観測 ~或の世界(前編)~ ◆j1I31zelYA



『さて、これで未来日記『The Rader』に関する説明は終わりなのじゃ。
もっとも、お主には今さら説明するまでも無かったかの――秋瀬或』
「確かに、目新しい情報はいただけませんでしたね。
何の前触れもなく、ルールも登場人物も一新された殺し合いに呼ばれたというのに。
開口一番に『ルールに関すること以外の質問を禁止する』とは」
『嫌味を言っても無駄じゃ。お主に余計なことを教えたら要らんちょっかいをかけてくることは分かりきっておる』
「では、なぜ僕を招待したのです? サバイバルゲームの参加者でもなければ、日記所有者でもない僕を――。
いや、この『The Rader』と契約すれば所有者にはなれると」
『無駄口をたたいてないで、さっさと契約するかどうかだけ答えるのじゃ』
「無駄口とは心外な。僕は貴方がたの手間を省いて差し上げたいんですよ?
僕がただ従順に従うはずないと分かりきっていて、殺し合いに呼んだ。
つまり、僕に対して何らかの役割を期待しているということだ。
貴方達は、僕に何をしてほしいんです?」
『別に、じゃ。お主はただその日記を使ってこれまで通りに『観測』しておればよい。
役割というならデウスのいない世界に来た時点で、お主の役割は終わっているのじゃから
――まぁ良い。これ以上の会話に費やす時間もないし、切らせてもらうぞ。
『契約に同意した』と見なしても良いようじゃからの――――ブツッ、ツーツーツーツー』


それが、最初の記録。
『すべてが死に絶える未来(ALL DEAD END)』を告げられる前の『観測者』が訊ねた、自分が存在する意味についての会話。




「デパートに向かおう」

秋瀬或の決断は、それだった。

その選択をした理由は大きいものから小さいものまで。メリットもあればデメリットもある。
しかし、大きな理由をひとつあげるとすれば、『後手に回らないため』というものだ。
現時点で最大級の要警戒人物であり、デパートに向かってくる可能性も低くない、我妻由乃。
彼女は雪輝日記を持っており、こちらの動向はすべて筒抜けになっている。
しかし、こちらの手には彼女の動きを追えるような未来日記がなく、参加者の位置情報を把握するためのレーダーも携帯電話の電池切れで作動不可能となっている。
仮に当座の危険を避けるため、あるいは我妻由乃を呼びこまないためにデパートを避けたとしても、これだけ情報量の差があれば常に先手を取られ続けることになる。
だとすれば、急務となるのは『携帯電話の充電器』を確保すること。
病院の売店にもそれが見受けられなかった以上、その品揃えが期待できるのは『デパート』か『ホームセンター』ぐらいのものだろう。
さすがに一日近くが経過した今になって通話とメールを解禁しておきながら、会場のどこも携帯の充電ができないということはないはずだ。
だとすれば、ここは虎口に飛び込む危険を冒してでもデパートに向かう。
到着すれば、秋瀬或は迅速に家電売り場から充電器を調達。その一方で他の三人は杉浦綾乃の確保に専念しつつ、我妻由乃の襲撃に備えた警戒態勢を敷くこと。

そういった説明は、病院の駐車場へと降りていくまでの行きしなで済まされた。
とはいっても、三人に口頭で説明してしまえば、その会話はそのまま雪輝日記に反映され、こちらの意図(レーダーを持っていること)を読まれてしまうだろう。
よって、越前リョーマと綾波レイに対しては、カルテの余白を使ったメモ書きを渡すことで(左手で書いたのでかなり乱雑な文章になったが)、天野雪輝を経由せずに情報を渡す。
そして、天野雪輝に対しては、

「御手洗清志と相馬光子を撃破することには固執しない。
むしろ、最低限の充電と救出さえ完了すればデパートから離脱することも視野にいれていこう」

ひそひそと。
天野雪輝の、左の耳に。
愛の言葉でも、囁くように。

クレスタの助手席に座り込み、シートベルトを片手で締めながら、秋瀬或は説明を終えた。

「わ、わかったけど……『この』対策、本当に大丈夫なの?」

耳元で囁き声を聞かされ続けた雪輝はとても恥ずかしそうで、頬も少しだけ赤身がさしている。
もっとも、秋瀬或に対してドギマギしているというよりも、単純に『この手のシチュエーション』に耐性がないだけなのだろうが。
どっちにしても、とても可愛らしく好ましい顔だったので、これも役得だということにする。

「『こんな方法』で未来日記をかいくぐろうとするなんて初めてだから、確証はないけどね。
理論的には、この方法で大丈夫なはずだよ」

『雪輝日記』は、10分刻みに天野雪輝の行動を記録した超ストーカー日記だ。
つまり、『無差別日記』が天野雪輝の視点による情報を元にしているのと同じく、『雪輝日記』もまた『雪輝をストーカーする時の我妻由乃の視点』で情報を捉えていることになる。
この『ストーカーの視点』というのがどれほど雪輝のそば近くに寄り添ったものかは分からない。
しかし逆に言えば『絶対に天野雪輝の視点でしか知りえないこと』ならば『雪輝日記』では予知できないと解釈できる。
たとえば『雪輝以外の人間がそばにいても決して聞き取れないように、声をひそめて耳元でひそひそと囁いたこと』ならば、会話の内容まで伝わらないはず。
かつて雪輝を軽井沢の監禁から救けだし、我妻から引き離していた時は『雪輝日記からの情報を制限すれば、かえって我妻を刺激するのではないか』と警戒して使えなかった手段だった。
ただ、こちらとしても、雪輝に顔と顔が触れそうな距離で話せるのは嬉しい。

「もっとも、僕らが車でどの進路を選んだのかは『雪輝日記』にも隠しようが無い」

運転席に座った雪輝が、頷きつつクレスタにエンジンをかける。
こちらもちょうど、目的地に関する会話は終わったところだ。
名残惜しくも顔を引いて、話し方を元に戻した。

「そうでなくとも、さっきのメールが我妻さんにも届いていたら、彼女自身もそこに向かおうとする可能性はある。
最悪は目的地に先回りされている可能性も考慮すべきだね」

雪輝が深く頷くのと同時に、エンジンが唸り声をあげた。
かつて『大人として、クレスタに乗ろう』というキャッチコピーで売り出された壮年男性の御用達セダン車が、四人の未成年者を乗せて出発する。
後部シートに座っていた綾波レイが、最終確認でもするように隣の少年に尋ねた。

「越前君、怪我は本当に大丈夫?」
「綾波さん、心配しすぎ。もう充分すぎるくらい休んだし、腕だってちょっとヒビが入っただけなんだし」
「今、『だけ』って言った?」

助手席から視線を上げてバックミラーをのぞけば、越前の副木で固定された右手をじっと見ている綾波がいた。
先刻から右隣に付き添って、右腕を動かす必要が生じたらすぐに代わりができるよう目を配っている。

「それに、綾波さんがしっかり手当してくれたから痛みも引いてるし。足も体の打撲も、今はぜんぜん」
「良かった……どうして目をそらしながら話すの?」
「そりゃ手当てされる時にジャージ脱がされたり……ゴホン。
そ、それより聞きたいんスけど――」

病院の出口へと車のハンドルを回しながら、雪輝がフンと鼻を鳴らした。
それはそうだ。愛する人と出会いがしらに殺し合うかもしれないのに、後部座席で少年少女の仲良しごっこを見せられるなんて、まったく愉快ではないだろう。
しかし、

「綾波さんはさ、人、殺すの?」

その言葉で、会話の緊張感が変わった。
助手席にいた秋瀬或は、その言葉でやっと気がついた。
綾波の両手には、いつの間にかベレッタM92が握られている。
扱い方でも、確認しておこうとするかのように。

「戦うためなら撃つ。殺すかどうかは、その時にならないと。
高坂君に止められた理由も、よく分からないままだし」

淡々とそう言った。
バロウ・エシャロットを殺そうとして高坂王子に庇われたことは、彼女としても尾を引いているらしい。

「殺したい気持ちのまま殺そうとすると周りが見えなくなるって、あの時分かった。
でも、私は――越前君を殺そうとする人が死ぬより、越前君が死ぬ方がいやだから」

バックミラーに映る綾波は、拳銃を見下ろしながら話していた。
だから、自分の言葉を聞いて隣にいる少年がどんな顔をしたのか、気付かなかった。
気付いていたら、とても驚いたかもしれないのに。

「越前君は、怒る?」

車が50メートルほど走って病院の正門をくぐりぬけるまでの間、答えに困るような沈黙があった。
目的語を欠いた問いかけだったけれど、意味は明瞭だった。
越前が神崎麗美をギリギリまで殺さなかったことを、『そちら側』を選べない人間だったことを、綾波も秋瀬も知っている。

「だったら、綾波さんは戦わなくていいよ」

それを聞いた綾波が「えっ」とつぶやいた声にかぶせるように、越前が早口になる。

「俺が戦えば済むことじゃん。
バロウも、デパートにいる奴らもみんな俺が相手する。
綾波さん真面目だから、人を殺したら悩んだり自分を責めたりとかしそうだし。
俺の心配するより、もっと自分のこと考えた方がいいよ。だいたい、俺の方が綾波さんより強いんだし、できるだけ殺さないようにやるし――」

その少年は、本人いわく、正しくなんかない。
だから、人の行動を『間違っている』と決めつけられない。
だから、綾波から『死ぬかもしれない』と言い放たれて、動揺している。

「私は、弱いから足手まとい?」

だから、相手が『戦わなくていい』と言われて納得するはずないと、頭が回っていない。

「越前君は強いから、私を守ってくれるの?
なら、私を置きざりにした方がいいと思う。
いっしょにいない方が、いいと思う」

それは禁句だ、と秋瀬でさえ認識した。

「そんなこと言ってない!!」

車の天井が揺れるかというほどの叫び声があがり、そして沈黙が降りた。
車のエンジン音と走行音に、微かな音が混じる。
後部座席で、喘ぐように息が吸われる音だった。
吐くと同時に、絞り出すような声が出る。

「……俺だって、綾波さんを殺そうとする人が死ぬより、綾波さんが死ぬ方がいやだよ」

ここまでこじれては、横やりを入れるべきかと判断した。
だから、秋瀬は口を開いた。



「やめなよ」



そう言ったのは、秋瀬ではなかった。
意外な人物だった。
後部座席にいた二人も、驚いた顔で視線を運転席に向ける。
ただし、声をかけられたことに驚いたというよりは、
すぐ前の座席に二人ほど座っている場で言い合っていたことをやっと思い出したようなそんな驚き方だった。

「彼女に汚れ役をかぶせたくはない。
だから、彼女が『君に戦いを押し付ける役』になる分には構わない。
たとえ自分が将来的に汚れ役になったとしても、彼女の意思をねじ曲げても。
それってメチャクチャ矛盾したこと言ってる自覚ある?」

ぐぅの音も出ないほどの見事な正論だった。
後部座席の、その左側が唸った。
何も言い返せないようだった。
やがて、悔しまぎれのように言う。

「…………分かった風なこと、言うじゃん」
「これでも君よりずっと先輩だよ? 特に、『そういう事』は」

余裕のある笑みが似つかわしい声。
しかし助手席の秋瀬からは、運転手の眼が笑っていないことも見えた。

「よーするにアンタも、彼女のために危ない役をやろうとしたの?」
「まさか。僕はちゃんと由乃を叱ったり諌めたりしてきたよ」
「……あ。もしかして、逆に我妻さんに戦わせて守ってもらってたとか」
「なんで君はいちいち人の神経を逆立てるのかなぁ。
言っとくけど、途中からはしっかり由乃と力を合わせて殺すようになったからね。自慢するようなことじゃないけど」

二人の会話を聞くうちに、納得した。
要するに越前を心配したというより、彼に腹を立てて綾波の肩を持つために口をはさんできたらしい。
そりゃあ、苛々もするだろう。
『もしもの時の殺人も含めて全部自分がやるから、貴方は私を頼ればいい』と言われるのは、かつての雪輝も経験したことだし。
それを目の前で、よりによって男の子の側が、さも勇ましく女の子を守るために言い出して、
しかも『できれば殺さない方が絶対にいいはずだ』というキレイごと成分を増量して発言されたりしたら、ムカつきたくもなる。
うん、雪輝君は悪くない。

「で、彼女に何か言いたいことがあったんじゃないの?
ホラ言いなよ、僕と秋瀬君にも聞こえてるけど、それは気にしないで」
「う…………ぐ……」

しかし、色々な年季でも、経験でも、雪輝の方が圧倒的に勝っていて。
バックミラーに映った越前が悔しそうな敗者の顔だったのは、少し愉快ではあった。
『運転席にいるヤツをいつかグラウンド百周以上の目に遭わせてやりたい』と考えていそうな目で、しばらく躊躇した後、
ゴホン、とわざとらしい咳払いをひとつして。

「綾波さんに、任せる」

車の中は、外の闇に侵食されて、薄暗くなり始めていた。
だから、綾波の方を向いた越前の顔が少し赤かったのも、見間違いかもしれないが。

「だから、綾波さんも俺に任せてよ」

色々な言葉を削った言い方だったけれど、綾波は必要な範囲で理解したように頷いた。

「でも、もし綾波さんが何か間違えた時は、その時は一緒に背負うから」

綾波が、少し首をかしげることで『どうして?』と尋ねて。

「俺、綾波さんのことは…………パートナーだと思ってるから」

綾波は、声に出して何かを言わなかった。
ただ目に焼き付けるように、まばたきも忘れたように、じっと彼のことを見ていた。

運転席の雪輝は、愉快な顔から一転して、フンと鼻をならした。
会話の余韻が途切れた頃合いを見計らって、越前へと話を振る。

「でも、意外だよね。コシマエはこの期におよんで、バロウって子を殺さずにどうにかするつもりなの?」

視線はハンドルと車の進行方向を見ていたけれど、眉をひそめていた。
越前も運転席を見て、似たような表情を作る。

「綾波さんも碇さんのことがあるから、そっちを決めるのは綾波さんになるけど……まずは、決着をつけてからにする」
「でも、大切な仲間とか、知り合いとか、あと高坂だってそいつに殺されてるんだよ?
殺す気で戦わないと逆に殺されるかもしれないし、他にも犠牲者がいるかもしれない。
由乃に遠山を殺されても仲を戻そうとしてる僕が言うのもなんだけど、心が広すぎじゃない?
コシマエがそいつを殺しても、十人が十人とも責められないぐらいの事をされてるよ、それ」
「なんでアンタがそこ気にするの?」
「僕が殺し合いに慣れすぎてるのか、君の方が普通なのかどうか、気になったから。
昔の僕だったら、大切な人を殺した日記所有者は殺してやろうと思ってたし」

天野雪輝は、とても優しくて、人によっては甘いとも言われる少年だ。
自身を殺そうとしたばかりか母親を殺してしまった父親に対しても、父が涙を流しながら謝罪したことでその罪をあっさり許したという。
大切な人間がどれだけ罪に汚れていたとしても、その情が揺らぐことはない。
しかし、逆に言えば。他人に大切な人を殺され、しかも犯人がそのことを悪びれもしないような人間だったならば、良心の呵責も容赦もしない。
両親が死ぬ原因を作った11thには本気の殺意を向けていたし、仮に『勝ち残って皆を生き返らせる』という目的がなかったとしても11thだけは復讐から殺していたのではないかと秋瀬は推測する。

「天野君は、もし我妻さんを殺そうとする人がいたら、その人を殺すの?」

そう問いかけたのは、綾波だった。

「そうしなきゃ由乃が守れないなら、殺すよ。君は、違うの?」
「守りたい人が、それを望まないかもしれないから」
「そっか、そういう考え方もあるよね」

越前は、雪輝に答えるより先に、綾波に尋ねていた。

「綾波さんは? 碇さんの仇、取りたい?」

綾波は少しだけ考えるような時間をかけて、そして頷いた。

「前にも言ったけど、やっぱりまた会ったら殺したくなると思う」
「正直、俺もそう思う」

「「え?」」と。
意外な返答に、綾波と雪輝が驚いたようなつぶやきをもらす。

「あの時はとっさのことだったし……綾波さんにああいう終わらせ方をしてほしくなかったから止めたけど。
部長も神崎さんも碇さんも高坂さんも帰ってこないのに、殺した方は一回倒して反省させればそれで終わりなんて、ムシが良すぎるじゃん。
しかも、本人に訊いたらそれが『ベストの方法』だって。
そんな奴を助ける義理なんてないっスよ。
ってゆーか、別に助けたいとも思えないとこまで来てる。
でも俺、アイツに『教えて』って聞いたことを、まだ教えてもらってない。
……それに、いちおう部長からも皆で何とかしろって言われたし」
「その遺言のことは、もう時効にしたっていいんじゃない?
その遺言が出てから、少なくとも三人以上が殺されてるんだよ。
そんな行くとこまで行っちゃった人を救うなんて無茶だと思う」
「かもね。でも、なんか違うんじゃないっスか。
そんなこと言い出したら、俺は我妻さんのことも仇討ちしなきゃいけないし。
それに、あの人は殺すとかこの人は殺さないとか、いちいち決めてかかるのが『柱』だったら、そんなのやってられないし」

それは、最終的に殺す以外の終わらせ方ができない相手だったとしても、
何も分からないまま、覚悟も決めずに殺したくはないということなのか。
甘い、と秋瀬は思った。雪輝も同じことを思ったのか、ため息を吐いた。

「まぁ、僕としてはその方がいいけどね。
君が由乃のことも許せない殺すとか言い出したら、僕は君を殺さなきゃいけないし」
「なんで本気かどうか分からないことをそんなしれっと言うんスか」
「本気だよ」
「アンタさぁ……」
「越前君」

喧嘩のようなそうでないようなものが勃発しかけたところを、綾波の一声が遮った。

「前から聞きたかったけど……『柱』って何?」

ずばり。

「え……それは…………だから……つまり……」

今までごく当たり前のように使ってきた言葉の意味を尋ねられて、越前はとたんに返答に窮していた。
深く考えずに使って来たのか、当たり前に使いすぎて他の言葉で説明するのが難しいのか。
しかし綾波は、「もうひとつ」と前置きしてさらに尋ねる。



「中学校のクラブ活動の『柱』だったら、殺し合いに巻き込まれたときに皆の『柱』になるの?」



実は秋瀬もひそかに引っかかったけど、指摘するのは野暮かなぁと言わなかったことを言った。言ってしまった。

「ならないよね。むしろ、なろうとする方がおかしいよね」

さらに雪輝が追い打ちをかけた。
越前が、何か言おうとした顔のままで固まる。

「君たちのテニスが普通じゃないのは遠山を見てたら察したけどさ。
それにしたって、殺し合いやってるのに『テニス部の柱だから、ここでも脱出派の柱になる』とか言われても、普通は『なんで?』って思うよね。そういう役職じゃないよね?」

秋瀬視点で捕捉すると、最初にそう言った手塚国光は、月岡彰にも『お前たちが』柱になれと言ったそうなので、別にテニス部限定で柱を指名したわけではないのだが。

「い、いいじゃん別に……や、やりたくてやってるんだし?」

微妙に綾波から目をそらし、というかほとんど目を泳がせながら、越前は言う。

「じゃあ、『柱』って何をするの?」

そう問いかけられて、改めて考えるように遠くを見る目をした。

「少なくとも、俺にとっては――」

集団の精神的支柱。みんなの頼れる牽引役。チームの仲間を勝利へと導く存在。
普通はそういう意味合いだし、だから秋瀬もそういう答えが出ると思っていた。
しかし、

「――『新しい世界』に、連れて行ってくれる人」

少年はそう言った。
しかし、「違うな……」とつぶやき、すぐに言い直す。

「『新しい世界』に行ってみたいって、思わせてくれる人。
なんか、綾波さん見てて、そう思った」

その『新しい世界』が、彼のいた場所では全国優勝だったり、海の向こうだったりしただけなのか。

「皆で、『油断せずにいこう』って」
「どこへ?」
「どこかっ」

きょとんとする綾波を見て、「たぶん楽しいところ」と付け足した。
綾波は、「どこか」と、「楽しいところ」と、おうむ返しのように復唱する。
まるで生まれて初めて『楽しい』という言葉を聞いたかのようだった。

「……ふーん。僕は由乃がいて一緒に星を見られたらそれでいいよ」

雪輝が口を挟んで、初々しい余韻を壊しにかかった。

「別にアンタのためにやってるわけじゃないし」

バックミラーから見られていることを知らない越前が、『べー』と舌を出す。

よく喋るようになったかと思えば、かえって犬猿になったようでもあり、おかしな二人だった。
お互いに、お互いへの対応が一貫していないこともある。
二人のこじれた関係を正したかと思えば、仲直りしたらしたでむすっとしたり。
『柱』として接したかと思えば、『アンタのための柱じゃない』と言ったり。
おそらく、うかつに「ずいぶん仲良くなったね」などと空気の読めない台詞でも吐けば、
二人ともから息ぴったりで「「仲良くなんかない」」と唱和されるだろう。

実際、この二人を険悪にしかねない要素ならば色々とある。
天野雪輝の恋人が越前の友達を殺害して、しかも雪輝がそれを見殺しにしたとか、そういう事情もあるし。
目の前で仲睦まじい二人を見せつけられていることもあるし。
かたや平穏な日常を望みながら、傍観者として生きていたのに、クソッタレな戦火に放り込まれてすべてを失った身の上だったり。
かたや日常の中で変化を望みながら、チームの柱として、危険ではあっても楽しい戦場ですべてを獲得してきた身の上だったり。
かたや自分に自信がない少年で、かたやたいそうな自信家で。
かたや思慮深く、しかし急場になるとたいそう肝が据わった殺し合い経験者の中学生で。
かたや考えるより行動で、しかし急場になると人を殺す覚悟もなにもない、ただの中学生で。
あの高坂王子なら、ばっさり「元ぼっちとリア充だろ? そりゃ気が合わねぇよ」とか身も蓋もなく言ってしまうかもしれない。
それでも、今のところは一蓮托生としてここにいる。

彼が望んでいる役割は、『柱』だった。
ある意味では、ある少女(?)が回答した『遺志を継ぐ者』とも似通っているかもしれないが。

どうやら、己の役割をあらかじめ持たされた中学生は僕だけであるらしい。
車内での会話が鎮火してきたことを契機として、秋瀬或はそうひとりごちた。
ここ一日の記憶を検索し、これまで会った少年少女のことに意識を潜らせていく。

最終更新:2021年09月09日 20:17