第十九幕 二十年の成果
北部にある異邦人である『彼ら』が作った国もようやく冬が明け始めた頃。
民衆は春の訪れを喜び、雪解け水が川に流れ出して十分に地力を回復させた肥沃な大地と草花が顔を出し始める。
山々の動物たちも活発に活動を開始し始める頃だ。
そして、その豊かな大地を駆ける『大きな鉄の箱』が存在した。それも一つだけではなく、幾つも幾つも……。
それらの名前は『T-34/76中戦車』。第二次世界大戦における最良の戦車と言われたものだ。
その後ろからは近代的な武装をした歩兵が走っていた。
ある者は自動小銃を持ち、またある者は機関銃を担いで戦車の後に続いてぞろぞろと。
戦争の歯車は、ギシギシと音を立てて回り始めていた。
帝國暦二十一年三月十二日
インビンシブル大帝國 帝都ノーブルラント
デオスグランテ城 皇帝執務室
「長かったな……」
質素な部屋の中で椅子に座った一人の男が呟く。その男は落ち着いた優しげな顔をしていた。
見た目はまだ若く、二十歳代前半に思われた。けれども、その若さに不相応な確固たる意思を感じさせる力強い瞳が印象的であった。
「はい、本当に長い時間が掛かりました」
それに答えるのもまた見た目が若い人物だった。
机を挟んで優しげな男の前に立ち、何処か遠くを見ているような目をしていた。
この二人のそれぞれの名は九条星夜と榊原政和という。
元は日本軍の最高司令官とその参謀長。今では、『皇帝』と『宰相』をそれぞれの役職としていた。
インビンシブル大帝國が出来て早二十年。
苦闘の末に近年ようやく安定した近代国家として生まれ変わり、その輝かしい姿を堂々と君臨させていた。
それでは、そこに至るまでの政治の過程を語ろう。
九条たちはザーブゼネ王国という国を滅ぼして、その大地と民衆を手に入れた後、インビンシブル大帝國という国を建国し、それをどのようにして国家経営を行っていくかを入念に話し合った。
しかし、元々軍人なのであって、政治家ではない。まともな政策を行うのに大半のものが自信が無かった。故に政治に関しては半ば九条が独断で全権を与える事を決めた榊原の自由にする事になった。
責任逃れに近いが、兎に角、実験をするような感覚で榊原に全てが任された。
相当なプレッシャーであったが、榊原はその期待によく応え、様々な具体案を提示し、それらを実行に移していった。
まず榊原は貴族及び大富豪という特権階級の大部分を公開処刑した。残った一部のものは大抵氷室の実験材料としてキープされ、また特権階級の女性の方々及び一定年齢以下の子供については飛鳥島に送り、催眠と暗示、場合によっては薬物投与による洗脳によって労働力として確保した。
そして、処刑した特権階級の者達の領地と財産を全て没収し、それを財源とした。貴族や大富豪の権益を手中に収めた事で、あらゆる生産手段は国家のものとなった。これは後に『財産の奪還』と言われ、貴族たちが民衆から搾取していたものを取り返したとして正当化される。
次に榊原は即座に九条に対して陸軍全ての歩兵師団の解体を求めた。
理由は知識階級でもある特権階級がいなくなった事で出来た空白の部分を埋めるためであった。即ち、軍人を辞めてもらい政治家・役人に転向させようという腹積もりであった。
これに陸軍の長ともなった紫芝大将――階級が上がった――はかなり渋っていたが、九条の鶴の一声で四個歩兵師団の解体に承諾した。
しかし、それでも人数が足りないのは明らかであったが、これ以上の無茶は言えないので四個歩兵師団、およそ九万六千名を上手く活用してなんとかしようと必死だった。
さらに榊原は飛鳥島の工場を稼働させ、あらゆる産業部門の機械化のために必要なものを生産させた。
飛鳥島は世界最大最強の要塞と呼ばれているが何が最強なのか疑問が持たれる。それに対する解答は飛鳥島の持つ、生産能力にある。
勿論、純軍事的意味でもかなりの防御力を持つ。植林された木々や地面の浅い場所に巧妙に隠された対空・対艦ミサイル群、施設の大部分の地下隠蔽、その施設の上の地中に何重にも張り巡らせた装甲タイル……
これらのために、たとえ苛烈な爆撃を加えたとしても被害は殆ど与えられない上、逆に大量のミサイルで迎撃を受ける。
純軍事的意味だけでも十分に強力な要塞であるが最強と言うにはまだ力不足だ。そこに飛鳥島の生産能力が加わる事で始めて最強となる。
飛鳥島は『島』と言われてはいるが、実のところかなり大きい。その面積は約一万五千平方km。これは岩手県とほぼ同程度の大きさである。
前述したように飛鳥島の施設の大部分は地下にあり、地上には飛行場や地下艦船停泊地へのゲート、そして『広大な畑』がある。が、現時点ではまだ話す事ではないので地上の事は割愛する。
注目すべき所はその地下にある施設のことだ。飛鳥島の地下施設は極めて大規模であり、主に『軍需工場』を中心としている。即ち、飛鳥島は『一大軍需工業地帯』でもあるという事だ。
それは、資源さえあれば独自で兵器を生産し、戦力の回復が行えるという事に他ならない。そして、飛鳥島は石油の産出地でもあるという事を忘れてはならない。更に食糧の自給を行うために大規模な魚介類の養殖場を代表として様々な食糧供給施設まで備えている。これが飛鳥島を最強足らしめる要因だ。
ともあれ、その飛鳥島の工場を動かし、榊原はインビンシブル大帝國の機械化を狙った。使用する資源は元々飛鳥島に備蓄しておいた物を使ったが、それも長くは持たないため、早期に資源の確保が急務となった。
故に榊原は鉱山開発に取り組んだ。
元々、この国には大軍に武器と防具を行き渡らせるだけの鉄鉱山があるため、鉄鉱石については何の問題も無かったが、産業の要である石炭の入手が巨大な問題であった。
石油の事ばかりに目が行っているようだが、飛鳥島からも石炭は採掘できる。但し、予定されている必要量の確保が出来るほどは採掘できていないのだ。
石炭とは、死んだ植物やプランクトンが地層の堆積によって地下に埋まり、高圧力・地熱・バクテリアの作用を受けて炭化したものとされている。
だが、インビンシブル大帝國における石炭に関する情報は噂程度のものしかなく、しかもその殆どがガセであった。
しかし、それを耐えて、長い時間と数少ない人手を遣り繰りして、やっとの思いで燃える石があるという有力な情報を掴んだ。
そうなれば後はこっちのものだった。徹底した資源調査によって、それが大規模な炭田地帯と確認できた瞬間、榊原を始めとして多くの人物が狂喜乱舞した。
最低限必要な資源の確保に成功した榊原は本格的にその頭角を現し始めた。
まず『国家生産倍増政策』を掲げ、特に飛鳥島の工場は急ピッチで産業用機械の大量生産を行った。
同時に治水を兼ねた水力発電所の建設に取り掛かり、大陸における電力の確保に努めた。尤も、電力においては海岸にある橋頭堡に発電用の核融合炉――元は大型巡洋艦のもの――があり、最先端の大都市一つの電力を賄えるだけの量が発電されているために不安はあまり無い。もし更なる電力不足に陥った場合にはもう一隻を同じように使用する予定である。
一方、これらの政策を実行している間、民衆には『社会主義』の理念と理想を一部自分たちの都合の良いようにして語り、熱狂的な支持を受けた。
榊原は根っからの『社会主義者』であり、前述した政策でも社会主義的なものを行っている。具体的に言うなら特権階級の処刑の後に行われた財産没収である。
兎に角、皆が平等で分け隔ての無い世界を作ろう、という社会主義は主に貧困層への受けがよく、さらにまだ大陸中に存在する貴族たちへの憎悪を煽る事によって、未だに苦しい生活に対する不満を極力出させないように努めた。如何に良い政策を行っても効果が出始めるのには時間が掛かるもので、その時間稼ぎのようなものだった。
しばらくの時を置いて、飛鳥島から産業用機械が纏まった量で大陸に入ってくると当然であるが彼らの生活状況が一変し始めた。
代表格として刈り取り機や脱穀機など様々な農業用の機械が入ったわけであるが、それらは全て電気、燃料電池によって動くようにされている。理由は言うまでも無いが、化石燃料の消費量を減らすためである。
普及させるのにまた時間が掛かったが、まずその農業においてその影響が出始め、生産高の飛躍的増加、及び農業の機械化によって大量の労働者がいなくても農作業が行えるようになった。
この状況を榊原は当然の事と見越しており、あらかじめ農業の機械化によって浮いた労働力を大陸に建設する工場に転用するつもりで、同時進行させていた工業地帯建設計画に大いに利用した。
まだ工場は建設中であったため、榊原はその下準備、及び労働力の使用法として鉄道の敷設を行った。鉄道は国内経済を活発化させるのに重要な役目を果たし、なおかつ物資の輸送において陸路でこれに勝るものは無い。
鉄道の敷設は重労働を極め、さらに多くの時間を必要としたが、それでもある程度の資源供給ラインの敷設を完了させた。
そして、ようやく工場が完成したところで、農村から工場に次々と人が吸収されていき、様々なものが生産され始め、工業の軌道が段々と乗り始める事となった。
それに触発されてか、国内における商人たちの活動もまた活発化された。
商人たちは元々大富豪の富を更に大きなものにするための奴隷として存在していた。
それが特権階級の処刑により、自分たちを縛り付け、搾取していた大富豪から解放され、自由に商売を行う事ができるようになった――少なくとも表面的には。
実は大富豪が持っていた特権である経営権やら何やらは全て国に帰属しているのだ。つまり、商人たちは大富豪からの束縛を受けないが今度は国の束縛を受ける事になってしまっているのである。
榊原は商業の活発化によって貨幣経済の普及させ、経済力を一刻も早く向上させたかった。そのために自由な取引を認めさせてやりたいと思ったが、商人の力を確実に強くするという判断からそれができないでいた。
そこで榊原は商人たちを管理する『国家商業運営委員会』というものを組織し、元手となる資本金や販売するための商品はこちらから出し、商人たちの取引もある程度の自由を認めるが、物を販売する事によって出た利益は全て国家に渡すという事を約束させた。
要するに商人をあくまで物資を流通させるための歯車としたのだ。そして、榊原は商人同士で競争を行わせるために最も多く稼いできたものに臨時賞与を与えるという餌を使って彼らの労働意欲を煽った。
そのまま榊原は順調に様々な政策を実行していき、国内には食料が満ち始め、経済は発展し、幾つもの都市が作られ、民衆の生活も徐々に改善されていった。無論、全てが成功していたというわけではない。少々の失敗もあった。ただ、失敗よりも成功の方が多かった、大きかったというだけの話だ。
榊原の努力がそこまで来るのに十年の月日を消費した。他にも憲法の制定、上下水道の整備、教育施設の充実、戸籍の作成、各産業の効率運営のための組織の編成etcetc……
結果、インビンシブル大帝國の国力は鰻上りに上昇し、社会主義の専制君主国となって、こちらの世界にあわせた形で九条は皇帝を名乗り、榊原は宰相となって引き続き政務を取り仕切った。その他の人間は政治家としてそれ相応の役職につくか、引き続き軍隊に残った。
そして、残る十年で榊原の政治は総仕上げとなった。
この十年は全体的に更なる発展となった。交通網の更なる整備による時間距離の短縮・地域交流の活発化、農地の拡大・農業用機械の普及率の上昇による農業生産高の増大、新工場の建設及び鉱山拡張による鉱工業生産高の増大……
等々、以上のように非常に満足のいく総仕上げの十年になった。特に榊原が力を入れていた交易が一気に莫大な利益を上げ始めたのが、この仕上げの十年で最も特徴的で重要なことだ。
ただ、少々難解な事情がある。インビンシブル大帝國はその成立過程ゆえに他国との交易ができないでいた。
何しろ貴族などの既存の支配階級を奴隷の救世主が打ち倒して作られた国だ。交易どころかその事を知ったインビンシブル大帝國に隣接する他国の王たちは国境を封鎖し、情報規制を敷いた。
その行動は迅速で、思わず感心するくらいだった。どうやら保身のためとなると想像以上の行動力を発揮するらしい。そして、素早い情報伝達手段が無いせいか、インビンシブル大帝國の事は即座に一部のもの以外には隠される事となった。
さて、そのような事情で交易は国内のみに留まるのだが、ザーブゼネ王国の後継であるインビンシブル大帝國はレイジェンス大陸北部の大国、そこから生産される品物は元々数も種類も多く、インビンシブル大帝國との交易でないと入手できない必要なものも当然あった。
故に他国の王たちは国境の封鎖も情報規制も解く事はなかったが、自国の富裕階級の者たちが持つ、奴隷階級の商人たちを使って、極秘に交易を行うことを決定した。
そして、その奴隷階級の商人たちには家族を人質にすることによって裏切りを防止し、必要な物品と敵国の情報を入手させた――つもりだった。
榊原はこれ幸いとやってきた商人たちを懐柔し、十年以内に必ず解放に行くと確約もした。
やってきた商人たちも奴隷であり、それ故にあの眉唾物の伝説を信じきっているため、それが具現化して作られたかのようなインビンシブル大帝國に協力を惜しまなかった。
自分達の持ってきた大陸で流通している金貨や銀貨で当初の予定通り必要とするものを高く買ってもらい、更にこちらで作られている工業製品も幾つか買わせて、売り込みをしてくれるように頼んだ。
その結果が交易の莫大な利益へと繋がった。インビンシブル大帝國で生産される工業製品が異常なまでに売れ始めたのだ。
何が売れたか具体例を出すと『染料』『家具』『ガラス』『布地』『蒸留酒』『鋼鉄』『生糸』等が上げられる。
売れた理由は基本的に質が良く、大量生産によって価格がかなり下げられているのが理由だ。尤も、それでも原価の何倍もの値段であるし、下手をすると何十倍もの値段が付けられているものもある。
特に『染料』においては、この世界の人々は天然のものしか扱っていないために量が少なく、希少価値が高い。それ故にかなり高額で取引された。
兎も角、他国の富裕層にインビンシブル大帝國がどういう国であれ、商売上ではそれは全く関係無いという考えが広まり、彼らとの交易は双方とも相応の利益を生み出していった。
そして、その交易が幾つもの交易都市を生み出し、特に湾岸都市にそれらが多く生まれ、そこからの富によってインビンシブル大帝國は財政を好転させているのが現状である。
さて、少々長くなりすぎてしまったが、そろそろ話を元に戻すとしよう。
「いよいよこの大陸の覇権を狙う時だ。来月には周辺国の『解放』のため、本格的に動くぞ」
九条は榊原をじっと見ながら言う。第三者の視点から見れば上から高圧的に命令しているように見えるかもしれない。
だが、その視線は穏やかで、長年連れ添ったパートナーに対する信頼が感じられた。
「はっ、承知しております」
それに浅く頭を下げて返事をする。
そこには一切の迷いは無く、ただただ自分の職務に忠実な男がいるだけだった。
「うむ。では、我らの軍備の状況を改めて訊こう」
九条がそう言うと榊原はその手に持った書類を素早く開いて喋り始めた。
「はい。それではご説明させていただきます。我が国は国力の充実とともに既に常備兵力を40万人に増強してあります。徴兵すれば更にそれに80万人上乗せすることが可能です。しかし、その大半は陸軍です。海軍や空軍を整備する余裕はありませんでした。まぁ、我が国ではなく我々の戦力を当てにすればいいだけの話ですが……。装備は最低でも第二次世界大戦レベルのものを整えております。ただ、戦車等の車両は全て高出力燃料電池によって動く電気式の物に改良してあります」
「歩兵の標準装備の小銃は確かAK74だったな?」
「はっ、ソ連の武装は頑丈で量産しやすく、何より実戦データが豊富で信用が置けます。ただ、口径は我々に合わせて5.56mmにしてありますが」
「輸出モデルになった、という事だな。まあいい、それぐらいの事は問題にならん」
軽く手を振って報告はもう十分である事を伝える。
榊原は黙って持っていた書類を閉じて自分の脇に挟む様にして持った。
「さて、宰相よ。そろそろ時間が無くなった故、自室に戻って政務を続けてくれ。貴様にはもっとやってもらわねばならん事が山のようにあるからな」
「はっ、分かりました。それでは失礼させていただきます」
一切の文句も口答えも無く、一礼すると黙って執務室を後にする。
バタン、と木製の扉が閉まる音を聞くと、九条は両目を瞑って呟いた。
「時代は動く。どんな世界でもそれは止められない……この世界もすぐに血に満ちた時代が流れる――この私の手によって」
最後の言葉を言った瞬間に目を開く。
そこには炎々と燃える地獄の業火が映っているかのように黒々と輝いていた。
最終更新:2007年10月30日 20:20