File3 一つの約束

『おーーい、どこだよーー』

夕暮れの中、一人の少年は誰かを探していた。
少年の身体はあちこちに擦り傷があり、見るからに軽傷ではない。何故かと聞かれれば、さっきまで野良犬と取っ組み合いをしていたからと言ったところ。
どうしてそんなことになったかといえば、一人の少女を守るため。
野良犬に追い掛け回されてる少女を見てほうっては置けなかったというのが正直なところだろう。
そして今探している人物もその少女。犬から闇雲に逃げまわったせいで、彼女は今自分がどこにいるのかもわからなくなっているのだ。

『ヒック……ヒック……グスン』

その少女の声が聞こえてきたのは、公園の遊具の中。
小さく体育座りをして縮こまって、泣きべそをかいていた。

『なーーに、やってんだよ。いつまでも泣いてねえでさっさと帰っぞ。俺が寮まで送り届けてやるからさ』

少年はそんな少女を見て優しく語りかける。

『だって……』

だが、少女はその遊具の中から出てこようとしない。
未だにあの犬を恐れているのだろうか。

『大丈夫だ、あのワン公は俺がぶん殴って追っ払ってやった。あいつキャンキャン言って逃げ出していったぜ?』

『ほんと? ありがとう!』

パアと少女の顔が明るくなった。
少年はそこへ手を差し伸ばして、

『いいか、お前がピンチになったときは俺が助けてやる。これから先、何年、何十年経とうがな』

その時握った少女の手は、とても暖かかった。


◇ ◇ ◇


ズン!! と股間に強い衝撃が走った。
形容のできない痛みに、机ですやすや居眠りをしていた越前は飛び起きる。

「痛うぅぅぅぅぅぅぅぅ!!! う、あがあああああ!!」

その痛みにジタバタと喘ぎながら、自分の股間を蹴りあげた犯人を焦点の定まらない瞳を泳がし、探す。
目に写ったのは一対の美しい脚線美だった。

「この大馬鹿野郎が、放課後に巡回を手伝えっつっただろうが!」

「うおぉぉぉぉ……、破輩テメエ……」

越前の股間を蹴りあげたのは茶髪にロールを巻いた少女、破輩妃里嶺
この男、越前豪運と同じクラスであり、幼馴染でもある。

「せっかく人がスヤスヤ寝てるところを……!! なんか懐かしい夢見てたような気がしたのに何だったか忘れちまったじゃねえか!」

「んなもんはどうでもいいだよ! そんなことより女の子を待たせるとかどういう神経してんだよ、ええ?」

「はっ? お前が女の子? 笑わせんじゃねえ!」

いきなり討論が開始され、睨み合う二人。
このようなことは日常茶飯事であり、周りからは『喧嘩するほど仲がいい』などと言われているが、お互いそんな気はなかった。

「いいから……!! さっさとついてこい! 今日は近隣の大学周辺を見回りだ」

「おいおいおい、校外かよ!? そんなこと聞いてねえぞ」

「校内は厳原が担当してる。ほらさっさと行くぞ」

カツカツと、廊下の地を踏みしめ先へと進む破輩。越前は肩をすくめて、

「はぁ、ほんとついてねぇな。こんなんならバイト入れといたほうがまだ時間の有効活用ってもんだぜ」

このまま逃げ出そうかと思った。
しかし、そんなことをしようものなら破輩に地平線の彼方まで吹き飛ばされることが見えてるし、まず逃げ出すことすら不可能。
それに、先日の会議に出席しなかったからといって、越前は地獄を見ることとなったのだからそんな真似を出来るわけがなかった。

「けっ……まあしゃーねーか」

鳥の巣のようなボサボサの頭をかきむしりながら、越前は破輩についていく。後ろから見る破輩の背中は、なにか大きなものを背負っている、そんな背中だ。
そんな光景を眺めながら越前は思う。

そういえば以前もこんなことがあった気がしたが、それはいつだったか、と。


◇ ◇ ◇


学校を出ると、下校時刻が迫っているせいか、バス停には多くの生徒がたむろしている。
中には見知った顔もいて、こちらを発見すると口笛を吹いて冷やかしてきたりもした。(破輩が睨みを利かせただけで収まったが)

「バスには乗んねえのか?」

越前が出発寸前のバスを眺めながらそう尋ねた。破輩は尚も歩き続けて、言葉を口にしない。
どうしたものかと手を肩に置くと、

「――――ッ!!」

まるでこちらにはそんな意思はないというのに、脅かされたようなリアクションを上げる破輩。
手をおいたのが越前ということに気づいてか、ようやくその緊張は解けていつもの状態に戻る。

「何だ……越前か……」

「“何だ”……って、俺しかいないだろ普通」

「ああ、スマンスマン。それで何か聞きたいことでも?」

おそらくボウッとしていたらしく、破輩は越前の質問をまったく聞いていなかった。
先程から気になってたことだが、足元は少しふらふらしてるし、よく見ると目の下の隈がメイクで誤魔化せされているのが窺える。
どう考えても疲労が蓄積されているようにしか見えなかった。

「破輩……お前大丈夫か……? かなり疲れてるみたいだけど」

だからバスなんてことよりもそっちの質問を優先させた。何故かは分からないが、とにかくそれが気になって仕方がなかったのだ。
一方の破輩は自分が疲れていることを気づかれたくなかったのか、とっさに笑顔を作り直して、

「んだよっ! そんな的外れな質問は時間の無駄だっつーの! ほれ私はこの通りピンピンしてっぞ!」

大きく飛び跳ねてみたり、能力を使って空中十回転を披露してみせる。
もちろんそれを見た越前に湧いた感情は安堵ではない。空元気を振りまく目の前の少女に対して、何もできない自分への歯がゆさだ。

「そうか……」

しかし、それを追求することはできなかった。
もし自分が休めだなんて言ったって、この少女の返事はNO一辺倒だろうし、そんなことをすれば巡回がスムーズに進まずただ困らせるだけでしかなかったから。


◇ ◇ ◇


ひと通り今回の巡回場所である大学周辺は見終わった。
日はすっかりと沈み、周りは街灯の明かりに照らされている。ある程度歩いたところで、二人は大学の周辺のカフェで休憩した。
これも疲れている破輩に対して、越前が気を利かせたのである。

外に設置されてあるテーブルに腰を落とす。ここからならある程度の様子は伺え、不測の事態にもすぐに対処できるのだ。

「俺のおごりだから好きなの頼んでいいぞ? つってもそんな高いものは選ばねえでくれよーー」

「……」

目の前の破輩は頬杖をついたまま黙りこむ。
疲労でまたボウッとしてるのか、これから先どう動いていけばいいのか熟考してるのか、どちらにせよ越前にはそんな姿は見るに耐えない。
この少女は今の学園の危機に風紀委員のリーダーとして周りをまとめ、レベル4達にだって自分の考えで協力を要請した。
上に立つものというものは、発言や行動のひとつひとつに重い責任が問われる。
下手をしたら学園そのものが『アヴェンジャー』によって潰されてしまうかもしれないのだから、破輩に科せられる責任とプレッシャーとは凄まじいものだろう。

(あまり無理すんなよ、なんて気楽なことは言えねえよな……)

破輩は正義感が人一倍強く、何に関しても全力で対処する。
そんな彼女に、何も背負っていない自分が無責任なことを言ったら憤怒するに決まっている。
自分だって精一杯頑張っている時にその努力を知らない者から『気楽に行こうぜ』とか『肩の力を抜けよ』なんて無責任なことを言われたら、正直イラつくだろうし。
破輩のとってこの学園の問題は『無茶をしようが』『肩の力をいれっぱなしだろうが』なんとしてでも解決しなければいけない問題なのだ。

「……なあ、越前」

どう言葉をかけていいのか迷っていた越前に突如として破輩が話しかけてきた。

「ん……どうかしたか」

平静を装う越前だが破輩が何を口にだすのか全く見当がつかない。
気がつくと手のひらには汗が滲んでいた。

「昔の約束覚えてるか? ほら私とお前がまだ小坊だった時にした」

なぜこのタイミングで昔話が出てきたのかわからない。
もしかしたら、今の厳しい現実から一時的にでも目を背けたいという彼女の意思の現れなのだろうか。

「約束……かぁ」

越前は脳をフル回転させて過去の記憶を掘り返す。記憶から見つかったのはまだ幼かった頃の自分と破輩。
あの時の破輩はまだレベル2で、性格もここまで男勝りではなかった。
どちらかと言えば泣き虫で、怖がりで、どこにでもいる一人の少女だったのだ。
原石ということもあり、最初からレベル4判定を受けていた越前はそれを口実に何度も彼女のそばにいて色んな事を教えた。
喧嘩の仕方や、身の守り方、そのお陰(せい)で今の破輩妃里嶺という人物が存在していると言っても過言ではない。

「あんたは……私にこう約束したんだよ」

破輩が口を動かしていくたびに記憶の奥底に眠っていた言葉が掘り返されていく。

そう、確かにした。

あの時の公園で。

俺は――――







『いいか、お前がピンチになったときは俺が助けてやる。これから先、何年、何十年経とうがな』、と。


この言葉から破輩が何を言いたいのかはわかった。
それは今の自分に対する皮肉。
こうして学園も破輩もピンチに陥ってるというのに、助けるどころか、なんの役にも立っていない自分への失望と嘲笑と皮肉だった。

「……って、何でこんなこと言ってんだろ私。昔を思い返したって仕方がないっつーのにね」

それ自体は破輩も気づいてないのかもしれない。だがやはり心の奥底では約束一つ守れない自分を疎ましく思っているのだろう。

「ま……まぁそうだな。今じゃ俺なんかよりお前のほうが強いし、立場が逆転しちまったな……ははは」

だから、越前は逃げた。
自分の能力、『波乱起し』が戦闘向きではないことを口実に、自分にお前を守る役目は終えた、そう言い放ったのだ。

「そうだね……風紀委員の私が今度はあんたを守る番だ。ううん……この学園の生徒全員を私が守らなきゃいけないんだね」

確かに、風紀委員でない越前に誰かを守らなきゃいけないなんていう義務はない。
だが、それでいいのか。
誰かが全てやってくれることをいいことに、自分達の問題でもあることを一人に押し付けて。
しかも過去に助けてやると約束した人物に、だ。

「さて、これで今日の巡回も終わり。帰り道気をつけろよ」

破輩はそこで会話を切った。
彼女もこれ以上はそのことを話したくなかったのだろうか、それとも情けない自分を見るのが嫌だったのか。

「明日、お前は佐野と学校内の巡回だ。今日みたいに時間はかからないからしっかり出てくれよ」

それでも破輩は顔には出さず、いつもの凛とした表情でこちらを見つめる。だがそこにはどこか憂いと悲しみが感じられた。

「お、おう……心配すんなよ、明日も出るからさ。お前も……身体には気をつけろよ」

「ふん、私より順位の下の人間が私を心配をするとは生意気な」

破輩はそこで少し笑って、

「……なんてね、その心遣いありがたく頂戴しておくよ」

そのまま破輩は自分の寮に戻るべく闇へと消えたいった。越前はその後ろ姿をただ眺めるしかできなかった。
何十分と呆然としたまま一人取り残された場所で、じっと佇む。

「……くそっ!!」

突然、越前は拳をテーブルの上に叩きつけた。
鈍い痛みが拳から全身へと伝わる。

「俺なんていてもいなくても変わんねじゃねえか……!! なのに何で、あいつは……!! あいつは……!!」

言い訳でもあり、懺悔でもあるその男の声は、悲しく響き渡る。

「なんであんな目で俺を見てくんだよ……!! 俺なんかじゃお前の足元のも及ばねえっつーのに! なんであいつはあんな悲しそうな目で、俺を見てくんだよ……!!」

周囲の者はざわざわと騒ぎ立てるがそんな声すらも越前には聞こえてこなかった。

『いいか、お前がピンチになったときは俺が助けてやる。これから先、何年、何十年経とうがな』

その約束が、何度もエコーが掛かったように頭の中で聞こえてくる。

今破輩の為にしてやれることは巡回の手伝いだけ。本当にそれだけでいいのか?
そんな疑念があの約束とともにグルグルと渦を巻く。
だが結局はこうして何もできない自分が、こうして存在するだけだった。

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最終更新:2012年05月31日 20:37