第四十幕 北の巨龍


 レイジェンス大陸の二大勢力が熾烈な戦いを繰り広げている一方、大陸北方に一大勢力を築き上げたインビンシブル大帝國は両勢力が争っている現在を好機として一大侵攻作戦を展開させていた。
 帝國の西方に存在する四つの国々を自らの領土とするための作戦。これによって、大陸北方は完全に帝國の支配下に置かれることになる。
 帝國は、十分な時間を使い、そのための軍備を整え、物資も充実させた。最早、彼らを止める事はできないし、また彼ら自身も止まる事はできない。
 ことごとく世界を血と鉄で征服するために、ただ歯車は回るのみ。
 それこそが、彼ら自身がこの異世界で生きる理由であるのだから。


 ………………


 …………


 ……


「砲撃を願います。座標はF-026-156」

 後方へ支援砲撃を要請すると、すぐさまに指定した場所へ砲弾が降り注ぐ。
 榴弾の雨だ。それによってそこら一帯にいた敵兵は見事に粉砕される。
 宙を舞い、手足が千切れ飛び、鮮血とともに彼らに死が訪れる。

 ごくありきたりな近代戦の風景がそこにはあった。

「大尉殿、砲撃による制圧が完了しました」

「よろしい。ではブシュコフ軍曹、歩兵部隊を突撃させよ」

「了解であります」

 突撃命令。遮蔽物に隠れていた兵士たちがその手に5.56mm×45弾仕様のAK74を携えて走り出す。
 何人も何人も現れては敵に向かっていくその様は、まさしく人海戦術そのものだった。

 それを大尉は険しい顔でじっと見ながら呟く。

「しかし、敵も侮れんものだ。我々の戦術を学んで一部で実践してきている奴らがいる」

「はっ、ですがそういった敵は非常に少ない存在です。多少梃子摺るでしょうが、撃破は可能です。……油断はならんでしょうが」

 二人はそう言いながら戦場を見つめる。
 砲撃から生き残った敵兵が今度は大量の歩兵によって駆逐されていく。
 捕虜になるか、射殺されるかは敵兵本人の態度次第だ。

 唐突に風が吹いて大尉の髪が流される。
 大尉は、それを鬱陶しそうな顔をしつつ、片手で髪を押さえる。
 美しい金髪の髪がキラキラと光って見えた。

 この部隊を指揮する大尉。彼女は帝國では非常に珍しい女性指揮官であり、名前をソフィア=ヴェネトノフという。
 風に舞うほどの長髪で、腰にまで届く。彼女は、それを紐で結んでポニーテールにしている。
 顔も良く、体も均整が取れていてしなやかだ。つまりは、目を見張るほどの美人である。
 ただ、唯一顔の左頬あたりを中心に火傷の跡が広がっており、それが彼女の美しさを全く別のものに変えている。恐怖という名の美しさに。

 ちなみにその彼女を補佐する軍曹の方の名は、セルゲイ=ブシュコフ。
 彼は屈強な肉体を持った壮年の男性だ。自らの職務にひたすら忠実で、典型的な軍人タイプと言える。
 短髪の黒髪で、右耳の一部が欠けているのが彼の身体的特徴だろうか。

「大尉殿、そろそろ我々も」

「ああ、わかっている。急ごうか」

 そう言って、二人は戦場を進み始めた。
 帝國の勝利のために。そして―――自らの野心のために。


 ………………


 …………


 ……


 派手なエンジン音を周囲に撒き散らしながら空を飛ぶ四機の航空機。
 寸胴な胴体が目を引く、帝國空軍のP-72スーパーサンダーだ。胴体下にコンフォーマルタンクを取り付け、翼下に爆弾を吊り下げている。

 戦闘行動半径八○○kmと中々の足の長さを持ち、速度、武装、装甲その他全てにおいて帝國におけるレシプロ最強戦闘機の名を獲得している機体だ。
 ただ、それなりに値が張るのが欠点だが、その辺りは数を揃えることで生じる大量生産効果に期待しているところである。

「こちらコンドルツー。二時方向の街道に敵を発見」

 四機のうちの一機が地上にいる敵を見つける。
 規模の小さい行軍中の敵部隊のようで、密集してぞろぞろと進んでいる。
 歩兵が主体で、騎兵はあまり見受けられなかった。数は目算で五百か六百ほどだろうか。

 すぐさまリーダー機が指示を飛ばす。

「了解した。こちらコンドルリーダー。小隊各機は自由に襲撃し、敵を蹂躙せよ」

「コンドルワン、了解」

「コンドルツー、了解」

「コンドルスリー、了解」

 編隊を崩して、敵の方向へ機体を差し向ける。
 敵もこちらに気づいたのか、なにやら慌てている。
 しかし、今更何をしようとも遅い。

 四機のP-72は、一気に増速させて時速七○○kmを軽々超える。
 そして、そのまま高度を一○○○mほどに下げ、敵の上空手前に差し掛かると同時に爆弾を投下する。
 二五○kg無誘導爆弾四発。それが一機につき搭載されている爆弾の数だ。
 全機合わせて一六発の爆弾が投下された訳だ。
 特に重防御された目標ではない、単なる歩兵や騎兵に対してはオーバーキルと言えるほどの威力を持つ。

 危害半径は爆心地から約三○○m。
 それだけの範囲に無数の破片を撒き散らす。
 爆心地近くにいた敵の生存は絶望的で、そこから少し離れた位置にいても死傷することは免れない。

 何の変哲もない田舎の風景だったのが、すぐさま地獄絵図に変わる。
 全ての爆弾を投下し終えた彼らは、大きく円を描くようにして敵の下へ舞い戻る。
 そして、装備されている三○mmリボルバーカノン二門をもって、地上掃射を開始した。
 これは人間に対しては、僅かに掠るだけでその部分を抉り取り、致命傷を与える威力を持っている。
 そして、帝國陸軍のT-34に対しても十分な有効な打撃を与えて撃破することさえも可能だ。
 ただ、搭載されている数が少ないように思えるかもしれない。だが、発射速度は二五○○発/分、初速一○二五m/秒という十分すぎる性能を持っている。
 リボルバーカノンの主な利点として、ガトリングより圧倒的に立ち上がりが早い、軽量で嵩張らない、メンテナンスが比較的容易かつ低コスト、外部動力を用いず自力駆動が可能という点がある。
 欠点としては、やはりガトリングの持つ圧倒的な発射速度には及ばないところだろうか。また自力駆動機関砲全てに言えることではあるが、不発や遅発があると作動不良になりやすいといった欠点もある。

 まぁ、それらの利点欠点はともかくとして、今は四機のP-72が敵兵をズタズタに引き裂くことを語ろうか。
 爆弾を投下し終えた彼らは幸か不幸か生き残った敵に対して容赦なく弾丸を浴びせていった。
 一秒間に四○発以上の弾を吐き出すそれは、恐慌状態で逃げ惑う敵に対しての『死』そのものだ。
 直撃せずに掠めただけで、脇腹が抉られ、頭が無くなり、手足が千切れ飛び、誰彼構わず悲鳴と助けを呼ぶ声を上げる。

 発射速度の速さから弾の消費量も急激なため、それほどの時間もたたずに地上掃射は終了し、四機のP-72は引き上げていった。
 後に残ったのは、黒焦げた大地と焦げ臭い煙、そして多くの死体と怨嗟の声を上げる者たちだった。


 ………………


 …………


 ……


「全隊、止まれ」

 重厚な鎧を身に纏い、立派な軍旗を折りたたんだ重装騎兵の一団が一斉に隊長の合図で止まる。
 止まった場所は、未だ深い森の中。騎兵が動くには障害物がありすぎて、その能力を発揮しきれないところに敢えて彼らはその身を潜めていた。
 この一団は『幽玄なる槍騎兵団』と呼ばれたテドロキア王国軍の周辺国に対する鬼札だった。
 魔法で騎士と馬の双方の能力を底上げし、神速で動いて敵を惑わし、烈火の如く攻め立てるその姿にテドロキア王国は将兵は勇気を得て、敵は恐れを抱いた。
 この騎兵軍団の活用によってテドロキア王国はひとつの勢力を築き上げたといえる。

 しかし、それも終わりの時が迫っていた。

 全ては東方に現れた大国の存在が原因だった。
 貴族を打倒する事を国是とするインビンシブル大帝國。
 この特異な帝國以外の国々にとっては悪夢というしかない国家の出現だ。
 元々、そこに存在したザーブゼネ王国の貴族を容赦なく狩り立て、次々に処刑していった残虐さには貴族一同恐怖を覚えずに入られない話だ。
 しかし、それが民衆には希望に見えた。
 貴族を抹殺し、民衆を圧制から開放するその姿はまさしく勇者。英雄だった。

 それはインビンシブル大帝國が一気に攻めてきた時には歓呼の声を上げて向かい入れるほどだった。
 逆に王国に対しては、物資の調達に反抗したり、人手を出すことを拒んだり、挙句の果てに貴族の屋敷に火を放つなど、最悪の事態に陥っていた。
 これではまともに戦えない。最初から、この戦争をテドロキア王国は失っていたのだ。

 最早、勝敗は決していた。

 ―――だが、それでも長年戦い続けてきたこの軍勢を指揮する隊長、ネス=ジルシュ=カデナッテ子爵は最後の戦いに挑まんとしていた。

「皆、よく聞け」

 静かだが、聞き取りやすい声で彼は言った。
 彼に長年付き従った兵士たちも、鎧が擦れる音さえ出さずに、ただ黙って聞いていた。

「此度の戦いは、敗北は避けれそうに無い。そして、その結果王国は滅ぶだろう」

 何か、決意した目をしてそう言った。
 流石にいきなりのこの言葉に兵士たちに動揺が走る。
 ここにいるのは隊長を上司と仰いで、信じてついてきた長年の部下であると同時に戦友である。
 その隊長が敗北を語ったのだから、動揺しないほうがおかしい。

 一方でカデナッテ子爵は、貴族にしては珍しく開明的な人物であった。
 だが、だからこそ現状がどうやっても覆しようの無い状況であることを痛く理解していた。
 そうであるが故に、最初に敗北、滅亡という言葉が彼の口から出てきたのだ。

「これは我々の先祖からのツケが回ってきたことだ。だが、別に我々だけが消えるわけではない。他の国々もまた、そのツケを払わされることになるだろう」

 先祖や他の国々がどうとかと言いつつも、彼自身も若い頃には随分と酷いことをしてきた。それが今この場で思い出される。
 馬で走っているときに目の前に飛び出してきた奴隷を跳ね飛ばして、そのまま放置して城に戻ったり、戦の練習と称して新しい剣で奴隷の試し切りを行ったり……。
 そして、その結果が滅亡の坂道を転がるというものである。これが運命というものかと、カデナッテ子爵は言葉に出来ない虚しさを感じていた。

 ある程度年老いてからは馬鹿なことをしたと反省したが、結局奴隷に謝罪するという行為は一切行っていない。
 自分もまた、どうしようもない貴族の一員なのだと思わずにはいられなかった。
 しかし、それでも自らの最期くらいは立派なものにしたいと、願っていた。
 だから、こんな言葉が彼の口から吐き出された。

「だが、それでも私は誇りまで失いたくは無い。だから我が生涯最後の戦いをする。それで華々しく最期を遂げて、名誉と誇りを守るつもりだ」

 名誉ある戦死。それが彼の求めるものだった。
 高級な衣服も、うまい飯も、より高い地位も必要ではない。
 ただ、立派に死ぬこと。貴族としての意地を見せること。それが望みだった。

「私についてきたくないものは消えよ。文句は言わん。……生きては帰れぬ戦いになるだろうからな」

 そう言って、カデナッテ子爵は静かに目を閉じた。
 消えていいと言ったが、そのように逃げる姿を見られたくは無いだろうという彼なりの配慮だった。
 しかし、幾ら待てども自分の耳には誰かが立ち去るような音は聞こえず、また気配も感じなかった。
 そして、そろそろ目を開けようかと思った、その時だった。

「自分はッ……! 自分はこの命尽きるまで、隊長殿に従います! お供させて下さい!」

 とある一人の男の言葉だった。
 ただ、それを言ったのが屈強で戦歴を積んだような中年男性ではなく、あまり肉付きの良くは無い細身の若い男が言ったことが周囲に動揺を走らせる。
 実は彼は騎兵団の中でも、相当腕が立たない人物だった。平たく言えば、弱かった。
 そんな弱いはずの彼が真っ先に隊長への忠誠心を示したことに周りが驚いたのだ。

 そして、それが他のものたちの誇りを刺激した。

 途端に波を打ったように他の団員たちが大声で叫ぶ。

「命よりも誇りを失う事の方が恐ろしく思います! 私も連れて行ってください!」

「この身滅ぶまで、私は幽玄なる槍騎兵団の一員です! 野暮な事は言わないでください!」

 結局、誰一人逃げ出すことなく団に残ることになる。
 それを見てカデナッテ子爵はため息をついてから、ゆっくりと喋り出す。

「馬鹿なやつらだ。どうしようもない馬鹿なやつらだ。……だが、そんなお前たちが私は大好きだ。それでこそ我が背を預けられるというものだ」

 そんな事を言って苦笑する。
 団員たちもまた生意気そうな笑みを、その顔に浮かべた。

「さあ。では、行くとしよう。我らの意地と誇りを見せ付ける最後の戦いに」


 ………………


 …………


 ……


「ブシュコフ軍曹、ここからの地形は些か拙いな」

「はい、大尉殿。伏兵にはもってこいの場所でしょう」

 二人は天幕の中で、テーブルに広げられた地図を見て、しかめっ面になる。
 そこには予定されている進軍路とその進軍路の横にある森林地帯が描かれていた。
 自分たちが進むのは見晴らしのいい平原だが、それは森の中から発見されやすく、下手をすればいい的になりそうだった。

 ただ、敵の攻撃は射程距離がこちらよりも圧倒的に短い。
 森からはある程度はなれてさえいれば、伏兵がいたとしても十分に対応できるはずだ。
 それに偵察を出して伏兵の有無も当然確認する。

 ―――ただ、それだけやっても危ない橋は渡らないに越したことはないのだが。

「……少し距離を取るとしよう。森に近いのは危険だ」

「了解であります。では、そのように」

 ブシュコフはそう言って、天幕を後にする。
 彼が出て行った後、ヴェネトノフはおもむろにタバコを取り出してそれを吸い始める。
 健康に悪いのは承知しているが、酒とタバコがないと正直ストレスが溜まってしょうがない。
 元々はタバコも酒もやってはいなかったが、軍隊生活が長くなるにつれていつの間にか手を出していた。
 後はそのままズルズルと習慣化してしまっている。このままだと、いずれは肺や心臓その他なんらかの病で死ぬのだろう。
 しかし、後ひとつ昇進できれば……佐官になれば、女である私でも鬼人化してもらえる。帝國が如何に女性兵士を好んでいなくとも、結果を出されてしまえば認めざるをえない。
 そして、そうなれば生体ナノマシンも身体に注入されるため、老いや病の心配はしなくてもよくなる。安心して権力の道を駆け上ることが出来るのだ。
 この顔の焼け跡だとて消してしまえるだろう。指揮する部隊も、中隊から大隊に規模が大きくなる。更に勲功を稼ぐ機会に恵まれることだろう。

「フゥ……―――出来るだけ早く、大きな結果を出さねばならんな」

 紫煙を吐いて、ポツリと口から愚痴染みた言葉を漏らす。
 どうしてか、昔のことが頭をよぎる。あの燃え盛る故郷の村のことが―――いや、まだ早い。

 頭を左右に振って、無理やり記憶を追い出す。
 忌々しくも懐かしき故郷の事は、上に行った後で振り返ればいい事だ。
 今はまだ感傷に浸る暇などはない。一刻も早い昇進こそが我が望みだ。

「なぁ、そうだろう? ソフィア=ヴェネトノフよ」

 自分で自分に問いかける。
 答えは―――帰ってくることはなかった。


 ………………


 …………


 ……


 翌日の早朝。ヴェネトノフは、中隊を率いて進軍を開始した。
 目的は、進軍した先にあるそれなりの規模の町を落とす事だった。
 自分の上官であるところの大隊指揮官である少佐から直接そのような命を受けた。
 正直なところ中隊単独でやらせるような任務ではないと思うが、命令は命令だ。
 そうである以上果たさなければならない。他の中隊も近在にいて、似たような任務をやらされているとなればなおさらだ。
 誰よりも迅速かつ、完全に町を我が帝國の支配下に置く。一番最初にそうすることで功を立てる。
 昇進には弱いかもしれないが、それでも積み重ね続けることが大事だ。

 ただ、時間が経つにつれて、どうにも私が一番に町の制圧が出来るかどうかわからなくなってきた。
 森を迂回したせいで余計な時間を消耗してしまったことが原因だろう。

「ブシュコフ軍曹」

「はっ、なんでしょうか。大尉殿」

 厳つい顔をこちらに向ける。
 歴戦の勇士の顔だ。この男以上に信頼のおける部下は私の元には存在しない。
 勿論、最初から上司と部下としての信頼関係にあったわけではない。
 ともに苦難を味わい、それを乗り越えてきたからこその結束だ。
 流血をともにした戦友こそが最も信用できる。それが私の人間関係における考え方だ。

「少し急ぐぞ。それと、元の進路に戻る」

「よろしいので? 森に敵がいた場合は少々拙いですが」

「斥候を出して確認はしたのだろう? それでも不安はあるが……まぁ、いっそ敵が攻撃してきてくれた方が逆に助かる」

 逆に助かる。この言葉の意味を正確に捉えられたかどうかはブシュコフの顔を見ればわかる。
 眉を僅かに上げた後で、しょうがないと言わんばかりに苦笑していた。少し生意気な反応だな。
 だが、まぁこちらの考えをブシュコフはわかったのだろう。
 敵が出てくれば、それを撃滅して戦果とする事と、森の中にいる敵勢力を誘引、駆逐することで奇襲に会う危険を減らす事が狙いだと。
 上手くいくかは敵と私次第だろうが、敗北しないだけの自信と能力は持っているつもりだし、装備も問題はない。後は、敵次第だろう。

「……では、兵士たちには先ほどの進路変更の旨と、敵対勢力に遭遇した場合に備えて速やかに対応できるようにも指示を出しておきます」

「ああ、頼んだぞ」

 ブシュコフはすぐに無線で連絡を取って、速やかに中隊に指示を行き渡らせる。
 そして、進路が変更され、懸念されていた森林地帯に接近する。
 しかし、伏兵による敵からの攻撃はなく、事前偵察の甲斐があったように思えた。

 ―――だが、それもほんの僅かな間のことに過ぎなかった。

 しばらく前進すると、森の中から突然叫び声が聞こえてきて騎兵が飛び出して来た。
 テドロキア王国の最後の意地、幽玄なる槍騎兵団の登場である。


 ………………


 …………


 ……


「突撃ーーーッ!」

「「「ウオオオォォォーーーッッ!!」」」

 カデナッテ子爵の号令の下、一気に敵に向かって騎馬を走らせる。
 彼らは騎兵団というその殆どが騎兵中心で構成された部隊であるにもかかわらず、本来不向きな森林地帯を静かに突破して敵の側面を攻撃しようとしていた。
 結果は今のところ成功である。練度と士気の高いカデナッテ子爵の幽玄なる槍騎兵団は見事にそれを成し遂げた。
 敵の偵察も上手い具合にやり過ごし、後はこのまま敵を蹴散らすのみである。
 見たところ敵は僅かに数百名ほどの小部隊に過ぎず、まず勝てると思われた。
 幽玄なる槍騎兵団は、総員八千名を超える部隊なのだから。

「大いなる天よ。静かなる青き墓標よ。我が肉体、我が精神、我が愛馬に戦の加護を与えたまえ」

「母なる貴方の腕で我が身をお抱きください。我が身に降り注ぐ災厄をどうか退けください」

 森から次々に飛び出して槍を構える。
 そして、皆が口々に呪文を詠唱する。ただ、通常のそれとは違う、長々としたものだった。

 彼ら幽玄なる槍騎兵団は、攻撃系の魔法は殆ど使用しない。
 その代わりに防御力や速度の強化などをはじめとした補助系魔法を多用する。
 そして、それは一度発動したら後はそのまま飛んでいくような攻撃魔法とは違う。
 攻撃魔法は一言程度の詠唱と一定の魔力を発動に使い、敵に向かって飛ばす。
 しかし、彼らの使う補助的魔法は継続的な詠唱を行うことで、自らに何らかの加護を長時間与えるものだ。

 尤も、攻撃魔法のように一言の詠唱と一定の魔力消費で、しばしの間加護を得る補助系魔法もあるにはある。
 ただ、それは継続しての詠唱を行うものと比べて魔力の消費量が大幅に多くなる上、効果時間も少ないものばかりだ。
 一対一の決闘ならまだしも、戦場という広大な領域で長時間戦うことになる場合、魔力の無駄な消費は極力抑えるべきなのは容易に考えられる事である。
 そのような事情で、少しでも戦闘継続時間を上げるためにこのような魔法を彼らは使用している。
 ただ、それは元々存在した補助系魔法に改良を加えた彼らだけの特別仕様になっている。様々な効果が複合化され、消費される魔力量も随分少なめにされている。
 このようなことが出来るからこそ、彼らはテドロキア王国の精鋭となり得たのだ。

 一方、幽玄なる槍騎兵団に襲撃を仕掛けられた側のヴェネトノフ率いる一個歩兵中隊は慌しくも、事前に警戒していたために迅速に行動を開始していた。
 兵士たちの多くはその手に持つAK74を騎兵に向けて撃ち放っていた。
 途端に、辺りに火薬の匂いが立ち込める。
 AK74から放たれた5.56mm×45弾は容赦なく、馬か兵士を貫いた―――そのはずだった。

「な、なんだぁ?!」

 叫び声はヴェネトノフの中隊から出た。
 それもそのはずである。彼らの放った残酷なる牙であるところの5.56mm×45弾は、確かに敵である時代遅れの騎兵隊に命中したはずなのだ。
 だが、それがどうにもおかしいことに確実に当たるであろう弾丸が騎兵の手前で急に逸れている。
 本来、弾丸は視認できるようなものではないが、弾道を確認するための曳光弾は多少話が違って、人の目に捉える事が出来る。
 ようするにヴェネトノフの中隊には、その曳光弾が急に逸れて、あさっての方向に飛んでいるのが見えているのだ。

 そして、それが意味するところは、彼らの持つAK74では敵戦力の打倒が不可能であるという事実だ。

「弾が当たってない!」

「畜生! どんな魔法使いやがった?!」

 しかし、それでも懸命に撃ち続ける。
 距離が近くなれば、AK74の殺傷力が上がるのは間違いないからだ。
 だが、撃てども撃てども敵を一向に貫くことはなかった。焦燥感が中隊全体に広がり始める。
 このままでは八千の敵兵に数百しかいない自分たちは蹂躙されてしまう。

 最早、彼らは恐慌状態になりつつあった。
 しかし、この中隊は運がいい。何故なら指揮官が優秀だったからだ。

「狼狽するな! 帝國軍人はうろたえない! 各自冷静さを保て! 敵はなんらかの魔法を使って我が方の攻撃を凌いでいるが、それならばより強力な攻撃を当てればよろしい!」

 ヴェネトノフの一喝。そして、敵を打倒するという明確な意思が込められた命令に兵士たちは速やかに行動を開始する。
 彼らに出された命令は自分たちの持つAK74よりも強力な攻撃で敵を出迎えてやること。
 幸いにしてまだ距離があることで、それを実行するだけの時間は取れた。
 RPG-7、M2重機関銃、GB15擲弾発射機。彼らが持ち出したのはそれらだった。
 正確に言うと、それらを原型とした帝國仕様の改良タイプだが、そんな事はこの場では知ったことではない。
 ようは敵を倒せれば、万事それでいいのだ。

「大尉殿のご命令だ! トリガーハッピーでぶちかませ!」

 とある兵士の言葉で、中隊は烈火の如く攻撃を始める。
 あるものはRPG-7を使って対人用ロケット弾を発射し、またあるものはAK74の銃身下に取り付けたGB15擲弾発射機でグレネード弾を放つタイミングを待ちながら弾丸を乱射していた。
 発射されたロケット弾は、その多くがAK74の5.56mm×45弾のように逸れたが、別に問題はなかった。
 逸れたロケット弾が地面にぶつかる事で、衝撃と破片が敵に襲い掛かったからだ。
 破片はどうにも当たってはいないように思えたが、衝撃はどうにもならないようで落馬するものが相次いだ。
 まぁ、それだけでも効果があるだけ十分だ。

 そして、一部の兵士が使い始めたM2重機関銃。
 それから発射される12.7mm×99弾は、全く逸れることなく敵兵に襲い掛かっていた。
 敵の騎兵は、まさに馬ごと葬られる勢いでズタズタにされていく。
 M2が効果的なのがわかると話は早い。中隊の所有する全てのM2を使い、敵にその刃を向ける。
 中隊に配備されているM2は、あまり多くはない。だが、敵の戦い方があまりに古いのが功を奏する。
 散開せずに密集隊形でこちらに突っ込んでくる彼らに対して、機関銃のような類の兵器は凶悪なまでに力を発揮するのだ。
 故に、僅か数丁のM2によって、面白いように幽玄なる槍騎兵団はその数を減らす。
 挽肉製造機という異名が付きそうな勢いで、敵を撃ち殺していくその光景は、流血の地獄だった。
 鎧があろうが馬を貫通した後だろうが御構いなしに12.7mm×99弾が彼らの身を引き裂く。
 腕が飛び、足が飛び、腹を裂き、内臓が飛び散り、頭が飛んだ。

(こんな、こんな馬鹿なことがあるなどッ?!)

 その無残な光景に、幽玄なる槍騎兵団の指揮官であるカデナッテ子爵は絶望と混乱を極めつつあった。
 そもそも自分たちは名誉ある死を望んで勝ち目のない戦いにその身を賭したのだ。こんな死に方を望んでのことではない。
 華々しく散る前の前哨戦として、この小規模な敵を血祭りに上げんとした結果がこれでは私も部下たちもまったく報われないではないか。

 カデナッテ子爵は唇を血が出るほどに噛み締める。しかし、それでも突撃を止めないのは、自分たちの誇りをこれ以上汚さぬためだった。
 今更、退却などという真似は出来はしないのだ。

「大いなる父よ! 我と我の愛馬に永久の力を与えたまえ! 代価に捧げるは我が魂の輝きなり!」

 カデナッテ子爵は魔法の詠唱を行う。禁忌の類のものだった。
 魔力だけでなく、自分の生命力も消費する。但し、その分見返りは大きい。
 腕力は上がるし、スタミナも上昇する。皮膚も柔軟さはそのままで、鉄の鎧のような強度を持つし、精神にも作用して勇猛さを与える。
 そして、更に5.56mm×45弾を逸らした魔法―――風の防壁(ストレングスウインド)の強化仕様までついてくる。
 彼らの常識から言って、この魔法を使えばまず無敵だった。

 ―――ただ、惜しむらくは相手が彼らの常識の範囲を超えていたことだろう。

「ブシュコフ軍曹。アレはどうなっているのか」

「はい、大尉殿。既に準備は万端であります」

「よろしい。ならば、撃て」

「はっ」

 ブオオオオオオオッ! そんな音が響き渡ると、ドミノ倒しのように騎兵は次々と倒れていった。
 まるで冗談のような光景だったが、それは間違いなく現実のものであり、一切の例外なく、ただ彼らは屠殺されていった。
 決死の思いも、信念も、理想も、圧倒的な力の前にはただの徒労に過ぎない。そんな事を証明させられた瞬間である。
 これがヴェネトノフ大尉のジョーカー、一式12.7mm6銃身ガトリング砲の威力だった。


 ………………


 …………


 ……


「少佐には礼と、文句を言っておかねばならんな」

 そんな事を言いながらヴェネトノフは騎兵が駆けていた戦場を見つめる。
 そこには横たわる馬と人の死体がゴロゴロしていた。

 まぁ、当然の結果だろう。
 ブシュコフに使わせた一式12.7mm6銃身ガトリング砲は、毎分6000発もの発射速度を誇る。
 M2重機関銃では、せいぜい毎分600発。それを考えると、あまりに圧倒的な発射速度だというのがよくわかる。

 ちなみに、このガトリング砲は本来ならば車載用のものなのだが、今回は移動できるように台車を組み合わせたタイプのものを人力で運んで持ってきていた。
 ただ、中隊に配備してあった迫撃砲との交換であったのが痛い。それも強制的に交換を上官である少佐に強要されたのだから、なおさら性質が悪い。本来ならば迫撃砲による砲撃で、遠距離からより安全に事を済ませれたかもしれないのだ。
 今回の騎兵部隊には幸いにして勝てたから良いようなものの、万一敗北していたら降格ものだ。
 そう考えると正直、ゾッとする。帝國では、一度降格すると中々昇進できなくなるのだから。

「まったく……」

「大尉殿、良い報告です」

 溜息をついて疲れた顔をしていると、ブシュコフが薄く笑ってやってくる。
 普段笑みを見せる事が殆どない彼がそのような顔をしているという事は余程の事だろう。

「話せ」

「はい。敵の指揮官らしい男を確保できました。死に掛けていましたが、こちらで処置した結果、なんとか一命を取り留めています」

「ほぅ……?」

 これは確かに良い報告だ。今回の敵は我々の攻撃を一部無力化している。
 その方法は魔法だろうが、それがどのような魔法かという情報を手に入れた事になる。
 それさえ判れば帝國で完全な対応策を練ることが出来るであろうし、逆にこちらで使用できるようにもなるだろう。
 そして、その情報という成果は自分の功績となる。この成果を持ってすれば、昇進もできそうだ。

「ブシュコフ軍曹、そいつを死なせぬように重々心がけよ」

 死なせぬように、というのには二つ意味がある。
 ひとつは怪我の悪化で死なせぬようにという事、そしてもうひとつは自害されないようにという事だ。
 あちらも自分が捕まってどうなるかくらいは想像できるだろうからそうなる可能性は否定できない。

「はっ、心得ております」

 そう言ってブシュコフは一礼する。
 真面目な奴の事であるからこちらの命は意地でも守ろうとするだろう。
 暗い先行きかと思っていたが、そうでもなさそうだ。
 とりあえず、今夜は今日の勝利に乾杯と行こう。

 ヴェネトノフは、そんな事を考えながら再びその目を血まみれの戦場に向けた。
 辺りにはまだ、硝煙の匂いが漂っていた。まるでそれが死者への線香のように。


最終更新:2007年10月31日 01:09