錯綜する思春期のパラベラム(前編)  ◆j1I31zelYA


殺さないですむ、殺されないですむ、そんな世界がほしかった。
誰かが死ぬのも、誰かを殺すかもしれないのも、悲しくて辛いことだったし、

それに、七森中の誰かが死ぬのも、誰かを殺すのも、見たくなかったから。

それなのに。
ちっぽけな杉浦綾乃が頭を悩ませている間にも、人はどんどん死んでいった。
その場にいるだけで、とってもいい子だと感じ取れた後輩も。
それに、いちばん死んでほしくなかったアイツも。
立ち直らないといけない。
前を向いて、しゃんとしないといけない。
分かっているのに、心は大きな穴があいたような心地のまま。
空洞になったあたりを支配する凍える風のような痛みは、ちっとも止んでくれなかった。

小さな嗚咽を漏らしては、意思の力でどうにか泣き止む。
そんな努力を何度か繰り返した頃に、植木がおずおずと話しかけてきた。

「あのさ、綾乃。辛いならなんでも話、聞くぞ?」
「話……?」
「ああ……我慢するよりは、ぶちまけた方が楽になるかもしれないだろ?
それに、オレだって自分以外の人が答えを持ってるって教わったばっかりだからな」

その言葉を聞いて、己の胸に手をあててみた。
たしかに胸にわだかまる、モヤモヤとした形にならない想いの存在はある。
これを洗いざらいぶちまけていけば、少しはモヤモヤもおさまるだろうか。
もっと、子どものように駄々をこねてしまってもいいのだろうか。

たとえば。
もう、ごらく部の四人がそろった姿を見られないこと。
ごらく部の四人と生徒会の四人とで、海に行ったりカラオケに行ったり、一緒に遊んだりができなくなったこと。
いや、そんな特別な休日のことだけじゃない。
『プリントの提出ができていない』とか、適当な理由をつくって会いに行くのもできなくなってしまったこと。
もっと素直になりたいとか、もっと緊張せずに自然に話せるようになりたいとか、そんな目標をかかげて過ごす毎日がなくなったこと。
何気なく言われた『可愛い』だとか『また一緒に遊ぼう』という言葉に対して赤面することさえも、できなくなってしまったこと。
最近オープンしたおしゃれなカフェに、好きなひとを誘いたいというささやかな夢が、叶わなくなったこと――

――はた、と気づいてしまった。

想いを洗いざらいぶちまけるということは、つまり。





(『女の子どうし』って、やっぱりおかしい、の、かな……?)





『さっき放送で呼ばれた女の子のことが好きでした』と暴露することに他ならないわけで。

こんな時に何を気にしているんだと呆れられても、仕方がない。
しかし、しかしだ。
綾乃はただ仲良くなりたいと必死だっただけで、親友の千歳にさえ『そういう感情』だとはっきり認めたことはない。
それを男の子に向かって『カミングアウト』する。
……想像するだけで、顔が発熱して倒れそうになった。
いや、落ちこんで悲しんでたはずなのに何を考えているんだと、冷静になろうとする。

だいじょうぶ、植木くんって『そういうもの』を偏見の目で見る人じゃ無さそうだし。
あ、でも菊地さんに知られたら引かれるかも、それは嫌だな。
というか、これって仮にも『告白』になる?
そんな、心の準備が
……って、だから、今はそういうことを気に病む時間じゃないんだって!

(ダメ……い、いったん落ちつこう。……うん、落ちついてから、話そう)

「ごめんなさい。ちょっと……一人で考えさせてもらっていいかしら。整理できたら、ちゃんと話すから」
「お、おう。無理しなくていいぞ。何かあったら呼ぶんだぞ」

急に顔を紅潮させたことで、植木はうろんな目を向けてきた。
それでもどうにか、手近な民家の裏手に回りこみ、一人の時間を確保する。
すぅはぁ深呼吸を繰り返して、赤面した頬の熱をどうにか追い払った。
落ち着け、落ち着けと念じる。

(ハァ。なんであんなに動転してるのよ……別にアイツはそんなんじゃなくて。
『もっと仲良くなりたい』なんて、友達でも普通に考えることじゃないの)

そう、いくら綾乃が京子のことを想って一喜一憂していたからといって、
付き合いは一緒に遊ぶ友達同士のそれでしかなかった。

(友達同士……?)

ふと、その言葉が引っかかった。
忘れていたことを、思い出そうとする時のような引っかかり方だった。

友達同士。
友達。
友情。

(あ……………)

友情日記。

思い出し、口がぽかんと間抜けな形に開く。
最後にチェックしたのは、いつだったろう。
現在いるエリアに入ったあたりで放送が流れて。
名前が呼ばれたショックで頭がいっぱいになって、未来予知を確認する余裕なんてなかった。

つまり、だから、すっかり、忘れていた。

(これを見れば……まだ、生きている人たちのことも、分かるのかな?)

ふるえる手で肩から荷物をおろし、ディパックから携帯電話を取り出そうとしていく。
心臓が、さっきとは別種の動揺から動悸を早くしていく。
何度かボタン操作を押し間違えながら、やっと予知画面にたどりつく。

自身の周囲9エリアにいる『友達』のことを教えてくれる未来日記。

そこに映し出されていた予知は――




「初春カザリって言ったっけ……アンタはこれから、どうしたいの?」

二人の少女が、てくてくと日差しの弱まりはじめた路上を歩いていた。

「白井さんに会いたい、です……いいえ、会わなきゃ、いけないんです」

先導するように歩くアスカ・ラングレーに対して、後ろを歩く初春飾利は答える。
ようやく泣き止んだのか、さっきまでの涙声とは異なるしっかりした声だった。

「白井クロコ……ミコトから聞いたことある名前ね。
そいつと合流して、殺し合いをぶっ潰そうってわけ?」
「それも、あります。でも、まずは御坂さんのことを伝えなきゃいけないから。
白井さんは、御坂さんのことを本当に慕ってましたから……」

アスカはちらりと後ろを向き、初春を一瞥した。
言葉こそしっかりしているものの、その顔は法廷に立つ罪人のように悄然としている。
友人のいないアスカにも、その心情ぐらいは想像できた。
友達の敬愛していた人を、殺してしまったのだから。
御坂ミコト当人が許したからといって、その友人たちが何も感じないはずがない。
どんな顔をして会えばいいのか分からないとうなだれたくもなるだろう。

「ほかにも、謝らなきゃいけない人がいっぱいいます。
始めに殺してしまった、桑原さんの知り合いも。
それから、あの爆発で亡くなってしまった人たちのお友達にも……」

言葉を重ねるにつれて、初春の声がどんどん弱くなっていく。
そんな懺悔を断ち切るように、アスカは苛々として言った。

「まったく……。どうして日本人は、何かあったら真っ先に謝ろうって考えるのかしら。
そりゃあアンタを恨んでるヤツはいるかもしれないけど、被害者の身内に謝罪してまわったりしたら時間がいくらあっても足りないじゃない。
ついででいいのよ。そんなものは」
「つ、ついでですか?」

やったことを考えれば罪悪感を感じる方が当然だけれど、ずっと暗くなっていればいいってものじゃないだろう。
アスカ・ラングレーは、初春カザリを救う役目を引き継いだのだから。

「いい? たとえ今後、アンタを責めたてる連中が現れたとしても。
アンタに救われてほしいと思ってたヤツが少なくとも二人いたわけよ。そこんとこ、覚えときなさい」
「は、はいっ」
「なんなら、そのクロコってヤツに、ミコトがキレイさっぱり許してたって証言してもいいわよ。
当人同士で解決してるのにグチグチ言うなってね」

第三者としての義務を果たすことを宣言すると、初春はまだ困惑しながらも、表情をゆるめた。

「式波さん……いい人なんですね」
「はぁ? どうしてこの会話の流れでそうなるの?」

吉川チナツといい御坂ミコトといい、どうしてこうも人を善意で解釈するのだろうか。
アスカは依然として、自分の生還が第一であるはずなのに。

「あ、そうだ。ついでって言えば、話しておいた方がいいかも」

たった今になって思い出したかのように、初春が声をあげた。
デイパックのポケットから、メモ書きのようなものを取り出し、アスカに見せる。

「殺し合いに乗ってた時に、三人の男の人を襲って未遂に終わったことがあったんですけど。
目が覚めたら、この手紙が手元に置いてあったんです……」

筆跡の主は、冒頭で秋瀬或と自己紹介していた。
手紙に書かれていたのは、おおむね予想できることに、殺し合い反対派が殺し合いに乗った人間を説得する類の文章だった。

「でも、やけに詳しいわね、こいつ……」

自分は今までにこれこれこういった参加者に出会っており、彼らの総合戦力その他を考えても、君ひとりが皆殺しを狙って行動するのは無理がある。
また、主催者のやり口を考えても優勝者の願いが叶う保証はうんたらかんたらと、やったら断定的に『殺し合いに乗ること』が絶望に直結していることを論証していた。
自分はこれから殺し合いに乗っている危険人物と接触しに行くから同行させることはできないけれど、
この忠告に少しでも信憑性を感じてくれたら思いとどまってほしい……と言ったような言葉で、手紙は締めくくられていた。

「わたしは優勝を狙ってたわけじゃありませんから、殺し合いに乗ったら破滅すると言われても、止まれませんでしたけど……」
「普通は、『優勝しないけど殺し合いに乗る』って人間の方が少数派だろうしね」

文章で説得するだけしておいて放置するというのは無責任にも見えるが、
その『危険人物に会いに行く』という話が本当ならば、そいつと戦っている最中に『学校のようなこと』が勃発するリスクは恐れるだろう。
文章そのものは胡散臭いのに、情報の持ち合わせが多いことを匂わせる語り口から、
『接触する価値はあるかもしれない』と思わせるところが、無性にしゃくだった。

「その後の放送で呼ばれなかったってことは、まだ生きてるのね……。
とにかく、人を探すにしたってアテは無いのよね?
なら、いったんデパートに戻るわよ。ミツコには病院のことが成功しても失敗しても戻るって言っちゃったから」
「はい! よ、よろしくお願いします」

ぴしっとかしこまったような一礼が返ってきた。
緊張しているというよりは、むしろこちらの態度の方が素なのだろう。

本当に、根拠もなく人を信用する輩が多くて困る。




吉川ちなつ。

あまり杉浦綾乃と一対一で話したことはなかったけれど、『いつもの8人』で遊ぶ時にはいつもそこにいた。
そして、歳納京子の可愛がっていた、大事な大事な後輩。
そして、後輩である大室櫻子と古谷向日葵の、大事な大事なお友達。

その吉川ちなつが、すぐ隣のエリアにいたという。
友情日記の予知が提示されていた時間は、放送の直後だった。

『F-5デパート近くの路上で、吉川さんが放送を聞いて落ち込んでいる』

その、十数分後。
『吉川さんたちは、銃声を聞いて学校の方に向かったわ。私たちも早く合流しないと……!』

さらに、その数分後。
『大変! 学校の校庭で爆発が起こって、吉川さんも巻き込まれてしまった』

その、数分後。

『吉川さんが、アスカ・ラングレーさんを爆発からかばって死んでしまった』

ほんの、数分前のことだった。

目の前が、真っ暗になったようだった。
違う、違う、有り得ない、こんなの嘘だ。
だって、さっき歳納京子と赤座さんが死んだって言われたばっかりじゃないか。
それに、それに。

日記を見ることさえしないで立ち止まっている間に、
知り合いの死が実況されていたなんて、知らなかった。

手遅れ。

頭を思いっきり殴られたような衝撃が貫いて、ぐらぐらと足元までもを揺らす。
『友情日記』の予知はさらに続いていたけれど。指が震えて、画面をスクロールすることさえ覚束なかった。



「私の、せいなの……?」



予知にちなつのことが書かれてから、彼女が死ぬまでには充分な時間があった。
もし予知を見て駆けつけ、爆発のことを教えていれば、こんな結果はふせげていたはずだ。
言い訳しようと思えば、いくらでもできる。
歳納京子たちが死んだという話を聞いて、呆然としていたんだから仕方がないとか。
植木だって、探偵日記を見ることを忘れていたとか。

しかし、事実は変わらない。
命を救おうと思えば救うことができたのに、杉浦綾乃は無視した。
何もせずにへたりこんでいた間に、目と鼻の先で、後輩が助けを求めていた。

「吉川さん……」

ふらふらとした足が、その場から離れる一歩目を踏み出した。

行かなくちゃと、思った。
ちゃんと確かめないと、まだ死んだと決まったわけじゃない。
急いで、吉川さんの安否を確かめないと。
未来予知が本当に当たると言われたって信じられないし。
そうだ、図書館の時は、植木くんが死ぬという予知が変わったじゃないか。
急いだら、まだ間に合うかもしれない。
私のせいでごらく部の人たちが死ぬなんて、あっちゃいけない。



私が、ごらく部の人を見殺しにしたなんて――。



そんな思いが歩く速さを加速させ、気が付けば走り出していた。
なりふり構わず、学校を目指して。



「さすがに、行き過ぎじゃないの?」
「……だよなぁ。もうE-6に入るかってところだし」

住宅街と言うには家もまばらになり、遠方を見ても地平線ではなく水平線がのぞきはじめる。
陽が傾いて影も長くなってきた寂しい道で、二人の男女が立ち止まった。

「もう。こんなことなら、秋瀬からレーダーを返してもらったらよかったじゃない」
「つってもなぁ、向こうは向こうで駆けつけるのにレーダーが要るみてぇだったし。
御手洗があの短時間で進路変更するとは思わなかったからよ」

本来ならば、浦飯幽助も秋瀬とともに、彼の探し人を助けに向かう予定だった。
どうやらその探し人は、凶悪な少女に命を狙われているらしいとのことだったので。

だがしかし、状況は動く。
浦飯から秋瀬へと貸し出していた携帯電話探知レーダーに、『御手洗清志』という少年の名前が映ったのだ。
しかも、ちょっと進路変更をすれば駆けつけられる位置に。

他にも何人かの名前は映ったけれど、浦飯にとってはその少年が、分かりやすく危険度の高い人物だった。
この殺し合いに呼ばれる直前まで、桑原から『水兵(シーマン)』という能力について聞かされていたのだから。
しかも、急がなければ一緒にいる『相馬光子』という少女が襲われてしまうかもしれない。
しかし、行けども行けども出くわさないまま、気が付けばエリアを丸ひとつ越えようとしている現状がここにある。
御手洗が唐突に気まぐれを起こして、進路を変更したと考えるほかなかった。

「その秋瀬のこともさ……本当に良かったの?
『雪輝』のことを何にも知らないのに、『何があっても殺さないし、なるべく助けてやる』なんて安請け合いしちゃって」

秋瀬或が助けにいきたいと告げた、雪輝という少年。
その名前を、浦飯幽助は知っていた。
あの前原圭一から、天野雪輝は危険人物だと言い含められている。
主催者の手先かもしれないとさえ聞いている。

それでも、浦飯はあっさりと頷いた。
詳しい事情を説明する暇もない短いやり取りの中で。
雪輝君は殺し合いに乗っていないから、信用してほしいと言われて。
そして、今もあっけらかんとして答える。

「オレが殺してでも止めるって思ってたのは、螢子の時の二の舞にしたくなかったからだ。
べつに知り合いが『殺さないでくれ』って言ってきたヤツまで、進んで殺したりしねぇよ」

言われてみれば浦飯らしいかもと、常盤は思う。
もとより、浦飯が『手に負えない危険人物は殺す』と言い出したのだって、『雪村螢子に間に合わなかった』という後悔からだろう。
だとすれば、『雪村螢子のためなんて未練で動いても彼女は喜ばない』と諭された今になっては、殺すことにだって躊躇っているのかもしれない。

(アタシは……どうしたいんだろう)

なあなあで、浦飯と行動を共にしている。
浦飯は危険人物の討伐に連れていくことを躊躇したけれど、女の子を一人にするのもまた危険だと考えたらしい。
すっかり仲間か何かのように接してくる。
でも、いずれ愛の悪行を知る誰かと出会ったりすれば、この関係は破綻するだろう。
それでも浦飯と行動することを選んだのは、一人でいるよりはまだ安心だからなのか。

(男と一緒にいた方が安心できる? ……この、アタシが?)

自分で、自分の考えたことに驚いた。
それは、常盤愛にとって絶対にありえないことだったから。
でも、苦しくないことは事実だった。
男と同じ空間にいただけでいつも感じる不安じみた多大なストレスを、浦飯からはもう感じていない。
すでに嫌というほど、傷つけたり傷つけられたりしたせいかもしれない。
そのことがまた、愛の胸を痛ませた。
男性に信頼とも共感ともつかないモノを持ってしまった以上、これまでにしてきたことを罪だと感じずにはいられなかった。

「しょうがないなぁ……だったら、アタシの奥の手を使ってみてもいいよ」
「奥の手ぇ? そんなものがあったのかよ」
「ほら、『逆ナン日記』。これを使えば、どんな男に会うかが分かっちゃうんだ」

切り札だったはずの未来日記さえ、明かしてしまう。
どうせ自分はロクなことにならないのだから、貸しを作っておくぐらいは悪くないという捨て鉢さもあった。

――アンタは天使なんかじゃない。ただの人殺しの、死にぞこないだ。

神崎麗美から言われたことは、もう否定できない。

「『未来日記』か……数分単位で予知を出すなんて、どのあたりが『日記』なんだ?」
「同感だけど、御手洗清志ってヤツも『男』だしね。まだこのあたりにいるなら、出会うかどうか分かるかもしれないでしょ?」
「なるほどな! じゃあさっそく頼むぜ」

笑顔で頼まれて、愛は予知画面を呼び出す。
しかし、出会いの予知に映し出されたのは御手洗とは似ても似つかぬ『男』であり、二人はそろってがっかりすることになった。

頭頂部のとんがった髪の毛に、こずるそうな表情。
どことなく猿を思わせる、そんな人相の少年だった。
名前欄には、宗屋ヒデヨシと書かれている。




「ちくしょぉ……綾乃おぉぉぉぉ! どこだぁぁぁぁぁ!?」

走りながら首を左右に振って、杉浦綾乃の姿を探す。
時おりは脇道や民家にはいったりして、あの長いポニーテールが揺れていないか目をこらす。
見つからない。
一刻も早く、見つけ出さなければいけない。

植木が一人になることを許したばっかりに、綾乃はいなくなってしまった。
別れる直前だって、熱でもあるのか不自然なぐらい顔を真っ赤にしていたのだ。
哀しみのあまり、様子がおかしくなった可能性ぐらい考えてあげないといけなかった。

(どうする……いったん戻って別の道を探すか?
いや、綾乃が菊地の後を追ったかもしれないなら、学校に先回りしてた方がいいか?)

植木たちのいた場所から学校へ至る道のりには、ふたつの選択肢があった。
ひとつは西を回り込むようにして向かい、一つは北を回り込むようにして向かう道だった。
前者は先行している菊地が通った道だから少しは安全だろうとして後者から捜そうとしたのだけれど、それが裏目に出たらしかった。

こんな時に、居場所を探知するレーダーでもあればすぐに見つけられるのに。
そんなことを考えて歯噛みをする。
しかし、思い出した。

「そうだ! 『探偵日記』があったんだ!」

探偵日記は、同じエリアにいる未来日記所有者の行動を予知してくれる。
そして杉浦綾乃もまた『友情日記』の所有者になっている。
もし綾乃が植木のいる道を通ったならば、きっと反応してくれるだろう。
植木はばたばたとディパックから携帯電話を探し出し、もどかしく予知画面に切り替えた。

そこに映し出されていた予知は――




仲間を置いて、走り出してしまった。
息の乱れと焦燥が、後悔にすり替わるのはすぐのことだった。
しかも一心不乱に走ってきたから、道を間違えていた。
駆け抜けて飛び出したのは、デパートの正面入り口だった。

綾乃はふらふらとデパートの壁に手をつき、ひぅとかすれた息を吐き出す。

植木は今ごろ、きっと慌てふためいているだろう。
菊地だってもう戻ってきて、植木と一緒に心配しているかもしれない。

「私のすることって、こんなことばっかり……」

仲間に何も言わずに単独行動をするなんて、明らかに間違っていることだ。
そんな行動に出てしまったのは、『取り返しのつかないことをしてしまった』という罪の意識から。
仲間と向き合うことさえ、無意識のところでは怯えていた。

「戻ろう……そうしなきゃ。ちゃんとアスカさんのことも教えて、三人で学校に――」

手の甲で額をつたう汗をぬぐい、前髪の隙間から目を刺してくる日差しに顔をそむける。

「あの、いいかしら」
「ひゃぅっ!?」

そんなタイミングで、呼び止められた。
小柄で愛らしい印象の少女と、パーマがかった髪にパーカーの服を着た少年が、少し離れた場所に立っている。
初対面の相手だとか、不意打ちだったとか警戒だとか、そんな理由で固まってしまう綾乃へと、少女の方が近づいてくる。
同性の綾乃から見ても愛くるしいと思ってしまうような、完璧な造形美を持つ少女だった。

「その制服……もしかして、吉川さんのお友達なの?」

まさに、渦中の知り合いのことを持ち出された。

「え……吉川さんを、知ってるんですか?」
「ええ、さっきの放送の少し前まで、何人かの仲間と一緒に行動していたの。
それぞれにすることができたから、今はこうして別行動をとっているんだけどね」

ふわふわのツインテールをした、守ってあげたくなる雰囲気の子よね、と。
共通する話題を見つけられて嬉しがるように、綾乃との出会いを素直に喜んでいた。

「あっ、名乗るのが遅れてごめんなさいね。
あたしは相馬光子っていうの。こっちの男の子は御手洗清志くん」

そうか。
この人は、その吉川さんが死んだことを、まだ知らないんだ。

そう思ったことが、引き金になった。
警戒していた心が緩む。涙腺が熱くなる。

「っごめんなさい、吉川さん……私の、せいでっ」

伝えなければと思うのに、涙とか認識してしまった現実とかでいっぱいいっぱいになって、上手く言葉にならない。
いきなり泣き出した綾乃に対して、それでも相馬は優しかった。
なだめるように、「大丈夫、大丈夫だから」と落ち着かせてくれる。

「何があったのかはしらないけど、ゆっくりで構わないわ。
まずは中に入って、話しましょう?」
「…………はい」

きっとこの人と一緒にいた間は、吉川さんも安心だったのだろうなと思った。



事情を説明する前に植木たちのところに戻りたいと要望したのだけれど、相馬は男性である御手洗くんに呼びに行ってもらった方がいいと申し出た。
御手洗も気安いことのように、ひとっ走りしてくると言っていなくなる。
彼女らの話によれば、もともとデパートを離れようとしていたところを、走り過ぎる綾乃を見つけて引き返してくれたらしい。
使いに走らせるようで申し訳なかったけれど、綾乃も相馬にちなつのことを伝えたいと思っていたので、その提案を受け入れた。

「そう……それなら、少なくとも式波さんは無事なのね?」
「はい……殺し合いに、乗ってたはずだって聞いたんですけど……」
「そうねぇ……言われてみれば、思い当たるフシがあったかもしれないわ。
私たちの中で一番強い御坂さんを、やけに邪魔者扱いしていたし」
「じゃあ、殺し合いに乗ってた人をかばって、吉川さんは……」
「私たちと会う前に改心した可能性もあるから、断定はできないわ」

ちなつを見殺しにしたことについて、相馬はちっとも綾乃を責めなかった。
私だって、放送で大切な人が呼ばれたりしたら同じことになったはずだからと言って。

「むしろ、杉浦さんの方が私より辛かったはずよ。この殺し合いに呼ばれる前からの、友達だったんでしょう?」
「どうして、そんなに優しいんですか……」

だから、なのだろう。
時間がたつにつれて、懺悔の時間は、心のうちを吐き出す時間になっていた。

「私は……人を殺さないで済む方法を知りたかったんです。
それは、自分が死ぬのも嫌だけど、友達が殺されたり、殺すところを見たくなかったから。
でも、そんなことを言っておいて……友達が殺されるのに、何もできなかった」

初めて会った人に、こんなことを言ったって仕方がない。
分かっているのに、慈愛にみちた相馬光子の優しい目が続きを促すから、綾乃の言葉は止まらなくなっていた。

「どうして、なんでしょう。
私だって、ごらく部のみんなだって、
菊地さんも植木くんも碇くんも式波さんも綾波さんも越前くんも御手洗さんも相馬さんも、
その友達の人たちだって! 
殺し合いたくなかったはずなのに。そんなことしたくないって思ってるのに。
どうして、人を殺さないでいるだけの、簡単なことが叶わないんですか……」

決まっている。
殺さなければ殺されると、脅されているから。
理解できるのに、認めたくない。
認めてしまっても、『じゃあどうすればいい』と問われて答えられないから。

「杉浦さん。自分を追いつめてまで考えることはないのよ」

相馬が幼な子を慰めるように、綾乃の頭をなでた。
慈母のような笑みを浮かべて、告げる。



「だってそんな方法、無いんだもの」/「だってそんな方法、無いんだから」



「え……?」

眼前にあるのは、恐ろしいまでに完璧な笑みを貼りつけた相馬光子。
そして、背後からは、植木たちを呼びに行ったはずの御手洗の声。

ぞくりと寒気を感じ取り、振り向いて、さらに戦慄する。

「ありがとう。もう貰えるだけの情報は貰えたわ」

そこには、綾乃の背丈より大きい“水の化け物”がいた。
ハリウッド映画のポスターなんかでしか見かけないような、ミュータントだかエイリアンだかと形容される二足歩行の生き物が、綾乃の近くまで忍び寄っていた。
御手洗が、ぺたんと座った綾乃を冷たい眼で見下ろしながら、その化け物を従えていた。

「だからさよなら」

どぱぁっと、津波のように化け物が覆いかぶさってきた。

水が、水が、水が、水が、水が。

奇妙な粘性のある液体に、全身を叩かれた。
全身が一瞬で濡れて、またたくまに“水”の中へと取り込まれる。
鼻から、口から、容赦なく水が流入する。
水の侵入と同時に鼻孔をじーんとする痛みが貫いて、前後不覚に陥りかける。
口から浄水フィルターのように大量のあぶくがガボガボと漏れた。
溺れる。
なんで。
どうして。
相馬さんたちが。

恐慌から一心不乱に手足を掻いて、水の外へ出ようともがく。
それなのに、のばした手は水の外へと突き抜けない。
粘性のある壁に阻まれるように、水の境界は断絶されていた。
絶望が、綾乃の心を染める。
凝らした視界の向こうには、微笑んだままの相馬光子が立っていた。

「だって杉浦さん。人を殺すのなんか、簡単じゃない」

水に阻まれているのに、相馬たちの声は不思議なほどによく通った。

「あなたは方法さえ見つかれば殺し合いは止まると思っているようだけれど、
他に方法があったって人を殺す人間はいるのよ? だから、止める方法があったって無いのと同じ。
これってなんて言うのかしらね……逆説? 演繹? あたし、勉強は苦手だから分からないや」
「しいて言えば、『反証』に当たるだろうね」

今度は後ろから、御手洗が楽しそうな声を出した。
酸欠から真っ赤なアラートが激しく点滅する頭で、二人の言葉はガンガンと反響する。

「光子の言う通りだよ。人間は醜い。
君は僕らがただ殺したくて殺し合いに乗っているなんて、想像もしていなかったんだろう?
僕らに限ったことじゃないよ。ちょっとしたきっかけがあれば、人間は簡単に殺人を肯定するようになる。
現に、もう半数以上が死んでいるじゃないか。今さら、『殺さないですむ方法』なんて手遅れさ」

手遅れ。
胸がズキリと痛む。
そう、手遅れには違いない。
歳納京子も赤座あかりも、吉川ちなつも死んでしまったのだから。
そして、綾乃も――。

(わたしの……してきたことって…………)

「そうね、悪意をどうにかする方法があるなら、私だって『こんな』になる前に誰か助けてくれたはずだわ。
べつにあの国に限ったことじゃなくて、どういう世界にもいるはずよ。
レイプされる小さな女の子とか、悪い道に誘われる中学生とか。
良かったわね。たまたま汚いものを見ないで育つことができて」

その言葉は、まるで『私たちは何も悪いことしていないのに』と嘆くことさえ否定しているかのようで。

水ごしによって輪郭のゆらゆら歪んだ相馬の姿が、もはや幽鬼か何かのように見えた。
酸欠が激しくなるにつれて、視界はさらにぼやける。
水を掻く手の力さえ、喪ってゆくのが分かる。

「やっぱり溺死させるのは面倒だね。時間がかかる」
「でも、刺し殺したり殴り殺したりすると、争った跡や返り血が残るかもしれないもの。
一長一短ってところかしら……」

そんなやり取りが聴覚に届いたけれど、もはや意味を認識する力はなかった。

(ごめんなさい、植木くん……こんな終わり方でごめんなさい、菊地さん……)

なぜか。
死んだら歳納京子に会えるのかな、という思いより。
こんなところで菊地とお別れするのは悲しい、という思いが勝っていた――

(もっと、色んな、話、して、みたかっ――)







――ガァン、と鈍い音が、なくしかけていた聴覚を揺らした。




「ぐあっ……!!」

鈍い音とともに、ピンポン玉ほどの小石が御手洗の右目を直撃した。
いかに“水兵(シーマン)”が強力でも、御手洗自身は生身の中学生にすぎない。
耐えきれず膝をつき、その手で目元をおさえる。

「御手洗くん!?」

御手洗がうずくまり、光子の視線がそちらを向いた隙をついて。
長髪をなびかせる人影が、矢のように迫った。
非常口の方角から、だ、だ、だ、と大股で接近し、相馬光子の背後をとり、捕える。

「まったく……ちょっと危機感のあるだけのお人好しかと思ってたら、とんだ役者だったようね」
「光子!」

式波・アスカ・ラングレーが、相馬光子を羽交い絞めにしてとらえ、喉元にはどこにでも売っているような包丁をあてがっていた。
光子の首を絞める左腕の手先には、御手洗の右目を撃ったパチンコが握られている。

「ほら、ミツコが大事なら、さっさとそこのそいつを解放しなさいよ。
一応、借りを作ってるヤツの知り合いみたいだから、見殺すわけにもいかないのよね」

光子のきゃしゃな首に包丁の先端を食い込ませると、御手洗は苦々しく舌打ちをした。
“水兵”が吐き出すようにして杉浦綾乃を領域外に放出する。
どさりとアスカたちの近くに転がった綾乃はしばらくその身を震えさせていたが、やがて激しく咳きこみながら水を吐き出した。
アスカはほっとしたように息を吐き、さらに命令する。

「それじゃあ、次はその変な水の化け物を始末してもらおうかしら」
「……残念だな。そいつは一度出したら元には戻せないんだ」
「嘘ね。こんな目立つものを戻せないなら、一般人を殺す為だけにホイホイ出したりしないはずよ」
「じゃあ、そのポニーテールの子は見逃してやるから、拘束だけは解いてくれないかな。
君だって、その子への借りを返したいってだけで、殺し合い自体には乗っていたんじゃなかったっけ?
今の僕たちは信頼度が皆無だろうけど、残り人数を効率よく減らす為にも、今ぐらいは見逃してくれたっていいんじゃないかな」
「同類扱いしないでくれる? 機をうかがってれば、殺し合いに乗ったヤツは醜いとか、誰も助けてくれないとか、人のことまでひと括りにして。
殺し合いに乗ったヤツが、みんな殺したくて殺してると思ってんじゃないわよ。
それに、『とっさに体が動いた』とか言って助けてくれるヤツだっているのよ」

げほげほと咳きこむ少女が、はっとしたような顔をアスカへと向けた。



血がしたたる右目をおさえたまま歯ぎしりをする御手洗を見て、アスカはほっと安堵する。
包丁が光子の喉を切り裂くまで、たいした予備動作はかからない。
使役された水がアスカや綾乃を襲うより早いだろう。だから、どうにかなりそうだ。

そんな余裕から、慢心を持ったことは否めなかった。

「……光子に言われたとおり、保険をかけておいてよかったよ」

背後に、立たれる気配。
もう一匹の“水兵(シーマン)”が触手じみた腕を伸ばし、包丁に絡みついた。

「なっ……!?」

“水”の内部と外部は断絶されている。
いくら刃が光子の喉元にあっても、水の“領域(テリトリー)”はぴったりと包丁だけを絡め取り、光子を刃から解放した。

「この……くっ!?」

とっさに、包丁を手放してしまうアスカ。その隙に光子は、安全地帯である御手洗のそばへと逃げる。
攻撃し放題になった“水兵”が逆の腕を振り上げ、アスカの腹部にめりこませた。

「ぐっ……がっ……あ゛っ……!」

胴体を貫く連続的な打撃が、体を宙へと持ち上げる。
下から突きあげるような拳がアスカを軽く吹き飛ばし、数メートル向こうのレジテーブルに叩きつけた。

「……っ……げほっ」

腹部をおさえてうずくまるアスカを見おろして、光子は大きく息を吐いた。

「デパートにいた時から、どうにも煮え切らないところのある子だとは思ってたけど……こんな無茶をするなんてね。
吉川さんに庇われて、そんなに感動したのかしら」
「けほっ…………ようい、しゅうとう、なのね」
「前にもこういうイベントを経験したことがあってね。
修羅場の真っ最中に横やりを入れられたことがあったから、学習したのよ」
「おい、それはさっきの放送で悼んでた、滝口ってヤツのことか?」
「あら。御手洗くん、妬いてるの?」

仲睦まじそうな会話が交わされる間にも、“水兵”は腕の先端を槍のように尖らせ、アスカにとどめをさすべく迫っていた。

「ほけん、ね…………それは」

アスカは水の怪物を見上げ、しかし臆さず笑ってみせる。

「……こっちも、だっちゅーの!」

びゅん、とディパック状の何かが床に投げ出された。

次の瞬間に、破裂。
パンパンパンパンパンパンと、盛大な着火音がデパートの床を埋め尽くした。

発生するのは黒煙。白煙。あざやかな花火。
足元を火花を散らして駆けまわる、ネズミ花火に似た何か。
火災報知器のベルの音と、スプリンクラーからの放水。
様々な種類の火煙と水煙が、全員の視界を曇らせた。


最終更新:2021年11月02日 15:50