今の時刻は午後9時半。ここ第7学区のある溜まり場には穏健派の救済委員が集まっていた。
この後10時から、過激派と呼ばれる救済委員達と久し振りの会合を開催することになっていたからである。
「刺界の奴遅ぇな。一応30分前には集まろうって話だったのにな」
「そうだな。安田ちゃん。何か知らない?」
「い、いえ。私にもわからないです」
今集まっているメンバーは春咲、花多狩、農条、啄、仲場、ゲコ太の6名。
以前別れる際に、今回の会合が開かれる30分前に集合するように花多狩の指示があったのだが、界刺だけが1人遅れていた。
「というか、最近姿を見せない俺達以外の穏健派の連中はどうしてんのかね?一応連絡はしたんだけど」
「もしかしたら、過激派の連中と一緒に来るかもってね。そいつ等って過激派の連中と割かし付き合いあるみたいだし」
「・・・駄目ね。さっきから刺界の携帯に何回か掛けているけど、一向に出る気配が無いわ。何かあったのかしら?」
「それは杞憂でござろう、花多狩殿!あの男は我が師匠が見込んだ男!何ら心配は必要無いでござろう!」
「ゲコ太の言う通り!あの男は必ず来る!俺の信頼を疑うのか、花多狩女史よ!?」
「い、いえ。何も無いのならそれでいいのよ」
啄とゲコ太の意見にさっさと自身の疑問を取り下げる花多狩。この変人達に下手に食い下がると碌なことにならないのを重々承知しているが故の判断である。
「どうせ、もうすぐ来るんじゃないってね。アイツはそんじょそこらの奴にやられるようなタマじゃないでしょ」
「ええ。そうね」
「(界刺さん・・・)」
農条の言葉に肯定の返事をする花多狩。メンバー内の空気も少し穏やかになる中、春咲だけが心の中で自問していた。
「(何かあったのかな?でも、あの人は『
シンボル』のリーダーなんだし、この前の事件も活躍していたっていうし。・・・でも・・・)」
正直な所、春咲は界刺に対して良い印象を持っていなかった。
自分の前に何回も立ち塞がって、嫌味ばっかり言って、挙句の果てに自分と同じ救済委員に参加してまで自分を邪魔するムカつく男。そういう印象だった。
「(でも・・・最近は救済委員の活動も深夜に至ることも多かったし。熱帯夜が続いているから寝不足が発生しているって鉄枷君とかも言っていたし)」
春咲は界刺のことを積極的に理解しようとは思わない。わかろうとしない。それは相手が界刺に限らない、彼女なりの処世術。
相手を必要以上に気にしない。余計な思考をしない。自分の心を保つために。そう努めて来た。
「(事故とかにはなっていないとは思うけど。・・・そういえば、何で救済委員になってまで私に構うんだろう?自分だってしんどい筈なのに。何で・・・)」
なのに、今の春咲は界刺について思考を巡らしている。彼女らしくないその行動が意味する所、
つまり彼女の中で界刺に対する印象が変わり始めていることに春咲は気が付かない。1人自問を続ける春咲であったが、突如農条の声によって現実に引き戻される。
「おっ!刺界だ!!全く、遅いってね!!」
「えっ!」
どうやら遅れていた界刺がようやく到着したようだ。農条他各メンバーも界刺に駆け寄って行く。
それに遅れないように春咲も界刺に近付こうとする。
「げっ!!」
まず、言葉を発したのは農条。その表情は心なしか引きつっているように見えた。
「・・・珍しいな。お前がこんなに早く、しかも集合時間の20分前に来るなんて」
次に言葉を発したのは仲場。冷静な振る舞いの中に、どこか緊張の色が見て取れる。
「どうしたの、刺界?足を引き摺って。どこかで躓いたり・・・はっ!まさか・・・」
続いて言葉を発したのは花多狩。彼女は足を引き摺っている己の仲間に声を掛け、その後に同行者に目を向ける。
「そんな目で見るなよ、花多狩。羽香奈から新入りが入ったと耳にしたんでな。どんなもんかと腕試しをしてみただけだ。・・・期待外れだったがな」
「雅艶・・・」
藍色掛かった長髪に白杖を手にした目を閉じている少年が、もう1人の新入りに顔を向ける。
「お前がもう1人の新入り・・・安田だったか」
「は、はい」
「俺の名は
雅艶聡迩。見ての通り、目が見えない人間だ。そして・・・お前と同じ救済委員の1人だ」
「よ、よろしくお願いします」
「よろしく。それじゃあ、救済委員へ加入したお祝いに俺の能力を披露してやろう」
「能力ですか?」
「ああ。ちゃんと後で実物もプレゼントしよう」
「実物って・・・何ですか?」
春咲は目の前の盲目の男の捲くし立てに戸惑っていた。だが、何やらお祝いやプレゼントという言葉から、悪いことでは無いのだろう。
とにもかくにも、雅艶が登場した途端に発生したこの重苦しい空気が取り払われるなら何だっていい。
そう考えていた春咲であったが、目の前の男はそんな春咲の予想を大きく飛び越えていく。
「それは・・・お前のヌード絵だよ」
「ブッ!!!!」
「あ、喜んでくれたみたいだな。よかった、よかった」
「な、何で女性に贈るプレゼントがヌード絵なんですか!!?」
「実はね、俺の能力は透視能力に分類される『多角透視』って言うんだが、それによって俺にはどんな人物の裸体も手に取るようにわかる」
「そ、それってただの覗き趣味の変態じゃないですかー!!」
春咲は赤面しながら(ガスマスクで見えないが)雅艶に文句を付ける。ここまで堂々とした覗き告白をする者もいないだろう。
「変態?はぁ、お前もそういうクチか。ったく、ヌード絵ってのは確立された芸術の一種なんだぞ?」
「人の了解を取らないヌード絵が芸術であってたまるもんですかー!!第一女性の・・・は、裸を覗くことに何の罪悪感も感じないんですかー!?」
「全く感じないな。お前の方こそ裸身に対する偏見があるんじゃないのか?どうしてそこまで裸を覗かれることに抵抗するのか、俺には理解不能だ」
「私からしたら、あなたの考え方が理解不能です!!」
「・・・お前のような奴に芸術のいろはを説いても仕方無いことだったな。それに、もう俺はお前の裸身を見ているしな。勝手に描くとしよう」
「はっ!?」
「え~と、3サイズは・・・上からB:・・・」
「ちょ・・・ちょっと!!止めて下さい!!」
「雅艶!!いい加減にしなさい!」
さすがに見かねたのか、花多狩が口を挟む。そんな花多狩に雅艶は意外そうな目を向けて返答する。
「何だ、花多狩。お前もヌード絵をまた描いて欲しいのか?」
「そんなわけないでしょう!!何馬鹿なことを言っているの!?・・・“また”?」
「うん?嫌なのか?・・・だが、この前お前のヌード絵の制作依頼を受けたんだがな」
「はっ?それってどういう・・・」
「そこの啄や農条達が俺に言って来たんだ。『花多狩姐さんがお前の芸術をようやく認めたんだ。
そこで、お前の持てる全ての力を振り絞って自分のヌード絵を描いて欲しいって言ったんだ』と俺は聞いた。だから、俺は渾身の一作を描いて農条達に渡したんだが。
そういえば、『これで姐さんの3サイズが・・・』とか『花多狩女史の美貌が永久に』とか何とか言っていたが・・・あれは何だったのだろう?」
「・・・・・・」
雅艶の説明を聞き終えた花多狩。そして、首を後方に振り向ける。その表情は・・・般若の如き恐ろしい代物であった。
「・・・どういうことかしら?農条?啄?仲場?ゲコ太?」
「「「ビクッ!!」」」
「む?」
花多狩の視線の先には、今まさにトンズラしようとしていた農条達の姿があった。唯一啄だけは平然と立っていたが。
「あ、姐さん!!これには深い事情があってですね。決してやましい気持ちは・・・」
「の、農条の言う通り!!拙者達に他意はござらん!!」
「そ、そうだよ、花多狩。俺達は別にそんな趣味は無いって・・・」
「うむ!!俺達はそんなコソコソした真似などしない!!『花多狩女史の素晴らしき裸身を永久に残したい』と堂々と言ったのだ!!」
「「「あっ」」」
何とかごまかそうとしていた農条達の努力をぶち壊すかのうように啄が堂々と宣言する。この男もまた雅艶とは違う意味で堂々としている。
花多狩は言葉を発しない。静かに『演算銃器』を構えただけだ。その銃口の先にはもちろん・・・
「お前等・・・1万回死んで来い!!!この変人集団があああぁぁぁ!!!!」
「「「「ギャアアアァァァ!!!!」」」」
激しい銃声が鳴り響く。逃げる農条達。追う花多狩。そして・・・集合場所に居る救済委員は春咲、界刺、雅艶の3人だけになってしまったのである。
「騒がしい奴等だな。あんなんで穏健派を名乗ってもいいもんなのかね」
「花多狩先輩の怒りはもっともだと思いますけど」
「まあ、いい。芸術のげの字もわからない奴に一々説明するつもりはねぇよ」
春咲のツッコミを軽く受け流す雅艶。そして、雅艶の口から本題が零れる。
「ところでよ、安田。何でお前はこの“キラキラした変人”と一緒にいるんだ?」
「へっ!?」
それは、春咲の息を一瞬止めるには十分の言葉。
「・・・だから、俺の野暮用だって言ったじゃなぇか」
「お前の言葉だけで信用できるとでも?悪いが俺はそこまで人というものを信用していない。経験上」
界刺と雅艶のやり取りを見て、界刺の正体が雅艶にバレていることに気が付いた春咲。その瞬間から体が震え始める。
「(ま、まさか私の正体も・・・?)」
「安心しなよ。君のことについては“何一つ”この男には言っちゃいないよ」
自分の招待バレに恐怖する春咲の思考を読んだかのように、界刺は言葉を放つ。
「この『シンボル』の変人は『本人に聞け』の一点張りだったからな。生憎お前が何者かまでは俺も知らない」
「でも、筋は通っているだろ?」
「・・・確かに。ならば、俺も筋を通させてもらおう。お前は何者だ?その回答如何では、俺はお前を排除しなければならないのだが?」
雅艶は追求する。脅しもセットにして。本来なら盲目である少年から感じる筈の無い、だが実感として強烈に感じる“視線”に思わず身震いする春咲。
「わ、私は安田です。それ以外の何者でもありません」
だが、春咲は雅艶の“視線”に抗った。今までの自分なら、その“視線”に屈していたかもしれない。だが、今は違う。
屈さない。抗いたい。『ここ』に居たい。幾度の経験を経て、春咲の“芯”は確かに強さを備え始めていたのである。
ガスマスク越しに雅艶を思いっきり睨み付ける春咲。重苦しい沈黙が数秒経った後・・・
「・・・・・・そうか。ならばいい。その言葉に嘘偽りが無いというのならばな」
雅艶は引き下がった。それは、春咲が示した意志への敬意の表れであったかもしれない。
「しかし・・・それなら、何故お前のような男がこの女に執着するのか益々わからなくなるのだが。その点についてはどうだ、安田?」
「わ、私にもわかりません。私の方が聞きたいくらいです」
「ほう。当人もわからない・・・か。どうなんだ、変人?」
「人のことを言えんのかよ。お前も十分に変人なんじゃねーの?」
「話を逸らすな。質問に答えろ」
「ノーコメントで」
「お前・・・」
「というか、何故・・・刺界さんは足を引き摺っているんですか?雅艶先輩はさっき腕試しがどうとか・・・」
界刺と雅艶のやり取りに口を挟む春咲。ここに到着する前にこの2人に何があったのか?春咲はそれが気になっていた。
「こいつをボコボコにした」
「こいつにボコボコにされた」
「えっ?」
「安田の言った通り、初めは新入りに対するちょっとした腕試しのつもりだったんだが、思わぬ方向に行ったな。フッ、説明してやれよ、期待外れ君?」
「・・・チッ」
「ど、どういうことですか?あなたが負けるだなんて」
春咲には信じられなかった。界刺が負ける姿を。だが、現実として勝った側と負けた側が同じ意見を言葉に表していた。それはつまり・・・事実だということ。
「・・・あいつ等が帰ってくるまでだ。要点を掻い摘んで話してあげるよ、お嬢さん」
「・・・はい」
春咲は静かに界刺の言葉を待つ。誰もが自ら進んで話したくは無いであろう、自身がきっした敗北の弁を。
continue!!
最終更新:2012年05月10日 20:54