第7章 殲滅戦 a war of extermination
毒島が電話をよこす数分前、安田は参加者の二名と合流して、一階の敵の殲滅を行い、
今ようやく最後の一人を狩ろうとしていた。
参加者の一人はスキルアウトの男に向かって右手をかざし、もう一人は支給された銃を向ける。安田は彼ら二名とは少し距離を置いて、部屋の出口近くの壁に寄りかかってその様子を見届ける。
「はぁ~、もう狩りも終わりか・・・結局4人しか狩れなかったわ」
「それだけ狩れれば十分でしょうに、自分なんか2人ですよ。なのでこの最後の奴は僕に狩らせて頂きますよ」
「ちょちょちょっ!!ちょ~っと待て、せーので一緒に狩らないか?俺も正直狩り足りねぇんだよ!」
「何小学生みたいな我儘言ってるんですか・・・人数的に僕が狩るのは当然でしょう?それでも足りない位です」
と、まるでおもちゃを取り合う子供の様に言い合いをする。
その目の前で、スキルアウトの男はさも恨めしそうにその様子を見つめる。
自分はこいつ等の趣味で殺される、抵抗したくとも能力という厚い壁がそれを阻む。
男は自分の才能の無さ、学園都市の体制とそれにより生じる影の部分、とにかく自分の周りの環境全てを恨む。
目に涙を浮かべ、血を流しすぎて動かない身体をぶるぶる震わせながら、
「・・・お前等タダで済むと思うなよ」
と、か細い声でそう言った。
その言葉を参加者二人は見逃さない。
右手をかざした方の参加者はニヤつきながら、
「残念ながら、タダで済むんですよねコレが」
「なッ・・・これだけ大規模な戦闘が起きて警備員が動かない訳が無いだろ!そうしたらテメェ等の事なんて直ぐに知られる。そうしたらお前等の人生も終わりだ!!ざまぁねぇな!ハハッ」
「バレないから、只の高校生である僕もこうして参加できてるんですよ。この無能力者狩りは僕等みたいな危ない趣味した、優等生の皮を被ったような人間達にとっては有名でね、絶対に足がつかないよう手配してくれるんですよ」
「なんでも上の人間と繋がりがあるとか、弱みを握っているとからしいですよ?」
「そ、そんなのありえねぇだろ普通!」
男は顔に絶望を浮かべる。その様子に参加者の一人は恍惚の表情を浮かべる。
銃を持っている方の参加者は男を鼻で笑うと
「俺等は明日もいつも通りの生活に戻って、いつも通り学生生活を送って、お前の何倍も幸せな生活を享受するさ。残念だなぁ、ここでお前の人生はお・わ・り♪誰にも悲しまれず恨みも晴らせないまま死ぬのさ」
その言葉を聞いて、男は顔を歪ませ今にも掴みかからんとしようとする。
しかしもはや意識を保つのが精いっぱいなのか、立ち上がる気配はない。
男は理不尽さに、残り少ない血液が沸騰しそうなほどの怒りを覚えながら、
「クソッたれがッ・・・!!」
と恨みごとを言う。
(流石に追い詰めすぎ、殺すなら早く殺した方が・・・)
三人のやり取りを眺めていた安田は、それ以上の会話を止めて止めを刺すよう促そうとした、その時
ドッガシャアアアァァァァン!!!!!!と、安田と参加者二名の横にある壁が急に爆散する。
無数の瓦礫が一斉に安田達に襲い掛かり、これらを辛くも回避する。
スキルアウトの男はまともに体を動かせない為回避できず、瓦礫が頭に直撃し、即死する。
「なっ、何が・・・!?」
何が起こったか誰もが理解できない中、巻き上がった砂埃の中から声が響く。
「おぉ~今ので死ななかったか。良し良し、そうじゃなきゃあ面白くねぇ」
ブーツが床を踏み鳴らし、舞い上がる砂埃をかき分け、男は姿を現す。
黒のタンクトップに着古したアーミージャケット、タイガーストライプ調のズボン、軍用ブーツ。身体は見事に鍛え上げられている。
学生と言うより軍隊の兵士と言われた方がしっくりくるその男の名前は
東海林矢研。
長月学園の頂点に位置する長月四天王の一人。
彼らは何故この状況に陥ったのか理解できないといった表情を浮かべて東海林と対峙する。
本来ならば午前3時までには殲滅を終わらせ、東海林との接触を避けるはずだった。
しかし彼らの目の前には最も会いたくなかった男、東海林矢研がいる。
東海林は彼らの表情から彼らの今の気持ちを察したのか、
「お前等さぁ、何もかもが順調に行き過ぎてたとは思わなかったのか?」
無能力者狩りの参加者二名と安田は彼の発言の意図を掴み切れなかった。
「どういう意味だ・・・?」
「どういう意味も何も、言葉通りの意味だって」
そう思い返してみると、どこか順調に事が運びすぎていた感も否めなかった。
彼らには思い当たる節が一つだけあった、
それはスパイがああも簡単に見つかった事。
安田は殺されたスパイ二名の行動を思い返してみる。
彼らは一人はメールを用いてスキルアウトと連絡を取り、もう一人は直接スキルアウトの溜り場に訪れて報告をしていた。
果たしてスパイをする人間が潜伏期間中に敢えて自分の本拠地に向かって報告するだろうか?
スパイ役がただの間抜けであったと言えばそれまでだが、それでもどこか違和感が残る。
安田の頭の中で一つの仮説が立てられる、
スキルアウトの中で新参者にわざと慣れないスパイ役を任せ、その中の一人に潜伏期間中に必ず本拠地に訪れて報告するよう命じる。
そのままバレなければ内側から組織を崩壊させ、スパイがバレて殺されたとしても最初に無能力者狩りが指定していた時間よりも前に東海林を呼び出す。
それだけで相手の奇襲を失敗に終わらせ、逆に一気に返り討ちにできる。今の状況にも十分説明がつく。
それより後の時間というのも考えられないことも無いが、それは東海林と遭遇するリスクが生じる為わざわざその時間にする訳が無い、なので前の時間に限定される。
要するに二重に策を講じていたのだ。完全に無能力者狩りの作戦負けである。
東海林は退屈そうに頭を掻くと、
「まぁ、スキルアウトの連中が雑魚すぎるからそれでもボロ負けなんだけどな」
足元に転がるスキルアウトの死体を踏みつけながら三人の元へ歩み寄ってくる。
腰のホルダーからガスガンを取り出し、まっすぐ参加者達の方へ向かう。
徐々に歩みのスピードを上げ、早歩きから小走り、そして参加者との距離数メートルの時点ではダッシュになっていた。
参加者の一人は手に大きな炎を纏い東海林の方に手をかざす。
「長月四天王も所詮ただのレベル4、実力差はそれ程無いはず!!!」
手に纏う炎はみるみる大きくなり、東海林に噴出しようとする。
東海林はガスガンをその男の足元に数発打ち込むと、床がガスガンの威力ではあり得ない程大きく抉れ、破片が参加者の顔に当たる。
「くッ!!」
参加者は思わず顔をそむけ、照準を逸らす。炎の砲弾は東海林のはるか上方を通り過ぎる。
東海林はそこから更に速度を上げ数歩で懐へ飛び込むと、拳を強く握り、参加者の顔面に叩きつける。
参加者の顔は至る所から亀裂が生じ、血液が吹き出し、悲鳴を上げる間も無くまるでガラス細工の様に粉砕する。
頭部を失った身体は殴られた衝撃に身を任せ、赤い液体を噴出しながら仰向けに倒れる。
「あっけねぇな」
足元で土留色の血溜りを流し痙攣する大能力者に一瞥をくれると、近くの新たな敵に視線を移す。
その目線の先にいる参加者は、手にしていた銃を持ち、東海林に銃口を向ける。
「あ、あぁあ寄るな、寄るんじゃねぇ。死にたくねぇ」
「何言ってやがる」
参加者の言葉を聞いた瞬間、東海林は心底苛立ったような顔をする。
「お前がついさっきしてた事と同じじゃねぇか」
東海林の右手により一層力が籠められる、
「う、うるせぇ!俺はこいつ等とは違う!!俺は大能力者、学園都市でも優れた人間・・・お、俺はこ、こんなトコで死ぬわけにゃあいかねんだよおおおおおおおおおおおお」
男は銃のトリガーを思い切り引き、東海林に銃弾を浴びせようとする。
しかし――――
カッシャアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!!!
「・・・・え?」
参加者の男は一瞬状況を理解できず、東海林の方を見る。東海林は何の傷もないまま、一歩一歩、少しづつ参加者の方に歩み寄っている。
男は改めて銃の方に目をやる、彼の手元には銃の持ち手の部分しか残っておらず、そこから先は跡形もなくなくなっていた。
その代りに彼の手は何十もの銃の破片が突き刺さり、手首から上が真っ赤に染まる。
「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!?」
溢れだす血を男はどうする事も出来ずにひたすら絶叫する。
その姿は先程まで彼が狩っていたスキルアウトの姿と被って見えた。
東海林は何ともつまらなそうな顔で、痛みで膝から崩れ落ちた参加者の前まで近づくと、
何の躊躇いもなく顔を蹴り、頭部を粉々に吹き飛ばす。
惨劇の一部始終を見ていた安田は、レンズの裏の目を絶望に染める。
彼女が絶望している理由は、大能力者二名が数秒で無力化された事、
次の標的は間違いなく自分である事、
そして彼女の主力武器である銃が、彼の前では何の役にも立たないという事実に対して、である。
安田は参加者とは違い戦闘に関与していなかったため、参加者の銃が勝手に破裂したトリックを見破った、見破ってしまった。
(銃本体を弱体化させて射出の衝撃で自壊させている。これじゃあどんなに強力な武器を使ったって勝ち目がない)
東海林は首を安田の方に向け、下品に笑みを作る。
「よぉ、お前は楽しませてくれんだろうなぁ?ヒャハッ」
ゆっくりと歩を進め、近づく。不敵な笑みを浮かべながら。
純粋に戦闘というものを楽しみ、渇望している、彼に対してそう安田は感じた。
それは無能力者狩りの参加者が理由とする一方的な殺しではなく、
同じくらいの実力者同士の混ざりっ気のない、純粋な戦闘、所謂“決闘”という類のもの。
安田は東海林から滲み出るその感情が理解できず、恐怖する。
『・・・くッ!!』
安田は走ってその場からの逃走を図る。予備動作のない動きに東海林は一瞬だが初動を遅らせ、安田を逃がしてしまう。
東海林は数歩で走ることを辞め、実に期待外れと言った感じで、
「はぁ、つまんねぇな。もっと骨のある敵だって聞いたぜ?」
「まいった、戦う気のねぇガキンチョ虐めるのは興味ねぇんだがなぁ・・・帰ろっかな」
金色に染められた頭をボリボリ掻きながら、鼻で大きく息をする。
「ん?そういやぁ敵は五人いるっつってたな。ってこたぁアイツ追えば残りの奴とも合流出来るかもしれねぇな」
東海林は安田が向かった方向に走り、次第に速度を速める。
(残りのメンバーは少し骨のある奴が居るとイイんだがなぁ!!!!)
安田は東海林と距離を取りながら、彼に対しての対抗手段を考える。
(よくよく考えれば素手での戦闘もアイツに身体をぶつけただけで自壊するかもしれない。ナイフの類も同様。―――――これじゃあ対策の使用もないじゃないッ!!)
安田はいつになく思考が空回りするのを感じた。
目が泳ぎ、無駄な考えが無意識に介入し、思考を鈍らせる。追い詰められた時の独特の感覚を明確に意識するようになる。
自分たちが今まで狩ってきたスキルアウト達も同じような気持ちの中死んでいったのだろうか?自分も最期には彼らの様に理不尽を感じながら死ぬのだろうか?
ふとそう考えて、考えるのを辞めた。
無駄な思考は判断能力を鈍らせる、初動を遅らせ、結果死へと結びつけるからだ。
安田は雑念を振り払い、勝利の為に思考を続けようとした。
ブブブブブッ!とポケットの方から振動音が聞こえた。
どうやら携帯電話に電話があったようだ。安田は急いでポケットから携帯を取り出す。
携帯電話の先は
毒島拳、話の内容は大体読める、東海林の事だろう。
安田は走りながら電話に出る。
『もしもし』
『もしもし、俺だ!!そっちはどうなってる!?』
電話先の彼は明確な情報を欲しているのかどこか焦りが感じられる。
時折息を吐く音が聞こえているので、恐らく彼も走っているのだろうと安田は思った。
『東海林が襲撃、参加者は私以外全員殺されたよ』
『やっぱりか、チクショウッ!!・・・で、今お前はどうなってる?』
『東海林から逃れる為に西側の回廊を走ってる、東海林の姿は・・・見当たらない』
『そうか、じゃあそのまま東海林をまいた後、そうだな・・・東側の倉庫で待ち合わせよう。十分で来なかったら置いていく、イイな?』
『了解』
そういうと電話先の男は一方的に電話を切った。余りにも事務的で素っ気なくも感じるが、彼女にとってはもう慣れっこだった。
むしろ、人間扱いし、その実力を頼ってもらえるだけ現実よりはマシだとすら思えた。
一旦走る足を止め、改めて安田は後ろを振り返る。
東海林の姿はどこにもなく、自分の呼吸音以外は何も聞こえない。廊下から追ってきている気配すら感じられない。
安田は、東海林に対して全く効果がないのを分かっていながら、掌に拳銃を転送する。
それは攻撃の為ではなく、武器を持つ事で心を落ち着かせようとした為だ。
拳銃を握りしめ、張り裂けそうな胸を無理矢理抑えようとする。
静まる所内、無音の部屋の中、少女は全速力で駆け抜ける。
『はっ、はっ、はっ、はっ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ、はぁっ』
徐々に息も荒くなり肩で呼吸するようになる。肺が張り裂けるように痛い。
それ程遠い距離を走ってはいないはずだが、嫌に体に疲労が溜まる。
追われる者になるとこうも違うものか、と安田は身を以て実感する。
そして遂に安田はその足を止め、膝に手を付き、肺に酸素を送り込むために深く呼吸をする。
安田は呼吸を整えながら辺りを見渡す。そして自分が今、先程戦闘を繰り広げたホールにいる事に気づく。
安田は研究所の大まかな構造を思い返し、
自分が今いる位置と落ち合う場所の位置を思い返す。
(距離的にあと、半分位・・・?)
安田は気を引き締め、残り半分の道のりへ一歩踏み出そうとした。
「ヒャハハッ!!見つけたぜぇガスマスク野郎」
という言葉と同時に、安田の目の前の壁一面が爆砕する。
ドッバガアアァッァァァァアァァンッ!!!!!!!
太い柱が木の棒の様に崩れ、強化ガラスが飛び散り、瓦礫が弾丸の様に吹き飛ぶ。
壁が壊れた時の風圧で、軽い安田の身体はいとも容易く吹き飛び、床に乱雑に叩きつけられる。
喉の奥の方から鉄臭いものが込み上げる。
まともに受け身を取れなかったのか背中を打ち付け呼吸が苦しくなる。思わずガスマスクを外してしまいそうな衝動に駆られる。それと同時に後頭部を強く打ちつけ意識が明滅するが、辛うじて堪え、爆散した壁の方を見た。
ホールの三分の一は崩れさり、外からホールが丸見えになってしまっている。
東海林はもう目の前で、安田を見下ろすようにして立っていた。
顔は先程のつまらなそうなものとは違い、何かお楽しみを見つけた少年のような、血に飢えた獣のような、そんな顔をしていた。
『――――くっ!!』
安田は痛む身体を無理矢理動かし、戦闘態勢に入る。
先程持っていた拳銃をどこかへ転送し、両手に重機関銃のパーツを転送すると
眼にも止まらぬ速さでパーツを組み立て、重機関銃を東海林に向け、放つ。
何重ものの弾幕が彼の元へ、音速を超え飛ぶ。何百もの弾丸が全て彼に襲い掛かる。
しかし、重機関銃から放たれた弾丸は東海林の身体を貫くことはなかった。
弾丸は何もない空間で、自らの速度に耐えきれず崩壊する。
「そんな玩具きかねぇんだよ」
東海林はまっすぐ安田の方へ歩み出す。
彼が距離を縮めるのと同時に、弾丸が崩壊する場所も銃口に近くなっていく。
そして東海林が安田の目の前に来るころには、弾丸は銃口の数センチ先で破裂するようになっていた。
『そ、そん、な』
安田はもはや驚愕する事しか出来ずにいた。
正真正銘の化け物を目の前にして、彼女の中には戦意というものは残っていなかった。
勝てる気がしなかった。
『あ、あぁ』
安田はトリガーを握る手を離し、必至で繋ぎ止めていた何かが千切れるように、無力に倒れこむ。
東海林は安田の頭を片手で掴みあげると、そのまま近くの壁に押し付ける。
「お前の仲間はどこだ」
東海林は頭を掴む力を増していく。
『ぐ、あああっ』
「お前は俺に対してもはや戦意が感じられない、だからお前にはもう興味はねェ。だがタダで逃がす訳にはいかない、それ位ならお前をチャチャッと殺してしまった方がいい。だからこその交渉だ」
東海林は続ける
「残っているであろうメンバー二名の場所を教えろ。そうすりゃ命は助けてやる」
こうして話している間も握力をどんどんあげていく、能力を使っているのか顔面の骨にヒビが入るのを感じる。
ガスマスクの淵からは痛さを堪えて出た涙が垂れる。
「聞いたぜ?お前等ネットで集まっただけの仲なんだろ?だったら迷う必要なんてねぇじゃねぇか――――裏切っちまえよ。そうすりゃお前は救われる」
東海林はそう囁くように語りかける。
無能力者狩り霧の盗賊はネット上に集っただけのほぼ他人のような人間の集まり。
本来そこには味方意識や信頼なんてものは存在せず、そういったものを嫌う者が多く集いがちだ。
なので彼女は真っ先にこの交渉を承諾し、自分の命の安全を確保するのが当たり前の判断であり、
東海林もそうなるであろうと考えての交渉だった。
しかし、安田の返答は、その期待を大きく裏切るものであった。
『お、教えない・・・!』
「・・・お前馬鹿か!?普通どう考えても裏切るだろうが」
東海林には彼女が交渉を拒む理由が分からなかった。
痛めに痛めつけられ、自分から殻に閉じこもり、自分を曝け出せない。
助けて欲しい、でも誰も救いの手など差し伸べてくれはしない。
無能力者狩りという唯一のはけ口が無くては精神的に壊れてしまいそうな安田にとって、
霧の盗賊はなくてはならないもので、失ってはならない彼女の数少ない居場所。
なので例えそれが希薄なコミュニティだったとしても、
彼女が只のコマの一人でしかなかったとしても、
それを裏切る事など彼女には到底できなかった。それでもその共同体に縋り付くしかなかった。
彼女は居場所を失うことを心底恐れたのだ。
『離し、て・・・た、まるか』
『現実に何の不満も無いようなお前には、分かる訳が無い。意味もなく虐げられ、仲間を卑屈な目でしか見れない、劣等感と嫉妬心に汚れた自分が唯一認められ、辛い現実を考えずに済む。そんな二つとない居場所を、絶対手放したくないって気持ちが!!』
目から大粒の涙を零しながら、安田、もとい
春咲桜は叫ぶ。
その涙は、頬に着いた汚れを吸い込んで黒く見えた。
東海林は何かを見定めるように眉を顰めると、
「・・・そうか、じゃあ残念ながらこれで終わりだ」
頭を掴んでいない右の手に力が入る。安田は自分の顔面の隅々に何かが染み込んでいく。
身体を構成する分子の結合間に何かが割り込んでいくような、そんな感覚。
恐らく彼は一撃で顔面を粉砕するのだろう、参加者たちと同じように、と安田は推測する。
「なんか辞世の句でもあるか?」
『・・・』
頭を掴む指の力で、安田の顔にヒビが入る。そこから何筋もの血が流れ、ガスマスクから垂れる。
あぁ、もうすぐ終わってしまう。そう安田は思った。
安田はガスマスクの中で唇を噛みしめ、固く目をつむり、覚悟を決める――――
しかし、いつまで経っても一撃が来ない。
その代り、東海林が掴む手が離れ、それと同時に超速度の何かが通った気がした。
何が起こったのか、安田は理解できなかった。
余りに不自然に思った彼女は、恐る恐る瞼を開ける。
彼女の目の前には東海林の姿はなく、彼は視界の端の方まで吹き飛ばされ、何回も床に跳ね返り、壁を突き抜けるのが見えた。
『ッ!!?』
彼女は東海林が飛ばされた方を見る、研究所の外へ放り出された彼は仰向けに倒れているのが見えた。
安田は視線を先程の方へ戻す、そこで彼女の目の前に姿を見せたのは、巨大な砂嵐だった。
『こ、れは・・・ッ』
舞い上がる砂埃、飛び散る破片、安田はレンズ越しに見ているにも関わらず、思わず目を凝らさずにはいられなかった。レンズに当たる砂粒の音がガスマスクの中にノンストップで響き渡る。
それ程の強風。これがマスク無しで巻き込まれたとしたら目を開く事さえままならないだろうと安田は身を以て感じた。
目を細めて見つめる先には、微かなシルエットとしてしかを確認できないが、この砂と瓦礫のあらしの中心に、確かに人間がいた様に見えた。
砂埃はその中心にいる者に付き従うかのように、その者を包み込み、いかなる外敵の侵入も拒む。
そしてその者の感情に呼応するかのように、更に荒々しく、爆発的にその風圧を上げていく。
風の化け物は部屋の中でみるみる大きくなり、遂には部屋全体にその勢力を広げんとする。
部屋の窓が今にも張り裂けんと悲鳴を上げ、部屋の嵐は生きているかのようにあらゆる物を飲み込んでゆく。
まるで風の化け物。
気を抜くと身体が吹き飛んでしまうのではと錯覚してしまうような強風に煽られながら、
動かない足を無理矢理動かし安田は逃げる為に壁伝いに立ち上がる。
(この砂嵐の主が自分の味方であるかどうかは良く分からないが、少なくとも今の標的は東海林で、自分ではないはず)
安田は風に舞い上がりそうになりながら懸命にその場からの脱出を図る。
ずりずりと身体を壁に押し付けるようにゆっくりと、しかし今の彼女にとっては全速力で、部屋の出口を目指す。
風は部屋を後にしようとするガスマスクの少女を襲おうとはせず、その矛先を東海林に向けたままにしている。
(この嵐。わざと、私を逃がそうとしている―――――?)
そう安田は思わずにはいられなかった。しかし今はそれが何のために、そして風の中心にいる者が一体“誰”であるのかを考える余裕などなかった。
「あーあ、いっちゃったか。ま、アイツの事は鉄枷と一厘が何とかしてくれるかね」
嵐の主はそう独り言を呟く、
部屋から安田がいなくなった事を確認すると、風の化け物は漸く風の力を弱め、その姿を東海林に晒した。
明るい茶髪に戦闘の場には似合わない整った顔立ち、
身体のラインがはっきりと見えてしまう黒のライダースは、彼女の悩ましく魅力的な身体をこれでもかと強調する。
そして彼女の右腕には盾と三本の線が特徴的な、風紀委員の腕章。
ロールの巻かれた茶髪を棚引かせ、女は、
「そんじゃアタシはコイツを足止めしとくかぁ、汚れ役はアタシにお任せってね――――よぉ、立てよチンピラ」
と、急に声色をどすの利いたものに変え、部屋の外まで吹き飛ばされた男を呼ぶ。
すると東海林は巻き上がる砂埃の中ゆっくりと立ち上がる。空気の大砲に直撃し吹き飛ばされたにも拘らず、怪我などしている様子は何処にも見当たらない。
東海林は更に闘争心を滾らせ、本当に楽しそうな顔で目の前の女を見ると、
「ひゃはは、いいねいいねぇ何か楽しくなりそうだ。精々数分は持ってくれそうだ」
と、軽く舌舐めずりをする。獣の目をギラギラさせる。
一方でその眼の先にいる女、
破輩妃里嶺は憮然とした態度で腕を組み、獣のような男を鼻で笑うと、
「冗談、数分で沈むのはテメェの方だ害獣。ウチの者を傷つけた借りはデケェぞ」
一気に風速を上げ、彼に対しての明確な怒りを露わにする。
第8章へつづく
最終更新:2012年05月14日 11:48