第五幕 邂逅


 長い列を組んで多くの人々が北へ北へと向かっていた。少なく見積もっても、千人か二千人は確実にいるようだ。
 しかし、その多くは老人や女子供ばかりで、屈強な男性は全くいなかった。
 彼らは重そうな台車を必死の思いで引きながら、川を越え、谷を越え、戦渦の免れる事のできる土地を目指して、ただひたすら北に向かっていった。
 もう何日も何ヶ月も歩き続けて……。

 そして、ある夜。
 野営にちょうどいい場所を見つけた一行はそれぞれテントを張った。体力の消耗が激しいものは、そのまま毛布を適当にかぶって、テントの中で眠り始めたか、地面の上で横になった。
 地面の上で横になったものは、テントの数が足りないか、何かあってもすぐに逃げれるように心掛けている人間だ。
 そして、体力にまだ余裕があるものは、火を焚いて獣に襲われないように準備をし、消えないようにじっと見張りをする。

「ねぇ……もういいんじゃないの? いい加減、ここまで来れば戦禍には巻き込まれないわよ……」

「何言ってるのさ! そんな手緩い考えだから巻き込まれるんだよッ?!」

「そうよ。もっと北に行かないと……」

 誰かが焚き木をしている場所に集まって話し込んでいた。
 薄暗くてよく見えないが、高い声からして全員女性であることが分かる。

「だけど、これ以上は無理だよ……皆、疲れきってる。それに食料だって、もうあんまり無いんだよ?!」

「わかってる! けど、頑張ってもらうしかないじゃない……あの山を越えるまでは……」

「うん、そうね……。皆も限界だし、あの山を越えて住みやすい土地を見つけたら予定通りそこに村を作ろう。元の村より立派で豊かな……」

 三人は目の前に見える山の向こうに希望の光を見出していた。その山は小さかったが、彼女たちにはまるで巨大な壁のように立ちはだかっている様だった。
 しばらく話し合うと三人のうち二人は横になって眠り、一人は火の番をする。
 そして、数時間交替で火の番を代わっていった。




 翌朝、一行は朝食を済ませるとテントを片付け、再び歩き出す。

 できるだけ急ぎたい。今日中にこの山を越えておきたい。

 しかし、深い森で覆われた山は一行の壁となる。今、進んでいる道も獣道で人が台車を引きながら進むのはかなり辛い。
 昨日の三人は山に入ってから、先頭に立って檄を飛ばす。どうにもこの一行のリーダー格らしい。

「皆頑張って! あと少しだから!」

「この山を越えたら、もう大丈夫!」

「これが最後の難関! もうここを越えたら私たちの新天地だよ!」

 昨夜はその容姿を見ることができなかったが、眩しい光を放つ太陽の下、その姿がはっきりと確認できた。
 三人とも少々の違いはあるが、背は160cmぐらいでほっそりとした体型をしている。
 見た目から考えてだが、まだ年齢は十代の後半であろうか。形のいい眉、凛とした紫色の力強い瞳を三人とも持っていた。
 よく見ると顔立ちも若干の違いはあるが非常に似ている。恐らくは姉妹なのだろうが、その容姿は非常に美しかった。

 ただ、そんな彼女たちも髪型とその色は全く違っていた。
 一人は長い髪をそのままにしたロングヘアで色はルビーのように赤い色をしていた。
 もう一人は茶色の長い髪の毛をポニーテールのように後ろで纏めていた。
 最後の一人は二人とは違って髪が短いショートヘアで、色は金色をしていた。

 彼女たちの声は後に続いて行く者たちの心を支える。

 もう少し。あと僅か。すぐそこだ。

 その想いが足を動かさせ、前へ前へと進む原動力となる。
 気が付いた時には、空高く輝く太陽がもう沈みかかっていた。
 だが、既に一行は山を下り終わる寸前だ。彼女たちの長い旅もようやく終わろうとしていた。

「やっと山を越えれたね! シーラ姉さん、シェラ姉さん!」

 金色の短い髪を夕焼けで輝かせて彼女は言う。
 その姿は活発な女の子といった印象を見るものに与えるだろう事は間違いない。

「うん、少し心配だったけど、誰も脱落することがなくて本当に良かったわ」

 シーラと呼ばれた赤い髪の女性はにこやかにそう答える。
 こちらは深い母性を感じさせてくれる。寂しがり屋な男性に人気がありそうだ。

「浮かれるのもいいけど、気を抜いて馬鹿な事やらかさないでね、シルフィ」

 一方、シェラと呼ばれた茶色い髪の女性は金髪の女性、シルフィに勝手なことをしないように釘を刺す。
 ただ、何処となく嬉しそうに見えるのは見間違いではないだろう。

 自然と、弾んだ会話がそこかしこでされ始める。
 今までずっと張っていた緊張の糸が緩んだようだった。

 山からずっと続いていた森を抜けて平原に出た。
 そこから少し歩くと目の前に小高い丘が見え始めた。

「ちょっと先見てくるね!」

「あっ、コラッ! ……もう勝手なんだから!」

 はしゃぎながら走り出すシルフィ。シェラはいきなりの事に止めることができずにその後姿を見つめるが、安心感からか口元が自然と緩んでしまう。落ち着きのない妹だ、と。

「無邪気なものね」

「あ、姉さん」

 シェラは、いつの間にか横に来たシーラに僅かに驚く。シーラはそんなシェラに微笑みながら語しかける。

「あんなに、はしゃぐシルフィを見るのは本当に久しぶり。こっちまで楽しくなってきちゃうわね」

「あんまり甘やかすのは良くないと思うけどね……たまにはいいけど」

「あら、私もだけど、貴方も十分甘いわよ?」

 クスクスと笑いながら言うシーラに、シェラは軽く溜息をつくと「そうかもね」と、返事をしてシルフィの走って行った方を見て微笑むのであった。











「ふっふ~ん、あたしが一番最初に新天地の姿をこの目に焼き付けるんだから」

 金色の髪を風に撫でられながら丘を登る。期待に胸を膨らませ、一歩一歩着実に登っていく。
 そして、ようやく頂上に到達して辺りを見回した。
 そこには広大な大地が広がっていた。夕焼けで真っ赤に染まったその大地は自然の美しさというもの表しているようだ。
 シルフィもその光景を純粋に美しいと感じた。

「う~ん、いい眺……め………?」

 シルフィは途中で言い淀んだ。
 何か目の前の広大な大地を疾走してこちらに向かってくるものがあるのだ。
 しかも『それ』は一つや二つではない。幾つも向かってくるではないか。
 『それ』が来たと思われる方向に目を向けてみて言葉を失った。

 遠くの方に明らかに人の手によって作られた建物が立ち並んでいたからだ。
 なんと言うことだろう、自分たちはまだ人の手が入っていない未開の場所に来たのではなかったのか。

 足がガタガタと震える。いけない、戻って皆に伝えなきゃ。
 そう思っても動けない。動かないのではなく、動けない。
 言い知れぬ恐怖に襲われてしまって束縛されてしまっているのだ。

 シルフィは僅かに動く口で、思いっきり力を込めて唇に歯を立てた。

「……ッ!?」

 血がタラリと流れ、鋭い痛みで束縛が解かれる。
 そして、後ろを向くと急いで走る。急げ、急げ、もうすぐ何か得体の知れないものがやってくる。
 シルフィは懸命に走りながら大声で叫ぶ。

「逃げてええぇぇぇッ!!」











「なに!?」

「シルフィの声だッ!」

 いきなり聞こえたシルフィの切羽詰った叫び声に和んだ空気が一転して緊迫感に満たされる。
 辺りがどよめきの声で五月蝿く埋められた。

「皆、落ち着いて!」

 シェラが大声で言うがそれで収まれば苦労はしない。それでも何とかしようと呼びかけるが効果は薄かった。
 そうこうしている間にシルフィが息を切らしてこちらにやってくる。

「シルフィどうしたの?! 何があったの?!」

 シーラがシルフィに慌しく問いかける。シェラもシルフィの方に顔を向けて答えを待つ。
 そんな姉達にシルフィは呼吸を落ち着かせながら自分の見てきたものを伝えようとする。

「丘を越えた向こうの方に大きな建物が幾つもあったの! まるで町みたいで……!」

「「町……?!」」

 二人はその言葉に驚きを隠すことなく動揺する。
 だが、シルフィにはそれを気に止めている暇は全くなかった。
 もっと別に伝えることがあるのだから。

「それよりも大変なの! 何かよく分からないものがこっちに向かってるの!!」

 そう言った時、丘の向こうから『それ』が現れた。
 一つ、二つ、三つ……幾つも幾つもかなりのスピードで一行の目の前に来て、止まる。
 何か『それ』の先頭の方にある丸い所から光が放たれていた。

 先程は遠距離だったためによく見えなかったが『それ』は何か箱のようなものだった。
 足の部分には車輪と思われるものが付いている。これは生き物では――無い。
 じっと『それ』を見ていると、いきなり人らしきものが出てきた。

 真っ黒な鎧で全身を覆い、手には剣や盾、弓などではなく、何か杖のようなものを持っていた。
 そして、こちらを見るなりそいつはこう言った。

「こちら第二十二偵察中隊、異世界人を発見。予定通り保護する」












 大陸派遣軍臨時総司令部
 中央指揮所

「さて、とりあえず異世界人の確保には成功したが、これからどうしたものか……」

 周りが忙しなく働いているのを尻目に机に頬杖をついて考え込む紫芝。
 赤子の手を捻るが如く容易い、と九条元帥に言ったからにはきちんとした結果を出さなければ拙い。
 九条元帥は自分のことを高く評価してくれているし、それ故に無茶な頼みも大抵聞いてくれる。
 しかし、今回の事で失敗すれば、その評価が落ちることは間違いない。それに自分の事を敵視している将軍たちも決して少なくない。彼らが攻撃してくることも覚悟しなければならないだろう。
 まさしくターニングポイントと言ったところか。

「閣下、第二十二偵察中隊が異世界人御一行を引き連れて戻りました」

 前の方にいるオペレーターがコンソールを叩きながら言う。

「わかった……それにしても数が予定より多いな」

「はい、千人程度と連絡されていましたが、その倍は確実にいます」

 単純に誤っただけか、それとも職務怠慢か……。
 まぁ、森林地帯を異世界人が抜けている事から考えて前者だろう。
 兎に角、面倒事が増えた事には違いあるまい。

「さてと、あちらにも代表がいるはずだ。応接室に連れてくるように連絡しておいてくれ」

「御会いになられるので?」

「勿論だとも。色々と有益な情報を引き出せと命令を受けているからな。まぁ、私がやる必要はないが、好奇心というものがどうにも刺激されてね」

 異世界人というものが一体どういうものなのか。実際にこの眼で見て、話しをしてみたい。
 そういう欲求が今の自分に生まれてしまっている。
 だが、それ以上に別の、彼と『同種』の者にしか分からない何かに惹かれていた。顔の傷が疼きだす。

「くれぐれもお気をつけて」

「心配してくれて有難う。その心配を解消するために一応歩兵小隊を護衛につける事にさせてもらおうか。連絡を頼むぞ」

 そう言うと、私は中央指揮所から出ていく。
 コツコツと硬い廊下を歩いていくと自然と顔に笑みが浮かぶ。
 地獄のような書類仕事から解放されて楽ができるというのもあるが……それ以上に楽しくて仕方なかった。

「久しぶりに匂うなぁ……フフフ、実に楽しみだ。この『闘争』の芳しい香り……ククク、血の雨が降るぞ」

 運命という歯車が、ギシギシと軋んだ音を立てていた。


最終更新:2007年10月30日 19:55