「法皇の憂鬱」プロローグ
サンタクロースをいくつの時まで信じていたかと、まあ随分とマヌケな質問ですが、 もしそう誰かに聞かれたとしたら、正直に言って最初から信じていなかったと僕は答えるでしょう。
小さい頃から妙に大人びて冷めた精神構造を持っていた僕は「サンタクロースなんているわけない じゃないか、ファンタジーやメルヘンじゃないんだから」と、幼稚園でクリスマスの時に来ていたサンタ クロースの格好をした誰かを見ていたのを覚えています。
恐らく僕がおしゃべりか、そうでなければ他人から見て何を考えているかわかりやすい子供だったならば、さぞかし生意気でマセたクソガキに見えたことでしょう。
ただ、実際には自分はおしゃべりでも、他人から見て何を考えているかわかりやすい子供でもなく、むしろその真逆の性格、すなわち友達が少なくて無口で何を考えているのかわからない子供だったので、そのようなことはなかったわけですが。
しかし、サンタクロースを「ファンタジーやメルヘン」と言って信じない子供だった僕ですが、実は宇宙人や未来人の存在は信じずとも、異世界人や超能力者の存在に関しては真剣に信じていました。
いや、超能力者の存在に関しては「知っていた」と言うべきしょう。それはどういうことかと言いますと、つまり僕自身が超能力者というわけなのです。厳密にいえばいわゆる超能力者ではなく「スタンド使い」な訳なのですが、まあその違いに関してのこと、そして「スタンド使い」とは何なのかにつては、おいおい説明していくことにして話を先に進めます。

さて、話は変わりますが皆さんは「輪廻転生」あるいは「生まれ変わり」というものを信じますか。
新興宗教や西蔵仏教でよく言うアレですよ。まあ、世の中の人間、特にいわゆる「大人」の大半は、 恐らくは信じていないでしょう。
僕も昔は信じていませんでした。ですが、霊魂の存在も含め今は信じています。
なんせ僕自身がその体験者になったのですから。
僕には「前世の記憶」というものが有ります。しかも、どうやらその「前世の記憶」というものによれば僕は
「異世界人」(!)のようなのです。僕は前世で1988年に死亡したわけですが、 現世において僕は198X年に前世と全く同じ名前、容姿、両親のもとに生まれました。
僕の両親が僕が死んだあと生まれた子供に死んだ僕と同じ名前をつけたわけではありません。
今の僕は正真正銘の一人っ子です。生まれおちてすぐは自意識自体が薄弱でそんなことには気がつかなかったのですが、 少し成長すると急速に前世の記憶がよみがえってきていて、中学生に上がる頃には、 前世の記憶は完全に回復していました。そして、改めて、自分がこの世界において異質な存在だということを認識したのです。
かつての僕には高校に上がるまで友人と呼べる人間は一人もいませんでした。
世間一般で言う「友人」にあたる人間は何人か自分の周りにいましたが、その誰一人として本当の友人と思ったことはありません。
何故なら、彼らのうち誰一人として、真に僕を「理解できる人間」はいなかったのです。
いや、両親ですら、真に僕は「理解する」ことはできませんでした。何故なら、僕は「スタンド使い」ですから。
「スタンド使い」でない者に、「スタンド使い」を理解することはできません。
僕は常に「一人ぼっち」でした。

ですが、そんな僕を救済してくれた「友」が少なくとも自分には五人いました。
僕の人生はその五人との出会いで変わったのです。彼らと過ごした期間は非常に短いものでしたが、 彼らと過ごした記憶は僕にとって「黄金の体験」だったのです。
しかし、その彼らと死に別れてもう十数年。僕は、この世界にいるかもしれない「彼ら」を必死に探しました。
探して、探して、探して、そして気づきました。彼らは一人としてこの世界にはいないということに。
僕はまた一人になったのです。前世での反省から、前の時よりも人とのつながりを大切にするようには心がけました。
いわゆる「友人」もかつてよりはたくさんいます。それでも僕は一人でした。恐らくこの先もずっと一人ぼっち何だろうと思っていました。
そう、“思っていました”。
そういう事をを頭の片隅で考えながら、何の感慨もなく高校に進んで僕は、


          涼宮ハルヒ、そして彼らにであったんだ。


そういえば、自己紹介が遅れましたね、僕の名は花京院、花京院典明といいます。


  「法皇の憂鬱」プロローグ 了

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最終更新:2007年11月07日 00:31