少女には向かない職業(前編) ◆j1I31zelYA


『それ』によって先攻と後攻が決まる、RPGの戦闘だけではない。
『すばやさ』とはあらゆる戦闘における重要な要素である。

まず、己と敵の両方が一撃必殺の攻撃力を持っていた場合、一撃を先に打ちこんだ方が勝者となれることは言うまでもない。
一撃で倒せなくとも、負傷させられた方は少なからず動きが鈍る。その後の戦闘の主導権が、そこで確定してしまうと言っていい。
その他にも、相手を翻弄することができる、敵からの攻撃を回避しやすくなる、連撃につなげやすくなるなど。速さで上回る利点は、挙げていけばキリがない。
しかし、必ずしもスピードのある方が勝利するというわけではない。
例えば、足が遅くとも大成するサッカー選手はいる。他の選手よりスピードが遅いのならば、その分だけボールに対して早く反応すればいい。

そして、現在の我妻由乃が直面しているのも、正にそういう問題。
常人の何倍ものスピードで仕掛けてくる敵、マリリン・キャリーを、どうやって仕留めるかという問題だった。
常人の十倍近くのスピードが出せる敵である。
銃口を向け、狙いを定めて引き金を引くまでのタイムラグで射線から逃げる。それだけの速さを向こうは持っている。
どころか、下手すれば狙いをつけかねている内に接近を許し、機関銃を無力化されてしまうだろう。

そして、銃撃するに当たってクリアしなければならない問題がひとつ。
マリリンよりも先んじて動くことだ。こちらの動きがマリリンに監視されている現状で、奇襲を仕掛けるのは難しい。
きっとマリリンはミラーハウスの外で、由乃が姿を現すのを手ぐすね引いて待ちかまえていることだろう。
こうやって立てこもっている間に、焦れて別の標的を探しに向かう可能性はおそらく低い。
マリリンは戦う為だけに戦っているようなタイプだ。優勝目指して、殺しやすい相手から確実に殺していくような発想は持たないだろう。
今ある装備と策略を用いて、不意打ちに必要な隙を作っていくしかない。
ディパックを開けて、ミニミ機関銃の予備マガジンと紙の束を取り出す。
雪輝とヒョウ柄シャツの少年からディパックを奪ったことで、支給品はずいぶんと充実していた。
中でも重宝すると思われたのが、題字に『会場詳細見取り図』と記された、何十枚ものコピー用紙の束である。
そこには携帯のGPSだけでは表示しきれない、遊園地内部の詳細地図や、アトラクションひとつひとつの解説まで、詳細に記されていた。
由乃が数十人の参加者を警戒していた遊園地に、正面の入園ゲートから堂々と入れたのも、見取り図で園内を把握していた自信が大きい。
上手く地の利を得ることができれば、マリリンに先んじて動くことも、死角から奇襲することも、やりやすくなりそうだ。
あとは、他の支給品をどう使っていくか。

思考をめぐらせながら、撃ち尽くしてしまったミニミ機関銃の弾倉を予備弾倉と交換する。
その手慣れた所作に、未知の能力を持つ敵への恐れはまったくない。

我妻由乃は、負けてはならない。
愛する人を失わない為に、負けてはならない。
相手が超人だろうと化け物だろうと、知ったことか。
背負うものもなく戦う為に戦っているような奴に、負けたりはしない。




「ずいぶんと、お待たせになりますのね……」

待てども人影の見えないミラーハウス出口を監視しながら、マリリンは退屈そうに呟いた。
しかしその言葉に、対峙を避けている少女への、苛立ちは含まれていない。
今か今かと敵を待ちかまえている時間も、それはそれで心地よい緊張感があるものだ。
出口から飛び出してくるか、あるいは入口から回り込んでくるか。さすがに、派手にミラーハウス側面をぶち抜いてくることはないだろうが――

木の葉の擦れ合う微かな音と、生き物が動く気配。
出口でも入口でも、側面でもなかった。

(……上!)

ミラーハウスの、マリリンから見て、ちょうど点対照となる位置の外壁。
屋根を覆うように生えているセコイアの樹上で、生き物が動く気配があった。
おそらく、従業員通路の窓から抜け出すなどしたのだろう。

(高所から機関銃を掃射するつもりでしょうか……?)

ミラーハウスの屋根伝いに追うべきか、地上から回り込むべきか、微妙な位置だった。
マリリンは少しの時間を費やして迷い、後者を選択。
助走をつけてミラーハウスの屋根の桟に飛びつく。

――バララララララララララッ!

射程100メートルを持つ弾丸の雨が、屋根を穿ち破壊した。
向こうはマリリンの位置まで把握していないのだろう。着弾場所は、ぶらさがった場所のはるか右だった。
むしろ驚嘆すべきは、機関銃が掃射された足場だ。
園内にはりめぐらされた、スカイサイクルのモノレール。
セコイアの枝から飛び移り、そのレール上に彼女は立っていた。
肩に機関銃を押しつけて反動を殺した理想的な姿勢が、遊園地の照明に照らし出される。

――バララララララララララッ!

わずか十数センチの足場で、再びの掃射。
まるで『この状態でも撃てるのだ』と誇示するように引き金をしぼると、少女はくるりと背を向け、駆けだした。
園内の街頭ほどの高さがある高所を、地上と遜色ない速さで、一目散に走る。

(なるほど、威嚇が目的だったということですのね)

あっさり逃走に切り替えた少女を見て、マリリンはその狙いを理解した。
わざわざスカイサイクルのレールに乗ったのは、マリリンの追撃ルートを限定する為だ。
不安定なレール上でも撃てる。そのことを披露する為に、少女は屋根を撃ってみせた。
もしマリリンが少女を追ってレールに飛び乗れば、少女は即座にミニミ機関銃を掃射するだろう。
細いレールの真後ろに立った相手を撃つのだ。狙いをつける必要すらなく、振り向いて撃つだけでも当たる。
ミニミ機関銃から放たれるNATO第二標準弾の弾丸速度は毎秒900メートル超。
『一秒を十秒に変える能力』を使ったとしても、毎秒900メートル超の速さが、毎秒90メートル超の速さになるだけだ。
マリリンは撃たれる前に射線から逃げることはできても、銃撃が放たれてから回避することはできない。
よってマリリンは、レールに飛び移って一直線に距離をつめることができない。
そこまで考えて、少女はレールの上という位置取りを選んだのだろう。

「素晴らしい発想ですわ! あの状況と貴女の身体能力から考えられる、ベストな撤退方法だと認めます」

そして、やはりマリリンの見立ては間違っていなかったのだ。
あの少女は、より高次元の闘争をもたらしてくれる。
ミニミ機関銃という装備を、限られた状況の中で、もっとも効果的な形で活用してきたのだ。
その上、あんな不安定な足場で軽機関銃を使いこなせるほどの、戦闘経験を積んでいる。
どんな能力者と戦ってきた時も、ここまでの意外性を見せられたことがなかった。
それまでマリリンが戦って来た中学生の多くは、神候補から与えられた能力に甘え、戦闘に手榴弾や実弾を持ちだしただけでまごつくような素人ばかりだった。
能力を得る前から本物の実戦を積んできたような中学生は、案外少なかったのだ。
この少女なら、もっともっとマリリンを満足させてくれる。

確信を持って、マリリンは地上に飛び降り、追跡を開始。
『一秒を十秒に変える能力』で少女より前方に回り込み、進行方向に先回りする形でプレッシャーを与える。
牽制のように銃撃が襲って来るが、時間を十倍にすれば回避することは容易い。そのまま先行を続ける。
まさかこのまま逃げ切ろうというつもりではないだろう。
レールの上を回り続けていても、いずれ逃げ場はなくなる。
地上に降りてしまえば圧倒的にマリリン有利であることは、少女も理解しているはず。
ならば逃げるだけにとどまらず、何かを仕掛けてくるはずだ。

果たして、『何か』はさほどの時をかけずに訪れた。
園内の南側半分を一周する長いスカイサイクル。園内の様々なアトラクションの頭上を横切ることもあれば、すぐ隣を迂回することもある。
そのアトラクションは、一つの建造物だった。
わざと朽ちたような外観にした木造建築と、おどろおどろしい看板。
それらが意味するところは、ホラーハウス。
その二階窓が、モノレールのすぐそばに面していた。
室内に逃げ込まれる可能性を考慮して、マリリンはホラーハウス入口へ向かおうとする。
しかし能力発動よりも早く、ホラーハウス正面に大量の弾幕が注ぎ込まれた。
何としても先に突入されるわけにはいかないと言わんばかりに。

果たして少女は、ホラーハウスの窓へと跳躍した
総重量10キロ近い機関銃を抱えて、軽々と。
二階窓ではなく、ひとつ上、三階の窓の桟に飛び乗る。

飛び移ると同時、銃身で窓ガラスを割ると、建物の中へ姿を消した。
その身軽さに改めて驚嘆を覚えつつ、マリリンは少しの間だけ立ち止まる。
状況だけならば、先ほどと同じだ。
内部の入り組んだ、室内型アトラクションに立て籠もった少女。
しかし状況は違う。さっきはマリリンが誘い出す側だったが、今度は少女が誘いこむ側だ。
霊透眼鏡を取り出し、建物の内部を透視する。
暗闇の中、室内を階下へと走る少女の影がぼんやりと浮かび上がった。
下階に降りて逃げることが目的なら、二階の窓から入ればいい。
わざわざ三階から二階へと降りた以上、ホラーハウス内の構造を知り、策を実行する為に効率的な道順を取ったと考えるべきだ。

(わざわざ私を楽しませようとしてくださっているのに、誘いを断るのも無礼ですわね)

敢えて十分に時間を与えてから誘いに飛び込むのも一興だが、それは流石に楽しみたいのを通りこして油断になってしまう。
迅速に突入するのが、ここでは最良手。
しかも、今のマリリンには霊透眼鏡がある。
遮蔽物の多いフィールドで、隠れ潜んだ敵を見つけるには有利な装備だ。

(いいでしょう。ご招待にあずからせていただきますわ)

正面入り口から入るか、少女にならって3階窓から入るか。
後者を選んだ。逆側から入れば行き違うリスクがある。
内部が迷路状になっていた場合、ミラーハウスの時のように壁を壊して進むことはできないのだから。
レールを支える鉄柱をよじ登り、モノレールから三階の窓の桟へ。
飛び降りた。

床に接地すると同時、雷鳴の音が出迎えた。

(これは……)

そこは、巨大な液晶スクリーンを壁の一面に据えた小部屋だった。
室内は映画上映の為に暗く保たれ、映像の中では学者らしい壮年男性が嵐の樹海で口上を述べている。
どうやら、観客を待たせるプレショーの真っ際中のようだ。
上映が終わるとスクリーンそのものが二つに割れて、扉となる仕組みらしい。
逆側には正面入り口へと戻るルートもあったが、霊透眼鏡で少女が動いていた方向とは違う。
あるいは、上手くいけばショーのタイミングが時間稼ぎになることも計算内だったのかもしれない。

ここから先はアトラクションの順路にそって進むことになるらしい。
マリリンは改めてスクリーンを注視し、上映が終わるまでの時間を潰す。
舞台は日本の樹海を想定した妖怪の棲む森であることなど、フィールドに関する情報だけを頭に入れる。
ホラーハウスの趣向などに興味はない。
マリリンにとって、最大の娯楽とは戦いだ。

(一秒を十秒に変える能力、発動)

ぎいいいい、と軋むような音を立てて扉が開かれると同時、能力を発動した。
雷鳴の轟く効果音と、不快にならない程度の霧状の雨、そして紫色の照明に照らされた人口森林が、眼前に広がる。
十倍に時間を引き延ばされた雷鳴が、コンクリートで固められた順路を長々と照らす。
ゲリラ戦の舞台になる本物の密林ならば、こうはいかない。

「では、アトラクションを楽しむとしましょうか」

アトラクションとは、もちろんホラーハウスではなく戦いのこと。
トラップの可能性も警戒し、左右を見渡しながらゆっくり歩く。
のんびり歩いても、十倍の時間では超高速で移動しているのと同じ速さだ。
機関銃のようなタイプの武器をのぞけば、この能力は不意打ちや設置型の罠には強い。
全てが十分の一のスピードになり、仕掛けが発動してからでも容易に回避できるからだ。
とはいえ、ここはまだ安全に通過できる範囲。限られた時間と限られた支給品で、そこまで凝った罠をあちこちに仕掛けるのも難しい。
むしろ限られた時間の中で、敵がどう待ちかまえてくるかに興味があった。

突如として眼前に降りてくる首吊り死体の人形だとか、横道から飛び出してくる熊のように大きな鼠だとかには、何ら興奮を覚えない。どれも人形で、偽物だ。
観客の恐怖を煽るための効果音も、十倍に引き延ばされては濁った雑音にしか聞こえない。

(私には何が面白いのかよく分かりませんわ……。
戦いに縁のない生活をしていらっしゃる方は、こんな子ども騙しでも楽しめるのでしょうか……)

やはり自分には戦いしかないのだな、と再確認する。それを寂しいとも虚しいとも思わない。
数分ばかり――実際の時間では数十秒だろうが――道のりに進み、何もなしに三階を通過。
らせん状の細い通路を階下へと降りると、広い開けた空間が見えてくる。

(仕掛けがあるとしたら、そろそろですわね……)

最深部に進むにつれて、闇が濃くなる。
もはや照明は歩くにぎりぎり必要なだけしかなく、二メートル先の輪郭すらも曖昧だ。
霊透眼鏡で少女を探そうにも、視界そのものが暗くて判然としない。
自分があの少女ならば、この辺りで迎え撃ってくるだろうという直感が働いた。
細い通路の出口、開けた空間の手前でマリリンは足を止める。

そこは、人工的な森林だった。最初に通過した雷鳴のフロアのような、わざとらしく仰々しい演出はない。
こーん、こーんと、涼やかな木琴のような効果音は、いっそ清涼感さえ感じさせる。
暗闇に早くも順応し始めたマリリンの眼には、頭上を静かに旋回する怪鳥らしき影がうっすら見えた。
ごつごつした岩場の間に人工的な若木が隙間なく生えている。遮蔽物には困るまい。

(まず警戒すべきは……岩場に潜んでの狙撃、ですわね)

ライフル弾に死角から撃ちこまれたりすれば、即致命傷になりかねない。
しかしそれは、マリリンにとっても絶好の勝機になる。
ひとたび射線をかわしてしまえば、次の手を与える間もなく接近。
この広さのフロアなら、一瞬で距離をつめて、それで決着だ。

(一度踏みこんで、狙撃の気配を感じれば即撤退。そこで相手の位置取りを見極め、二度目の突入で確実に接近して倒す。
……普段の私ならばそうしていたところですけど、あの方にそこまで単純に運ぶとも思えませんわ)

相手は、マリリンの初手に反応して迎撃してみせた少女だ。
最初の突入ででマリリンを撃ち抜ける策があるのかもしれないし、あるいは地雷のような回避不能の切り札を仕掛けているかもしれない。
例えばワイヤー式地雷ならばワイヤーが切れた感触を察知して避けられるが、地面に埋め込むタイプの罠だとしたら、踏んでから爆発までの時間差はほとんどない。

『囮』を出して、様子を見ることにした。

ディパックから支給品である『彼女』をつかみだす。
投げ入れるようにして、フロアの方に追いたてた。
『彼女』――エカテリーナという名前らしい巨大ニシキヘビは、戸惑うようにすいすいと通路を進む。
いい調子だった。広範囲を動き回ってくれれば、設置型の罠がないかを確認できる。
暗闇では毒蛇かどうかも判別できない以上、少女も何らかの動転を見せるかも――


――バラバラバラバラバララララッ


フロアの四方八方から響くような、乱雑な破壊音。
銃弾が、フロアの『あらゆる方向から』放たれた。

部屋そのものが、機関銃の反動で震動したかのようだった。
ニシキヘビが銃弾に切り裂かれ、踊り狂うように痙攣して動かなくなる。
ひとつひとつが致死のライフル弾が、地面に幾つも穿たれた。
ワイヤーで吊り下げられていた怪鳥の人形が、銃弾でずたずたに撃ち殺されてボトリと落ちる。

ほんの、三秒ほどの間のことだった。
しかし、弾数にして50発ものライフル弾の嵐だった。
何よりマリリンを驚かせたのは、それがどの方向から放たれたか、まったく見えないことだった。


(これは……跳弾!)


銃器を扱う人間ならば、誰でも知っている。
そして、もっとも警戒されている。
どんなものにも弾性がある。たとえ弾く対象がライフル弾だとしても例外なく作用し、まして対象が丸みを帯びたりしていれば、思いがけない方向に跳ね返る。
狙撃のセオリーで頭を避けて腹を狙うのも、的が小さいだけでなく、頭蓋骨で跳弾を起こしやすいからだ。
額のど真ん中を撃ち抜かれた兵士が跳弾で生き残ったという実例さえある。
ことに『竹』という材質は、反発も大きく表面も滑りやすい為、かなりの確率で跳弾が発生する。
その反射する方向は不規則かつ不可思議で、二度、三度と跳弾を起こし、狙撃者自身の元に返って来ることさえある。
間違っても竹藪と水面に向けて撃ってはならないとは、猟銃――機関銃と同じくライフル弾――を使う者の常識だ。
異国育ちのマリリンは、『竹』という素材になじみがなかった。
だから、暗闇で見たその森林が、初見で『竹林』だと気づかなかった。
踏みこんでいなくて良かったと安堵して、マリリンは考えを再開する。

(撃つたびに跳弾を起こすような人口森林。そうなると、撃てる位置も限定されますわね)

弾丸の飛んできた方向は視認不可能だが、跳弾から身を守れる場所となると限られる。
跳弾を、自分が被弾しないように調整することなど不可能だからだ。
弾丸の飛ぶ速度、重さ、弾頭の形状は元より、弾が接触した物体の硬さ、形、接触した角度、表面の摩擦係数、空気抵抗など、あらゆる些細な要素が左右する。
銃口の向きを微妙に変えるだけで、弾道には何千万通りものパターンが生まれる。
そうなると、少女が隠れているのは壁などの大きな『盾』に守られている場所。

(……あの非常ドアの、緑色のランプの下。
隙間が細く開いていますし、間違いありませんわ)

このような大型のお化け屋敷には、途中リタイアを認める為の非常用出口があちこちにあると聞いている。
そのドアの隙間から銃口だけを突きだして、撃つ。
『囮』に過ぎない蛇をすぐに殺してわざわざ手の内を見せたのもそうだ。
ドアで視界が制限されて蛇だと分からず、生き物の気配だけを頼りに撃ったからだと考えられる。

そして、ここまで場所が特定できたとしても、マリリンは迂闊に近づくことができない。
少女は狙いをつける必要すらなく、引き金を引くだけで不規則な弾道をお見舞いできるのだから。
『狙いをつけて撃つまでの動作を取る間に、マリリンの接近を許してしまう』という致命的なウイークポイントを、『意図的に跳弾を起こす』という発想で補った。

ギリ、と歯ぎしりの音を立てる。
運動のせいではない汗がひと筋、頬をつたう。
ドキドキと、胸の動悸がはっきりと感じられる。
唇の両端がヒクヒクとひきつり――


――にんまりと、笑みをつくった。


「面白い……面白いですわ! 未だかつて、私をここまで苦戦させた方はいらっしゃいませんでした…!」

苛立ちは一瞬。次の瞬間には、興奮と歓喜がとってかわった。
ここまで思い通りにいかないのは、久しぶりのことだった。
この戦いの場では、一瞬の判断でマリリンすらも死んでしまう。
ここは、まぎれもなく本物の“戦場”だ。
アドレナリンが満ちる。緊張が極限まで張りつめる。
高揚の中で、思考の回転速度を上げ、打開策をめぐらせる。

「しかし困りましたわね……いったん建物から出て非常用通路から回り込む手もありますが、貴女はおそらく逃げる算段も整えていらっしゃるでしょうし」

声をひそめる必要はない。囮を出したことで、こちらの接近は勘づかれているのだから。
否、敢えて聞かせる。ここから、逆転の状況に持って行くために。

「かといってこの弾幕をくぐり抜ける術はありませんし、完全に手詰まりですわ。
しかし負けを認めるのもしゃくに障りますし……いっそ、相打ち覚悟を狙ってみることにしましょう」

ディパックを探り、最後の支給品を取り出した。
香水瓶より二まわりほど大きな、ビーカーサイズのガラス瓶。

「『イグニス』という気体爆薬だそうですわ。中身を解き放てば、一瞬で拡散するそうです。
このフロア一帯を巨大な爆弾に変えられるということですわ。
そんな場所で機関銃を掃射すれば、どうなるかは分かりますわね」

少女の焦ったようなうめき声を、マリリンの聴覚が感知した。
わずかに開いていた非常ドアが、閉ざされる。
マリリンは笑みを深めた。
うきうきと説明しているが、実はハッタリだ。
イグニスとは説明書に書かれていた名称で、その実体はただの窒素ガス。
普通なら、逃げようと思えば逃げられるこの状況で、自爆を選ぶメリットはないし、ここで少女を一度逃がしたとしても、次に出会った時に楽しませてもらえばいい。
しかし、マリリンは普通ではない。それは己も自覚している。
戦闘狂であるマリリンの性格は、今までの戦いから先方も承知だろう。
だからこそ、『相打ち覚悟で、部屋中を爆弾にする』という無茶な言葉も、『言いかねない』と思わせるられる。(実は神崎麗美との戦いで一度負けを認めているのだが)

「逃げるか爆破を阻止するかは、選ばせてさしあげますわ!」

勢い込んで叫び、瓶を持った手を大きく振りかぶる。
ハッタリでも構わない。
瓶が地に落ちるコンマ数秒の間、狙撃が止んでくれればそれでいい。

瓶を高く、投げた。
同時に、マリリンは新たな能力を発動する。



(一秒を十秒に変える能力――『レベル2』!)


『一秒を十秒に変える能力』のレベル2は、『能力の発動中、マリリンの身体能力を二倍に引き上げる能力』。

倍に強化された脚力を用いて、ひと飛びに非常ドアの前に立つ。
マリリンの時間では、1秒もかからない。実際の時間では、0.1秒にも満たない急接近。

狙撃はなかった。ハッタリは通じた。

――1。

少女を引き出さんとドアノブに手をかける。
鍵がかけられている。
鍵穴を見る。あらかじめロックのつまみが破壊され、内側から解錠できなくなっていた。
少女は用意周到だった。
マンションのドアを拳で破った時とは違う。
いざという時は防火扉にもなる、『防犯』より『防災』を意識した強固な土蔵造りだ。
そして跳弾を攻略された時に少女を守る、最後の盾。

――2

しかし、関係ない。その為の、『レベル2』なのだから。

幼少のころから鍛え抜かれたマリリンの拳は、一撃でコンクリートにヒビを入れることすら可能とする。
その破壊力が、さらに倍の威力を持つのだ。
そして、その拳を『一秒を十秒に帰る能力』を発動しながら振るうということは、

一撃必殺の正拳突きを、倍の威力で、十倍の長さの連撃として叩きこめるということ。


腕を振りかぶる。
打ちこむ。

――打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ

――3。

――打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ

――4。

――打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ打ちこむ

堅牢な非常扉が、ボコボコと沸騰するように凹んでいく。
凹み、変形し、やがてドア全体の形が軋む。

投擲した瓶が、地面に落ち、割れた。
同時に、ドアを支える金属の接合部が、バチンと外れた。

(レベル2――解除)

能力を解除し、仕上げとばかりにドアを蹴り破る。
たとえ撃たれても、銃身を抑えて制圧できる距離だ。
くの字に歪曲した金属扉は、あっけなくパタンと外側に倒れた。
現実の時間で、およそ0.4秒。

(ご対面、ですわ)

そこに桃髪の少女は、いなかった。


最終更新:2021年09月09日 19:00