第六幕 会話
ピリピリとした嫌な空気が応接室に満ちる。
テーブルを挟んだソファーに紫芝と異世界人の代表である三人の女性が向かい合って座っている。
そして、双方の背後には武装した兵士たちが静かに待機していた。
無論の事ながら、彼女たちは緊張した面持ちであった。同時に警戒感と敵意も抱いているらしく、特に金髪の少女は目の前に座っている紫芝を睨んでもいた。
紫芝の方は完全にその顔から感情を消し去ったような表情をし、いつかの会議と同じような様子で彼女たちを見ていた。
「さて、随分と乱暴に連れて来てしまいましたが、それは純粋にこちらの手違いです。謝罪します」
唐突に頭を下げて謝る紫芝。
この態度が大層意外だったらしく、彼女たち三人は思わず目を点にさせてしまう。
しばらく、間があったが意を決したように三人のうちの一人、シーラが話しかける。
「あの……それは一体どういうことなのでしょうか? 分かるように説明して欲しいのですが、えーと……」
「紫芝です。紫芝柳と申します」
紫芝は頭を上げてシーラの目を見ながら名乗った。
だが、シーラにはその名前に違和感を覚えるらしく、首を傾げる。
「それでは、ヤナギ様……で宜しいのでしょうか?」
「いえ、紫芝が姓で名が柳です」
なるほど。姓名は欧米と同じような呼び方らしいな。服装も中世のヨーロッパのものとよく似ている。
それに何故だか知らないが、日本語も通じるようだ。
紫芝は会話をしながら冷静に彼女たちを『観察』し、情報を収集していた。
どんな些細なことも貴重な情報なのだ。手に入れられるものは根こそぎ頂くまで。
「ヤナギ=シシバ様、ですか?」
「はい。あと、できれば貴方たちの名前も知っておきたいのですが……あぁ、別に他意はありません。どう呼べばいいのかわからないと言うだけですから」
一瞬、怪訝な顔をして見てきたので、すぐに言い繕う紫芝。
目の前の彼女は顎に手を当てて考える動作をした後、肯定の意を示す。
「……わかりました。それでは私も名乗らせていただきます。私の名前はシーラ。シーラ=コルネリウスと言います、横にいるのが妹のシェラとシルフィです」
シーラがそう言うと、シェラとシルフィは軽く会釈する。
紫芝もそれに応じて会釈し返す。
「どうもよろしく。とりあえず名字で呼ぶと誰の事を言っているのか判別ができないから、名前で呼ばせてもらうが……よろしいかな?」
「私は構いません。シェラとシルフィは?」
「……姉さんがいいなら」
「姉さんたちがいいのに、あたしだけダメって言うわけにもいかないでしょ」
シェラは仕方ないといった様子で、シルフィは投げやりな口調で答えた。
しかし、シルフィは、ふと何かを考え付いたようにニヤリと笑って喋りだす。
「でも、不公平よねぇ、あたしたちだけが名前で呼ばれるなんて。だから、あんたの事も名前で呼ぶわよ。いい?」
「シルフィッ!!」
「構わんよ、好きにしたまえ」
妹の失礼な態度を叱責するシーラ。だが、紫芝は特に気にするでもなく、許可する。
「本当にすみません。ですが、よろしいのですか……?」
「減るものでもないですから。シーラさんとシェラさんも名前で呼んでもらって結構ですよ」
あっさりとした態度を取る紫芝にホッとした様子を見せるシーラ。
これを口実に何か変な事をされるとでも思ったのだろう。やはり信頼確保が第一の難関か。
と、思いつつも相変わらず感情を声や顔に出さない。ここまでの会話も紫芝は全て棒読み口調で行っている。
「有難うございます。……あの、そろそろ事情をお話していただけますでしょうか?」
「あぁ、そうですね。では、説明しましょう」
そう言うと紫芝は姿勢を正して、わざとらしく咳をするとゆっくり話し始めた。
「貴方たちは『小競り合い』によって住んでいた村が焼かれてしまい、戦禍から逃れるべく同じ立場の人間を集めて北方に向かっていた。だが、偶々我々のいる場所へと一直線にやって来てしまっていた。我々はこちらに向かってくる貴方たちをどうするか判断を迫られました。そこで様々な議論が我々の間でなされたわけですが、結論は貴方たちを保護し、様々な協力をする事に決定したのです」
「ちょ、ちょっと待ってください! 何故そんな事を……?!」
シーラがかなり慌てたように聞いてくる。
予想の範囲内の反応だ。見ず知らずの相手に突然無償で援助すると言われてはそうなるのも無理はない。
「ん? 御迷惑でしたか?」
「い、いえ、迷惑というよりも大変ありがたい事ですが、そうまでして頂く理由が――」
「誰かを助けるのに理由が必要ですか?」
じっとシーラの目を見て言う紫芝。その目は真剣そのものだ。しっかりとした意思が感じられる。
シーラはその瞳のせいで紫芝に呑まれかけていた。さあ、ここからが紫芝の見せ所だ。
「まぁ、どうしても理由が必要と言うのならば……我々が情に流されやすいとでも思ってくだされば結構ですよ」
ここでようやく紫芝が笑顔を見せる。途中から言っている言葉も棒読みでなくなっていた。
人形が突然、生き生きとした人間になったような印象を受ける。無表情、無感情という態度から、突然人間的な様子を見せる紫芝にシーラたちは呆気に取られる。
そんな彼女たちを見ながら、紫芝は少し暗い表情をして続けた。
「ただ、そういう訳で貴方たち一行を保護しに向かわせたのですが、少々誤解を招く結果になってしまったようで……大変申し訳ない」
「そういう事情だったんですか……」
納得がいったという様子で頷くシーラ。
とりあえず彼女は信用してくれたようだ。まず、一歩前進といったところだろう。
「はい、それで早速なのですが、何か不足している物や困った事などがあればお手伝いさせていただきたいのですが……」
「御好意どうも有り難うございます。けれど、私たちは何のお返しもできませんので……」
顔を俯かせて言うシーラに紫芝は笑って答える。
「御礼などを求めているわけではありませんよ。我々が勝手にしたいというだけですから」
「……では、食料の方を少しばかり分けて頂けないでしょうか? もうあまりなくて……」
こちらの好意に甘えるのに気が引けるのだろうか。
言い辛そうに小さな声で呟くように言ってきた。
「分かりました。手配しておきましょう。……しかし、そろそろ夜も更けてきましたし、貴方たちもお疲れでしょう。詳しい話はまた明日という事で」
「はい、それではまた明日」
簡単に挨拶を済ませると三姉妹はソファーから立ち上がり、静かに応接室から退出して行った。
ただ、金髪の少女のシルフィは紫芝の事を胡散臭げに見ていたようで、ずっと警戒心を剥き出しにしていた。
そんなシルフィにも紫芝は笑顔で見送ったが、警戒心が解かれることはなかった。
三姉妹が退出して行って五分ほど経過しただろうか。
既に護衛の兵士たちも退出させているのに未だに残っていた紫芝はその顔に歪んだ笑みを浮かべる。
「ククク、あの金髪の小娘……中々いい勘をしている。最後まで警戒し続けるとはな」
そう、紫芝が途中から見せた人間的な様子は全て『演技』だったのだ。
相手を信用させ、利用し、使い潰す。その一歩目の信用を得る事を第一段階として行っていたのだ。まさしく詐欺師の所業。
ただでさえ人間嫌いな紫芝がそう簡単に他人に笑顔など見せるはずがない。見せるとしても大抵は紛い物の笑顔だ。
唯一、信じられるのは共に戦ってきた自軍のみ。まぁ、その中でも信用のならない人物は大勢いるが、異世界人などという全く関係のない人間たちよりよっぽど信用も信頼もできる。
「さて、元帥閣下に色々と報告しなくてはな」
紫芝は歪んだ笑みを浮かべたまま応接室から出て行った。
翌日 早朝
大陸派遣軍臨時総司令部
司令官執務室
「で、何でこんな事になってるんだ?」
いきなりこんな台詞を吐かれても状況がまるで分からないだろう。
というわけで一言で紫芝の今の状況を説明しよう。
書類倍増。
悪夢が目の前に具現化していた。
「昨日、閣下が書類仕事を中途半端に放り出しましたから」
簡単に言う桐山。その心の内は、どうやって紫芝を『イジる』かで一杯だった。
自分の人生の楽しみとしているのだろう。相変わらず、ある意味でとんでもない男だ。
「仕方ないだろうがッ!! 異世界人と話し合いをした後で飛鳥島の元帥閣下に詳しく報告していたんだから!! 他にもその日のうちにやっておかなければならないことだって……!!」
「言い訳する前に書類片付けてください」
一刀両断。痛烈な打撃を紫芝に与える。
そして、心の中でニヤニヤ笑う。もう楽しくて仕方がないようだった。
「ぐッ、そ、それなら、昨日ここへ到着したはずの司令部要員をつれて来い! そうしたらさっさと――」
「無理です」
「何故だッ!?」
バンッ、と机を叩き、不可と即答してきた桐山に問う。
昨日の夕方には到着しているはずだ! なのに何故使えん!
これに対する答えに紫芝は暴走する。
「ここの施設の案内中ですから。勝手が分からないと困るで――」
「そんなの時間ができてからにすればいいだろうがああああぁぁぁぁぁッ!!!」
紫芝の心の叫びだった。明らかに自分に負担を強いるようにしているのは明白ではないか!
やけに響く声で、完全密閉されている状態の執務室の中で跳ね返りまくり、桐山の鼓膜を直撃する。
「五月蝿いです……少し声を抑えてください。まだ寝てる人だっているんですから」
キーンと耳鳴りがして鬱陶しい事この上ないが、それでも口での攻撃を止めない桐山。
「……私も自室で寝ていたはずなんだがね? 君に起こされるまでは」
それに文句を言う紫芝。安眠妨害された事を根に持っているのだ。
「さて、仕事を始めましょう。ちょっとは私も手伝いますから頑張りましょう」
スルーされた。この態度に非常に腹が立つらしく、紫芝はギリギリと歯軋りをしていた。
一方で、その様子を桐山は笑いながら――勿論、心の中でだが――見ていた。
「ああ、もう! わかった、とりあえずやる。だが、途中で抜けるぞ? 異世界人と昨日の話の続きをせねばならん」
「仕事量で考慮します」
鬼か、こいつは。もう呆れて物も言えんぞ。
紫芝は諦めの境地に入りだした。相手をするのが疲れたというように。
「はい、それではちゃっちゃとやりましょうか」
「ああ……」
グッタリとした紫芝は力無く答える。
結局、書類仕事が一区切り付いたのは午後になってからだった。
最終更新:2007年10月30日 19:55