「お~いっ、こっちこっち~ッ! おまわりさーん、こっちだよ~ッ!」
光陽園の南西のはずれ。広大な敷地を有する自然公園沿いの、物静かな遊歩道。
土曜の午後の木漏れ日に模様付けられたアスファルトの上で。
少女は右手を大きく振るいながら、視線の先に現れた人影に向けて、透き通った声を投げつけた。
彼女の視線の先に、小ぶりなスクーターに跨り、コバルトブルーの制服を身に纏った、警察官と思わしき男の姿がある。
少女同様、街路樹の葉から零れた陽光に体を彩られた男性。荻原恵介―――それが、その人物の名だ。
荻原は、一瞬の間。遠くに写る、少女の姿を見て、思考をめぐらせた後に、スクーターのアクセルを踏み、少女の下へとタイヤを進める。
双方の距離が近づくにつれて、荻原の行く手に立つその人物の様相が、明確なものとして、荻原の脳にしみこんで行く。
整った顔立ちに、いささか大げさすぎるロングヘアーを背中に垂らした、少女と女性の中間ほどの年齢の容貌。
彼女の容姿は、荻原の心に、とても大きな安心感をもたらした。
『彼女は、安全だ。自分に厄を齎し得る様な存在ではない』と。
「遅れて申し訳ありません。西宮署から参りました」
「うん、ごめんねえ。忙しいっていうのに、こんな遠くまで呼んじゃってさ」
少女は、快活であることを、光景として描き出したかのような微笑を浮かべ、荻原の顔をちらりと見た後、あごに指を当てた。
「さっそくなんだけどさ、これ、見て欲しいんだよね」
少女が指差すのは、陰と陽によって描かれた斑のアスファルトのはずれ。茂みに近い位置に打ち捨てられた、小さなビニール袋だった。
一見すると、それは、どこかの誰かが、生活ゴミを乱雑に詰め込み、その場に捨て置いただけの、何ということはないゴミ袋に見える。
しかし、よく見ると。そのビニール袋が、なにやらうごめいているのが見て取れた。
同時に。何か、小さな動物が喉を鳴らすような、甲高い声が聞こえる。
「ね? どうもさ、これ。誰かが捨てた、動物の子どもみたいなんだよねぇ。まったく、悪い人もいるもんだよねぇ?」
少女は眉を顰めながら、ビニール袋の傍らにしゃがみこみ、うごめくビニールの口を、ひょいと持ち上げてみせる。
見ると、確かに。袋の中に、数匹の子猫らしき生き物が、小さな体を重ねあいながら、ニイニイと声を上げているのが見えた。
「これは酷いですね……わかりました、しばらく、署のほうで預からせていただきます。
数日ほどは、貰い手を探させていただきますが、その後は、保健所のほうへ委託することになると思いますが……」
「やっぱり、そうなっちゃうかな? あたしの家で飼ってもいいんだけどねえ。
ただ、やっぱり家族と相談したいからさ。数日間預かってもらえれば、それでいいんだけど」
少女の言葉に、荻原は、心の中で、安堵の息をつく。
そして、同時に。少女が、荻原を、ホンモノの、まがいなき警察官であると信じているらしきことに、大きな満足感を覚えた。
「では……そうですね、署のほうに直接ですと、少々面倒ですので、僕の連絡先をお教えします。
そちらで引き取っていただけるお話が成立いたしましたら、僕に連絡をしていただければ、日取りを決めて、引渡しをして差し上げたいと思うのですが」
「うん、それでいいよ! よかったよ、保健所に直接頼んでくれ。なんていわれたら、どうしようかと思ってたんだ」
少女は屈託のない笑顔を浮かべ―――口の端に覗く小さな八重歯が、荻原の心を一瞬だけときめかせる―――荻原の申し出を承った。
「では、ひとまず、この子猫たちは、預からせていただきますね」
「うん。お願いするよ! ありがとうね、わざわざ。忙しいのに」
「いえ、これが仕事ですから」
自らの口から出たその言葉に―――荻原は、心の底から湧き出るような、充足感に見舞われる。
ああ。今、自分はこの少女にとって。間違いのない、『警察官』なのだ。
荻原が、スクーターの前籠を整理し、子猫たちを乗せるスペースを作る――
「あ……れ?」
自らのスクーターのもとへと辿りついた荻原は、その車体に、何か、違和感を感じる。
そこに有るべきものから、何か一つが欠けている―――何だ? エンジンはかけたままだ。車体に損傷もない。
「……ねえ、おまわりさんさぁ。ちょっーっと、聴きたいことがあるんだけどなぁ」
不意に、背後から、少女の声が聞こえる。
振り返ると、そこには――アスファルトの上にしゃがみこみ。長い頭髪を地面近くにたらしながら、なにやら、黒い鞄の中身をあさっている少女の姿があった。
……そこで、ようやく。荻原は、自分のスクーターを前に感じた違和感の気づく。
荻原のスクーターの前籠に納められていたはずの、私物を詰め込んだデイバッグが、消失しているのだ。
そして、そのデイバッグは、今……少女の元にある。
いつの間に。少女はそのバッグを、荻原のスクーターから奪い取ったのだ?
いや、それよりも―――そのバッグの中には!
「あたしさ、さっき110番したんだけどねぇ。なんか、中心街のほうでデパートから小火が出たとか、光陽園の駅のほうで殺人があったとかで
こっちに来るには、三十分ぐらい掛かっちゃうっていわれちゃったんだよねぇ。
それが、ほんの十分前。あれれ、おかしくないかな? おまわりさんは、西宮署から来たんだよねぇ?」
メンソール・タバコをひといきに吸い込んだかのような、冷え切った感覚が、荻原の背筋から、一気に滲み出す。
「ねえ、最近の白バイって、そんなチョイノリみたいな、フランクなモデルなの? あたし、警察の事情には詳しくないけどさぁ。
でも、よくこういうときってさ。まず、警察手帳を見せてくれてさ。名前とか教えてくれるはずだよね……ね、おまわりさん。
あとさ―――このメモ帳。なーんか、面白いこと書いてあるねぇ? ……ねえ、おまわりさん?」
少女の言葉を背に受けながら―――荻原の視線は。
突如、目の前に現れた、赤い体毛に包まれた、小動物のような生き物に釘付けとなっていた。
赤い衣服を纏った、空中を浮遊する、小型の像……『スタンド』!
まさか。たまたま出逢っただけの、この少女が―――あの『男』の言っていた、『スタンド使い』だというのか!?
「『ファンク・ザ・ピーナッツ一号』!!」
少女の声とともに。荻原の額に、目の前の『スタンド』が、攻撃を食らわせる。
そのダメージは、果てしなく低い。額にBB弾のタマを打ち込まれた程度の衝撃を感じたのみだ。
しかし、その攻撃を受けた瞬間。荻原の体は、まるで、透明の人間に、首根っこをつかまれ、引きずられるかのように、後方へと吹き飛ばされた。
この能力を―――荻原は、知っている。
あの男から受け取った『メモ』に記されていた、『敵』たちの持つ『スタンド能力』のうちの一つ―――
「あははっ、逮捕しちゃったァーっ!」
突風に吹き飛ばされるがごとく、空中を舞っていた荻原の体が。ある一点に到達すると同時に停止する。
今度は、揶揄ではなく、実際に、荻原の襟首をつかんでいる『何か』が居る。
「ね、おまわりさん? 正直に答えてくれないと、『ファン・ピーちゃん』たちが、ちょっとばっかり手荒な真似をしちゃうかもしれないよ?
じゃ、質問なんだけど……おまわりさんはさ。『スタンド使い』だよね?」
「この『メモ』さぁ……薄気味悪い気分になるねぇ。あたしたちのことが、こんなに事細かに書いてあるんだからさぁ。
何々……『鶴屋・スタンド名、ファンク・ザ・ピーナッツ。近距離パワー型、行動範囲役5m、自意識を持つ。背部から遠距離自動操作型のスタンドを射出』……
ふうん。『ファン・ピーちゃん一号』って、背中から出てたんだ。あたしも知らなかったよ、こんなの。
……こんなのってさあ。『スタンド』の全てを知ってる人にしか書けないメモだよねぇ?」
荻原の体を、『スタンド』で捕縛しながら。少女……『鶴屋』は、淡々と、『メモ』を読み上げる。
それはほんの昨晩。荻原が、警察官の制服を身に纏いながら夜の町を歩き、悦に入っていた折に、突如、見知らぬ『男』から渡されたメモだ。
今でもはっきりと思い出せる。昨夜、荻原の身に起きた、あの、今でも夢であったかのように思える、異常な出来事。
わけもわからず戸惑う荻原に……その『男』は、突然、鞄から『矢』を取り出し、その刃を、荻原の顔面へと突き立てたのだ。
しかし。気がついたときには、男は荻原の目の前から消え去っており……『矢』によって貫かれたはずの傷も、跡形も無く消え去っていた。
後に残っていたのは……男に渡された『メモ』。幾人かの人物の情報と――その時点では、荻原には理解できなかった。それらの人物の『スタンド』の情報。
しかし―――夜明け前に、自宅に帰り、愛用の改造エアガンを手に取ったとき。彼は、その『スタンド』という概念を理解した。
『超能力』。荻原は、『スタンド』の概要をそう認識した。もはや、荻原はただの人間ではない。人の持ちざる能力を手に入れた、『超人』なのだと―――
「……『ファンク・ザ・ピーナッツ』の、鶴屋。……フン、そういうことかよ」
粘ついた笑みが、荻原の口からこぼれる。
脳裏によぎるのは―――昨夜。矢を振りかざした『男』が、荻原を貫く寸前に発した、あの言葉。
『君はいずれ、このメモのうちの誰かと出会うだろう。そのとき……君は、その人物を倒さなければ為らない』
「……おまわりさん? いや、『ニセモノさん』って呼んだほうがい―――かなぁ?
答える気が無いなら。鶴屋さんとファン・ピーちゃんが、全力で……
君を『ブチのめし』ちゃうよっ!?』」
背後で聞こえる、覇気を孕んだ『少女』……『鶴屋』の声が。
荻原の中でくすぶっていた欲望を解き放った。
『撃ちたい』
『この能力を、試してみたい』
「やれるもんならァ――――やってみろ、このマヌケがァ!!!」
絶叫と同時に。
荻原は、腰に巻きつけたホルスター――通販で購入したものだ――から、『得物』を抜いた。
リボルバータイプのエア・ガン。
荻原の手によって改造された、本来のエア・ガンの威力を遥かに上回る破壊力を誇る、荻原の自慢の一品だ。
こいつが放つ弾丸なら、コンクリートの壁にだってめり込める。
そして、その銃口を―――荻原は、前方に。
まるで、アメリカン・ムービーで、ポリスマンが眼前のマフィアに向けて銃口を向けるかのように。まっすぐに突き出し―――
その引き金を、引いた。
「『ビッグ・シューター』!! 打ち抜けェ――――!!」
ズキュゥゥゥゥン!!!
銃口から放たれた模擬弾丸が、虚空に向かって放たれる―――
傍から見れば、それはあまりにも無駄で、無意味な射撃であっただろう。
しかし―――この銃には、宿っているのだ。
『荻原恵介』のスタンド――――『ビッグ・シューター』が。
「うぐっぅ!!?」
荻原の背後で、鶴屋という少女が、うめく声がする。
其れと同時に、荻原の首根っこを掴む、スタンドの握力が弱る……その瞬間を逃さず、荻原は体をのたうたせ、拘束から開放された。
振り返った荻原の目に映るのは……左肩を押さえ、痛みに顔をゆがめる、少女の姿。
このアングルからは見えないが……おそらく。いや、間違いなく。彼女の肩の後ろ、肩甲骨のあたりには、荻原の銃弾による銃創が刻み込まれていることだろう。
「惜しかったなァ、『鶴屋』くんよ……俺が君の能力を知っていたように! 君が俺の能力を知っていれば、こんなことにはならなかったろうになァ」
荻原は、叫ぶ。そして―――ちらりと、横目で。先ほど、荻原の放った銃弾が作り上げた、空間の『穴』を見た。
そして、その『穴』から……血を滲ませた鶴屋の肩を視認し、口の端をゆがめた。
荻原恵介の『ビッグ・シューター』。空間を撃ちぬき、別の空間へと弾丸を『ワープ』させるスタンド。
ほんの10時間ほど前に手に入れたその能力を、既に荻原は、完全に使いこなしてた―――!!
「『ファン・ピー二号ぉ―――』!!」
肩甲骨付近から血液を噴出しながら。鶴屋が叫ぶ。同時に、鶴屋の眼前に立っていた。桃色と緋色の混じりあった肉体を持つ『スタンド』が、荻原に殴りかかってくる。
しかし、遅い。その『スタンド』が、荻原にこぶしを浴びせるまでの間の短い期間で。荻原は再び、改造銃を構え、眼前に向けて弾丸を撃つことができる。
「『ビッグ・シューター』!!」
「『ファン・ピーちゃん』、はじくんだよぉー!!」
撃ち放たれた改造弾丸を振り払おうと、鶴屋のスタンドが両手を振るう。しかし、それもまた、遅い!
「亜空間を貫け、『ビッグ・シュータァ――――』!!」
弾丸は、『ファン・ピー』とやらの両手に叩き落される寸前に。空中に『穴』を空け、亜空間へと突き進んでゆく。
そして、その出口は―――『ファン・ピー』の真右。右の二の腕の寸前。その赤い衣服をえぐり、肉をうがつには、あまりにも容易い位置に、弾丸は『ワープ』する!
「うわああっ!?」
『姿』を持つスタンドは、ほぼ例外なく、本体とダメージを共有する。
あの『矢の男』から受け取ったメモに記されていた記述のとおり。
『ファン・ピー』の右の二の腕から、血液が噴出すと同時に。その背後の鶴屋の二の腕からも、血液が噴出す。
「どうだァ。テメェはこの俺にかなわねぇ、そろそろ、それがわかってきた頃じゃねぇかァ!?」
荻原は、心のそこからわきあがるような高揚感を覚えながら、叫んだ。
『ビッグ・シューター』の放つ弾道は、亜空間をつきぬけ、荻原の思うがままの位置へとワープする。
荻原にとって。目の前の少女の体に弾丸を撃ち込むことなど、カルボナーラの卵を割り砕くことほどに容易いことなのだ。
回避などできるわけも無い。弾丸がどの方向から彼女に迫るのかを知る術など、この少女にはないのだから。
たった昨晩までは、ただの警官マニアだった荻原恵介は。今、究極の銃使いなのだ。
たかが十数歳のガキごときに敗北する理由は無い! 例えそのガキが、スタンド使いであろうと、超能力者であろうと!!
「はは……こいつぁ確かにイタイなぁ……あたし、わりと色々な訓練は受けてるけど……
さすがに弾丸を体にぶちこまれるのは、初めてだなァ。これ、痛いもんだねェ……」
……にもかかわらず。女は、軽い口調を崩さず、まるで、この状況を、何かの余興と捉えているかのように、笑みを浮かべながら言い放った。
その態度が、荻原の自尊心にとげを刺す。
この女――――何故俺に屈服しない!?
体中に弾を受けながら、何故――――あたかも、自らが優位に立っているかのごとき態度を取れる!?
「……えらく余裕だな、鶴屋くんよ。もしかして、君は……
この、俺の背後に忍び寄っている! ネズミみてぇなスタンドに、俺が気づいてねぇとでも思っているのか!」
「っ!?」
荻原が『ビッグ・シューター』を得てから、もう一つ。彼の体に備わった、常識を逸脱した能力。
それが『気流』を読む力なのか、あるいは、『気配』。もしくは『存在』そのものを感知する能力なのかは、荻原自身にもわからない。
しかし。たしかに彼は、それを『感じる』ことができていた。
自らの視界外から近寄る『存在』を感知する、その能力によって。
彼の背後に迫り来る、『ファン・ピー一号』なるスタンドの接近を。
バス、バス。
銃口が上空を見上げ、二発、乾いた銃声が響き渡る。
夏の空に向けて放たれた弾丸は、銃口から十数センチメートル離れた『空間』を打ち破り……
ワープ舌先は、荻原の背後……『ファンク・ザ・ピーナッツ一号』の背をめがけ、突き進む!
「クゥァアー!!」
「ぐうっ!」
背後のスタンドが放ったうめき声と、眼前の少女が発した声がユニゾンを奏でる。
少女の背から血が噴出すと同時に、『ファンク・ザ・ピーナッツ一号』が、死に物狂いのカゲロウのごとく、ふらふらと、鶴屋の元へと還ってゆく。
これで、鶴屋と、そのスタンドたちに打ち込んだ弾丸の数は四発。
弾倉に残った弾丸は残り二発……目の前で痛みにあえいでいる、この女になら! この二発を打ち込める!
「ぶち抜けェ――――!!」
背中から流れる血液で髪を汚しながら、体を折る鶴屋に向けて。荻原は、残りの弾丸を放つ。
さて、どこを撃ち抜いてくれようか。確実に仕留めるなら、心臓か、頭部か―――いや、心臓部はまずい。直線では、はじかれる可能性がある。
後頭部だ。弾丸を後頭部へとワープさせ、この女の頭に、弾丸をめり込ませてやる!!
「標準は既に合っているぜ! 『ビッグ・シュータァ―――』!」
銃口を鶴屋に向けて! 荻原は弾丸を放つ――――!
その、瞬間。鶴屋のスタンドの一方、人型の『ファンク・ザ・ピーナッツ二号』が、突如、鶴屋と荻原との間から、垂直に―――自然公園の『柵』に向かって、駆け出した!
「『オジョウサマ』!! Come On!!!」
直後に、『ファンク・ザ・ピーナッツ二号』が叫び、柵を飛び越え、公園内へと進入してゆく。弾丸は今まさに、亜空間をつきぬけ、鶴屋の後頭部寸前に現れた所だ。
しかし、その弾丸は、彼女の頭部を穿つことは無かった。
なぜなら、先の鶴屋の絶叫と同時に。あの子ネズミのような『ファンク・ザ・ピーナッツ一号』が、鶴屋の体を『蹴り付けた』からだ!
ドヒュゥゥゥン。
鶴屋と『一号』が、突風に煽られるかのごとく宙を舞い、『ファンク・ザ・ピーナッツ二号』が駆けていった方向へと吹き飛んでゆく。
標的を失った弾丸が、アスファルトに抉りこむ……
「『ファン・ピー一号』が攻撃したものは、『ファン・ピー二号』の元へと引き寄せられる……
そいつを利用して、逃げようってのかい。しかし……そうは行かねェ」
荻原は、拳銃の弾倉を開放しつつ、鶴屋と、そのスタンドが逃げていった軌道を追う。
鶴屋の逃走速度は、常人が両足によって行う其れと比較すれば、遥かに速い。
しかし、こちらには『銃』がある―――
「弾よ、『戻って来い』!!」
柵を乗り越え、木の根を警戒しつつ、大地を蹴りながら、荻原は叫ぶ。
其れと同時に。周囲の空間に撒き散らされた、荻原の放った弾丸たちが、一瞬、ギラリと光る。
アスファルトにめり込んだ二発。『ファン・ピー一号』の体に打ち込んだ二発。そして、鶴屋と、『ファン・ピー二号』の肩にそれぞれ打ち込んだ一発づつの、計六発。
「うぐっ!」
肩の傷口から何かが飛び出る衝撃に、鶴屋が呻く。一瞬、鶴屋は、再び銃撃を受けたのかと考える。
しかし、違う。その逆だ。鶴屋の体に食い込んでいた弾丸が、男の下へと引き戻されていったのだ。
「装填……『完了』」
弾倉へと舞い戻った六発の弾丸を確認すると、荻原は警帽を目深に被り直し、行く手を舞う鶴屋に向けて、拳銃を向けた。
「『ライフル』ほどじゃねぇが……俺の『ビッグ・シューター』は、こんなことも出来るんだぜ!!」
銃声。撃ち放たれた弾丸が、鶴屋の体へと突き進む。しかし、その距離はあまりにも長く、弾丸は鶴屋の体までは届かない。
しかし―――荻原恵介の『ビッグ・シューター』は!
空間を突き破ることで、その『距離』を大幅にショートカットすることが出来る!!
ドギュゥゥゥゥン!!
「うぐっ!?」
銃口の寸前の空間を突き破った弾丸が、鶴屋の右の太ももに食らいつく。
しかし、鶴屋の逃走は留まらない。今、鶴屋の体を動かしているのは、彼女の意思でなく、スタンド……『ファンク・ザ・ピーナッツ』の能力だ。
鶴屋を止めるには、鶴屋の先を駆けるあの『スタンド』を攻撃しなくてはいけない。
いや、或いは―――スタンド能力を保てなくなるほどに、鶴屋を攻撃する!
荻原は再び、引き金を引く! 三度続けて、亜空間の向こうを舞う鶴屋の体に向けて!
「ブチ貫けェ―――!!!」
「『ファン・ピィ―――――』!!!」
しかし。打ち放たれた三つの弾丸は、再び、鶴屋の体を貫くことなく、虚空を突き進むこととなった。
鶴屋の先を走る『ファンク・ザ・ピーナッツ』が、周囲の樹木を蹴り、進路を変えたのだ。
それに従い、鶴屋が宙を舞う軌道が変わり、荻原の弾道から逸れてゆく。
鶴屋の向かった先は……森林部を抜けた、草原部分だ。いくつかの遊具があり、水道や藤棚やベンチが在る。
幸いなことに、園内に、一般人の姿はまばらだった。丁度、昼食時の時刻であったためだろうか。
森林を抜けた『ファンク・ザ・ピーナッツ』は、砂場を踏み越え、雑草を踏みすりつぶしながら駆けてゆく。
周囲に障害物は無い。そして、軌道の変更によって生じた僅かなタイムロスによって、荻原と鶴屋との距離は狭まっている。
この距離ならば、撃てる!
「『ビッグ・シュータ―――』!!」
放たれた弾丸は、荻原の眼前の空間を突き破り、鶴屋の斜め前へとワープする。
被弾。鎖骨の付近だ。肺にも動脈にも近い。ダメージは、かなり大きいはずだ。
「くあっ!!」
鶴屋のうめき声と同時に……『ファンク・ザ・ピーナッツ』の像が消滅する―――勝った!
「くぁっ、くふっ、うぐっ……」
地に落ちた鶴屋が、全身に走る痛みに顔をゆがめ、荒く息をつく。
大地を這いずり、水飲み場を背に、荻原を振り返る。
カーデガンの胸元が、赤く染まっている……その染みは、今もなお、少しづつ広がっていっているようだ。
「がんばったな、鶴屋君。『ビッグ・シューター』相手に、たかが一介のガキが、ここまで持ちこたえるとはな。
しかし、どうやら、俺の『スタンド』のほうが一枚上手だったようだな」
最後の一弾を内蔵した拳銃を手に、荻原は鶴屋を見下ろす。
鶴屋は、荻原の言葉に言葉を返すことなく、痛みに顔をゆがめつつ、じっとその様子を眺めている。
「もうスタンドも出せねぇか? ……ここで最後の『一発』を、お前に叩き込んじまってもいいが……
そいつは少しばかりつまらねえな。できれば六発立て続けに……お前の体に打ち込んで、なぶり殺してやりてぇ気分だ」
「……ニセモノおまわりさん? なんか、君、すっごく『スゴ味』があるねえ。
もしかして、もう2、3人、やっちゃったことがあったりするのかな?」
鶴屋は、この期に及んで口の端をゆがめながら、荻原に軽口を投げつける。
「……さァな」
結論から言えば。鶴屋の質問に対する答えは、『No』だ。
荻原恵介は、つい先日までは、ただ、警察官にあこがれるあまり、制服や備品を集め、エアガンの違法改造を行う程度の、ちょっとしたマニアでしかなかった。
しかし、今。彼は目の前の少女を殺害しようとしている。何の躊躇いも無く……可能ならば、果てしなく残虐な方法で。
これもまた、『スタンド』を得たが故なのだろうか。
荻原の精神は、これまでの人生で最もと言っていいほどに昂ぶっている。
「この一発は、オードブルだ。せいぜい、痛みに喘げよ、鶴屋ァ!」
絶叫とともに。荻原は、天空に向けて引き金を引く。亜空間を突き抜けた、最後の一発の弾丸は、鶴屋の右肩の上部へと現れ、その筋肉を穿つ!
「ぐぁぅううっ!!」
鶴屋が痛みに声を上げる。顔面を、苦痛の表情にゆがめながら―――
……いや、違う。
「つ……るや、さんがこのまま、蜂の巣になっちゃうって……本気で、思ってるかい?」
鶴屋は、笑っていた。肩口から、血液を噴出させながら……
次の瞬間。鶴屋は、背部に回していた左手を、前方に突き出した!
その手に握られているのは……
「『ホース』、だとっ!?」
「『ファン・ピー』! 最高速でぶっ放しちゃってェ―――!!」
鶴屋の声と同時に、あの人型のスタンドが現れ、蛇口を叩き折る。そして、噴出した水流に、ホースの口の一方を押し付けた!
馬鹿な! 鶴屋は既に、スタンドパワーを保てないほどにダメージを受けていたはずだというのに……!
そこで―――気づく。鶴屋の鎖骨と右肩。それぞれ、荻原が弾丸を撃ち込んだ傷。
本来なら、未だ留まることなく流れているはずの血液が……止まっている!?
「だんだん回復してきたよ。コォォォ……うん、『呼吸』も絶好調さっ!」
その言葉と同時に、鶴屋の手の中のホースから、勢いよく水が流れ出す。
鶴屋がホースの先を向けた先は……先ほど、荻原が、鶴屋の右肩に銃弾を打ち込むために開けた、荻原の頭上へと繋がる空間の『穴』!
「うおおおっ!?」
頭上から降り注ぐ、冷たい液体に、荻原は一瞬狼藉する。
しかし……これが何だというのだ? ただ、荻原の体に水を浴びせる……其れが一体、何になる?
ただの悪あがきか? ……荻原がそう考え浮かべた、その直後。
荻原の体に……電撃のような、『何か』が走った!
「なっ……なんだ、こりゃァ―――!!?」
電撃。もっとも近いのはそれだが、少し違う。
体中に染み渡る、まるで、全身の細胞を蝕むような衝撃。
何だ、この『水』は!? ただの水道水に、なぜこのような力がある!?
『ファンク・ザ・ピーナッツ』の能力なのか……いや、あの『メモ』には、そのような記述は無かった。
「畜生……『ビッグ・シューター』! 弾丸を戻せェ―――!!」
弾倉には、既に弾丸は残されていない。荻原は叫び、あたりに撃ち散らした六発の弾丸を呼び寄せた。
その瞬間―――鶴屋が、はっきりと。口の端をゆがめたのが見えた。
「この瞬間を……待ってたんだなァ―――!!」
鶴屋は、両手につかんだホースを投げ捨て……左手を、右肩にあてがった。
その部分は……荻原が、銃弾を打ち込んだ箇所だ!
「ぐっ―――まさか、テメェ!!」
「さあ―――彼の元に、連れてっておくれっ!!」
弾丸は、強力な力で引き寄せられ、荻原の銃の弾倉へと帰還する。
そして、右肩に撃ち込まれた弾丸は……傷口から飛び出すと同時に、鶴屋の右手に掴まれる!
それでも、弾丸は帰還をやめない。鶴屋の体を伴い、荻原の下へと還ってゆく!!
「うおおおっ!? 近寄るんじゃねェ―――!!」
その絶叫に意味は無い。鶴屋は瞬く間に、荻原の目の前へと到達し……弾丸を握り締めた右手は、確実に、荻原の銃の弾倉へと叩き込まれる!
その、瞬間――――!!
「KOHHHHHH!!」
鶴屋の口から、奇妙な音が漏れた。
それは呼吸音だ。しかし、一般的な其れとは異なる……どこか特徴的で、絶妙な呼吸音。
鶴屋がその呼吸を行うと同時に――!! 荻原の手の中の銃が――『砕け散った』!
「何ィィィィ!!?」
馬鹿な……いくら、弾丸が帰還する際の威力を伴っているとはいえ。
この少女のこぶしが触れた程度で、この頑丈な拳銃が破壊されるわけが―――
いや、それ以前に!
「君の『スタンド』……弾丸をいちいち戻してるところを観ると、『一体化型』だよねェ?
こいつが壊れちゃったら……さて、君はどーしたらいいんだろうね、ニセおまわりさん?」
―――まずい。『ビッグ・シューター』は、媒体となる飛び道具が無ければ、能力を発揮出来ない……
いや、しかし! 荻原の目の前にいるのは、たかが十数歳か、二十歳前後の、華奢な女だ!
そして、この距離なら……荻原の後ろポケットに仕組まれている『ナイフ』を使えば!
この女がスタンドを使う暇も与えずに『仕留める』ことなど、容易い――!!
「この……クソアマがァ―――!!!」
迷う時間などは必要なかった。荻原はポケットから折りたたみナイフを取り出し、手早くその刃をむき出しにした。
「!」
「死ねェ―――!!」
防御のつもりか、鶴屋はナイフを握った荻原の手に向けて、右手を突き出す。
躊躇うことなく、荻原はその右手にナイフを突き立てた―――!!
「……な……に……?」
……荻原は。一体、目の前で、何が起きているのか理解できなかった。
「ニセおまわりさん……どしたの? 刺さないの? あたしの手、ブスってさ。
オサカナさんを捌くみたいに、さくさくやっちゃえば? ……ああ、ごめんごめん。できないよねぇ。『これ』じゃ」
ナイフの切っ先は、確かに、少女の手のひらに接触している。
しかし……切っ先は、決して、その先へと進むことが出来ない。
其れどころか、ナイフを引き戻す事も出来ないのだ。
ナイフの切っ先が――――鶴屋の手のひらに、『くっついている』!! 腕を引こうと、押し込めようと、決して動けない!
「なんだこれはぁっ!!? ……って思ってるでしょ? 鶴屋さんのヒミツの特技。あたしにもよくわかんない力なんだけど……あっあ~♪ ついに使っちゃったなぁ」
からからと、笑い声混じりの言葉を奏でながら、鶴屋はもう一方の腕を振りかざす。
そのこぶしに……『呼吸』によって作り上げた、鶴屋自身にも正体はわからぬ、『オーラ』を込めながら。
「やっ……やめろォォォォォ!!」
握り締められたこぶしが、荻原の顔面へと迫りくる―――火花のような、あるいは、水面に広がる―――『波紋』の如きオーラを纏いながら!!
「鶴にゃんパワー全開! 流れろっ、 『お仕置きパ―――――ンチ』!!!」
ぐしゃり。自らの鼻が砕け、鼻腔の奥に、つんと刺激が走る。
そして……その、刺激が! 体から、首。胸から両腕、胴体、足へと伝ってゆく! 電流のような、震動のような―――!!
「ダッバァァァァァァ―――――!!」
拳撃を受けた荻原の体が、後方に吹き飛び、草原の上へと放り出される。水面を打つ小石のごとく、バウンドをしながら。
警帽が吹き飛び、捨てられた映画のチケットのごとく、頼りなく、地表へと転がった。
「……ふぅぅーッ。疲れるんだよねぇ、これ」
右肩の傷に手を当てながら、鶴屋は、全身を蝕む痛みに顔をゆがめる。
太ももの傷と、背中の傷は、既に『ヒミツの特技』によって止血済みだが、痛みは十二分に残っている。
「おい、ちょっとそこのアンタよぉ……じゃなくて、えーと、君?」
不意に。鶴屋の背後から、聴きなれない、男性の低い声がかけられた。
振り返ると……そこには、先ほどまでの戦いで、嫌というほどに見慣れた、警察官の制服を纏った、やたらと体つきのたくましい男が立っていた。
身長は180強と言った所か。精悍な顔つきをしており、みるからに、通りすがりの一般人。という様相ではない。
一瞬。この男も、先ほどの男と同様に、『敵』なのかと考える―――しかし、その考えは、すぐに吹き飛んだ。
「あー、なんだ……えーと、仔犬のことで110番したのはあんたッスかね?」
そうだ。先の騒動ですっかり忘れてしまっていたが、鶴屋はもともと、ビニール袋に詰められて捨てられていた子犬を保護してもらうために、110番通報を行ったのだ。
「あ、えっと、うん、そうだよ。えーっと……」
鶴屋は戸惑う。この状況を、どう説明したものか。
草原の上に倒れこんだ、警官姿の男。銃創と血に塗れた自分の体。……どう考えても、まともな状況ではない。
こうなったら……鶴屋さん流、ヒミツの特技その②。『トンズラ』をこくしかないかな? などと、鶴屋が考え出したとき。
「あの、ちょいと」
血液に塗れた鶴屋の体と、気絶した男を見比べた後。警察官の男は、僅かに眉を潜め……言った。
「もしかすると、スッ頓狂なこと聴いちまうかもしれねーんスけど……
あんた、もしかして……『スタンド』とか、そのへんがらみのことと関係してたりしねーか?」
本体名 - 荻原恵介
スタンド名 - ビッグ・シューター 再起不能
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スタンド名 - 「ビッグ・シューター」
本体 - 荻原恵介(20歳)
破壊力 - B スピード - A 射程距離 - B
持続力 - E 精密動作性 - C 成長性 - B
能力 - 銃器と一体化するスタンド。射出した弾丸に空間を打ち抜かせ
本体の死人できる周囲の別の空間へとワープさせる。
ワープ先は、本体から半径100m程度。
一度放った弾丸が、空間を打ち抜けるのは一度きり。
このスタンドによって発生した空間の穴は、銃数秒ほどその位置に存在し続ける。
弾丸の破壊力は、媒体となった銃器の破壊力に依存するが
一般的な拳銃の破壊力程度までなら、スタンドの能力で強化することが可能。
このスタンドと一体化した銃器によって放たれた弾丸は
媒体となった銃器が弾切れになった場合に
再起可能状態に在るものに限り、本体の元へと帰還させられる。
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最終更新:2009年11月10日 10:14