言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、俺は俺を騙すことなく生きていく  ◆j1I31zelYA


跡形もなくなった。
違う、『跡形だらけになった』と表現すべきだろう。

天を突く塔のような建造物がひとつ、ごっそりと崩れ落ちたのだから。
ここはさしずめ神様のごみ捨て場だろうかというほどの瓦礫が、小高い丘を一面に埋めつくして鉄筋の山と成していた。
今になってもまだ瓦礫が崩れ足りないように陥没を起こす音が響いて、時おり地面を余震のように揺らす。
月灯りのしたに輪郭だけを残して、『跡形だらけ』は夜闇へと埋没していた。
百メートルは離れていようかという、この杉林にさえコンクリートの塊がごろごろと散乱している。

あの瓦礫の山の最下層に、何人もの中学生が、何十匹もの犬たちが、埋もれて眠っている。

杉林の合い間からその光景をのぞいて、悪趣味な塚のようだと七原は思った。
文字どおりの一括埋葬。破壊した者も、破壊された者も、等しく飲まれて見えなくなった。

「植木は、『死にたくねぇ』って心の中で思ったとしても、言わない奴だったんだ」

菊地善人と名乗った少年は、そう言った。
横目に見ていたのは、そんな瓦礫の雨に打たれた少年の死体だった。
崩れ落ちたホテルの中から、七原によって転移させられて。
尋常ではない量の赤い血液でその身を汚したまま、永遠に動かなくなっている。

「俺、最初は植木耕助って奴はズレてるんだと思った。
哲学者のカントっつうおっさんが『道徳形而上学言論』の中で『正義の源は行動ではなく動機にある』とか書いてるのを読んだことがあってな。
おおざっぱに言うと『正義かどうかが決まる法則は、最善の行動をしたかどうかじゃなく、自分を犠牲にして他人のために尽くす動機があったかどうかで決まる』っつう理論なんだが。
俺は最初、『植木の法則』もその類だと思ってた。最初から正しかったんだ。
でも、正しすぎて周りとズレてて、バロウが襲ってきた時も、率先して自分が盾になって。
皆を守るのが当たり前で、自分が真っ先に死ぬようなことをして。
正しいだけで、こんな場所だと何も守れないかもしれない。そういう危うい奴なんだと思ってた」

菊地善人は、片膝をたてて座ったまま話している。
少し離れた位置に横たえた植木耕助を、埋葬しようという動きは見せない。
埋めたくない気持ちは、七原にも理解できた。
植木から間隔を置いて、さっきまで一緒だった少女も寝かされているから。
誰も掘り返さないホテルの跡地に埋められる瀬戸際から連れ出したのに、また地面の中へと遺体を埋める。
弔うためとはいえ、『どう違うのだ』と思ってしまうだろう。

「話を聞く限りだと、えらく我が儘な奴だな。付き合わされたら心労で死ねそうだ」
「……そうかもしれないな。勝手だったのかもしれない。
でも、シンジが死んでからは、身勝手じゃなくなっていったんだ。
 それに、俺の考えていたことだって違ってたんだ」

語られる植木耕助という人物像は、七原にとって意外でもあり、どこか納得する印象でもあった。
宗屋ヒデヨシやテンコと情報交換したときは、植木耕助とはたいそう頼りになるヒーローのような男だと聞いていた。
それはそれで、誤りでは無かったのだろう。少なくとも、無条件で絶対に助けに来てくれる存在なんて『頼りになる』と形容してなんら差し支えない。
けれど、それだけでもない。

「植木は、自分以外の人間が――友達が目の前で死んでいった時に、すげぇ辛そうにして、泣いてたんだ。
ほんのちょっと一緒に笑いあっただけの俺らを、あっさり気の合う仲間だと思ってたんだ。
だから――正しいからとかじゃなくて、仲間だと思ったから、本気でバロウから守ろうとしてくれたんだ。
俺は、実際のところ、そういう植木と一緒にいるのが楽だった」

ただ一緒にいるだけで、楽になったんだ、と。

「だから、アイツはAIみたいに倫理的なことを自動で判断して動いてたわけじゃねぇよ。
植木だって、俺たちと同じ中学生だったんだ。
我が儘だったとしても、仲間を失いたくないから動いちまうことぐらいあるだろ」

それは淡々とした言葉だったけれど、必死に訴えるような熱がこもっていた。
なぜだか、七原は思い出した。
死んだ結衣とレナのことでテンコと喧嘩になって、黒子から『二人はそうとしか生きられなかったんだと思います』と、言われたことを。
正しいと思ったことをしたのではなく、そうとしか生きられなかったと。
そして菊地は念を押すように、七原を見つめて聞いた。

「その植木が言ったんだな。死にたくない、って」
「ああ、自分の命惜しさで言ったわけじゃなかったけどね」
「でも、自分が生きなきゃいけないから、死にたくないって言えるようになったんだな?」

頷くと、菊地は目元でも隠すように手のひらでメガネを覆った。
口が、『ちくしょう』という形に動いた。
少しだけ、堪えるようにそうしていた。

「七原だったか。ありがとうよ。最後に植木を救ってくれて」

七原は、それには答えなかった。
まだ自分の為したことが本当に『救い』なのかどうかよく分からなかったし、七原は七原で、菊地が看取った方の人間を思うところがあったから。

「あいつは――切原は、笑って死んだんだな?」

言ってから、気づいた。
あの悪魔だった者のことを『切原』と名前で呼んだのは、これが初めてだった。

「ああ。『お前のことを心配してるやつがいたぞ』って伝えたら……憑き物が落ちたみたいな顔してたよ」
「……帰る場所なんて無い無いってしつこかったのに、最後は『やっぱり帰る場所ありました』で終わりかよ。幸せなもんだな」

吐き捨てるように、そう言ってしまった。
その語気に、菊地がややたじろいだ反応を見せる。
それが、ささくれた七原には苛立ちとして蓄積された。
俺があいつを悪しざまに言うのがそんなに意外かよ、と。

許そう、とは思わない。
許せるはずがない。
散々に暴れて、きっちり人のトラウマを抉るように、言いたいことを喚き散らして、
身勝手な理由で少女を二人殺して、それなのに奪われた被害者ヅラをしていて。
船見結衣と竜宮レナを、殺された。
彼女たちを切り捨てようとした七原がこう言うのは傲慢かもしれないが、美味しい肉じゃがを作ってくれた子たちだったのに。
そのあげくに、『お前には七原とは違ってまだ帰る場所がある』という指摘を、半ば以上認めるような形で死んでいった。

『ワイルドセブン』の引き金は、決してそこにかけた指をおろさない。
七原にとっての何者かだった少女たちを殺した人間から、憎しみを取り消すことなど不可能だ。
一度奇跡的に心を繋げられたからといってあっさり許せるのなら、それはどんな聖人だと吐き捨てている。

その苛立ちが挙動に出てしまったのか。
菊地は申し訳なさそうに嘆息し、そして控えめな声で言った。

「すまん、俺は――あいつに命を救けられたもんだから」
「知ってるよ。――俺もだよ」

知っている。
だが、しかし、それでも、と。

切原赤也は、おそらく『悪魔』という呼称で片付けていい存在ではなかった。
白井黒子と同じ中学生だった。
そして、彼女と言葉を交わし、戦闘を交わし、最後には心を交わした。
崩れゆくすべての中で、白井黒子を、七原秋也を、菊地善人を、全員を救けるべく動いた。
そして、七原秋也と、わずかな間でも同調(シンクロ)をした。
未だにこの身に宿るたしかな能力(チカラ)。
触れたものを転移させる、『自分だけの現実』。
それは間違いなく、まぎれもなく、白井黒子と、切原赤也が、授けていったのだ。

「最後に俺に見せた笑顔はここにいない誰か宛てかもしれないけど、それを信じさせたのは白井さんか、七原がしたことの結果なんだろうさ。
なぜなら、俺じゃないことだけは確かなんだからな」

切原赤也が、最後に信じたのは何だ。かつての仲間か――おそらくそれだけではない。
不定形の『じぶん』を信じたのだろう。白井黒子もあの海岸でそうしたように。

「白井の勝ちか――いや、あいつはそういう言い方はしないだろうな」

彼女なら言うだろう。貫いて、そして守っただけだと。
何を貫き、何を守ったか。それは――
問うまでもなく、既に七原は聞いていた。

「そうだ、あんた――七原だったな。
こんな時で悪いが、杉浦綾乃っていうポニーテールの女の子を見なかったか?
海洋研究所に探しにいたかもしれないんだ」

七原の納得したような表情の変化を、見て取ったのか。
菊地はおずおずと、そしていきなり話題を切り替えた。
もとはと言えば、その女の子を探していたんだと。
知り合ったばかりの男の前で余韻に浸っていた気まずさもあったので、さっと意識を切り替えていく。

杉浦綾乃――名前くらいは聞いたことが無いわけでもない。
赤座あかりか、あるいは白井黒子か、とにかくホテルでとりとめなくお互いの話をしていた時に、そういう名前を紹介された覚えがあるような、無いような。
つまり想像できるのは、おそらくこの菊地善人とは異なる世界からきた中学生であり、殺し合いの中で知り合ってしばらく一緒にいたのだろうということ。
おそらく、七原と白井のような喧嘩上等の関係ではなく、普通に仲良くなった関係として。
ふと、いつか親友から言われた言葉を思い出した。

――おまえたち、いいカップルに見えたんだ。さっき。

「あんたら――いいカップルだったのか?」
「は!?」

菊地善人は、ぼけっとした。
それはもう、知り合って間もない七原でさえ『こういう顔をする菊地は珍しいのだろう』と分かるほどにぼけっとした。
だったので、七原もさすがに察した。

「いや、今のは無しだ。……俺たちは海洋研究所で切原に遭ってからここまで来たけど、誰とも会わなかったよ」
「そうか……ありがとな」

悄然と肩を落としながらも、今度の菊地は冷静だった。
噛み締めるように頷き、黙考するような素振りを取る。
もとより大きな期待は抱いていなかったのだろう。七原たちと杉浦綾乃が遭遇していて、なおかつ彼女が生存しているならば、今ここまで来ている方が自然なのだから。
こちらも、探し人の特徴を聞き出すことにかこつけて情報交換に持ち込むべきか。
七原の方もそう思考した時、菊地が「そうだ」と言った。

「浦飯幽助、常磐愛、バロウ・エシャロット……こいつらの、知り合いだったりしないか?」
「いいや。名前を聞いたことある奴はいないでもないが、特に接点は無いな」

そう答えると、今度は嘆息した。
それはまるで、がっかりすると同時にどこか安堵しているように見えた。
違和感のある態度。
七原は観察力を尖らせて、そこに疑う余地を見出す。だから尋ねた。
我ながら、意地の悪い問いかけを。

「おかしな聞き方をするんだな。もし、はぐれた知り合いを探してるんなら『そいつと知り合いかどうか』なんて聞き方はしない。
さっきみたいに『会ったかどうか』を聞く方が先決だからな。
まず『関係者かどうか』を確認する……こいつはまるで、恨みを晴らしたい相手を探る時のやり方だ」

菊地の身体に、電撃のような緊張が走り抜けるのを七原は見た。
改めて七原へと向けられる視線が、『こいつは信頼しても大丈夫なのか』と探るようなそれへと変わる。
声の出し方も少なからず硬化させて、菊地は言った。

「……言っとくが、そいつらは誰にとっても危険人物だ。
 だから殺してもいいなんて言うつもりはないけど、さっきの七原達だって『復讐は絶対にNO』って思想でも無いんだろ?」

なるほど、その通り。
先刻の戦いで、これは俺たちの因縁なのだから、殺し合いになるだろうけど手を出すなと、七原は菊地たちに公言している。

「ああ、別にアンタを責めるつもりは無いよ。ただ、気になるんだ。
俺がもし『その人達はボクの大切なお友達なんです。何をしたかは知りませんが、ボクが絶対に止めますからどうか殺さないでください』って答えたらどうしてた」

少し、痛いところを突かれたという顔。
そんなところだろうかと、菊地の苦そうな表情を見て推測する。

「そうだな……そのときは悪いと思ったかもしれないけど、『よし分かった、あいつらが改心してくれると信じよう』にはならなかっただろうな。
第一、 お友達から説得されたぐらいで良心を取り戻す連中じゃない、あいつらは」

七原にとって、それは甘かった。煮え切らなかった。
冷徹に腹を据えているようで、まったく甘いと思った。だから七原はそう言った。

「ツメが甘いな。そこまでキマってるなら、最初からあんな聞き方しちゃいけねぇよ。
俺がその浦飯ってやつの親友だったら、お前を止めにかかってたかもしれないんだぜ?」
「手厳しいんだな。七原には、それができるぐらいに殺す覚悟が決まってるのか」

いくらか警戒を孕んだ声に、「まぁな」と軽く肩をすくめて返す。
人を食ったような返答になってしまったが、これでも内心ではひどく驚いていた。
最初から『殺して終わらせる』ことを(まだ煮え切らない言い回しだが)肯定している反抗者に出会ったのは、なんとこれが初めてのことだ。

――よりによって白井黒子が死んだ直後に、『初めて』を経験したくはなかったが。

「それより、その三人は危険だって話してくれるなら、どう危険なのかも教えてくれるとありがたいんだけどな」

己ばかり情報を吐き出す側になっていることに抵抗もあったのか、菊地はまったく正論だと頷きながらも眉をひそめていた。
しかし、語りだした。
やはり根の部分では警戒心が薄いのか、それとも七原に詳らかにしたところで、マイナスにはならないだろうと判断したのか。


◆  ◆  ◆


たびたび毒を含ませた皮肉だらけの言い回しをする、鼻につく男。
それが、ここまでの七原秋也に対する菊地善人の総評だった。
ただし、それをことさらに憤慨したり、いわゆる『こんな怪しい男と一緒にいられるか!俺は部屋に戻る!』とかやらかすほど菊地も神経質ではない。
菊地がここに至るまでに何度も仲間を失ったように、七原秋也だって多数の喪失を経験してきたに違いないのだから。
むしろ、三十数人の死体が転がっているこの場所で、未だに精神をすり減らすことなく健全そのものの中学生がいたら、そちらの正気が疑わしいところだ。
七原秋也から雰囲気として見え隠れしている凶暴さを帯びた何かも、この世界では『よくあること』のひとつでしかないのかもしれない。
それに正直なところを言えば、悪い意味でなく、驚いている。
七原の言う『覚悟』について、探りたいと思っている。

それはつまり、『敵を殺人によって排除する覚悟』ということだから。

菊地は何度も『防衛のために殺すことを否定しない』『殺人を否定するなら殺しに代わる手段を見つけろ』と綾乃たちに説いてきたけれど。
同じように、己にもそれができるのかと自問してきたけれど。
あからさまに『殺して終わらせる』ことを(断言は避けているようだが)肯定している反抗者に出会ったのは、なんとこれが初めてのことだ。



「――待て」



七原秋也が、止めた。

「そいつは本当に、宗屋ヒデヨシか?」

宗屋ヒデヨシの臨終を聞いて、そう遮った。

「それは、どういう意味だ?」

真面目な顔で不可解な質問をされて、菊地は眉にしわを寄せる。
しかし、察しの良い方である彼は、すぐにその理由を閃いた。

「お前……もしかして、俺たちが出会う前の宗屋ヒデヨシに会ったのか?」

ここで初めて名前を登場させたはずの宗屋ヒデヨシにだけ追及をするとしたら、その可能性がまず浮かんだ。
そして……邪推かもしれないが、『それは本当に宗屋ヒデヨシなのか』という尋ね方が怪しい。
七原にとっての宗屋ヒデヨシは、『菊地が話したようなことをしない』ということなのか。
自覚的に険しい目をしていく菊地を見て、七原はひとつ嘆息した。
やれやれ、と。これからとても疲れることをするかのような、そんなため息だった。

「最初に警告しておく。俺は嘘をつくつもりはないが、信じるかどうかはアンタしだいだ」

そう言って、七原は不思議な動きをした。
右手を己の胸にあてて、少しの間だけ、目を閉じていたのだ。
まるで、話すべきかどうかを自問するように。
胸の中に、問うべき誰かでも住んでいるかのように。
そして、告げた。

「宗屋は、赤座あかりを殺したよ」


◆  ◆  ◆


全てを話した。
最初に山小屋の近くで宗屋ヒデヨシに佐天涙子の二人と出会ったところから、
宗屋ヒデヨシの錯乱に振り回されてホテルを逃げ出し、海洋研究所に流れ着いたところまで。

「おい」

遮ることなく全て聴いた菊地は、冷たい声を出した。
言葉を探すように唾をのみ、ずれたメガネを直す。
そして声の温度をそのままに、言った。

「じゃあ何か?
お前の知ってる『宗屋ヒデヨシ』は、『だだをこねて仲間内に亀裂をいれた上、急に疑心暗鬼にかられて戦闘を妨害したあげく、発狂してなんの罪もない赤座あかりを撃ち殺して逃げていった』。
そういう奴だってことか?」
「『俺の知ってる宗屋ヒデヨシ』なら、その通りだ。アンタの知ってる宗屋はまた違ったらしいけどな」

菊地にしてみれば信じられないような話だろうが、七原からしても困惑するような話だ。
あのヒデヨシが、植木耕助たちと再会したときには本来の勇敢なヒデヨシとして行動しており、仲間のことを激励しながら希望を残して死んでいった、なんて結末は。
信じるかどうかは菊地善人しだい。
そう警告しておいたが、さて。

「……俺は、信じられないとは言わないさ。
だが、つまり、七原はどう思ってるんだ?」

質問に、質問が帰ってきた。

「宗屋ヒデヨシ君は、殺し合いの極限状況やら、桐山和雄がいるストレスに耐えられなくて発狂しました。
だから身体を張って植木君を助けてくれたのも何かの間違いです。
彼を殺しにかかっていた浦飯君たちも、もしかしたら狂った彼と戦っていただけなのかもしれません。
そういうことになるのか? そう言いたいのか?」
「そこまでは言わないさ。本当に浦飯とやらが凶悪犯なのかは正直決め打ちできないけど、
もしそいつらが襲ってきたりしたら容赦なく殺せるしな。
 だから、俺としては話の真偽がどうだったとしてもスタンスは変わらないんだ。信じるかはアンタの問題だよ」

菊地がギリ、と唇を噛んだ。
信じられないと言いたいのか、あるいは他人事のようにスタンスが変わらないままの七原に苛立ったのか、どちらにせよ七原に対する好感情でないことだけは伝わる。
こうなるだろうからこそ、さっき話すかどうかで躊躇したのだから。

「なら、聞き方を変えるぞ。宗屋ヒデヨシは、どうして赤座あかりを殺したんだと思う?」
「分からないさ。俺たちはあんたと植木ほど『一緒にいて楽な仲間』じゃなかったからな。
主催者は殺し合いで優勝すれば生き返らせるとか抜かしてたが、その放送があったのはあの一件の後だしな。
ただ……そうだな。強いて言えば、宗屋は俺たちに知らない『何か』をポケットに隠し持ってた。
秘密兵器の支給品か何かを見て、『赤座あかりは殺さなきゃ』と思っちまうようなことを知ったのかもしれない。良くない未来を予知したとか」

あるいはその時点で発狂していたのかも、という可能性はさすがに言わなかった。
何も好きこのんで菊地を苛立たせることを言うつもりはない。
ただ、七原視点では、その可能性もあったのではないかとさえ思っている。
宗屋ヒデヨシは、『全員で欠けずに仲良く力を合わせてハッピーエンドを迎える』ことにこだわっていたから。
かつての七原秋也と同じぐらい、そう願っていたから。
それが絶望視されたときに何を思い、どんな行動に走るのかなど、それこそ『未来予知』でも使わなければ読めなかっただろう。

「俺は――あんたの話を嘘八百だと決め付けるわけじゃない。
それでも『俺の見た宗屋ヒデヨシ』を信じる」

そして、菊地はそう言った。
断固として譲らない。
菊地の声色が、メガネの奥の眼が、そう言っていた。

「宗屋ヒデヨシは、アンタの言うとおりホテルを出た時には錯乱してたのかもしれない。
でも、その後でちゃんと正気に戻ってくれたんだと、そう信じる。
だってあいつは、『後を任せた』って言ったんだ。
植木に――今となっちゃ俺に、自分のやろうとしたことを託そうとしたんだ。
錯乱して人を殺し回ってたような奴が、仲間にそんな風に託せるわけがない。
あいつは自分の過ちに気がついたんだ。でも、せっかくまっとうな道に戻れたのに、浦飯の連中に殺されちまったんだ」
「そうか」

菊地は、あくまでヒデヨシを信じる方を選んだ。
だとすれば、七原の立場からは何も言うことはない。
七原秋也は、浦飯幽助のことも常磐愛のことも知らないし、宗屋ヒデヨシが命を落とした場面も目にしていないのだから。
ただ、あれだけの事をやらかしておきながら、それでも仲間との絆を持ち続けたまま逝けたのかという虚しさだとかやっかみが少しあるだけだ。
これで宗屋ヒデヨシの話は終わり。あとは菊地善人とせいぜい傷つけ合わない関係を築ければいい。

「それで、大事な仲間を殺された仇だから、さっきの三人は問答無用で撃ち殺すのか?
 そりゃまたずいぶんと短絡的に方針転換したもんだな」

それでいい。
そのはずだった。
文句も不満も何もないし、ちょっかいを出すような権利も義務もないはずだった。
七原は浦飯や常磐に関する因縁の外にいて、完全なる第三者のはず、だったから。

「短絡的、かよ?」
「植木耕助の仲間だったにしちゃ、短絡的だなぁと思ったんだよ。
 あいつは、あの切原のことも『救けられないって諦めるのは、嫌いだ』って言ってたぜ。
 最後の時も、誰も彼も守るんだとか『正義』だとか言ってたな。
『託された』ってんなら、植木は浦飯や常磐を殺すことなんか託しちゃいなかったんじゃないのか」

菊地の顔に、石でもぶつけられたようにカッと怒りが点った。

「ああ、そうだよ。これは植木じゃない俺の――それも【正義】なんかじゃない、偽善者【さつじんき】の考えだ。
植木や杉浦が見たら、激怒して止められるだろうさ。『独善で突っ走らないことを説いた菊地先生が、どうしてそんなことをするんだ』ってな」

吐き捨てるような言葉。
ああ、そりゃあ怒るだろうなと思いつつ、しかし怒らせていることが何故かたいそう小気味よかった。
なぜ、菊池に苛立つのかがよく分からない。白井との喧嘩ではあるまいし、この状況下で争ったところで誰も得をしないのに。

「殺人鬼――ねぇ。じゃあ菊地から見て、俺も殺人鬼になるのか?」
「殺したかどうかじゃなくて、在り方の問題だよ。
たしかに俺は平和ボケした日本人として15年生きてきたけど、『殺さなきゃ殺される』って時に、考え抜いた上で殺すことを否定するつもりはなかったんだ。
極端な話、たとえ『死にたくないから殺し合いに乗ります』って考えだったとしてもな。
そういうやつらを殺人鬼呼ばわりするほど、冷たい人間にはなりたくないんだ」

最初から殺すことを否定していたわけじゃなかった。
その言葉は七原にとっては意外だったし、そこに関しては悪くない思いがした。
少なくともこの場所では、ずっと見えないところでも『お前は間違っている』と言われ続けていた気がしたから。

「でも、今の俺はそうじゃないんだ。考えずに殺そうとしてる。まだ迷ってる。
 どころか、今さら自分のやろうとすることは、間違いだと思ってる。
 植木や宗屋に託されたとか言いながら、アイツ等の遺志を裏切るようなことをするんだからな。
 植木は、『全員を救ってみせる』って言った。
 杉浦は、『人を殺さなくても済む方法を絶対に見つける』って言ってた。
 アイツ等がどんなに本気でそう思ってたか、知ってるんだ。一番近くで見てたんだから。
 これからやることは、殺人である以上に仲間の裏切りなんだ。
 何の相談もなしに、杉浦や植木が殺さずに救おうとしたやつらを殺すんだからな」

苛立ちを覚える理由のひとつが、分かった。
おそらく、彼は彼なりに頭が割れそうなほど苦悩しているのだろう。
見ていてそれが分からないほど、七原も想像力が劣悪ではない。
しかし七原視点では、それはそれとして無自覚に酔っているように見える。
悩みに悩んで、酔っているように。

「間違ってると思うならやらなきゃいいじゃないか。
 俺だって、『仲間』の遺志を聴いた後だってのに、いきなり逆のことを言い出す奴の覚悟が本物だとは思えねぇよ」

七原だって、一度や二度の失敗で諦めを覚えたわけじゃなかった。
山のような死屍累々を見てきたから、何度も心が死にかけたから、こうなった。
似たような考えの持ち主だというなら一緒に行動するのも楽だけれど、
そいつが『改めて死人を見てナーバスになったから、間違ってることは分かってるけど、本当に本当にやりたくないけど、仲間の復讐に走るのも兼ねてアンタと同じようにします、俺は賢いから』というポーズを取っていたら。
歯ぎしりして憤慨するなという方が無理だ。
ああ、これが理由の二つめだ。
しかし。

「そんなに『いきなり』か? 」

菊地善人が、哂った。

「なぁ、俺は本当に、『いきなり』か?」

とてもただの中学生が、同い年の少年に向ける目つきではなかった。
七原がまさに、その殺したい仇であるかのような目だった。

「たしかに、植木の遺言をもらったそばからこんなことを言い出すのは仲間失格だな。
でもな。じゃあ――その植木を殺したのは、誰だ?」

俺が七原のことを知らないように、七原だって俺のことを知らないだろう。
これが誰にも見せたことのなかった『菊地善人』だと、
夜闇の中でギラギラと光る眼に、そう言われたかのようだった。

「まさか、この崩壊がただの事故だと思ってるわけじゃないよな?
元からホテルが自然崩壊するほどボロかったら、俺たちだってあんな無用心にホテルの中を探し回ったりしなかったよ。
じゃあホテルをぶっ壊したのは誰だ。放送で呼ばれた人数を引いて、生存者は18人。
ホテルの下にいた5人を差し引いて13人だ。俺の知ってる殺し合い反対派を差し引けば、容疑者はもっと狭められるな。
今のところ、最有力容疑者はバロウだよ。あいつの『神器』を使えば、ボロボロのホテルを倒壊させるぐらいはできるだろうさ。
浦飯にもやれるだろうけど、あの光線を撃ったなら目立つはずだし、俺たちもあの遭遇からかなり急いでここまで来たからな。可能性としてはだいぶ低いってところだ。
もしくは、まだ会ったことない誰かが、俺も知らない能力だとか支給品を使ってやったのかもしれない」

冷静に、おそらくはとても頭脳明晰なのだろう、その理性で分析をしていく。
これまでにどうやって、守りたかったものを潰されたのか。

「『いまさら』なんだよ。こんな場所で、手を汚すことを否定はしないさ。けど、許せるはずもないだろ。
 殺すかどうかを必死に悩んでる連中のすぐそばで、満足そうに、良心の呵責もなしに人を殺す連中がいる。
 バロウは、死にたくないからとかじゃなくて、最初から自分の夢を叶えるために、自分勝手のために殺し合いに乗ったって植木が言ってた。
 常盤と浦飯は、俺たちの、仲間の絆を利用して、踏みにじって、陥れて皆殺しにしようとした。
 そんな連中のせいで、シンジも、神崎も、宗屋も、植木も、俺の見てる前で殺された。
 ……守ろうとしても、救けようとしても、主催者の手先みたいな連中がみんなみんな奪っていくんだ。こんなのって、ないだろ?」

誰もが切原のように、よりどころを奪われたせいで『悪魔』として狂ったわけじゃない。
誰もが白井と切原のように、本当は同じ場所に立っているわけじゃない。
最初から痛みもなしに人を殺せる、積極的に悪の道を選んだ中学生もいる。

「七原はさっき言ってたな。桐山和雄は『理由』も無く殺し合いに反抗してたんだって。
 その逆の、『理由』もなしに人を殺す悪党もいるんだよな。
 そんな奴らを生かしておくのが、がんばって生きてる奴らのためなのか?
 この殺し合いを開いた大人どもだってそうだ。もし脱出するまでに連中と戦わなきゃいけないなら、七原だって大人どもを殺すんだろ?」

間違っていることを知りながら、みんなのために殺す。
すべて喪ったと自負する七原と違って、菊地はまだすべて喪っていないのだから。
そういう意味では、彼は『一度目の殺し合い』での七原秋也なのかもしれないし、しかし今の七原と違っているのも無理はない。
喪わないために、失おうとしている。

「俺は、植木の理想が叶うんだってことも、杉浦の『答え』も、守りたいんだ。
 だから、杉浦たちが生きて『殺さないで済む答え』を見つけられるように、俺が、理想を捨てる。
 だってあいつ等には、俺と違って、まだ可能性が残ってるんだから」

本気だった。
その眼は絶望を見てきたように暗いが、七原のように冷えた眼ではない。むしろ、すがりつこうとする者の眼だ。
それもそうかもしれない。彼は七原にとっての中川典子を喪わないように、そうするのだから。
それは、七原からしても、おそらく賢いのだろうと思える決断だ。
だが。

「菊地は、間違ってないよ」

七原は、肯定する。
菊地は驚いた顔を見せ、しかし頷く。
菊池が間違っているなら、七原も間違っているようなものだ。
いや、ある意味では間違っているのかもしれないが、ある少女から『それもまた正しい』と肯定されたばかりだし、ここで自己否定に走っても埓があかない。
これが菊地善人にとっての『正義』なら、否定する理由も否定されるいわれもないはず。
だが。

吐き捨てた。
唾棄するように、吐いて捨てた。

「間違ってない――――――――けどな、気に入らねぇ」

胸のうちに、ふつふつとした怒りが宿る。
はっきりとした。
七原秋也は、こいつだけは、肯定するわけにはいかない。
理由の三つ目。
そして、一番大きな理由だ。

「ああそうだ、さっきから気に入らなかったんだよ」

気に入らない。
間違っているでも、悪いでも、くだらないでもなく。
その表現が、一番しっくり来た。
白井黒子に感じた、灼熱のような羨望と哀れみとは別のものだ。
少なくとも、七原秋也はこいつを羨ましいとか妬ましいとは絶対に思わない。
いや、『一緒にいるだけで楽になれる』なんて言葉を何のてらいもなく言えるところに関しては羨ましいかもしれないが。

ただ――とてつもなくムシャクシャと、怒りがある。
俺の絶望(カクゴ)を、こんな半端な覚悟と同列にされたくないという憤慨がある。
何よりも、一番に気に入らないのは



「殺す理由を仲間のせいにしてんじゃねえよ、頭でっかち」



菊池の頭に青筋が浮くのが、はっきりと見えた。
構うものか。白井黒子だって、すれ違ったら『また喧嘩しろ』と言っている。
仮に黒子がこの場にいて止めたとしても、やっぱり言っていただろうけど。

「何が『みんなのため』だよ。お前はただ、復讐心を満たすために仲間を理由に使ってるだけじゃないか。
 みんなのためって言えば、罪悪感が少しはマシになると思ったのかよ。
 なら、殺したことのある俺から言ってやる。どんな悪党だろうと、狂人だろうと、殺したら手は汚れるんだ。傷だらけになるんだ。誤魔化すな。
 桐山は理由もなしに殺す危険人物だったけどな、それでもアイツだって被害者だったことには変わらねぇんだ。正しいと思ってないくせに、正義の味方(ヒーロー)気取ってんじゃねぇ」
「は? お前今、『気取り』っつったか」

青筋を浮かせて怒る菊地が、視線を刃のように携えて七原を睨み据える。
ちっとも恐れるものではない。今の七原なら、鼻で笑えた。

「気取りだよ。俺の知ってる本物の『正義の味方(ヒーロー)』はな、一度も俺や切原やロベルトのことを『悪』とは言わなかったぜ?
 俺たちの言葉でどんなに傷ついても、『貴方たちのためにやってるのに』とは言わなかったぜ。
 道徳の教科書を丸呑みしたようなことを言ってきたけど、押し付けてきたけど、でも、それが『頼りにされたい』っていう私情で、我儘なんだってことは、否定しなかった」

『ありがとう』や『おつかれさま』を欲しがっていても、欲しがっているからこそ、『私が正義(せいぎ)を実行するのは、皆のためだ』なんて絶対に言わなかった。
七原と否定しあったけど、最後には認め合ったけど、そこだけはずっと変わらなかった。

「それは――俺だって、自分のためでもあって……」
「さっき『仲間への裏切りになるのは分かってる』って言ったな。本当に分かってるのか?
テンコは俺のことを『犠牲になったやつがみんな正しいと思ってる』とか言ってたけどな。
でもな、俺だって、『なんで俺なんかを助けたんだ』って思わないわけじゃない。結果的にどう転ぶかなんて分からないんだ。
俺や白井の見た景色を、お前は見てない。痛みも重さも知らない、まだ堕ちてないお前が、堕ちた景色を見てきた風に語って、仲間まで巻き添えにすんな。
『俺と違って後輩には可能性が残ってる』とか、ぜんぜん感動できねぇよ。自分ができないことを人にやらせて、思考停止してんじゃねぇ」

怒りか、狼狽か、菊地の顔がみるみると鼻白んでいく。
正直なところ、少し愉快だった。
その口が開き、怒鳴り返される。

「だったら! 後輩のためにできること考えるのは無意味かよ! 俺にはそれぐらいしか、してやれることが無いんだよ!」
「無意味じゃないさ。でも、所詮は我儘なんだ。
俺を守って死んだ年上の友達はな、死ぬ時に『復讐なんかしなくていい』って言ってたぜ?
ただ、好きな女の子を守って生きてくれたら、それでいいってな。
でも、俺は、ぶっ壊そうとする方を選んだ。死んでいった連中のために壊したいって思ってたけど、そうじゃない。
俺のためなんだ。そうしなきゃ、俺が前を向いて生きられなかったんだ」

川田章吾は、最後に『国を壊すなんて、そんなことしなくていい』と言った。
その願いを踏みにじりたいわけじゃなかった。それでも、何もしないでいることは選べなかった。

「みんな我儘なんだよ。テレビの中で怪獣を倒してる正義の味方(ヒーロー)は、ついでに街も壊してる。
白井が切原を『帰そう』としたのも我儘なら、俺が『革命』しようとするのも我儘なんだ。植木が仲間を助けようとしたのだって我儘だったろうさ。
でもな、その『我儘』と呼ばれるものこそが、俺たちにとっての、正義(ヒロイズム)なんだ」

つまるところを、そう言った。
菊地にどうしろと言いたいわけじゃない。
ただ、このままだとこいつに未来があるはずないし、きっと白井のように理想のその先に行きつくような結末は得られないと、そう思った。
それに、植木耕助に向かって『想いが死なないようにする』と言ったこともある。
……本当に真からの現実主義者(リアリスト)なら、こんなことで熱くなったりはせずに、菊地のこともなあなあで肯定して利用していくのではないかという自覚もある。

「お前はさっき、自分が『正しくない』と言ったけどな、たとえ正しかったとしてもお前は『正義の味方(ヒーロー)』にはなれないよ。
 誰もが正義の味方(ヒーロー)になれるわけじゃないんだ。なろうとすることもない」

最後に、だいぶ語調を和らげて、そう言った。
誰もがなれるなら、白井だって一度狂いかけることはなかった。
それが分かっているから、七原も、菊地の感情を逆立てないようにそう言った。
だから。

「そうかよ」

その言葉を聞いた菊地が、今までで一番辛そうに表情を歪めるとは、予想外だった。
怒ったのでも、悲しんだのでもなかった。
辛そう、としか形容できなかった。

「そっか。俺は知らないのか。
 そりゃあな。俺にはまだ喪ってない奴らがいるよ。それに、元の世界に帰ったら、まだ生きてる友達だって担任だって待ってるさ」

小声でそんなことを言いさして、その唐突な感情を引っ込める。
無の表情に戻ると、冷徹そうに矢継ぎ早の言葉を繰り出した。

「けどな――お前と同じところまで堕ちなきゃ、何か言う資格さえないのか?
 お前、たびたび自分たちが一番不幸みたいな話し方になってるよな。そりゃあ実際、そういう目に遭ったんだろうな。
 けど、堕ちなきゃヒーローを語れないみたいに言うな。俺だってな、『お前が俺たちよりどんだけ重いのか』ぐらいは察しがつくんだ」

どうした、まずい地雷でも踏んでしまったのかと、戸惑ったのがしばらくのこと。
そして、遅れて言葉の意味が頭に入ってきてからは、ぎくりとしたのが二割、むっとしたのが八割だった。
不幸ぶっている。それは否定できなかったし、自分の不幸に酔うなんて行為はたいそう嫌悪していたから苦い顔もしたくなる。
白井と喧嘩した時なんかは、露骨に『平和な世界』に向かって八つ当たりをした。
けど、まったく卑屈にならずに生きろという方が無理だろう。むしろ、殺し合いをやっとのこと生き延びて逃亡生活を始めたところで、別の殺し合いに招待されて、ともに生き延びた恋人をも失いました、なんて最悪の経験をしたことに比べれば、ぜんぜん不幸自慢を表に出してない方だとさえ言いたい。
『むっとした』の中身を言葉にするとそういうことで、だから『察しがつくはずない』と思っていた。
たぶん菊地からは『お前は俺よりもずっと仲間の死を見てきたのだろう』とか『お前はとっくに何人か殺してるんだろう』とか、そういうことを言われるのだろうと予想した。

だから、その次の言葉は、頭を横殴りにされるような不意打ちだった。

ペラペラとよどみなく、菊地は暗唱を始めた。
それは、七原もよく知っている言葉だった。

「『さて、『六十八番プログラム』は、そうした情勢下にあるわが国には、ぜひとも必要な実験であります。
 確かに、15歳のうら若い命が幾戦幾万と散ってゆくことについては、私自身も血涙をしぼらずにはおられません。
 しかし、彼らの命がこの瑞穂の国、我ら民族の独立を守るために役立つならば、彼らの失われた血は、肉は、神の御代より今に伝えられましたる美しき我が国に同化し、未来永劫、生き続けるとは言えないでしょうか』」

四月演説。
中学一年の歴史の教科書。
誰も顔さえ見たこと無い、総統閣下のサインがもらえて。

「――待て」

張りつめた声で遮ると、菊地はこれ見よがしに肩をすくめた。

「控えめに言っても頭おかしい演説だよな」
「お前――俺たちと同じ世界から来たのか?」

冷静に顧みれば、『報告書』の時のように支給品を利用したという可能性もあったのだろう。
しかし、そう問い返した七原の顔はかなり間の抜けたものだったらしく、菊地が口端を上げて笑った。
もしかすると、『浦飯たちは仲間ではなく仇だろう』とずばり当てられたことを、やり返したつもりかもしれない。
無言のまま、菊地はディパックを開けて中を探ると、分厚い本を取り出して手渡してきた。
携帯電話の灯りをつけて、七原は本の表紙を確認する。
図書館にあった蔵書らしく、透明なカバーがかけられて、背表紙にはバーコード付きのシールが貼られていた。
年鑑であるらしい、その本のタイトルは『総統閣下の御言葉で振り返る20世紀』。

「杉浦が見つけてきたんだ。四月演説とやらも全文載ってたぜ」
「……一回かそこら読んだだけで覚えたのか? 記憶力がいいんだな」
「リンカーン大統領のゲスティバーグ演説を原文で覚えてみたのに比べりゃ楽だったよ」
「中学生の学習範囲じゃねぇだろ。……どうやって、俺がこの世界出身だと分かった?」

総統閣下に行幸されて歓喜にむせび泣く観衆の写真をひとりひとり油性マジックで仮想的に血まみれにしいたような不快感を抱きながら、七原は本を閉じる。

「俺は今まで少なくとも六つぐらいの世界の人間に会ったけど、大東亜共和国の世界から来た奴は一人もいなかった。
 なら、いい加減に遭遇してもおかしくない頃かと思ってたんだ。
 そして、仮に俺が悪趣味な殺し合いを主催する大人だったとしたら、だ。この世界から殺し合いの参加者を選ぶとして。
 俺なら普通の一般中学生より、この『プログラム』とやらを経験した中学生の中から選定するね。
 だから『この世界』から来た参加者がいたら、そいつは『殺し合い』からのリピーターである可能性が高い。そう思ってたのさ。
 で、さっきのアンタの発言を聞く限り、自分には帰る場所が無いみたいな言い方をしたり、殺す覚悟についてよく知ってる風だった。察しがつくには、それで充分だ」

言い終えると菊地は口端をあげたまま、年鑑を受け取ってディパックに戻す。
こいつは本当に何を考えているんだと、七原は苦々しい感情で満たされた。
確かに七原はこいつの神経を逆撫でして苛立たせてきたかもしれないが、しかしそれをやり返すためだけに相手のトラウマかもしれない過去をひけらかすように暴きたててドヤ顔をしたりすれば、その時点でもう立派な『悪者』といっていい。
それが分からないほど周りが見えないわけではないはずだ。

「すごい名探偵だな。いや、本当にすごいよ。これが殺し合いじゃなくて絶海の孤島殺人事件とかだったら菊地善人無双になるな……それで、何が言いたいんだ?」
「いや、前提条件を確認したんだよ。確かに俺はあんたから見たら半端ものなんだろうが、少なくとも俺は『アンタに比べて何も知らない』ことは知ってるんだってな。
 それに、もうひとつ聞きたかったのさ。俺は本のおかげでアンタの口から喋るでもなく分かったけど、アンタは今までその身元を仲間に話してきたのか?」
「……相手によったな」

実のところ、白井黒子たちには支給品のせいで丸裸なまでに知られてしまったこともあり、執拗に隠そうとする気もいい加減に失せていたのだが。

「なら、ホテルで白井さんと赤座さんも交えて警戒しながら話し合ってた時には、まず言えなかったってことだよな。
 たぶん、桐山が赤座あかりの友達をヘタすりゃ殺してたことも、桐山和雄に特殊な事情があったことも、桐山と七原が最終的に殺し合うことも、ずっと言えないままだったんじゃないか?」

今さらそこを問うのか、と虚をつかれた。
思えば、スイッチが『七原秋也』から『革命家』へと切り替わったのは、あの会話からだったとも言える。
桐山も宗屋も白井黒子も赤座あかりもいた、あの場所からだった。七原が大東亜共和国のことも桐山のことも伏せて、利害の関係を築こうとしたのは。

「悪いか? 仮に言ってたとしてもまた誰かが暴走するか、まず良い結果には転ばなかっただろうけどな」

あれで間違っていなかったと思っている。
あの場で、まだ互いを理解できていない関係で、『俺たちは互いに脛に傷を持っていますし、桐山にいたっては人を簡単に殺せる人間ですが仲良くやりましょう。赤座さんの友達の船見さんを殺しかけてしまったことはごめんなさい』などと釈明を始める人間がいたら、そちらの方が馬鹿だ。
だいいち白井たちが桐山に反感を持って言い争いになれば、桐山が同盟に見切りをつける可能性さえもあった。

「間違ってないよ。お前は、あの時にできるベストを尽くしたはずだ。
 たとえあの場にいたのが俺だったとしても、桐山って奴を警戒したり、白井さんの反感を懸念したりで、打ち明けたくなくなるだろうな。
 ……けどな、お前は、その後の事件を話すとき、宗屋ヒデヨシの暴走と白井さんの甘さがああいう結果を生んだかのように言ったよな。
 理想や正義で人が救えないってんなら、逆に言うけど、理屈だけで人を動かせるのかよ。
 あの時、宗屋の隣にはいつ人を殺すかしれない危険人物がいた。そいつが人を蜂の巣にするところを見て、知り合いがあっけなく死んだりもしたんだ。
 しかも、『出会ったばかり』の七原は、宗屋よりも桐山とばっかり仲が良さそうに話していて。
 そんな状態で宗屋に『自分を信用して何もするな』ってのは、ちと要求のレベルが高すぎやしないか?
 勘違いするなよ――俺は別に、七原の責任を追及しようだとか、七原は間違ってるとか、そういうことを言いたいんじゃないんだ
『宗屋や白井さんの甘ったるい考えが招いたせいにして、それで終わらせることでも無いよな』って言いたいんだ。つまり――」

口端をあげていた菊地の顔から笑みがすっと引いた。
作り笑いを外した下から出てきたのは、こちらを真剣に見据える顔。
まるで鏡の前で笑顔の練習をしていたら、鏡に映った自分が急に笑顔をやめて真顔になったような不気味さだった。

「ただ、あんたの言葉を借りるなら――間違ってないけど、気に入らねぇ」

菊地が動いたのは、七原がまばたきをして眼を開けるほどの時間だった。
眼前に、握られた『拳』があった。





              !?






親指を人差し指の隣にそえて握りこんだ、りっぱな『ぐー』だった。

おい待て、と思ったがそれで拳が止まるはずがない。
かろうじて、歯を食いしばるのが間に合った。



「頭でっかちで悪かったな!!」



ゴン、と鈍い音を耳ではなく身体が聴いた。
叫び声と同時に、思いっきり殴られていた。
左頬から顎にかけてのあたりをえぐり抜くような一撃だった。
そのまま体が地面を浮き、斜め後方へと吹っ飛ばされて尻餅をついた。

痛い、というよりもひたすら重い、と感じた。
なぜこんなことを、と思うより先に、『こんなに力があったのか』という驚きが先に来た。
地面に手をついて顔を上げた時に、震えの混じった菊地の叫び声が追いかけてきた。

「自分だって理屈ばっかりのくせに、人を理屈だけ呼ばわりしてんじゃねえ!!
俺だってなぁ……好きで半端だったわけじゃねぇよ!!」

殴ったそいつの姿を見れば、姿勢こそ整っているものの、視線はすっかり『ガンをつけている』人間のそれだし、真横に固くむすばれた口元は歯を強く食いしばって臨戦態勢を継続していることが分かる。
殴った拳は、怖いわけでもあるまいに構えられたまま震えていた。
よく分からないが、それでも分かったのは、逆ギレされたということ。

それを理解した瞬間に、七原の理性もまたプッツリと遮断された。

人間なんて、単純なものだ。
宗屋ヒデヨシを初めとする何人もの人間から、行動原理を非難された時よりも。
撃たれたら即死するような銃口を向けられた時よりも。
殺し合いに乗った人間と対峙した時よりも。
“いきなり殴られた”という事実の方が、簡単に『やりかえそう』というリミッターを外した。

七原秋也は、必要なら少女だろうと撃ち殺すつもりの『革命家』だったけれど、
しかし、あの白井黒子にだって、掴み上げても、突きとばしても、それでも手を挙げることだけはしなかったぐらいには『紳士(フェニミスト)』だった。
しかし、

今目の前にいるこいつは、男だ。
いかにもお坊ちゃん育ちのガリ勉くんのような容姿をしているけれど、れっきとした男だ。
それも、おそらく。

――こいつ、歯が折れるぐらいのことは度外視して殴りやがった。

手をあげない、理由がない。



「やりやがったなテメェ!!」



人間を殴り返す時の言葉なんて、どんな状況だろうとテンプレートなものだ。
右の拳を振りかぶり、即座に踏み込む。
元運動部だったこともあってステゴロは経験豊富とはいかないが、これでも孤児院育ちだ。やり方の心得ぐらい当然ある。
だからそこそこ自信のある拳だったのだけれど、菊地は首の動きと軽い後退だけでいなしきった。
何か格闘技の経験でもあるのかと察した時には、空振りした右腕を掴まれている。
菊地の左手だけで七原の腕をねじるように捕らえたまま、二人は30センチ少々の距離で視線を交えた。
ギリ、と歯から軋みの音をさせた後、菊地はまた口を開く。
訴えるような目で、絞り出すような声で。

「資格がないことなんて知ってるさ! でも! 俺だって…………『主人公(ヒーロー)』になりたかったよ!」


◇  ◇  ◇


あらかじめ言っておくと、菊地善人はただの中学生である。
中学生相応の身体に、中学生相応の精神。
担任教師、鬼塚英吉のようなゴキブリ以上のしぶとさもなければ、彼のように何度も生徒を救い、ミラクルを起こすだけの求心力もない。
無茶に無茶をかさねれば道理も吹っ飛ばす、担任教師とは違う。
無茶に無茶をかさねても、できないことだってたくさんある。
菊地のファインプレーで鬼塚や3年4組の生徒たちが助けられたことも何度となくあったけれど、
鬼塚なら身体ひとつで解決するような誘拐事件やら学校籠城事件のような大人の犯罪に身を投じるには、まだまだ経験も実力も伴っていない。
そもそも生徒だから巻き込まれてはならない、そういう年頃の少年に過ぎない。

ただひとつ、『天才』だということを除いては。
どんなことも平均以上、一位が当たり前。
大学のセンター試験を受けても優秀な得点をたたき出せるし、いきなり外国に放り出されても困らないぐらいには複数の外国語に堪能している。
たゆまぬ努力に因っている部分もあるけれど、その努力もひっくるめて『天才』と呼ぶに差し支えない。
しかもいわゆる社会でステイタスとなるお勉強だけに留まらず、数日以内に800万円の借金を返済する方法や、絶対に露見しないカンニングで全国一位を取る作戦を考案したりもする。
身を滅ぼさないラインを見極めた上で『物事を思い通りに運ぶ手腕』を学習していて、実践の機会さえあれば面白がっていかんなく発揮してきた。
それも、ただIQがたくさんあるだけの天才ではない。いつの間にか空手の道場に通って有段者になってしまったりと、『中学生が遭遇するかもしれないたいていのトラブル』にはあっさりと対処できる力を持った天才だ。
神崎麗美という『自分を超える天才』や、鬼塚英吉という『自分にないものを持っている人物』がそばにいたこともあって決して己を過大評価はしていないが、
それでもクラスメイトを相手に『これだから凡人は』と気取るぐらいには有能だし、有能であろうと努力している。

いつか鬼塚だって驚かせるぐらいビッグになってやると、未来の夢を見られるぐらいには。


◇  ◇  ◇


俺だって主人公(ヒーロー)になりたい。
言葉にしてみれば、なんて子どもっぽい、器が小さい、恥ずかしい、菊地様らしくない。

でも、この場所に限っては、そうなりたかった。そうあらなければと思っていた。
だって菊地善人は、最初から意識していたのだから。
『鬼塚英吉は、ここにはいない』
『鬼塚英吉でも、ここまで助けにくるのは不可能だろう』

菊地と神崎麗美が違うのは、鬼塚に対しての認識だった。
神崎は、困った時は助けに来てくれる神様のように思っていたけれど。
菊地は、一人の先生として、同じ人間として見ていた。
過剰に信頼せず、かといって全くの信頼がないとも言わず。

だから、神崎なら思わないことを、決意する。
つまり――あんな主人公(ヒーロー)のように、自分もなりたい。
先生みたいに、殺し合いなんてものを始めた悪党どもに一発キメてやると。

ましてやこの世界には、彼らの鬼塚英吉(主人公)がいなかったのだから。
そして鬼塚英吉がいない3年4組なら、クラスの参謀役である菊地善人が、それらしい役回りを演じてみようとするしかなかったのだから――

「論破されたら暴力かよ。しかも武道を喧嘩に使っていいのか」

七原の右手を止めたのはいいけど、その直後に少し困った。
このまま押し倒しに移行するのは簡単だけれど、一方的に殴りかかって押し倒してにでは、何がしたいのかちょっと分からない。
いや、殴りたいのは本音だったけれど、一方的にフルボッコにしたかったのかと言われたら違う気がすると血が上っているなりに分析する。

「お前こそ、殺し合いの経験がどうたら言ってたくせに、全然なってないじゃねぇか!
人の殴り方も知らないのかよ!」

とりあえず売り言葉に買い言葉で言い返す。
七原の額に青筋がびしりと浮き、その頭が勢いをつけるようにのけぞる動きをした。
空いた左腕で殴っても躱される、と読んでの頭突き。
追い詰められた人間がヘタを打つ時と同じだと菊地は予想して――その予想を、完全に外された。

「だっ……!!」

頭突きではなく、噛み付き。
それも、拘束していた手の指先を、犬歯で食いちぎるように。
左手から力が抜けた隙を逃さずに七原の腕が自由になり、そして右ストレートのやり直しが菊地の腹に突き刺さっていた。
身体は鍛えていたが、それでも痛かった。

「がっ……!」
「殴り方、なんか知らなくても、殺し合いは、できんだよ!
そっちこそ、ご自慢のその拳はここじゃ役に立たなかったのか!?」

腹を曲げて身体を追ったところで、七原の蹴りが追撃する。
根性を発揮して転がるように回避。
距離をとってから身を起こしつつ、回復する間を持たせるためにも叫び返す。

「ああ、使うつもりだったさ!! 使う機会なんか来なかったさ!!
腕から鉄球を出したり鉄柱を出したり、指からビームまで出したり!
空手をかじった程度でどうにかなるレベルじゃなかったさ!!」

七原は律儀にも、菊地が立ち上がるまで待っている。
これまでに遭遇してきた敵の中では、正直、こいつが一番『中学生』らしかった。
化物じみた力を持つ者がうろうろしているこの世界。
バロウ・エシャロットも浦飯幽助も、さっき立ち会ったホテルひとつを倒壊させる規模の戦いも。
正直なところ、菊地とは違う次元にいる超人達が戦っているようにしか見えなかった。

「だったら自分(テメェ)の限界ぐらいは分かるだろうが!
 ヒーロー気取りで他人の心配する前に、死なないことを考えてろ!」

そう言い返されたことが、菊地を奮起して立たせた。
もっぺん殴る。
そのために最適化された拳を構えて、一陣の風のように飛び出す。
わざと『気づかせる間』を与えた最初のワンパンとはレベルが違う。
空手と言えば『破壊力がある』『実戦向き』というイメージが公にも知られているが、それはつまり『速い』ということに他ならない。

しかし最善の一撃よりも早く、『ヒュン』と空気を裂く音が鳴った。

「テメ……能力を使うのは卑怯だろうがっ!」

テレポートを使って菊地の背後に回り込んでからの背中蹴りが繰り出されるのと、
菊地が咄嗟に振るった裏拳がタイミングよく激突するのは、ほぼ同時だった。
双方ともに1ヒットを稼いたことになり、顔をしかめながらよろけ、そしてまた立ち上がる。

「格闘技経験者を相手に、卑怯も何もあるか!」

というのが、頬を抑えながらの七原の弁。

考えてみれば、ステゴロと口論を並行して繰り広げる必要性はどこにもなかったのだが。
いつしか二人には、拳の応酬と怒声のキャッチボールを同時に遣り取りする流れが出来上がっていた。

右の拳を振り上げ、振りぬきながら、菊地が叫ぶ。

「でも、七原は戦ってきたじゃねぇか! そんな、能力を手に入れる前から!」

七原は覚えたてのテレポートによってまた消失し、菊地も不意打ちを警戒してその場から無作為に跳んだ。
テレポートを回避手段として使うようになったことで、双方がタイミングを見計らうようになり、通常攻撃がその分だけ浅いものとなっていく。
七原を探しながら、菊地は溜めていた言葉の続きを吐き出す。

「俺と同じ一般人なのに、負けたり、失ったり、傷ついたり……それでも、ロベルトとか切原とか相手に、ずっと前線に出てたじゃねえか!
 俺にとっては、それだけでも『主人公(とくべつ)』なんだよ!!」

主人公(とくべつ)な人間のことを、菊地はよく知っている。
漫画やドラマの主人公みたい――なんて形容は気取っているかもしれないが、それでも『吉祥学苑でそれに当たる存在は誰だ』と尋ねれば、生徒の誰もがそいつの名を挙げるだろう。
その教師は、決して天才などではなかった。むしろ、ただの人間より劣っていること多数だった。
最初は、尊敬するとか軽蔑するとか以前に呆れた。
今までに出会った人間の中でも一番の、斜め上をいくような馬鹿だったのだから。
それなのに、まさかこんな教師がいるなんて、と感嘆だけが残る。
これまでに積み重ねてきたIQ180の勉学も、タイ語や北京語なんてマイナーなものも含めてしっかりと詰め込んできた知識も、合成写真作りだとか隠し無線の制作だとかの実用的な小技も、
すべてをフル活用して勝負したとしても、とうてい敵わない『特別な人間』がいることがたいそう愉快だった。

そして、この世界にも主人公(ヒーロー)たる存在は何人もいた。
まっすぐでも歪でも、揺るがない信念を持っていて、それを貫くだけの強い心を持っていて。
彼らは菊地と同じ中学生だったけれど、菊地よりもずっと立ち向かう術を、大切なものの守り方を、知っていた。

「勝手に憧れてんじゃねぇ! 俺が何をしたか、少しでも話しただろうが!」

連続でテレポートを使ったのだろう。
七原は菊地の眼前に出現して、いい音がする右ストレートで菊地を転ばせた。

「佐天を死なせて、典子を死なせて、桐山も、赤座さんも、竜宮も、船見も、白井も!
 死なせてきたり、殺したりの連続なんだぞ!」

知っている。菊地には七原を羨む資格はないどころか、どだい無礼かつ不謹慎な感情だろう。
だが、それでも。
全身がギシギシ軋んできたのを無視して、菊池は上体を起こした。
七原を見上げて、吐き出した。

「憧れたりしてねぇよ! でも、俺みたいな卑怯者より、ずっと頑張ってる!
俺は、皆に戦わせて棒立ちだったんだからな!」

知恵をしぼって、知略を尽くして、あるかもしれない脱出の光明を探す。
犠牲になってしまった人たちのためにも、生き残ることを考える。
人間離れした連中に襲われた時には、植木のようなヒーローが戦ってくれる。せめて適材適所として、彼らのサポートでも演じたい。
それでいいと、思おうとしてきた。割り切ろうとしてきた。
でも。
植木も杉浦も、いなくなった。
たった一人で、そんなことできやしないと分かった。

「いい先輩ぶって、後輩から慕われて、そういうのが、嬉しかったんだ!楽だったんだ!
 俺はお前みたいにできねぇよ! たった一人になっても、自分のやってることに誇りも正義も持てないんだよ!」

殴ると見せかけて、脛を思い切り払ってやった。
七原の表情に驚きが浮かび――しかしよろめきながらも、菊地の袖を掴んで引いた。
二人して、杉林の腐葉土にどさりと転倒する。
取っ組み合う。殴り合う。
拳を振り下ろしながら、振り下ろされながら、それでも合間に、息継ぎをするように怒鳴る。

「俺だってそうだったよ! 好きで――ぐっ……こうなったんじゃない!
プログラムでっ……亡くしたんだよ! 家だって無くなった!」
「俺だって、クラスメイト亡くし――だっ! 亡くしてるよ!
 全員じゃないけど……はぁっ……三年四組には、戻らないんだ!」

胴体の間に膝をいれて、膝蹴りの応用で七原を投げた。
七原の背中が腐葉土に落下する、どさりという音がする。

「急に持ち出すな――っんなの、初耳だ!」
「仕方ねぇだろ! 俺だって我慢してんだよ! 俺のが先輩だしゲェホッ……後輩の方が、ショックでかそうだったん、だから!」

吉川のぼるの名前と、相沢雅の名前が呼ばれた。
泣いていた植木耕助や杉浦綾乃がいた手前、二人の心痛を慮ることばかりに苦心していたけれど。
クラスメイトが笑顔を取り戻し、更生していく過程を見てきた菊地にとって、その死が軽くなかったはずがない。
四組のいじめられっ子筆頭だったけれど、鬼塚がやって来てからは見違えるほどの度胸をつけていった吉川のぼる。
何度も鬼塚派と敵対してきたけれど、一年の頃からクラスを共にし、四組のアルバムを作って『いつもクールな菊地クン』とかアルバムに書きこんでいた相沢雅。
植木耕助のように、戦友というわけではなかったけれど。
杉浦綾乃のように、暇さえあれば共に過ごすような密度の濃い友人という付き合いでもなかったけれど。
それでも、彼らは『四組の仲間』だったのだ。

1人だけ涙を見せずに落ち着いていられたのは、抑えていたからだ。
植木たちがそばにいなければ、八つ当たりで手近にあったものを殴って蹴り砕いて壊しつくすぐらいのことだってしていただろう。

「何もできねぇんだよ! 年下の奴らにばっかり戦わせてきたんだ!!
だったら……だったら俺は、せめて、『先輩』としてぐらい、しっかりしてなきゃ駄目だっただろうが!」

叫ぶと息が切れて、ぜいぜいと喘いで、そして咳が止まらなくなった。
ゲホゲホと、肺から咳が出ていくたびに、弱くて汚い胸の内が吐き出されていく心地がする。

目の前で、神崎麗美をも喪った。
その死を前に、何もしてやれなかった。
もしかしたら菊地の言葉が何かを変えられたのかもしれないけれど、それを確かめる前に、
救おうとしていた神崎麗美から庇われて、救けられてしまった。
麗美のことばかりじゃない。
守るとか守れないとか、成功するとか失敗する以前の問題だ。
動くことさえ、できなかった。

バロウ・エシャロットが図書館を襲った時には、『自分にできることはないから』と正義の味方(ヒーロー)の植木耕助にすべて押し付けた。
そんな菊地のことを諭して、植木を助けた真のヒーローは、碇シンジだった。

二度目にバロウが襲ってきた時は、これまた年下の越前リョーマに戦ってもらって、綾波レイや高坂王子もそれぞれに戦ったなかで、何もせず見ていただけで。
越前や高坂は迷わずに綾波を止めようとしたのに、シンジの遺志を知っていたはずの自分はただ、止めることさえも迷っていただけだ。

軽い偵察気分でいなくなっていた間に、杉浦綾乃の身には何事かが起こっていて。
菊地は彼女がいてくれたことで、支えられてきたのに。
彼女がいなくなったのはもしかすると、菊地が杉浦のそばを離れていたせいかもしれなくて。

浦飯幽助たちとの戦いの時も、菊地が駆けつけた時にはとっくに手遅れで、宗屋ヒデヨシが犠牲になった。

ホテルでの戦いに居合わせた時には、菊地以外の全員が体を張ったおかげで生かされた。

菊地の代わりに陣頭に立っていた主人公(ヒーロー)たちの責任なんかでは断じてない。
菊地自身が迷ったり出遅れたりしたせいで、何も成せなかったのだから。

『先生』ぶってあれこれ口を出してきたけれど、そんな言葉を送った生徒の多くが死んでしまった。
生きている彼女たちだって、こんな時にそばにもいてやれない人間の言葉が、今、どれほど支えになるものか。
今だって、一刻も早く杉浦を見つけなければいけないのに、海洋研究所にいないと分かれば、もうどこに行ったのか見当さえつかない。

「俺だって――役に立つ男になりてぇよ!! 主人公(ヒーロー)みたいに――一発キメられる男になりたかったよ!!」

未だに『悪党を排除するかどうか』なんてことに悩んでいる菊地とは違う。
自分にしかできないことを持っている、己の役割で人に影響を与えられる、そんな主人公になりたかった。
もちろん、鬼塚と菊地ではスペックが違うのだから、まるっきり彼のように真似てみるような愚行には走らなかったけれど。
それでも、『生徒(こうはい)の進む道を照らしてやる』とか『生徒(こうはい)が助けを求めていたら駆けつけて危機を救う』とか、そんなことが、できるようになりたかった。
主人公どころか、何もしていない。
役割が欲しい。価値が欲しい。じっと棒立ちのまま死んでいくのを見るなんて、もう嫌だ。活躍したい。意味をください。

まだ生きている誰かを守れる、力をください――

「――頑張ってる、とか言われたのは初めてだったよ」

腐葉土に転がったまま、七原がそう呟いた。
なんで殴られながら褒められたんだよ、とぼやくのも忘れずに。

「竜宮には立派だって言われたし、白井には正しいって言われたけどな。
 あいつらはあいつらなりに悩みを抱えてたから、頑張ってたから、逆に出てこない言葉だったんだろうな」

身体にはどっしりと疲労感が乗っている。
場違いかもしれないが、遠足や林間学校から帰った後の、熱っぽいような疲労とも似ていた。
身体はボコボコに凹んでいてもおかしくないぐらいに痛かったけれど。

「――ちょっと、偉そうに言い過ぎたな。
 役に立たなかったのは、プログラムの時の俺だって同じさ。
 俺だって、一回目は川田にほとんど押し付けてたようなものさ」
「そうでもないだろ。戦い方見てりゃあなんとなく分かったよ。
 ……正直、どっちが不幸自慢してたのか分からなかったな」

それが謝罪の代わりだったのだろうか。
そう言ったことで、本当に最後の力が抜けた。
杉林の隙間から星空が視界に入ってくる。
強敵だった。
七原の戦い方は、噛み付きやテレポートまで何でも使ってくる容赦のなさがあった。
単に、ずるい、というだけじゃない。
とっさにそれらを使う選択肢が普通にあるほど、がむしゃらに戦場を生きてきたはずだから。
七原にもまた、菊地の戦い方を知られた気がする。
さかんに『格闘技経験者』と愚痴を吐いていたが、それはつまり、基礎のスペックでは圧倒的に開きがあり――菊地がそれだけのものを積んでいたことを、認めたということだから。

拳で語れば全てが分かる、なんてクサイことは信じていないけれど。
それでも二人は、気が済むまで、喧嘩をした。

「――馬鹿だろお前」
「うるせぇなぁ。馬鹿って言うやつが馬鹿なんだよ馬鹿」
「今自分で言ったぞ馬鹿。なら俺たちはどっちも大馬鹿か」

そして。
菊地はこの時になって初めて。
友達のためではなく、自分のための涙を、少しだけ流した。


◆  ◆  ◆


「結局、決意は固いのか?」

七原が、進路について悩んでいる学生ふたりのような平穏さで、そう尋ねた。

「ああ。頭は冷えたけど――それでも俺にはやっぱり、他の道は選べないと思う」
「それは結局、思考停止かもしれないぜ?」
「そうかもな――でもな、本当なら、今、自分の進路を決めるなんて、しなくていいはずだろ……?」
「進路、ねぇ……」
「七原だって、今日明日にでも復讐を始める予定じゃなかったはずだろ。
 プログラムが終わって、まずは生き延びて――十年計画とかで、革命のやり方でも覚えるつもりだったんじゃないか?」
「そりゃあ、な」

答えを見つけられるのは、すごいことだ。
けど、見つけられなかったからって、本当なら焦ることなんかないはずだ。
鬼塚英吉だって、和久井繭事件の時に言っていた。
10年後でいいのだと。10年後にBIGになって、見返しに来いと。

『そんぐれぇ背負って生きた方が張り合いが出るもんなんだよ人生っつーのあよ』

生徒にはみんな、未来があるはずだと。

「でも、10年後じゃ駄目なんだよ。ここでは皆、今しかない。今決めないと、死んじまう。
でも、ほんとなら『今しかない』はず無いんだ。未来が欲しいんだ」

階段に座り込んで、終わらない夢の話を、いつまでも続けられるような。
そんな未来が、菊地善人のハッピーエンドだ。

「主人公じゃなくていい。悪役(さつじんき)でいい……先生からぶん殴られたって、植木と同じところに逝けなくたって、杉浦から軽蔑されたっていい。
 未来のためなら今、殺していいなんて思わないけど。みんなが『今だけ』じゃなくなるなら、それでいい」

ハリセンを持ってダジャレを言っていた、杉浦の笑顔を思い出した。
二度目に出会った時は――正直シンジのことを思うと寂しくはあったけれど、
越前と綾波が、ずいぶんと距離を縮めていたのを思い出した。
植木耕助が気にかけていた、天野雪輝がまだ生きていることを思い出した。
初めて出会った同い年の少年、七原秋也の方を見た。

「未来ねぇ……俺は今すぐ大人になったっていいけどな」
「七原はそれでいいんじゃないか? それに、言うほど大人でもないみたいだしな」
「大人だって殴り合いの喧嘩ぐらいするだろ」
「そこじゃない……七原が、色んなことを俺に教えてくれた心境の変化のことさ。
 現実主義者(リアリスト)なら、宗屋のことなんか、いくらでも自分に悪印象な情報はごまかして、都合のいい話を作れたはずだろ」
「さっきの放送を聞いたろ? もう二十人も生き残っちゃいないんだ。
その中で殺し合いに反抗するつもりでいる奴はもっと少ないだろうな。
より有益な情報を持ってるやつだって、既に死んじまったか分からない。
こんな状況で、お互いに情報を出し渋って、お互いに何も分からないまま自滅していくよりは、打ち明けた方がマシだとは思っただけさ」
「それだけか?」
「一応、聞いてみた。『ずっとここにいる』って言った奴がいたから、胸に聞いてみたんだ」

直後に、言いすぎたと思ったらしく、寝そべったまま顔を90度背けられた。
菊地も聞きすぎたと分かったので、話題を逸らすことにした。

「まぁ、反則スレスレの技を喧嘩で使ってくるあたりは、大人げないかもな」
「有段者が初心者をボコボコにするのと、どっちが大人気ないんだよ。
 だいたい、喧嘩ってのは勝つためなら何でもありじゃないのか?」
「いや、言っとくけど、俺はもっと本気でやろうと思えばできたからな」
「加減してたのか?」
「いや、わりと本気だったよ。ただ、喧嘩に有利な道具を持ってたけど、使わなかった」

まだ紹介をしていなかったこともあり、菊地はその携帯電話と説明書をディパックから取り出した。
元々は、宗屋ヒデヨシが持っていた説明書きと、電話番号のメモだった。

「未来日記か……?」
「ああ、さっきかけてみたら、契約の許可を出してもらえたんで、しておいた」
「ああ、話をする前に電話をかけたりしてたやつか」

七原は寝転んだまま説明書きを月明かりに透かして読み始めた。
菊地も寝転んだままディパックをまさぐり、大きなタオルを二枚取り出す。

「ほれ」

一枚を七原に投げた。
元は、神崎麗美のディパックに入っていたもので、どこかのサービスエリアの売店にあるタオルのように知らない地名がプリントされている。

「おー、ありがとよ」

七原が頭にタオルを被り、だるそうにゆっくりと汗を拭く。
菊地も同じようにした。
ただのタオルなのに、神崎が遺したものだと思うと少し切なかった。
だから菊地は、しばらく布の中で両眼を閉ざしていた。


◇  ◇  ◇


それは、分岐点。

あの時、気分が変わって外出していなければ。
あの時、ちょっと気が向いて友達に電話していなければ。

人生には、そんな選択肢が往々に存在する。
『いなければ』の後にはたいてい、一生引きずるような大事故に遭うだとか、逆に知っていなければ大失敗をするところだった情報を知って掬われるだとか、そんな分岐点が待っている。
その時、七原秋也に訪れた選択肢も、最初は何気ないものだった。

汗を拭きながら、ふと閃いたのは、ちょっとした思いつきにすぎない。

頭には、全面を覆った大きなタオル。
右手には、無差別日記の携帯電話。

その効果は、先ほど電話番号の書かれた説明書きを読んで覚えた。
所有者の周囲で起こる出来事を、所有者は除いてむさ別に予知する未来日記。
これまでに見てきたいくつかの未来日記の中でも、極めて汎用性が高い。

そして、現在未来日記の所有者となっているのは菊地善人だ。
つまり、無差別日記は、菊地のそばにいる七原の予知ができるということになる。

体育座りのような姿勢で座って、頭からタオルをかぶってぼーっとしているようにする
そういう仕草をすることで、ごまかす。
体育座りならば膝の上に置いている両手を、それとなくタオルの内側へ。
どこかで監視なり盗聴なりしている主催者からは見えないように、布をへだてた下で携帯の画面を開く。

左手で、首輪に手を当てる。

右手にある携帯電話の、未来予知を確かめる。

これから試すのは、『首輪を外そうとすることで、未来がどう変わるのか』だ。

そして――。


◇  ◇  ◇


結論から言えば。

この時、ほんの思いつきから行動していなければ、七原秋也は知らないままだった。
行動していたことで、七原秋也は知ってしまった。
知ってしまった真実は、ひとつ。











――七原秋也の『首輪』は、機能が停止している。

最終更新:2021年09月12日 18:02