アンナハダとは、チュニジアのイスラム系政党。前身は「イスラム志向運動(MTI)」。ムスリム同胞団系とも言われる。2011年10月の制憲議会選で第1党となった。党首はラシッド・ガンヌーシ氏。またハマディ・ジェバリ事務局長がチュニジアの暫定首相になった。


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政権移行進展なら退陣=チュニジアのイスラム主導政権(2013/09/28)

 【カイロ時事】チュニジア暫定政権を主導する穏健派イスラム政党アンナハダの関係者は28日、ロイター通信に対し、政権移行に向けた世俗派野党との協議がまとまり次第、退陣する意向を示した。チュニジアではイスラム色を強める政権に野党側が反発し、混乱が続いていた。

 2011年の政変を主導した最大労組の労働総同盟(UGTT)が仲介に乗り出し、与野党協議後に独立した選挙管理内閣を樹立し、議会選と大統領選を行う案を提示。アンナハダはこれを受け入れたという。

世俗派指導者を殺害 チュニジア 抗議デモ衝突(2013/02/07)

 【カイロ=大内清】チュニジアの首都チュニスで6日、世俗派野党指導者で弁護士のショクリ・ベルイード氏が自宅前で何者かの銃撃を受け殺害された。同氏の弟はフランス通信(AFP)に「兄は暗殺された」と語った。世俗派と対立するイスラム勢力による犯行の可能性がある。

 2011年1月のチュニジア政変を機に中東・北アフリカの独裁的な長期政権が次々と倒れる中、域内各地では、それまで強権で押さえ込まれてきた過激派を含むイスラム勢力が活動を活発化させ、世俗派と敵対するケースが目立っている。今回の事件は、「アラブの春」後の政治混乱がさらに暴力化しかねない懸念を浮き上がらせた格好だ。

 事件についてチュニジアのジェバリ首相は6日、「革命に対する暗殺だ」と非難。首相の出身母体であるイスラム原理主義組織ムスリム同胞団系の政党、アンナハダの指導者ガンヌーシ氏も、ベルイード氏殺害犯が「国に血の海を作ろうとしている」と述べた。ベルイード氏の親族は同党が黒幕だと主張しているが、ガンヌーシ氏は否定した。

 事件を受け、チュニスなどでは世俗派が抗議デモを行い治安部隊と衝突、一部はアンナハダの事務所などを襲撃した。チュニジアでは政変後の経済低迷で不満が噴出しやすい状況にあるほか、政府にシャリーア(イスラム法)導入を求める急進的イスラム勢力の集会も頻発しており、混乱が長期化する恐れもある。

チュニジア暫定内閣が発足…イスラム政党主体(2011/12/25)

 【カイロ=田尾茂樹】チュニジア制憲議会は23日、イスラム穏健派政党アンナハダのハマディ・ジュベリ暫定首相を首班とする閣僚名簿を承認し、1月のベンアリ政権崩壊後の民主選挙の結果をふまえた新たな暫定内閣が発足した。

 10月の制憲議会選で第1党となったアンナハダと、世俗派の共和会議、エッタカトールの3党連立で、主要閣僚をアンナハダが占めた。

<チュニジア>「過激主義が復活」…イスラム台頭に欧米警戒(2011/01/17)

 【チュニス和田浩明】チュニジアで世俗主義のベンアリ独裁政権が崩壊したことで、欧米には過激なイスラム主義がチュニジアに復活することへの警戒感が広がっている。国外追放中の非合法イスラム主義政党の指導者が早期の帰国を表明し、メバザア暫定大統領も新政権への「全国民の意向の反映」を約束した。隣国アルジェリアではイスラム主義者の政治的台頭から内戦状態に陥った経緯もあり、チュニジアがイスラムにどう対応するかが焦点になっている。

 非合法政党「アンナハダ(目覚め)」の党首でロンドン在住のラシッド・ガンヌーシ氏(69)はベンアリ政権崩壊翌日の15日、「国外生活を強いられる理由は無くなった。数日以内の帰国を考えている」とロイター通信に語った。

 アンナハダの前身の「イスラム志向運動(MTI)」は80年代、反欧米的ナショナリズムを旗印に反政府運動を展開し死刑になる指導者も出た。90年代初頭にはアルジェリアでイスラム主義政党が総選挙で大勝した。

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最終更新:2014年01月02日 05:27