第四十一幕 ダルフォードの嘲笑
ダルフォードは哂っていた。
眼下に見える戦場のありようを見て哂っていた。
「見たか見たか見たか! あのクズどもに眼にもの見せてやったぞ! ヒヒャアハッハハハハッ!」
テーブルをバンバン叩いて、自分の感じている楽しさをアピールするダルフォード。
しかし、彼の周りに控えている側近たちはそんな様子を気にする余裕はなく、ただ唖然とした様子で塞中関を眺めていた。
難攻不落、堅牢なる事この上なし。そんなイメージがあった塞中関は今、その中央部分を見事なまでに吹き飛ばされていた。
これがダルフォード大帝国の漆黒宰相ロンガードが用意した『切り札』の結果である。巨大な銀の巨兵を動かすために内蔵されている特大の魔導機関を意図的に暴走させて爆発させるという大胆不敵な所業。
目標に移動して一旦停止、そして暴走開始、といった手順の命令を確実にこなせるように調整しなければならなかったため、多少困難な事だったがロンガードはそれを達成した。そのために可能となった戦法だった。
そして、この戦場でそれが大いに有効である事を示した。尤も、銀の巨兵自体の数が少ない上、調整に掛かる費用も大きいので簡単にできることではない。
その証拠に本国から持ってきた全ての銀の巨兵をこの一戦で消耗してしまっていた。ただ、ダルフォードにとってはまた発掘して、同じように調整すればいいという考えなので大して気にはしていなかった。
元々、塞中関をどうにかできればそれで良いという思いで使ったに過ぎないのだから。
「さあて、狩りの時間と行こうではないか。すぐに動ける騎士団に塞中関を攻撃させ、そのまま突破させるのだッ!」
「……っ! は、ははっ! 直ちにッ!」
ダルフォードの命に呆然としていた側近の一人が我に返り、慌てて指示を出し始める。
その様子に他の側近たちも我を取り戻して、慌しく動き出す。
ダルフォードはそんな彼らを気にする事無く、口元を楽しそうに歪めて言った。
「これで全ておしまいだ。幕引きは盛大にやってやろう」
………………
…………
……
「耳が、俺の耳が聞こえない……」
「あ、あ……」
「誰かァ……助けて、くれぇ……」
「俺の腕が……腕が……」
塞中関は大混乱に陥っていた。
あの大爆発によって、塞中関にいた多くの人間が負傷するか戦死してしまったからだ。混乱を収拾すべき指揮官も多くがやられてしまったために際限なく混乱は拡大していく。
敵の主力と睨んでいた銀の巨兵の接近に合わせて、連中が向かう塞中関中央門付近に集中的に兵士を展開させたのが悪かった。
迎撃のためとはいえ、結果的に大打撃を被る事になり、指揮系統が無茶苦茶になって、最早組織的な戦闘を継続する事が極めて困難な状況だった。
もう軍隊としても機能は殆ど瓦解していた。
「クソッ、ここはもうダメだな。アムマイン=リュッデル要塞に逃げるぞ!」
ある部隊の部隊長が自分の部下たちに向かって言う。
彼の部隊は銀の巨兵による自爆攻撃から逃れれた幸運な部隊らしく、人員は兵士型機甲兵との戦闘で多少の手傷を負っている程度で済んでいた。
当然、彼としては残った自分達の生き残りを優先して撤退を選択する。誰も好き好んで死にたがる訳はないのだ。
「なっ、味方を見捨てるんですかっ!」
しかし、その選択を自分の部下でも特別に若いだろう青年……否、少年が否定する。
確かまだ歳は一五才だったと記憶している。しかも、貴族のボンボンだったはずだ。詳しくは聞いてないが、多分次男坊か三男坊だろう。御家継承問題の厄介払いか。
おそらくは、つまらない借り物の正義感がこの少年の心にはあるのだろう。そこから憤りを感じての発言に違いない。
そんな少年を冷たい視線で見る。貴族にしてはまともな考え方だが、状況によりけりだということを理解しろ。
しかし、そんな冷たい視線にさらされる事を不憫に思ったのか、彼の部下で結構な歳を数える年配の男二人がそれなりに優しい口調で言い聞かせようとする。
「若いの。もうここは放棄するしかないのだ。こうもでかい穴を開けられては満足に守れん」
「それにもう所々で戦っている音が聞こえる。残った機甲兵どもが俺たちを襲ってきてやがるんだ。早くしないと、敵の増援が更に来て揉み潰される」
「でも……!」
なお、何かを言おうとする少年に、遂に部隊長は怒声を上げた。
「じゃあ、てめぇは残って死ねよッ!」
そう言って、少年の胸倉を掴んで突き飛ばす。地面に叩きつけられて苦しげに咽る。
部隊長は、そんな少年を無視して他の部下たちを纏めると撤退準備を慌しく始める。
警戒に何人かの人員を割きながら、そこいらの軍需品を集める。少年はそれをただ地面にうずくまって、黙ってみているだけだった。
そうこうしているうちに、すぐさま作業を完了させる。余計なものを持たずに、水やささやかな食料といったものを中心にかき集めただけなので四、五分で済んだ。
そして、バタバタと走り出して塞中関から順次脱出していく。
少年以外で、最後の部下が脱出するのを見送った部隊長は、まだ地面でうずくまっている少年に声をかけた。
「……おい、行くぞ。今、来ねぇと本当に置いていくからな」
僅かにそれだけ言うと、部隊長はさっさと出て行った。
それからしばらくして、少年はゆっくりと身体を起こすと、眼からポロポロと涙の粒を流しながら、口を開いた。
「……畜生、畜生」
非情な部隊長への恨み言だった、理不尽への恨み言だった、世界への恨み言だった。
何度も何度も、悔しそうに吐き捨てて、口から言葉が溢れ出た。青く、澄んだ少年の心には、悲しみが渦巻いていた。
しばらくすると、今度は口から溢れる言葉が謝罪の言葉に変わる。
少年の耳には瓦礫に埋まった人間たちの呪詛の声が聞こえていたのだ。
何故助けてくれない、出してくれ、この暗いところから出してくれ、痛い痛い、苦しい苦しい……。
「すまない、すまない、すまない……ッ!」
止まる事無く口から謝罪の言葉が零れ続ける。ただ、聞こえてくるその声は少年の思い込みで、幻聴だった。
けれども、それは少年にとっては現実に存在し、耳にまとわりついて、どうにもならなかった。
少年はそれに耐え切れず、耳を両手でふさいで、覚束ない足取りでフラフラ歩きながら逃げ出した。
許してくれ、許してくれと、心の中で叫んだ。頭の中が謝罪の言葉で一杯になるくらいに。
………………
…………
……
「塞中関が……陥落したのか……」
茫然自失と言った様子で、かすれた声を出す大デルフリード帝国、皇帝ダリス。
その姿に、動揺は簡単に見て取れた。
自らの皇帝に悲報を伝えた伝令も肩が震えていた。
塞中関の守備兵の数は約2万5000人。
そのうち後方である、この『アムマイン=リュッデル要塞』に逃げ込めたのはその半数ほど。
残りは全て、敵の屈強な騎士団相手に玉砕して果てたという。満足な指揮統制が取れない以上、そうなるのも無理はなかった。退いていいのか、継続して死守するのか、何も分からないからだ。
ただ、決して無抵抗でやられずに、多少の打撃を与えた分、彼らの名誉は守れただろう。本来ならば、無様に我先にと逃げ出していてもおかしくはないのだから。
しかし、多少の打撃程度では大デルフリード側が不利になることは避けられはしない。
元々、30万対10万の戦いなのだから、兵力差が更に開いて、より厳しい状況下に置かれることは言うまでもない。
「陛下」
絶望の序曲の始まりか、という雰囲気の中、静かに言葉を発する男が一人。
御目付け役のリュッデルである。
「……なんだ?」
「恐れながら申し上げます。敵に勢いがついてしまいました。このままでは、ここも危ういかと存じ上げます」
大デルフリード帝国の急先鋒であるはずのリュッデルからこのような言葉が出て、どよめきが広がる。
同席していた別の将軍が顔を真っ赤にさせて立ち上がる。
「リュッデル将軍! 貴公、自分が何を言っておるのか分かっていような?!」
「無論承知しておりますとも。しかし、まだ話の途中ですので、御静かに願いたい」
激昂して怒鳴りつけるも、意に返さないリュッデルを苦々しく思い、睨みつけながらも一応席に着く。
しかし、これは大デルフリード帝国も一枚岩ではない証明であった。
奴隷市民令を皇帝ダリスの勅命で国内に発布したものの、少数とはいえ、ダリスの元に残った貴族たちの反発は大きいものがあったからだ。
ダルフォード大帝国が圧倒的に優勢であるにもかかわらず残った彼らは忠臣と言え、その発言力は非常に大きい。貴族たちも、そういう意識を強く持っている。
そして、リュッデルは元々奴隷階級身分のもので、激昂したのは貴族階級の人間だ。これだけでどういう状況かは大体予想がつくというものだ。
「ふんっ……!」
気に入らないといった様子がありありと窺える貴族の将軍。
同席している同じ貴族階級のものたちも、それと殆どが同意見のようでリュッデルを睨んでいた。
「陛下、宜しいでしょうか?」
「構わない。続けよ」
しかし、リュッデルはあえてそれを無視し、皇帝たるダリスに発言の許可を取る。
この場にいる彼と同じ奴隷階級から取り立てられたものたちも、それに合わせて貴族の人間を無視する。
それが貴族たちの神経を更に逆撫でするが、皇帝直々の発言許可を得たリュッデルの話を怒声で遮る訳にもいかず、拳を震わせて黙って見届ける。
リュッデルは淡々と、言葉を並べ始める。
「はっ……塞中関の攻防戦により、我が方と敵の兵の数は更に大差を付けられる結果となりました。それに加え、我が方には、幾度となく偽帝の軍勢を退けてきた塞中関を落とされるという、士気を著しく落とす要因になりかねない精神的な打撃を受けました」
塞中関で必ず敵を止められる。それが心の柱となっていた大デルフリード帝国上層部から民衆にとって、今回の事は青天の霹靂だ。
今のところ、この場にいる面々はそれなりに最小限の衝撃しか受けていないようだが、後方で留守役になっている領主たちや民衆に事が漏れれば問題だ。
弱気な領主の場合は、ダルフォードに寝返る可能性だとて出てくるし、民衆の場合は暴動になる可能性もある。
少なくとも治安状況は今よりも確実に悪くなるだろう。浮き足立って、商店から略奪するものも少なからず出るはずだ。
それを何とかするためにも、ここが勝負になる。リュッデルは続ける。
「更に、どのような手段を用いたかは存じませんが、敵は機甲兵を戦場に投入してきております。これもまた重大な問題です。遺跡の守り手が我々と敵対している事で、兵に余計な不安を与えています」
「……リュッデル。君の言いたい事はよく分かった。しかし、それでどうしろというのだ?」
「簡単です。兵を鼓舞し、士気を上げること、まずはそれだけで宜しいのです」
本来ならば、何らかの方法で敵に痛恨の一撃を負わせることで、失点を取り返すべきだろう。そして、それを国中に知らせれば、士気も上がり、国内の治安の維持は容易くなるはずだ。
しかし、いきなり敵に大打撃を与える事は困難を極める。ましてや、兵力的にこちらが圧倒的に不利なのだ。
故に、焦ってここから打って出れば、返り討ちの危険が高い。むしろ、それを誘っているような気配も感じる。
「この『アムマイン=リュッデル要塞』は塞中関よりも強固です。堀の幅も広く、また深さもあります。それに塞中関と違い、ここには我らが最強の防壁である三重城壁もあります。難攻不落に間違いありません。ようするに敵を泥沼の膠着状態に持ち込むだけの話です」
「それで、敵に補給の負担を強いて撤退させる、か。いつも通りの定石という訳か」
「定石は有効だからこそ、定石足りえるのです。御決断を」
リュッデルは見据える。ダリスの目をじっと。
気づけば、この場にいる誰もがダリスを見ていた。
それらの者どもの胸中の思いに違いはあれ、誰もがダリスの言葉を待っていた。
そして、僅かな間を置いて、静かにダリスは口を開いた。
「……承知した。全軍の指揮はリュッデル将軍に任せる事とする。異論のある者はいないな?」
今度は逆にダリスがこの場にいる誰もに視線を飛ばす。
異論があるかどうか聞いてはいたが、その目は明らかに反論は許さないと語っていた。
誰もがそれを受けて言葉を発せず、また席を立つこともできなかった。
僅かな時間を置いて、リュッデルが深く頭を垂れる。
「陛下の命、謹んで御受け致します」
「うむ。リュッデルよ、頼んだぞ。お前の双肩に正統なる帝国の運命が掛かっているのだからな」
ダリスの期待を一身に受け、リュッデルは頭を上げる。
まだ、戦争の行方は定まっていなかった。
最終更新:2007年10月31日 01:10