第13話


 全てが黎明に照らされる朝、川島は全てのものが遠くに感じた。まるで脳みそだけ先に帰国したような気分だった。目を擦るためだった腕が、顎にあたってしまう。頭痛はないのだが、身体が感覚が薄く意識レベルと判断力ががた落ちになっているのが直にわかる。
 こりゃ、午前中の仕事は、第二小隊の小沢に指揮を代わってもらわないとな・・・
 中隊のつめるプレハブのドアを開くと、中にいた各小隊長達がこちらを向いた。

「酷い匂いですよ。川島一尉」
「ああ、わかってる。デスクを確認したら、ひとッ風呂いってくる」

 自分の席に座り、昨夜のうちに提出された報告書などの書類に目を通す。

「補給はまだダメか? いいかげん捕獲武器の講習を考えなきゃな・・・」
「なに言ってるんですか」

 対面する席の小沢ニ尉が顔を上げた。

「捕獲武器だけじゃありません、今日のうちに欧州製の火器がごまんと運ばれてくるんです」

 欧州から需品される物資リストを受け取った川島は思わず「なんだよ、こりゃ・・・」とこぼした。小銃用の弾薬や、燃料、医療品の品量は問題無い(食料等の生活物資は自衛隊の面子に掛けて断ったらしい)。問題なのは対戦車ミサイルなどの重火器だ。

「カールグスタフの代用品がイギリスのNLAWに、フランスのERYX?」
「マリーン・81ミリ誘導迫撃砲に、重MATの代わりはヨーロッパ共同開発のTRIGATとスエーデンののBILL2。ほら、戦車の通り越し際、メタル・ジェットをお見舞いするやつ」
「おいおい、こんなもの俺達でも使ったことが無いぞ! パンツァーファウスト3ぐらいじゃないか!?」

 川島が思わず声を荒げた。

「パンツァーファウストは実際には実戦部隊じゃなくて、後援部隊の自衛用だから仕方ない。しかし、これはところかまわず掻き集めたって感じだな。どんな発注の仕方したんだ?」

 野戦特科部隊を兼ねる施設科の小坂が、やれやれと頭を掻く。

「たぶん、いっしょにインストラクターも来るんだろ?」
「だといいだが・・・」

 川島が、ふと部屋の中を見まわした。外側の一番大きなデスクは、まだ書類が積まれたままだった。

「ところで隊長は?」



「だからよ、本当にガキどもほっぽり出して来たのか?」

 萩原中隊長はその時、自分の妻の管理する病室でくだけた姿勢で椅子に座り、もう一度尋ねていた。

「アンタね。女は家にいるものなんて考えてると、今に三つ下り半を突きつけるわよ」

 萩原恵子医官はデスクに腰を乗せ、カルテの束をめくりながら抑揚の無い口調で答えた。

「別にお前が何所行こうと勝手だけど、戦場に来る事はねェだろうが」
「だから、その考えが古いって言ってるの。彼女を見なさい」

 ベットに座っていたニナが、自分の事を言っているらしいというのを感じて、挨拶をするように小さく頷く。

「ラードゥガじゃ、アンタのゴロツキどもより前にいたんでしょう?」
「勝手に飛び出していただけだろうが。しかも、死に掛けてこんなところにいる」

 萩原はため息を吐くと、別の話題に振った。

「だいたい、なんで俺がここにいるって分かったんだ?」
「冷たいじゃない。何も言わずに出ていくなんて」

 妻が、わざとらしく心配そうな目をして答える。

「家で機密をべらべら喋るやつが何所にいる!?」
「でも、化学学校の馬瀬さんに電話したら教えてくれたわよ」

 馬瀬とは萩原中隊長が率いる機動化学科中隊の指揮官で、埼玉の化学学校で教鞭を取っているため、医務官の恵子医官とも面識がある。階級は萩原より一つ上のニ佐だった。

「あのアホめ・・・、頭が痛くなってきた」
「診てあげましょうか? ちょうどいい薬があるわ」

 その言葉に寒気まで感じた萩原隊長は「いらない」と即答で断ると、川島用の二日酔いの薬だけ貰って、さっさと出ていった。

「さて、いいかしらね?」

 萩原医官が、ポケットからペンを取り出すと、椅子をニナと向かい合う位置に移動させ英語に切り替えた。

「さて、残りの質問をさせてもらうわよ。でも、英語が使えるなら先に言ってほしかったわ。わざわざダンナに借りをつくっちゃったじゃない」

「使えると言うほど、自慢できるものじゃありません」

「まったく、年頃のお嬢さんが何の因果であんなところにいたんだか」
「仕事のためです。私、まだ駆け出しだから少しは危ない橋渡ってでも、いい写真とらないといけないんです」

 ニナは萩原の目をまっすぐ直視して答えた。

「命と引き換えにしても? もうすこし救助が遅かったら内蔵破裂で助からなかったわ。いくら戦場記者を気取るにしても、もう少し節操を持ったほうがいいわ」
「助けていただいた事には感謝します。ですが、日本は自己責任論を学んだ国ではなかったですか?」

 まったく、口の減らない小娘だと、萩原は思った。まるで、自分の若い頃のようだ。

「そういえばあなた、日系人だそうね。お節介かもしれないけど、もし良ければ日本であなたの遠縁を探す事も出来できます」

 彼女に話したのは、きっとあのお喋り好きなロシア士官だろう。訛りのついた英語で「No,thank you」と断る。

「もし見つかったとしても、私には関係ありません」
「じゃあ、ロシアの親御さんには連絡しましょうか?」
「いいえ、それも結構。親はもういません。クーデターの騒ぎに巻き込まれて死にました」
「・・・あら、悪い事を聞いたわね・・・」

 気まずい表情の萩原に、ニナは「気にしないでください」と答えた。

「家族なのはハバロフスクの祖父母かしら、でも、今戦場にいる、なんて連絡したらなんて言われるかわからないから。ああ、祖父ね、私の日本のルーツ。旧日本海軍の士官だから間違い無く日本人です」
「シベリア拘留兵? だったら―」
「いいえ。戦時中ドイツに渡って、敗戦した後ドイツ人の祖母とソ連に来ました、戦後の混乱の中をひたすら東を目指してハバロフスクに腰を落ち着けたそうです」
「名前はわかるかしら?」
「祖父は日本名を捨てました。渡独した青年将校を当たればわかるでしょうけど、本国からの連絡なんかは結構です。祖父はもう静かに暮したいようだから―」

「すみません」

 ドアがノックされると、萩原が首を向けて「入って頂戴」と声を掛けた。何所かで聞いた事がある声だ、とニナは思った。誰だったっけ・・・。入って来た兵士の顔を見ると、ニナは内心ギョッとした。だが、なんとか表情は笑顔で止める。

「命の恩人って事になるのかしらね。
 まぁ、あなたが英語使えたから、もういいんだけど雑用係に使って頂戴」

 程の良い監視だな、とニナは理解した。命の恩人なら、こっちも大人しくしているだろうと思っているのだ。

「プリヴィェト ガスパージン!」

 大袈裟な手振りをしながら抱きすくめる。第三者から見れば、それは砲火にさらされ、生死をさまよって生還した者達が、再会の喜んでいるように見えた。

「あの、ちょっと・・・」

 高鷲がたじろいで2、3歩後退る。

 「ロシア風の挨拶よ」と萩原医官は言うが、高鷲にしてみれば二度も殺されかけた相手だけあって、喉元に刃物を突き立てられているようなものだった。
 どうにも、難儀な日々になりそうだと思い、ニナは肩越しにため息を吐いた。



 第二普通科小隊は、その日の巡回任務を終え駐屯地にもどっと来た。ゲートの所で呼びとめられた小隊長の鹿間ニ尉が憔悴した顔で「いよいよ、首吊りの執行か・・・」と呟き、中隊指揮所へ向って行くのを西ニ士と森茂三曹が見送った。

「隊長、だいぶ参ってますね」
「ま、無理もないだろ」

 他人事のように話す二人だが、しかし彼らとしてもまったく他人事ではない。

「なぁ、西。正直どうおもう?」
「どうおもうといわれても、私は兵隊ですからね。上官に従うだけですよ」
「情けないなぁ。お前若いんだからさ、もっとこうバイタリティのある言い方できないかい?」
「無茶いわんでくださいよ。そりゃ、自衛隊に対して国民の反応に理不尽だと思う事もありますし、鬱憂することもありますよ。でも、一介のニ等兵に何ができます? 森茂三曹はどうなのですか?」
「俺はね。これでも下士官までなっちゃってるから、ここの空気を吸いすぎた。なぁ、『東京動乱』って知ってるか?」
「あー、それネット小説でしたよね?」
「おや、知っているじゃないか」

 森茂は少し残念がる。

「たしか、某国での人質事件が失敗して、批判の風上に立たされた自衛隊の一部勢力がクデーターを起こし東京を占拠する話でしたよね? 俺が見たのはここに来る前、外出日にネット喫茶でみたときでしたから、まだ前編しか読んでません」

 森茂は大袈裟なジェスチャーで「まさに今の俺達じゃないか」と喚いた。

「セルビア軍は追っ払ったけど、ラードゥガは知ってのとおり木っ端微塵にされた。負けだよ、負け。今日来る連中はきっと、なぜ町を見捨てたんだ!、とか言い寄ってくるんだぜ」
「それより、何人殺したとか訊いてきそうですけどね?」
「殺らなきゃ殺られるとでも言っとけ」

 後ろにいた冬戦教出身の狙撃手 溝口ニ曹がぼそりと素っ気無く言った。

「そんな月並みなこっちゃ、今日日のマスコミに舐められるのがオチだろ」
「狙撃手がスコープ越しに見る光景ってのがどんなのか知ってるのか? 人間の頭が風船みたいに破裂するんだぞ。ミートソースみたいなものをばら撒いてな」
「言い方・・・、グロいですよ」

 気分の悪くなった西が、胸を抑える。

「それが現実だ。ラードゥガで見ただろ?」
「現実はそうでも、四角い箱を通してじゃフィクションにしか映らないさ」
「じゃあ、これから我々はどうなるんです。その『東京動乱』みたく世論に押されて撤退ですか?  トゥズラの13万人の市民を見捨てて!」
「一億の国民をなだめるために、13万を捨てる。分の悪い交換じゃないな」

 と溝口が鼻で笑った。

「そんなの間違ってますよ!」
「おいおい、それを決めるのは俺達じゃなくて政治家だろ? 知ってるか、奴ら基地の周りを軽く回っただけで、この街は『安全だ!』って太鼓判を押す奴らなんだぜ。その逆もまたありえる、特に今みたいなどっちに転ぶかわからない状況ならな」
「俺は嫌ですよ。こんな所で撤退したら、何のためにこんなところに来たんですか」
「とりあえず実戦経験は積んだし、まだかろうじて戦死者も出していない。おまけに本国からの補給は届かないほど世論は喚いている、政治屋じゃなくたって、世間がこれ以上ざわつく前に今の内に引いとく方がいいって思う輩は出てくるだろう」
「・・・今の反戦デモってどれくらいいましたっけ?」
「今朝見たときが2、3000人かな」

 自前のインターネット回線を使って、ニュースサイトを漁るのがこの所森茂の日課になっていた。

「週末はきっと数倍になるだろう。俺はその頃が正念場だと観るね」

 「馬鹿らしい」と溝口。

「そうさ、だが日本じゃ俺達が人殺しの訓練するのが異常だと思う輩がいる。どこの世界に人殺しの訓練をしない軍隊がある? バルマイラ対人地雷を人道兵器だ、と言うようなもんだぞ」
「じゃあ、泣き寝入りですか」
「それじゃ分が悪すぎる。そこで西、お前の出番だ」

 自分にどうしろと言うのかわからず、西が首を傾げた。



 北濃三佐は、物資のリストを斜め読みしながら、トラックの台数を数えていた。北濃は本来FV部隊の隊長だったが、ラードゥガ高地の最前線から物資搬送の任務にまわされた。最初は少し不満だったが、トゥズラに戻って呼び戻された理由がわかった。つい数日前まで戦車や装甲車を駐車していた場所が、今はトラックで埋め尽くされている。なるほど、人手がいるわけだ。

「搬送作業は順調です。この分なら夕方までには一息つけそうですね」

 トラックの荷物を点検する秋目ニ曹が言った。

「順調過ぎて怖いくらいだ。ヨーロッパは俺たちより補給線は短くてすむはずだがが、それにしても気前が良すぎる」
「いいじゃないですか、貰えるモンは貰っときましょうよ」

 トラックの運転席から、三田三曹が顔を覗かせる。

「貰ってるんじゃない。お前、これ全部税金で買ってるんだぞ」
「でも、秋目ニ曹。この装備、全部本国に持って帰れたら、来年の演習は派手になるでしょうね」

 途切れる事無く続くトラックの隊列は、その約3分1が火器弾薬の類を載せていた。

「そうかぁ? 長年不足してる備蓄分がちょっと埋まる程度だろ」
「ところでアッキー、怪しい物とかは積んでなかったか?」

 愛称で呼ばれた秋目ニ曹が「はぁ」と生返事をしながら頭を掻いた。

「怪しいといえば、ここにあるのは全部 戦闘用備蓄なもんで全部怪しい物なんですが、ゲリラの嫌がらせの爆弾も、この手の戦場にはつき物の麻薬の類もいまのところありません。しかし・・・」

秋目が一度、言葉を止めた。

「しかし、なんだ?」
「30ミリの機関砲弾って、自衛隊の装備品にありましたっけ?」
「30ミリ?」

 自分たちの乗る89式戦闘装甲車は同クラスの戦闘車両に先駆け大口径の機関砲を搭載しているが、それは35ミリ砲である。同じように機関砲を搭載する87式偵察警戒車は25ミリだ。高射特科の87式対空自走砲やL-90ニ連装対空砲も、連射速度は桁違いに違うが89式戦闘装甲車と同じ35ミリだったはずだ。 思い当たる装備が無かった。

「たしかに気に掛かる。三田、ちょっとそのトラックの荷物下ろしてみろ」
「これ戦車砲弾しか積んでませんよ?」
「いいから!」

 三田がトラックを降りて、荷台から木箱に入った砲弾を一つ開けた。

「劣化ウラン弾じゃなさそうか?」

 板を裏側をめくって、取扱書の英語からAtomicやNuclearと言った単語がないかを確かめる。

「ただの120ミリAPFSDS(高速徹甲弾)ですよ? タングスタンです」

 だが北濃は訝しげに砲弾を見つめ、「こいつァ・・・!」とうめいた。

「ライフル砲弾じゃないか・・・!?」
「ライフル砲弾!?」

 秋目が素っ頓狂な声を上げる。

「なんスか? それ」
「三田ぁ。戦車に随伴する機械化部隊なんだから、それくらい知っていてくれよ。おい、秋目」

 あきれた北濃が、秋目に説明するよう言った。

「ライフル砲ってのは、砲身のライフリング(旋状)が入っている戦車砲の事だ。砲弾に回転を与えて加速力をつけるわけ」
「それって普通じゃないんですか? 74式戦車もそのライフルは入ってますよ」
「74式は105ミリだろ、90式はおなじ120ミリでも滑腔砲だ。今の戦車砲はライフリングの無いのが主流になってる」
「今の所、120ミリのライフル砲を使うのはイギリスのチャレンジャーぐらいしかない。一体なんでそんな砲弾が運ばれてくるんだ? 使いまわしには見えないが・・・」

 北濃が「うーむ」と砲弾を睨むと、囁くような小声で口を開いた。

「二人とも、今の事は内密にしろ。他のやつには教えるな。ともかく今は弾がいる。セルビア軍がいつまた攻勢にでるかわからんからな。俺はもうすこし調べていみる」

 北濃は足早にその場を離れ、あいていた高機動車に乗り込んだ。一両日で大量の物資援助をおこなうEU軍の首尾の良さ、規格の違う各砲弾、そしておそろしいくらい円滑な補給作業、まるで自衛隊の基地がそのまま国連軍の物資集積場にされていそうな雰囲気だった。



 鹿間小隊の面々は、駐屯地のゲートをバックにわざわざ日本からやってきたテレビクルーの前に並ばされた。

「森茂、その引きつった笑い方やめろよ。怖いぞ」

「隊長も、笑気ガス吸ったみたいですよ」

 言い返された鹿間ニ尉は、自分の顔を揉んで精神を落ちつけながら、インタビューに備える。

「よろしいですか?」

 カメラに向き直った鹿間にレポーターが話しかける。
 前紛争もそうだったらしいが、ボスニアではジャーナリストにプレスカードが発行されない。そのため、記者連中はユニオンを組んだり、単身やあるいは数人でグループを組んで取材するが、プレスカード無しでは基地での取材許可を取るのが難しい。そこで自衛隊駐屯地を訪問して来た大手のテレビ局は、本国で防衛庁広報室に交渉して公式に訪れたのだった。

「どうぞ」

 「では」とレポーターが隊員達に背を向けカメラの前に立つ。

「皆さん。今、私はボスニアに展開する自衛隊の宿営地に来ています。自衛隊の初めてとなる交戦から、二日が過ぎたわけですが、国内の世論は賛否に分かれ彼らの行動が適切であったか、いまだ明確な答えは出ていません」

「そりゃ、あんたらが煽ってるもの・・・」

 森茂が、ぼそりと呟く。
 「黙ってろ」と鹿間。  

「では隊長さん。あなたはこの派遣をどう思いますか?」
「日本が国際社会に貢献する上で重要な布石だと心得ています」

 鹿間が緊張しながらハキハキとした口調で答える。

「その結果、今回の交戦となってしまいましたが、それについては何か?」
「私は自衛隊の立場についてお答えする権限は与えられていませんが、私個人の意見として不幸な衝突であったと思います」

 これじゃあ駄目だな、と思ったレポーターは「ありがとうございました」とマイクを離し、次のターゲットを探した。鹿間は反射的に腕を伸ばし、一番危険だと思った森茂を遮る。
 「あ、ひどい」と森茂。

「あなたはどう思いますか?」

 マイクを突つけられたのは西ニ士だった。

「そうですね。政治屋が常任理事国の椅子欲しさに始めた戦争じゃないですか」

 西が、あっけらかんと言い捨てた。

「どういう意味ですか?」
「この国はモザイクどころか実体がありません。政府はイスラム主体だけど、ムスリムは国民の3分1程度で、それだけで選挙やって国政を決めてる、民主国家を名乗るには滑稽過ぎます。セルビアは他民族の虐殺やら、民族浄化やらといわれていますが、同じことをボスニアもクロアチアやっていて、ここでは数百年も前から続いています。それを止めさせるために国連軍ですが、そんなもの霞を掴めと言っているようなものです」
「おい、やめろよ」

 止めようとした鹿間を、森茂が「まぁ、まぁ」と羽交い締めにして引き離した。

「森茂ッ! お前だな、西をけしかけたのは!」
「いやいや、けしかれたなんて心外な。こうでもしないとバランスが取れないじゃないですか」

「大勢の評論家はこの派遣は、イラク派遣以上に意義の無いものだと言っていますが、それについては何かありますか?」
「その大勢の評論家ってやつは、高級料理を出されたとき、その料理の歴史やうんちくをたれても、その皿を洗う奴の事はちっとも関心の無い奴らのことでしょ。自分は兵隊で、兵隊は仕事は戦争をする事でも人殺しをする事でもなく、上官の命令を聞くのが仕事です。その上官に命じるのは、文民ではない我々ではありません」

「いいのか!? あんな事言わせて!」

 鹿間が腕をジタバタさせて喚くが、周りの関心はカメラの前で饒舌に喋る西にうつっていた。

「だいたい、この戦争は、いわばセルビア軍の報復戦です。その対象はボスニアそのものよりむしろ国連軍に近い、彼らが本当に敵に回しているのは、どちらか一方の擁護でしか成り立たない国際世論です。
 セルビアにしてもボスニアにしても、やっている事は同じなのにボスニアが一歩先に広告代理店に書け込んだだけで、セルビアは国際世論からの孤立を深めた。単にPRを有効性に気付かなかっただけですよ?
 一体、誰がその広告代理店の尻馬に乗って、追い詰めたんですか!?」



 萩原は指揮所のモニターでその様子としかめっツラの幕僚達を交互にながめると、吸いかけのタバコを灰皿に押しつけ立ち上がった。

「さて、なかなか愉快な小芝居だったな。頭痛薬のいる奴は言ってくれ、すぐ用意してやる」
「よせよ萩原、士官や下士官ならともかく、あのくらい問題ないだろう。そりゃ戦争をけしかけたのがお前らだといわれりゃ、マスコミは面白くないだろうが、それだけの事だ。彼の言うとおり、俺達は上の命令を聞くだけさ」

 上座に座る大洞連隊長が、頬杖を付きながら顔の前で手を振る。

「それよりお前の部下の持って来た情報の方が重要だろ」

 川島一尉が、ロシア軍士官との親善会(費用を経費に出したので、そう言う事になった)でもたらした『国連軍にセルビア討伐の意思あり』の報に、本国では検討会が開かれていた。もっとも、検討するまでもなくPKFが結成されれば、自衛隊もそれに加わる事になるのだが。

「昨日、モルスタでイギリス軍が兵力交換を開始した」
「予行練習か。アドリア海から入る気だな」

 萩原が壁に掛かれた地図に歩み寄る。モルスタの街は、トゥズラからはサラエボを挟んで南に位置するが、その街道は、トゥズラまで延びている。

「佐官クラスでも一部にしか知らせていないが、感のいい奴らは気付きはじめているぞ」
「一個連隊しかいないのに、師団並み物資を入れようとしているんだ。気付かないようなら、防大からやりなおしだぜ」

 わざわざ畑違いの人選で、搬送をさせていた補給幕僚が顔をしかめた。

「ともかく、ここに集めた物資はヨーロッパのヤツらが使っちまうんだ。こっちも無い物ねだりのままでは、戦争はやれん。本国に再度補給を催促しよう」
「戦車が一両、すぐにでも輸送する手段があります」

 作戦幕僚が、唐突に口を開いた。

「戦車一両で、戦争ができるか?」
「いえ、輸送手段の一例です。新型の40トン級プロトタイプ戦車―、正式採用名を09式戦車と呼ばれる物ですが、現在、アメリカでテストプログラムを実施中です」

 最大射程での射撃や走行間射撃といった演習は、国内での演習場では制約や数が少ないため、その機能や能力を十分発揮しておこえない。そのため、自衛隊は派米訓練でそれらの演習をおこなっている。

「これならば、ヨーロッパ諸国の経由で持ち込む事が出来ます」
「第三国経由の輸送作戦? まるで密輸だ」
「無論、ルート化しようとすれば間に合うかどうかはわかりません。ですが今のうちならユーゴ派兵をしている国まで運べば、あとは極めて迅速に到着すると思います。経由国としては、イギリス、ドイツ、フランスなどが候補になります」
「なるほど、直接持ち込むのではなく、一旦別の場所に下ろし、向こうの補給線に載せて運び込もうと言うのだな?」
「そう言う事になります」

 萩原はその方法に懐疑的だったが、大洞は乗り気だった。

「補給線をわざと長くするような真似はすきじゃないね」
「ともかく、その戦車を運んでみよう。大破した90式の代わりにすればいい」

 大洞は提案の実行許可を出すと、会議を解散させ外に出た。駐車場は、戦車や装甲車が全てトゥーズラの方に出払っているため、今はトラックの列しか見当たらない。

「そういえば、萩原」

 大洞は連隊長ではなく、防大同期の顔で話し掛けた。

「昨日のテレビ。見たか?」
「最近は、テレビなんか見てねぇな」

 食堂などでは衛星放送によって日本のテレビが、そのままリアルタイムで放送されている。日本と繋がりがあるという事が、隊員達に安堵感を与えていた。
 萩原と大洞は歩きながら話した。

「スダレ頭の爺さんが、日本が半世紀守ってきた平和憲法が・・・って言うやつ。だったら、ここは200年以上前から、戦争やってるってのにな。たかが半世紀でいい気なもんだ」
「よくある番組じゃないか? いちいち気にするな」
「俺は、本気で心配するよ・・・」

 大洞は、深いため息をついた。

「戦争が起るのは戦場だけじゃ無い、それ以外の場所が多いはずだ。戦場とそうで無い場所、その境界に絶対的な物はない。だが、誰も彼もそれを決めたがる。ここは安全で、向こうは危ない場所。自分の場所は安全にいて、自分は安全だ。誰も自分の場所が危ないなんて思いたがらないものだ。たとえ、知らぬ間にそこが地雷原になっていても、それを認め様としない。
 日本は平和なのか。萩原、俺達は何を守ってるんだ?」

 萩原は、立ち止まった大洞を置いて前に出ると、振り返らず片手を上げた。

「俺が忠誠を誓ったのは、俺の給料を払ってくれる納税者だよ」






最終更新:2007年10月30日 23:48