第二章 備える者たち  Happy_Happy_Greeting ylu



 土御門舞夏の朝は早い。

 主人より遅く起きるメイドなど論外だからだ。今日も“義兄のベッド”で目を覚ました舞夏は、家政学校で躾けられた
 習慣通りに身支度を開始する。

 寝起きの顔に冷水を浴びせてハリを戻し、歯をみがく。鏡の前で表情作りの練習をするのも忘れない。シンプルなよう
に見えて踏むべき手順の多いモノトーンの制服を数分かけて身につけ、最後に短い黒髪の上にヘッドドレスをちょこんと
乗せればどこに出しても恥ずかしくないメイドさんの出来上がり。

「……でも兄貴いないしなー。見てくれる人がいないと張り合いがないー」

 舞夏は愚痴るようにつぶやいて、仕方なしに一人分の朝食の支度を始めた。

 この部屋――“男子寮”の一室――の本来の住人、土御門元春は昨日から帰ってきていない。義兄(あにき)がふらりとい
なくなるのはよくあることなので心配はしていないが、とまれその間、主不在の部屋を管理するのは義妹(まいか)の役
目になる。

 まあ、昨日に限って言えば、この部屋に泊まったことには別の理由もあったのだけど。

(静かなもんだったなー。電気が消えるまではぎゃあぎゃあかしましかったけどー)

 寝不足のため何度もあくびをかみ殺しながらも、料理する手つきに狂いはない。考え事をする余裕さえある。

 フライパンに卵を落としながら考えるのは、隣の部屋のこと。

 昨日舞夏が目撃した金髪の少女は、結局上条当麻の部屋から出てこなかった。ここで夜遅くまで見張っていたのだから
間違いない。

 ということは、昨晩はうら若い三人の男女が一つ屋根の下で過ごしたことになるわけで。

 ならば普通に考えて――――――――――まあそういう状況を期待してしまったことに罪はなかろう。

 しかし、録音の用意までして待ち受けていたにも関わらず、“そういったこと”はどうやら何もなかったようなのである。

(……連れ込んでおいてそれかー。まったく、おかけでこっちはすっかり寝不足だというのにー)

 気を抜いている間に目玉焼きの底が少し焦げた。

 遠目に見ただけだが、あの金髪少女はかなりの美人と思えた。先住居候の銀髪シスターも、性格と食欲と行動論理を抜き
にすれば美少女と評しても支障はない。そんな二人の女の子と同室で眠って「何もなし」というのは、男性としてどうなの
かと思う。

「むむむ。もしかして上条当麻って“あっち側”の人間なのかなー。源蔵さんに報告すべきかー」

 目玉焼きを盛り付けながら、まんざら冗談でもなくそんなことをつぶやく。ちなみに源蔵さんとは常盤台中学学生寮の料
理長で、舞夏とは顔なじみだ。

 いただきます、と言おうとしたときに、ふと卓上のデジタル時計が目に留まった。義兄の趣味か黒い亀の形をしたその時
計は、時刻の他に日付も表示していた。

「おー」

 今さら実感する。

 一端覧祭まで、あと一週間だった。







 古人曰く――祭りとはその準備段階こそが最も楽しい時間であると。

 いやいやそんなはずはない本番が一番楽しいだろ、でも騒がしさなら確かに負けてねーな、というのが最近の上条当麻の
考えだった。

 今日も耳を澄ませばいろんな音が聞こえてくる。

 あちらからは釘を打つ音と失敗の悲鳴が。「痛ってー指打ったー!」

 こちらからは木を組む音と失敗の悲鳴が。「てめーそっち押さえてろって言っただろーがー!」

 そちらからは道を歩く音と失敗の悲鳴が。「誰よこんなとこに立て看置いたのー!」

「…………ドジっ子多すぎ」

 しかし待て。これにはやんごとなき事情があったりするのだ。

 上条の通うこの高校は、もともと会場指定校ではなかった。当初この区域の会場校だった学校に耐震強度偽装問題が発覚
し、理事会から急遽代行を命じられたのである。

 あの『学舎の園』も招待校に含まれるこの区域(『学舎の園』自体は一般公開されないのが基本なので会場校にはならない)
の代表という大役を代役しなければならなくなったというのは、全校生徒、並びに教員一同にとってまさしく寝耳に水の
衝撃だった。

 不安もあったが、ここでいい所を周囲に示せれば第七学区での、いや学園都市全体での地位向上も夢ではない。例えるな
ら明日のスターを決めるオーディションに飛び入り参加が決まったようなものだ。お祭り気質の強いこの学校のテンション
はうなぎ登りに上がっていった。

 ――だがしかし。これまで招待参加でのん気にやってきた学校に会場校としてのノウハウがあるわけもなく、あちらこちら
そちらで不具合が生じてしまっているのが現状だった。

 係分けすらままならず、大半の生徒が「雑用係」という適当な役目を与えられ、昨日買出しに行かされたかと思えば今日
はこうして看板のペンキ塗りをしていたりする。しかも一人で。

 ろくにスケジュール表も作らず、目に留まったことを上から順にやっている感があるため、放課後の校内はひたすら空回
り気味だった。

 上条はペタペタペターッと刷毛(はけ)を滑らせてゆく。中庭の壁に大きな木の板を立てかけて、気分だけは画家を気取
り。その足元には昨日吹寄と買いに行ったペンキの缶がいくつも転がっていた。

 教室内では出来ない作業をするために、中庭にはいくつかのグループがやってきていて、上条もそのうちの一人だった――
まさしく。

 孤独に刷毛を振るいながら、ため息がもれる。

「はあ……こんなことなら演劇班に入ればよかったかなー」

 今の学校内で、唯一まともに役割分担がなされているグループ――それが演劇班だ。役者だけでなく音響、照明なども含まれ
る(大小道具は演劇以外にも入用なので例外)。

 自分が何やってるのかわからないほどあちこち走らされるよりは、理路整然とした活動ができる方が身が入るってものだろう。

 と、その時。



「ふむふむ。それなら都合がいいのですよ」



 不意に上がった声に振り返ると、そこにはビッ、とチョップみたいな挨拶をしているクラスメイトの図書委員(女子)がいた。

「やっほー。調子はどう? かみやんくん」

 左右の横髪だけが長く伸びた外跳ね気味のショートボブ。実用と言うよりはアクセサリーみたいな小さな眼鏡を鼻の頭に乗っ
けていて、ずり落ちやしないかと気になって仕方がない。右手はビラビラと綿毛みたいにテープ付箋が貼られた紙束を持っていた。

 言祝栞(ことほぎ しおり)。

 通り名はアウトドア系文学少女。また、現在“とある事情”でクラス内どころが高校内での最高権力を手にしている人物
でもある。

 上条はペンキを塗る作業を止め、刷毛を持った手で同じようにチョップを返し、

「まあまあだな。しかし、言祝“監督”じきじきの視察とは緊張するな。ま、見ての通りのものでしかないぞ」

 反対の手で期待の新鋭上条画伯渾身の作品を指し示す。

 言祝はその木の板をちらと見て一言。

「絵心ないね」

「………………そう言うアンタは容赦がないな」

「あはは。気にした? ごめんごめん冗談だって。でもま、そのくらいでなきゃあの演劇班(れんちゅう)の監督なんて
務まらないけどねー」

 演出の巧みさ、指導の正確さ、ついでに人使いの荒さにも定評のある我らが言祝監督はけらけらと上機嫌に笑った。

 彼女が演劇監督に指名されたとき、誰もが「やっぱり……」と思ったほどなのだからただ者ではない。なにせその平坦
な胸に朱色で三重丸を描き、白羽の矢を受けるというか射られる前に食らいつこうとしていたくらいなのだ。

 元より言祝は校内でも有名な「図書委員」だった。彼女が当番の日に図書室に行くと、例外なく「オススメ」をされる。
しかもその強烈さときたら受けた者が口を揃えて「あれはもはや『布教』だ」と証言するほどである。図書委員の権限を傘
に着た趣味の押しつけ行為――と思いきや、実はちゃんと人を見て薦める本を選んでいるので、こっそり好評であったりもす
るのだが。

 上条はパレット代わりに使っていたダンボールの切れ端に刷毛を置き、

「そういや、都合がいいとか言ってたけど。またどっか人手の足りない所でもできたのか?」

 雑用係が東奔西走する理由の大半はそれだ。例えば砂場に穴が見つかったとして、それを埋めるために他から砂を集める
のだが、そのせいで今度は別の場所に穴ができる。その繰り返しだった。吹寄などの実行委員も頑張ってはいるようだが、
砂場がまっ平らにならされるにはまだ大分かかりそうである。

 しかし、言祝の反応は単なる人手不足にしてはちょっと深刻そうだった。

「……実はねー。演劇班から抜けるって人が何人かいて、このままだと練習も立ち行かなくなりそうなのですよ。それで、
雑用係から移ってくれる人いないかなーってうろついてたら、ちょうどかみやんくんがぼやいてたから」

 ね? と言祝は両手の平を合わせて「お願い」のポーズをとった。

 つまりは演劇班への勧誘だ。それも監督が自ら足を運んでの。

 うーむ、と上条は考え込む。

 今から仕事を覚えるのは大変そうだが、あれやこれやと要領悪く使われるよりはマシかもしれない。中庭で代わりを探
していたのなら、おそらく力仕事の類だろう。何よりこの学校の一番の見せ所である演劇「シンデレラ」が立ち行かなく
なりそうだというのなら、断るわけにはいかない。

 結局、お人よしな上条当麻は引き受けることに決めた。

「オッケー。で、どこに入ればいいんだ? つか、この時期に抜けるなんて迷惑な話だよな」

 言祝は困ったように頬をかき、

「部活の出し物との掛け持ちがやっぱりしんどいってことで……もともと無理言って来てもらってたから、責めるわけに
もいかないのですよ」

 一端覧祭で出し物をするのは学校別でだけではない。吹奏楽部や美術部などの文型クラブにも発表のために相応のスペ
ースと時間が与えられる。大抵は各学校の同じクラブとの合同という形になるが。例外的に、今年は文芸部と陸上部と弓
道部が協同で企画をするらしい。

 みんなそれぞれ頑張ってるんだなー、と帰宅部所属の上条はしみじみ思った。

 言祝は一歩近づいてきて、

「というわけで。はいこれ」

 手に持っていた紙束を差し出してきた。

 コピー用紙をホチキスで留めた冊子で、表紙には「シンデレラ 役者用台本」と印字(プリント)されている。

 上条は目を丸くする。じわじわと嫌な予感を背筋に覚えながら、

「へ? いや、これ言祝のじゃねーの? つか裏方なら役者用の台本じゃ駄目だろ」

 すると言祝は、ありゃりゃ、とでも言うように表情を変えて、

「裏方なんて一言も言ってないんだけど」

「役者だとも一言も聞いとらんかったわ!」

「だって言ったら断られたと思うし」

「は!?」

「演劇部から来てくれてた役者さん達が、他校との合同公演に専念したいって言うからさ。だったらついでに前々から
考えてたスペシャルキャストを採用してみようかと思い立った次第であります」

「てことはたまたま俺がぼやいてたからってのは嘘か!? 始めから騙してでも役者にするつもりでここに来たんだな
!? てか演劇部の連中が抜けたのってこの腹黒文学少女(アーティスト)の野望に邪魔だったからじゃねーだろうなぁ!?」

 身を震わせてわめく上条を眺めて、言祝は小首をかしげた。

「はて。なにが不満なのやら。かみやんくんには最高の役を用意しているのですよ?」

 えー、と上条は全く信用していない。それに、この監督の下ではたとえ王子様役であったとしても惹かれはしないだろう。

 言祝は受け取ってもらえなかった台本をペラペラと開き、

「ほらこれ」

 と、ある文字を指差し示した。

 ――それは確かに最高の役。

 知らない者などいない伝説的キャラクター。

 文句なしの、主役(プリマ)だった。



 『シンデレラ』

 たぶん、世界が十秒は止まったと思う。

「っっっっっっっっっっっっっっけんなぁ!? こんっなヤな汗かいたのは夏の海以来だ! ツンツンブラックヘアー
でXY染色体持ち(じゅんせいだんし)のシンデレラ姫がどこの世界にいるっつーんだ!?」

「二次創作の世界ならいるんじゃないかなぁ」

「どこだよ!? 違う! そこ重要違う! 俺が言いたいのは、なんだって俺がシンデレラをやらなくちゃなんねーのか
ってことだ!!」

「あ、せーちゃんは王子様役だから」

 吹寄制理→吹寄「制」理→「せい」→「せーちゃん」 (※注 ここ試験に出ます)

「吹寄も巻き込んだのかよ! ならあいつにシンデレラやってもらえばいいじゃん! 少なくとも俺よかは似合うって!
 全国の玉の輿(シンデレラドリーム)を夢見る少女たちのためにどうかー!」

「うーん。でもさ、タキシードも似合うと思わない? あとレイピアとか」

「……………………………………い、いかん。ここで納得したら負ける、負けるというのに……!」

 はっきり言って、タキシードを着てどっちが様になっているかと問うならば、答えは自明だ。女性に対して失礼だとは
思うが、似合うのだから仕方ない。

 しゃがみこんでしまった上条の肩に手を置き、言祝栞監督はまるで(もなにも)最後通牒のように優しく、

 告げた。



「――ガンバレッ! お姫様(プリンセス)!」

「イ…………イヤダァァァァァァッ!!」



 上条当麻は一方通行(アクセラレータ)や追跡封じ(ルートディスターブ)と戦った時にも決して上げなかった――
本心からの悲鳴を上げた。

 無理だ。いくら神様の奇蹟さえ打ち消せる幻想殺し(イマジンブレイカー)でも、他人の頭の中にある空想(わるの
り)だけは殺せない。

 何を以てここまでこだわっているのかは不明だが、言祝は完璧に上条シンデレラを舞台に立たせることに決めている
ようだ。そしてぶっちゃけた話、今の言祝に逆らえる人物などこの学校にいない。権力以前に論破することが不可能なのだ。
一度こうと決めた芸術家の意思は鉄より硬く星より重い。

 なら諦めるのか。諦めて、豪奢なドレスを着て余所の学校からも大勢の観客が集まる舞台でシンデレラ姫の役をやるのか。

(……………………………………………………うわぁ)

 想像力なんて嫌いだ。一瞬でも思い浮かべてしまったことを吐くほど後悔する。ビジュアルだけでも十分死ねるが、その後
の未来予想はまさに世界の終わり(カタストロフ)。校内では後ろ指を指され、校外ではまだ乙女の心を残していそうな超電
磁砲(レールガン)とか空間移動(テレポート)とかに絵にもできないような目に合わされる……

 駄目だ。三日ももたない。

(だったらどうする、だったらどうする上条当麻! 逃げるのは駄目だ、この場でなんとかしないと勝手に話を進められて
やがては学校全体が敵になる。くそっ、文学少女のこだわりがこれほどまでに強敵だったとは! あえて言おう! 不幸だー!)

 のたうつ上条を一言で表現するのなら、「崖っぷち」以外にありえない。後は堕ちるのを待つばかり、と言祝は余裕の
表情だ。この状況をひっくり返すのは、もはや上条一人の力では不可能だった。

 誰か、誰か救いの神はいらっしゃらないのかー! とよりにもよって右手を伸ばした上条だが、



 珍しいことに今回ばかりは、幸運の天使が舞い降りたようだった。

 カツン、という足音。

 首を上げて見ると、校庭に通じる道から誰かが中庭に入ってきたらしい。目を凝らせば、どうやら余所の学校の女生徒
らしかった。

 小さくレースが入った白いブラウスに、真っ赤なスカーフが映えている。膝丈のスカートも同じ赤だった。両手で持って
いる手提げ鞄はあまり可愛げのないデザインだから、学校指定のものかもしれない。

(…………………………え?)

 上条の頭が疑問符で埋め尽くされる。

 別に、他校の生徒が校内にいることが不思議だったのではない。会場の下見目的で訪れている学生を何度か見かけたこと
もある。だから“彼女”も、“上条を確認して近づいてくる彼女も最初はそうだと思っていたのだけど”――――!



「……問一。トーマ、地面に這いつくばっているのは修行か何かか?」



 断じて違う、と答える声も出ない。

 ゆるく波打つ金髪(ブロンド)。ヘアピンで上げられた前髪の下から白いおでこが覗いている。ここまで近づいてようやく
気づいたが、手提げの中身はやはり大工道具。

 その名もサーシャ・クロイツェフ。

 上条さん家の赤シスター。

 上条は精神的なダメージから起き上がることのできないまま、

「あのー、サーシャ? なぜにウチの学校へいらっしゃるので? 確か家でインデックスと『灰姫症候(シンデレラシンド
ローム)』探しの計画を立てていたはずでは?」

「回答一。そのインデックスから言伝を承ってきた。――今日の夕飯はオムライスがいいと」

 それだけかーい! と叫ぶ勢いで立ち上がる。

 と、そして気づいた。ある場所からある場所へ、ものすごい視線が送られていることに。

 送信元、受信元共に上条ではない。しかしその二点を結ぶ線上に彼は立っていたのだ。熱量を伴っている気さえする視線
を背筋に浴びながら、ゆっくりゆっくりとジャングルで猛獣に遭遇したときのように慎重に体をずらしていく。

 そして、遮る物はなくなった。

「……………………………………、」

 言祝栞からサーシャ・クロイツェフへ。

 注がれる視線は熱く、それでいて静かで、ありえないほど運命的だった。

 やがて震える唇がやっとの思いで言葉を紡ぐ。

「……………………採用」

「……問二。何のことだかさっぱり不明なのだが」

 困ったように首をひねるサーシャに、しかし上条は返す言葉もなく、果たしてこれは本当に幸運だったのだろうかと真剣
に悩み始めていた。

 みんなに紹介するから、と言って歩き出した言祝の後ろを、上条とサーシャは頭が回ってない状態のままついていく。軽
く校内を案内するつもりもあるようで、言祝は何かある毎に立ち止まってサーシャに話しかけていた。その間、他校の制服
を着た金髪美少女であるサーシャは少々どころかかなり目立ったが、横に上条がいるとわかると一転、「まあ上条だしな」
という空気ができ追求されることはなかった。同学年だけでなく上級生まで同じ反応を示したのは、きっと年代の壁を越えて
一致団結していることの証しだろう。幸か不幸か教師の誰かと鉢合わせすることもなく、三人は無事にある教室の前にたどり着いた。

「――って、一年七組(おれたち)の教室じゃねーか」

「そ。やっぱり持つべきものは身近な友達よねー。みんな快く承知してくれたのですよ」

「……、」

 つまり被害は身内に限定されていたということか。安心すべきなのかどうなのか、上条は判断に迷う。

「でもさー言祝。今さらだけど、本気でサーシャにシンデレラやらせるつもりなのか? ウチの生徒でもない人間が主役を
張るのはまずいと思うんだけど」

「何とでもなるって」

「どこから来るんだその自信! いくら監督でも出来ることと出来ないことがあるでしょーが! そしてサーシャ! お前
がなんにも言わないから勝手にどんどこ話が進んでんだぞ!? いいのかそんな流されるままの人生で!」

 上条は一歩下がった場所でぼーっとしている赤シスターを怒鳴りつけた。

 手提げをぶらぶらさせていたサーシャはほんの少し考えるそぶりを見せ、

「確認一。私はトーマたちの演劇に役者として勧誘されていると判断してよいか」

「そうだけども、それは中庭にいるときに言っておくべきだった台詞だぞ」

 なら、とサーシャは言祝の方を向いて、

「私見一。興味はある。私にできることであるなら参加してみたい」

「な――」

「そーこなくちゃ! 簡単ではないかもしれないけど、あなたなら大丈夫! 私に任せてくれれば一週間で素敵なお姫様
にしてあげるわ!」

 何故、という言葉は興奮した言祝の叫びにかき消されてしまったのだけど――

(『灰姫症候(シンデレラシンドローム)』のことはどーなるんだ?)

 上条は思う。

『灰姫症候』

 人から人へさまよう魔術、『零時迷子(ヌーンインデペンデンス)』を元に組み立てられたらしい新種の術式。

 本来なら数回の移動でイメージが保てなくなり崩壊するはずの『零時迷子』を、誰もが知っている“とある物語”を媒介
にすることで半永続化させたものらしい。

 誰が、何の目的で作った魔術かはわからない。しかし問題なのは、それが今も学園都市の誰かの中に存在するということだ。

 しかも魔術師の手に渡ってしまえば、容易に伝染病のような効果に変更して再放流することができるという。

 そのような事態を未然に防ぐために、そして原因を究明するためにロシア成教とイギリス清教の両方から勅命を受けて
やってきたのが彼女、サーシャ=クロイツェフである…………はずなのだが。

(これじゃあ、本当にただの学生活動じゃねーか)

 だんだん不安になってくる苦労人上条である。

 それに気づいたのか、赤シスターは熱く語り続ける言祝から離れ、背伸びをして上条の耳元に口を寄せた。

「(説明一。問題はない。これは全て『灰姫症候』捜索のために必要なこと)」

「(はい? そう言われましても無学な上条さんにはアナタが学校生活をエンジョイしようとしているとしか見えないのですが)」

「(補足一。演目が『シンデレラ』だから。演劇を通して『灰姫症候』を誘い出せる可能性がある)」

「(……どゆこと?)」

 いつまでも背伸びをさせておくのは申し訳ないので中腰になる。

「(補足二。『灰姫症候』は“童話『シンデレラ』に関する知識”をイメージの基盤に置くことで、素人の中でも構成が崩れない
ようにしたもの。ならば“『シンデレラ』という物語のイメージを操れれば、『灰姫症候』に干渉することができるのではないか”
というのがインデックスのアイデア。問題はその手段だったのだが……演劇というのは存外に最適だったかもしれない。トーマに
会いに来て幸運だった)」

「(うわー生まれて初めてかもしれないそんなこと言われたの。でもさ、それだと劇を見に来た人にしか効果なくないか? 捜索
範囲は学園都市全域なんだろ?)」

「(解答一。元より『灰姫症候』の捜索メンバーは私だけではない。ブラザー土御門もそうであるし、他にも数名が何らかの手段で
学園都市に入っているはず。
私の役割はインデックスと共に捜索することであるから、彼女の知識から導き出された計画を実行することに問題はないと思うのだが)」

 上条は身を起こし腕を組む。

 言っていることはわかる。わかるんだけど…………



「おーいー? そろそろ入るよー?」

 ドアの取っ手に手をかけた言祝が、首だけひねって呼んでくる。サーシャは上条より先に歩き出した。

「解答二。了解した」

「おもしろいしゃべりかただねーサーシャちゃん。かみやんくんと何ひそひそ話してたの?」

「解答三。大したことではない。今日の夕食の献立について」

「なんか深く考えるとすごい意味になりそうな……そう言えば『トーマ』なんて下の名前で呼んでるくらいだもんねぇ?」

「私見二。友人がそう呼んでいるのでそれに倣っているだけなのだが」

「ほほう。三角関係というわけなのですね」

 微妙な塩梅(あんばい)でかみ合っていない会話を続ける天然赤シスターとお気楽腹黒監督に置いてきぼりにされそうな上条だった
が、

 そんなことはどうでもいいくらい、気になっていることが一つあった。

(…………自分で気づいてんのかね。さっきの説明、妙に押しが強かったぞ)

 上条は小さく“笑う”。

 詰まる所、シンデレラ劇が『灰姫症候』の捜索に好都合だったとしても、実際に参加してまでどうこうするほどのものでもないはず
だ。練習という手間暇、共演者という重荷、そんなものをわざわざ抱え込むメリットなんてない。

 ないはずだ――魔術師には。

 上条は思う。

 拷問道具標準装備で、表情が読みづらい彼女だけど、好きなものややりたいことだってきっとあるのだろう。

 比較的年齢の近い集団に飛び込んだことがきっかけで、そういった欲求が顔をだしたとしても不思議はない。

 しかもそれがシンデレラをやってみたいってことだなんて――なんとも可愛らしいわがままじゃないか。

(ま、ちょっとは仕事の選り好みしたって罰は当たんねぇだろ。不都合が出るなら、その分は土御門にでも回しゃいい。一端覧祭は
学生が楽しむためのイベントですってな。せっかく制服を着てるんだから、サーシャも楽しめばいいんだ)

 うんうん、とまるで父親か教師みたいに妙に嬉しい気持ちで微笑する上条当麻。

 ――――――――――――――――――――――――その微笑が凍りつくまで0,5秒。



「「………………………………………………………………(怒)」」



 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ。

 言祝が開けたドアの向こう。スタンド使いも真っ青な闘気を無差別に撒き散らしている吹寄制理(おうじさま)と姫神秋沙
(まほうつかい)がいらっしゃいました。





                    ◇   ◇

 さて、三分後。

 問答無用、とばかりに上条当麻は教室の中央に正座させられていた。その周りを五人の人間が囲んでいる。完全包囲というやつだった。

 上条はおそるおそる口を開く。

「…………あの。客観的に常識的に考えてワタクシめも被害者の一人であるというのにこの扱いはなんなのでせう?」

「黙りなさい上条当麻。全ての責任が貴様にあることは明らかよ。だからそのまま日が暮れるまで反省していること」

 一人目。吹寄制理が恐ろしく冷たく言い切った。教卓に立ち、まるで裁判官のように上条を見下ろしている。開廷直後に下された
実刑判決に「被告人」上条は猛反発した。

「だって! 演劇の役者が足りなくなったのもそれで吹寄たちが強引に引っ張りこまれたのも俺のせいじゃねーでしょ!? こうなったら
腹をくくってみんなでオスカー目指そうぜ!」

「とても良い言葉なのだけど。君は大きな勘違いをしている」

 上条から見て左、のんびりした声に少量の怒気を含ませているのは二人目、姫神秋沙だった。座っている机と椅子を横向きにして上条に
向けている。どうやら彼女の役割は「判事」らしい。

「どゆこった? 姫神」

「私達は。演劇をすることに不満があるわけではない。というか。むしろそれ自体は望むところ」

 大覇星祭の時の負傷から完全回復したばかりの黒髪の巫女さんは、かねてからの憧れであった「魔法使い」にたとえ劇の役だとしても
なれることを喜んでいるようだった。

 教卓の吹寄はちょっぴり口を尖らせて、

「……私はそうでもないんだけど。栞がどうしてもって言うから仕方なく」

「そやねー。吹寄さんは優しいお人やもんねー。でもボク思うんやけど、やっぱ吹寄やったら王子様より継母の方が性格的にぐばっ!?」

 姫神の隣にいる三人目が超高速で投擲されたチョークを眉間に喰らい悲鳴を上げる。「判事側の証人」青髪ピアスは奈良の大仏みたいに
なったおでこをさすった。

「被告人」は何がなんだかさっぱりだ。

「あのさー。本気でわかんないんだけど、結局お前らは何で怒ってるわけ?」

「んーとやねー。手っ取り早く言うと」

 青髪ピアスが手を挙げ、吹寄と姫神もそれに続き、三人で同じ一点を指差す。

 異口同音に告げる言葉は、



「「「その子誰(やねん)ってこと」」」



 彼らの示した先、上条から見て右方にいるのは、

「………………、」

 何故自分が注目されているのか全くわかってない様子の「弁護士」サーシャ・クロイツェフだった。

 その隣には「弁護士側の証人」言祝栞がニマニマしながら座っている。

 あー、と上条は右手で顔を覆い、

「えーとこの人はですね、俺の知り合いの子で、たまたまウチの学校に見学に来てたところを言祝がスカウトしちまって」

「知り合いと認めたね。そうなるまでにどのような経緯があったのやら。裁判長。被告に無期懲役を求刑します」

「といいますかカミやん。ボクのいないところでロリ金髪しかも工具常備の大工さん属性持ち美少女とお知り合いになってるってどういう
こと!? 裁判長! 無期懲役なんて甘っちょろいこと言っとらんとここは古式ゆかしい断頭台(ギロチン)の復活を提案いたします!!」

「妥当なところね。大道具とかけあってみましょう」

「なんだそのスピード裁判!? 判事と裁判長がグルって最悪じゃねーか! こんな司法取引も探偵パートもない裁判なんて認められません!
 せめて弁護側にも発言させてくださいな!」



 最初は無視していたが、あまりに「被告人」がわめき続けたため、「裁判長」はいかにも渋々といった様子で、

「しょうがないわね。……サーシャ=クロイツェフさん、といったかしら。昨日も会った気がするんだけど」

「解答一。私も貴女のことは記憶している。それと、私のことはサーシャでいい」

「……どうも」

 サーシャのしゃべり方に慣れないのか――あるいは性格にか――、吹寄はわずかに怯んでいた。が、すぐに真剣な顔に戻り、

「それで、肝心なことを聞くけど。――――本当に上条当麻に何もされてない?」

「おい吹寄!? それ全然関係ないだろってごっ!?」

 裁判長の許可なく発言するなと言わんばかりの超速チョークが上条に炸裂し、沈黙させた。

 サーシャはその様子をぼんやりと見ていたが、やがて何事もなかったかのように、

「解答二。協力は色々してもらっている。危険なことは今のところない」

「裁判長。この二人は今夜一緒に夕食を食べるそうでーす」

「言祝てめどばっ!?」

 復活直後に再び撃沈。

「カーミやーん……」「上条君……」「上条……」

 法廷(きょうしつ)の空気が一層凶悪なものに変わる。それはもうDIOの館くらいに。

 青髪ピアスは殺意に満ちた目でにらんでくるし、姫神はなんだか嫉妬めいた瞳を向けてくるし、吹寄はそのどちらとも言えないような
視線を突き刺してくる。

(うう。どうにもこうにもならん……不幸だー)

 味方であったはずの「弁護士側の証人」にも裏切られ、もはや救いなしいっそこのまま楽にしてー! と叫びかけた上条当麻だったが、
それを静かな声が制した。

「――提案一。この状況が私の存在によるものならば、私は演劇活動への参加表明を取り消す」

「…………え?」

 突如立ち上がった「弁護士」の発言が。

 呆気に取られた声を出したのは吹寄制理。しかし他の人間も彼女と全く同じ心境だった。

 もちろん上条も。

「サーシャ……?」

「ちょ、ちょっと待ちなさいサーシャさ――サーシャ。あなたはそこの横暴監督とセクハラ少年に無理やり連れてこられたんじゃないの?」

 せーちゃんひどーい、と口を突き出した言祝を、サーシャはちらりと見て、

「解答三。誘われたのは確か。しかし、私は自分の意思で参加を決めた。興味があったから。けれども、それが学友同士で仲違いする原因
になるのなら、退くべきなのは私であると思う」

「…………う……」

 吹寄が、なんとも苦い物を飲み込んだような顔になる。

 それはそうだ。年下の女の子にリアルで「私のために争わないで」と言われてしまったのだから。

 しかも、

「………………………………………………………………、」

 口では止めると言っているサーシャの顔は、「本当はとってもとってもやりたいんです」と無言で訴えていた。そしてそれを、迷惑を
かけて申し訳ないという思いで押し潰しているのまで見て取れる。

 恐らく、いや確実に彼女は気づいていないだろう。自分がそんな表情をしていることを。貼り付けたような無表情を保てていると思ってる
に違いない。

 そして吹寄裁判長は、そんな一少女の不器用な願いを無下にできるほど非人情派ではなかった。

「あの……サーシャ? なんと言うかこれは、上条の日頃の行いのせいであって、決してあなたが悪いわけじゃないのよ?」

 そうだそうだと相槌を打つ検事側。特に青髪ピアスは今にも奇声を上げてサーシャに抱きつきかねない勢いである。彼女の属性に不器用
属性が加わった結果らしい。

「――だけど」

 吹寄は顔を曇らせ、

「実際問題、サーシャを演劇班に迎え入れるのは難しいと思う。いくら監督のお墨付きっていっても、この学校のメインイベントの主役に
他校の生徒をいきなり抜擢したら絶対に内外から反感を買うわ」

 それでも冷静に物事を捉えてしまう辺り、彼女は良くも悪くも優秀な運営委員だった。

 本当はこんなこと言いたくないのだろうが、役割を持つ者の責任として、吹寄は現実を突きつける。

「しかもあなたの着てる制服(それ)、近所の中学校のじゃない。ということはまだ十三か四、でしょ? 年齢(とし)も足りてないんじゃ、
転入生ってゴリ押しすることもできない」

「――――だったら、新入生ならどう?」

 ス、っと。

 その声は豆腐に包丁を差し込むように全員の耳に入った。

 視線が集まる。

 声の主――「弁護士側の証人」は自信たっぷりに腕を組み足を絡め、

「この高校に進学を希望している生徒から一人、特別ゲストとして舞台に上がってもらうことにしました。選ばれた子はとても可愛らしい
外国人の女の子でした。その子がシンデレラの役をやりたいと言うので、優しい先輩達は快く譲ってあげることにしました……とこういう
筋書きよ。これならサーシャちゃんが堂々と主役やれる上に、ウチの高校の宣伝とイメージアップにもなる。一石二鳥なのですよ」

 ニカッ、と笑った。

 上条達は、戸惑うような感心するような、不思議な気持ちでその笑みを見た。

 言葉も出ない。

 まるで運命が配役(キャスト)を決めているかのように、不利な点さえも利用してステージを完成させていくその知略。

 妥協なく、恐怖なく、目的達成のためにあらゆる手段を尽くすその度胸。

 これが“監督”。

 言祝栞。

「……でも。校外への言い訳はそれでいいとして。校内への対応はどうするの? 一年の独断で。そんなことしたら色々面倒なことに
なりそうだけど」

 いち早く脳に血が流れ出したらしい姫神が尋ねた。

 しかし言祝は困った様子も見せず、

「そっちのが簡単よ。というかもう終わってるし」

「終わってる。とは?」

「教室(ここ)に来る前に、私と、サーシャちゃんと、かみやんくんとで校内をあちこち練り歩いといたの。みんなならこの意味、
わかるよね?」

 吹寄と姫神と青髪ピアスが、あっ……となる。

 そうだ。たとえどれだけ不可解なことが校内で起こったとしても、

 それが可愛い女の子に関することで、

 その隣に、とある少年がいたというのなら、



「「「何があったとしても上条(上条君)(カミやん)のせいにできる…………!!」」」



 がばっと復活。

「待ったらんかーい!! いくらなんでもそりゃねーだろ!? とどのつまり俺を生贄に捧げてサーシャシンデレラを召喚するぜ
ってことじゃねーか! こんな扱い俺の親父が知ったら今度こそ天使が降臨しちゃいますよ!? つーかてめーら三人さっきから
息が揃いすぎなんだよ! トリオか、トリオなのか!?」

「流石ね栞。そんな巧妙な作戦思いつきもしなかったわ」

「にはは。このくらいお茶の子さいさいなのですよ」

「いやーでもやっぱりボクらの言祝監督やね」

「今年の名誉監督賞は。あなたのものに決まり」

「聞いてない! 聞いてらっしゃらない!! チョークすら飛んでこない!! これがスルーか、レールガンノミコト様の祟り
なのか!? サーシャ弁護士! もうあなただけが頼り……って何を両手で胸を抱いてうっとりしてますかアナタ! そんなに
シンデレラやりたかったんかい! そしてそのまま言祝達の輪の中へ行っちゃうの!? 待って、その『素敵な先輩後輩の図』
に俺も混ぜてーーっ!!」





 結局、上条の意見は何一つ通ることのないままその日の打ち合わせは終わり、

 言祝栞から吹寄制理経由で運営委員に配役変更の旨が伝えられることになった。



「シンデレラ役 サーシャ=クロイツェフ(特別出演)」



 提出された文書の最上段にはそんな文章が書かれていた。



 サーシャ=クロイツェフは現在、上条当麻の部屋に居候している。

 ――断っておくが、上条が強要したわけでも色っぽい事情があるわけでもない。

 正式な滞在場所が決まるまでの間、サーシャは土御門元春の部屋に間借りする予定だったらしい(土御門本人は仕事で一時ロ
ンドンに)。しかし昨晩は、何故かその部屋を土御門の義妹の舞夏が占領してしまったため、他に行く場所もなかった彼女は
仕方なく上条の部屋に泊まることになったのだ。

「それならいっそのこと、任務が終わるまでここにいれば?」とインデックスが言い出した時は、初め上条は冗談だと思った。
インデックス一人でも手を焼いているというのに、そこに似たようなのがもう一人加わってしまえば、財政的にも社会的にも上条さん
家は崩壊する。

 しかし、これまた何故かサーシャがその話に乗ってきた。「連絡の手間が省ける」「拠点は集中させておくべき」「意外に食事が美
味しかった」などというのがその理由。最終的には紅白シスターによるステレオ説得が実行され(隣室の舞夏が聞いた「ぎゃあぎゃあ
かしましかった」とはこのあたり)、「二宗派から与えられた作戦資金から食費くらいは出す」とまで言われてついに上条も折れたという話。

 上条としては、隣の部屋が空くまで、という条件をつけたつもりなのだが、サーシャが彼の部屋にいる限り舞夏が監視を止めること
はないため、実は無意味だったりする。知る由もないことではあるけれど、こんなところでも上条当麻は不幸だった。





 さて。

 色々あって、帰り道。夕陽暮れなずむ学園都市を、上条とサーシャは並んで歩いている。

 校門で分かれた吹寄達には「送り狼」がどうとか散々に言われたが、帰る学生寮(おうち)が一緒なのだから仕方ない。もっともそ
のことをクラスメイトに話せるわけもなく、単に同じ方向だから送っていくだけだと言い訳しておいた。

 サーシャは歩きながら、言祝からもらった自分用の台本を熱心に読んでいた。転ばないのが不思議なくらいの集中っぷりである。
なんだかもう、目的と手段が美しいまでに入れ替わってしまってると思うのは上条だけだろうか? 左手に台本を持ち、右手でめくって
いる彼女は、当然あの手提げ袋は持っていない。

 帆布を張り合わせたような丈夫な手提げ袋は、今は上条が持たされていた。中身の拷問道具は、釘一本に至るまで何らかの魔術的加工
が施された霊装であるらしく、右手で持つことは出来ない。利き腕でない方の腕でこれだけの重量を持ち上げるのは大変だった。

「……はぁ」

 しかし、そんな荷物よりも何よりも、今は上条自身の気分の方が重かった。

 思わず漏れたため息に、サーシャが台本から顔を上げて覗き込んでくるが、空笑いを返すことしかできない。

 理由は一つ。そしてその理由に向かって歩いているということでもう一つ。

「……はぁ」

 やがて、学生寮(おうち)が見えてきた。





 夕食後。

「うん。いいんじゃないかな。闇雲に探し回るよりずっと効果的だと思う」

 上条シェフ渾身の一品、ふわふわ卵のオムライスを真っ先に食べ終えたインデックスは、一通りの話を聞いてそう言った。

 一端覧祭の出し物で上条の学校が「シンデレラ」をやること。

 その役者に唐突に上条達二人が抜擢されてしまったこと。

 そして、劇の舞台を利用して「灰姫症候(シンデレラシンドローム)」の捕獲を狙っていること。

 二人の話を聞いた上でのインデックスの反応は、なんというか、あまりにいつも通りだった。

「……どしたのとうま? 私の顔になんかついてる?」

「え? あー、とりあえず口のまわりのケチャップは拭いときなさい」

 “だからこそ”、上条は不安になる。

 大覇星祭では「刺殺杭剣(スタブソード)」だの「使徒十字(クローツェディピエトロ)」だののせいであんまりかまってやれず、
彼女を長いこと一人ぼっちにしてしまった。三毛猫だけを抱いて寂しそうにしていたのですよー、と後になって小萌先生に聞かされた
りもした。

 だから今度の一端覧祭では、その埋め合わせにはならないかもしれないけれど、できる限りインデックスと一緒にいようと思ってい
た――のだが、その矢先にこれだ。

 出演者という立場になってしまった以上、祭りを見て回れる時間はかなり削られてしまうだろう。

 しかも――しかもだ。上条だけではない。新しい同居人、新しい友達になったばかりの赤い少女もインデックスを置き去りにしてしまう。

 一つ屋根の下で感じる疎外感というのはどれほどのものだろう。

 ティッシュを三枚も使って口を拭っている様子は、普段と変わらないように見える。“そのように装っているだけなのではないか”
というのは上条には判断できない。

 こういう時、上条は月詠小萌という教師をすごいと思う。あの人は生徒の気持ちを敏感に察し、妥協ではなく打開のための策を探し出せる
人間だ。人生経験未だ浅い一少年である上条当麻には、遠く及ばない領域である。

 インデックスは使い終わったティッシュをくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り込み、

「ふう。それじゃサーシャ。具体的な方法を考えよっか。演劇を見る人が持つ『シンデレラ姫』のイメージを、どれだけ舞台上の
『サーシャ=クロイツェフ』に近づけさせるかがポイントだね。まあこれはいい演技をすればいいってことだけど、細かな身振り
手振りに魔術的意味を含ませることで若干ながら効果を上げることができる。こういうのは天草式が向いていると思うんだけど……」

 食後の一杯(麦茶)を飲んでいたサーシャは平たい声で、

「私見一。インデックスの知識があっても、一朝一夕に学べるものではないだろう。ロシア式で代用するしかないかと」

「そだね。かと言ってサーシャの霊装を舞台に持ち込むのは難しそうだから――――――だからとうま。そんなにじろじろ見られてると
気になって仕方がないかも。今度はマヨネーズでも付いてるっていうの?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……」

 上条は逃げるように目をそらした。自分でもわざとらしかったと思うが、まさか面と向かって「お前、無理してないか?」
と尋ねられるわけもない。どうにかごまかすことはできないものかと思考を巡らせるのだが、

 しかし。

「……………………………………、」

 こんな時ばかり察しのいい白シスターは、ふっと半目になった。ちなみにこの時点で赤シスターは食後の一杯を再開している。
我関せずといった様子だ。

 インデックスは上条の袖を掴み、

「とうま、とうま」

「な、何でしょう?」

「もしかしてとうま、私が一人だけ仲間外れになるからって拗ねるとか思ってた?」

 ドキ、と上条の心臓が凍る。

「い、いや、全然そんなことないぞ?」

 とっさに浮かべた素敵スマイルは、しかし少女の表情を一層険しくし、

「もしかしてとうま、私が一人だけ仲間外れになるからって拗ねるとか思ってた?」

「だから、」

「もしかしてとうま、私が一人だけ仲間外れになるからって拗ねるとか思ってた?」

「あの、」

「もしかしてとうま、私が一人だけ仲間外れになるからって拗ねるとか思ってた?」

「えっと、」

「もしかしてとうま、私が一人だけ仲間外れになるからって拗ねるとか思ってた?」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………
…………………………………………………………………………………………………ハイ」

 折れた。

 インデックスは呆れたようにため息をついて、

「とうま。私はそんなに大人気なくないかも。『いちはならんさいー』っていうのが聖誕祭(クリスマス)や復活祭(イースター)
みたいに大切なお祭りなら、準備も本番もとても大事で大変なんだってわかるし、そのために当麻が努力するって言うのなら私が
怒る理由なんてどこにもないんだよ? サーシャも一緒にっていうのは確かに羨ましいし、寂しいとも思うけど、それ以上に頑張って
欲しいって思うもん。……第一、これは『灰姫症候』を捕まえるための作戦でもあるんだから、むしろ当麻はそういう意識も持ってな
きゃだめなんだよ」

 シスターのように、シスターらしく、シスターとしてお説教を始めた。

 その顔はどこまでも真剣で、強がりでも投げやりでもなく、本当に本心なのだということが伝わってくる。

 上条は自分の浅はかさに身が縮こまる思いだった。

(う、うう。あのインデックスが、あの暴食シスターがいつの間にかこんなにも立派な考え方をするようになっていたなんて。上条さんは、
上条さんは……! ――よし。なら、インデックスのためにもサーシャのためにも、俺は、「シンデレラ」を成功させることに心血を注ぎま
くる所存であります!)

 延々と叱られながら、上条当麻は決意を新たにする。どの道『灰姫症候』がらみでは役立たずなのだ。ならばここで全力を使わずにいてどうする。

 おっしゃー、と拳を握り締めた腕を、横から引っ張る手があった。

 首をひねって見ると、サーシャが上条の服の袖を指先でつまんでいた。その仕草に彼は何となく夏の『ミーシャ』を重ねてしまったのだが、
頭を振ってそのイメージを払い、

「どうかしたのか? あ、オムライスのおかわりならないぞ」

「…………私見二。それは非常に残念ではあるけれど」

 と言いながらどこか釈然としていないような顔で、サーシャは新聞の折込みチラシのような紙を差し出してきた。一見何の変哲もない紙
だが、どっこいここは学園都市。チラシやトイレットペーパー、ティッシュペーパーなどに使われている紙は全て廃材利用の再生紙で、しかも
土に埋めておくとインクごと自然分解するというエコロジカルな代物だ。

 が、ここで問題なのはどんな紙かではなく何が書かれているかだ。上条は受け取ったチラシを顔の前に広げてみる。派手な色使いに、隅に押
された運営委員の承認印。どうやら一端覧祭関連の宣伝チラシらしい。

「なになに……第七学区三番臨時会場、ってウチの学校だよな。えっと? 『のど自慢大会出場者募集の――』」

「む、とうま。人がお説教してるっていうのに何サーシャとおしゃべりなんかして――――ってうわああああああ!?」

 上条の手元を覗き込んだインデックスがいきなり悲鳴を上げた。

 上条は思わずのけぞったのだが、

「ダ、ダメそれ見ちゃダメなんだよ見るな見ないでとうまのばかぁッ!?」

「うおっ!? な、何だかよくわからないけど落ち着けインデックス!?」

 やや錯乱しながらも、インデックスはのしかかるようにしてチラシを奪い取ろうとしてくる。上条は本能的に腕を伸ばし、シスターの魔の手
からチラシを守った。

 しかし、なおも白い少女の勢いは止まらない。

「とうま、とうま! もしそのチラシを私に渡さなかったらゼウスからトラウィスカルパンテクウトリまで古今東西あらゆる神様が貴方に天罰
を下すかもー!!」

「えー! 何その大盤振る舞い(オールスター)! 十字教(おめーら)って一神教(ソロシンガー)じゃなかったの!? つ、つか何でのど
自慢大会にそんなに過剰反応示してんだよ! まさか参加するわけでもあるめーしー!!」

 上条としては、その場しのぎの、大した考えもなしに放った言葉だったのだが、



 ピタ、と。



 押し倒すような格好になってもまだ暴れていたインデックスが唐突に動きを止めた。

「…………、」

 今にも泣き出しそうな顔になっているインデックスに、上条は嫌な予感を覚えつつ、

「あのー…………………………まさかマジで?」

「う――」

 白シスターは息を吸い、

「ううううううううううううううううううううううううううう!!」

 最後の方はほぼ絶叫。



 インデックスは矛先を真横にいる赤シスターに変更し、

「ひどいよサーシャ! とうまには絶対内緒だって言ったのにどうして教えちゃうのー!」

 対し、サーシャはわりかし平然と、

「解答一。今日トーマの学校に行って分かったのだが、『イチハナランサイ』当日のトーマのスケジュールは主に女性関係で大変なことになっ
てしまう可能性が非常に高い。出演する側になったこともあるし、予定はなるべく早めに決めておいた方がいいのではないかと」

「……うう。いきなりステージに上がってとうまをびっくりさせようと思ってたのに…………でも反論できないかも」

「いやそこは反論してくれ頼むから」

 うめいて、しかし自分でも否定しきれないと思ってしまう辺り本当に駄目そうだった。

 上条は押し倒されるというか押し潰されるというかな体勢からどうにかこうにか身を起こす。同じように改めて座りなおした紅白シスターを
見やって、

「えーと……つまり何か? お前は本気でのど自慢大会に出るつもりなのか?」

「うん」

 秘密にしておきたかったことがバレたせいか若干悔しそうに、しかし躊躇うことなくインデックスはうなずき、

「順番に歌を歌って、一番上手だった人が一等賞なんだよね? 私、そういうのはちょっと自信あるかも」

 胸に手を当て、得意げに微笑んだ。

 実際、彼女の声はとても澄んでいて、よく通る。「強制詠唱(スペルインターセプト)」や「魔滅の声(シェオールフィア)」などはその
声あっての技だ。普段は大声を上げて噛み付いているか、「お腹へった」と言っているだけなので、分かりにくいのだが。言われてみれば、
確かに彼女ならいい線いけるかもしれない――――“出場できたなら”。

 上条は申し訳なさそうにチラシの「募集要項」の部分を指で示し、

「……あのなインデックス。残念だけど、もう募集締め切りは過ぎてるんだ。これ、一週間前のチラシなんだよ。えいくそ、もうちょっと
ちゃんと部屋を片付けてりゃよかったな。当日、一般客からの飛び込み参加枠もあるにはあるけど、こっちは理事会が発行した入場券代わり
のIDカードが絶対」

「うん。知ってるよ」

「必要で……は?」

 上条さんの目がテン。

「そのチラシがあった場所も書いてあった内容も最初から“覚えてたし”。私に限ってそんな初歩的なミスを犯すことはありえないよ」

 一度見たもの、聞いたものは決して忘れない完全記憶能力を持つシスターはスラスラと言ってのけた。彼女の記憶力は今さら疑うべくもない。

「??? ならどうやって出るつもりなんだよ」

「『もうしこみ』とか『あいでぃー』とかは、全部こもえがなんとかしてくれるんだって。相談してみたら『先生にお任せなのですよー』って言ってた」

「……………………なるほど」

 不思議と納得できてしまうのが不思議でないのが不思議な上条だった。

(けど――結局またあの先生に頼ることになっちまったな)

 上条は腕を組み、苦笑する。

 まあ今回はインデックスから言い出したことらしいし、結果はどうなるにせよ、それで彼女が寂しい思いをしなくてすむようになるのなら――――

 って、あれ?

 何かが引っかかった。



「インデックス」

 上条は尋ねる。

「もしかだけど。――――俺らが劇に出るって言っても文句言わなかったのは、もう自分で別のに出ることが決まってたからか?」

「………………………………………………えへ♪」

「可愛く笑ったところで誤魔化せると思うなよお祭り娘! サーシャも巻き込んでアイドルっぽいポーズを決めても駄目! ええい、ちょっと
は大人になったのかと感動して損した、のっけから俺たちより一端覧祭を楽しむつもりだったんじゃねーか!!」

 うがー! と上条は怒りとやるせなさとほんのちょっとの安心をこめて叫ぶ。しかしインデックスは乾いた笑顔を貼り付けてぎこちなく視線
をそらすのみ。

「あ、あはは。と、という訳なのでサーシャ。お互い頑張ろうね? サーシャのシンデレラ姫、とっても似合うと思うから」

「返答一。ありがとうインデックス。私見だが、貴女の歌も素敵なものになると思う」

 少女達は和やかに(片方は引きつっているが)激励し合っている。

 なんというか、すでに事態は「とある少女の学園ドラマ ~文化祭編~」に一直線って感じだ。

 うわーこんなんでいいのかー、と上条は唸ってみるのだが、

(――どうにも危機感が湧いてこないんだよなぁ。『今のところは無害』って辺りが特に。一応これって、イギリス清教の一番お偉いさんが出
張ってくるような事件なんだよな……?)

 それにしては、仕掛ける側の所業も教会側の対応もいい加減な気がする。あるいはそれは「科学側」の人間の上条当麻だから感じる感想で、
「魔術側」から見れば十分非常事態体勢と呼べるものなのかもしれない。

(まあ、サーシャの話だと他にも『灰姫症候』を捕らえに学園都市に入っている連中がいるらしいし……そっちに任せてもいいのかな?)

 赤と白の少女達が、存分にお祭りを楽しめるようになるのなら、それでもいいかもしれない、と上条は思った。






 行間 一




 夜が動く。

 月と星と電灯の明かりだけが世界を支配できる時間。「真夜中」という決して壊すことのできない概念が、今かすかに揺らいだ。

 学園都市をぐるりと囲む外壁、その内の三箇所でほぼ時を同じくして。

 一つは滑る様に。

 一つは弾く様に。

 一つは潜む様に。

 三者三様の方法で“侵入”を果たした者達は、三人ともが同じ場所を目指して進みだす。

 ゆっくりと、各々の技で身を隠しながら、しかし確実に。“まるで同じ目的を持っているかのように”。

 そう、もはやどうでもいいことではあるのだが、



 彼らは、決して互いに面識を持たない者達だった。

 彼らは、決して同じ組織に属していない者達だった。

 彼らは、決して協力関係にない者達だった。



 ――そして、真実どうでもいいことであるし、語っても意味のないことでもあるのだが。




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最終更新:2010年01月18日 22:45