第十四幕 陥落


 なんだ。一体何が起こっているというのだ。
 いつもと変わりなく過ごしていたはずだったのに、何故こんなにも耳障りな悲鳴と断末魔が聞こえてくるのだ。
 不愉快だ。この背中に感じる冷たさも、勝手に震える指も、カチカチと何処からか聞こえてくる音も――全てが不愉快だ。

 国王は気付かなかった。
 背中に感じる寒気は第六感の警告だと、勝手に震える指は恐怖の表れだと、カチカチと鳴る音は自分の歯の音だと……

 そんな時、国王の座る玉座の目の前に跪く者がいた。
 反乱鎮圧の軍を起こす際に唯一国王に反対した老臣であった。

「陛下、これ以上血を流す事は無駄の一言。彼らに降伏するよう、御願い申し上げます」

 悲痛な表情をして頭を深々と下げる。
 ザーブゼネ王国の終焉の時が来たのだ。これ以上運命に逆らう事はできようもない。ならば……ならば少しでも多くの命を救うべきだ。
 老臣はそんな小さな願いを胸に秘めていた。

「降伏だとォッ?! 笑わせるでないッ!」

「陛下……」

「我ら高貴なる者が卑しき奴隷どもに負けるはずが無いのだッ! 見ていろ! すぐにでも――っ?!」

「眠りの幻想(スリーピングファンタジー)」

 老臣は最早限界と言わんばかりに国王に対して眠りの魔法を唱えた。
 心底意外そうな顔をしながら、グラリとその巨体が沈む。馬鹿な、我が対魔法防御は鉄壁であったはずなのに、何故……。
 意識が無くなる寸前、国王はようやく目の前にいる老臣がどういう人物か思い出した。

 自分の父の代より仕え、大陸でも五本の指に入るほどの強大なる魔力を有する男。
 それが目の前の老いぼれ『パウルス=ルヌ=ボルフィード』。

 ちょうど国王の意識が無くなった時、バタンッと大きな音を立てて広間の扉が開かれた。
 同時に漆黒の鎧に身を包んだ者たちが広間になだれ込む。パウルスは扉の方へゆっくりと振り返った。

「抵抗するものは殺す。その場で両手を頭の後ろで組んで床に伏せろ」

 簡潔で冷淡な物言い。人の形をしているが全く異質の存在感を受ける。
 これが我々の敵か。パウルスは思わず感嘆の息を漏らした。その力強い歩みに、その訓練の行き届いた動きに、その一切の妥協を許さないだろう態度に。

 ――ああ、これが相手ならばやられるはずだ。

 自然と納得し、理解した。
 驕り、堕落しているばかりの自分たちでは勝てないのも当然ということを。

 しかし、この場にいる者の大半が相手の物言いに激昂して魔法で攻撃しようとする。だが、何か連続した音が聞こえると片っ端から身体を血染めにして床に堕ちる。
 生き残った者たちはその光景に恐怖を植えつけられ、ガタガタと震えながら言われたとおりに床に伏せる。

「おい、貴様も両手を頭に組んで床に――」

「ザーブゼネ王国国王をそちらに無傷で引き渡したい」























 王都セルビオール近郊
 第二機甲師団 14式指揮車内部

「これでこの国は陥落した、という訳だな」

 口元を緩ませながら紫芝は言った。
 ヘリによる降下作戦は順調で、既にあらかた王城の制圧は完了し、現在は王都そのものの制圧に移っている段階だ。ただ、やはり王都の巨大さのため多少難航しているが、敵の兵の少なさから完全制圧も時間の問題であった。
 最早、この国を手中に収めたも同然。この功績で自分の階級が大将に上がる事は間違いないだろう。

「えぇ、敵の中枢を押さえた訳ですからそうなるでしょう。抵抗できるだけの戦力もありませんし」

「地方の町や村、都市も元帥閣下が命令を出して一気に制圧し始めたしな。まさか、歩兵師団を解体し、空軍からヘリを出させて兵士を積み込んでの大量投入をやるとは思わなかったが……電撃制圧作戦といったところか。車両より航空機の方が早いのは自明の理であるし、一応は筋は通っている――大胆と言うか無謀すぎる作戦ではあるが制空権を考える必要が無かった所がこの作戦を実行に移させたのだろうな……となると次はいよいよ出兵中の百万の軍勢が相手になるわけか……」

 思わずゴクリと生唾を飲む。今度の獲物はでかい。さぞや喰いがいのある事だろう。
 何せ百万の人間だ。喰っても喰っても幾らでも沸いてくるのは間違いない。なんとも楽しみな事ではないか。

 紫芝はその光景を夢想する事で自分の戦争欲が湧き出るのを感じていた。

「ところで、閣下。今回の敵、少々面白い人物がおりましたね」

「ん? ああ、国王を無傷で引き渡したいと言ってきた奴の事だな?」

 桐山の話に乗ってその面白い人物について思い出す。
 確か名はパウルスとか言っただろうか。年老いた老人らしいが……

「はい。まぁ、条件無しに引き渡してきましたから、国王の身柄を確保させて頂きましたが……」

「その引き渡しを持ちかけてきた奴をどうするか、という事か?」

「はい、我々に協力的なので別段拘束はしておりませんが監視は厳重につけてあります」

「ふむ……そいつをどうするか決めるのは我々ではなく、元帥閣下に任せた方がいいな。まぁ、色々有用な情報を持っていそうだから、殺すような事はしないだろう」

 楽観的な考え、というより丸投げではあるが前哨戦での勝利を九条に報告した際に貴族を捕らえろ、と命令は受けていたが、それをどうこうしろと指示はされていない。
 余計な事をするのは筋違い、紫芝はこの事についてはそういう考えであった。

「了解です」

 特に意見する事無く、桐山が短く答える。
 自分で話題にした割には大して興味を抱いていないようだった。
 すると、ちょうどそこへ通信が入る。

『閣下、王都の完全制圧が完了しました。敵の貴族どもは予定通り全員捕縛、もしくは射殺しました。他の捕縛対象についても同様に処理しました。今から門を開けます』

「了解した。これより入場する。……という訳で行くぞ。準備はいいか、桐山?」

「無論です。民衆の歓迎を期待しましょう」

 二人は示し合わせたかのようにフッと笑った。
 地響きをさせて紫芝の率いる大軍が王都の巨大な門を目指して進んで行った。






















 九条は現在、大型の武装ヘリに揺られながら王都へと向かっていた。
 ザーブゼネ王国が倒れたということを民衆に宣伝する必要があるし、なし崩し的に次なる支配者になるのだから、そのための仕事をしなければならないせいでもある。
 尤も、一番の理由は貴族を打倒出来る力を持った救世主として民衆からの支持を得るため、大々的な演説を行うというものだが。
 唯一、予定通りに王都を陥落できない事を心配していたが、今あったばかりの連絡で王都の掌握も順調にできたとの事で九条は安堵の息を漏らしていた。

(やはり運はこちらに向いている)

 つくづくそう思う。
 こちらの世界に来た時から不思議と都合がいい状況が揃っているような気がした。
 確かに今は補給の面から考えてあまり都合がいいとは言えないが、それもこの国を落とした今となっては何とかなるだろう。
 勿論、かなりの苦労も背負い込む羽目になるだろうが、それは永続的に続くわけではない。ならば、何も問題はない。そう、問題はないのだ。

 自分を鼓舞して将来的な不安を打ち消す。余計な考えを飛ばすために頭をブンブンと軽く二、三度振った。
 そんな九条に隣の座席でポツンと何をするでもなく座っていた榊原が話しかけてきた。

「元帥閣下、直に王都ですが御気分の程は大丈夫でしょうか」

「心配しなくても大丈夫だ。体調も悪くはない」

「なら、宜しいのですが……」

 そう言っておきながら未だに不安な視線を飛ばしてくる。まぁ、自分が少しばかり挙動がおかしかったせいもあるのかもしれないが。
 ふぅ、と軽く溜息をついて榊原の方に身体ごと向き直る。

「そう心配そうな顔で見るな。自分の事は自分がよく分かってる。問題はない」

 じっと見詰めてくる榊原にはっきりと告げる。
 しばらくそのまま見詰め合っている状態だったが、二、三分もした頃には榊原が「わかりました」と短く言って目線を元に戻した。

 ヘリのローター音が五月蝿く聞こえる。会話が無いから特にそれは大きいような気がした。
 ふと、ヘリの外を見れば緑の生い茂った森林地帯が続いている。森林浴にでも行きたくなるような立派な森だ。
 少し横に外れたところを見れば草の生い茂った草原が広がっている。そして、よく見ればその草原にはキャタピラの跡がくっきりと残されていた。
 明らかにそこを通って王都へと向かったのだろう。

 そんな事を考えながら見ていると突然肩を叩かれる。何事かと思ってそちらを向くと同乗していた兵士の一人がしきりに前を指差す。
 それにつられて前方に目を向けるとそこには十数メートルは確実にある分厚そうな城壁と美しい白亜の城が存在した。

「ようやく到着したようだ。待ち侘びたぞ」

 自然と口が言葉を紡いでいた。
 そのまま飛行しながら王城に向かい、そこの中庭へゆっくりと着陸する。

 ヘリから颯爽と降り立つと一列に並んだ兵士たちがビシッと敬礼をして迎える。
 それに手を二、三度振って応えて、敬礼を止めさせる。
 何人かが護衛として九条の周りにつき、同乗していた榊原は何かしら別に用があるらしく別行動となった。

 そのまま九条は中庭から王城内へと入り、最初に侵入した兵士たちと同様に内装の豪華さに感嘆の息を漏らす。
 こちらでの価値はどうかは知らないが明らかに金やら銀やら宝石やらを壁に張り巡らしたり、素人目にも立派なものだと思える壷やでかでかとした絵画が飾ってあったりと、かなりの金を使っている感じだ。
 但し、所々に血溜りの跡があり、かなり猟奇的な豪華さになってしまっていたりするのだが。

 と、そこへ自分と同じく少数の護衛を従えた今回の功労者である紫芝がこちらに気付いて笑顔で歩いてきた。

「元帥閣下、お待ちしておりました」

「うむ、ご苦労。楽にしてくれて構わんぞ。貴様らも作戦で疲れているだろうからな」

 仰々しく腰を折って深々と礼をする紫芝に労いの言葉をかける。
 こういうさり気ない気遣いが大事とされるのはどんなところでも変わらない。
 たったそれだけで随分と自分の人となりや相手に与える印象が変化するのだから。

「はっ、恐縮です。ですが、まだ警戒は緩めれませんので」

「そうか。すまんな、迷惑をかけて」

「いえ……それよりも元帥閣下に言われたとおりに王都の民衆を一箇所に集めましたが」

「ふむ、有難う。演説の準備は大体はできているという事か。後はマイクやらなんやらを設置するだけとみえる」

 九条がそう言うと、さも意外そうに紫芝が表情を変える。

「演説、ですか? 私は何も聞いておりませんが……」

 そういえば言っていなかったか。ついうっかりして連絡するのを忘れたようだ。
 九条はどうしようかと少々考え、とりあえず適当に言い訳をする事にした。

「余計な事を言って作戦に集中できなくなると拙いと思って話さなかったのだ、許せ」

「はぁ……そうだったのですか……しかし――」

「元帥閣下」

 と、後ろからカツカツと靴音を響かせながらタイミングよく榊原がやってきた。自分の用が終わったらしい。
 特に嫌な顔をしているわけでもないため、機嫌が悪いとかそういうのは無いだろう。
 ただ、機嫌が良さそうにも見えないが。

「どうした? 何かあったか?」

 これ幸いと言わんばかりに榊原に話しかける。
 紫芝に言葉を発する機会を与えないつもりだった。

「いえ、演説の準備が直に完了しますのでその後報告を、と思いまして」

 淡々と言う榊原。かなり事務的な思考状態になっているようだ。
 任務に支障が出るわけでもないから別にいいが、会話が少々味気ないのは寂しいな。
 そんな事を僅かに思いつつも、しれっとした顔で会話を続ける。

「早いな……一応確認だが、地方の都市や町にまで本当にカバーできているのだろうな?」

「無論です、想定より準備が早いのは急ピッチで作業をさせていただけの事ですのでお気になさらずに。まぁ、飛鳥島を出る前に一応と思って私の子飼いの者に連絡をしておいたのが幸いでしたが。それに作業自体は比較的簡単なものでしたので……――演説はいつ頃開始しますか?」

「すぐにやる。紫芝から王都の民衆を既に一箇所に集め終わってると聞いたからな。待たせ過ぎるのは良くない」

「承知しました。では、御足労願えますか?」

「勿論だとも――という訳で紫芝、この辺でお別れだ。私の演説を見学していてくれ」

「はっ、了解しました」

 ひらひらと手を振ってその場を立ち去る九条。それに榊原も一緒に並んでついて行く。
 紫芝は敬礼をして見送るとすぐに何処かへ移動する。九条に言われたとおり演説を見学するつもりなのだろう。

 ただ紫芝は後姿しか見えていなかったため、立ち去った時の九条の表情がわからなかった。
 唇を吊り上げて不気味な笑顔をしていたのを見逃したのだ。

 観客は満員、舞台も整った。さあ、開演の時間だ。


最終更新:2007年10月30日 20:07