第12話


「モスクワ放送が取られたか・・・」

 耳に入れていたラジオのイヤホンを外しながらチッと舌打ちをした。噂によれば、民間のエコー・モスクワがまだ公正な放送をしているらしい。人波をかき分けてロシア共和国庁舎へ向う。そこが、この騒動の爆心地だ。
 別にゴルバチョフやエリツィンのインタビューをするつもりはない。どうだい、フリーには無理なことだった。新聞を飾れるような映りの良い写真と、気を引きそうなタイトルになる記事のネタがあればいい。
 路上にバリゲードが張られている。バリゲードの向こうには、クーデター政府が構成した国家非常事態委員会が差し向けた戦車隊がいた。まったく・・・、とんでもない騒ぎになったものだ。
 しばらく、エンジンを暖気する音が聞こえた気がした。

「まずいわね」

 後ずさりしようとした瞬間、ドーン!ととんでもない音が響き渡った。空気の波動で建物のガラスが飛散し、地面が波打ち足をすくわれてその場に倒れる。戦車の発砲音だとすぐにわかった。続いてタタタッ!という機関銃の音が聞こえると、周りの人々が一斉に逃げ出し始めた。
 慌てて植え込みの影に隠れて、姿勢を低くしながら手鏡を取り出して辺りの様子を探った。戦車がバリゲードを強行突破をしようとしている様子だった。バリゲードのこちら側に逃げ遅れた市民が何人か折り重なって倒れている。
 戦車が前後進するたびに小刻みな地震に襲われているようで、生きた心地がしない。
 倒れた人間の中で何かがもそもそ動いていた。助けたいが銃弾が交錯する今、飛びこむのは自殺行為だった。悔しさで奥歯を噛んだ。
 反対側から別の戦車隊が現れる。ロシア共和国側も守備部隊に発砲許可を出したのだ。断続的な撃ち合いが始まった。
 戦車が撃破され、クーデター側が浮き足立った。一瞬のチャンスを逃がしはしない。素早く飛び出し、ジクザグに走る。足元を銃弾が掠めた。上に被っていたコートごと抱きかかえて、反対側の路地に飛びこんだ。
 気が付くと肩で息をしていた。呼吸を整えながら、包んでいたコートを脱がせる。コートの影から現れたのは、まだ歳も儚い子供だった。その顔に息を呑んだ。
 嘘でしょ・・・?
 何が起こったのかわからず泣きじゃくる子供をなだめながら恐る恐る尋ねる。

「あなたの名前は?」

 子供は自分の顔を押し付けて、鼻を啜りながら答えた。

「・・・ニナ・ベラーヤ・・・」

 夢を見ている、とびきりの悪い夢を。早く目覚めたかった。
 1991年8月21日の悪夢だった。

  ニナが目を覚ますと、真っ先に見えたのは白い天井だった。
 「どこ?」と呟くが、喉がカラカラで声が出ない。首を回して辺りを見回すと、ようやく自分がカーテンで仕切られた部屋に寝かされていることがわかった。ベットの隅に立てられた点滴のチューブが腕にささっている。
 話し声が聞こえ、点滴の刺さっていない方の腕を伸ばしてカーテンを開くと、ドクターらしい女性とロシア軍の士官が何かを話していた。
 二人が二ナに気付いた。

「ご気分はいかがですか?」

 ロシア士官が尋ねる。ニナはその顔に見覚えがあった。

「ええっと、ウラジミール中尉でしたね」

 体を起こそうとすると間接が悲鳴を上げた。

「無理しないでください。数時間前まで昏睡状態だったんですから」

 中尉に手を貸してもらい、ようやく上身だけ起こす。

「私はどうなったんです?」
「ラードゥガの砲撃に巻き込まれ、意識を失っているところを保護されました」
「そうですか・・・」

 気絶したときに頭を打ったためか、ひどく偏頭痛がする。

「その、ここはロシア軍の基地で?」

 「ニエット(いいえ)」と答えに嫌な予感がした。

「私は身元の確認できただけで」

 ウラジミールは腕を伸ばし窓に掛かったカーテンを開いた。日の丸の国旗が風に乗ってはためいている。

「ここはJSDFの駐屯地です」

 その瞬間、翻った旗の影から太陽の光を浴びてしまい、ニナは気が遠くなりそうになった。

「本当に大丈夫ですか? せっかく助かったのに、顔色が優れないですけど」

 ニナは目をこすりながら、小さな声で答えた。

「夢を見てたのよ・・・」

 とびきりの悪夢だった。自分の人生を難破させた記憶だった。



 トゥズラ郊外の小高い丘に築かれたトゥズラ駐屯地は、トゥズラ市の最終防衛ラインとして機能するよう陸上自衛隊唯一の機甲打撃力をもつ第七機甲師団を中心として編成された戦車二個中隊を含む機甲連隊が配備されている。
 指揮所となっている大型天幕の中では、20人ばかりの士官、下士官がメモをとりながら、双方向テレビ・ネットワークで繋がれた本国の作戦部の高根ニ尉の報告に集中していた。その両脇のモニターには、ザダルに展開するもう一つの連隊指揮所と国連軍が司令部を置くザグレブの連絡将校が映っていた。

「・・・現在の状況です。 トゥズラ連隊は突出したセルビア軍を押し返しましたが、ラードゥガの防衛という当初の目的は達成されませんでした。しかしながら、多くの住民を退避させ、現在は仮設のキャンプ地へ移転させております。また今回の戦闘でセルビア兵、およそ50名を捕虜し、現在基地内の収容所に収容、治療を受けさせるものは適切な治療を行っております」

 実際には捕虜のほぼ全てが治療をしなければならないほどの負傷を負っていた。「およそ」というのは収容された捕虜の人数が減る・・・、つまり死亡する可能性を示唆してつけられた言葉だった。現にトゥズラへ運ぶまでに三名のセルビア兵が息を引き取っていた。
 トゥズラ連隊を指揮する大洞一佐が手を上げた。

「報告の通り、我々は負けました。ラードゥガは壊滅、現在一個中隊が処理をおこなっておりますが、生存者の報告はありません。そして、我々は今回多くの弾薬を消費しました。また装備品も少なからず消耗が出ており、戦車一両が大破、偵察ヘリ一機中破です。これらについては至急補充を回していただきたい」
「OH-1はザダル連隊の配備分を回せます。しかし、戦車については現在検討中です」
「弾薬の補給は?」
「こちらもザダル連隊より、いくらか補給をおこなえます」
「ザダル連隊にはスプリットが突破されるという危惧があります。できれば本国より補給をいただきたいのですが?」
「それは・・・」

 高根が少し口篭もった。

「いい、私から話そう」

 モニターがスライドし作戦部の指揮を取る雷倉陸将が現れた。

「できれば、前線の諸君には心配事を抱えさせたくないのだが、今回の戦闘は本国でかなりの論議をよんでいる。国民を刺激しないため、輸送機は滑走路に入れない状況だ」
「はぁ、やはりそうですか・・・」

 ある程度覚悟はしていたが、補給機が飛ばせない程になるとは予想外だった。

「現在、欧州へ兵站面のカバーを依頼中です。独自装備以外はかなり賄えるものと思います」

 高根ニ尉が画面外から答えた。

「独自の装備とは96式多目的誘導弾や01式対戦車誘導弾ということか?」
「そういうことになります。89式小銃やミニミ軽機関銃に使う5.56ミリ弾、パンツァーファスト等の普通科装備は大概手に入ります。それから89式FVの35ミリ砲はスイス・エリコン製ですし、90式戦車の120ミリ主砲はドイツ・ラインメタル製ですので問題ありません」
「だが、使用火器が制限されることは確かなのだろ?」
「ええ、そのためにある程度、あちらの兵器のついて慣熟訓練をおこないたいと思います。使用火器はおって書類を送ります」

 昨日今日、慣らした兵器で戦争するのはごめんだなと大洞は思った。
 トゥズラ連隊の補給幕僚が不意に手を上げた。

「食料、水等の生活物資の補給も無理なのでありますか? こちらの計算ではラードゥガ住民、捕虜等により一日辺り消費物資が約15トン増加しておりますが」
「現在の状況では、それら生活物資の兵站も欧州に頼らざるをえない状況です」
「そんな!? 我々は独力で戦線を維持できないのですか!」
「不可能ではありませんが、リスクが割に合いません。もとより生活物資等の補給先は欧州からと予定済みでしたので」
「機密の多い兵器以外は近場で揃える。なかなか奇抜なアイディアですな。そのうち我々はT-72に乗って、カラシニコフとRPG-7で戦うのですか?」 

 補給幕僚が皮肉るように言った。

「可能ならば。戦略に必要なのは建設的なアイディアと堅実なドクトリンです。メンツではありません」

 大洞は腕を伸ばして補給幕僚を制した。

「一つだけ、今回の戦闘でわかることがあります。やはり逐次投入は無用な被害を生みます。我々は今回は戦車一両とヘリ一機で済んだかもしれない。だが、やはり一旦戦火が開かれたのであれば、全戦力を投入すべきものだと思います」

 その言葉には、昨夜の戦闘で現れる事のなかった空自への牽制も含まれていた。

「戦略にメンツはなければ、戦術には手加減はないか。その後、セルビア解放軍の動向は?」

 雷倉陸将が尋ねると、空自の情報幕僚が弾かれたように立ち上がった。

「ハ!、今朝方RF-4偵察機が確認をおこなったところ、一部の警戒部隊を残し本隊はズボルニクまで後退した模様です。つい一時間前、イタリア軍の偵察ポッドを備えたF-104Sから送られてきた情報では変化は見られておりません」
「彼らも部隊を整えるのに急がしいのだろうな。よろしい、我々に残された時間はけして多くないが、できうる限り至善の策を詰めよう。次の議題に移ってくれ」
「では、次はザダルの港湾施設の復興スケジュールです」



「したがって、高鷲陸士の行った行動は、指揮権を逸脱したものであり・・・」

机に足を投げ出した萩原中隊長は手を振って「もういい」と遮った。

「高鷲士長。結果として、我々は砲撃から救われたわけだが、なにかあるか?」
「ありません」

 擦り傷だらけの顔をした高鷲は、手を後ろに組んだ直立不動のまま答えた。

「高鷲士長、しばらく自室待機を命じる。行ってよし」

 高鷲は機械的な動作で腰を折り「失礼します」と出ていった。

「甘すぎますよ。隊長・・・」

 彼を預かる川島一尉が愚痴をこぼすように言った。

「だったら、お前があとで説教でもたれればいい。だいたい、ここは自衛隊だぞ。脱走しようが、職場放棄で民事裁判に持ちこんで免職するぐらいしかできん」
「だからそうじゃなくて・・・」
「たかだが歩兵の一人におろおろするようじゃ、指揮官は務まらんぞ」
「こういうのを野放しにすれば、部隊の規律が守れなくなるなりますよ」

 萩原は「フン」と一笑した。

「俺がいる限りそんな事にはならんさ」
「相変わらず、大見得をきるのね」

 ドアが開いて、白衣を着た中年の女性がしおらしい声と共に現れた。

「あの、ここは衛生科ではありませんが?」

 突然現れた訪問者に川島が言い掛けると、後ろでドシャーンと大きな物音が響いた。

「な、な、なんでお前が!?」

 無様に椅子から転げ落ちた萩原が、机に手をついて起き上がりながら叫んだ。

「おや、久しぶりに会う人生の伴侶にそんな言い方するの?」

 萩原が椅子を直しながら、川島が見たことが無い苦虫を噛み潰したような顔をする。

「あの・・・。隊長、こちらの方は?」
「うちのニョーボだよ・・・」

 萩原がうめく様に答えた。

「ええっ!?」
「萩原恵子です。よろしく一尉」

 差し出された右手に、川島はぎこちなく握手した。

「いつからここにいる? 援軍に来た医者は、ザダルからだけのはずだぞ」
「しばらく海もいいと思ったんですけどね。何が悲しくてこんなとこまで来て、風邪の予防注射をしなきゃならないのか」
「本隊派遣当日からか!? 子供はどうした。一週間はたってるぞ!」
「あら、あの子達なら大丈夫よ。あなたが全面核戦争後でも生き残れるくらい、いろいろ教えていたじゃありませんか」

 萩原夫人の後に続いて入ってきたウラジミール中尉が、川島の肩を突ついて「どうしたんです?」と訊ねた。

「どうやらドクターは、うちの隊長の奥さんらしいんだ」
「へぇ、夫婦で戦場へねぇ」
「さてと、今日は顔を見せるために来たんじゃありません。ひとつ頼み事をしにきました」

 椅子に座りなおした夫は、「ほら、きたぞ」と身構えた。

「いま、あなたのとこの若いのが連れてきた、患者を一人預かっているんだけど」
「うちの若いのというと、高鷲が拾ったなんとかってジャーナリストか?」
「ええ、本名はニナ・ユーリィブナ・ベラーヤ。その業界じゃシクヴァル・ニナで通っているらしいわね」
「そんで、そいつがどうかしたか?」

 妻は「ふう」とため息をついてみせてから話した。

「こちらの士官さんの話だと、どうやら日系らしいのよ」
「日系、ハーフか?」
「いえ、三世だからクォーターってところね」
「四分の一同じ血が混じっているからって特別扱いするのか?」
「彼女は、ここのロシア軍ではアイドルより人気よ。特別待遇するだけの意味はあります」
「日系でジャーナリストか・・・、厄介なことこの上なしだなぁ」
「まあね。中尉の話を聞いてるうちに、とんでもない子だと思ってね。アフガンじゃ、ずいぶんと暴れ回ったらしいわ」
「そりゃ、これから砲撃されるっていう町に、俺たちの目をすり抜けて入っていったような奴だ。で、頼み事ってのは?」
「監視兼世話係を一人もらいたいの、できればロシア語の使える兵士を。毎日、基地内をロシア兵にうろつかれるのも嫌でしょ?」
「そりゃそうだが・・・、俺の隊より、本隊から出せばいいだろ」
「そうしたかったんだけど案の定ロシア語使いは皆押さえられていたわ、今の自衛隊じゃロシア語より中国語やハングル、あとアラビア語が流行なのよ」
「しかし、余裕が無い。俺たちはこれからラードゥガまで行くトラック隊の警護に借り出されるんだ。一人として遊ばせておく兵士はいない」
「おや? さっきすれ違った兵士、謹慎処分をくらってへこんでたわよ」
「あいつは隊規違反を冒して・・・」

 萩原はそこまで言い掛けて「あっ」と気付いた。そのジャーナリストを、砲火の町から救出したのは高鷲だった。

「それじゃ、理解ある賢大な判断を期待するわ」

 ドクター萩原は、くるりと踵を返すと、後ろ手で手を振りながら部屋を出ていった。

「どうします?」
「くそ、一番やりにくい相手だ。いつも自分で結論出してから訊ねてくる」
「高鷲を渡すんですか?」
「嫌か?」
「命令なら従いますが・・・」
「俺はジャーナリストもロシア兵もごめんだ。今日一日で始末書書かせて明日引き渡せ」

 日本語がわからず、すっかり置き去りだったウラジーミル中尉が「あの」と声を出した。

「今夜、飲みに行きません?」
「飲みにって?」

 川島が、なんだいきなりといった顔で向きなおった。

「もちろん、酔える飲み物ですよ。ずいぶん悩み事が多そうですね? 憂さ晴らしの方法はどこの国でもいっしょでしょ?」
「まぁ、同じだろうがな」

 萩原が言うと「じゃあ、決まりで」とウラジーミルが答えた。

「川島、お前行って来い」
「酔いに紛らわせる事はありません」
「いいから行って来い、俺は用事がある」
「命令ですか?」
「命令だ」

 川島はふてくされた顔をしながら復唱して一言付け加えた。

「では経費はそちらに回しますのでよろしくお願いします」



 第二普通科小隊長の鹿間二尉は、レポートを提出して中隊の指揮天幕から退出した。たった一夜の戦闘がもう何日も戦っている気がした。中隊長の話では、それは戦闘時のシッョク症状としては、まったく軽い方だといわれた。
 ふと空を見上げると森茂三曹がプレハブ小屋の屋根に上がってコウモリ傘のようなものを逆さに括り付けていた。

「なにやってるんだ、あいつは?」
「また、しょーもない事でしょう」

 後ろから声が掛かって振り向くと、西ニ士が腕に三角巾を巻いていた。

「もういいのか? それ」

 西は昨夜の戦闘で腕を撃たれ負傷していた。

「衛生科の連中、捕虜の負傷兵で手一杯で俺みたいな擦過傷なんて相手にしてくれませんでしたよ」

 西は、片手を上げてやるせないといった仕草をしてみせた。

「あ、小隊長」

 鹿間に気付いた森茂がスルスルと梯子を降りてきた。

「何やってるんだお前?」
「いや、俺達って昨日の戦いで特別休息を貰ったでしょ?」
「あんなのいつ取り消されるかわからんぞ」
「だから時間は有効に使わないと」
「あれが時間の有効な使いかたか?」
「まぁ、そんなところですね」

 森茂がケーブルを引きずりながら隊舎ヘ入っていくので、鹿間と西も後に続いた。

「まったくそーゆうのをどっから持ち込むんだ?」

 どこにしまってあったのか、ノートパソコンを取り出す森茂を見て、鹿間は呆れ顔で言った。

「いやー、出発前からIP電話をとったり使える衛星探したりいろいろ準備しましたから」
「誉めてないよ。で、それでネットに繋げるのか?」

 森茂は「もちろん」と答えると、電源ボタンを押した。

「電源はどっから引いているんだ?」
「バッテリー用のソーラーチャージャーを持ってきました。ちょっと値が張りましたけどね」

しぱらくして画面が立ち上がると、森茂はさっそくインターネットエクスプローラーを起動させた。

「ああ、やっぱり遅いや。隊長、通信科のスパイダーアンテナって使えませんかね?」
「無茶いうなよ。ありゃ虎の子だ、私用で使えるか」
「なんかリクエストあります?」
「じゃあ、ニュースサイトをいくつか見せてくれ」

森茂は、大手ニュースサイトをいくつかピックアップしながら「こりゃ、俺たちの話題で持ち切りだ」と呟いた。

「例によって、憲法第九条に交戦規定と・・・世論は相変わらず手厳しいですな」
「やっぱりこうなるか」
「久方ぶりの戦争でしたから。ええっと、市ヶ谷で500人の反戦デモ。こりゃ、まだまだ序盤だな」
「まぁ、前線の俺達には関係ないことだ」

 西が肩を突ついて、「士官がそんなこと言っちゃ不味いですよ」と耳打ちした。

「だってさぁ、俺達兵隊だよ。前の敵で手一杯で、そんなことまで面倒見切れないじゃん? 爪の先に火を灯すようなフリーランスならともかく、テレビカメラを担いだ大手マスコミが取材に来るっていうなら、たぶん俺達が相手にすることになるけど、ここは遠過ぎるだろ?」
「奴らは来ますよ。たぶん明日明後日中に」

 森茂が平然と言った。

「うそ!?」
「別に日本から派兵しなくても、欧州の支社から餌をぶら下げて志願者を募れば良いじゃないですか。それに難民輸送でスピードバード(英国航空)やルフトハンザ(ドイツ航空)がシャトル便を飛ばしているから同乗させてもらえばいいでしょ」
「げ~、やっぱり俺達がインタビューとか受けるんですか?」

 西がうんざりした顔で言った。

「まだわからないけど、ラードゥガ市攻防戦で俺達が一番前にいたからな」
「戦ったって言うなら、戦車部隊とかはどうなのです?」
「う~ん、撃破されたって戦車の一両も見せれば、こっちの苦労も少しをわかってくれるかもな。これじゃ、一方的に虐殺したみたいに書いてあるじゃないか」
「そりゃまぁ、現代戦はアンフェアのワンサイド・ゲームですからね」
「森茂、インタビュー受けることになっても、あのことべらべら喋るなよ。守秘義務ってのがあるんだからな」
「了解」



 ロシア人と席に座るのは、いささかスリルがあるなと川島一尉は思った。川島もウラジーミルも戦闘服ではなかったが、それとなく軍人とわかる服装でベレー帽を側に置いていた。こんなシーンを本国のゴシップ記者にでも取られたら、それこそスパイ容疑やら国家背信やら、いわれの無いことを書かれるにちがいない。

「ここは誰にとっても中立地帯なんだよ。ただ、民族レベルで境界があるカウンターがムスリム、手前のボックスがクロアチア、奥がセルビア・・・」

「なんで国連軍がこんな隅なんだ?」

「話しやすいから、というのは嘘。すまない、前にうちのバカが酔ってインターナショナルを歌ったおかげでしばらく来れなくなった。知ってのとおり、ロシア人は車といっしょっでアルコールが無いと動かないから、なんとかしたが、この辺りが妥協だった。ジャーナリストも来るが、ここでの会話は出口で忘れると言うのが暗黙の了解だ」

 しばらく話しているうちに川島に酔いが回ってきた。

「そりゃ、俺達は確かにシビリアンコントロールなんだろうけどさぁ」

 川島一尉はアルコールで頬をすっかり赤めらせ、空にしたコップを置いた。

「なんか間違えてる気がするんだ」
「まぁ、話を聞くうちでは、日本のシビリアンコントロールがシビル(市民)の視点にあるとはいいがたいね。単なる政治主導はどちらかと言うと、共産主義国に於ける政党による軍の統制に近いかもしれない」

 ウラジーミル中尉は、川島のコップを八分目まで注ぐと残りを自分のコップに入れた。

「なぁ、おかしくないかい? ここはイスラム圏だろ。なんで酒が置いてある」
「チェチェンもイスラム圏だが、ゲリラどもは皆大酒のみだったそうだ。イスラムだって一枚岩じゃないさ」

 川島は「世の中、いい加減なもんだ・・・」とぼやきながら、コップに口を付けた。

「それで? なんだっけ、結局このまま帰国しても殺人犯扱いされるのがおちだって?」
「なにしろ、毒ガスばら撒いたり、不信船乗ってやってくる連中も労わる、慈悲深い国だからねェ」
「いい国じゃないか。でもさぁ、結局軍隊ってもんは日陰にいるのが丁度いいのさ、祖国のように国防に経済を犠牲にするのは馬鹿げてる。土台の腐った家は、いくら立派でも倒れる」
「別にそんな訳じゃない。少しは理解してほしいんだよ。そりゃ、この仕事はトレンディーじゃないけど」
「おいおい、我が国は徴兵制だ。若者は一度ならず軍隊へ行くんだ。それに君達の軍隊は恵まれてるじゃないか。ちゃんと給料が入って、・・・あの戦闘機、イーグルだっけ?あれ一機一億ドルするんだろ? 数を揃えただけたいしたもんだ」
「理由を教えてほしいかい?」

 川島がニヤリと笑った。

「日本が資本主義の仮面を被った共産主義だからさ」
「へぇ、元共産主義国としては興味のある話だ」
「経済構造の問題だよ。ソビィエトの軍事国防部門を、そのまま国家、企業資本に代えればいい。ようは、吸い上げる方法を確立して国民をせっせと働かせればいいわけだ」
「大尉、大丈夫か? 少し飲みすぎだぞ・・・。まぁ、国家が収奪するのは西も東も変わらんわけだな」
「どけだけ働いたって、マイホームは彼岸の彼方から見えてこない。国家が斜陽に向っているのに、誰もターニングポイントを見逃そうとしかしない。あの国は遠からず崩壊する。もしかすると、もう崩壊してるかもしれない・・・」

 最後の言葉に、ウラジーミルが喉を詰まらせゲホゲホと咳込んだ。

「日本が崩壊してるって!? それじゃ我が国は廃絶した荒れ野だぞ。なぁ大尉、私の国は祖国防衛に国民に犠牲を強いることは止めたんだ。変革はあるさ」
「そうかな? 日本の官僚機構は甘い汁を吸う人間が多い分、スターリン主義より手強いかもしれないぞ」
「なぁ、私見で言わしてもらっていいかな?」

 川島が頷くと、ウラジミールはパンを少しちぎりながら続けた。

「明日食べるパンに汲々する民としては、それは贅沢だよ。我々は今、農奴時代やエカテリーナ、レーニン革命時より自由がある」

 川島が「ククッ」と小さく笑った。

「何かおかしいかい?」
「いや、ロシア人に『自由』について語られるとはね。すまない、続けてくれ」
「世の中は天秤みたいなものだ。一方が上がれば一方が下がる。つまり代償だな。フランス革命や過去欧州で起こった自由革命の後、成功したものの民衆の暮らしは楽になったかい? いやいや、パンが代償になった。まぁ、自分の場合は銀行に預けた預金が引き出し禁止なったり、いきなり後ろのゼロが三つくらい無くなったり、あと近所のコルホーズ(集団農場)が荒れ放題で誰もいなくなったり・・・」

 何かを思い出したのかウラジミールは、一旦言葉を止めてやるせないようなため息をついた。ソ連を解体の直後は、彼もそれなりの苦労をしたのだろう。

「君はそれ以上何を望む? その官僚機構とかいうシステムの崩壊かい? だがその後釜はあるのか? 私が知る以上あの国で後釜となるのはGHQ再来ぐらいなもんだよ。
 君達は十分自由だ。自衛隊を送り出したのは日本国民であり、それに反対する国民だろ。我々も同じように、赤の広場でチェチェン侵攻反対の横断幕を掲げた反戦団体が声を上げている。しかし、こんな自由を今まで我が祖国は手に入れたことがない! 素晴らしい事じゃないかッ?」

 ロシア人特有のオーバージャスチャーで問われた川島は、一瞬あっけに取られた。

「ああ、そうだな・・・、馴れさえしなければ」
「上を見たら切が無いってことさ」

 ウラジミールは席に座り直すと、「さて」とコップを少し遠ざけた。

「本題に入ろう。きっと君の酔いも覚めるような話だぞ」
「なんだい?」

 川島は、まだとろーんとした目つきのまま尋ねた。

「国連軍をセルビア討伐に乗り出す」
「いまでも十分、討伐軍じゃないか?」 
「今までとは違う。セルビアに戦争を仕掛けるんだよ。たぶん、制裁戦争って肩書きだろう」

 言葉を理解しようと反芻させるうちに、肝臓がフル稼働して分解酵素を大量生産し始め、体中のアルコールを一気に駆逐していく気がした。

「本当か!?」

 川島が椅子を蹴り倒さんばかりで立ち上がると、ウラジミールが静かに口を開いた。

「正直なところ、まだ噂だよ。公式ではニエット、だが感ではダー。自分は通信隊から聞いた。結果は数日中に出ると思う。今日誘った本当の理由は、自衛隊の幹部クラスに近い士官に知らせておこうと思ったからだ。君の上官は連隊長と知り合いだろ?」

「ああ、同期らしい・・・。ちょっと待ってくれ、ということはまさか?」

 ウラジミールは、川島の目をしっかりと見据えて答えた。

「ああ、察しの通りだ。これには自衛隊も参加する」






最終更新:2007年10月30日 23:46