第十八幕 建国
旧ザーブゼネ王国
元王都セルビオール
「親愛なる人民諸君、今日は良い天気だ。まず、その良い天気にふさわしい勝利の報告をしようと思う」
再び、前と同様に九条が広場の小高い塔の頂上で演説を始める。今回の演説は前回設置したスピーカーやマイクなどはそのままなのですぐに始められた。
広場も黒い波が押し寄せているかのように蠢く大群衆が歓声を上げている。
九条はそれを満足そうに見ながら、軽く咳払いをマイクに響かせて続ける。
「我が解放軍は悪辣なる貴族共の残党軍に対し、正義の鉄槌を加え、これに大打撃を与える事に成功したッ!!」
若干、芝居口調だがこれを聞いている民衆たちは叫んだり、自分の隣のものと抱き合ったりして大いに喜びを表現している。
たったこれだけの事で……単純だな、九条は内心そう思いつつ、更に彼らを熱狂的にさせるために言葉を発する。
「貴族共の残党軍の数は百万に達するッ!! だが、我が解放軍の前にはそれさえも塵に等しいッ! 現在も我々は容赦なく奴らに猛攻撃を加えている最中である!」
両腕を振り回すような大きな動作とスピーカーから流される音楽で『演出』する。
民衆もそれに反応して興奮しているようだった。
「我が解放軍による掃討戦は極めて順調だ! 直に全てが片付くだろう事は容易に想像できる! 人民諸君! 諸君らを虐げていた者共には等しく我らによって死を与えられるであろうッ!!」
拍手と歓声の入り混じった喜びの音が満ちる。
右に左に手を振って、それに応え、段々と沈静化していったところで九条は静かに喋りだす。
「さて、諸君。最早完全にザーブゼネ王国は滅びている。よって、新しき国名が必要となる。貴族共が付けた忌々しき名を捨て、新しい時代への第一歩を踏み出すのに相応しい名が! そこで私は考えた。色々と迷ったが、人民諸君と我々の新しき国の名、その名は……」
一旦区切って、間を置く。こうした方が頭の中に刻まれやすい。
そして、一度深呼吸した後に言葉を吐き出す。
「その名は『インビンシブル大帝國』。インビンシブルという言葉は『征服できない』、『無敵の』という意味だ。何者にも屈さず、常に無敵であり続けるように、そういう想いを込めた」
右腕を前に突き出してグッと拳を握り締める。
「我々の前には敵は存在しない! 我々の背後に敵だった者たちの屍があるだけだ! さあ、人民諸君! 共に我々の新しき国の名を叫ぼう! インビンシブル大帝國万歳ッ! 全ての人民に幸あらんことをッッ!!」
言葉が終わると同時に民衆たちが新しい国の名を叫び、万歳、万歳と歓呼の声を上げる。
九条はその歓呼の声の中、ゆっくりと立ち去っていった。
「くだらん事に時間を消費した」
最早完全に自分の部屋と化した王城のある部屋で酷く不機嫌な顔をする九条。
骨董品のような手の込んだ作りの椅子に座ると机に片肘をついて溜息をつく。
「そう言わないでください、元帥閣下」
それを榊原は少しばかり困った表情を浮かべながら宥める。
これも副官の仕事と割り切っている部分もあるにはあるが、何故だか九条の事を放って置けないのだ。
「こういった演説は今一番必要な事なのです。御願いですから、少々我慢なさってください」
「言われなくても分かっている。だから、余計にイライラするのではないか」
九条は腹の虫が治まらないといった様子で眉間に皺が物凄く寄っている。
拙い。今日は珍しく相当怒ってらっしゃる。
榊原はそう察すると、演説に関することについての話を即座に打ち切る。
「まぁ、これ以上は何も言いません。触れられたくない事のようですから」
「……フン」
九条はプイッと顔を逸らして何処と無く拗ねた印象を与えてくる。
意外と子供っぽい一面だ。なんだか微笑ましくて、思わず笑みを浮かべてしまう。
が、それも一瞬の事で、途端に榊原は目を細める。威圧感と名刀のような鋭さをその瞳に込め、九条に問う。
「ところで元帥閣下……『あの話』をお受けになると聞いたのですが、それは本当ですか?」
「……誰から聞いた」
低い声と同じく鋭い刃物のような目を榊原に浴びせる。しかし、榊原は平静を保ち、動揺を見せない。
室内の空気は急激に冷え込み、殺気立った雰囲気に満たされる。
今すぐにでも銃撃戦が始まるような危険な空気の中、先に口を開いたのは話を振った榊原だった。
「氷室総監御本人からですよ。というより、あの方以外にこの事を知っている人がいるのですか?」
「……氷室以外に知っているのは私の目の前にいる貴様だけだ」
自分が把握している限りではな、と続ける。
榊原は相変わらず平静を保ち続け「そうですか」とだけ言って室内が沈黙する。
重苦しい空気だ。両者とも睨み合うようにして視線をぶつけている。
これがいつまでも続くのではないかと錯覚させたが、二、三分かそこらの時間が経過した段階で榊原が視線を天井へと逸らした。
「勝手に『人間』を止めさせられるのは……正直言って良い気持ちではありません」
「……すまないとは思っている。だが、我々が元の世界に返るまで確実に生き続けるにはこれしか方法が無いのだ」
第三者から見れば何の話をしているのか全く分からないだろうが、深刻な話であることだけは疑いようの無い事だった。
榊原は意外と平然としている。九条も九条で半ば開き直ったかのように肩の力を抜いて堂々と椅子に座って構えていた。
「理解はできますが、納得するのは難しいです。……ですが、命令と言われれば私はそれを受け入れます。他の将兵もそうでしょう」
榊原がそう言った途端、唐突に張り詰めていたはずの空気が緩くなった。
ふと榊原を見れば、先程まで鋭利な刃物の如き鋭さがあった目がいつもと変わらないものに戻っていた。
少々拍子抜けして九条は呆然とした様子になったが、それを榊原は、ふっと笑って言葉を発した。
「私はあくまで納得するのは難しいと言っただけで、納得できないとは申しておりません。まぁ、要するに何も問題は無い、という事です」
「……いいのか?」
「構いませんよ。よぼよぼのお爺さんになって向こうに戻りたいとは思いませんから。今の若い姿のままで帰りたいのは当然ですし」
そこに何か疑問でも? と、しれっとした口調で続ける。
九条はなんだか見てはいけないものを見てしまった気分になり、ガクッと肩を落とす。
先程までの自分を弾劾するかのような態度であったのに今の奴の態度は一体なんなのか。何かしらの意味があっての事だろうとは思うが、それが分からない。
九条は唸り声を少し上げ、人の心は複雑怪奇と思うのであった。
榊原はそんな九条を気にするでもなく、マイペースに自分の右腕にある腕時計を見ると、
「そろそろ時間も押していますし、私は仕事に戻ります。特に今はかなりハードですので」
それでは、と告げ、早々と部屋から出て行った。
残された九条はしばらく呆気に取られた表情をしていたが、五分後に正気を取り戻すと黙って書類仕事に取り組む事にした。
今はそれが最もやるべき事なのだから。
旧ザーブゼネ王国(現インビンシブル大帝國)
国境地域より南方に約170kmの地点
何故だ、何故だ、何故だ……っ!
サイゼル公は悔やんでいた。悔やみきれないほどに悔やんでいた。
歯をギリギリと噛み締めて僅かに残った側近を連れて馬に跨り、猛スピードで南へ南へと駆けていた。
つい数時間前のことだった。
サイゼル公は兵を手早く統率して攻囲を解くと、厳重に警戒をしながら迅速に本国への帰還の途に着いた。
最初は順調だった。注意していた追撃も無く、兵士たちの士気は若干低かったがそれでも十分に戦えるだけの気迫はあった。自分達の国を取り戻すのだという思いがあった故だろう。
だが、自分達の生まれ育った国がある北方への行軍の最中に何か甲高い音が聞こえだした途端、突如として大きな炎が上がった。
上がったのは炎だけではない。それに混じって人の四肢や内臓などが空高く舞い上げられたのだ。
それからが悪夢だった。
一気に幾つもの場所で轟音が鳴り響き、破壊の炎が現れ、それによって無残に兵士たちの命が次から次へと刈り取られていったのだ。
予期していたつもりだった、分かっていたはずだった、犠牲は極力出さないつもりだった。
なのに、その結果がこれだ。
軍は崩壊し、兵士たちは散り散りになった。
飢餓状態になりかけていたところを突然訳の分からない攻撃を受ければそうなるのも道理。
それに自軍の全てが貴族で固められているわけではない。
大半は確かに貴族ではあるが、恩も義理も無い傭兵も多く含まれている。
いつだって真っ先に逃げ出すのは傭兵だ。勝てる戦なら逃げはしないが、負けだすと途端に脱走する。
傭兵の給金は前払い、故に貰う物を貰ったら、さっさと逃げるのが当然なのだ。
例外的な傭兵や傭兵団もあるが、それらは全て報酬が高くついてしまうもので相当な余裕が無ければ雇えない。
そして、傭兵たちが逃げ始めると他の者も軍が崩壊したと思い込み、それにつられて臆病な貴族が逃げ出し始める。
負け戦の定番の状況だ。尤も、今回のように戦わずして負けた経験は無いが。
「無駄に命を散らせてしまった……だがッ!」
両眼をギラリと輝かせて、北方に目をやる。
「この借り……必ずや返してくれるッッ!!」
まだ見ぬ自らの怨敵に恨みを募らせるサイゼル公。
この後、サイゼル公は自らの人脈を頼りに南方のとある国家に亡命を果たす。
大陸の覇権を賭けたそれぞれの国家の運命はゆっくりと加速を始めた。
だが、それがはっきりと実感できるようになるには、まだ時間を必要とした。
この時より二十年の月日が流れた時に物語は移り変わり、そこから激動の歴史を刻み込む事となる。
後の歴史において解放の年と言われ、レイジェンス大陸発展の歴史の始まりであった。
最終更新:2007年10月30日 20:19