放送の時間だああああああああwwwwww  ◆wKs3a28q6Q



問。
「突然だけど君のことを殺し合いに放り込んでおいたから! 殺さなきゃ殺されちゃうぞ☆ ミャハ☆」
――なんてことをいきなり言われて、貴方は危機感を持てるだろうか。

危機感を持ち常に気を張るというのは、とても難しいことである。
出来ると口で言うことは容易くとも、実行するのは難しい。

例えば、料理を想像してもらいたい。
包丁は、人を余裕で殺せる危険なものである。
それを“知っている”者は多いが、果たしてその内の何%の人間が、事故による大怪我をリアルに想定しているだろう。
どれだけの人間が、刃物を扱うということに常に緊張感を持ち、警戒を怠らず、心から気を付けているだろうか。

人は、危険と分かっているものに対しても、常に気を張っていられるわけではない。
だからこそ慣れから油断が生まれたり、危険を軽視し気軽に行動したりするのだ。
料理よりも失敗時のリスクが大きい車の運転などにおいても、常に気を張っている人間はそう多くない。

「ねえ、今どの辺?」

さて、ここで冒頭の質問に戻らせてもらおう。
殺し合いに対する危機感・警戒心。
これには、“現実味”が大きく影響を与える。

例えば今が戦時下で、こそこそと移動する三人組が斥候部隊だとしたら。
きっと彼らは『油断すれば死ぬ』ということを“知っている”だけでなく、“心から理解して、きちんと常時警戒する”ことだろう。

しかしこれは、平和な時代を生きてきたのに突然拉致をされたうえでのことである。
そのうえ拉致の方法は理解の範疇を超えていたし、危険なはずの殺し合いの舞台ではただの一度も戦闘になっていない。
出会ってすぐに初対面の人間と同盟を組めたというのもあって、危機感は自ずと薄れてしまう。

「もうすぐH-04じゃないかな」

だから、彼ら3人は、危機感を真の意味では持てていない。
上辺だけの言葉で危険と理解しているつもりになっているだけだ。

「結構歩いたな」

その証拠に、彼ら3人は付近に居たはずの高坂王子を発見しないままここにいる。
『五月蝿くするのは危険だ』という知識だけはあったため、それ故に口を閉じて歩き続けたのが原因だ。
そのくせ、長期の行軍の疲れもあり、周囲への注意が散漫だったことも手伝って。
遠い位置とはいえ、同じエリアにいた少年を、3人は見逃したままここまで来てしまっていた。
そして今も、黙りこくるのに飽きたという理由だけで、リスクのある会話という行為を始めようとしている。

「病院マダー?」

3人の目的地は、G-04にある病院。
遊園地に行こうという意見も出たが、遊び呆けてまた時間を無駄にする恐れがあるので、その意見は却下となった。

「ブーたれても、向こうからは来てくれへんで」

決め手となったのは、呆れたように声を上げる少年――鈴原トウジの一声だった。
この中で一番“非日常”に慣れており、非常事態への対応という点においては、最も優れているといえよう。

しかしトウジは、非日常を日常に上手く組み込んでしまっている。
非常事態が起こるまではのほほんと日常を過ごし、非常事態になったら素早く避難行動に切り替える。
常に危険と隣り合わせのはずなのに、普通に学校にも通うし、楽しく笑って過ごしていた。

その染み付いた癖により、トウジは未だ真剣に危機感を抱けていない。
現在の状況に対し、まだ“日常の延長線”の感覚なのだ。
だからこそ、ゲームセンターで遊んだり、思慮もなくあれこれ策を練るでもなく呑気に行軍をしている。
基本的に、危険に対して受け身なのだ。

「飽ーきてーきたー」

むう、と頬を膨らませるのは、紅一点の歳納京子。
体力が一番無いこともあり、先程から真っ先に口を開くのは彼女の役目となっていた。

トウジと真逆に、京子は非常事態に耐性がない。
……まあ、ある意味『非常事態が日常デス』状態ではあるのだが、命の危機とは程遠い人生を送ってきた。
故に、非常事態というものに対し、リアリティを抱けないでいる。

とはいえ別に、ゆとり丸出しで「これは夢だいやっほーう!」「うっは死体www記念撮影イエーイwwwwww」となるほど愚かではない。
これが夢でも他人事でもないことはよく分かっている。
だからこそ友人達を心の底から心配しているし、不安にも思っている。

それに――シグザウエルを渡さなかったのも、この殺し合いを受け止めているからこそだ。
二人を信用していないわけではないが、どうしても京子はそれを渡したくないと思った。
理由は京子自身にもよく分からない。
理由が思いつかないのでなく、あまりにもたくさん思いつけたから。
それこそ、誰かを殺すためという嫌な可能性から、自分が仲間を救うのだというヒーロー思考な可能性まで。
そのようにあれこれ考えられるのも、真摯に殺し合いというものを受け止めた結果と言えよう。

ではリアリティの欠如は、何に対するものなのか。
それはズバリ、『己の出来ること』に対するそれである。
自分が人を本当に殺せるのか、という点も含め、自分には何が出来、何をすればここから脱出出来るのか、まるで見当がついていない。
だからこうして『とりあえず明るく振る舞う』ということしか出来ないでいる。

RPGで今の京子を例えると、目的もボスの存在も操作方法すらも分からぬ状態で、だだっ広いマップに放置されているようなものだ。
武器の効果もアイテムの効果も分からずに、どのコマンドでどの効果が出るのかすら分からない。
下手な行動をしてゲームオーバーになってもやり直しは効かず、下手なことが出来ないため、馬鹿の一つ覚えのように知ってる唯一のコマンドを延々と繰り返す。
そんな状況では、どんなに真面目に画面に向かっていても、真の意味で『真剣にクリアを目指してゲームをしている』とは言い難い。
ある種の思考停止ですらある。

それが、今の京子である。

(ああ、もう、黙っとってくれんかな……)

更に言うと、京子は友人達の行動すら読めないでいる。
会ったばかりのトウジの心中など察せられるわけがない。
状況を考えれば仕方のないことではあるが、それが京子の警戒心を一掃薄っぺらなものにしていた。
何が出来るか分からず、誰がどう動いているかも予想できず、とりあえず明るく振舞っているだけ。
命がけの行動にしては中身のない行動であり、空っぽの明るさは、少しずつトウジを苛つかせていた。

「まぁ、単調な行軍だったからね」

言いながら汗まみれの額を袖で拭う少年は吉川のぼる。
彼は京子とは違い、自分が何を出来る人間かよく理解していた。
凄惨なイジメによって無力さを知り、その後の成長で己に出来ることを知った。
無力な者でも思考をすれば強き者の助けになることも知っている。

だからこそ、昇だけは具体的に方針を考えていた。
病院に行こうと言い出したのも、人が集まりそうだということでのぼるが提案したのだ。
京子とトウジが特に具体的アイデアを出さないというのもあって、実質的な作戦指揮権はのぼるが握っていると言ってもいい。

「しかも、移動はスローペースだから……」

のぼるは、この中で一番“場慣れ”をしている。
担任教師の鬼塚英吉が巻き込まれた、数多くの「本当に平成の世の中学校の事件なの?」と聞きたくなるほどデンジャラスな事件の数々。
それらに多少なりとも、のぼるは関係していた。
常に受け身のトウジと違い、渦中に自ら飛び込んでいったこともある。

そして事件が起こる度、何とか解決することが出来た。
確かにのぼる自身には、この殺し合いを打破するようなスキルはない。
だがしかし、のぼるのクラスメートなら――あるいは、ここにはいない担任教師にだったら、きっとこの殺し合いを打破できる。
のぼるには、今まで事件を切り抜けてきた実績という、楽観視するに足る理由があるのだ。

故にのぼるは、この中で一番今の状況を楽観視してしまっている。
危機感はあっても行動できない京子や、楽観視はしていないがイマイチ身が入らないトウジとは真逆と言える。
のぼるは行動が出来るし、真剣に作戦行動を立てている。
だがしかし、のぼるの心の奥底には、楽観視と危機感の欠如が根付いているのだ。

「まぁ、しゃーないわ。確かに、この方が安全やしな」

しかしそれも悪いことばかりではない。
真に危機感を抱き、命の危険に過敏になりすぎてしまうと、何も出来ない可能性が生まれる。
100%安全な作戦なんて無い以上、1%は死の危険が付き纏うこととなる。
もしも危機感が強すぎたら、その僅かな死の臭いを前に、作戦を打ち出すことなど出来なくなっていただろう。
高確率で安全だと分かっていても、死の危険が少しでもあると実感してしまっては、行動に移すことは難しい。
ましてや、『自分の作戦のせいで仲間が死ぬ』という可能性まであるのだ。
サバゲー感覚程度に作戦を打ち出せる、今くらいで丁度いいのかもしれない。

「確かに、危険な人には遭わなかったけど――」

そんなこんなで作戦を打ち出していたのぼる。
彼は、明かりを灯さず移動することを提案していた。
明かりの使用は場所を教えて危険である、というのぼるの意見に、トウジはすんなり同意した。
逆に周囲が見えなくて危なくないかと京子は言ったが、それについてはのぼるがきっちり説明をして納得させた。

やや不便な場所であり中心部ではないとはいえ、ゲームセンターは市街地にある。
客を入れてなんぼであるため、当然ながら、舗装された道路の傍に立っていた。
ゲームセンターが動いていただけあって電気は通っているらしく、街灯がないわけではない。
明かりがなくても歩けないということはないだろう。

しかしどうやらこの会場は所謂田舎に近いらしく、街灯はかなり少ない印象を受けた。
その暗さを強調でもしているかのように、痴漢注意のポスターなんかが壁に貼り付けられている。
恐らく、殺し合いという環境のために、敢えて街灯が少ない市街地を選んだ――もしくは作り上げたのではなかろうか。

それでも、明かりを灯す程ではないという判断だ。
足元の不安定な山の中ならともかく、舗装された道路なら、明かりがなくともゆっくり慎重に歩けば大丈夫だ。
常に塀を背にすることで、襲撃方面はある程度絞れるというのも大きい。
更に言うと、田舎風味で一軒家が多いのも手伝って、奇襲を受けてもすぐさま誰かの家の敷地に逃げ込んで遮蔽物を得られるという好環境。
勿論誰かが門の向こうに隠れている可能性もあるのだが、それはゆっくり慎重に見ながら行軍することで、リスクをググっと低下させる事ができる。
罠の存在への警戒もあったので、どの道普通の徒歩ペースですら厳しい状況だったのだ、この状況はのぼる達には追い風といえる。

――最も、罠なんて早々あるはずもなく、罠や待ち伏せへの警戒心なんてものは、比較的すぐに皆の心から消し飛んでしまったけれども。

「でも仲間を探さなきゃいけないし、あんまりコソコソしてもなぁ」

京子のこの発言も、長期間の何も起こらない行軍によって危機感が薄らいだ故の言葉である。
最初は『安全性がグッと高まる』という餌につられてのぼるの意見に従っていたが、
その安全性の魅力が低下し、仲間探しという欲求が保身欲求を上回ったのだ。

その発言に、トウジは内心深い溜息を吐く。
トウジの中で、もはや京子は完全に面倒くさい女だった。

「せやけど、一応納得の上決めたことやろ」

これまたのぼるの提案で、病院に着くまでは極力姿を隠して移動することにしていた。
暗闇の中突然遭遇した場合、パニックを起こされて望まぬ戦闘になってしまう恐れがある。

かといって明かりを点けて事前に存在に気付かせても、怯えていたら明かりから逃げるだけだろう。
それに銃やボウガンなど装備が充実した集団が堂々明かりを点けている姿は、人を誘き寄せようとしてる“乗り気”の集団に見えないとも限らない。
少なくとも、賢い者なら近付いては来ないだろう。
乗り気の可能性を抜きにしても、堂々明かりをつける阿呆の集団であり仲間にしても足手まといになります、とアピールするようなものだから。

そうなると、殺す相手を求める者を誘き寄せるリスクにリターンが見合わなくなる。

「病院についたらまた改めて人を探す方法を考えよう。
 その頃には、もっと明るくなってるだろうし」

もう大分空も明るくなってきており、身を隠すのが困難になってきていた。
こちらが人を発見するのも容易くなってきたとも言える。
距離を置いて参加者と遭遇出来れば、危険はぐっと減るだろう。
恐怖に負けて混乱した者も、距離があったら襲い掛かるより逃げることを選ぶであろうし、そうなれば距離と保って追いながら説得する余地が生まれる。
いきなり襲い掛かられても、至近距離で遭遇するよりは逃げ切り易いといえよう。

何にせよ、明るくなってからが人探しの本番である。

「それに、病院やったら誰かしらおるやろうからな」
「うん。だから今は人に会えていないけど、そんなに悲観的になることじゃないと思う」

自分達がそうであるように、他の誰かも病院を目指すだろう。
のぼるもトウジもそんな風に考えていた。
病院なら部屋も多く薬もあり、立て篭もるには最適の場所だ。
誰一人病院付近でスタートした者がいないとは考えにくいのもあって、誰かしらがいるであろうという考えだ。

「問題があるとしたら、むしろ――」

ちらりとトウジが視線を落とす。
その先には、京子が手にしたシグザウエルが。

「誰かにバッタリ会ってもうて、その誰かが殺し合いをする気だった時やろ」

トウジ達三人は、運がいいことに全員が武器を持っている。
至近距離でしか戦えないトウジは防弾チョッキのおかげである程度大胆に近付けるし、京子のシグザウエルは装弾数が多く故障もしにくい優れ物だ。
よほどのことがない限り、負けることはないだろう。

――なんてものは、夢いっぱいご都合主義な展開予想に基づいた意見である。
京子は最初その装備の充実っぷりから多少の大胆な行動は大丈夫だと語っていた。
しかしながらトウジの防弾チョッキの存在は一度撃たれたら気付かれてしまううえに、足や頭部はカバーしていない。
頭を撃たれたら終わりであることは勿論、普通の人間は足や腕に銃弾が掠るだけでも行動不能に陥る。
死ななきゃ平気でベストを尽くして制圧出来る、なんてことは机上の空論なのだ。
それに京子の銃の腕前についても多大な疑問が残る。

(やっぱり、試射をさせるべきだったんとちゃうかなぁ)

どう考えても説明書を読んでいない京子に不安を感じ、トウジはのぼるにシグザウエルの試射をこっそり提案していた。
あわよくば京子が扱えないと分かり、自分に回ってこないかという打算もある。
しかしながら、その提案は昇によって却下された。
銃声が危険人物を呼びかねない、怯えた者を狂気に走らせかねない――理由は様々だった。

「だーいじょうぶだって。いざとなったら私が戦ってあげるから」

しかしながら引き下がった一番の理由は、『外した時、ムキになって当てるまでやられても困るから』である。
確かに、そうならないとも限らない。
明るく振る舞い場の空気を和ませる有難いキャラではあるが、トウジの目には幼稚な性格にも映る。

……トウジの性格は人にとやかく言えるほど幼稚じゃないのか、ということは棚に上げておくとして。
とにかくそんなわけで、トウジも京子の試射は無しの方向性に賛同していた。
もっともそれも、どんどん気が抜けていく内に「やっぱりやらせてよかったのでは」に変わってきたのだけど。

「うん……期待してるよ」

微笑みをたたえそう言いはしたが、のぼる自身、実は京子を戦力としては数えていない。
空気が明るくなるよう、不安にさせないよう振舞っているだけということは、のぼるにもよくわかっている。
そして京子がのぼる達を仲間だと思ってることも、本気で皆のために戦うと言っていることもわかっていた。

しかし。しかしだ。
今は本気で言っていても、いざ本番になった時に同じ事を口にできるとは限らない。

リップサービスのように「仲間のために戦う」なんて口にすることに比べ、実際に命をかけたやりとりを仲間のためにすることが、どれほど難しいことか。
戦闘時に京子が動けないとしても、のぼるにそれを責める気はない。
仕方のないことであるし、それにきっと単なる臆病故でなく、京子の持つ優しさ故のことなのだと思うから。

とはいえ、勿論戦闘に参加してくれることに越したことはない。
本当に殺し合いに乗っている人間が相手になった場合、説得するにしても逃げるにしても、ある程度相手の攻撃を封じなくてはならないだおる。
その際に役立つのはやはり銃。
下手に命中精度が高くて命を奪ってしまっても京子が心に傷を負うだけなので、全然当たらないくらいで丁度いい。
トウジは京子の銃の腕を心配しているようだが、のぼるに言わせれば銃なんてものは音で威嚇して相手の攻撃を封じてくれれば十分だった。

なので、戦力としては期待していないが、だからこそ抑止力としてはそれなりに期待をしている。

「ほんま、頼んだで……」

トウジにしたら、やはり一番の戦力は銃であるシグザウエルだ。
だからこそ、前線に立たさねばと思っている。
そしてそれ以上に、扱いを誤ると悲劇を招いてしまうことを考えており、京子にちゃんと扱いを叩き込まねばと考えていた。
トウジとしては、どこかでちゃんと説明書を読み込ませたい所である。

(ホンマはのぼるに持たせるんが一番なんやろうけどなぁ)

だがしかし、のぼるにとって一番頼りになるのは、自分の持つクロスボウガンだと思っている。
元々射撃が得意というのもあって、のぼるはクロスボウガンの扱いには自信があった。
射的ほどの精度は望めないが、銃と違って発砲音が鳴らないからと、少し時間を取ってもらい試射をしていたのが大きい。

トウジから提案されたシグザウエルの試射を受け、一応自分も試射をしようと思い立った。
その後やや空が明るくなった頃に、のぼるはクロスボウガンの試射を行なっている。
狙ったのはゲームセンターで取ったスナック菓子の袋。
最初は掠めるだけだったが、3回程撃った後はほぼ狙い通りの場所を射止められるようになっていた。
そのためトウジの中で、のぼるこそが銃を持つべきという考えになっているのだ。

ちなみに、のぼるが試射するのを見て自分も銃を試射したいという京子に対し、銃声などの要因をあげ止めさせる役はトウジへと押し付けられていた。

「まっかせなさい! ほら、なんかこう、構える姿も様になってるじゃん?」
「おわあああああ! アホ! こっち向けんなっ!」

片目を瞑り銃を掲げる京子。
持ち上げられた銃口の直線上から、トウジは転がるようにして逃げ出した。
その様子を、くすくすと笑いながらのぼるが見守る。

「笑い事ちゃうで、まったく……」
「だーいじょうぶだって、私は仲間を撃つようなヘマを犯したことは人生で一度もないから!」
「一回も撃ったことないからやろ! 0戦0勝を無敗とは言わへん!」

慣れないシリアスムードと張り詰めた空気での移動などに疲れ切ったのだろう。
京子達のやりとりはどんどん騒がしくなってきたが、のぼるは特に止めなかった。
もう空も明るいし、自分が周囲を警戒すれば問題はないだろう。
何より暗く沈むよりも、このくらい生き生きした顔をしてもらっている方が、のぼるとしても嬉しいから。

「おっ、何かある」

漫談をしながら移動を始めて数分。
スピードを上げ先頭を行っていた京子の視界に飛び込んだもの。
それは――

「……なんや、あれ?」
「あれは道の駅かな」
「……みちのえき?」

住宅街を抜けて、建物がまばらになってきていた。
その途中で、一際開けた所を見つけたのだ。
そこは巨大な駐車場のおかげで開けており、今まで選んで通ってきた道と比べ遮蔽物が少ない。
勿論車は止まっておらず、だだっ広い広場のようになっていた。
その駐車場の向こうには、綺麗そうな公衆トイレやレストランなどが見える。

「まぁ、簡単に言うと、一般道路のサービスエリアみたいなものかな」
「へぇ~」
「詳しいなァ、自分」

トウジも京子も、生活圏は広くはない。
当然免許も持っていないし、道の駅に触れる機会などなかった。
のぼるの持つ比較的どうでもいい知識に感心しながら、いざという時隠れられる移動経路を探し、目線を忙しく動かす。

「……誰か居るかもしれないし、ここは」

残念ながら、大きく迂回しないと遮蔽物を使って移動することはできそうにない。
さてどうするかと昇が顎に手を添えた、まさにその時。

「突撃ー!」

シリアスな顔で呟いた後、一点獰猛な笑みを浮かべ、京子が駐車場を横断するように走り出す。
これだけ開けた場所になると、見られずに移動するのは難しい。
特に正面の建物からは駐車場が見渡せるため、この近辺で立て篭もるなら、あの建物を選ぶだろう。
そしてそこに誰かが居るとしたら、もう発見されることは不可避である。
ならばいっそ、堂々と姿を見せた方がいい。
そう考えての行動だ。

「アホ! なにやっとんねん!」

慌ててトウジが後を追い、苦笑を浮かべてのぼるが続く。
気持ちだけが空回りしているような状況の京子にしたら『自分に出来ることは明るく振る舞うことと他人を信じることだけ』であり、
止まっていても仕方のない状況で自分が突撃をかますのは妥当な選択肢である。
しかしトウジにしてみたら、京子の行動は無謀な自殺行為でしか無い。
のぼるにとっては、京子がこういう行動を取ることは、ある程度想定内だ。

「うおおっ、トイレ超綺麗っ!」

立ち止まるよう促す言葉も、命を狙う銃撃もない。
結局京子は店の近くまで辿り着き、そのまま清潔感で溢れる公衆トイレに吸い込まれていった。
思わず後を追いかけたトウジの目に、個室の扉で満たされた空間が飛び込んでくる。
そこが男子禁制の場所と気がつくなり、慌ててそこから抜け出した。

「はは……まあ、会ってから、一度も行ってなかったしね」

その様子をのぼるは笑顔で見つめる。
もうのぼるは公衆トイレを通り過ぎレストランの様子を伺っていた。
トウジの記憶では個室の扉が一箇所だけ閉まっていたので、京子は今のぼるが予想した通り“今まで出来なかった休憩”をしているのだろう。
待っている必要もないと考え、トウジはのぼるのチェックしていない適当な店を見ることにした。
そして。

「…………!」

あるものを見つけると、血相を変えて店を飛び出した。
その際に棚で足をぶつけて音を立てるも、気にしている暇はない。
先程あれだけ目立って駐車場を横断したのに何も起こらなかったのだ、今更物音ひとつで一気に窮地にはなるまい。

「……何かあったの?」

トウジが向かった先は、のぼるのいるレストランだった。
厨房で使えるものがないか物色しようとしていた昇は、肩で息をするトウジの様子に、並々ならぬものを感じ取る。

「ひ、人や……」

呼吸を何とか整えようと自分の胸ぐらを掴み、ごくりと唾を飲み込む。
そして、告げた。

「人が、倒れとる……」

その言葉を聞き、のぼるは厨房を後にする。
言葉にせずとも、人が倒れた現場に行くのであろうことは予想出来た。
トウジが昇の前に行き、人を見つけた店の中まで誘導する。

そこは、大きな売店だった。
特産品と思しき野菜や銘菓などが並んでいる。
その店の奥、外からは死角の隠れやすそうな場所に、人の足が見えていた。

「……死んどるんか?」
「確かめないわけには、いかない……よね」

あれだけ騒いでも、反応一つなかったのだ。
少なくとも、意識を失っている可能性が高いだろう。
そして死んでいる可能性は、何よりも高い。
血が流れてきていないので、斬殺のような血まみれグログロの死体というわけではなさそうだ。
その事実が、確認の後押しをしてくれる。

「これは……」

そこには、少女が倒れていた。
ショートカットの美しい顔立ちの少女。
その顔はとても綺麗だった。
殺害された体にしては、あまりにも綺麗すぎるくらいに。

「……生きとる、んかな」
「一応、確認してみようか……」

とはいえ、絶対生きていると断言は出来ない。
何せ殺し合いが始まってもうすぐ12時間が経つ。
誰かが死体を見つけ、汚れを拭い去ってやり、寝かせてやるには十分な時間があったというわけだ。
「きれいな顔してるだろ……死んでるんだぜ、それ」な状態でも別段おかしくはない。
……それにしては、寝かせ方があまりに乱暴すぎる気がするが。

「でも、どうやって……まさか、あれか。揉むんか?」

息をしていれば、胸が上下しているはず。
しかしながら、少女の服はごく普通のセーラー服。
幸いなことに京子のものと同じではない、一般的な制服だ。
勿論胸にジャストフィットして「タイツかよ」って程にバストを強調したりしてないし、僅かな呼吸で胸が上下しているのが分かるような衣装ではない。
普通の制服とは乳首が浮き出るような素材では出来ていないのだ。
微振動を見てわかるわけがない。

「そんなことをしなくても……」

のぼるは、矢が刺さって穴が開いたスナック菓子の袋を取り出す。
そしてギザギザに沿ってスナック菓子の袋を開けた。
袋を縦に切り開き、端っこを切り離す。
そして出来た細い切れ端を少女の鼻の穴に当て、呼吸でぴらりとめくれ上がるかを観察する。
ある程度予想していた通り、切れ端は一定のリズムを刻んでめくれ上がった。

「とりあえず、起こしたるか……?」

やや残念そうに少女の胸元を見ながら、トウジが言う。
しかしのぼるは、静かに首を振った。
そして、すっと立ち上がると、クロスボウガンを少女に向ける。

「な、お前……!?」

驚愕に目を見開くトウジに、のぼるは告げた。

「この人……殺し合いに、乗ってるよ」
「なんやて!?
 せやけど、この娘は被害者なんじゃ……」

少女の倒れ方からして、単なる昼寝とは思えない。
どう考えても、この少女は襲われた側である。

「彼女が本当に殺人鬼に襲われたのなら、今生きている理由がないんだ……
 環境的にも命からがら逃げ切れました、というのは不自然だし……」

崖の下とか、海岸線とか、そういった場所で倒れているなら分かる。
襲われて、イチかバチかで飛び込んで、一命を取り留めた――そんな理由付けが出来るから。

「もしかしたら、殺せたと思い込んでたのかもしれへんで」
「だとしても、マシンガンを置いていくなんて変だよ。
 殺し合いの場で、他の人達を皆殺しにしようと考えた人が、マシンガンを置いて行くかな」

それに、エグい発想であるし、今挙げた事実だけで納得してもらえるだろうから言わなかったが、
マシンガンが手に入ったら、とりあえず少女の頭にでも接射し、確実にトドメをさすのが普通だろう。
マシンガンと少女――その両方を放置する合理的な理由などない。
少なくとも、のぼるの中では。

「それに、別に人殺しがいるなら、ここを出る理由はないんだ」

この道の駅は、前述の通りだだっ広い駐車場に面しており、接近する者の存在に気が付き易い。
一方で今いる店は棚も多く、こちらの身を隠しやすい。
店の中には遮蔽物が多いわけだから、銃撃されても店の裏手まで移動が出来る。
裏口に内側から鍵をかければ背後から襲われる心配も薄く、かつ自分は逃走しやすいという、願ってもいない場所なのだ。
拠点にするなら病院に匹敵するであろうこの地を、早々に立ち去る理由は何もない。

「確かに、まぁ、生き残ることを考えたら、ここに居るべきやろうなぁ」

トウジとのぼるは、殺し合いに乗った人物に会っていない。
それ故に自分の想像力の範疇でしか、人物像を想定出来ない。
理論的に考えようとすればするほど、自分達の常識でしか考えられない。

「移動する必要があるとしたら、人や物を探してる人ってことになるよね」

のぼるもトウジも、ここに来てから一貫して『死にたくない』と思っている。
きっとそれは誰もが同じであろうと、自然に思い込んでいた。
だから、殺し合いに乗ってしまう人は、恐怖に負け、“生きるために”人を殺してしまうのだと。

故に彼らは、見落としてしまう。
『殺したいから殺す』という、狂気に染まった動機による殺人鬼の存在を。

故に彼らは、思い込んでしまう。
『死にたくないから殺人を犯してしまう人』=殺し合いに乗った参加者が、生存率を高めてくれるこの建物を出るはずがないと。

「なるほど、ワシらがそうしたように、か……」

ゲームセンターも、遮蔽物が多いという点において、それなりに優れた拠点ではあった。
カウンターに身を潜めて入り口を監視することは出来るが、中に入られてしまうまで接近する者に気付けないという欠点はあったが。
それでもそれなりに身を守れるあの場所を出発したのは、三人ともが『死にたくない』ではなく、もっとアクティブに『生きて帰りたい』と願ったからだ。
そのために、必要な仲間と必要な道具を求めて移動を開始したのだ。

「そうなると、考えられるのはひとつ」
「――返り討ち、か」

怯えた参加者がもみ合いの末柱に頭をぶつけさせた――そういったケースならば、マシンガンが放置されていることにも説明がつく。
恐らく気が動転し、殺してしまったと思い込んでマシンガンを回収もせずに逃げ出していったのだろう。
そのケースなら、マシンガンの傍で人が気絶している理由にも説明がつく。

「命までは奪ってないし、マシンガンも置いてってるから、この人を突き飛ばしたせいで覚悟を決めた、なんてこともないと思う」

さて――突然ではあるが、この話は所謂“神の視点”で語られている。
ここ、地の文は、各々の心中を読み透かし、読者に伝える役割も担っている。

なので、トウジやのぼるの知らぬ情報も明かさせて頂こう。
賢明な読者諸君はとうに気付いているであろうし、これ以上伏せ続けても何の意味もないことだ。

――倒れた少女・中川典子は、殺し合いに乗った少女ではない。

危険人物という点では、彼女を放置し走り去った常盤愛の方が該当するだろう。
彼女は皆殺しを企んではいないが、個人的嫌がらせや私怨などで、典子に人を殺すよう脅していた。

のぼるやトウジは、参加者との遭遇という場面で、脳をフル回転させてはいる。
だがしかし、彼らはまだ、本当の意味で『理解の範疇を超える者』に会っていない。
漠然と殺し合いを命じてくる、正体不明の現実味がわかない者がせいぜいだ。

だからこそ、日常の延長線で物事を考えてしまう。
ニュースで目にする殺人事件の動機や、自分がなっていたかもしれない狂気の姿くらいしか思い描けない。
脅して人を殺させるために放置する、という残酷な手口に思い至れない。
マシンガンを必要としないほどの戦闘力を有する者の存在には至れない。

「それで――どうするんや」

どうする、というのは、勿論典子のことである。
トウジ達から見れば、典子は真っ黒な存在。
倒すべき相手ではある。

「……殺すんか?」

殺す。
口にしたくなかったその単語を先に言ったのは、比較的命の危機に馴染みがあるトウジの方。
生き残るため、相容れない殺人鬼は倒す必要がある。
そのことを、相容れない使徒との戦いを見たことで実感しているトウジだからこそ、その単語を口に出来た。

とはいえ、頭では分かっていても、それをすぐさま実行できるわけではない。
相手が気絶していて無抵抗となれば尚更だ。

「……いや……まだ、説得の余地はあるかもしれないし……」

前述の通り、のぼる達の中で殺し合いに乗った人間とは、恐怖に負けて保身に走ったものである。
すでに人を殺しているためもう後戻りは出来ない、と覚悟完了されてしまったケースを除けば、説得の余地があるという考えだ。
保身最優先なわけであり、生殺与奪権を握れば、おとなしくなるだろう。

「だからとりあえず、ロープか何かで拘束しようと思う。
 それから起こして、話を聞こう」
「そうやな、それがいいか……」

ロープがないか、トウジが辺りを見回して、気付く。
壁にかけられた古びた時計。
その針が、間もなく六時を告げようとしていることを。

「もうすぐ放送やし、起こすのはそれからやな」
「うん。でも、さすがに重要事項だから結構大音量で着信音とか鳴ると思うし、それで起きちゃうかも」
「んじゃ、最悪ワシのシャツででも後ろ手に拘束するか?」

トウジはのぼるとクロスボウガンを見ながら。
のぼるは典子を見ながら。
それぞれ真面目に話し合っていた。
真面目に、集中して、話し合っていた。

故に、背後に迫っていた少女には気が付かない。
背後に迫った少女が、昇達の背に打撃を食らわせようとしていたことにも。
叩かれるまで、気が付かない。

「たっだいまー! いやすごいよここのトイレ!」

京子は、謎の感動を覚えていた。
広くて綺麗なだけでなく、ここのトイレはオシャレな内装をしていた。
無駄に写メを撮ったりして、戻るのが遅れたのだが……

棒立ちで話し込む二人の背を見て、慌てるようなことは起こらなかったのかと胸を撫で下ろした。
そして、トイレが長すぎたことで、変なことを想像されても嫌だなあと思い至る。
とりあえず長期トイレに篭っていたと受け取られかねない事への気恥ずかしさを誤魔化し、
明るい空気でトイレが綺麗で写メってたことを伝えようと考え、駆け寄るなりのぼるとトウジを驚かせようとその背中を叩いた。

「わっ!?」

不意をつかれ、のぼるもトウジもバランスを崩す。
トウジは何とか踏みとどまるも、のぼるはそのまま膝を着くように倒れた。
その際腕が持ち上がり、クロスボウガンの先が典子から商品棚へと切り替わる。

倒れた拍子に、クロスボウガンが発射された。
商品棚に並んでいた野菜類に深々と突き刺さり、音を立てて野菜の山が崩れ落ちた。
崩れ落ちた野菜の山が、典子の顔面とのぼるの頭に降り注ぐ。

「……んのアホォ!」

驚かされたこともあり、ついついトウジは京子を怒鳴りつけてしまう。
今まで京子に感じていた不満が爆発したという側面も否めない。

その怒声に京子はビクリと震える。
予期せぬマジギレを喰らい、若干の混乱に陥った。
そして視界に、倒れた少女が映る。

「だ、大丈夫!?」

クロスボウガンの存在を意識していなかったため、京子はイマイチ何が起きたか理解していない。
だからこそ、トウジの声のトーンに、漠然と『まずいことをしてしまった』と思わされていた。
そこにきて、視界に映るは倒れたままの少女。

自分が原因なのか、最初から倒れていたのか分からない。
ただ漠然と『不味い事態』ということを感じ取っていただけに、少女が危険な状態なのではと思わされた。
そして思わず顔の上の野菜をのけ、心配そうに肩を揺する。

「ばっ、こいつは!」

それを見てトウジは焦る。
何せ、起こそうとしてる典子は、トウジにとっては殺し合いに乗っている危険人物。
突きつけていたボーガンの矢はもうないわけで、この状況で起きられたら不都合しかない。
慌てて京子の肩を引っ掴む。

「ん……」

しかし、手遅れだった。
典子は確実に目を覚ます。
それを悟り、トウジはそのまま肩を掴んだ腕を思い切り引いた。

「ひゃっ!?」

後ろに引っ張られるままに、京子は典子から離される。
そのまま後方に放り出され、お尻から着地した。

別に、京子が憎くて乱暴にしたわけではない。
むしろ逆。
面倒な女と思いながらも、仲間と認めていたからこそ、危険から遠ざけるべく必死に引き離したのだ。

「クソッ!」

気絶した少女に鎌を突きつけることは、良心が咎めていた。
だがしかし、動く殺人鬼が相手となった以上、そんなことを気にかける余裕はない。
殺すつもりはなかったが、鎌を突きつけおかしなことをされないようしようとし、鎌を手に典子に迫る。

「――――――ッ!?」

だがしかし、それより早く、典子は目を覚ました。
視界に映るは、鎌を手に必死な顔で迫りくる男。
不意を突かれはしたが、トウジの動きは直線的。
典子の予想以上に速い反応にトウジも不意を突かれたというのもあり、典子はトウジの腕を取った。
鎌を捨てさせるべく、相手の手首を捻りあげようと体を動かす。
その視界に、マシンガンが飛び込んだ。

腕を軽く動かした際、勢い余ってトウジはバランスを崩した。
そのまま典子の脇へと倒れ込もうとしている。
それを確認し、典子は鎌を奪うよりもマシンガンの回収を優先した。
あれを取られては死は避けられぬと判断しての行動だ。

「動かないで!」

マシンガンの銃口をトウジに向けようとしたその時、突如として声が上がる。
そこで典子は初めて相手が一人でないことに気付く。
視線を声の方に向けると、のぼるがクロスボウガンを構えていた。

「……そっちこそ、動かないで」

素早く手首を動かし、銃口を完全にトウジの頭部へと向ける。
典子がトウジの命を、そしてのぼるが典子の命を握っていた。
訪れた膠着状態の中、典子は必死に頭を動かし状況把握に努める。

「ちょ、ふ、二人共……」

自分が驚かせてからのほんの数十秒で、事態が急変してしまった――
京子もまた、事態をイマイチ飲み込めないでいる。
ただ、下手に動くと仲間の命を失いかねないことだけは分かり、やはり動けないでいた。

(……二人、ってことは……)

京子の言葉で、典子は京子達三人が、一緒に行動していたことを推察する。
命の握り合いを三人が演じているのに『二人』と口にした理由など、他にはない。
“仲間であるため説得しやすい人間”にまず落ち着くよう呼びかけようとし、その対象が複数であるため『二人共』などと口にしたのだ。

(どうしよう……)

典子の中で、平和的に解決することはそこまで難しいことではない。
銃をおろし、素直にごめんなさいと謝る。
不快感は持ち続けられるだろうし、信頼を得て協力を仰ぐことは難しいと思われるが、それでも命は助かるだろう。
典子から見て、三人――特に京子は、殺し合いに乗っていないと判断できる人物だ。
手を取り合うならまず銃を下ろし、ゆっくり信頼を得るべきだ。

(秋也……)

だが、しかし。
もし――もし、だが――先程“白井黒子”に脅された通り、男を殺して回るのなら。
七原秋也を生かすため、非道に落ちるとしたら――ここで銃を下ろすわけにはいかない。

(私は、どうしたら……)

典子の不幸。
それは、自力で目を覚ますことが出来なかったこと。
おかげで考える時間がなかった。
冷静に考えていたら、きっともっといい方法が思い浮かんだかもしれない。

だが現実は、御覧の有様である。
銃を向けられ、“勢いで外道に落ちる”ための準備が整ってしまっている。

そして何より、死の蛭の効果について、ゆっくりと思い出せなかった――
それが、典子の行動を縛り付けた。
死の蛭は生物である以上、典子の動きを把握している。
それでは果たして、死の蛭には“命令を下す者”への通信手段が存在しているのだろうか。
死の蛭が全てを監視していて、迂闊な行動を取った途端典子の命を奪い、秋也を危険に晒すことはないだろうか。

死の蛭についていた説明書を思い出そうとしても、色々なことがありすぎてどうにも上手くいかなかった。
そうして動きを止めていたのは数秒の出来事だろう。
だがその時間は、大人しく銃を下ろす気はないのだと思われるには十分すぎる時間だった。

のぼるが、トウジが、時間の経過と比例して敵意を剥き出しにしているのを肌で感じとる。
弾みで撃たれないように、典子はゆっくりトウジへと空いた左手を近付ける。
警戒はするものの、何も持っていないのを見、トウジものぼるも動きを見せない。

状況がジリジリ悪化していくことは感じているが、マシンガンを持たれていては勝算がある場合以外動けないだろう。
ましてやクロスボウガンは連射が効かない武器だ。
覚悟を決めて一撃で命を奪い取らない限り、返り討ちは免れない。

そう考えているだろうと典子は考え、ゆっくりとトウジを掴み手前に寄せる。
これで典子がトウジを盾にする形となった。

だがしかし、そこで終わり。
典子はそこから下衆な行為に出るほど覚悟を決められていないし、かといって銃を下ろすこともできない。
トウジも昇も典子に隙を見いだせないでいるし、京子はただオロオロとするだけだ。

そして携帯が一斉に鳴る。
放送を告げるアラームだ。
膠着した場が、動き始める。



最終更新:2012年07月10日 04:45