File4 ゴーストアイの一日

尾行。
相手に悟られず、あとをつけて行く追跡方法。
小学生ぐらいの時にだれもが“ごっこ”程度には体験したことがあるだろう。

(やれやれ……破輩先輩も随分と本格的ですね)

しかし今佐野が行っているのは本物の尾行。
わざわざ愛用の銀縁のメガネから縁無しのメガネに変え、服装も今は私服を着ている。
というのも尾行相手に“佐野馬波”だと気付かれないための変装だ。
その尾行の対象は白高城天理。今もっともアヴェンジャーとの関わりが濃厚だと思われる人物。

……だったのだが。

「もう! ユミちゃんたら! 私のケーキまで食べないでよーー」

今のところこれといって怪しいところのない、どこにでもいる少女だ。
もしかしたらこちらの尾行に気づいての振る舞いなのかもしれないが、やはり確証はない。

『ご注文はおきまりでしょうか?』

席に設置されたモニターから機械的音声が聞こえてくる。
さすがに飲食店に入って何も頼まない訳にはいかないので。

「アイスコーヒーを一つお願いします」

この機械はタッチパネルから選択する他に、音声認識にも対応している。
商品の確認に認証ボタンを押すと、ものの2分で店員が届けに来た。

「でさーー……その時ね……びっくりして……」

佐野はいいかんじに冷えたコーヒーを手のひらでゆらゆらと揺らす。
白高城は相変わらず数人の友達と何気ない会話を繰り広げていた。

(はぁ……これでかれこれ一時間ですか)

女の話しは長いといったのもまんざら間違いでもない。
そんな事を考える佐野にポケットの携帯が鳴った。
あっちに声が漏れないようトイレに入ってから電話を取る。

「はい、こちら佐野です」

「おう、破輩だ。首尾はどうだ?」

「良くも悪くも何もないといったところでしょうか。対象に特に変わった動きは見られません」

佐野はそれから今までの状況を細かに報告を始める。

二,三分が過ぎただろうか

「そうか、じゃあ引き続き調査を頼む」

そう端的に用件を済ますと破輩は一方的に電話を落とした。

「まだ続けなくてはいけないのですか……」

ため息を漏らし、佐野はトイレから出る。
すると――――

「どういうことですか、これは……」

先程まで白高城達がいた場所がもぬけの殻になっていた。
確かトイレに入って話していた時間は五分程度。
その間に帰ったというならタイミングがよすぎではないだろうか。――――まるで、こちらの動きに合わせて行動してるかのようだ。

「とりあえず、場所を割り出さないといけませんね」

佐野は瞑想するように静かに目を閉じる。
実際には周囲の電磁波を操って疑似的なレーダーにしているのだ。
やはり五分程度ではそこまで離れてはいなく、店から南に十五メートルぐらいのとこにいた。

会計を手早く済まし、佐野は店の外へと出る。
また何メートルか距離をおきながら後をつける尾行か始まった。

三人の少女は佐野に気付くこともなく、帰り道でもべらべらと話していた。

「それじゃあ天理ちゃん、私達は先に寮に帰っとくね」

「うん、じゃあまたあとで」

そこで白高城は二人の友人と別れて、自分だけ寮とは正反対の方向へと歩を進めていく。
佐野はそこで目を細めた。
何故同じ寮なのに一緒に帰らないのだろうか。
そもそも一人だけで行動しないといけないわけは何なのか。

「これは……やはりそうなのかもしれませんね」

白高城はたどり着いた場所は路地裏。あたりに人気はなく、近くを流れる川の音だけが耳に入ってくる。
佐野はそれを物陰から伺った。


「ふふ、もう来てたの? 今日も遅れてごめんね。ほら今日は“あれ”も持ってきたから機嫌を悪くしないで」

白高城は誰かと待ち合わせていたようで、会話をしている。
その相手はここからではちょうど物陰に覆われていて、確認できなかった。

(誰と話しているんでしょうか……)

白高城がカバンからある物を取り出そうとする。
もしかしたらそれは“集金”によって集めた金かもしれない。
そして、それを受け取ろうとしている人物がそのすぐ奥にいるかもしれなかった。

(くっ……)

動き出そうとした身体を精一杯こらえた。
ここで彼女を捉えれば、いとも簡単にこの事件に終止符を打てるかもしれない。
だが、まだそうと決まったわけではない。
せめて話してる相手を確認してからでも遅くはないのだ。

「ええ、みんなの協力もあって、すぐに集まったよ。こんなのちょろいちょろい」

白高城はカバンからある物を取り出した。
長方形のそれはハンカチで包まれていて、札束のように見えなくもない。

そして、その話し相手はそれが置かれた場所に出てきた。

随分と小柄な体。しかし目は鋭く、つねに獲物を探しまわっているかのような野獣の目をしていた。
風になでられるのはその者の毛。
艶のある黒い毛にところどころが金に染まっている――――







「にゃ~~お」





猫だった。

(……え?)

佐野は拍子抜けしながらズレたメガネをかけ直す。
という事は白高城が持ってきたものとは。

「じゃーん。今日サンドイッチ弁当をみんなで作った時に余ったパンの耳! せっかく貰ってきてやったんだからこれ食べて元気だすんだぞぅ?」

案の定、ハンカチで覆われていたのは札の束ではなく、耳の束だった。
またもやメガネがずり落ちた。
なんだか一人緊張してた自分がアホらしい。

(やれやれ。まさか話し相手が猫とは……)

その猫はどうやらここに住む野良猫のようで、ペットショップで飼われているものよりも薄汚れていた。
本来ならいたいけな野良猫を少女が残り物で養うというのは心温まる光景だが、風紀委員としてはそれも見逃せない。
実際、野良になった犬などが餌を求めて人を襲ったりするケースもあるので、風紀委員として野良の動物を見かけたら“可能な限り”保護して保健所に連れて行かなければないのだ。

だが、それは飽くまで“可能な限り”で、主には警備員の管轄だ。
風紀委員の者の多くは、保健所に連れて行かれた動物がどういう結末を迎えるのかを知っているので、それに関してはあまり協力的ではない。

佐野もたかが野良猫一匹を捕獲するために、今この場で飛び出して無理やり捕まえようなんてことはしない。
人道的にうんちゃら~~というよりも、まずは白高城に尾行していることに気づかれたくはなかったのだ。

「ふふ、相変わらず、可愛くないなーー。『ニャー』の一つもないの?」

黙々とパンの耳をかじりつく黒猫を、白高城はうれしそうにちょんちょんとつつく。
黒猫の方はそれすらも気にせず、未だに食事に没頭していた。

(これ以上は時間の無駄ですね。帰って春咲さんの手伝いでもしますか)

そう言って帰ろうとしたところ。

「おうおう、姉ちゃん! こんなところで何やってんの~~? 一人じゃ危ないよ~~?」

「こんな汚い猫より俺達とじゃれ合おうよ。そっちのほうが色々と……グヒヒ」

ゾロゾロと現れた男たち。彼らは壁が背になるように、白高城を囲んだ。

「え……嫌……何なんですか」

男たちに囲まれ、怯えた白高城の声が聞こえてくる。

(あの者達は……)

佐野はその男たちに見覚えがあった。
確か一年程前、学校帰りの少女を狙ってストーカーを働いたり、痴漢をしたりで一時期有名になった集団。
それらを検挙したのも破輩率いる一五九支部、その中にはもちろん佐野もいた。

(まったく……懲りてないっ!)

今度こそその中に飛び込んでこうとした佐野だが

(まてよ……)

何を思い返したのか、その場で足を止めた。

(あの者達とアヴェンジャーが繋がってないという可能性はなくはありませんね……)

佐野が懸念したのは、眼の前で起こっている事実は自分を燻り出すための罠であるという可能性。
威勢よく飛び出していったところが、実は白高城もこの男達とグルで、自分を潰しにかかってきたらどうする。
今、目の前にいる人物だけなら佐野の実力でなんとかなるかもしれないが、増援がないとも限らない。
もしそうなったら一人で片を付けるのは困難。逃げ出そうにも白高城の座標回帰《リセットポイント》によって引き戻されてしまう。

(もうしばらく様子を見た方が――――)

「きゃ!! や、やめてよッ!!」

「抵抗すんじゃねよ、このクソアマが!」

(……)

「おい、意外とこいつ胸あるぜ!」

「ヒュ~~!」

(……)

「誰かっ……! 助けてッ……」

「よし、全部服ヒン剥こうぜ!」

「いいね、いいね~~」

(―――――ッ!)

ドン! と小石が一つ男の頭にあたった。

「――ってぇ! どこのどいつだ!?」

白高城を取り囲んでいた男たちは小石が投げ出された方向を見る。

「……やれやれ。私もまだまだ甘いですね。感情に流されて行動してしまうとは」

そこには、凛とした面持ちでこちらに近づいてくる佐野馬波がいた。
例え罠という可能性があっても、風紀委員として目の前で襲われている人間を見捨てるわけにはいかない。
そんな確固たる意思を持って歩く佐野―――またの名をゴーストアイ。

「君達は前回の騒動で随分反省したと聞きましたが……残念ですがそれは嘘だったようですね」

男達は全員揃いも揃ってギョッとする。
それは、前回自分たちをひっ捉えた風紀委員の一人がここにいたのだから。

「ひっ……ゴーストアイがなんでここに!?」

「や、やべえ、また捕まるわけには行かねえ、逃げるぞお前ら!!」

男達は散り散りになって一目散に逃げ出していく。

「逃がしませんよ……と、言いたいところですがそれは無理そうですね」

その理由は二つある。
一つは男達がバラバラに逃げ出したこと。
どんなにレベルが高かろうと佐野馬波という人間は一人だけだ。全員を補導することはできない。
そしてもう一つは――――

「ヒクッ……ヒクッ……グスン」

今座り込んで泣いている白高城を置いてはいけなかった。

「大丈夫ですか? 怪我とかは?」

佐野は少し罪悪感を感じた。
もし自分がもう少し早く行動しておけば、つまらない疑惑の念などを抱かなければ、この少女はこんなにも怖い思いをしなくて済んだのだから。

「私はいいの……それよりも黒にゃんが……」

佐野は先程の“黒にゃん”と呼ばれる黒猫に目をやる。

「……!」

その猫はぐったりとして地面に倒れこんでいた。
身体は傷だらけで黒と金の毛並みのはずが、血の赤が交じり合って三色になっている。

「私があいつらに囲まれた時……その子が男の顔を引っ掻いて……それで……」

佐野は倒れた猫をそっと抱き上げる。

自分はこの猫よりも劣っていた。
考えればわかることだというのに、それを実行したのは自分よりこの猫のほうが先だったのだ。

「……息はあります。この猫は僕が責任をもって病院に送り届けますから安心してください」

だからこれはそれに対しての贖罪。
自分の行動が遅れたせいで傷ついた、この猫と白高城への。

「なんで……あなたがそこまでしてくれるの……?」

「……」

佐野は答えない。
実はさっきまで見ていたけど、危なくなるまで高みの見物をしていたなんて言えなかった。

だから出てきたのはただ一つの言葉だけ。

「風紀委員ですから」

理由なんてそれだけで良かった。……いやそれすらも必要ないかもしれない。

その場を立ち去ろうとする佐野を白高城は呼び止める。

「私もついてきます。その子は私のせいで……」

良くもあんなことがあったのに動けるものだ、そう思いながらも佐野は同行を許可した。


◇ ◇ ◇


携帯で検索した結果、小規模ながら動物病院は第五学区にもあった。
しかも電話をかけてみると、わざわざ病院側からこっちに向かってきてくれるらしい。
これは飼っている動物が急に体調を崩した場合、大方の者がどう対処していいのかわからず、そのまま死なせてしまう可能性を危惧して、電話一本で駆けつけてれるようにしてくれているらしい。
学生が八割のこの学園都市では肉親と離れて暮らす学生も少なくはない。
その場合ペットが心の支えになっている生徒にとって、ペットの死は、かなり|自分だけの現実《パーソナルリアリティ》に悪影響を及ぼすかもしれないのだ。
学園都市としてもそのような理由で能力者を減らしたくはないのか、このような手厚いサービスを行っているとか。

「少し、話しません?」

その到着を待つ白高城は突然話しかけてきた。
しばらくたって落ち着いたのかその目はしっかりと佐野の方を向いてる。

「いいですよ」

佐野はすこしうつむき、そう言った。
これから尋ねられることは大体予想が付いている。

「なんで、あなた……ううん佐野先輩はちょうどここにいたの? ここは警備員の管轄区だよ?」

やはり、白高城が訪ねてきたのは何故こんな都合よく現れたかということ。
佐野はしばらく顔をしかめて、

「“たまたまここを巡回してた”……と、言う事にしときましょうか」

それだけを言った。
だが白高城は更に質問を重ねる。

「……もしかして、私の後を付けてきたの?」

「それを尋ねるという事は“付けられる心あたり”があるということですか?」

「そんなのは……無いですけど」

佐野はこの少女が何を考えているのかわからない。
自分が『アヴェンジャー』の一員なので、こうして風紀委員に付け回されていることに気づいてハラハラしてるのか、それともただの一般人として純粋に自分の動きを気にしてるのか。

「こちらも一つ尋ねていいですか?」

佐野は、問い詰めるというわけではないが、確認だけしておきたかった。

「ええ、どうぞ」

「あなたは、一厘さんのお知り合いと言うことで間違いはないんですよね?」

白高城の目が驚きで見開かれる。
なぜ、お前の口からその名前が出てくるんだ、と言わんばかりに。

「だ、誰だっけその子……小学校の友達でいたようないなかったような……もう三年も前のことだから覚えてないかな」

「そうですか……でも一厘さんはあなたに会いたがってます。また小学校の時みたいに仲良く話したいなんて、いつも目を輝かせながら語ってますよ」

白高城は懐で抱きかかえる猫を少しだけ撫でると、

「そんな人知りません。大体……小学校の時って……ああ、もう……」

頭をクシャクシャと掻きむしる。
ポニーテールだった髪型は崩れ、縛っているリボンが地面に落ちていった。

そのリボンの色はオレンジ。
佐野はそれを見てあることを思い出す。



『――――え? なんでいつもオレンジと藍色のリボンしかしないって? 佐野君も無駄なところに目が行くな~~』

『いえ、たまたま気になっただけですよ。それでどうしてなんですか?』

『これはね、小学校卒業する前に白高城ちゃんと取替えっこしたものなんだ。私がオレンジのリボンを二つ買って、白高城ちゃんが藍色を二つ。それを一個ずつ交換したの。私があげたリボン、白高城ちゃんまだ持ってればいいなあ~~』


フッと佐野は笑った。
ここに落ちているリボンは、一厘が渡したものだったのだから。

「落ちましたよ、リボン」

「……いいから」

「はい?」

「もう、いいから!! これ以上私に付きまとわないでください!! 風紀委員だろうと、通報しますよ!」

白高城は乱れた髪のまま、猫を抱えて立ち上がる。
気がつくと、動物病院からの迎えの車が来ていた。

「待ってください。病院へは私も……」

「ついて来ないでって言ってるでしょ!!」

白高城は大声で叫びながら、その車へと駆け込む。
残されたのは佐野と、風に踊らされるオレンジ色のリボンだけだった。


◇ ◇ ◇


「お嬢さん大丈夫だよ。君の猫は私達が責任をもってきちんと治すから。そんなに泣かなくても」

運転席から病院の職員の慰めの言葉が聞こえてくる。

だがその言葉は一つ足りとも白高城の耳には入ってこない。
もちろん、猫のことは悲しい。
だがそれ以上に苦しいのは一厘のこと。
律儀にも、小学校の時交わした『またいつか会おう』だなんて約束を守っている一厘についてだ。

「ウウッ……」

もし白高城がただの生徒だったのなら、快く一厘に会いに行くことができただろう。
昔の関係のまま仲良くお喋りだってなんだってできた。


だが今は違う。
今は『アヴェンジャー』の一員として、数々の悪行を積み重ねてきた白高城天理しか存在しなかったのだ。

「何で……」

本来ならばちょっとしたお遊びのようなものだった。
いつまでもレベルの上がらない苛立ちを、『アヴェンジャー』で活動することによって誤魔化したかっただけだった。

「私は……」

だが、いつしか引き返せない所まで来てしまった自分がいた。

そんな自分に感じるのは嫌悪感。
昔と何一つ変わらない状態で会いに来てくれるあの少女に自分はどんな顔を向ければ良い?
まず、合わせる顔なんてない。

「私は……」

かごの中で猫が『ミー』と鳴く。
その声はあまりにも小さく、か細く、雑音により掻き消えてしまった。

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最終更新:2012年05月22日 18:05