第二幕 氷室
「……なんだと?」
『ですから、我々は異世界に飛ばされてしまったと言ってるんです。いやー、科学者として、このような体験をするとは非常に幸運で貴重ですよ』
暢気な口調で言う氷室に呆れ果ててしまい、何も言えなくなる。
こいつは性格がかなり破綻しているが、嘘を言うような男ではない。
信じたくは無いが、今聞かされた現実離れしたことは真実だろう。
(だが……)
となると事態は確実に深刻なはず。なのに、何故ここまで楽天的でいられるのか不思議でならない。
いや、待て。こいつは、殆どただ知識欲の赴くままに生きているだけだ。今回のことも興味深い出来事が起こったために、その事への探究心で頭が一杯なのだ。
故に暗くなったり、悲観的になるような暇など皆無なのだ。そうに決まっている。
『で、閣下はどうするんです? こっちは適当にもう動いちゃいましたけど?』
それを聞いて、眉間に一気に皺が寄る。
命令もなしに勝手な行動を取るとは明らかな独断専行。
普通であるなら、完璧なまでに処罰の対象となる。
「貴様という奴は……もういい。それで、一体なにをした?」
『いえ、ただ偵察機を何機かお借りしただけですよ。周辺調査のためにね。それで非常に面白いことがありましてね』
氷室は、ウキウキしながら言う。そして、またカタカタとコンソールを叩いている音が受話器ごしに聞こえてきた。
しばらくすると、こちらのモニターに何かの画像が幾つか送られてきた。どうも航空写真をコンピュータに取り込んだものの様だ。
そこには、他愛の無い森林地帯や海岸等が写っていた。
「これは?」
『陸地ですよ、見れば分かるでしょ?』
陸地。そう言われて、何が面白いのかと少々疑問だったが、すぐに気付く。
「まさか……人でも見つけたのか?」
陸があれば、そこに住むものがいる。何らかの動物や鳥などはもちろん、人間だって住んでいる。
氷室が非常に面白いなどと口にするのであれば、前者の二つは省かれる。ここまで奴が浮かれるには若干役不足だからだ。
よって、後者の人間かと考え付き、氷室に問う。
『ピンポーン、大正解。結構、勘が良いんだね』
案の定、当たりだ。
人間が住んでいたぐらいで何を大げさな、と思うかもしれないが、実のところそれはとてもありえないことだ。
そもそも確率論的に考えれば、人間というものは存在そのものが奇跡みたいなものなのだから。
『フフフ、南西の方角に百キロ程行ったところに陸地を偶然にも発見し、さらに、奥へ行くとそれなりの大きさの集落を見つけましてね。それを現在観察中です。どうです?
ビックリしたでしょう?』
「ああ、正直言って驚いた」
元々、氷室は生物学、生命工学、心理学の専門家だ。今でこそ機械系の、平たく言うなら兵器の研究も行っているが、生命への関心、興味は尽きていない。
ただ、恐ろしいことに兵器の研究においても、かなりの実績を残している。本当の天才と言えよう。
『素直な感想有難うございます。ああ、それと超高空から観察してますから、相手に気付かれる心配はありませんよ』
まるで父親に初めて遊園地に連れて行ってもらったように楽しげに浮かれて言う氷室。
その様子に子供っぽさを感じて、九条はなんとなく微笑する。
「それで、何か分かったことはあるのか」
『んー、まだ観察し始めたばかりですからねぇ。それに陸地と集落を見つけてからは派手にやって相手に気づかれると色々と拙いことになりかねませんから一機だけしか偵察機は使用してませんし。少なくとも、あと一時間は待ってもらえませんか?』
その言葉に少々、残念な気分になる。自分も結構好奇心を刺激されていたのだ。
まぁ、仕方ない事だと思うし、奴の言うことが真実ならば、とりあえず時間には余裕があるのだ。別段急ぐわけでもなし、慎重になっても損はあるまい。
「構わんよ。待つのには慣れている」
『そう、ならいいけど。ところで、閣下は、これからどうするつもり?』
「さてな。何をやればいいのか正直言って分からんよ」
『お先真っ暗な事言わないでよ。ところで、地上の配置してある部隊とそっち、連絡取れてないでしょ?』
「そうだが……」
何故知っているのか甚だ疑問であったが、後に続いた言葉に呆れかえる。
『ゴメン。回線こっちがパクッてた』
「……この大馬鹿者が」
頭痛がする。なんだって、こう変なところでマヌケなのだ。
というよりオペレーターは何故気づかなかったのか……それだけ手口が巧妙ということなのだろうか?
頭を両手で抱えて蹲る。
――そういえば、馬鹿と天才はなんとやらという言葉があったな。
『えー、だって偵察機飛ばす時に必要だったんだもん。それでちょっと返すのを忘れてただけなんだから、そんなに怒んなくてもいいじゃない』
「いいから黙れ。頭痛が酷くなる……」
兎も角、何か行動を起こさなければ。そう思うが、具体的に何をするべきか考え付かない。
しばらく自分の世界に沈み込み、頭の中を整理する。
『……閣下? 大丈夫?』
考え込んでいたために無言の状態であった九条を何かあったかと氷室が怪訝に思い声をかける。
「よし。氷室、まず何をするか決めたぞ」
『へ?』
氷室は、いきなりのことに間抜けな声を出す。しかし、それも一瞬のことで、すぐにどんな事をするつもりなのか、という好奇心が沸いた。
期待に胸を躍らせながら、九条の話の続きをじっと聞く。
「将官以上のもの全てに対し、緊急招集をかけ、対策会議を開く。それで今後の行動を決定する」
『……ふぅん。まぁ、妥当な判断だろうね』
「貴様は例外で出席してもらうがな。色々と説明してもらわねばいかんからだが……いいな?」
『はいはい、どうせ拒否なんて出来ませんし、好きにしてください』
面白味の全く無い至極普通の考えだと氷室は感じて、表面的には出さないが酷く落胆した。
今現在、何の束縛も受けていない状態ということを理解していないのだろうか?
守るべき国民も無く、従わなければならない政治家もおらず、敵となる米軍だっていない。
まさしく、好き勝手に自由に何でも出来る状態のはずなのだ。
そんな状況でその選択肢は無いんじゃないかと思うが、口には出さない。
最高司令官の決めたことに逆らう訳にもいくまい。
(まあいいよ。ネガティブになってもしょうがないしね。それなりに面白いものも見つけれた事だし、退屈じゃなきゃ言うことを聞くさ)
落胆したのを忘れようと開き直り、未来を楽観的に考え始める。
こういったある種の図太さが彼の美点であり、また難点であろう。
「ところで……今更かもしれんが、こんな馬鹿げた事態になった原因は一体なんだ?」
その質問が一番最初に出てくるものではないのか。
氷室はそう思いつつも、頭が整理されてない状態だったから仕方ないとも思ったが。
『本当に今更だねぇ。ま、残念ながら調査中としか答えられないんだよね~、これが』
「なに? 貴様は原因が分かっているから心配するなと……」
『あれは、そっちで起こった問題の原因のことだよ。本土と通信できないとかのさ』
何、言ってんの? という口調で話す氷室。
「そういう意味か。やはり日本語は理解するのが難しい」
『今に始まったことじゃないって。ま、鬱陶しいのは確かだね。言語による表現方法が多彩だけど』
「フン、解釈を違えて酷く落胆したことが何度もあったが今回もか。まぁいい。そろそろ切るぞ。会議の詳細は追って伝える」
『はいはい。了解しましたっと』
ガチャン
受話器を元の場所へ戻すと椅子にダラリと全体重を任せる。
ドッと疲れが一気にやってきたようだった。
「全てが水泡に帰したか……」
忌々しそうに呟く九条。
彼の頭の中では、飛鳥島にある艦船全てを使って『ダンケルクの奇跡』を再現しようとしていたのだ。
少数の人間がここに残って、敵を引き付け、その隙に多くの将兵を本土に帰還させる。
そして、自分はこの地で戦死することを覚悟していたのだ。
――いや、覚悟ではなく、むしろそれが望み、願いだった。最早、自分には帰る場所などなく、欲望のままに欲しいと思うものもないのだから。
しかし、それがどうしたことか。異世界だの、なんだの……訳の分からない状況に巻き込まれたせいで、全てが台無しになってしまった。
こんな事態、悪夢以外の何物でもない。
夢なら覚めろ、今すぐに! 声を大にしてそう言いたい。
だが、夢や幻ではなく、これは紛れもない現実。吐き気のする下衆な現実なのだ。
直感的だが、もう二度と自分も自分の部下達も故郷の大地を踏むどころか、骨を埋めることも出来ないだろう。
「閣下、お話の方は終わったようですが……」
いつの間にか、榊原が隣に立ち、おずおずと聞いてくる。
「あぁ、終わったとも……私の生涯で、最も巨大な難題を抱え込まされてな」
「巨大な難題、ですか?」
「まぁ、そのうち分かる。それよりも榊原、全将官に通達『これより一時間後に緊急会議を開く、準備が出来次第、第四会議室に集合せよ』以上。……おっとそうだ、氷室の奴にも説明に来てもらわねばならんから、あいつにも言っておいてくれ」
「は、はぁ……? 了解いたしました」
いきなりの命令に戸惑いながらも従う。
榊原は、オペレーターの方に歩いていき、九条に言われた事を通達するよう指示を出していた。
「全く……今日は厄日だ」
九条がボソリと呟いたこの言葉は誰にも聞かれずに消え去った。
飛鳥島 地下兵器研究所
科学技術総監執務室
「あー、どうしよっかな~」
椅子に踏ん反り返りながら、氷室は考える。
先程、九条との会話が終了したことで、今現在特に急いでやることがなくなってしまっていた。
問題が生じた部署には、既に技術者を派遣したし、発見した集落への観察もしばらくは自分でやっていたが、途中で何か起こったら知らせるように言って部下に任せた。
要するに、暇なのだ。
そんな時、彼の執務室のドアからノックする音が聞こえてくる。
首を回して、ドアの方を向くと、ちょうど誰かが入ってくるところだった。
「失礼します、総監」
入ってきたのは、ひょろっとした頼りない体格の若い男だった。
白衣を着て、この場にいることから、彼も研究者の一人だと容易に予想できる。
そして、あくまで感覚的にだが、彼は極めて特徴的な目を持っていた。暗く、黒く、深い、そんな目を。
「どしたの大林君? また何かあった?」
大林と呼ばれた男は静かにそれに頷く。
「はい。『鬼三号計画』の『被検体番号147』に更なる強化処置を施した結果、精神的に極めて不安定になりました。そのため、かなり強引な洗脳処置を施したいと思っているのですが、その許可を頂きたく……」
「別にいいよ、気にせずにやっちゃって。それよりも強化自体には成功したの?」
椅子から立ち上がり、大林に背を向けながら聞いた。
「えぇ、そちらの方は問題なく成功しております」
「そうか、そうかそうかそうかそうか……」
ブツブツと同じことを壊れたラジオのように繰り返すとグルリと突然大林の方へ振り返る。
「うん、いいね。実にいい。素晴らしい。本当に素晴らしいよ」
哂っていた。笑うのではなく、哂っていた。
唇をグニャリと歪めて大層、楽しそうに、面白そうに、愉快そうに……彼は哂っていた。
一方、それを見ていた大林は無表情なのに何故か物凄く嬉しそうに見えた。
彼は子供の頃に両親に百点満点のテストを見せて、褒めてもらったような喜びを感じていた。
何故なら、彼にとって目の前にいる最も尊敬する人物の喜びこそが至福なのだから。
「さて、さてさて。それでは大林君、引き続き実験を続けるのだ。147号の強化が一応の成功を収めた事で、我々はより高みに行くことが出来るはずだからね」
「ハイ、もちろんです総監。しかし、147号で、これ以上の強化は不可能でしょう。他のものを使わせてもらいますがよろしいでしょうか?」
「全然全く構わないよ。好きにするといいさ。但し、成果は出し給えよ?」
「無論です。必ずや御期待に沿う結果を出して見せましょう」
大林の自信に満ち溢れた言葉に満足そうに頷く。
「じゃあ、早速頼むよ。それと妥協は許さないからね」
「ハッ! それでは失礼します」
そう言うと彼はそそくさと退出していった。まるで恋人を待たせているかのように急いで。
一方、執務室に残された氷室は再び自分の椅子に腰掛けて、踏ん反り返る。
しばらく、焦点が合っていない瞳で虚空を見つめると突然哂い出す。
「フフフ……いいぞ。このままなら、僕の願いは必ず叶う」
不気味に哂いながら呟く。
「死ぬのは嫌だからねぇ。こういう状況になったのも神様が僕に研究を続けろって言うことだよねぇ、ククク……」
一つの部屋で、狂人の野望が渦巻き始めた。
最終更新:2007年10月30日 19:36