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死海文書リスト(正典・偽典) - (2011/03/26 (土) 17:42:40) の編集履歴(バックアップ)


死海文書リスト(正典・偽典)

 旧約聖書の39書はすべてヘブライ語で書かれているが、死海文書の中にはエステル記を除いてそのすべてがある。イザヤ書については、前述したとおりその全書を載せた写本が発見された。そのほかの正典書については、写本断片でしかなく、それも場合によってきわめて小さい。しかし、小さな断片でも、その書が当時、キルベト・クムランにあったという事実を示していて貴重である。他方、同じ書について複数の写本断片がある場合もある。死海文書中の聖書写本の数量を示すと、以下のとおり。聖書の書名は本ホーム・ページの聖書研究の中の「聖書に含まれる書名一覧」に基いて、旧約続編を含む旧約全書の書名をここに列挙する。そのそれぞれの書の死海写本中の写本断片数を示す(É.Puech 論文による)。

旧約聖書

書名 ラテン語名 死海文書中の写本数 書名 ラテン語名 死海文書中の写本数
律法(モーゼ五書) 総数89ないし92
創世記 Genesis 19または22 イザヤ書 Jesaia(Iesaia) 21
出エジプト記 Exodus 17(2は創世記と出エジプト記を網羅) 他に1 エレミア書 Jeremia
レビ記 Leviticus 13 他に2 哀歌 Threni(Lamentationes)
民数記 Numeri 8(2はレビ記と民数記を網羅) 他に1 エゼキエル所 Ezechiel
申命記 Deuteronomium 32 他に1 ダニエル書 Daniel 8 他に1
小預言書まとめて 12
ヨシュア記 Josua ホセア書 Hosea(Osee)
士師記 Judices ヨエル書 Joel
ルツ記 Ruth アモス書 Amos
サムエル記上下 Samuel Ⅰ-Ⅱ オバデヤ書 Obadia(Abdias)
列王記上下 Regum Ⅰ-Ⅱ ヨナ書 Jona
歴代誌上下 Chronica Ⅰ-Ⅱ ミカ書 Micha(Michaeas)
エズラ記・ネヘミヤ記 Esra・Nehemia ナホム書 Nahum
エステル記 Esther ハバクク書 Habakuku(Abacuc)
ヨブ記 Iob 4 他に2 ゼファニヤ書 Zephnia(Sophonias)
ハガイ書 Haggai(Aggaeus)
詩篇 Psalmi 34 ゼカリヤ書 Sacharia
箴言 Proverbia マラキ書 Maleachi
コヘレトの言葉 Qohelet(Ecclesiastes)
雅歌 Canticum Cunticorum

旧約聖書続編(第2正典、アポクリファ)

書名 ラテン語名 死海文書中の写本数
トビト記 Tobias
ユディト記 Iudith
エステル記(ギリシア語) Esther
マカバイ記1 Maccabaeorum Liber Ⅰ
マカバイ記2 Maccabaeorom Liber Ⅱ
知恵の書 Sapientia Salomonis
シラ書(集会の書) Sappientia Jeus filii Sirach(Ecclesiasticus)
バルク書 Baruch
エレミアの手紙 Epistula Ieremiae
ダニエル書補遺
 アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌 Oratio Azariae et Canticum trium sociorum
 スザンナ Susanna
 ベルと竜 Bel et Draco
エズラ記(ギリシア語) Liber Esdrae Ⅲ
エズラ記(ラテン語) Liber Esdrae Ⅳ
マナセの祈り Oratio Manasse

合計 217(または220) およそ65%が第4洞窟出土

 他に、テフィリーム(英語でPhylactery、右腕と額につけるための聖句の入った経札)28個やメズーサ(戸口につける聖句の入った小箱)8個、それに聖書のパラフレーズ(書き換え)、ペシエルと言われる聖書注解やほかの文書に引用される聖書本文があるが、上記の数には含まれていない。
 旧約聖書正典では、モーセ五書が89ないし92、詩編34、イザヤ書21と数量的に目立って多い。それは聖書の中でもこれらの書が特に重要とされ、読まれていたことを示唆している。これはまた新約聖書で引用される旧約聖書についても言えることで、興味深い。
 カトリックの第2正典の中では、シラ書のヘブライ語本文、トビト記のヘブライ語とアラマイ語の本文、それに従来バルク書に含まれていたエレミヤの手紙のギリシア語本文がある。第2正典はヘブライ語で書かれたものではないので正典ではないと主張されたことがあったが、この根拠は払拭されることとなった。他方、ユディト記、マカバイ記上下、知恵の書の本文は見つかっていない。

旧約聖書偽典

 ここで旧約偽典というのは、キリスト教全体で聖書としては受容されてこなかったが、古代では愛読され、その古代訳が伝わっている書をいう。これは正典、第2正典以外のすべての書を偽典(Apocrypha)と呼ぶカトリックでは偽典と呼ばれ、カトリックの第2正典を主要部とする文書群を外典(apocrypha)と呼ぶプロテスタントでも偽典(Pseudepigrapha)と言われる。その中で、ヘブライ語またはアラマイ語本文がクムランで始めて入手された偽典としてヨベル書、エノク書、12族長の遺訓、それに偽典詩編がある。

ヨベル書

 天地創造からシナイにおけるモーセをとうしての律法授与に至るまでの歴史を49年づつ49(ヨベルとは7×7=49のこと)に分けて創世記を敷衍訳したもので、それゆえ小創世記とも言われる。これはエチオピア正教会で正典として伝えられてきたので、その全書はエチオピア語訳でしか知られていなかった。他ににラテン語訳が部分的に伝わっている。ギリシア語訳は教父による引用によって知られるだけだが、エチオピア語訳も、ラテン語訳も、ギリシア語訳からの重訳と考えられている。

エノク書

 エノク書は、エノクが自ら見ることをゆるされた幻を語るという形式で書かれている。これは108章からなる長編の黙示文学であるが、内容的に異なる複数の部分の集成である。エチオピア正教会で正典として伝えられてきたので、その全訳はエチオピア訳でしかない。西欧では、本書がほかの著作中に引用される訳文でしか知られず、その全書はまったく知られていなかった。1773年、エチオピアに旅したジェイムズ・ブルースがその3つの写本を英国に持ち帰り、その1つがローレンス大司教によって英訳され、1838年に出版された。それ以降、エチオピア語訳エノク書の写本が多く西欧にもって来られ、翻訳もあいついだ。このエチオピア語訳もギリシア語訳からの重訳とされる。
 エノク書全書(エチオピア語訳)の内容は、以下の通り。
  • 第1部 天界、冥界、下界を旅したエノクの見聞記
  • 第2部 人の子についてのたとえの書
  • 第3部 光るものの書、天文学の書(暦法)
  • 第4部 夢幻の書、夢幻の中で起こった歴史的な出来事を瞑想する。
  • 第5部 エノクの手紙
 このエノク書の写本断片がクムラン洞窟から出土した。第4洞窟出土の6つのアラマイ語写本断片は部分的だが、その第1部のエノクの見聞記と第4部の夢幻の書にあたる。第3部の天文学の書も、第4洞窟出土の4つのアラマイ語写本によって確認された。第5部もその始めが第4洞窟出土の1つの写本によって確認された。ところが、第2部のたとえの書にあたる部分の写本断片がまったくない。それゆえ、「人の子」に言及する第2部は西暦70年以前にはまだ書かれてはおらず、これは西暦1または2世紀のユダヤ教徒ないしユダヤ人キリスト教徒によって作成されたのではないかという。あるいはそれ以前から、クムラン以外のところにあったものか。他方、この第2部にあたる部分の写本断片はないが、その代わりにエチオピア語訳にない「巨人の書」と命名された書の写本断片が出土した。このように、西暦70年以前に流布していたエノク書には、この「巨人の書」が含まれていたらしい。その中で第4部の「夢幻の書」は前160/1年のユダ・マカバイの死を示唆しているので、そのあとに書かれたと思われる。このほかの部分の作成については、第1部は前3世紀遡る部分を含み、また第3部もそれ以前のものかもしれない。ここではヨベル書と同様、キルベト・クムランにいた住民が重視していた太陽暦が説かれている。
 このようにエノク書は、モーセ五書や五部からなる詩編のように、5つの書からなる集成として編集されたのではないかと思われる。その中の「巨人の書」は、マニ教が正典として採用したので、キリスト教はこれを排除したらしい。エノク書は複雑な作成、編集を経て伝わっているが、イエス前後の時代に愛読され、重視されていたことは確かである。それは新約聖書中のユダ書14-15節にその引用があり、また示唆があることからも頷ける。

12族長の遺訓

 12族長の遺訓は、ヤコブ(イスラエル)の12人の子らが死ぬ前に残した遺言として書かれている。つまりルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、ヨセフ、ベニヤミンが残した遺言として書かれている。創世記第49章にヤコブ(=イスラエル)は死ぬ前にこの12人の子らに遺言を残して死んだとあるが、ここから発想を得て、この書では12人の子らが遺言を残している。この12族長の遺言は、これまでギリシア語訳で伝わっていた。しかも、その写本の数はかなりあり、これは2系統で伝わっている。そのほかアルメニア語訳、スラブ語訳、シリア語訳断片、またカイロのゲニザ断片の中にはレビの遺訓のアラマイ語訳があった。
 クムランの第1洞窟からアラマイ語のレビの遺訓の断片、第4度窟から同じくアラマイ語のレビの遺訓とヘブライ語のナフタリの遺訓が見つかった。第3洞窟からはヘブライ語のユダの遺訓と思われる断片が見つかっている。この中の第1と第4洞窟出土のレビの遺訓は、ギリシア語訳で伝わっているものより長く、またそれはカイロのゲニザ断片にあるアラマイ語訳と同じ本文である。これはまたアトス山にあった長い付加をもつギリシア語訳と同じものでもある。ヘブライ語のナフタリの遺訓については、その最初の断片はビルハの系図を含み、またそれに当たるギリシア語訳に比べて長い。ほかの断片は時代の終わりについて述べ、それにあたるギリシア語訳より長い。これらアラマイ語ないしヘブライ語で書かれた遺訓は、クムラン遺跡に人が住んでいた時代にあったものだが、12族長の遺訓のほかの部分はその後おそらくキリスト教徒によって書かれたものかもしれない。クムランで入手された写本断片が古代訳で伝わる本書といかなる関係があるかについては、なおいっそうの検討が期待される。

偽典詩編

 ヘブライ語の旧約聖書には、詩編が150編含まれている。これが正典詩編である。ギリシア語セプトゥアギンタには詩編151があり、ラテン語訳も幾つかのウルガタ訳文の写本にある。シリア語訳旧約聖書(ペッシータ)の写本の中には詩編I,II,III、IV、Vを記載しているものがある。この詩編Iは、セプトゥアギンタの詩編151にあたる。正典詩編150編以外のこれらの詩編は偽典であり、ギリシア語訳、特にシリア語訳で知られてはいたが、ヘブライ語本文はなかった。
 クムラン第11洞窟から詩編の巻物の断片が出土したが、その中にシリア語訳詩編I(=詩編151)、II,IIIのヘブライ語本文の断片が入手された。またその中の第21欄に、前に述べたとおりシラ51:13-19、30のヘブライ語本文もあった(そのヘブライ語本文の断片はカイロのゲニザからも入手されていた)。第4洞窟と第11洞窟からは、これまで知られなかった偽典詩編も見つかっている。