壁が粉微塵に砕ける。
豪速度で飛び散った木やガラスの破片が、冠華とヤールをズタズタに引き裂かんと襲いかかったが――。
干し首から溢れ出た霧のような物が、前面を覆う盾と化し破片を弾き飛ばす。
ザスザスザス!!!と、辺りに破片が突き刺さり、一瞬の静寂が周囲を満たす――遅れて事態を把握したヤールが跳ね起きる。
「これは!」
「伏せてろってんだろうが!二発目がくるぞ!」
言葉通りの二発目は、数本の刀だった。
脳、心臓と嫌になるぐらいに的確に急所めがけて飛んでくる刃。
盾に弾かれた刃が顔を掠めて息を呑むヤール。
弾かれても勢いは鈍らずに、壁を貫き廊下を突破し対面の部屋の壁に突き刺さった所でようやく止まる。
長さは20cm弱の短刀と言っても良い短さだが、先程の破片とは比べ物にならない威力なのは明らかに見て分かるだろう。
その間に冠華は、敵の予測位置を短刀の軌道から逆算。
「かあっ!」
槍を突き出すかのように手を突き出し、前に一歩踏み込む。
すると、霧のような物が盾から槍に形を変化させ、音をも置き去りにしかねない速度で前方に伸び、闇に閉ざされた空間を貫く。
会心のタイミングの反撃であったが、冠華の手に手応えは無かった。
ザン、と言う木の枝が揺れる音が耳に届いた。
(っち、避けやがったか……手練だな)
今の反撃にも毛ほどの動揺を見せない敵の、過度に緩まず締めない冷たい殺気が押し寄せる。
次の瞬間には殺されているかもしれない緊張が冠華の身を満たし、その「心地良さ」が彼の顔を綻ばせる。
(お次はどうくるか……)
喜びに唇を舐めて次の動きを待つ冠華だが、そこで敵の気が不自然に動いた。
速やかに遠ざかる気配に眉を顰めると。
「何をやっているんですマチ!?貴方はジニーを守っていてください!」
ヤールの悲痛な叫び声に後ろを振り向けば、そこには息せき切って扉を蹴破り入室したマティルダの姿。
その更に向こう、ドアの彼方を見ると何かの破砕音とヴァージニアの叫び声が遠ざかっていくのが聞こえた。
即座に状況を理解する。なるほど敵は目的を達成したのだ、これ以上ここでドンパチをする気は無いと言う事だ。

そして冠華の頭に血が昇った。


「殺り合う気もねぇ腰抜けにコケにされ、た?…………っはははは!ふっざけんな!追うぞお前等ァ!」
ヤールとマティルダの返答を待たずに窓から飛び出す冠華。
3階分の高さだったのだが、危なげ無く膝でクッションを取り、落下の衝撃を推進力に変えて駆け出した。



窓から飛び出した冠華にヤールは驚いたが、それも一瞬の事。
マティルダに指示を出して後を追わせる。
「冠華だけじゃ不安です!マチも追ってください!」
「分かった!」
短い応答と共に、部屋を洗い流すような強い風が吹き、マティルダの体が空に射出される。
それを横目に、大急ぎでヤールは魔術的な通信をネセサリウスと始めた。
『ミック!聞いてますかミック!!』
『ヒヒヒ…ええ、こちらでも異常は察知しました。「誘拐者」の手の者が襲撃したんですね?…ヒヒ』
『そうです!ですから増援をお願いします、良いですか!?今から、僕と繋がりを作ってあるジニーの場所を示しますよ!?彼女の現在座標は……』
『ヒヒヒヒ……いえいえ、俺達にはやる事があるので、そちらに人手は割けないんですよ…残念ですがね』
予想だにしない返事を聞いて怒りで頭が真っ白になりかける。
次いで、口から出そうになる罵声を必死で抑えるヤール。
『何をふざけているんですか!?』
『いえいえ、全くふざけていないんですよこれが。ヴァージニア=リチャードソン宅の希少な物品の保護をしなければいけないと言う重大な任務がありましてね』
そこまで聞いて通信相手や、その上層部の悪辣な意図をヤールは読んだ。
世界屈指の危険な魔術道具をコレクションにするヴァージニアの存在。
そんな彼女をイギリス清教が危険視しており、彼女のコレクションを狙ってもいたという事。
……そもそも、外からも見張られているここに、襲撃者が易々とやって来た異常事態。
つまり。
驚くほどに感情が伴わない、底冷えのする声をヤールは出した。
『手を汚す事無く潜在的な危険人物を排除して、彼女のコレクションを強奪ですか、笑えませんね』
『ヒッヒヒヒ……いやぁ、だから保護ですって、歴史的に価値のある物だらけですし、持ち主不在の間、我等イギリス清教で然るべき所に収めるだけですよぉ……ヒヒヒヒヒ』
『そのコレクションの数々はジニーに所有権があるのですがね』
『ヒヒヒ…危ない物に手を出して火遊びが過ぎた小娘の事ですか?確かに彼女もイギリス国民ですからねぇ、救出したら返却するに決まっているでしょう。当然「今は」無理ですがねえ』
言外に、死体か廃人になるまで救出する気は無いと言う事か。
静かに殺意を尖らせるヤールの耳に、何かを思い出したようなミックの声が聞こえた。
『ヒヒ……まあ、あんた方三人は物品の保護を任務にしてはいませんから、どうぞヴァージニア=リチャードソンの救出に向かって構いませんよ』
それはどういう事なのか一抹の疑問を抱いたが。
もう時間は無い。
彼女が連れ去られる事や、彼女の愛した物が無遠慮に持ち去られる事にヤールは耐えられない。
『ミック……覚えていなさい』
『ヒヒヒヒ……文句はこんな指令を出したお偉方に、言って貰えると嬉しいんですがねえ……ヒヒヒ』

気色悪い笑い声をバックに、ヤールも「誘拐者」達を追って走り出した。

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最終更新:2012年04月14日 21:32